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『フタバから遠く離れて 第二部』船橋淳監督インタビュー

futaba2-4.jpg『フタバから遠く離れて 第二部』船橋淳監督インタビュー

・2014年 日本 1時間54分
・監督:船橋淳
公式サイト⇒ http://nuclearnation.jp/
・(C)ドキュメンタリージャパン/ビックリバーフィルムズ

2015年3月14日(土)~第七藝術劇場、3月21日(土)~立誠シネマ、4月25日(土)~神戸アートビレッジセンター 他全国順次公開 


  

~“核のゴミ”に故郷を奪われる町~


futaba2-2.jpg「絶対安全」だったはずの原発が爆発してから4年、被災地・福島県双葉町は事故で故郷を追われ、今また複雑に分断されようとしている。町民は250キロ離れた埼玉県加須市の廃校・旧騎西高校へ全町避難。「フタバから遠く離れて」第一部は、事故直後から9か月の避難生活を追った。第二部はそれ以後の3年間を記録した。避難先で町長選挙を行うという異常事態を経て、役場は福島県いわき市に再移転。苦難に見舞われた人々の前に今度は「中間貯蔵施設」の建設計画が持ち上がる。住む場所を奪われた“流浪の民”の苦闘は続く。フタバ町の人々は「原発再稼働」の政府方針をどう聞くのだろうか。労作を作り上げた船橋淳監督に聞いた。

 


 
――第一部も撮影に時間がかかったと思うが、二部はもっと大変。現地まで通いつめたのか?

船橋監督: 埼玉から2時間ぐらい。往復4時間。通える距離だった。

futaba2-di-1.jpg――重大事故から4年経ったが、事態は一向に良くなっていない?
船橋監督: 事故直後、政府の避難指示は3キロだった。それが10キロ、20キロと増えていった。アメリカではその時点で「50マイル(80キロ)」と明言していた。日本人は「一体、何キロ離れたらいいのか分からない」状態だった。
日本政府が「メルトダウン」と認めたのは5月中旬。だけどアメリカは事故翌日(3月12日)にメルトダウンを明らかにし、チェルノブイリと同じ「レベル7」と認めている。日本は3月18日の時点で「レベル4」だった。今さらではあるが、東電と政府は事故が大きくなるのを抑えにかかっていた。国の中と外で認識が違っていた。

――双葉町は250キロはなれた埼玉県まで逃げた?
船橋監督: ニュースを聞いて、井戸川克隆町長は正しい判断をした。町長も当初は原発推進派で、双葉町に福島原発7、8号機が4月から着工の予定だった。だけど、彼は「判断を間違った」と大転換した。今では「誘致は失敗だった」としている。

――事故はまだまだ続いているが、第一部を完成させたのは?
船橋監督: 2011年12月に当時の野田首相が「原発事故収束宣言」を出した。そんなバカな、と世界の人に見てもらいたくて翌12年2月のベルリン映画祭に出した。まだ編集も終わってなかったが、反響は凄かった。「原発事故が終わるまで撮り続ける」と決意した。

futaba2-3.jpg――それにしても、埼玉県に避難は、大した英断だった?
船橋監督: 避難場所を探してる時に町長が「騎西高校が廃校で空いている」と耳にした。人口7000人のうち2割の1423人が避難した。双葉町のマジョリティだった。
双葉町は自主避難含めて全国40都道府県に分散して避難した。「一番線量が低い」ということでいわき市へと代わって、私も撮りながらシフトせざるを得なかった。

――そんな中、双葉町民から「自分だけ埼玉に逃げた」といった井戸川町長バッシングが起こる?
船橋監督:2013年暮れに町長は辞任、3周年前日の3月10日に避難所で町長選挙を行い、伊澤史朗町長が当選した。「役場をいわき市に移して福島復興に双葉町も足並みを揃える」方針を示した。新町長の前に出されたのが「中間貯蔵施設」問題。除染した土やゴミを保管する施設に双葉町の10%が当てられる。事故収束どころじゃありませんよ。

 futaba2-1.jpg――そう簡単に認められないこと?
船橋監督: 双葉町民は今、四重に分裂の危機に見舞われでいる。まず、避難区域が放射線量20㍉シーベルトの上中下の3段階に分けられ、線量によって賠償金の額が変わる。中間貯蔵施設の用地に住んでる人には逃げるところもない。
政府、東電には「あの人たちが失ったものは何なのか」と問いたい。「しょせんカネメでしょ」などと無神経な発言する人もいたが、本当に全部「カネメ」か、と問いたい。

futaba2-di-2.jpg――映画の終盤には、人々が暮らしていた商店街やコミュニティが描かれる。 
船橋監督: 人間の想像力は徐々に枯渇していく。映画で失ったものを可視化した。この映画で体感してもらいたい。五感を使って感じてもらいたい。

――原発事故はまだまだ終わらない。第三部は?
船橋監督: ええ、すでに撮り始めてます。中間貯蔵施設に井戸川さんは反対したが、伊澤町長は受け入れた。今後、どう展開していくのか、騎西高校の避難所は13年の暮れに最後の5人が退所して閉まったが、避難は続かざるを得ない。町の人々が安住出来るところが見つかるまで『フタバから遠く離れて』は撮りつづけます。
福島原発の電気はほとんど東京で使われたように、関西でも高浜や大飯原発の再稼働の問題が出てくる。遠く離れた人々にしわ寄せしていいのか、原発事故は日本の隅々にまで大きな影響をもたらす、ということを肝に銘じるべきです。

(安永 五郎)

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