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父と息子の間にある"距離"を日常生活の中から描く 『泳ぎすぎた夜』五十嵐耕平監督、ダミアン・マニヴェル監督インタビュー

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父と息子の間にある“距離”を日常生活の中から描く
『泳ぎすぎた夜』五十嵐耕平監督、ダミアン・マニヴェル監督インタビュー
 
『息を殺して』の五十嵐耕平監督と『若き詩人』のダミアン・マニヴェル監督が、共同監督作品として企画し、青森に住む6歳の子どもを主演に据えた小さな冒険の物語『泳ぎすぎた魚』。雪深い冬の青森・弘前を舞台に、仕事に出かけた父を探す息子の姿を追った物語は、台詞がほとんどなく、サイレント映画のような趣きと、光を取り入れた雪国の美しい景色に心がほぐれる。子どもの日常を丁寧に綴った詩集のような作品だ。
4月21日からシネ・リーブル梅田他で公開される本作の五十嵐耕平監督、ダミアン・マニヴェル監督に、お話を伺った。
 

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■比較的フレキシブルに映画を撮る者同士。リスクは全く感じなかった。(五十嵐)

五十嵐さんの映画はもちろん好きだが、まず友達としてとても好きだった。(マニヴェル)

―――『若き詩人』取材時にマニヴェル監督は、五十嵐監督に映画人として多くの共通点があると語っていました。今回共同監督として映画作りをした五十嵐監督がダミアン監督に共感できた点は?また、一緒に映画を撮ろうと思った理由は?
五十嵐:一緒に映画を撮る企画があったり、映画を撮るということが先行していた訳ではなく、最初、ロカルノ映画祭で出会った時に友達になり、ダミアンが来日するたびに飲みに行ったり、話をするうちに、どういう風に映画を撮るかを話するようになりました。僕もダミアンも、比較的フレキシブルに映画を撮るので、一般的にはあまりいないタイプの監督です。だから、一緒に映画を撮ることになっても、リスクは全く感じませんでした。何か決断をした訳ではなく、本当に自然な形で一緒にやることになったのです。
マニヴェル:映画を撮ることは、僕にとってはリスクを冒すことです。二人でリスクを取ろうじゃないかということが大きかったです。二人でやったとしても何が起きるか分かりませんが、とにかく投げ出してみようと思いました。五十嵐さんの映画はもちろん好きですが、五十嵐さんのことをまず友達としてとても好きだったですね。
 
 
―――どういうプロセスで映画作りを進めていったのですか?
五十嵐:まずは、お互いにアイデアを出し合いました。僕が最初に出したアイデアが、「子どもが撮りたい」。そしてダミアンは「雪が撮りたい」。東京やパリではなく、郊外で雪の降る場所ということで、以前僕が仕事で訪れたことのある青森の弘前に行くことにしました。一番重要な要素である子どもと雪は最初に決まっていましたね。
マニヴェル:二人の間で、あまりルールや分担を明確には決めませんでした。毎日違う場所での撮影で、毎日違う冒険が待っていた感じです。僕は時々カメラのこともしましたし、五十嵐さんが鳳羅(たから)君の演出を行う。毎回色々なことが変化していく現場でした。
 
 
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―――前作の『若き詩人』は夏の南仏が舞台でしたが、今回日本の雪を撮りたいと思った理由は?
マニヴェル:『若き詩人』は夏の話でしたから、今回は冬に撮りたいと思いました。日本の田舎を知りたいと思いました。私にとって映画を撮ることは、その見知らぬ土地を発見することでもあります。
 
 
―――子どもを撮ることも、撮る方からすればかなりリスクがあったのではないですか?
マニヴェル:子どもを撮ることも、雪深い場所で撮ることも、二人の監督で撮ることも、どれもリスキーですから、気にしても仕方がありません。もうやるしかなかったのです。もし、たくさんのリスクがあれば、何かが起こります。もしリスクがなければ、何も起こらないのではないかと怖くなります。
 
 
―――リスクがある方が、映画を作っているという実感が湧くということでしょうか?
マニヴェル:正確に言えば、快適ではない状況が映画作りにおいて大事だと思います。
五十嵐:安心・安全な場所に立っていると、何でもできるけれど、選択肢があまりありません。色々なことが起きてしまう状況にいると、出来ないことが起こり、今まで想定していなかった別のアイデアが沸き上がります。しかも、それはより良い方向のもので、それはリスクがある状況でないと起こりません。成功するかどうかは分かりませんが、やらないと、自分が目指しているもののさらに上を獲得できないという感覚はありますね。
 
 
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■子どもと青森・弘前のポートレイトにするために、青森の子どもの起用を最初から決めていた(五十嵐)

鳳羅君を見た時の第一印象は「彼をそのまま、映画の中に落とし込みたい」(マニヴェル)

―――青森では、まず主演の子どもをキャスティングされたそうですが、最初から役者ではなく、現地の子どもをキャスティングしようと決めていたのですか?

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五十嵐:最初はダミアンと、子どもと青森・弘前のポートレイトにしようと話していました。子どものポートレイトを撮る時は、当然、風景との関係性もある訳です。実際、青森の子どもに特有の動きがあるのです。寒くて服をたくさん着ているので、動きが独特ですし、滑りやすいので、歩き方も小刻みです。そういうカラダでないと、その土地のポートレイトは撮れませんから、他の土地で育った子どもに演じてもらおうとは思いませんでした。
 
 
―――鳳羅君とはライブで出会ったそうですが、最初からお二人とも「この子で撮ろう!」と思ったのですか?
マニヴェル:この子とすぐに分かりました。
五十嵐:鳳羅君が走り回っているとき、ダミアンの方を振り返ると、ダミアンも僕の方を見ていて、「この子だ」と。もう少し年上の子どもを探していたのですが、出会ったのが鳳羅(たから)君で、彼が6歳だった。最初はわんぱくすぎて大丈夫かなと思いましたが。
 
 
―――鳳羅君を撮りたいと思った一番の魅力は?
マニヴェル:その動きと、エネルギーに惹かれました。恋に落ちたときと似ています。何も計算できないし、少し奇妙で、とても深い何かを持っている気がしたのです。二人が鳳羅君を見た時の第一印象は「彼をそのまま、映画の中に落とし込みたい」ということでした。
 
 
―――これで、この映画が撮れると確信されたのですね。
マニヴェル:でも最初は、鳳羅君がちゃんと演じられるか不安がありました。最初、カメラテストをした時は、何もできなかったです。
五十嵐:鳳羅君の中には恥ずかしいという気持ちがあるけれど、表には出ていなかったです。カメラテストで初めて大勢のスタッフに会った時は、テンションが上がりきって、ずっと走り回り、会話もできない状況でした。でも2回目に会った時には、すっかり落ち着いていて面白いなと思いました。
マニヴェル:最初のカメラテストで、鳳羅君はまだ自分をコントロールできなかったけれど、とても優しかったです。僕の背中に抱きついたり、登ってきたりして、すぐに友達になれました。人懐っこさがある子なので、もう断れないですよね(笑)
 
 
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■撮影合間に鳳羅君が遊ぶ様子を観察し、発見したものを脚本に組み込んだ(五十嵐)

話す必要がないシーンを連続させる構成で、関係性を見せた(マニヴェル)

―――「母をたずねて三千里」が頭をよぎるような、鳳羅君の冒険ぶりが凄かったです。次は何をするだろうと観ていて飽きなかったです。一見、ドキュメンタリーのようにも見えますが、鳳羅君の自由な動きも取り入れているのでしょうか?
五十嵐:鳳羅君の自由なアイデアもたくさん入っています。片方手袋を落としてしまうとか、靴を脱いで中に入った雪を落としたり、カーブミラーに雪をぶつけたり。撮影中偶然起こることもありますし、撮影の合間や生活の様子を観察して、「こんなことをやるんだ」と発見したものを脚本に組み込んだりもしました。撮影中は、僕達が準備をしている間、鳳羅君は色々な場所でずっと遊んでいましたから。すぐ寝るので、映画の中でもたくさん寝るシーンがあります。
 
 
―――台詞がなく、サイレント映画のようですが、鳳羅君のような6歳の子どもに、何も言わずに動いてもらうのは難しかったですか?
マニヴェル:夜眠れないとか、昼間道に迷うなど、一人のアクションなので、台詞が元々必要なかった。あえて、話す必要がないシーンを連続させる構成にし、関係性をみせられるようにしました。
五十嵐:最初撮り始めて、すぐに台詞は必要ないと判断しました。一番最初に、演技の基本になる歩き方や、カメラを見ないということ、そしてしゃべらないという最初の約束を決めていたので、自分から喋り出すことはなかったですね。
 
 
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■小さい頃、こんな風に聴いていたなという音がこの映画に込められている(五十嵐)

鳳羅君が普段着ている服と、雪との色の対比で、色彩豊かな映画になると確信(マニヴェル)

―――台詞がない分、鳳羅君の息遣いや、雪を踏みしめる音などがとても印象的でしたが、本作の音に関するこだわりは?
マニヴェル:台詞がないので、必然的にシーンと音を作り込む必要があり、映画が音楽的になっています。
五十嵐:この映画の音の印象は、普段僕達がイメージしている音というより、子どもが聴いている音です。小さい頃、こんな風に聴いていたなという音がこの映画に込められています。雪を踏む音が楽しくて踏んでみたり、音のイメージというのは、小さい頃は今よりずっと強かったと思うのです。色々な音が気になっていたのではないでしょうか。
 
 
―――雪国の映像ですが、とても明るい色合いなのが、この作品の特徴です。前作の『若き詩人』に共通する、光が降り注ぐような“マニヴェルトーン”になっていますね。
マニヴェル:色については、簡単な作業ではありませんでした。まずは鳳羅君が普段着ている服と、雪との色の対比を考えました。そして、この映画は色彩豊かな映画になるなと確信したのです。映画で着ている服だけでなく、実際の生活で鳳羅君が使っているものも、たくさん登場します。カメラもクリスマスのプレゼントに彼がもらったものですし、写真も彼が撮ったものです。
五十嵐:父親の職場までの道にあるものを撮った写真も、この撮影の前に鳳羅君が撮っていたものですし、眠れない夜に撮った写真も、後半のポートレートに使っています。
 
 
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■直接触れられないけれど、何かしらお互いに思っている父と息子の関係性を描く(五十嵐)

お父さんが息子に「愛してるよ」と言うような人だったら、この映画はできなかった(マニヴェル)

―――冒頭の夜、台所で父と子が同じ構図で時間を過ごしたり、ラスト息子の洗濯物を父が干すという2つのシーンで、父子の絆が静かに伝わってきました。鳳羅君の冒険とこのテーマに結び付けた狙いは?

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マニヴェル:本作は子どもの冒険の話ですが、それだけではなく、息子と父親の関係が一番大事です。この映画は、父と息子の間にある距離を主題としています。ただ、映画ではそれをドラマチックに描かず、いかに日常生活の中から描けるかに重きを置いています。日常の中の悲劇、つまり父と息子の間に距離があるという事実は悲しいですが、生活というのはそういうものですね。
五十嵐:父と息子の関係性はダイレクトではありません。常にコンプレックスがあり、大人になって人前では言えないけれど憧れている部分もあります。この映画で描いていることもその要素に近くて、直接触れられないけれど、何かしらお互いに思っていることがある。そういう関係性だからこそ、将来自分に子どもができた時、父にこのように思われていたのだなと気付くのでしょう。そのようなジェネレーションの話題に関心がありました。
 
 
―――共同監督としての映画作りでしたが、お互いに学ぶ点はありましたか?
五十嵐:ダミアンは、「もっといいやり方があるかもしれない」と、いつでもどこでも新しい可能性を探しています。そういう態度は尊敬しますね。困るときもありますが、一丸となって新しい方向に向かっていける。スタッフも優秀だと思います。
マニヴェル:五十嵐さんからはたくさんのことを学びました。僕はできるだけシンプルな方法を探す映画作りをしていますが、五十嵐さんはいつも感情の鍵を探しており、その感情は僕にとってはとても複雑で、深いものを探しています。五十嵐さんの映画は一度観ただけでは分からないけれど、2回、3回観ることで、色々なものが開いていく。自分があまりできないことなので、憧れますね。
 
 
―――最後に、撮影を通じて鳳羅君の成長や本音を感じましたか?
マニヴェル:毎日本当に様々な体験をしました。魚市場でたくさんの雪が降っている昼のシーンを撮影する時、(本作にも父親役で登場する)鳳羅君の父親は魚市場で働いているため、ちょうど仕事上がりで帰宅するのを、鳳羅君が見てしまい大泣きしたことがありました。その日の撮影ができなくて大変でしたが、本当にこの映画と全く同じだなと思いました。お父さんは大好きだけど、勤務時間の都合でいつもすれ違って、なかなか会えないのです。
五十嵐:鳳羅君もお父さんが好きだと口では言いません。魚の絵を書いていますが、元々はお父さんの絵を書いてとお願いしたものの、イヤだと言われて。
マニヴェル:鳳羅君のお父さんも同じで、好きなのに好きだと言いません。逆に、もしお父さんが息子に「愛してるよ」と言うような人だったら、この映画はできなかったと思います。
(江口由美)
 

 

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<作品情報>
『泳ぎすぎた夜』
(2017年 フランス=日本 1時間19分)
<監督>五十嵐耕平、ダミアン・マニヴェル
<出演>古川鳳羅、古川蛍姫、古川知里、古川孝、工藤雄志
公式サイト⇒http://oyogisugitayoru.com/
4月21日(土)~シネ・リーブル梅田、5月19日(土)~出町座、6月9日(土)~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
(C) 2017 MLD Films / NOBO LLC / SHELLAC SUD
 
※第74回ヴェネチア国際映画祭オリゾンディ部門正式出品
 第18回東京フィルメックス 学生審査員賞・Filmarks賞受賞