個人の些細な苦しみの話から今の日本を感じてもらいたい
『恋人たち』橋口亮輔監督インタビュー
~新人俳優3人と名優たちが体現する愛、絶望、そしてかすかな光~
困難を乗り越え生きていく夫婦の10年を描いた名作『ぐるりのこと』から7年。橋口亮輔監督の7年ぶりとなる完全オリジナル最新作『恋人たち』は、誰もが心の中で秘めている哀しみや孤独、そして今の日本を覆う不条理さを、3人の主人公の物語を絡ませながら重層的に描いた感動作だ。
ワークショップを経てオーディションで選ばれた新人俳優たちが演じるのは、通り魔殺人事件で突然妻を失った男、アツシ(篠原篤)、姑と同居の退屈な日常に突然現れた男に心揺れ動く主婦、瞳子(成嶋瞳子)、同性愛者で完璧主義のエリート弁護士、四ノ宮(池田良)。喪失感の中もがき苦しむ姿や、ささやかな愛を夢見た結果今の幸せを再認識する姿、そして愛する人から中傷を受け感情を爆発させる姿など、人間の生々しい感情を見事にすくい取っている。我々の生活と地続きのような空間で繰り広げられるリアルで、どこか滑稽さも滲む人間描写は、橋口監督の真骨頂とも言えるだろう。それを体現する俳優陣も、上記3人の他、安藤玉恵、黒田大輔、山中聡、山中崇、内田慈、リリー・フランキー、木野花、光石研と豪華メンバーが揃い、見事なアンサンブルを見せている。日常の小さなエピソードが積み重なり、今の日本と、そこに生きる人々がパズルのように浮かび上がるとき、そのどこかに自分の姿を重ねてみたくなることだろう。
本作の橋口監督に、作品が生まれる経緯や、オリジナル脚本に込めた思い、そして演出方法についてお話を伺った。
―――2011~12年に『二十四の瞳』の予告編を作られていますが、その当時の橋口監督の状況をお聞かせいただけますか?
橋口監督:当時はまだ自分自身、映画を撮るまで気持ちが回復していませんでしたが、木下監督の作品を観て、救われる思いがしました。震災に遭われ、なぜという思いで過ごしている方はいっぱいいると思います。木下監督の『二十四の瞳』で、家族のために働きながら肺病を患い、たった一人で死んでいく少女に高峰三枝子演じる大石先生が「そうね、苦労したでしょうね」と一声かける場面があります。台詞としてはシンプルですが、あの一言で少女はどんなに救われたことか。僕の場合、個人的になぜと思う状況に置かれていたときに、誰も話を聞いてくれる人がいなかったのですが、戦争や犯罪被害や自然災害などで人生が大きく揺れ動いたときに、それでもなんとかしてやっていこうと思うきっかけになるのは、人だと思います。
■やはり演出が好きだと気付いたワークショップ「もう一度映画をやってみよう」
―――ご自身の辛い状況を経て、再び映画を撮ろうと思ったきっかけは?
橋口監督:『恋人たち』でもプロデューサーを務めてくださった深田誠剛さんが映画を撮ろうとずっと言ってくださっていたのですが、僕自身は映画に対するモチベーションが全然なかったのです。すると、まずはワークショップからと、今回主演した3人を含め、初めて若い役者さんたち45人と一緒に4日間のワークショップを行いました。人を好きになると、本来の自分ではない情けない自分が現れる。そんな恋愛劇をやってみましょうと、疑似恋愛をしながら本当の自分を探りましたが、とても良かった。僕がアドバイスをしたことで、相手が変わり、面白いものが生まれてくるのです。引きこもりで、人前でなかなかしゃべれなかった人が、パッと変わる瞬間があると、本当に感動的です。僕はやはり演出が好きなのだと、改めて気付きました。そこからもう一度映画をやってみようと思ったのです。
■たとえ未熟でもいいから表現の強さを信じ、8ミリで撮っているつもりで臨む。
―――7年ぶりの新作でしたが、どんな気持ちで撮影されたのですか?
橋口監督:30歳のときに『二十歳の微熱』を撮った感覚に近かったです。あの時は僕も、出演者も含めて全員素人で、何をやっていたか分からなかったけれど、撮ってみると大ヒットした作品でした。今回も、素人の方たちを使って映画を撮るとなったとき、どういうタッチで撮ればいいのか、しばらく試行錯誤していました。僕自身、自主映画出身なのですが、ちょうどワークショップと同時期に自主映画の審査をやらせていただくようになり、再び自主映画を大量に観ることになったのです。何本かはすごくいい作品があり、十分に作家と呼べる思いの強さを秘めていました。そこで、今回の映画はたとえ未熟でもいいから、そういう表現の強さを信じてやってみようと思い、8ミリで撮っているつもりで臨みました。撮影していると、『二十歳の微熱』の頃を思い出し、気持ちがぐっと元に戻った感じです。
■僕の映画は、役者が「役を通じて自分の人生を生き直す」存在になっている
―――主役3人、それぞれのキャラクターが演者の個性に合っていたと思いますが、特に瞳子役の成島さんのリアルな主婦像と変貌ぶりに驚かされました。
橋口監督:成嶋さんは昔お芝居をしていたときもあったそうですが、まさか自分にスポットライトが当たるとは思っていなかった。ただ演じたいという気持ちで参加したと思います。彼女が演じる瞳子も、姑と夫との生活を別に不幸だとは思っていません。これが生活だと思っているけれど、どこかに今の私ではない自分を求める部分があったのでしょう。そんなときに、光石さん演じる藤田にさらりと声をかけられ、「あっ」と思う。ときめきの表情をみせる瞳子が段々少女のように見えてくるのです。不幸ではないけれど、別の人生を望む自分が瞳子の中にはあり、それと成嶋さんがシンクロし、彼女は瞳子を通じて自分の人生を生き直していました。『ぐるりのこと』の木村多江さんやリリー・フランキーさんもそうです。僕の映画は役者さんが「役を通じて自分の人生を生き直す」存在になっているのではないでしょうか。役者のみなさんに取材をして、そのエピソードを台本に入れようとはしません。僕の作った人物像に、「この人だったら合うかな」という勘ですね。
―――ワークショップから選ばれた3人を主演にして映画を撮るにあたり、キャスティングや演出で配慮した点は?
橋口監督:ご覧になった方から「素人だから下手だったね」と言われたら失敗です。全員が同じ力でそこにいなければならなかったので、僕の神経をそこに集中して作りました。今の若い俳優たちは、テレビドラマを見てお芝居を覚えるので、皆同じ芝居をするのですが、そうではないということをワークショップでも言いました。「それぞれの奥にある個性が出て、切実に感じられるように」と。ワークショップでは、演技経験が全くない人や、逆に前に出てくるような人も混じった中に演技の上手い人が2、3人いると、全体的に演技がぐっと上手くなるのです。最初は戸惑っていた人も、上手い人の演技を真似て表現するうちに、面白いものが出てきます。そうなると、他の人も触発され、最終的にはとてもいいワークショップになって終わります。だから、今回もプロの俳優が主役の3人に均等に絡むようにキャスティングしました。成嶋さんは光石さんや木野さんといったベテランとも絡み、ヌードにもなります。こちらも随分気を遣いながら見ていたのですが、全然緊張せず、すごくリアルなトーンが出せました。存在感は抜群だったと思います。主演だけはワークショップの中から選ぶという趣旨ではじまった作品で、こういう形の映画作りをするのは今では珍しいのですが、上手くいったと思います。
―――3人とも独白するシーンがあり、本音を吐き出す場所の大切さを感じさせます。
橋口監督:誰しも、なかなか自分の本音や胸の内を話せる相手はいないと思います。皆、色々なことを飲み込んで生きているのでしょう。主人公の3人が話すときは、相手はいるけれど聞いていないとか、電話が切れているのにしゃべっているとか、しゃべっているけれど相手は死んでいるとか、相手がいない中での恋愛で、それを『恋人たち』に集約させています。
■普段誰にも言わない本当の声が書けた。人を絶望させるのも人ならば、人に希望を抱かせるのも人。
―――ただ心情を吐くのではなく、胸の奥にある本当の声が突き刺さる気がしました。
橋口監督:今回、一番いい台本が書けました。それは完成度が高いというのではなく、3人、特にアツシのあの語りで、普段誰にも言わない本当の声が書けたと思っています。色々なことを飲み込んで生きている人がこの作品を観て「ここに同じ思いがある」と思うだけでも、ちょっとした日常の支えになってくれたらいいなと思います。人間は気持ちの揺れが不安になり、色々なことに頼ってしまうのですが、本来人間はそんなものですから。そんなときに誰かに一声かけてもらったり、ちょっと飴玉をもらったりするだけで、少し気持ちが上がります。ほんの些細なことの積み重ねで、なんとか今日と明日がつながって、生きていこうと思える。『ぐるりのこと』でも思いましたが、人を絶望させるのも人ならば、人に希望を抱かせるのも人だという気持ちを、今回また新たにしました。
■個人の些細な苦しみの話、その、そこかしこから今の日本が見えてくれたらいい。
―――人物を離れて、過去の東京で起こっていたこと、現在の東京で起こっていることが物語に散りばめられていますが、脚本を書く際に念頭に置いていたことは?
橋口監督:今回は100%ゼロからスタートしなければならず、それを完全オリジナルで書くのは難しいです。ただ、ワークショップから選ばれた3人がいますので、彼らの個性を生かしたものにしなければならない。長編だと、自分に引き寄せ、自分のモチーフで作らなければストーリーがもちません。予算がなかったので、『ぐるりのこと』のように10年に渡る様々な事件を盛り込むような形はとれませんでした。でも作品となって小さくならないように、どうやって今の日本を織り込み、作品に広がりを感じてもらえるか考え、製作費や彼らの演技力の様子を見て試行錯誤をし、3本の話が絡むようで、絡まないようなストーリーにしました。
俯瞰で見たような作品ではなく、個人の些細な苦しみの話ですが、その、そこかしこから見えてくれたらいいと思っています。安藤さん演じる晴美の皇室詐欺も、有栖川宮詐欺事件を元にしていますし、瞳子が雅子さまの追っかけをしていたというエピソードも含め、今の日本の空気を感じてもらえればと思ったのです。
―――自己中心で、周りに思いやりを持たないイヤなキャラクター四ノ宮も、恋心を隠して友達づきあいしてきた聡(山中聡)夫妻から思わぬ中傷を受けます。
橋口監督:四ノ宮のエピソードのように、今の日本では弁明すら聞いてもらえません。「いじめってマスコミが作ってるんでしょ」とサラリというシーンがありますが、そういった中傷がネットの世界でも多く、いわれのないことを言及されて傷つくのです。オリンピックのエンブレム問題も、ジャッジする側がきちんとジャッジをし、批判がきても方針をきっちり説明すれば、子どもたちも納得するでしょう。何が本当で、何を信じて生きていけばいいのか分からないのが問題ですし、気持ち悪い。そこも感じてもらえると思います。
―――ラストシーンは川から東京の街を映し出していきますが、その狙いは?
橋口監督:今回は最後にタイトルを出そうと思っていたので、青空と川の風景の上を選びました。それを見て、これはアツシが今まで見てきた風景なのだろうなと思ったのです。アツシは孤独に生きてきて、(仕事で)舟の上に浮かんで「アイツ、ぶっ殺してやる」と言いながらも人が好きなのです。川から人間を見ていたのでしょう。これはやや深読みになりますが、僕は川からの風景を見ていると、震災を思い出します。「大都会の建物たちが、一瞬にして無くなってしまう。人の営みって何だろうな」と。
―――どん底から抜け出せないままのように思えたアツシにとって、職場の先輩、黒田(黒田大輔)の存在は大きな救いになりましたね。
橋口監督:アツシに輝く希望は訪れないし、黒田は輝く希望をもたらしはしないけれど、黒田のように寄り添う人がいないと、人生は辛すぎますよね。アツシの働く職場の人間は皆ヤンキーですが、裏表がないし、だからこそ救われます。「なんか、暗いですよね~」なんて言うぐらいの女の子と一緒になる方が、アツシは幸せになるのかもしれません。普通の映画なら、深い哀しみの後には女性と出会い、深い愛情に癒されていくものですが、今回は別の恋愛で救われるような展開にしたくなかった。ご覧になった方が、アツシの未来を考えて下さればいいなと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『恋人たち』
(2015 日本 2時間20分)
原作・監督・脚本:橋口亮輔
出演:篠原篤、成嶋瞳子、池田良、安藤玉恵、黒田大輔、山中聡、山中崇、内田慈、リリー・フランキー、木野花、光石研他
2015年11月14日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒http://koibitotachi.com/