デビュー作はオリジナル脚本で普遍的なものと決めていた。
『おじいちゃん、死んじゃったって。』森ガキ侑大監督インタビュー
お葬式を題材にした映画は数あれど、セックスシーンから始まる物語はなかなかないだろう。自宅で彼氏といそしんでいる時に飛び込んできた訃報。ベランダから、庭にいる父に向かってヒロイン、吉子が発する言葉、「おじいちゃん、死んじゃったって。」がそのままタイトルとなっているのも、意表を突かれて面白い。資生堂、ソフトバンク等、数々の有名CMを手掛けてきた森ガキ侑大監督の長編デビュー作、『おじいちゃん、死んじゃったって。』が、11月4日(土)からテアトル新宿、テアトル梅田、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国順次公開される。
20代半ばで上京してからは寝る間も惜しんで働き、CM業界でキャリアを積んできたという森ガキ監督。元来の夢であった映画監督、そのデビュー作はオリジナル脚本でという熱い思いが、脚本の山﨑佐保子さんとの出会いによって見事な化学反応を起こした。祖父、父の死を前にした家族の悲喜こもごもと、ヒロインの成長を描くヒューマンドラマは、普遍的でありながら、少しヒリヒリとした感情を覚え、思わぬ笑いがこみ上げる。本作が初主演となる岸井ゆきのをはじめ、脇を固める俳優たちも岩松了、光石研、美保純、水野美紀というベテランから、岡山天音、尾野花梨、池本啓太、松澤匠という若手まで個性豊かな面々が勢ぞろい。お葬式での衝突を経て、各々が抱えるうまくいかない日常が、少し前に進んでいく様子は、静かな感動を呼ぶ。
本作の森ガキ侑大監督に、初長編『おじいちゃん、死んじゃったって。』で描きたかったことについて、お話を伺った。
■とても好きな小津作品。普遍的な内容だが、学生の時に観るのと、結婚した今観るのと、見方が本当に変わる。
―――本作は森ガキ監督の初長編ですが、前作の短編『ゼンマイシキ夫婦』(14)でサイレント映画のような夫婦の物語を紡いでいますね。
登場する夫婦にはそれぞれ、背中にゼンマイがついているのですが、自分では自分のゼンマイを回せない。旦那さんは奥さんのゼンマイを回し、奥さんは旦那さんのゼンマイを回す。つまり、二人でいないと生きられない状況になっています。何のために相手のゼンマイを回しているのかを切り口に、夫婦の関係性を描きました。本当の愛をゼンマイで表現し、FOXの短編映画祭と小津安二郎記念・蓼科高原映画祭で賞をいただきました。
―――小津安二郎監督の作品がお好きなのですか?
小津監督はとても好きで、小津監督が晩年、数多くの名作を生み出した更科高原の映画祭に出品したかったのです。小津作品は、学生の頃よく観ていました。家族をテーマにしておられ、普遍的な内容なのですが、学生の時に観るのと、結婚し、家族がいる今観るのとでは、見方が本当に変わりましたね。今、ようやくその表現の深さが分かった気がします。
―――今回、脚本を担当したのは、映画の脚本が初となる山﨑佐保子さんですが、どのような経緯で長編デビュー作の脚本を書いていただくことになったのですか?
CMの編集をはじめ、本作の編集担当の平井健一さんから、僕と同い年でまだデビューしていない脚本家がいると紹介してもらったのが日本映画学校で荒井晴彦さんに師事していた山﨑さんでした。意気投合し、今の日本映画について色々意見を交わした後、山﨑さんがその時書いていた脚本をいくつか見せていただいたのです。その中で、撮りたいと思ったのがお葬式の話でした。山﨑さんは本作を観た出版社の方から、映画を本にしたいと連絡があり、脚本家デビューと同時に小説家デビューも果たしています。映画が先というのは稀なケースだそうで、「この映画で大きく人生が変わった」と話していました。
■デビュー作はオリジナルで普遍的なものを。“家族と生/性と死”を描きたかった。
―――数ある脚本の中から、お葬式の話を選んだのは小津監督の作品にもつながります。
小津作品もそうですが、普遍的な、誰にもささる企画を必ずやりたかった。ただ、分かりやすく表現するのではなく、自分自身のちょっとした色や、芸術的要素を入れることができる、融合的なバランスのものを映画化したかったので、僕のやりたいことに合致していました。『ゼンマイシキ夫婦』で描いた夫婦も普遍的な要素ですが、次は“家族と生/性と死”を描きたいとずっと思っていたので、そこにもハマった感じですね。デビュー作はオリジナルで普遍的なものというのは、ずっと決めていましたから。
■セックスでの成長を、主人公吉子の成長に反映させる。
―――物語は、主人公の吉子が実家で彼氏とセックスをしている時に、おじいちゃんの死を知るところから始まります。この映画の柱でもありますね。
映画のセリフにもありますが、「隣の村で戦争をしていて、僕らは楽しんで酒を飲んだりしている」と。どんなことがあっても、親族や子どもが万が一死ぬことがあって、しばらくは落ち込み続けても、人間は飯も食えば、トイレにも行く訳です。それは避けられない人間の本質的な部分です。途中でも吉子と彼氏とのセックスシーンが出てきますが、2回目は割り切ったところがあります。吉子自身、死に対して整理がつき、死を生活の一部と受け止める。そして、兄弟げんかをし、みっともないところを見せる吉子の父や叔父に対し、分からないなりに、理解しようとする。それが大人の階段を上ることになります。セックスでの成長を、彼女自身の成長に反映させました。
―――吉子を演じる岸井ゆきのは今勢いのある若手の一人ですが、彼女の魅力とは?
芝居が上手いし、目がきれいですね。もう一つは、田舎の恰好をさせると、いい意味でどんくさい女の子の雰囲気を表現できます。衣装次第で東京のシティーガールの雰囲気にもなれるし、どちらも演じられるのが強みです。主人公は皆の気持ちを代弁しているので、彼女の素朴さは共感してもらえると思います。
■ロケ地の熊本県人吉市は、脚本で思い描いた場所の匂いがした。
―――日本の原風景が映し出されているのも印象的です。ロケーションのこだわりは?
主人公の吉子は、本当は東京に出ていきたいけれど、田舎で悶々としている。弟は東京に行ったのにという葛藤があります。吉子のいる田舎は、東京に新幹線で1~2時間で行ける場所だと説得力がないので、脚本を読んだ時、東京からすごく遠い村を思い浮かべました。空港に行くのにも時間がかかり、東京への憧れが強くなる場所と考えていくと、熊本の人吉市がとても自然豊かで、脚本で思い描いた場所の匂いがしたのです。ただ、クランクイン直前に熊本地震が起き、タイトルがタイトルなので不謹慎ととられるかもしれないと撮影を断念し、仕切り直しもやむを得ないと思っていました。でも、人吉市の皆さんが、「震災後の復興が大変なので、映画を撮って盛り上げてほしい」とおっしゃってくださり、その言葉で撮影をスタートすることができました。
―――初監督作品で、いきなりインドロケのシーンもありますね。撮影はどうでしたか?
インドに行って、本当に良かったです。インドでは、誰も死に対して恐怖感を抱いていない。ガンジス川は、死後に焼かれ、流される場所です。高齢の人たちは、そこで自分が死ぬのを待っている。インド人にとってはそれが名誉であり、死は希望があることなのです。その光景を見てから、僕の死に対する怖さが薄らいだ気がします。寿命を全うしての死は、怖くはないなと。岸井さんも、今まで体験したものとは全く違うと言っていましたし、価値観が少しは変わったのではないでしょうか。
■「誰もが脇役にならない」ことが一つの挑戦
―――本作で、一番森ガキ監督がやりたかったことは?
大きなフォーマットで言えば、群像劇をやってみたかった。一人にフューチャーするのではなく、登場人物全員のイキイキとした人物像を、この短い時間でしっかりと描きたいと思っていました。誰もが脇役にならないというのが、1つの挑戦でしたね。それぞれの生き様をしっかり描いて、色々な世代に共感を呼ぶようにする。また、ストーリーを展開する上で吉子という主人公の成長を軸にしました。
―――次回作はどのような作品を考えていますか?
若い世代の青春群像劇もやりたいですね。脚本の山﨑さんと、今までの日本映画にないようなオリジナル作品をこれからも作りたいと思っています。もう一つは、韓国映画のレベルがとても高いので、韓国のプロデューサーや脚本家、スタッフと映画を作ってみたいという夢があります。
(江口由美)
<作品情報>
『おじいちゃん、死んじゃったって。』(2017年 日本 1時間50分)
監督:森ガキ侑大
出演:岸井ゆきの、岩松両、美保純、光石研、水野美紀、岡山天音、小野花梨他
2017年11月4日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国順次公開
(C) 2017 『おじいちゃん、死んじゃったって。』製作委員会
※第30回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門公式出品