『瀬戸内海賊物語』大森研一監督インタビュー
(2014年 日本 1時間56分)
監督:大森研一
出演:柴田杏花、井澤柾樹、葵わかな、大前喬一、内藤剛志、石田えり、小泉孝太郎、中村玉緒
2014年5月24日(土)~香川、愛媛、徳島で先行公開。
5月31日(土)~全国ロードショー
公式サイト⇒ http://setokai.jp/
(C)2014「瀬戸内海賊物語」製作委員会
~故郷に捧げる村上水軍の伝説~
瀬戸内海の美しい海を背景に、少女が島の危機を救うため、1本の笛を手がかりに伝説の海賊・村上水軍の財宝を探す歴史アドベンチャー。小豆島の「エンジェルロード脚本賞」グランプリを受賞した愛媛出身の大森研一監督が自らメガホンを取った。
【物語】
戦国時代、いくつもの水軍が活躍していた中で最強と言われた村上水軍は、織田信長を撃退し、豊臣秀吉にも屈することのない“海のサムライ”たち。彼らを束ねたのが海賊大将軍・村上武吉だった。
時は現代、武吉の血を引く少女・村上楓(柴田杏花)は代々伝わる醤油屋を営む父(内藤剛志)母・春子(石田えり)と暮らしていた。楓が夢中になっていたのは、村上水軍の埋蔵金探し。仲間たちと少々無茶な冒険も楽しんでいた。
その頃、大人たちの間では島と本土を結ぶフェリーが廃止されるという大問題が持ち上がる。「村上水軍の財宝を見つければフェリーを直せる」。そう考えた楓たちは蔵の奥から古びた笛を発見する。その笛は英雄・武吉が12歳の息子の船出に与えた「初陣の笛」。そこには埋蔵金のありかを示す手がかりが隠されていた。祖母(中村玉緒)に励まされた楓は“水軍レース”のエース愛子(葵わかな)に教わり船操縦の猛特訓を受ける。財宝の場所は激しい潮流を超えたところだった…。
◎ 大森研一監督インタビュー(2014年5月20日)
小豆島の瀬戸内国際こども映画祭エンジェルロード脚本賞」のグランプリに選ばれた(11年)『瀬戸内海賊物語』の映画が完成、24日からご当地・香川、愛媛、徳島3県で先行公開後、31日から全国公開される。これが長編第3作になる大森研一監督(38)に全編故郷・愛媛で撮影した映画への思いを聞いた。
―― 愛媛出身の監督には思い入れも大きかった?
「ええ、この話はもう20年近く前から構想していた。「エンジェルロード脚本賞」は瀬戸内海や子供たちが主役などの決まりがあったが、ばく然と考えていた村上水軍の話、ハリウッド映画『グーニーズ』(85年)を参考にした“宝探し”の話が出来ていて、それをそのまま脚本にした。選ばれた脚本はほとんど変えず映画にした」。
―― 導入部に登場する村上水軍は今年「村上海賊の娘」(著者・和田竜)が本屋大賞になり、大河ドラマ「軍師官兵衛」にも登場して今話題の的に。
「村上水軍については小中学校のころから本などは読んでいた。歴史的な資料はあまり残っていない。映画には冒頭部分に出てくるだけですが、瀬戸内の広大な海、特有の潮流など、瀬戸内海独特の風景がふんだん。そこを見ていただければ。瀬戸内海国立公園80周年記念映画でもありますから」。
―― ロケハンにはかなり時間を割いた?
「シナ(リオ)ハンも含めて半年かけました。その間、実家に泊まって腰を落ち着けてロケ場所を探した。CGの場面を除いたら、ロケ撮影で瀬戸内を思う存分撮れた」。
―― 最近有名になった村上水軍だが、全国的にはあまり知らていない。地元では、高知県の坂本龍馬のような位置にあるのか?
「相当以前に映画になったと聞いたが、龍馬ほどは…。だけど今治には村上水軍博物館もあり、最近はお客さんが増えている。しまなみ街道の島のいくつか、海の上でも撮影しましたが、舟に乗って見学に寄ってくる人は皆さん、村上さんばかり。ここには村上水軍がまだ生きている、と痛感した」。
―― 監督が見てほしいところは?
「瀬戸内海の複雑な潮流ですね。映画でも少年たちが苦労して渡るヤマ場です。今は潮流を体験出来る観光コースも人気になっている。子供たちが大きな問題と受け止めるフェリーの廃止についても、実際に起こっていることですからね。歴史と現実が一体になったドラマです」。
―― アメリカではプレミア上映されたとか。
「昨年12月にハリウッドで行われたLA Eiga Festで上映して『グーニーズ』のスタッフも駆けつけてくれて喜んでもらった。この映画をヒットさせて、続編を作りたい、と今から構想してます」。
―― 主役の柴田杏花がいきいきしている。抜てきの決め手は?
「オーディションして、演技テストしましたが、彼女はなんといっても目力(ちから)ですね。地味に見えるが、軸がぶれない、と強く感じた。ふだんは元気で活発だけど、清楚で大人しい。オーディションの時は他の審査員から反対されて、プレッシャーを感じたが、押し通して正解だった。結果見てくれ、です」。
―― 監督は大阪芸術大学出身だが、最初は映画志望じゃなかった。
「ええ、建築学科だった。絵を描くのが好きだったので、図面を描く建築を選んだ。同期に熊切(和嘉)監督がいて、隣で撮影していたのが映画との出会いです。映画は高校時代から好きだったんですが。2年で転部出来るのを知らず、気づいた時は3年になってました。卒業後は建築関係の業界紙に入って、記者をやりました」。
―― 映画監督になるまで遠回りした感がある?
「建築から映画の道だとそう見えるかもしれないけど、今は全部無駄になっていないと思う。この映画でも、美術デザインやれてよかったし、自分で脚本書くのにライター経験が生きる」。
―― 最後に目標にしたい好きな映画を。
「うーん、『グーニーズ』ばかり言って来たけど、1本選ぶのは無理なんで3本。『ダーティ・ダンシング』、『バクダッドカフェ』、日本映画だと『ルパン三世 カリオストロの城』ですね」。
【聞き手・安永五郎】