『イヌミチ』万田邦敏監督インタビュー
(2013年 日本 1時間12分)
監督・編集:万田邦敏
脚本:伊藤理絵
出演:永山由里恵、矢野昌幸、小田篤ほか
映画美学校2012年度高等科コラボレーション作品
2014年 5/3(土)〜5/16(金)第七藝術劇場、5/16(土)〜5/30(金)立誠シネマプロジェクト(京都)、6/6(金)〜6/10(火)神戸映画資料館
公式サイト⇒ http://inu-michi.com/
©2013 THE FILM SCHOOL OF TOKYO
~“犬”と“飼い主”の関係を経て…~
人は生きていくことの重みから逃れることはできない。仕事にも恋にも倦み疲れた30歳間近のOLの響子は、見知らぬ男、西森の家にころがりこみ、四つん這いになって「イヌ」の真似を始める。飼い主と犬という関係を通じて女はどう変わり、二人はどこへ向かうのか…。
独特の映像世界で私たちを魅了し、映画を観ることのおもしろさと深さを教えてくれた万田邦敏監督。『UNLOVED』(02)では三角関係に揺れる女、『接吻』(08)では殺人犯に恋した女と、さまざまな男女のありようを映画にしてみせてきた監督が、5年ぶりに映画美学校の学生たちとともに撮ったのは、一風変わった男女の姿。この風変わりなお話が、映画としてどう立ち上がり、作品となっていったのか、PRのために来阪された万田監督に率直にうかがった。
【STORY】 (公式サイトより)
仕事や恋人との生活において選択する事に疲れている編集者の響子はある日、クレーマーや上司に簡単に土下座をする男・西森と出会う。プライドもやる気もない西森の、無欲な「イヌ」の目に興味を持つ響子。
出来心から訪れた西森の家で、二人はおかしな「イヌ」と「飼い主」という遊びを始める。
「イヌ」としての盲目的な生活に浸る響子と、その姿に安らぎ「飼い主」になる西森。
ほの暗い家の中で、決して交わることのない身勝手な愛を垂れ流す二人の遊びはどこへ向かうのだろうか。
■キャスティングについて~何を考えてるのかわからない怖さ~
―――西森を演じる矢野昌幸さんはユニークな感じですが、どんなところから役が決まったのですか?
万田邦俊(以下万田) 今回は、映画美学校高等科の1期の学生をキャスティングすることになっていました。ほぼ全員出てもらったんですけれども、11人か12人くらいを全員オーディションして、スタッフになる学生と一緒に役の割振りを決めました。矢野君には、脚本を呼んだだけだとイメージできないような面構えと、何考えてるのかわからないような怖さみたいなのがあって、おもしろいな、この子に西森をやらせると『イヌミチ』というタイトルから普通に連想するようなイメージとは違う西森像になるのかなと思って、キャスティングしました。
―――横顔とか特徴的で、怖い時と普段とすごく落差がありますね?
万田 そうなんですよ、怖いんですよ、あの人は(笑)。本人は全然怖い人じゃなくて、コメディアン、芸人志望で芝居を始めたみたいなんですけど、そこはおもしろいなと思ったんです。もともと彼は眼鏡をかけていて、ただ伊達眼鏡だと思うんですけど、そのまま眼鏡ありでいきましたね。
―――響子を食事に誘うカメラマンの高梨はいかにもイケメンという顔ですが、どんな感じでしたか?
万田 彼については、もらった脚本そのままなんですけど、やはり学生が演じました。演じた学生がもともと持っているキャラクターがちょっと微妙に変な感じの子で、それがおもしろかったですね。役のキャラが随分たちました。彼自身が持っているもののおかげで。
■犬を演じること~自主練で膝小僧が痣だらけに…~
―――響子を演じた永山由里恵さんですが、脚本を読んで自分が犬を演じるって、結構、抵抗があると思うんですが、そのあたりはどうだったんですか?
万田 大変だったと思います。僕も最初に脚本を読んだ時に、犬になるってことですから、「ええ、これってどうやって撮るの?」って思いましたよ。「犬になる、四つん這いになるって、絵になるのか。画面になるのか。難しいな」というふうには思いましたね。
―――永山さんが犬として座っているのがちゃんと絵になっていましたが、かなり練習とかされたんですか?
万田 練習してくれました。僕が知らないところで。彼女だけでなく、矢野君と二人が自主練をしてて、それで、彼女は、撮影に入る前には、膝小僧がもう痣だらけになってたみたいですね。僕、知らなかったんです。彼女も学生だったので、素人というか。プロだったら、サポーターをつけますから、そんなこと絶対ないんです。現場に入ってからは、サポーターさせましたけれども、二人で勝手に自主練している時には、そんなことも思いつかず、タオルかなんかはそれでもまいてたって、言ってたかな。でも、ずれてきちゃいますからね。それで、撮影に入ってから、ある日ふっと控室に行って、ちょうど膝小僧が出てた時で痣だらけになっていて、僕も驚いて「ええっ、なんで?」って言ったら「自主練やってて」と、「ああ、そうだったんだ」って言って。すごく頑張ってくれましたね。二人でいろいろやってくれたようです。
―――今回、美学校の学生さんたちが演じたということで、プロの役者と違っての苦労はありましたか?
万田 それは特になかったですね。主演の二人に関しては、撮影に入る前にリハーサルみたいなことをやったんですが、その時はあんまりうまくなかったんですよね。で、これは大変だな、どうしようかな、と思ったんですけど、その後、リハーサルを何回かやったり、現場も始まってきて、ものすごくよくなってきて、だから、それで苦労したっていうこともほとんどなかったです。
リハーサルは何回かやりました。撮影前に、確か2日くらい、シーンを決めて。家屋に行ってやったシーンもあれば、映画美学校の広いスペースで、見立ててやったのもありました。矢野君と永山さんも自主練を始めていたみたいなので、初めよりは、随分身体が、動きが慣れてきたというか、役者の動き、役者の身体になってきたんだなというふうに思いました。
■脚本づくり~モノローグを削る~
―――この脚本は映画美学校の先生方の評価が高かったんですよね?監督も脚本を選ぶところに参加されたのですか?
万田 脚本コースの3人の講師で選んだもので、僕は選ぶところには参加していません。「これでやってください」と言われたかたちで、決められたものをどうやっておもしろくするのか、ということでした。
―――脚本は最初の形からだいぶ変わったのですか?
万田 直しはしました。最初、モノローグがものすごく多い脚本だったんです。主人公の女性と、途中から男の西森のモノローグも入ってくるんですけど、「ちょっとモノローグが多いから、これは削っていこうね」というところから直しの打合わせをやっていって、でも、話の構成そのものは、そんなに大きくは変わってないです。仮にモノローグを全部はずしてみて、どうしても残さないと気持ちが伝わらないところとか、これは残した方がむしろいいというところだけは、残して、それ以外は全部落としていきました。
―――響子だけでなく、西森のモノローグが入ってくるところがおもしろいと思いました。
万田 そうなんです、そこがおもしろい。「おまえは犬」と言うところだけが西森のモノローグが残っているんですけれども、あれはもっといっぱいモノローグがあったんです。ちょっと心理を説明しすぎているとか、モノローグが入ってくることでその映画のテイストが決まっちゃうみたいなところがあったので、それは避けたいと思って、なるべくモノローグなしで、少なくしていく方向で書き直してもらいました。
―――飼い主になるのが、初めて出会った見知らぬ人という設定がおもしろいです。心理はよくわからなくても、観ているうちに引き込まれてしまいました。
万田 そういうふうに観てもらえれば、それは嬉しいですよね。僕は、そこがなかなかちょっと自分でも、どうおもしろがっていいのか、実はよくわかってなかったんです。彼女が見知らぬ男の前で犬になるって、結構ハードル高いじゃないですか。そこをどうやって見せるんだろう。どういうふうに持って行くんだろう。映画を観ている人が、そこでひいちゃうと、そこから先、映画についてこなくなっちゃうので、そこをどうやってみせればいいんだろう、というのは、結構難しかったんですよ。でも、脚本を書いている伊藤理絵さんは、そのことにあまり難しさを感じてなくて、それは犬になっちゃいますよ、みたいな(笑)ことだったと思うんですよね。そこが、僕がちょっとわからなかったところで、難しかったんです。ただ、観てくださって、そういうふうにそこがおもしろかったというふうに言ってもらえれば、それはこの映画のもともと持っていたおもしろさということなのかな、と思いますね。
■ロケーション~日本家屋の部屋と廊下をどう撮るか~
―――西森の住んでいる古い家はどうやって見つけられたのですか?
万田 あそこはロケハンです。学生が見つけてきたところで、すごくいい場所でしたね。とても不思議な日本家屋で、特に洋間(応接間)、犬がいつも寝ているあの部屋が、おもしろい部屋で、それから、全くそことは違うニュアンスの居間、西森が布団で寝ている畳の部屋ですね。板張りのキッチンもあって、そこを廊下がつないでいるというすごくおもしろい空間で、演出のしがいがありました。
―――公園のシーンもいい感じですよね。
万田 もともとの台本では、携帯ショップのバックヤードみたいな場所だったんですが、いい場所がなくて、「代わりに近くに公園がありますよ」、「じゃ、そこを使おうか」と言って、公園にしましたね。公園にして、より良くなったんじゃないかと思いますけどね。
―――公園に西森を呼びに来た男性店員も、意味なく滑り台を滑ったりしますよね。
万田 あれもその場で思いつきました(笑)。ロケハンした時かな。公園だし、滑り台もあるし、じゃあ使おうかなということですね。
―――いわゆる動線は現場で考えられるのですか?
万田 現場で、その場で、どういうふうにしていこうか、考えましたね。
―――うまくいったシーンとか、監督が気に入っておられるシーンがあれば、教えてください。
万田 記憶にあるかどうかわかりませんが、最初に犬になった日に、西森がこちらで着替えをしてて、彼女が応接間からトコトコ出てきて、西森を噛む。西森が「なんだよ」と言って、そのあと、台所に行きますよね。それを彼女がトコトコ、トコトコって、四つん這いになりながら追っかけるところの廊下のカットが好きですね。あそこがいいなと思ってます。なんか知らないけど。後ろから撮ってるんですけどね、トコトコ、トコトコって、四つん這いになってる感じがすごくいい。後姿が好きですね。
―――逆に、ここは苦労したというシーンはありますか?
万田 シーンで苦労したというのは、そんなにはないんですけれども、なんせやっぱり撮影時間が短かったんでね。そこが一番苦労といえば苦労ですね。結果的に撮れなかったシーンも幾つかあって、とばして、落とすっていうんですが、落とすしかなかったというのが出ちゃったんです。そういう意味では、撮影日数が6日と極端に短くて、大変といえば大変でしたね。特にスタッフをやってた学生にとっては、かなりハードな現場になってたはずですから、大変でしたね。僕はもう、大変というよりは、現場の雰囲気はものすごくよかったので、今回現場はおもしろく楽しくできましたね。
■演出~立っている人と四つん這いの人との位置関係~
―――高さの映画という感じがします。しゃがんだり、立ったり…。犬と人間は高さが違うので、画面に足だけ映ったり、人間がしゃがんで同じ高さになったりとか、おもしろいと思いました。
万田 ええ、いいですよね。あそこは僕もおもしろいなと思いました。四つん這いを撮るってすごく難しいなと思いましたけれども、一方で、立っている人との位置関係ができるので、それはおもしろいなと思って演出もしたし、撮りましたね。
―――響子の動きとして、立ち上がったら人間という感じですか?
万田 そういうルールになりましたね。四つん這いの時は犬ごっこしてる、立ったら人間に戻ってるということにしました。
―――西森の恋人が家にやって来て、犬の響子が彼女にかみついて、珈琲をかけられ、台所て一人ぼうっとしている顔がすごくいいなと思いました。
万田 あそこは物語上も、一つのピークというか、見せ場ですから、そういうつもりで撮りました。二人(響子と西森)の距離が近づきましたね。
―――恋人が帰っていく音が画面オフで聞こえて、誰もいない廊下が映った後、西森が現れるというシーンの展開とかは、撮影の時点で、イメージがあったのですか?
万田 芝居をつくった時には、まだ画面のことは何も考えてなかったんですけれども、芝居を見ながら、これは、誰もいない廊下で、オフで音がしてるというふうに画面をつくっていった方がいいんだなと思って撮影していきましたけどね。最終的には、編集の時に細かいところはつめていきました。
―――アドリブのセリフとかはあるんですか?
万田 僕は全然ないですね。『ありがとう』(06年)で、芸人さんたちにアドリブでやってもらったりもしましたが、基本的に僕はアドリブは撮らないですね。
■犬と飼い主の関係~いじわるをしてみせる~
―――西森が、犬の響子に与えるご飯を、あえて牛乳と混ぜてまずくするところが印象に残りました。
万田 西森が急に残酷になるんですね。いじめるみたいなことをやりだすというか。あれも彼女を犬にさせる試練というか、そこを超えていくところを見せないと、彼女がどこから犬になって、どこまでが人間で、というのがきっとわかりにくかったと思うんですよね。だから、あれを犬食いすることで、彼女がひとつ、犬になった、という設定になっていますよね。犬になって、これを四つん這いのまま食べること。それを見て、西森も、犬になったんだなって言って、喜ぶという。
―――飼い主と犬との、守る、守られるという関係でしょうか?
万田 どうなんでしょうか。僕は大昔にしか犬を飼ったことがないんですが、飼い主って優位に立っていますから、ちょっと、いじわるしたくなりますよね。そういうことなんじゃないですかね。小さい子どもでも、わけもなく、わざといじわるするってことがありますけど、なんかそういう気持ちなんでしょうね。ちょっといじわるしてみせる。それに逆らわずに、自分の与えたいじわるを、試練を乗り越えて、こっちに来たので喜ぶという関係があるんじゃないでしょうか。
―――響子がゴミ箱を振り回してふざけたり、二人の距離が段々近づいていって、なんだか愛みたいなものを感じました。
万田 うーん、愛とかあんまり思ってなかったですかね。
―――絆みたいな感じですか?
万田 絆……、そうですよねえ、やっぱりセックスがないですよね。それだけで男女の関係は、不思議な関係で、片方犬で、片方飼い主で、それでセックスがないっていう。セックスしたいという思いも一切ない。そこは全く描かないということ自体、かなり異様といえば異様だし、変なところなので…。その上で、さらに愛とかいうと、難しいですよね。ほとんどプラトニックなものになってくると、それともまたちょっと違う。はたして、お互い、愛とか、好き合っていたのかどうかも、ちょっとわかりづらいところはありますよね。お互い都合のいい相手を見つけて、ごっこ遊びをしてました、というふうにも思うので。
むしろ、愛情を感じたのは、きっと別れてからですよね。家を出てから、なぜか彼女はもう一度、携帯ショップに戻ってくるわけですよね。なんとなく家を出たけれども、ふらふらと、もう一回、西森のところに来て、そのあと、公園のシーンがあって…。多分、愛情を感じたのは、ごっこが終わってから、ということでしょうか、きっと。
■物語の結末
―――響子が流産するのは、何もかも失わせるという感じなんでしょうか?
万田 何があったわけでもなく、急に流産するんですが、普通そう思うんですよね。僕もそう思ったんです。でも、脚本家に聞いたら、失うってことよりも、つまり、それまで、選んで決めて選んで決めてやってきたことが、自分が全く選べない、選択権のないことが自分の身体に起こったということが、彼女にとっては、何か一つの転機、ショックになった、と脚本家は最初言ってましたね。その感じは、ちょっとわかりづらかった。それにしては流産という出来事が大きすぎる感じがしたんです。でも、「妊娠の初期に、流産って、起こる時は結構起きますから、普通に」って言うんで、「うーん、そんなものかなあ」って。流産しちゃうって、女の人にとって、普通、そう簡単に起きますからじゃ、済まないんじゃないかと思いもしたし、言ったんですけど、それが、犬になることも平気で犬になるという感覚と同じなのかな、流産も別にそんなに重たいことではないという世界をつくりたいというふうに脚本家は思ってたのかな、ということですね。すごく微妙なところだと思いますけど。
―――響子は同棲していた恋人ともあっさり別れてしまいます。そんなに仲悪そうにはみえなかったんですが。
万田 結局、彼にも全く連絡もせず、4日間全く別の場所にいて、心配かけて戻ってきて、彼としては怒るし、何考えてんの、しかも流産したっていう話を聞かされて、いよいよわけがわかんなくなって、別れるしかないよねという。初稿は、彼女の方から「別れよう」と言ってたんですよ。直しの段階で、一回、彼の方から言う形に戻して、もう一回、彼女に戻ったかな、どっちが言うかってのが、なかなか決着がつかなかったんです。最終的に、彼の方から言うということに落ち着いたんですけど。何校か試行錯誤しました。
―――最後、僕も犬になりたいと西森が言うのも、脚本の最初からですか?
万田 それも最初からなんで、そこが不思議な脚本でしたね(笑)。変な展開でしたね。
―――彼も犬になりたいということで、関係をやめるというか?
万田 彼も、人間をやめて犬になって楽したいから、「じゃ、今度、ごっこの順番逆ね」と言って、響子に「僕が犬だから、飼い主やって」ということだと思うんですよ。それを響子が嫌がったという。「犬は私なんだから、あんた飼い主続けてよ」ということでしょうね。その発想もおもしろいですね。
―――西森が一人で床の上にぼうっと座って、犬みたいにボールで遊んでいると、響子が首輪やボールを全部捨ててしまいます。西森にも、犬であることをやめなさい、ということですね?
万田 この関係はもう終わったから、これはありえない関係だったんだから、お互い、別々に、もう犬になるのはやめようねってことですよね。
■映画の初めと終わり~日活映画のテイスト~
―――映画の最初、電車の音から始まって、最後も電車の音で、響子が歩道橋を上がって登場し、最後も同じ場所ですよね。歩いてくる感じとか音楽は、昔の日活映画のイメージですか?
万田 日活のロマンポルノの感じとかね?(笑)はい、そうですよね。それはねらって、というか、はい、そういうふうにねらって撮りました。
―――映画のトーンでしょうか?
万田 はい、テイストを決めているんですけど、あれは。多分それは、脚本の伊藤さんが望んでいたことではないと思います。あれは、僕が勝手にそうしたいと思って、そういうふうにしたところです。
―――響子が犬になった時のしょんぼり座りこんだ姿があるから、最後、人間として立って歩いている姿が颯爽として、最初の登場シーンとは違って見えると思いました。
万田 そうですね、きっとそれは、ねらって撮ってたと思いますね。四つん這いになることと、もう一回立って歩くことと、その対比みたいなものを、映画の中で見せるっていうのは考えてたんでしょうね、きっと。
―――会社で、カメラマンの高梨と響子がすれちがうところも階段でしたね。
万田 まあ、そのへんはね(笑)。階段を見つけたら撮りたいと思う人間ですからね、僕は。なるべく階段のあるところで撮りたいって思ってるんで…そうでした。
■ごっこ遊びのおもしろさ
―――映画を観た方の反応はどうですか?
万田 二つに分かれてるんですかね。おもしろいっていうのと、ある種リアリズムがなさすぎる、っていう。こんな女の人いないよねとか、こんな簡単に楽しちゃいけないよねとか、やりたいことだけやって、ただ、西森の家で骨休みして帰ってきて、男とも別れて、しがらみ全部なくして、それは都合よすぎないとかね(笑)。そういう反応もありますよね。一方で、やっぱり、本来なら乗り越えなきゃいけないハードルみたいなものを、平気で乗り越えていく、女の人の今の生き方みたいな、これはこれでわかる、という人もいますし、結構分かれますね、評価が。
―――観客の皆さんに向けて、どういうところを観てほしいとかありましたら、お願いします。
万田 『イヌミチ』というタイトルで、男が飼い主になって、女が犬になるという映画なんですけれども、そうすると、やはりどうしても男女のセックスみたいなものが普通、介入しますよね。イメージもそういう感じで、ああ、またそんな映画っていうふうに思われがちだと思うんですけど、この映画が本当に不思議なのは、そこにセックスが介在しないという飼い主と犬の関係ですよね。その関係が、一体、どんな話になっていくのか、それでどういう話が展開していくのか、というところに、ぜひ興味を持って観に来てもらいたい、ということですね。
それと、おとぎ話だと思うんですけどね。仕事にも疲れたし、人間関係にも疲れた人が、犬になったら、楽になれる。なら、ちょっと犬をやってみようっていうことですよね。しかもセックスもないから、なお楽だっていうことですよね(笑)。セックスの関係があると面倒くさい、それもなくてもいいんだって、犬になれるんだっていうおとぎ話なんでね。ただ、なったらなったで、それなりに、何か失うもの、最終的には失った、その上で、もう一度、生き直してみようという結末にはなってると思います。おとぎ話のおもしろさみたいなものも観てもらいたいなと思います。
(取材・構成・文責 伊藤 久美子)