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『牡蠣工場』想田和弘監督、柏木規与子プロデューサーインタビュー

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~岡山・牛窓の牡蠣工場から、

         日本の構造的な問題が見えてくる~

 
事前リサーチなし、台本なし、ナレーションなしの観察映画を自ら実践し、作品を撮り続けているニューヨーク在住の映像作家、想田和弘監督の最新作『牡蠣工場』。実生活のパートナーであり、プロデューサーの柏木規与子氏の故郷、岡山・牛窓の牡蠣工場に密着し、工場で働く人々の仕事ぶりや、海で牡蠣を引き揚げるダイナミックな作業を活写する。同時に、今牡蠣工場で問題となっている後継者問題や、労働者不足の対策についても話が及んでいく。中国人労働者を初めて受け入れる工場や従業員家族たちの緊張ぶり、一生懸命仕事を覚えようとする中国の若者たちなど、今海辺の漁師町で起こっている出来事は、日本の未来を示唆しているようにも見えるのだ。
 
インタビューでは、想田和弘監督と柏木規与子プロデューサーから、牡蠣工場を撮影して感じたことや、親戚のいた地元だからこそ感じたエピソード、そして観察映画を撮り続けた10年を振り返っての感想などを伺った。
 

 

<日本の職人技は、文化の根の部分に染みついている>

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―――前半、海中から牡蠣を引き揚げ、工場で牡蠣の殻むき作業をする工程は非常にダイナミックで、知らない世界をじっくり味わえました。
想田監督:僕は職人技に強く惹かれるので、牡蠣工場の作業を魅力的に感じました。作業の手順や工夫、手さばきなど、一つも無駄がないのです。僕の中では、「さすがトヨタの国だな」という印象を受けましたね。よく第一次産業は日本では効率が悪いので、他国の農水産物より高くなり、競争に負けてしまうという話を聞いたりするのですが、この牡蠣工場を見ている限り、それは嘘ではないかと思いました。やはり工業製品を作る効率性や技術、職人技は、おそらく第一次産業の中でも同様に生きていて、我々の文化の根っこの部分にあり、染みついているものです。それを目の当たりにして納得しました。
 
―――この牛窓は柏木プロデューサーのご親戚が住んでいらっしゃる場所だそうですが、昔懐かしい風景が広がる地域ですね。
想田監督:地域のつながり、横のつながりがすごく強い場所です。元々漁業というのは一緒に行わないと成立しない産業です。牡蠣のいかだも6軒の牡蠣工場みんなで管理しています。運命共同体のような側面があるので、とても緊密な関係を維持しながら成り立たない職業でもあります。
柏木プロデューサー:元々牡蠣は、クレーンではなく手で引き揚げていたので、大変だったそうです。母の家系には漁師が多かったのですが、それもあって、漁師さんたちが信頼して撮影させてくださったのだと思いますし、いい映画を撮らなければというプレッシャーもありました。
 
 

<自分のルーツを知る撮影|柏木プロデューサー> 

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―――確かに、完全に地域と関係のない人だったら、工場内の作業までずっと密着して撮ることは難しかったかもしれません。
想田監督:完全なアウトサイダーではなく、撮影をしていても柏木が自己紹介をすると「○○さん知ってる?」とか「○○さんの親戚じゃないか」と声をかけられましたね。スペシャルサンクスに入れている木下新輔さんも柏木の親戚で最後の穴子漁の名士ですが「新ちゃんの、はとこか!」と声をかけられましたし、牛窓に住んでいた規与子の祖母・牛窓ばあちゃん(木下秀子)も撮影の時には亡くなっていましたが、「おおっ、秀さんのお孫さんか」と親しみを持ってもらえて、すごく助けられたこともありスペシャルサンクスに入れています。
柏木プロデューサー:私にとって、自分のルーツを知っていくという、すごく感動的な撮影でした。大叔父が漁師だったということは知っていましたが、実は牛窓で牡蠣の養殖業にも携わってたそうなんですね。牡蠣の引き上げは本当に危険な作業で、皆、命綱をつけながら正に命を預けてやっていたわけです。ですから、私もそれを知った時はうわっという感覚がこみ上げました。そのように大叔父も一緒にやってきた牡蠣工場が、今や作業する地元の人が減ってしまい、新たに中国からの労働者を受け入れながら存続している。今回はその変化も感じましたね。
 
 

<グローバリズムを縦糸に> 

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―――中国からの労働者を受け入れているという側面を見ると、グローバリズムがここにもと思わされますね。

 

想田監督:牛窓は国際化やグローバリズムというキーワードとは無縁な感じがしていたので、すごく意外でした。でも過疎が進んでいる町だからこそ、グローバル化の最前線になる訳で、そこが映画の一つの縦糸になる予感がしていました。「うちの中国人が5日で辞めちゃって」という話は、みなさんの作業を撮っている時偶然始まった会話です。あの話が偶然撮れた時に、僕自身もぐいぐいその縦糸にシフトしていきました。出来上がった映画を見ると、いわゆる実習生問題に関心を持ち、そこから現場を探しに行ったと思われがちなのですが、違うんです。本当に偶然でしたね。もう一つ偶然だったのは、牡蠣工場を継ぐことになっている漁師さんが宮城出身で、震災後一家で移住された方だったことです。
 

<横糸は「牡蠣工場」に絞ること>

―――牛窓の過疎化から来るグローバリズムを縦糸としたとき、横糸はどのように見つけ、編集していったのですか?
想田監督:横糸は、牡蠣工場に流れる何気ない日常を積み重ねていくことで構築していきました。ただ、牡蠣工場では一週間撮影させていただいたころに「そろそろ撮影をやめてほしい」と言われたので、正味一週間しか撮っていません。でも3週間牛窓にいる予定だったので、カメラを持ちウロウロしていたら、86歳の漁師、ワイちゃんに出会ったのです。70年間ずっと漁をしている一匹狼のワイちゃんと、その他のキャラクターを撮りました。編集するときは牡蠣工場と、ワイちゃん、その他の人たちを入れて今回は作ろうかと漠然と考えていたのですが、全部観ていると牡蠣工場だけで独立させた方が強い映画になる気がしたのです。牡蠣工場を描くだけで2時間半かかるので、ワイちゃんの分は別の映画にしようと、編集しながら決断していきました。
 
 
―――想田監督といえば、最近は隠れ猫映画でもありますが、今回も冒頭から猫のシーンでしたね。家の中のプライベートな場面が映されているのも今回特別な感じがしました。
想田監督:猫のシロに対してあんなに無防備な声で「入っちゃダメ」と言っても、猫には「入っておいで」と言っているようにしか聞こえないと思うよね。
柏木プロデューサー:個人的なシーンですよね。(撮られていて)なんだか嫌だなとは思っていましたけれど、使われるとは思いませんでした。
想田監督:でも、発見もありました。かみさんがシロに餌をあげる時、僕が「餌をあげるからくるんでしょ」と言っても全然意に介さない。僕にとっては気にも留めないことだったのですが、映画を観た人から「奥さん、全然想田さんの言うことを聞いてないよね」と指摘され、ああそうかと(笑)
 

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<自分自身も含めた「観察」が板についてきた10年>

―――想田監督が観察映画を撮りはじめてから10年以上経ちますが、ずっと続けてくることで見えてきたことや、周りからの反響など、感じるところはありますか?
想田監督:観察映画の「観察」を「自分自身も含めた観察」であると捉えることが、だんだん板についてきた感じがします。第一作の『選挙』のときは、無色透明になろう、自分自身を消そう、みんながカメラを意識しないような映画を作ろうとしたのですが、『精神』のときから、そうではなく自分も含めた観察でいいのだという風に方向転換をしました。テレビドキュメンタリーを作っていたときから「自分を消す」ということが染みついていたので、最初は慣れなかったですが、だんだん自分も入れていいということが体に馴染んできました。今回はかみさん(柏木プロデューサー)まで出ています。それも全然抵抗がなかったですからね(笑)。
 
あと10年やってきて最近感じるのは、インタビューを受ける時も、最初から観察映画の方法論を語る必要がなくなり、観察映画という前提で観て下さる方が記者の方にも、一般の観客の方にも増え、根付いてきた感じがあります。海外でもずっと同じ方針でフィルモグラフィーをビルドアップしてきていることが、少しずつ批評家や観客の中に定着してきているので、特集上映される機会も増えてきました。じわじわと浸透してきたという手ごたえはあります。長く続けるものだと思いますね。
(江口 由美)

<作品情報>
『牡蠣工場』(2015年 日本・アメリカ 2時間25分)
監督:想田和弘 
2016年2月27日(土)~第七藝術劇場、3月12日(土)~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
※第七藝術劇場2月27日(土)15:35回 上映後、想田和弘監督トークショー開催
公式サイト⇒http://www.kaki-kouba.com/
 (C) Laboratory X,Inc.
 
 

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