『新しき民』山崎樹一郎監督インタビュー
~280年前、実際にあった一揆の最中に逃げることを選んだ男がいた~
現在、岡山で農業を営みながら岡山を舞台にした映画制作を続け、岡山での巡回上映を行っている「地産地消映画」の作り手、山崎樹一郎監督。若き酪農家の新しい出発と家族の絆を描いた前作『ひかりのおと』に続く長編劇映画は、280年前津山藩で実際に起こった山中一揆を題材にした『新しき民』だ。一揆の首謀者を主人公にした騒動の顛末を描くのではなく、一揆に巻き込まれていく民、その中でも生き延びるために逃げることを選んだ男を主人公に据えている。市井の民の目線で、時代の変わり目を生き抜く辛さや、自分が正しいと思うことを貫く難しさ、そしてその中でも日々を大事に生きる力をモノクロの映像で、丹念に映し出した。庶民が主人公の時代劇は、今の時代に多くを語りかける。
独自のスタイルで映画作りに取り組み、上映活動を続けている山崎樹一郎監督に、題材となった山中一揆を知ったきっかけや、地産地消映画を打ち出した経緯、庶民を主人公に据えた理由、そして今映画ができることについてお話を伺った。
■巡回上映で出会った人たちと「一揆を起こすような作り方」をすれば面白いのではないか。
―――本作は実際に岡山で280年前に起こった一揆を題材に描いていますが、2013年のドキュメンタリー『つづきのヴォイス -山中一揆から現在-』が、全ての発端になっているのでしょうか?
山崎監督:山中一揆は小さい頃から知っていましたし、史跡が残っているので、薄々何だろうと思っていました。東日本大震災が起こった3日後に岡山で一揆の首謀者である徳右衛門の人物像に迫るシンポジウムがあり、90歳を越える方がイキイキと話されていたのです。人物像に関して実際にはかなりグレーゾーンあるのですが、想像がどんどん膨らんでいるのがとても楽しくて、その頃からいつか映画にできればと思っていました。前作『ひかりのおと』巡回上映で出会った方たちと一緒に、一揆を起こすような作り方をできれば面白いのではないかと思い、作りはじめました。自発的に参加をしていただき、大きなうねりができればと。
―――今は映画を撮る一方、岡山に移住して農業をされているそうですが、何がきっかけだったのですか?
山崎監督:普段自分たちが無意識に食べているのですが、それらがどこで作られ、どのようにして集まっているのか想像が届かない時に唖然とした瞬間がありました。漠然とですが、そんなことも想像が広がらなければ映画なんて作れません。それであれば、農業を手に入れたい。10年経った今も、両方完全にできているとは思っていないし、引っ張り合いながら、時には引き裂かれながらやっていますね。映画は元々やりたいと思ってやっていることですが、農業はやり始めると面白いです。何もないところからトマトが出来る訳ですから、楽しくないはずがないですね。映画もトマトも、一気には進まず、少しずつできていくところは似ているかもしれません。
■観た人の血肉になるような映画の作り方と見せ方を考え、打ち出した「地産地消映画」
―――地産地消映画と銘打ち、地元で作った映画を映画館以外の場所も含めてきめ細かく巡回してまわるスタイルは、山崎監督オリジナルのスタイルですが、映画を撮り始めたときからこのような考え方を持っていたのですか?
山崎監督:『ひかりのおと』の編集のときにプロデューサーと話し合い、観た人の血肉になるような映画の作り方と見せ方、巡回上映し、岡山で作った映画を岡山でみせることをしていこうと打ち出しました。地産地消映画がその土地で成立すれば、本来都市で公開する必要はないかもしれないと思っています。岡山で作った映画が岡山で完結するなら、他にも色々な場所でそういう映画があっていいでしょう。映画は色々な場所で上映できるという特性があるので、そこを否定するつもりは全くありません。たくさんの人に観てもらうために作る訳ですから。ただ、本来文化やお祭りはまさしく地域のものですし、市場にのって流通することにより、何か歪みが発生せざるをえないのはストレスになる場合もあります。
■一揆の映画を首謀者を主人公としてえがくのではなく一般の人を主人公に、リアルに描く。
―――単なる善悪といったステレオタイプ的な描写ではなく、どの人物も立体的に描かれていましたが、脚本を書く上で留意した点は?
山崎監督:一揆の映画を徳右衛門という首謀者を主人公として描くのではなく、どちらかといえば一般の人を主人公にした方がリアルだと思いました。主人公の治兵衛もモチーフとなる人がいます。治兵衛の子孫という方からお話を聞くと、彼は一揆の中、山地を捨てて逃げ、ほとぼりが冷めるまで全国行脚をしたといいます。その後、罪人扱いをされながらも帰ってきて静かに死んでいったそうです。その言い伝えをそのまま物語に盛り込むことで骨格ができ、そこから一揆の史実を元に前半部分を作りました。
―――治兵衛の友人(亡霊)の万蔵は、当たり前のことを言ったり、行動するがために、周りからは変り者扱いをされますが、物語の鍵となるキャラクターです。
山崎監督:万蔵は全くの創作で、彼は裏筋のテーマでもあります。万蔵のような亡霊や死者であっても、生きている者の心に内在し、我々はそういう人物を抱えて生きています。そういう友人がいることで、万蔵は自分のやり方を信じて決断していける。そういうことを映画でやってみたかったのです。
―――江戸時代の庶民の生活がリアルに描写され、こだわりも感じましたが、時代劇を作るにあたって苦労した点は?
山崎監督:カツラや衣装など、低予算で作られた時代劇も過去にたくさんありますので、僕らなりに研究しました。自主映画で時代劇を作るというのはなかなか難しいのですが、時代劇として最低限のことは何とか形ができたと思っています。映画村や撮影所などは全く使わず、山の中や古い建物から新しく作った建物まで本当に手作りでやってきましたから。あと、春から夏はトマト農家をしているので、冬しか映画が作れないこともあり、雪中移動が大変でした。また、役者さんらは草鞋のままで、待ち時間が長かったので、本当に一揆が起こりそうなテンションになるんですよ。草鞋で足が切れて、雪の中に血がついたりすると、「僕は何をやらせているんだろう」と思いました。現場では「サディストすぎる」と言われていましたから(笑)。
■当たり前のことをしているだけの治兵衛のような人物が、現代で重要になってくることは分かっていた。
―――治兵衛は「一揆なんてやりとうないんや」と堂々と言い放ちます。一揆へと一致団結していく周りから後ろ指を刺されても、生き延びることを選ぶのは勇気が要りますが、流されないことが今すごく大事な世の中だと感じますね。
山崎監督:徳右衛門という一揆の中心人物を主人公にし、彼の葛藤を描くマッチョな映画ではなく、この映画はその辺にいる兄ちゃんが、当たり前のことをしているだけです。ただ一揆という状況の中なので、特別視されてしまう。治兵衛のような人物が重要になってくることは分かっていました。ただ、時代が物凄いスピードで追いついてきているので、なんとか今年中に公開したかったのです。山中一揆を描いていますが、僕たちは現代に向けて作っているので、できるだけ作品には現代性を持たせたいし、観ている人が自分に引き寄せやすい作り方を考えました。
―――ラストは現代につながり、一揆のことを語り継いでいるところで終わっていきますが、「継承」も本作のテーマでしょうか?
山崎監督:山中一揆を題材としながらも、これを伝承することも大切な行為です。一揆をもう一度甦らせ、当時亡くなった人たちや、土地に残る一揆の記憶を引き継いでいくための語り口の一つだと思っています。民話や神話にまで持っていきたかったというのが、ラストカットの意図ですね。
■人間の歴史は繰り返され、忘却し、でもその時々に立ち上がる人がいることが希望にもなる。
―――チラシにある監督の「たった280年前の一揆の映画」という言葉も、非常に印象に残ります。
山崎監督:戦後70年と言われていますが、人間の歴史などはもっと長くて、今とよく似た構造はずっと前から始まっています。繰り返されるし、忘却するし、でもその時々に立ち上がる人がおり、それが希望にもなります。そういうことを、思考することが大事なことだと思うし、僕たちが映画を通してできることだという思いがあります。
―――『新しき民』というタイトルにつながる考え方ですね。
山崎監督:時代劇ですが「新しき」と言うべきだと思っています。あなたたちより、もっと新しかったかもしれない。でも今の新しき民はあなたたちだ。そういうメッセージになると考えて、最後にタイトルを入れました。
■考えることが非常にしんどい時代に、映画は今、重要なメディア。考えることによって楽しんでほしい。
―――最後に、メッセージをお願いします。
山崎監督:考えるということが非常にしんどい時代です。疲れるのでなるべく避けたいでしょう。でも映画を観るということは考えざるをえない状況に置かれます。映ったものを自分が解釈していく訳で、映画は今重要なメディアだと思います。ニュースのようにテロップがつき、分かりやすく編集されたものではなく、考えることによって楽しめます。年末ですが、考え納めに観に来ていただければうれしいです。
(江口由美)
<作品情報>
『新しき民』
(2014 日本 1時間57分)
監督・脚本:山崎樹一郎
出演:中垣直久、梶原香乃、本多章一、佐藤亮他
2015年12月26日(土)~シネ・ヌーヴォ他全国順次公開
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