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『人の望みの喜びよ』杉田真一監督インタビュー

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『人の望みの喜びよ』杉田真一監督インタビュー
 

~震災で両親を失った姉と弟の心情を、子どもの目線ですくい取る~

 
震災により目の前で両親が亡くなったことを弟に告げられず、一人苦しみを抱え込む姉と、大人たちの中で無邪気な笑顔を見せながら、姉のことが気になる弟。思いがけない出来事のその後を、幼い二人に寄り添うようにじっくりと描いた杉田真一監督初の長編作品『人の望みの喜びよ』が、12月5日(土)から第七藝術劇場で公開される(以降、元町映画館、京都みなみ会館にて公開)。第64回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門スペシャルメンションを受賞した本作は、罪悪感や思いがけない出来事にどう向き合っていくかという普遍的なテーマを、台詞ではなく主演二人の自然な表情や動きで、静かに感じさせてくれる「心で観る」作品だ。
 
阪本順治監督や大森立嗣監督の助監督を経て、長編デビュー作を撮り上げた地元伊丹出身の杉田真一監督に、助監督時代のエピソードや、本作のテーマ、そして子ども目線で描くことの意義について、お話を伺った。
 

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■阪本監督の映画との向き合い方を目の当たりにし、ここでしっかり勉強したいと思った。

―――杉田監督は、様々な監督の下で助監督として仕事をされていますが、いつから助監督の仕事を始めたのですか?
大学一年生のときにちょうど山下敦弘監督が『ばかのハコ船』を撮影されており、最後の夏のシーンを手伝わせてもらったことが最初のスタッフとしての仕事です。大森立嗣監督は、『赤目四十八滝心中未遂』で助監督をされており、関西での上映で来場した大森さんと劇場でお会いしたのがきっかけです。僕は上映劇場でもぎりスタッフをしていましたが、大森さんも気に入ってくれ、当時準備中だった『ゲルマニウムの夜』にスタッフとして参加すればと声までかけてもらいました。大学はどうしても卒業したかったので、卒業後『ゲルマニウムの夜』劇場公開初日を見に夜行バスで東京まで行ったら、大森さんは僕のことを覚えていてくれ、「卒業したなら、東京に出てきたら?」と。その言葉を機に上京し、山下監督の『天然コケッコー』などを経て、大森さんの作品準備に呼んでいただくようになりました。
 
 
―――山下監督、大森監督と学生時代から実力派の監督と仕事をされていたのですね。今も杉田監督が師匠と仰ぐ阪本順治監督の助監督になったきっかけは?
大森監督のカメラマンである大塚亮さんが、阪本監督のカメラマン、笠松則通さんの弟子という関係だったので、大塚さんと僕の仕事が空いてしまったときに、阪本監督の『展望台』(『The ショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった』)に参加させてもらいました。『カメレオン』の現場で阪本監督の映画との向き合い方を目の当たりにした時、ここでしっかり勉強したいと思い、以降は新作を撮る時は阪本監督も僕を呼んで下さるようになりました。
 
 
―――錚々たる監督の下で修業を積んでいらっしゃいますが、ご自身が監督される際に思い出すような教えはありますか?
大森監督も阪本監督も、ご自身の作品に本当に真摯に向き合い、誰よりも勉強するし、誰よりも苦しむし、誰よりも役者さんをリスペクトし、スタッフもリスペクトしてくださいます。ただこうしろと言うだけの演出ではなく、役者さんが表現したことに対し、それを受け止めながら、時には軌道修正を加えたりし、リスペクトを忘れないのです。僕が憧れるのはそういう演出で、その方が役者さんも輝きますし、思っていたことと違っても案外それが面白いのではないでしょうか。大森監督は「そこで生まれてきたものを信用するしかないよね」とはっきりおっしゃいますから。阪本監督は「役者には顔を見て演出、スタッフには背中で演出」とおっしゃっていました。
 
 

■「おまえ助監督に向いていないから、監督する準備をしておけ」との言葉に背中を押された。

―――助監督時代が6年ほど続いたそうですが、そこから自分の作品を撮るにいたった経緯は?
28歳の頃、『座頭市 THE LAST』のサード助監督をしていたのですが、照明を待つ間に、カメラマンの笠松さんに幾つになるか聞かれたので28歳と答えると、「その年に松岡錠司は『バタアシ金魚』を撮ってたな。助監督なんて3年やれば分かる。今回の『座頭市 THE LAST』でフィルムが余るから、それで短編映画を撮れば?」。我に返ってそうだなと思う部分もありましたが、阪本組でやりたい仕事をさせていただいていたので、そこから外れる不安もあったんです。続く『行きずりの街』が完成した夜に、阪本監督が二人で飲みにつれて行って下さり「おまえ助監督に向いていないから、セカンド助監督で2本ぐらいやったら、監督する準備をしておけ」とも言ってくださって。低予算だけど短編の話があったときにやろうと思えたのは、そんな背中を押す言葉があったからだと思います。その後短編を撮った時も、「もう助監督に戻っちゃだめだ。自分の作品のことを一番に考えろ。短編はいくら評価されても短編でしかないから、長編を作れ」とアドバイスしてくださいました。
 
 
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■大きなハプニングが起こった時に真正面からどう向き合うのか、また、何かしたいけどできない後ろめたさをテーマに描く。

―――本作のアイデアはいつ頃生まれたのですか?
東日本大震災後、実家の伊丹で3カ月生活しながら、今後世の中がどうなっていくのか感じていなくてはいけないと思いました。三好プロデューサーと長編のアイデアを考えていたときで、東日本大震災が起こり、何かしたいけれど出来ない後ろめたさを感じていました。そういう後ろめたさとどう向き合うのか。それをもっと具体的に反映した企画が今回の原案でした。はっきり打ち出すのかどうかのボリュームの違いはありましたが、一番ボリュームが大きいものを選びました。こういう題材を選んでいながら、そこから逃げるのは不誠実ではないかという思いがありましたから。
 
 
――物語は地震で少女が両親を失うところから始まりますが、監督自身の被災体験も反映されているのですか?
僕は、主人公の春奈よりは少し年上の14歳で阪神淡路大震災に遭いました。大人でもない、子どもでもない、すごく宙ぶらりんの年代を主人公にしたいと思ったのは、僕の被災体験が元になっていると思います。大人になると、頭では考えられるけれど、心がついていかないような感情が描けない。大人だと、かわしたり、別の人に相談できたり、様々な手段を選択できますが、子どもたちはそういうかわし方をしらないし、目の前で起こった事に真正面から対峙するしかありません。僕個人の立ち位置もそうですが、大きなハプニングが起こった時に真正面からどう向き合うのかに焦点を当てたかったので、子どもたちの方がテーマにも合うと思い、主人公二人の目線で描くことを選びました。
 
 
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■大人目線で描いた子どもだけには絶対にしたくない。彼らがやってみたいことを極力尊重する撮り方をした。

―――物語を通じて、主人公の子ども二人の目線で描ききっています。台詞で表現するのとは違い、感情をため込んだまま、ただ歩く春奈の姿をじっと追っていますね。
そういう表現が(春奈役の)大森絢音さんだから出来ました。実際に撮影してみないと分からなかった部分です。最初に震災が起こったところから始まり、そこで大森さんがどういう表情をするかで、この後観る人や、僕らも含めて彼女の思いを一緒に抱えることができるかが決まります。この思いさえ共通して持てるのなら、じっと寄り添って描くという表現は可能だと思わせてくれました。文字ではいくらでも表現できますが、どうやったら説得力のある映像になるかを試行錯誤し、最初の思いを一緒に抱えながら撮っていった感じです。
 
スケジュールが短い低予算映画ですが、冒頭と最後のシーンだけは撮り順を変えたくありませんでした。そうでなければ、何を手掛かりに映画を作り、何がOKか判断できません。大人目線で描いた子どもだけには絶対にしたくなかったので、プロデューサーにそこだけは無理にお願いしました。
 
 
―――子ども目線で描くということは、実はかなり難しいと思いますが、特に演出面で気を付けたことはありましたか?
思い描いていることはもちろんあるのですが、なかなか思うようにいかないことが多いです。そのときに子どもが合わせるのではなく、こちらが合わせればいいと思い、大人に演じてもらうより、すり合わせの幅を緩やかにしました。カメラマンにも、今回は子どもに合わせるので、そんなにテイクを重ねられないから一発撮りのつもりで緊張感を持つようにと話しました。子どもたちとは自分が演じる役の気持ちの動きなどを話し合いました。もちろん彼らが分からない、納得できないこともありました。そこで無理やり台詞を言ってもらうことはできますが、それでは彼らが演じる人物の気持ちは伝わってこないので、彼らがやってみたいことを極力尊重する方を選びました。普段僕がしゃべっている言葉が通じないこともあり、5歳の子どもに伝えるにはどうしたらいいかも考えました。今となっては勉強になったと思います。
 
 
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■十字架を背負ってしまった人の気持ちも、希望も日常の中にある。

―――日常の描写が続く中、後半からラストにかけては、姉弟二人だけの世界になり、二人の内面が響き合って静かな感動を呼びます。特にラストはハッとさせるものがありました。
物語としては大きな起伏もありませんし、冒頭の震災以降は見て下さる方の日常とリンクできるようなシーンばかりが並んでいる気がします。でも、十字架を背負ってしまった人の気持ちは日常にこそ現れるでしょうし、希望も日常の中にあると思うのですが、あまりにも近すぎて見えないことがあるのではないでしょうか。そこにふと気づいた瞬間を、ラストに持ってきたいと思っていました。分かりやすいハッピーエンドとして描くより、ただ目の前で悲しんでいる姉を勇気づけてあげたい一心で弟がとった行動によって表現しました。現場で翔太役の稜久君の笑顔を見たとき、この後は何をくっつけても蛇足にしかならない、こんなに説得力のあるところで終われなかったら、この映画は何だったんだと。まさに、稜久君と綾音さんの二人だから撮れたし、様々なことを積み重ねていった結果だと思います。
 
 
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■『人の望みの喜びよ』は、全てを肯定する言葉。少しでも相手をリスペクトしたいし、それを映画で表現していきたい。

―――『人の望みの喜びよ』というタイトルも、非常に印象的です。このタイトルに込めた思いや、表現したかったことを教えてください。
脚本を書いているときに、「人の望みの喜びよ」という言葉をものさしにしていました。正直、本作を見て「人の望みの喜びよ」という言葉とリンクしにくいし、覚えづらいので、他のタイトルを勧められました。でも、この言葉に向かって書き、作ってきたので、どうしても他の言葉ではしっくりこないのです。バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』からとったのですが、否定するものが一つもない、全てを肯定する言葉で、映画のテーマにもなっています。震災後の風潮を見ていると、「復興」などの分かりやすい言葉で語られがちですが、その言葉によって苦しむ人もいるのではないか。震災などが起こったとき、生きる上で背負わなくてもいいものを背負ったり、罪悪感を抱えてしまう人もいますが、全てひっくるめて肯定できないのかと思うのです。
 
 
―――確かに今の日本は、スローガンのようなポジティブで強い言葉が全面的に出過ぎて、息苦しさを感じますね。
簡単に他人を否定することはできますが、点のような自分を中心とした考え方をもう少し広げて、自分と相手との意識を広げ、少しでも相手をリスペクトできないのかなという気持ちがあります。僕の高校の恩師が、「自分が楽しいと思うときは、足元を見ろ」と言ってくれ、今でも胸に残っているのですが、自分が楽しい時に実は他人の足を踏んでいても気づかないことがあるかもしれない。そういう時に、ふと冷静になって足元を見ることができる自分でいたいし、その方が人と関係するときにも豊かでいられるのではないでしょうか。言葉を投げるタイミングも、相手に合わせることでより加速するでしょうし、それをどうすればいいのかをこれからも映画で表現していきたいです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『人の望みの喜びよ』
(2014 日本 1時間25分)
監督・脚本:杉田真一
出演:大森絢音、大石稜久、大塲駿平、吉本菜穂子
2015年12月5日(土)~第七藝術劇場、元町映画館、京都みなみ会館他全国順次公開
※12月5日(土)14:40の回、杉田真一監督 舞台挨拶予定
 12月6日(土)14:40の回 杉田真一監督、阪本順治監督 トークショー予定
※第64回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門スペシャルメンション受賞
公式サイト⇒http://nozomi-yorokobi.com/
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