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一年待ってでも遠藤憲一主演と決めていた。『うさぎ追いし −山極勝三郎物語−』近藤明男監督インタビュー

 

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一年待ってでも遠藤憲一主演と決めていた。
『うさぎ追いし −山極勝三郎物語−』近藤明男監督インタビュー


usagi-di-240-2.jpg「癌が作れれば、癌は治せる」という信念のもと、100年前に世界で初めて発癌実験を成功させた上田出身の病理学者、山極勝三郎。明治、大正、昭和と激動の時代、何度も日本人初のノーベル賞候補に上った偉人の人生を映画化した『うさぎ追いし −山極勝三郎物語−』が、長野地方の先行上映に続き、12月17日(土)より有楽町スバル座、2017年1月7日(土)よりテアトル梅田他で全国順次公開される。

家族愛、郷土愛、そして師弟愛と幾つもの方向から山極勝三郎の生涯を描いたのは、『ふみ子の海』『エクレール・お菓子放浪記』の近藤明男監督。肺結核に侵されながらも、強い信念で実験に臨み続けた勝三郎に遠藤憲一、勝三郎の同郷の友であり、共に「上田郷友会」を設立した小河滋次郎に豊原功補、発癌実験をする勝三郎の助手を務めた市川厚一に岡部尚、そして実験一筋の夫を支えながら子どもを育て上げた勝三郎の妻かね子に水野真紀を配し、人間のひたむきな情熱と、細やかでほっとするような日常を紡いでいる。

最後まで諦めず、失敗を重ねた末に画期的な結果をもたらした発癌実験のシーンは作品のクライマックスである一方、非常に地味な作業の積み重ねでもあるが、遠藤演じる山極博士と岡部演じる弟子、市川との師弟コンビの凸凹コンビが、飄々とした風合いをもたらし、むしろ微笑ましいのだ。

本作の近藤明男監督に、山極勝三郎の人生を映画化するにあたって狙いや、キャスティング秘話、こだわりの音楽について、お話を伺った。

 

 


■かつてのATG映画スタイルで、偉人伝ではなくエンターテインメント作品を。

―――山極勝三郎の映画を撮ることになったきっかけは?
近藤監督:前作の『エクレール・お菓子放浪記』以降、いくつかの企画を考えていたのですが、なかなか実現に至らなかったところに、プロデューサーの永井さんから今回の話をいただきました。永井さんは篠田正浩監督(松竹)の助監督を務めており、後に師匠の篠田監督からプロデューサーを打診され、監督の道に進まずプロデューサーに転身された方です。『ふみ子の海』は、永井さんが監督デビューする時の題材にと決めていた原作でした。僕はといえば、増村保造監督(大映)の助監督をし、その後映画を撮りましたが、『ふみ子の海』までは15年ぐらいのブランクがありましたから、そんな僕に思い入れのある作品を撮らせてくれた永井さんには、当時から恩を感じていたのです。その永井さんから3年前に「(この作品は)あなたしか出来ない」と言われたら、映画化するには難しい話だとは思いましたが、断る訳にはいきません(笑)。

―――偉業を成し遂げた実在の人物、しかも一般的な知名度はあまり高くはない山極勝三郎さんを映画で描くことは、ハードルが高かったのではないですか?
近藤監督:実在の人物ですし、癌を作ったことは偉大なことですが、それを丹念に追うだけでは真面目すぎる。僕は娯楽の王様である映画を作ってきた大映の助監督でしたから、映画はアート系というより、人を楽しませて2時間ぐらいで満足してもらうものだと体で覚えてきた。どうしようかと悩み、永井さんには「僕に撮らせたら、立派な偉人伝のような映画にはならないよ。永井さんが考えているような山極像にはならないかもしれないけど、いいよね」と念を押すと、「近藤さんの好きなように」と言ってもらえたので、決心がつきましたね。太っ腹なプロデューサーです。

―――今、なかなか監督が好きなように撮らせてもらえる環境ではないですから、永井プロデューサーの本作や近藤監督にかける期待が伺えます。
近藤監督:僕達の時代には、監督と配給や制作会社が当時500万円ずつ出し合って、1000万円で監督が撮りたい、会社の中では通らないような企画をやるATG映画の盛んな時期が何年かありました。僕もそこで増村監督をはじめ、東宝を辞めた須川栄三監督の助監督として何本か撮り、永井さんもATGで撮っていたので、「ATGスタイルでやれば、近藤さんが体で覚えてきたことだし、僕にもそれぐらいのお金しか集まらないから」と言われ、僕も「お金があるのは苦手だけど、お金のないのは得意とするところだ!」なんて冗談を言いながら始めたんですよ。

 

usagi-500-2.jpg ■俳優の持っている力から、山極さんの違う側面を描きたい。一年待ってもと、遠藤憲一さんのキャスティングを実現。

―――実際に資料をお読みになって、近藤監督が山極さんに対して抱いた印象は?

近藤監督:江戸時代末期の生まれですから、本当の意味で明治の男の「真面目で頑固」という典型的な部分があります。でもただ真面目なだけでは映画にするのは難しいので、遠藤憲一さんのキャスティングも含め、そこは試行錯誤した部分です。正統派の俳優に演じてもらうこともできましたが、堅苦しい作品になってしまう。俳優の持っている力そのものも大事で、そこから山極さんの違う側面を作り上げてみたい。映画そのものがうまくできていれば(現実と多少のズレはあっても)問題はないということで、遠藤さん主役という思い切ったキャスティングをしました。遠藤さんも最初は、「こんな東大出の優秀な方を、高校中退の僕が演じるなんて」と奥さんに話していたそうですが、そこが映画の面白いところです。

―――山極勝三郎役に遠藤憲一さんをキャスティングしたこと、一番の肝だったのですね。
近藤監督:『ビルマの竪琴』で一緒に仕事をさせていただいた市川崑監督は、「脚本を作るのはもちろん大事だが、次の監督の仕事の5、6割はキャスティング。キャスティングを間違えると、現場ではどうにもならない。芝居を付ける以前の問題だ」と教えられたので、今回は主役を間違えたら、その段階で終わりだと思いました。山極勝三郎さんが癌を発見してから2015年で100年だったので、本当は昨年公開したかったのですが、昨年は遠藤憲一さんのスケジュールが3日しか空いていないと言うものだから、さすがにそれでは撮れない。一年待ってもとにかく遠藤さんでやろうと決めていたので、結局今年の3月から4月のテレビ番組改変期に、2週間スケジュールを押さえてもらって撮りました。

 

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■脚本家に参考としてみせたのは黒澤明監督の『赤ひげ』。

―――前半は山極さんの同郷の友であり、共に「上田郷友会」を設立した小河滋次郎が、実験が始まってからは助手の市川尚三郎が登場し、家族の物語と対になって進行していきます。単なる偉人伝ではない仕掛けが見られますね。
近藤監督:小河滋次郎は民生委員を日本で初めて作った人。映画化に際し、最初は山極さん一人の物語では難しいかと思いましたが、小河さんと二人の友情物語を軸にすればいいのではないかと考えました。この映画を単純に分かりやすい映画にする3つの柱とは何か。うさぎの実験をして癌を発見するのは一番の見せ場であり、それを核とした勝三郎と市川の師弟愛が一つ目の柱。脚本家には、黒澤明監督の『赤ひげ』を参考にしてもらうようにしました。二つ目は、故郷を出た勝三郎と滋次郎が再び故郷に戻る、故郷と友情の物語。そして三つ目は、家族の物語です。妻、かね子をはじめ、実際にも一番しっかりしていたという娘の梅子や父勝三郎を励まし、唱歌『故郷』を引き出す末娘などを、こちらも『赤ひげ』を参考にしてもらいました。これらをバランスよく描ければ、この脚本は他のものは要らないと伝えましたね。

―――豊原功補さん、岡部尚さんのキャスティングの経緯は?
近藤監督:遠藤さんは背が高く、二人が並ぶシーンも多いので、小河滋次郎さん役の豊原功補さんは、50歳ぐらいで同じぐらいの背格好、そして遠藤さんよりも美形の俳優ということで選びました。一方、市川役は遠藤さんとはキャラクターの違う人にしようと、岡部さんに決めました。若松孝二監督に可愛がられ、昔から小規模な映画には随分たくさん出演していましたが、(市川役は)今までで一番いい役なのではないでしょうか。本作でブレイクするでしょう。今はブレイク前夜、10年前の遠藤さんみたいな感じです。

―――脚本にない部分の山極勝三郎像を、遠藤さんとどのように作っていったのですか?
近藤監督:教科書のように事実を追うだけの映画にはしたくない。エンターテインメントで面白い映画にしたいという点は、僕と遠藤さんの共通認識でした。決定稿になるまでも、「もっと面白くならないか」といい意見をたくさん出してくれましたし。最初白ウサギだけで実験をし、結果が出なかった時に、黒ウサギでも実験することを思いつくきっかけとなるシーンでは、金平糖と毒掃丸を食べ間違えるというアイデアを脚本家が考え、遠藤さんも「これはいいね!」と喜んでいました。ただ単に黒ウサギを使ったというよりもインパクトがありますし、それまでの金平糖好きの勝三郎というキャラクターも生きるし、大ヒットのアイデアでしたね。

 

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■借家図面に「オルガン」と書かれていたのを見て、「もらった!オルガンを置こう」

―――前作の『エクレール・お菓子放浪記』も音楽が大きなカギを握っていましたが、本作でも『故郷』をはじめ、時代を象徴する音楽が使われ、とても印象的です。
近藤監督:僕自身、音楽が好きですから。今回も市川を引き立たせるために、北大寮歌(『都ぞ弥生』)を絶対に入れようと決めていました。もう一つは、山極さんが住んでいた借家の図面を見たとき、玄関にオルガンと書いてあったんですよ。それを見て「これはもらった!オルガンを置こう」と決めました。ではどんな歌を使おうかと考えたときに、永井さんが長野出身の作詞家、高野辰之さんの企画を持ってきたことを思い出したのです。結局映画化には至りませんでしたが、その高野さん作詞の『故郷』が、山極さんが癌を発見した前年に小学校の唱歌になったと知り、もうこれしかないと。山本嘉次郎監督、黒澤明助監督で高峰三枝子主演の『馬』でも輪唱で使っていましたし、日本映画のありとあらゆる場所で『故郷』は使われていますが、これぞ本命という形で使うぞ!「うさぎ追いし」とありますが、うさぎを追いかけて実験をしていますからね。映画では実験に行き詰まり、病でも苦しむ父、勝三郎を末娘が元気づけるシーンで使っています。



■知る人ぞ知る北大寮歌と、盛りだくさんのエンディング曲。『真田 木遣り 祝婚歌』は本当に酔っぱらって歌ったのを採用。

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―――癌実験が成功し、北大の教授に昇進して勝三郎の元を去るとき市川が歌っていたのは、北大寮歌でした。また、邦画にしては珍しくエンディングに3曲使われています。
近藤監督:北大寮歌は東大寮歌、京大寮歌と共に3大寮歌と言われています。知っている人には非常に懐かしい歌だと思いますので、北海道の方にも是非応援してもらいたいなと思っているところでした。
エンディングの1曲目は、上田出身のデュオH2O(『想い出がいっぱい』)の赤塩正樹さんが歌う『君の贈りもの』。2曲目は、本作でかね子の母親を演じた緒方美穂さんが歌う『i・ku・ru』。3曲目は結婚式で歌われる定番曲をと考えていたところ、上田で材木業を営んでいる島田プロデューサーがこの作品の設定で作詞した『真田 木遣り 祝婚歌』を、部下を従えて歌っています。実際の雰囲気を出すために、本当に酔っぱらって歌っているのがすごく良かったので、締めに使いたいと、結局3曲になりました。



―――本作は、山極さんの故郷、上田でかなりの部分をロケされたのですか?
近藤監督:上田で9割撮りました。東京では北大路さんが出演した箇所を3日間撮影しました。山極さんは東大で学び、東大の教授を務めていたので、赤門の景色などを撮影しようとしたのですが、東大側は撮影を許可せず、商業映画だからという理由で本当に非協力。やっとの思いで撮影を許可してもらったのは、東大医学部に所蔵されている山極さんの机と、東大2号館のカット他だけで、映画で東大の中の池として登場しているのは、上野美術博物館の横の小さな池を探してきました。あとコストはかかりましたが、小金井の東京たてもの園では、19歳の山極勝三郎さんと小河滋次郎さんが東京、本郷に上京したときの江戸の街を数カット撮影しました。9割撮影した上田では、勝三郎の家や実験用のうさぎ小屋をはじめ、信州大学繊維学部の講堂では、学会の発表やヘンシェン博士公演のシーンを土日で撮影しています。

 

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■映画の力で、一人でも多くの人に「山極勝三郎」を伝えたい。

―――山極さんは3回もノーベル賞の候補になった人物ですが、「幻のノーベル賞」という部分に焦点を当てなかったのはなぜですか?
近藤監督:ノーベル賞が取れなかったことに焦点を当ててしまうと、いやらしい映画になってしまいます。実際には、ノーベル賞を取ったフィビゲルの発癌実験は後に誤りだったことが明らかにされ、山極さんの発癌実験こそノーベル賞受賞にふさわしかったと言われるようになるのですが、それはあくまでも後日談としてさらりと語る方がいいと判断しました。映画ではフィクションとして娘、梅子の口から「父はノーベル賞には興味がありませんでした」と語らせています。

―――山極勝三郎博士が癌発見してから100年経った今、『うさぎ追いし −山極勝三郎物語−』を世に送り出す今のお気持ちは?
近藤監督:このお話を引き受けした時に、映画の力で一人でも多くの人に山極勝三郎さんのことを伝えたいと思いました。やっと出来上がったこの作品が、国内や海外の多くの皆さんに届くことを祈っています。
(江口由美)


『うさぎ追いし −山極勝三郎物語−』
(2016年 日本 1時間51分)
監督:近藤明男
出演:遠藤憲一、水野真紀、岡部尚、豊原功補、高橋惠子、北大路欣也他
2016年12月17日(土)~有楽町スバル座、2017年1月7日(土)~テアトル梅田、今冬~元町映画館他全国順次公開
公式サイト⇒http://usagioishi.jp/
 (C) 2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」製作委員会