家族を好きになる映画になれば。『はなちゃんのみそ汁』阿久根知昭監督インタビュー
~千恵さんはそこにいる。広末涼子が「代表作にしたい」と取り組んだ、今も続く家族の物語~
ガンで、33歳の若さでこの世を去った安武千恵さんが生前書き続けていたブログをもとに、その闘病や娘はなちゃんとの日々を、夫の安武信吾さんが綴った人気エッセイ『はなちゃんのみそ汁』。『ぺコロスの母に会いに行く』の脚本を手掛けた阿久根知昭監督が、本作で脚本と同時に監督デビューを果たし、千恵役に広末涼子、信吾役に滝藤賢一を迎え、ひたむきに生きる家族の姿をスクリーンに映し出した。
千恵、信吾、はなの安武一家の明るさや、音楽を学んでいた千恵ならではの音楽シーンが盛り込まれている他、千恵がはなに教えたみそから手づくりの美味しいみそ汁も登場。従来の難病ものとは一線を画す、今も千恵がそこにいるような温かい家族物語となっている。
脚本も手がけた阿久根知昭監督に、脚本を書く際に重きを置いた点や、主演広末涼子のエピソード、そしてクライマックスのコンサートシーンについて、お話を伺った。
■脚本では、原作が言いたいことをきちんと盛り込み、最後には見てくれたお客様に大きなプレゼントを心がけて。
―――阿久根監督は『ぺコロスの母に会いに行く』、そして本作も脚本を手掛けておられます。両作品とも死に向き合う主人公と支える家族の物語で、脚本が作品のトーンを左右する、いわば脚本家の腕の見せ所のように思うのですが、本作の依頼があった際、どのようなことを念頭に置いて脚本を書かれたのですか?
阿久根監督:原作がヒットしていると、「実写化の映画は、原作の世界を壊す」と大体言われます。原作の世界を壊さないためにどうすればいいのか。原作もいいけれど、その世界を踏襲した映画もいいと言われるためには、原作が言いたいことをきちんと盛り込み、自分で加工することが必要になります。もう一つ、僕はここまで見てくれたお客様に最後に大きなプレゼントを用意することを心がけています。『はなちゃんのみそ汁』では、コンサートシーンを取り入れました。コンサートは実際にあったことなのですが、千恵さんのご主人の安武さんはあまりクラシックに興味がなかったので、本に書いていなかったのです。
―――脚本を書く際に、原作者の安武さんとも擦り合わせをされていたのですね。
阿久根監督:安武さんからは「俺たちロックンローラーだから、最後はロックで終わりましょうよ」と言われたので、第二稿で、ロックで飛び入り演奏するシーンを入れたりもしました。ただ、ここは千恵さんの色合いがでないといけないので、最後はクラッシックコンサートシーンにしました。安武さんとはなちゃんは、千恵さんの姉を演じた一青窈さんの後ろに座って聞いていたのですが、安武さんがぼろ泣きで、一青窈さんをカメラで捉えたときにあまりにも目立つので、カメラさんに安武さんの顔は半分カットしてもらうよう指示を出しました(笑)。
―――千恵さんのブログでも抗がん剤治療の辛さなどが綴られていましたが、映画化するにあたり、いわゆる難病ものとは違う感じのトーンの作品にするのは勇気が要ったのでは?
阿久根監督:難病ものは日本では年に5、6本作られているので、僕が作る必要はないと最初は思っていました。でも、安武さんやはなちゃんとお会いすると、毎日楽しく過ごしていらっしゃるし、何より凄いなと思ったのが、今でも千恵さんがいるんですよ。はなちゃんは「ママが~」と言うし、家にお邪魔すると千恵さんが「いらっしゃい」と言いそうな気がしてくるのです。千恵さんのお誕生日は今でもお祝いされていますし、安武さんがしみじみと「ママはいくつになったのかな?」と聞くと、はなちゃんが即答で「40歳!」。そこで安武さんがニヤニヤしながら「年食ったな~」と。
■安武さんは「今までどこかでひっかかり、はなに説明できなかったことが、映画を観たことで説明でき、はなにも伝わった。それが映画が出来上がって一番良かったこと」
―――原作者の安武さん一家は、映画化されたことで何か変化があったのですか?
阿久根監督:安武さんが本にすることで、千恵さんはいつでも意識できる存在になりましたし、このままでは、はなちゃんは当時4歳だったのでママのことを忘れてしまうと思ったそうです。ところが、はなちゃんは辛くて本を読めない。だから今回はなちゃんは、映画を観たときの衝撃が凄かったのです。
―――映画の中で、千恵が子どもを産むかどうか悩むシーンが登場しますね。
阿久根監督:はなちゃんは、自分が産まれていなければママは助かったのではないかと尋ねたそうです。安武さんはその時は返す言葉が見つからなかったけれど、後ほど映画の中で千恵が「あんなに死んだ方がマシと思った抗がん剤治療も、はなのことを考えるだけで平気になるとやけん、びっくりよ」という会話をしているところを改めてはなちゃんに見せ、千恵さんの父が「死ぬ気で産め」と言ったことも含めて、はなちゃんを産むことでママは治療を頑張れたのだと伝えたそうです。はなちゃんは「分かった」と、布団で泣いたのだとか。安武さんは、「今までどこかでひっかかり、はなに説明できなかったことが、映画を観たことで説明でき、はなにも伝わった。それが、映画が出来上がって一番良かったことです」と言ってくださいました。はなちゃんも、ようやく安武さんの書いた本が読めたのです。
―――映画にすることで、原作者の安武さんやはなちゃんの抱えていたものを解放するきっかけになったようですね。阿久根監督にとっても、忘れられぬ出会いとなったのでは?
阿久根監督:安武さんは、どんな作品になるか分からないからと、大手からの映画化の誘いを全て断っていたそうです。「はなちゃんがこの映画を見て、こんなに素敵なママだったんだと思えるような、はなちゃんの宝物になるような映画にしたいです」と我々のプロデューサーがお話をしたとき、安武さんは『ぺコロスの母に会いにいく』が大好きだそうで、「阿久根さんに書いてほしい。ぺコロスみたいにしてください」という形のオファーが来たそうです。安武さんはこの映画のおかげで出会えましたが、生涯をかけて友達でいられるような、本当に映画のまんまの方なんですよ。
■家族を好きになる映画。そして見るたびに印象が変わる映画。
―――滝藤賢一さんが演じている安武さんは、本当にいい意味でいい加減で、茶目っ気があり、映画を見終わって、安武家のみなさんが大好きになるような感じでした。
阿久根監督:この映画は家族を好きになる映画で、見終わると、自分の家族に会いたくなる映画になればと思っています。安武さんも東京で試写を見た後、「はなにすぐ会いたい!」と。また、何回も見るたびに印象が変わる映画でもあるのです。安武さんが2回目見たときに、「監督、どこかいじりました?」と言われるぐらいでしたが、感動するところが変わるみたいです。初回はコンサートシーンで泣いたそうですが、2回目は抗がん剤治療を受けて帰ってきた千恵が夕暮れ時に、ソファに横になりながら家を見回すと旦那は腹ばいになって新聞を読み、手前ではながお絵かきをしている。「いいね、なんか普通って」と、大号泣したそうです。なんということはないシーンなのですが、僕もそのシーンを考えただけで泣いてしまいます。
■はな役の赤松えみなちゃん、19日間の撮影で成長。
―――えみなちゃんのお芝居は、計算ではない自然な仕草がとても可愛らしく、「はなちゃん」の雰囲気が出ていました。博多や天神、大濠公園など、福岡に住んでいる人になじみの深い場所の数々が映し出されているのも魅力的ですね。
阿久根監督:それはよかったです。19日の撮影日程のうち、福岡での撮影は3日間だけで、高台で見下ろしている場面が、ファーストシーンでした。えみなちゃんはついカメラを見てしまい、そのシーンだけは撮影に時間がかかりました。ただ、ラストは、家の中で父娘二人の朝食シーンをワンカットの長回しで撮ったのですが、その時えみなちゃんは一度もカメラを見ずに、全部朝食の用意から食べるまでを演じたのです。彼女も19日間の撮影の中で成長しているんですね。えみなちゃんは、台詞は入っているのですが、それ以外に何を言うか分からないところがありました。そんな時も博多弁でしゃべるように、ちょっと高度なことをしてもらっていましたね。
■広末涼子「自分の代表作にしたい」、コンサートシーンでも観客エキストラを一つにまとめて。
―――そして何と言っても、千恵を演じる広末涼子さんが、ガンと闘いながらも明るく、そして娘のはなにみそ汁を作り続けることを伝え、命の大事さをつなぐ母親を、熱演しています。
阿久根監督:映像からも伝わってくると思いますが、広末涼子さんはこの映画のことを本当に理解してくれていました。最初の挨拶で、「自分の代表作にしたい。頑張ります!」とおっしゃっていました。19日という撮影で、普通は4~6シーンのところを1日で12シーン撮りの日もあったのですが、そこも頑張ってくれました。広末さんは自分で演じる一方、休憩時間もえみなちゃんとコミュニケーションを取って、全然休めなかったと思いますが、しんどそうなそぶりは一つも見せませんでした。最後のコンサートシーンで、エキストラの方が入ってから、挨拶をさせてほしいとマイクを持ち、「これからすごく大事なシーンの撮影をします。とてもいいシーンになりますので、どうぞよろしくお願いします」と話されたのです。この言葉で客席もキュッと締まり、本当にいい撮影ができました。終わった後に、広末さんは「千恵さんが来てましたね」と言っていましたが、多分、特別なエネルギーが働いたシーンになったのでしょう。
―――そのコンサートシーンでは、元宝塚トップスターで同期の遼河はるひさんと紺野まひるさんが千恵さんの先輩役で共演し、歌声を披露しています。宝塚歌劇ファンにはたまらない配役ですね。
阿久根監督:歌っている方は声を出すため、立ち姿がとても美しいです。立ち姿だけで歌っている人かどうか分かるので、キャスティングでも歌って演技できる人をリクエストしました。紺野まひるさんが決まった後、立ち姿がきれいでモデルぐらい背の高い方ということで白羽の矢が立ったのが遼河はるひさんでした。偶然にも、お二人は宝塚の同期で、しかも一番仲が良かったそうです。そして後ろには春風ひとみさんと、元タカラジェンヌ三人に広末さんが囲まれている絵になっていますね。
■遼河はるひ、紺野まひる、宝塚元同期トップスター共演で広末涼子を盛り上げた、見事なハーモニー。
―――本当に贅沢なシーンですが、撮影ではみなさんどのような様子でしたか?
阿久根監督:面白いことに、遼河はるひさんが歌っている『わたしのお父さん』は、宝塚歌劇団の課題曲だったので、みなさん今でも歌えるそうです。紺野まひるさんは撮影時少し体調を悪くされていたので心配していたのですが、現場に入ると同期の遼河さんとキャッキャ言いながらしゃべっていて、あまりにかしましいので驚きました(笑)そういう友達の雰囲気は広末さんを巻き込んで、とてもいい雰囲気を出してくれました。今回のコンサートシーンでは、中央に立つ千恵は、両サイドの遼河さんや紺野さん演じる先輩たちの友情で立たせてもらっています。歌うシーンでも、千恵の声が最初はあまり出ていないので、両サイドの二人も少し低くやわらかいトーンから入っています。途中で千恵の声が出るようになってから、二人とも遠慮なく伸びやかなトーンになり、三人のハーモニーがバッチリと合う形になっています。実際のコンサートでも、千恵さんは最初声が出しにくかったところまで、広末さんがきちんと再現しているのです。
■撮影も含めて、みんなに千恵さんの導きがあったような現場。
―――ラストの父娘二人での朝食シーンは、どこかに千恵さんがいるような気がしました。
阿久根監督:ラストショットは千恵目線になっています。安武信吾の語りの時にはカメラがしっかり固定されており、千恵の語りの時にハンディで揺れているのはそういう意味なのです。だから観終わった後に、千恵さんがいなくなった気がしない。悲しいというより、ずっと一緒にいるように印象づけています。ちなみに撮影の寺田緑郎さんはオファーをしたとき抗がん剤治療をされていて、お嬢さんの名前も「はな」ということで、それは自分がやる作品だと、治療を中断して撮影に入ってくださいました。寺田さんも、自分の生き様を娘に遺そうと思ったのだそうです。ですから、彼のカメラワークにその力が出ています。最後に福岡の実景撮影を寺田さんにお願いした際に、教会の鐘を撮るため安武さんの協力を得て、一番最後に糸島にある教会を訪れたそうです。実はそこは千恵さんが眠っているところで、使えるかどうかわからないけれどと、寺田さんは千恵さんのお墓をラストカットにしたのですが、こみ上げてくるものがあったそうです。映画の中では使われていませんが、最後のカメラが千恵さんのお墓だったということは、最初からそのように運命づけられていたような気がすると、寺田さんもおっしゃっていました。本当にみんなに千恵さんの導きがあったような現場でしたね。
(江口由美)
<作品情報>
『はなちゃんのみそ汁』
(2015年 日本 1時間58分)
監督・脚本:阿久根知昭
原作:安武信吾・千恵・はな『はなちゃんのみそ汁』文藝春秋刊
出演:広末涼子、滝藤賢一、一青窈、紺野まひる、原田貴和子、春風ひとみ、遼河はるひ、赤松えみな(子役)、高畑淳子、鶴見辰吾、赤井英和、古谷一行
2015年12月19日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、2016年1月9日(土)~テアトル梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、T・ジョイ京都、シネ・リーブル神戸ほか
公式サイト⇒http://hanamiso.com/
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