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『神宮希林 わたしの神様』伏原健之監督、阿武野勝彦プロデューサーインタビュー

『神宮希林 わたしの神様』伏原健之監督、阿武野勝彦プロデューサーインタビュー

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(2014年 日本 1時間36分)
監督:伏原健之
プロデューサー:阿武野勝彦
旅人:樹木希林
2014年5月31日(土)~テアトル梅田、6月7日(土)~京都シネマ、神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
※テアトル梅田初日上映後、樹木希林さんの舞台挨拶あり
公式サイトはコチラ
 (C) 東海テレビ放送
 

~樹木希林と歩く心の旅路、肩の力を抜いてみなさんご一緒に~

 
 伊勢神宮で20年に1度行われる式年遷宮に合わせて、非常に興味深いドキュメンタリー映画が誕生した。人生初のお伊勢参りを行う大女優、樹木希林が、祈ること、自らの生き方をさらけだし、式年遷宮にまつわる心の旅にでかけていく。ふと口にする言葉や、鼻歌のように口からこぼれる懐かしいエンジェルの歌。自らの信条である「物の冥利」を大事にし、むやみに形になって残るものを所有しない姿まで、樹木希林から発信される全てが等身大の彼女を映し出し、どんどん惹き込まれる。また、遷宮のためのヒノキを何百年もかけて育てている伊勢市の神宮林や、神様にお供えする稲を育てる神宮神田、木曾で代々受け継がれている木こり一族が斧を入れる御杣始祭、そして神宮林のヒノキで再建された宮城県石巻市の新山神社などを紹介し、伊勢神宮の歴史を継承してきた今は亡き人々にも想いを馳せることだろう。生きること、祈ること、感謝して手を合わせること。全てがしなやかに盛り込まれた“感じる”ドキュメンタリー。日頃のストレスやささくれだった気持ちがすっと落ち着き、気持ちが安らぐ癒し効果も抜群だ。
 
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 『とうちゃんはエジソン』(03)でギャラクシー大賞を受賞、08年には伊勢神宮に関するドキュメンタリー『森といのちの響き~お伊勢さんとモアイの島』を手掛けた伏原健之監督と、樹木希林出演の『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』(13)でもプロデュースを務めた阿武野勝彦プロデューサーに、笑いを誘う箇所も満載の、樹木希林と一緒に作り上げたドキュメンタリーについてお話を伺った。
 

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━━━樹木希林さんを今回のドキュメンタリーの旅人に起用した経緯は?
阿武野:東海テレビは愛知、岐阜、三重が放送取材エリアなので、遷宮は20年に一度やってくる一大ビッグイベントです。番組制作スタッフが頑張っているものの、なかなか前へすすめず苦しんでいる様子を横で見て、そのことが頭の片隅にありました。昨年5月、ドキュメンタリー映画『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』のキャンペーンで樹木希林さん(以降希林さん)と仙台に行き、お酒を飲んでいるときに話題として遷宮の話をすると、「出雲大社と重なるのは本当に珍しいことでね」としばらくお話されたのです。「遷宮の番組を僕が作るとしたらどうします?」と切り出すと、「やる!」と即答してくださいました。翌日、帰りの仙台駅が見えてきたところで「あの話だけど、決まったらすぐに言って」と希林さんがさらりとおっしゃるので、とぼけて「あの話って何でしたっけ?」とお聞きすると、「何言ってるの!伊勢神宮の遷宮よ」。きっと面白いに違いないと思ってくださったのでしょう。「ふつうの旅人で行く伊勢参りとは違うものが、テレビと一緒に行けばあるかもしれない」ともおっしゃっていました。
 
━━━今まで東海テレビで制作してこられたドキュメンタリーとは少し違いますか?
阿武野:人間を描くという意味では、今までのドキュメンタリーと違いはない気がします。エンターテイメントの範疇かもしれませんが、社会性があるし、震災の話や、森を再生させている話もあります。ただ、笑いの総量は今までとは違いますね。
 

■想定外のことが起こり、そのシーンが映画を豊かにしている。(阿武野)

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━━━伊勢神宮だけではなく、さまざまな寄り道をしている様子が希林さんの人物像や目線を実感させてくれました。実際の撮影はいかがでしたか?
伏原:想定外はすごく多かったですが、プラスに働くことばかりでした。希林さん自身もプラスになると思ってあえて想定外のことをされていたようで、制作者としては幸せだなと思います。
阿武野:希林さん自身はこの作品について「普通は捨てるところばかりで作ったのね。それがいいのよ」とおっしゃっていました。うどん屋さんと喧嘩をしているシーンも、普通は使われたら嫌がられるかもしれませんが、物に対する価値意識を冒頭の自宅シーンで見せる仕掛けをしているので、ただ喧嘩しているのではなく、物の冥利につながることが分かるんですね。想定外のことが起こり、そのシーンが映画を豊かにしています。お餅屋に行くシーンでも、時間が押していたので飛ばそうとしたら「なんで飛ばすの?」と言われて、そこにお店のご主人が偶然出てきたわけです。二軒茶屋店のご主人が神宮に行く道すがらの音の話をされて、非常に豊かな感じがするので僕はあのシーンが好きです。希林さんが「寄る」と言わなければ撮れなかったです。他にも、希林さんから偶然出てきた言葉を伏原監督が丁寧に紡いでいますね。
 
━━━撮影を通じ、希林さんにどんな印象を持たれましたか?
伏原:かっこいい人だなと思います。服装も、スタイリストさんがいるわけではなく、娘婿、本木さんの服をリフォームして着ておられるところが素敵です。あとは何気ない、うどんを食べている姿やおもちを食べている姿一つとってもかっこよくて、ああいう老人になりたいなと思います。
 
━━━エンジェルの歌は突然歌い始めたのですか?
伏原:「神様っていると思いますか?」と問いかけたら、「ほらほらああいう歌があるじゃない」と、かなり初期段階に歌ってくれました。CMも知っていたので、神様はそういうものなのかという最初のテーマ設定の一つの答えになりました。完全に希林さんからの発信です。
 

■最初映画化NGの理由は「人間(私)が描けていない」。希林さんのメッセージから映画のテーマを導く(伏原)

━━━希林さんのアイデアもかなり盛り込まれているようですが、希林さんからの発信が増えてきたのは、どの段階ですか?
阿武野:2回目のロケの終わりには、「この作品の背骨をどう考えるの?」というお話をされていましたから、おそらくそのときには自分の心の内側を見せようと思っていらっしゃったのでしょう。何がきっかけなのか明確には分からないですが、すごく積極的に「会いたい」「行きたい」と動いてくださいました。(劇中一番最初に登場する)西麻布も希林さんから招待いただき、「この家の話をしたい。ここから話しておかないとダメだと思って」とおっしゃったのです。インタビューの時は美輪明宏さんやお稲荷さんの話が出てきて、話題が飛んでぐちゃぐちゃになりそうで、正直ヒヤヒヤしました。
伏原:本当にどこへ連れて行かれるのだろうという感じがしたときでしたね。今思えば「ここまで見せてくれた」と分かるのですが、そのときは「何を見せてくれるのだろう」とドキドキしました。大女優がしゃべってくれるのだから撮影はするつもりでしたが、撮影当時はカットシーンと思っていました。
 

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━━━カットと思っていた自宅での撮影シーンを本編に取り入れることにした訳は?
伏原:テレビ番組として64分で作っていましたが、長いバージョンに編集して映画化したいという話を希林さんにお伝えしたとき、最後の段階で希林さんから映画にするのはやめてようとNGが入りました。最大の理由は、「人間が描けていない」。お金を払って見に来てもらうお客様が感情移入できない、つまり「私」が描けていないということなのです。樹木希林さんを理解してもらうために、今までの業績や映像を並べることもできれば、ナレーションで語ってもらうこともできると考えもしました。そのときに希林さんのメッセージが流れてきて、世の中には自分の意志ではどうにもならないようなことがあっても祈るというテーマ性が出てきたのです。すると、自宅で数珠を取り出してお経を読むといむ話をされていたなとか、当時は唐突に始まったと思っていたことが、全部つながってきました。希林さんが「自分という人間を描く」というのはこういうことなのかと思いながら編集していきました。最初はわかりにくいのでカットするつもりだった部分が、最終手金は宝物になり、テーマがきっちりと出せたと思いました。
 

■「釈迦とダイバダッタ」の話から感じる深い愛情。希林さんは、色々な関係性の中に神が見える人。(阿武野)

━━━希林さんが折に触れてご主人、内田裕也さんの話をされていたシーンは、思わず笑わされ、深い夫婦愛を感じました。
伏原:ドキュメンタリーなので出口をあえて作らずに撮っていく段階で、伊勢神宮からどんどん興味対象が希林さんになっていき、面白いと思えるものが希林さんという人間を描くことになっていきました。希林さんといえば最大の関心事は「(内田裕也さんと)あの夫婦はいったいどうなっているんだろう」ということで、当初から機会があれば聞きたいと思っていました。実は日頃カメラがまわっていないところでも、本当にたくさん内田裕也さんの話をされていました。カメラの前で聞くとどうなるかと思い、初めて正面から「どうですか」と聞いてみたら、全く予想していない答えが返ってきて。びっくりしました。
阿武野:「釈迦とダイバダッタ」です。神宮の話をしているのに、まさか仏教の話なんて使えないだろうと最初は思いました。仏教と神道ですから不整合です。しかし、よく見ているとエンジェルも飛ばしているわけで、釈迦とダイバダッタがあってもおかしくはないかもしれない。それが祈るということなのかと思いました。
 
━━━夫婦の関係を「釈迦とダイバダッタ」に例えた話は、目から鱗でした。
阿武野:釈迦とダイバダッタの話が出てきた瞬間に、なんとなく謎が解けた気がしました。希林さん自身の内にある黒い部分が、カッカしている内田裕也さんにぶつかって浄化される。そういう物の見方や関係性を話されたとき、こんなに深い愛情というのはなくて、これは色々な関係性の中に神が見える人なのではないかと思いました。私たちもそれを聞かされた瞬間に解放されたような気がしました。希林さんの中にそういう物語がいくつもある中、内田裕也さんが絶大なる神様としてそこにいる感じがします。東京の公開初日に内田裕也さんが希林さんに電話をかけて「おまえは俺をコケにしているのか。おれはダイバダッタか」とえらい剣幕で怒ったそうですが、状況を説明すると「そうか。この映画はヒットするぞ」。
 

■日本に生まれてよかった、日本人でよかったと思える部分を、この映画に込めた。(伏原)

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━━━継承していくことや、見えるもの、見えないものに想いを馳せるなど、非常に深く、普遍的なテーマが内在していますね。
伏原:普段報道やドキュメンタリーの仕事をしていると、この国のイヤなことをきちんと正そうと思うことが多いです。でも、やはり日本に生まれてきてよかった、日本人でよかったと思える感じを僕は味わいたいのです。伊勢神宮に行って、お正月にあれだけの人が集まり、手を合わせる我々は素敵だなと思いたい部分をこの映画に込めました。きれいな国だとかそういう思いを紡いでいきたいなと思いました。
阿武野:非常に貴重な体験をしたとおっしゃっていました。希林さんは自叙伝をいくつもの出版社にお願いをされてはずっとお断りされているそうです。自叙伝を書く気は全くないそうで、「断る理由が見つかった。この作品を観て!と言えばいいの」とおっしゃるので、あまりの感動に鳥肌が立ちました。
 

■希林さんの感想は「今の私はこれよ。これを見せればいいのよ」。(伏原)

■一緒に撮影をさせていただき、益々希林さんに対する謎が深まった。(阿武野)

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━━━希林さんご自身は、この作品に対してどんな感想をお持ちですか?
阿武野:希林さんは、知り合いにお見せになっていますし、その反応をすごく気にしていらっしゃいます。自分が出ているから恥ずかしいけれど、観てもらいたいという風に感じます。通常の演技をしている樹木希林と違うものを出しているので、ご自分の分身のように思っていただいている瞬間がありますね。
伏原:希林さんの言葉では「今の私はこれよ。これを見せればいいのよ」。
阿武野:「これはあまりたくさんの人に観てもらわなくてもいいの」とまでおっしゃるのでこちらも一瞬焦りました。僕はせっかくだからたくさんの人に観ていただきたいのですが「いい作品と、人にたくさん観られた作品はまた別。あまり無理しなくていいの。適当なところで終わっておきなさい」と言われました。
 
━━━劇映画で演じるのとは違い、ドキュメンタリーの被写体として素の姿で動く体験が新鮮だったのかもしれませんね。
阿武野:報道に対する特別な想いがある気がします。初めて会う方にご紹介いただくとき、頻繁に「この人たちは報道の人たちだから。仕事が早いのよ」とおっしゃっていました。今回、撮り直しは一度もありません。「報道やドキュメンタリーという大切な仕事をあなたたちはしているのよ」と折りに触れて言われていました。だから家の中、冷蔵庫の中、ブラウン管のテレビ、お風呂や裕也さんの部屋まで見せ、「普段はしないようなことをしたのよ。それでいいじゃない」とおっしゃるのです。一緒に撮影をさせていただき、益々希林さんに対する謎が深まりました。
伏原:この映画は、希林さんの心の旅になっていると思います。
(江口由美)
 
 
 

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