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《映画の天才 羽仁進監督映画祭》トークショー

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★羽仁進監督が特集上映でトークショー

hani-3.jpg大阪・九条のシネ・ヌーヴォで6月13日(土)から、特集上映《映画の天才  羽仁進監督映画祭》がスタート、初日に羽仁進監督(87歳)が登場し、トークショーを行った。岩波映画時代の初期ドキュメンタリー作品から衝撃の劇映画デビュー作『不良少年』(60年)など全20本の特集上映に熱心な観客が詰めかけ、初回は満席=立ち見の盛況だった。特集上映は7月3日まで。


 羽仁進監督「“特集上映”がボクにとってどういう意味があるのか、と考えて、3年ぐらい前から教えられました。アメリカ・ハーバード大で“羽仁進研究”として特集された。詳しく研究している人たちが集まって、私も見直して初めて“自分でも分からないこと”があるんだ、と分かった。ボク自身にとってありがたいことですね」。

「私も『教室の子供たち』(55年)などは初めて見直したけど、意識していないシーンがあった。いろんな子供たちと一緒にそういう時間を持てた。これは凄いことだ、と」。

「私は“風変わりな子供”だった。妻は私を「5歳児」と呼ぶが、5歳児はアタマがいいんです。ほかのことは何も知らないんですけどね」。


――昨年は「ぴあフィルムフェスティバル」の「先人に学ぶ」でも「羽仁進に学ぶ」が行われたが?
羽仁監督:私も、皆さんと一緒に見て驚いた映画がある。『恋の大冒険』(70年)は隠れた大傑作。ホントに面白い。主役の前田武彦さんが大悪役でね。テレビの売れっ子で全部知っていたつもりだったが、映画はまったく違う。素晴らしい演技をされていた。いつもそうだが、相手の方(俳優)も羽仁の変な手法に力を貸してくれて、素晴らしい演技をされるんです。『ブワナ・トシの歌』(65年)の渥美清さんもそうだった。 


hani-1.jpg――初日の1回目は満席、立ち見も出ていますが?
羽仁監督:いろんな年齢の方がおられる。どう見てもらってもいい。人に押し付ける気はまったくない。“けしからん”と思ってもらってもいいんです。
これを言っちゃうと死んじゃうかも知れないけど、実は今“最後の映画”を撮っている。アフリカの動物映画です。もう30年近くアフリカで映画撮ってきているし、テレビの映像からも入れて、すでに編集に入っていて、映像の編集は終わっている」。7月ぐらいに公開出来たら、と思っている。


――動物のドキュメンタリー映画?
羽仁監督:僕は子供と動物が大好きでね。子供の頃はオオサンショウウオを飼っていた。けっこう大きな水槽だったけど、もっと大きなところで遊びたいだろう、と思って、近所の人に相談したら“持って来い”という。まだ自分も体が小さかったが、抱えたらオオサンショウウオが抱きついてくるんだ。だから、抱きかかえてつれていった。ボクを親戚と思ったのかどうか、抱きついてきた。そういうことから動物が好きになった。
アフリカの動物も人間とは別の方法だけど、考えている。ヌーという動物はみんなで川を渡るんですが、これは40年ぐらい前から始まった。今では何百万頭ものヌーが一度に川を渡っている。人間も自然界も変化し始めている。(アフリカの)タンザニアは近代化されずに大草原が残っている。そういう情報がヌーにどうして知られたのか。自然の中でどう生きていくのか、分かってるんだろうね。


――羽仁進監督のスタートはドキュメンタリーの岩波映画だったが?
羽仁監督:ボクは共同通信社で“ボーヤ”(見習い)から始まった。半年ぐらいで大きな賞もらって、初めて浴びるほど酒飲んで泥酔したこともある。その頃、岩波映画製作所作るというんで、そちらに移った。そのころはカメラマンと2人しかいなかった。ボクは映画の知識なかったけどね。


――ドキュメンタリー映画『教室の子供たち』(55年)や『絵を描く子供たち』(56年)、『法隆寺』(58年)などで名を上げた後、劇映画第1作の『不良少年』(60年)が翌年のキネマ旬報ベストテン1位になったが?
hani-furyou.jpg羽仁監督:この年は黒澤さん(『用心棒』)がNO1になるはずだった。東宝は予想が外れて大慌てだったでしょうね。皆さん、(『不良少年』に)投票しちゃった、という感じかな。で、監督協会に遅れて入った。一度だけ、理事会に出たら、小津監督がつかつかとやって来て“あなたと私の映画はまるで違うように見えるが、目指している頂上は同じではないか”と優しい態度で迎えてもらったのが印象的だった。『不良少年』は28歳の時に作って30歳で公開した。


――羽仁監督はご両親(父親・元参院議員・羽仁五郎、母親・婦人運動家・羽仁説子)も教育者として知られるが、影響は?
羽仁監督:父も母も、私に文句は一切言わなかった。私は、3歳ぐらいから変な子で、最初に覚えた言葉が“ジョン”だった。隣の犬がでかくて感銘受けた。小さい子にも優しくてすぐに名前を覚えた。ジョンというのはエラい人だと思っていた。

私は暴力をふるったことが一度もない。軍事教練でも、ワラ人形にも突き刺さらなかった。教官には殴られたけど、反抗する態度を見せないので“おまえはホントに変なやつだなあ”と呆れられた。何べん殴られてもボーっとしてるからでしょうね。

変わった子、いろんな子がいなきゃいけない。人間には、自分でも気付かないものがある。それを引っ張り出して捉えなきゃいけない。いろいろな可能性があって、表に出す機会、“出てみる”機会が要る。選んで見る、というわけではないけれど。

hani-hatukoi.jpgATGで撮った『初恋・地獄篇』(68年)は、ATGが500万円、私が500万円出す映画だったけど、私の分がなくて、ATGの500万円だけで撮った。週4日撮影して、あとの3日でいろいろほかのことをやった。カメラが回るのは、ボクがスイッチ押した時だけ。そういう撮り方をしてきたが、この映画は大ヒットした。何をしたいか…理屈ではないんですね。


  【動物と子供好きな“天然5歳児”羽仁進監督】   

hani-2.jpg米ハーバード大学、エール大学、NY近代美術館などで特集上映が行われ世界的に再評価されている羽仁進監督は、岩波映画製作所でドキュメンタリー映画から作り始めた。授業中の子供たちの姿を生き生きととらえた原点『教室の子供たち』でドキュメンタリーに新風を吹き込み、60年に手掛けた劇映画第1作『不良少年』では俳優を使わず、即興的な撮影でリアリティーあふれる映画を生み出し、黒澤明、木下恵介両巨匠を抑えてキネマ旬報ベストワンと監督賞ダブル受賞の快挙を果たした。


ほかに左幸子主演の『彼女と彼』(63年)はベルリン国際映画祭特別賞。渥美清主演でアフリカで長期ロケーションを行った『ブワナ・トシの歌』(65年)、南米アンデスでオールロケを行った『アンデスの花嫁』(66年)、羽仁プロ・ATG作品『初恋・地獄篇』は大ヒットしてATG1000万円映画の口火を切った。
ドキュメンタリーの手法を駆使して映画の地平を切り開いた“天才監督”である。

(安永 五郎)

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