家族の歴史を、カンボジア悲劇の40年の歴史と重ねて『シアター・プノンペン』ソト・クォーリーカー監督インタビュー
~映画館に残されたフィルムが語る、封印された母の過去と、美しきカンボジア~
第27回東京国際映画祭で国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞したカンボジア映画、『シアター・プノンペン』(映画祭上映タイトル『遺されたフィルム』)が、7月2日(土)より岩波ホール、8月13日(土)よりシネ・リーブル梅田で公開される。カンボジアのソト・クォーリーカー監督長編デビュー作であり、同国の女性監督で初めて海外で上映され、高い評価を受けている作品だ。
<ストーリー>
プノンペンで暮らす女子大生ソポンは、病を患う母と、厳しい軍人の父のもと、息苦しさのあまりボーイフレンドと遊んでばかり。ある夜偶然たどりついた古い映画館で、自分とそっくりの少女が映る古い映画を目にする。映写技師のソカは、クメール・ルージュ時代に作られたラブストーリーだが、最終巻が欠けたため上映できなかったという。ソポンの母が主演女優を務めていたことを初めて知り、病床の母が生きる希望を取り戻すためにと、ソポンは映画の結末の撮影を敢行するのだったが…。
女子大生ソポンを主人公に、古い映画館に残る最後のフィルムが欠けた恋愛映画が、ソポンの両親の秘密とカンボジアの歴史を手繰り寄せていく様を描く意欲作。現代のプノンペンはもちろんのこと、ポル・ポト独裁政権時代、そして独裁政権以前の豊かで美しかった時代とカンボジア40年の歴史を、ある母娘の歴史と重ねて描く壮大な抒情詩でもある。被害者も加害者も、それぞれが苦しい思い抱え、封印していたカンボジアの過去の記憶とただ向き合うだけでなく、世代を超えて過去を共有するところに、ソト・クォーリーカー監督の狙いが感じられる。家族の秘密という視点から見れば、非常に普遍的なテーマを扱った作品とも言えよう。
来阪した本作のソト・クォーリーカー監督と実母でプロデューサーを務めるタン・ソト氏に、自身の生い立ちや、本作の狙い、クメール・ルージュ時代を題材にした劇映画を撮ることの意味について、お話を伺った。
―――クォーリーカー監督は73年生まれで、幼少期にクメール・ルージュの圧政やその後の独裁政権下を体験しておられますが、当時のことや生い立ちをお話いただけますか?
クォーリーカー監督:私は73年生まれなので、ポル・ポト政権が始まったときはまだ2歳でした。3~4歳の頃から両親と離され、児童収容所に入れられていました。当時、父はまさしく母の腕の中で亡くなりましたが、その遺体はすぐにクメール・ルージュの兵隊に収容され、私の中で父の記憶はほとんどありません。母は父が亡くなった時のことをなかなか話してくれず、14歳になるぐらいまで、ほとんど状況が分からなかったのです。
―――初監督作で現代の若者を主人公にし、クメール・ルージュと向きあう劇映画にした理由は?
クォーリーカー監督:主人公ソポンと母親の関係を軸に、クメール・ルージュの時代と現代の2010年代を描きました。ソポンは、私自身であり、私自身の感情を内在させています。この映画では、状況から語る部分と、心理的側面から語る部分があります。状況面では、クメール・ルージュの酷かった時代から現代に繋いています。母娘が生きた時代を40年ぐらいのスパンで描いた背景には、私自身も家族の歴史を知りたい、カンボジアのクメール・ルージュの時代を含めた歴史を知りたいという気持ちがありました。
―――タン・ソトさんはクォーリーカー監督のお母様で本作のプロデューサーでもありますが、娘がクメール・ルージュの時代を取り入れた映画を作ることに対し、どう感じましたか?
タン・ソトプロデューサー:『シアター・プノンペン』までに、クォーリーカーはドキュメンタリーでクメール・ルージュを扱った作品を何本か制作しましたが、基本的には外国のTV会社やジャーナリストと作ったもので、外国人が作ったものは心の部分を切り離し、事実だけで被害の甚大さを強調して終わってしまうことに不満を持っていました。それ以外には、『トゥーム・レイダー』のラインプロデューサーを手掛けましたが、いずれにせよ外国の会社の仕事をカンボジアサイドから手伝うというスタンスでした。
一緒に仕事をした人たちが口を揃えて「あなたの娘さんは、素晴らしい才能を持っている。外国人の仕事を助けるだけでなく、自分で作れる力量がある」と言って下さったので、2013年にイギリス人の脚本家、イアン・マスターズ氏が素晴らしい脚本を持ってきてくださったとき、カンボジアだけでなく世界で勝負できる作品を作れると確信しました。このチャンスは娘、クォーリーカーにとって非常にいいチャンスになるし、学びにもなると思い、金銭面も含めてこの映画の作成に力を注ぎました。撮影をしながら、クォーリーカーが自分の家族のことを学ぶだけでなく、カンボジアの半世紀に及ぶ紛争、内戦の歴史を学んでいることを非常に頼もしく思いました。一方、カンボジアの本当の歴史を知ることで、娘が苦しんでいることも感じたのです。ただ、当時を思い返すと、娘に家族の真実を知らせたくないというよりは、クメール・ルージュの時代が終わっても、カンボジア中で生きていくのが必死な時代だったので、家族の歴史を知らせることができなかったのが真相です。
―――映画館が時代の生き証人のような役割を果たしていますが、実際カンボジアで映画はどのような役割を果たしてきたのでしょうか?
クォーリーカー監督:クメール・ルージュなど内戦時代の前のカンボジアにおける映画の役割は、現実を忘れ、夢を見るための場所でした。また社会や文化について考える作品もありました。当時の映画業界は非常に豊かで、映画監督も大勢いましたし、映画館もたくさんあり、人々が多くの映画を楽しめる環境でした。さらに、シハヌーク国王が唯一古い時代のプロデューサー兼映画監督で、彼が作った初期の作品はカンボジアの美しい自然やアンコール王朝などの歴史を海外に示すようなものでした。当時の映画は、カンボジアの豊かさを象徴するものだったと思います。
クメール・ルージュの時代の映画は、政党のポリシーを国民に沁み込ませ、洗脳するような作品しか許可されませんでした。そして現在のカンボジアにおける映画の役割は、おおむね娯楽、しかもハリウッド映画が圧倒的に観客の支持を得ています。ハリウッド映画は質の高い娯楽ですが、社会的、教育的なものは少ないです。私にとっての映画は歴史をきちんと振り返り、他の人に分かってもらう。それは過去を掘り起こすことで、今、そして未来を良くするためのものです。クメール・ルージュの時代を直接知っている人と、若い世代とのコミュニケーションの一助にもなりますし、家族や友達同士のコミュニケーション、そしてカンボジアと諸外国とのコミュニケーションの大事なツールだと思っています。
―――主人公のソボンと母の若い頃の一人二役を演じるマー・リネットさんがとても魅力的です。また、母親役のディ・サヴェットさんは60年代から活躍するトップ女優ですが、キャスティングの経緯や演出秘話をお聞かせください。
クォーリーカー監督:母親役のディ・サヴェットさんは早い段階で決まったのですが、ソポン役はなかなか決まりませんでした。今カンボジアでアクティブな役ができる女優がなかなかいないのです。カンボジアで生まれ、アメリカ、カナダ、フランスなどに住む人がたくさんいますので、周りからは国外でソポン役を見つけてはとアドバイスされましたが、私はカンボジアで生まれ育ったことにこだわりました。リネットさんはカンボジアのガールズグループに所属しており、最初はミステリアスな雰囲気を感じました。食事に誘い、映画のことを話す前に、彼女の個人的な話をじっくり聞くと、私と同様に父親を亡くした辛さを持っており、何か芯のようなものを感じたのです。ある程度ソポン役と見当をつけた段階で、6か月間私と共同生活をしてもらいました。例えば『エリン・ブロコビッチ』など、強い女性が主人公の映画を一緒に探して鑑賞し、その主人公の要素をどのようにカンボジア人女性のヒロインに注入していくか、または演じることについてなど、様々なことを話し合いました。
―――本作はクメール・ルージュ時代以前に作られたという設定の劇中映画も見どころです。非常に美しい自然の中、クラシカルなラブストーリーが展開しますが。
クォーリーカー監督:劇中で登場する『長い旅路』という映画は、クメール・ルージュ時代以前の美しく豊かな文化に恵まれたカンボジアを描いて観客に届ける“橋”です。カンボジア人として生まれ育つとアンコールワットや、豊かな自然を当たり前のように感じてしまうのですが、改めて古い映画を挿入することにより、カンボジアが持っていた良さを現代の観客に印象づけたかったのです。その後色々なことがあって壊れてしまいましたが、カンボジア人の心に残るべき深く、長く美しい遺産なのです。「過去を受け入れる」ことは、『シアター・プノンペン』の重要なテーマの一つですね。
―――日本でカンボジア映画が劇場公開されることは今のところ稀ですが、この『シアター・プノンペン』で、クォーリーカー監督が特に日本の観客に注目してほしいところは?
クォーリーカー監督:日本の観客、特に若い世代の皆さんは、私たちカンボジア人とは違う体験を持っているので、押し付けることはできません。ただ、カンボジアの文脈で言えば私はこの映画を作ったことで、壊れた関係を修復する、異なる政治的立場の者の和解が実現することをポイントにしています。親世代からすれば、酷かった時代のことをあまり子どもに言いたくない。子世代は親世代が秘密主義、閉鎖的であることが分からないという関係になりがちなのをこの映画で壊し、対話の関係を作りたいと思っています。家族に限らず、壁を作って理解し合えないものを、話しあって解決していくという狙いを、日本の文脈で重なるものがあれば、感じてもらいたいです。
―――最後に、日本の観客にメッセージをお願いします。
クォーリーカー監督:一つ目は、世代が違う場合の理解の欠如です。特に若い世代は親世代がなぜそのような言動をするのか分からないと感じるでしょうが、双方ともに歩み寄ることで距離を縮めることができるのではないでしょうか。
二つ目は、自国の歴史、文化を知ることです。自分がどこから来たか、どういう歴史的、文化的背景から生まれたかを知らなければ、自分自身が分からないし、今後何を選んで生きていくかが明確に分かりません。また過去の歴史から多くを学ぶこともできるはずです。
三つ目は、この映画は単純に「こちらは良い」、「こちらは悪い」とジャッジしていません。クメール・ルージュの時代を含め、時代背景や人間関係はとても複雑なので、作る私はその判断を避け、観る方に委ねています。大勢の人を殺りくしたクメール・ルージュ側の人間は、被害者にとっては殺したいほど憎い存在ですが、彼らも時代や社会の被害者です。単純な判断をする方が楽ですが、善悪を単純に決めないという態度や私の方針を知ってもらいたいのです。『シアター・プノンペン』は判決を下す映画ではなく、2014年のカンボジア・プノンペンを若者の視点から見せる、クメール・ルージュの時代を事実として見せる、そしてクメール・ルージュ以前の美しいカンボジアを見せています。そこから何を感じていただくかは、観る方のものなのです。
(江口由美)
<作品情報>
『シアター・プノンペン』“THE LAST REEL”
(2014年 カンボジア 1時間45分)
監督:ソト・クォーリーカー
出演:マー・リネット、ソク・ソトゥン、ディ・サヴェット、ルオ・モニー、トゥン・ソービー
2016年7月2日(土)~岩波ホール、8月13日(土)~シネ・リーブル梅田、今秋、元町映画館、京都シネマ他全国順次公開
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