『毎日がアルツハイマー2 ~関口監督、イギリスへ行く編~』関口祐加監督インタビュー
(2014年 日本 51分)
監督:関口祐加 出演:関口宏子、関口祐加他
10月4日(土)~第七藝術劇場、11月8日(土)~神戸アートビレッジセンター、今秋京都みなみ会館他全国順次公開
※第七藝術劇場10月4日(土)10:30回上映後、関口祐加監督トークショー&舞台挨拶あり
※第七藝術劇場10月4日(土)より前作『毎日がアルツハイマー』も併映
(C) 2014 NY GALS FILMS
~認知症介護先進国のイギリスに学べ!介護の日々も驚くべき変化が・・・~
認知症の母親、宏子さんの介護の日々を、笑いたっぷりに描き、今まで私たちが持っていた認知症や認知症介護の負のイメージを取り払うパワフルさをみせたドキュメンタリー『毎日がアルツハイマー』から2年。認知症ファーストステージで、認知症になったことを自覚して苦しみ、家に引きこもっていた姿から一転し、パート2でセカンドステージに入った宏子さんは外出、入浴と何年も拒絶していた日常生活の行動を調子がいいときには再開し、関口監督と楽しそうにスーパーで買い物をする。認知症であることに慣れ、家族の励ましのもと、よりユーモラスな素顔を披露していく。
宏子さんの日々を追うだけではなく、関口監督が認知症ケアを調べているうちに強く興味を持ったパーソン・センタード・ケア(認知症の人を尊重するケア)の本場イギリスで取材を敢行。認知症ケア・アカデミーでのワークショップ参加の様子や、介護の様子、精神科医で認知症ケア・アカデミー施設長のヒューゴ博士との語らいを通じて、理想的な認知症ケアのあり方や、介護している関口監督自身の不安も赤裸々に語られるのだ。
認知症の母親との日々を介護者でありながら、映画監督として提示し続ける関口監督に、前作の反響や、セカンドステージに入った母宏子さんについて、そして今回取材したパーソン・センタード・ケアについてお話を伺った。
―――前作『毎日がアルツハイマー』(以下毎アル)は大反響を呼びましたが、介護する側でもある監督ご自身にどんな変化がありましたか?
『毎日がアルツハイマー』は私が考えていた以上にみなさんにとってインパクトがあったと思います。色々な場所で上映してくださるということで、地方までくまなく上映しに回りましたし、今回パート2を作るに当たってご覧になったみなさんからの要望がすごかったです。「(2年半閉じこもった)お母さんはその後どうなりましたか?」「最後に登場したイケメン看護士はどうなりましたか?」等、続きが知りたいんですよね。この作品はご自身が認知症の家族の介護をされている方が多く観に来て下さったので、会場でのQ&Aも私との距離感が非常に近くて、まさに初めての体験でした。どうしても監督は観客から「映画を作った人間」と捉えられますが、私自身が介護者でもあるので、みなさんとフラットな関係が築け、介護者でもある私にどうしたらいいかと聞かれることも多かったですし、パート2を作ろうと背中を押していただきました。
―――毎アルは我々が持つ認知症のイメージを大きく変える役割を果たしましたね。
公開初期は「認知症の母親をさらけだすとはどういうことか」といった批判もありました。私の中でもう一度反芻したときに、「私は年をとることも、認知症になることもちっとも恥ずかしいと思っていない。逆に世の中は認知症になることも年をとることも恥ずかしいのか」と視点の違いに気付いたのです。私は母を観ていると、やりとりが面白くて笑えますから。
―――認知症に関する映像作品は続々登場していますが、毎アルでは認知症の母宏子さんをしっかり受け止め、母親の新しい一面を見つけることが喜びであるようにも映ります。
世の中の物語はたくさんあるようで、決まっていると思うんですよね。何が違うかといえは、小説もそうですが作る人間・書く人間の視点です。物の見方や切り口がどうなのか。世の中一般は「認知症になったら人生はおしまい、もう大変だ。認知症を予防するにはどうするか」という考えが占める中で、私の母への見方はそうではないという部分がすごくありました。監督として当然のことを提示したまでです。
■本音で生きる母から出た言葉「ギャラをよこせ!」「天職がみつかってよかったね」
―――宏子さんはご自身の姿がスクリーンに映し出され、映画が大反響を呼んだことで、何か変化はありましたか?
「ギャラをよこせ!」と言っています。好きなことは食べること、金、寝ることの3つだと常に言っていますから。先日、ヒューゴ先生から電話がかかってきて、「イギリスのBBCが本作のことを紹介し、イギリスでもお母さんは有名になったと言ってあげて」と言われたので伝えると、母は「ギャラをもっと上げろ」と。
―――宏子さんご本人は何が起こっているか分かっていらっしゃるんですね。
最初の頃は私が映画監督になることにずっと反対していましたが、認知症になって建前や世間体がなくなり、本音で生きているようになってはじめて、「天職がみつかってよかったね」と私に向かって言ってくれました。はじめて言われて、私もびっくりしました。あれだけ真面目で、いつも世間体を気にしていた母が、認知症の力を借りて本当に自分を解放しているのです。多分認知症を受け入れるというより、開き直っているのでしょう。ただ開き直るには家族の応援が必要で、そこが介護の一番大切なところです。
■「やりたいことしかやらない」ことの価値
―――介護する側から発信するメッセージが重要ですね。
家族が「今のおばあちゃんがいい!」と言うのです。私の息子も「今のおばあちゃん、前よりずっといいよ」と言いますし、そういうメッセージを周りが伝えると、本人も「まあいいか」と思えます。そして本人も言うとおり「やりたいことしかやらない」ということのすばらしさです。逆に言えば、今まではやりたくないことを勤めとしてやらなければいけなかったことが母には多かったのです。大家族で料理をたくさん作ってきましたが、実は料理を作るのも嫌いだったみたいです。真面目に社会的規範に沿って生きてきた人は「やりたことしかやらない」ことは許せないじゃないですか。その価値が分かるのは、私自身がやりたくないことはやらないで生きてきたからです。だから生きてきた人間の器が問われますし、そこで介護者が患者とぶつかってしまうのです。
―――一方で、監督は家族での認知症介護は難しいとおっしゃっていますね。
今回のパート2では色々な家族にお会いしてお話を伺い、血がつながっている家族が介護をする難しさを痛感しています。子どもは自分の面倒を見てくれた親がこうなってしまったという想いが強く、親に対する期待もあれば失望も強いです。ただ、想いというのは自分の気持ちであり、自分の気持ちが最初に来てしまうのです。そういう状況下で隠れた場所での虐待や言葉の虐待もあります。でも一番辛いのは認知症になった本人だというところにシフトしていかなければなりません。私は家族が介護するのには限界があると思っていますが、厚労省が24時間体制で家族で介護という方針を出したので大きな疑問を抱いています。そこで何かオプションを考えなければと思ったときに出会ったのがパーソン・センタード・ケア(以降P.C.C)でした。
■「介護しやすい」状態に生じる、虐待の力関係を自覚する
―――今回母親がセカンドステージに入り、抵抗される場面が少なくなった反面、監督はだからこそ浮き出てきた介護者としての悩みを相談されています。
母にとってはセカンドステージがあってよかったなと思える一方、はじめて介護している私自身の不安、つまり「母親を殺そうと思えば殺せるという恐怖」を覚えました。介護相手は今までとは違い、こちらの言うことを聞いてくれるようになってしまい、普通の人は「介護しやすい」と思うでしょうが、私の感受性では「怖い」と思ってしまうのです。
虐待はなぜ起きるのかとずっと考えていたのですが、「私は母に対して圧倒的な力を持つ立場にたっている」という、虐待の力関係が生じているのです。イギリスでお話を聞いたときも、認知症の親を虐待したのは、実はいい人だったと言われていました。介護は力関係が虐待につながることを意識していないと、プロでさえ大変なのに家族はなおさら大変です。ヒューゴ先生は、「介護している人は孤独なので、支えが必要。支えがない中で介護をすることがいかに危ないか」とおっしゃっていましたが、密室の中で行われている介護は、虐待の温床なのです。ですからパート2ではそういう危険性を引っ張り出したかったですね。私も母に精神的に頼られる重さを感じる時があるので、セカンドステージは私自身が気をつけなければと思っています。
■認知症にとって大切なのは、認知症の人の気持ちをどう理解するか
―――認知症のケアですが、内科、脳外科ではなく精神科の先生が登場しますね。
苦しんでいる人の気持ちを理解するのも私たちだし、それを理解できないのも私たちなのですが、認知症にとって大切なのは、認知症の人の気持ちをどう理解してあげるかです。
ヒューゴ先生もおっしゃっていましたが、認知症という病気だけは同じだが、症状は十人十色から。日本の治療法はアメリカ方式なので個別ケアではなく、脳の活性化ですよね。でも実は一般的にやるといいと言われている音楽療法も認知症の最終章で、言葉がでなくなった人のコミュニケーションツールです。P.C.Cでは最終ステージといわれている人でも絵を描いてもいいし、泣いている人もいるし、そういう違うことをきちんと容認してくれるのはとても素敵だなと思います。P.C.Cをすると何が得られるかというと、ずばり心の安定です。最終ステージになっている人にも心を寄せ、やりたくないことを強制しないことですね。
―――実際に今回イギリスでP.C.C実践の現場を取材し、患者に対応している看護士の様子や患者ご自身の様子をご覧になって、どんな感想を持たれましたか?
イギリスは経済的には大変ですが、「ゆりかごから墓場まで」と言うようにP.C.Cを認知症の国家戦略に据えているというところはやはりすごいなと思います。日本もイギリスをモデルにしていると言っていますが、商売にしようとしている部分がすごくあります。イギリスは認知症ケア課程を作り、認知症の看護ができるプロをきっちりと育てています。プロになって資格をとり、経験だけではなくきちんと理論武装をするわけです。私が受けた認知症ケアアカデミーワークショップの参加者は全員自分が介護関係の仕事をしながら受けています。そういう意味でもパート2は介護士の方が参考にしたいと観に来てくださっていますね。
■認知症は哲学的な問いが必要
―――日本でのP.C.Cへの取り組みの現状を監督はどう捉えていますか?
日本では10年前ぐらいから紹介されており、認知症関連の書物でも必ずでてきますし、パート1に出演いただいた名古屋の遠藤先生もP.C.Cの話をしておられましたが、日本ではなかなか訳しきれていないそうです。やはり個別性を看るのが難しいのです。ヒューゴ先生もおっしゃっていましたが、日本は薬文化なんですよ。P.C.Cでは薬をなるべく使わずにできるだけ理由を探るという、探偵のような仕事もしなければなりません。一方日本の内科の先生たちは早期発見をして、アリセプト(アルツハイマー型認知症進行抑制剤)を飲ませ、初期段階をキープした方がいいというのが定説です。
でも実は認知症は初期が一番辛いんです。自分が認知症になりかけていると分かることはすごく苦しいし、その苦しさを長引かせることは本人にとって辛くないかと医者に尋ねても、答えがないんですね。でもそれはすごく哲学的な質問なのです。セカンドステージでできなくなることがあっても、人に頼りながら、楽しく自分の気持ちが朗らかになる。私は段階が進んだ方が母にとっては幸せであると思っています。その方が初期で閉じこもるよりいいのではないのかと。本人も完璧に「幸せ」と言っていますから。それは心の状態がいいということですが、そこに答えられる脳外科や内科の先生はいません。そこは精神科の先生でないと考えられないですよね。私たちの世界から物をみない。本人を中心に考えたときの幸せで、そこのヒントはいっぱいあります。
■相手が認知症でも本人が納得するまで話をするのが、尊厳のあるフラットな関係
―――日本は教育もしかりですが、個別性を汲み取ることは難しいですね。
認知症になるとやりたくないことがいっぱいあるのですが、それでも介護士さんたちは患者にやらせようとします。やらないと機能が落ちると思っているのでしょうが、逆に言えばそこしか見ていないのです。日本の教育もできないことに注目し、やりたいことを伸ばすことが難しいですよね。日本の文化の中でP.C.Cに取り組むためには、厚労省がきちんとサポートして、イギリスのような専門のアカデミーを設立することが必要だと思っています。イギリスでは百貨店の店員さんも課程を受けていますし、専門以外の看護士さんたちも対応する必要が往々に生じてきます。例えば認知症の方はよく骨折して入院してくるのですが、夜中に「家族にだまされてここにつれてこられた」と訴えてきます。実際に、家族は本当のことを言っていなかったのです。相手の状況がどうであっても騙すことはよくないですね。私は母が忘れても本人が納得するまで話します。それが尊厳のあるフラットな関係です。介護するという言葉自体が上から目線だと思うのですが、相手が認知症だということで、どうしても色眼鏡をかけて見られてしまうので、「認知症だけど関口宏子さん」ではなく、「認知症の関口宏子さん」と認識されるのです。
■認知症を患いながらも幸せになれるかどうかは、家族がバロメーター
―――「認知症だけど関口宏子さん」のユーモアは、前作を上回っていましたよ!
母は、下ネタ大好きでユーモアがあります。「うんこが出てよかったね」と私が言うと、「本当のクソばばあになった」と。前は父親と私が下ネタを言うと、本当にイヤな顔をしていましたが、今は自らのうんこネタで笑っています。セカンドステージなのですが、幸せになれるかどうかは家族がバロメーターです。家族が認知症を受け入れられないと嘆いているのはダメです。「認知症になった母親がいい!」と伝えると、どんどん面白いと言ってくれる方向に行くんですね。(江口由美)