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戦場カメラマンに見るベトナムと沖縄『石川文洋を旅する』

ishikawa-550.jpg戦場カメラマンに見るベトナムと沖縄『石川文洋を旅する』大宮浩一監督インタビューと石川文洋カメラマン談話

 

(2014年 日本 1時間49分)
監督:大宮浩一
出演:石川文洋

2014年7月26日(土)~十三・第七芸術劇場、8月16日(土)~神戸アートビレッジセンター ほか全国順次公開

公式サイト⇒ http://tabi-bunyo.com/

(C)大宮映像製作所

 


 
★戦場カメラマンに見るベトナムと沖縄

 

ishikawa-2.jpg【映画『石川文洋を旅する』】
75歳になった文洋さんとベトナム、沖縄を旅し、その生い立ちと青春を見つめようと試みた異色ドキュメンタリー。切り売りしたネガフィルム、サイゴンの下宿、アオザイに身を包んだベトナム女性の神秘的な魅力、解放軍戦士が眠る墓地、そしてアメリカ市民権を求めて米軍に身を投じた同じ沖縄出身のドオイケ一等兵との交流など、従軍取材から50年の節目に彼の軌跡をたどる。

 【石川文洋氏略歴】
1938年沖縄生まれ。毎日映画社に入社するが、世界一周無銭旅行を夢見て日本脱出、65年から戦場カメラマンとして、南ベトナムの首都サイゴン(当時)に滞在。ベトナム戦争を世界に伝えた。69年から84年は朝日新聞社勤務。著書に「写真記録ベトナム戦争」「戦場カメラマン」などがある。日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞など多数。05年、ベトナム政府から文化通信事業功労賞が贈られる。7月16日まで大阪・梅田のニコンサロンで「石川文洋写真展」開催中。
 


  

★戦場カメラマン石川文洋氏を通して「青春映画として60年代の表現したかった」


【大宮浩一監督インタビュー】

ishikawa-s1.jpg――東日本大震災や舞踊家・長嶺ヤス子さんのドキュメンタリーを撮ってきて、今回は戦場カメラマンの石川さん。対象が変わった?
私には基本的に一緒なんです。被災地も石川さんも。記録することと記憶すること。記録してきたもの、写真を通して対象者の記憶をたどる作業という意味では。

――撮影はいつから?  製作の動機は?
12年の暮れですね。今、東アジアの関係性がきな臭い。小さなことが大きなことにならなければいいな、と。

――石川さんとは面識があった?
それまでは会っていない。ナマ石川文洋さんはキョーレツな人だった。文章読むと柔らかい、親しみやすい人で、実際その通りなんだけど。でもしゃべっていいんですかね。

――石川さんを対象に選んだのは戦場カメラマンとして?
そうです。本(朝日文庫)を読んで興味を惹かれた。広い意味での戦争、人間の業を描けるか、と。人間はいつも戦ってきたし、ベトナムは報道しやすかったのでは。

――監督はベトナム戦争はリアルタイムではないが…?
石川さんがベトナムに行ったのが26歳の時、僕は6歳だった。人間の記憶って10年、20年しかもたない。記録することは、この瞬間を伝えること。それを継続して伝えていく。記録することによって記憶が刷り込まれていく。

ishikawa-3.jpg――石川さんは侵略する側の従軍カメラマンだったが…?
石川さんは敵とは見ないでニュートラルなポジションで記録された。どっちなんだ、というもどかしさはあると思う。記録によって何かが変わるわけではないが、あったことの時代性は感じられる。

――監督の立ち位置は?
どっちか、ではなく、真ん中ぐらいで撮った。“作り手”って何?  と考えることもある。実際にははっきりした方がいいかも知れない。

――“~旅する”は彼をたどって(故郷の)沖縄とベトナムをめぐること?
時代も場所もワープしてみたかった。ハノイか那覇か、分からなくなってもいい。沖縄とベトナムを交差させる意図は最初からあった。シャッフルさせたかった。

――石川さんは死に場所を探していた?
いや、それはない。本人も言っている。写真を撮ることは記録であるとともに当事者。レンズの向こうを記録することで当事者でもあるんです。

――写真撮るのに躊躇はなかった?
石川さんは躊躇しなかった。そんなことは乗り越えて“躊躇なんかない”と、すかさず答えた。

ishikawa-s2.jpg――福島でも同じか?
石川さん取材して被災地(福島)に戻った時に風景が違って見えた。皆さん“生き残ってしまった”感を口にする。“悔しい”という贖罪感みたいなものがあった。石川さんは福島で“人がいなくなったプノンペンを思い出した”と言っていた。

――石川さんの視点が大きい。
石川さんで青春映画が撮りたかった。60年代という時間のダイナミックさを石川さんを通して描いた。

――中で、同じ沖縄出身でアメリカの市民権を求めて米兵になったドオイケ一等兵との交流が印象深い。 
石川さんはドオイケ一等兵に自分を見たんではないか。基地は賛成だけど、米軍は反対という複雑な姿勢などに自分を見たと思う。

――映像の衝撃も大きい。枯れ葉剤の影響を受けた幼児がじっとこちらを見ているのを撮り続けて、最後にニコっと笑うところはゾクッとした。
ありがとうございます。うちのカメラマンもかなり対象に入り込んでいた。

――集団的自衛権行使容認の閣議決定など、政治がきな臭い折り、タイミングはドンピシャ?
映画が政治とどうコミットするか。政治はシステム通りに物事を進めている。映画作る限りは違うスタンスでやっていかなければならない。違う立場の人たち同士でもっと議論して、そういうポジションの映画を作りたい。
石川さんとの競争ではなく、エネルギーを吸収したい。石川さんはどっちにもつかなかった。関心薄い人の言葉が50年経って普遍的な言葉になっている。先入観捨ててゼロにしてみて、石川さんの文法学んでゼロからやってみようと思ったのが結果的に正解だった。

 


 【石川文洋カメラマンの談話】

ishikawa-4.jpg私がドキュメンタリー映画になるのは大変光栄なことです。だけど、自分のことは自分ではよく分からない。見ていただいた方からは好評を頂いているようでよかった。
 (監督が青春映画、60年代のダイナミックさを描きたい、と言っていることには)映画のナレーションを67年に出したベトナム写真集・ルポから取っているので、あの時代の私の気持ちが出ている。今なら違いますが。
ただ、勢力争いにはキリがない。私は「軍隊があるから戦争が起こる。なければ起こらない」という気持ちは変わらない。

(安永 五郎)

 

 

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