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「現代の神話的なものを作りたかった」 『タロウのバカ』大森立嗣監督インタビュー

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「現代の神話的なものを作りたかった」
『タロウのバカ』大森立嗣監督インタビュー
 
 名前も戸籍もないタロウ、高校生のエージ、スギオの3人が、河原で、隠れ家で戯れ、街中を疾走する。「愛ってなに?」「好きってなに?」「死ぬってなに?」何も知らないタロウが、エージとスギオに交わることで起きる化学反応は、衝動的かつ刹那的で、青春にしかない一瞬のきらめきに目を奪われる。生きづらくても、3人でいれば無敵だった。
 
 大森立嗣監督(『さよなら渓谷』『日々是好日』)が長年温めていたオリジナル脚本を映画化。最新作となる『タロウのバカ』が、2019年9月6日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都、9月13日(金)より京都みなみ会館他全国ロードショーされる。
名前も戸籍もない主人公のタロウ役にオーディションで選ばれた演技初体験の新人、YOSHI、ある事情から学校に行かなくなってしまったエージ役に菅田将暉、援助交際をする同級生の洋子に恋してしまうスギオ役に仲野太賀が扮し、3人のアナーキーな日々が、偶然拳銃を手にすることで死に近づいていく様を、エネルギッシュに演じている。
 
 死の匂いが漂う現代社会の闇と、その中で生きる彼らを真っ直ぐに描いた大森立嗣監督にお話を伺った。
 

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■戦中戦後の死の匂いを必死で消し、何かが失われているという20代半ばの実感を脚本に。

――――長編デビュー作の『ゲルマニウムの夜』以前に書かれたオリジナル脚本ですが、当時はどんな思いでその脚本を書かれたのですか? 
大森:僕の中学、高校時代は校内暴力全盛期で、学校がある種のアナーキーな感じがする場所でした。僕自身はいじめる側でもいじめられる側でもなかったけれど、一歩間違えればそのアナーキーな世界に行きかねないという肉体的感覚がすごくあったのです。1970年生まれの僕からすれば、高度成長時代を経て経済的に豊かになっているけれど、一方で経済的な豊かさを得ることで、戦中戦後の死の匂いを必死で消そうとしているのではないか。そして何かが失われているのではないか。そういう考えを当時の素直な衝動をもとに、ちょうど助監督になりたての20代中盤で書いた脚本でしたね。
 
――――脚本を書かれた当時から25年ほど経った今、映画化するに至った経緯は?
大森:年に1度ぐらい脚本を読み直し、そんなに風化していないという実感がありました。僕自身が年をとっていく中で、若い主人公たちのかなり無軌道な物語を撮れる気力が残っているかと考えると、まだいけると。実際、最初に脚本を書いてから時間が経ちましたが、現代の問題を盛り込むためにオープニングのシーンや携帯の扱いを考えた以外はほとんど脚本を変えていません。
 
 

■25年経っても日本は変わらないから、『タロウのバカ』を作りたいと思った。

――――現代に合わせてかなり加筆されたのかと思っていたので、驚きました。全編に死の匂いが漂いますが、その部分は25年前より強めた表現にしたのですか?
大森:阪神大震災やオウム真理教事件が起きた95年頃に最初の脚本を書き、もちろんその影響は大きかったのですが、その後の東日本大震災の影響も僕にとっては大きかったです。原発事故以降、日本が変わるのかと思ったら、やはり変わらない。事故を忘れようとする力がすごく働いている気がして、脚本はむしろ風化していないと感じたのです。『タロウのバカ』を撮らなくていい時代の方が良かったのかもしれませんが、やはり時代が変わらないから作りたいと思ったのでしょう。過去を忘れようとする、或いは消費する力をすごく感じますね。
 
 
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■どこにも所属していないタロウを演じたYOSHIは「変に社会化されていない」

――――タロウをはじめとする3人のボーダレスな関係が、突き進む疾走感を生んでいます。その中でもタロウの描き方が作品の肝だと思いますが、キャスティングやキャラクター設定について教えてください。
大森:タロウは戸籍も名前もないという設定で、かなり無軌道な行動をします。15歳ぐらいで、大人でも子どもでもない。どこにも所属していないという価値観を出したかった。でも実際にオーディションをすると、15歳ぐらいなら既に社会化されていて、なかなか思うような人に出会えなかったのです。YOSHI君は変に社会化されておらず、初対面でも親世代のような僕らに緊張することなく話すことができ、むしろ僕たちに近いような部分を持っていると感じて、タロウがそこにいると思いました。
 
――――仲野大賀さんが演じるスギオは、アウトサイダーと一般社会人の境界にいる人物で、その苦悩に共感しやすいと同時に危うさも感じますね。
大森:脚本を書く時、ある程度箱書きするのですが、書いているうちにキャラクターが動き出すこともあります。結果的に、我々と一番近い立場の人間が窮地に追い込まれる。それが社会に対する警鐘になればという気持ちがありました。
 
 
 

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■「愛ってなに?」「好きってなに?」という問いかけで、人間の感覚を素直に見つめる。

――――タロウは劇中で「愛ってなに?」「好きってなに?」「死ぬってなに?」と何度も問いかけます。スギオも、同級生の洋子もやはり愛が何か分からない。この作品で愛は大きな問いかけになっています。
大森:僕たちは「好き」ということをなんとなくわかったふりをして生きているけれど、本当はわかっていない。それぞれが社会生活を営む中で、好き嫌いを判断していると思うのです。でも、人間が経済的に豊かになり、合理性や生産性を追求するのとは別に、人間はそもそも生物です。生まれて死ぬという感覚や、どうしようもなく好きになるという人間の感覚を素直にみつめることが、今、失われすぎているのではないかという思いから、登場人物たちに「愛ってなに?」「好きってなに?」という問いかけをさせています。ただ、スギオや洋子は、1回転半ぐらい回った後での「好きってなに?」という感覚で、タロウのまっすぐな感覚とは違うと思います。タロウがいる河原で見かけるダウン症のカップル、藍子と勇生もタロウと同じような存在ですね。
 
――――タロウや藍子と勇生の存在が、物語を寓話的、神話的に感じさせますね。
大森:実は現代の神話的なものを作りたいという思いがありました。今は自意識が肥大しすぎている人が本当に多いと感じます。皆が自分の周りのことに敏感になりすぎ、傷ついて何もできなくなってしまう。でも自分は、もっと大きな地球の中で生かされている存在であり、人間であると肯定するだけで、悩みへの対処の一つになるのではないかと思うのです。世の中には自分がわからないものがいっぱいあるし、自分はそんなに大きいものではないと思うと、少し楽になれるのではないでしょうか。
 
――――3人の中のリーダー格であるエージは、半グレ集団との付き合いがある一方、他の2人が口にしないような戦争や虐げられた詩人の言葉を口にするのが印象的でした。
大森:僕は1970年生まれで、終戦から25年しか経っていないのにすごく戦争を昔のことにように捉えていた。そういう実感を、エージに反映させています。エージは早めに社会生活からドロップアウトしてしまいますが、そこでタロウという存在に出会い、無意識のうちに死が立体感をもって掴めそうな気になる、とても敏感な少年です。半グレの吉岡らに首を絞められたり、柔道部の先輩たちにボコボコにされた時、リアルに死が頭をよぎってしまった。だから、エージは教科書に載っていた詩の一部を口にしたりするのです。
 
 

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■YOSHIをキャスティングした狙いに沿った、全員がフラットな撮影現場。

――――菅田さん、仲野さんと、15歳で新人のYOSHIさんが組むことで、撮影中も予期せぬ化学反応が起きていたのではないかと思いますが、3人での撮影の様子は?
大森:映画の撮影は、映画監督をトップに置き、そこから下はピラミッド方式で、ある種の封建的な力が働きます。でも、今回は社会化されていない部分に魅力を感じて、演技経験が全くないYOSHI君を主演に起用した訳です。だから従来の撮影現場のシステムをYOSHI君に押し付けるやり方は全く違うと思い、本当に皆が並列にいるような現場を目指しました。YOSHI君は撮影の合間に「たっちゃん〜」と僕の膝の上に乗ってきたり、撮影が終わると「ゲーセン行こうよ!」と声をかけてくるので、スタッフが皆びっくりしていましたが、逆に皆が彼の影響を受けましたね。菅田君にも「マサキ〜」と駆け寄って、遊びの延長でじゃれあっている。菅田君も色々な撮影現場で仕事をしているので、「この現場は、こういうやり方なんだ」と敏感に感じ取り、先輩っぽさは一切出さなかった。みんなで銭湯にも行きましたし、非常にフラットな現場でした。僕は本当に楽しかったし、そういう現場であったことが、この映画にどこかリンクしている感じがします。
 
――――バイオレンスなシーンと共に印象に残るのは、歌のシーンです。特にずっと一緒にいた勇生が溺死している傍らでで、雨の中大声で歌い続ける藍子の存在感は絶大で、カメラもこれ以上ないぐらいのアップで藍子を捉えていましたが、その狙いは? 
大森:藍子さんが歌うシーンは当初ありませんでした。実際に会い、彼女が歌っているのを聞かせてもらい、脚本に取り入れています。僕の中では溺死した勇生君を生き返らせる儀式だと思っているので、生き返らせるためにもっと大きな声で!と藍子さんに指示を出しました。雨の中全身全霊で歌う、祈りのシーンにしたかったのです。
 
 

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■「わからないものにどう触れていくか」を模索させた、死が浮き上がるシーン。

――――後半、死者を表現したような大駱駝艦のパフォーマンスは、「生きてる人と死んでる人、どちらが多い?」という問いかけと共に、自分たちがあまたの死者たちの中で生きているような感覚を覚えますね。
大森:大駱駝艦にある種の死者を演じてもらいましたし、「生きている人と死んでる人、どちらが多い?」「死んでる人だよ」とか、「死ぬんだから痛くたっていいじゃない」など、子どもの遊びのようなセリフの中に、死そのものがフワッと浮き上がるようにもしています。また、拳銃を手にしたエージがロシアンルーレットのようにするシーンも含めて、ふと肌触りのように死が近寄ってくる感じを表現したかった。死は、実際に死んだ人でなければわからないものですが、わからないものにどう触れていくかをタロウらに模索させたかもしれません。
 
――――死が全編に匂うというのは、そういう様々な表現の積み重ねによるものが大きいと改めて感じました。最後に、同世代の子どもたちの中でタロウは絶叫しますが、そのシーンに込めた思いは?
大森:あの絶叫は、タロウが生まれ変わる時の産声だと思っています。社会的になるというより、タロウが新しい人間として生まれてこないだろうかと。そういうタロウの姿をもう少し見ていたい。この先どう生きていくのかを見ていたいと思ったのです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『タロウのバカ』(2019年 日本 119分) R15+
監督・脚本・編集:大森立嗣 
出演:YOSHI、菅田将暉、仲野太賀、奥野瑛太、豊田エリー、植田紗々、國村隼
2019年9月6日(金)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都、9月13日(金)〜京都みなみ会館他全国ロードショー
公式サイト⇒http://www.taro-baka.jp/
(C) 2019 映画「タロウのバカ」製作委員会

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