『そこのみにて光輝く』呉美保監督、主演池脇千鶴さんインタビュー
(2014年 日本 2時間)
監督:呉美保
原作:佐藤泰志『そこのみにて光輝く』河出書房新社刊
出演:綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎他
2014年4月19日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、京都シネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒http://hikarikagayaku.jp/
(C) 2014 佐藤泰志 / 「そこのみにて光輝く」製作委員会
~ “そこのみにて光輝く”男と女に射した一筋の光~
久しぶりに何度も繰り返し観たくなる映画に出会えた。89年に発表された佐藤泰志(『海炭市叙景』)の長編小説『そこのみにて光輝く』を、呉美保監督(『オカンの嫁入り』)が映画化。夏の函館を舞台に、綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉ら俳優陣が、どこか昭和の香りがする、底辺を生きる人間が真の愛を求める姿を、狂おしくも愛おしく演じ抜いている。まさに深淵なラブストーリーだ。
主人公達夫(綾野剛)は、仕事で仲間を事故死に追いやったことがトラウマとなり、引きこもり状態になっている。粗暴だが人なつっこい青年、拓児(菅田将暉)との出会いや、拓児の姉千夏(池脇千鶴)との出会いが、停滞していた達夫の人生を静かに動かしていく。達夫を演じる綾野剛の焦燥しきった男の色気、拓児演じる菅田将暉の無垢さと危なっかしさなど、一筋縄ではいかない男たちが絡み合う一方、様々なものを背負った千夏自身の葛藤が非常に細やかに描かれている。池脇千鶴が、どこかで幸せを渇望しながら、そこでしか生きられない千夏を体当たりで演じ、まさに目が離せない。
呉美保監督と主演の池脇千鶴さんに、原作を現代に置き換えた脚本のポイントや、底辺を生きる女性として生々しく描かれる千夏の役作り、主人公のキャスティング、そしてタイトルを象徴するラストシーンについてお話を伺った。
■一人の人間として千夏を肯定したい。(呉監督)
――――原作以上に千夏の人物像が豊かに描かれ、物語を引っ張っていく大きな存在感を示しているが、脚本作業ではどのように原作を膨らませていったのか?
呉美保監督(以下監督):24年前に発表された原作の千夏は、映画の千夏よりも饒舌で、ぐいぐいと積極的に達夫に語りかけていく印象を受けました。バブル絶頂期の、皆が前に向かって進んでいる時代の中、千夏はある種、格差社会の底辺に生きる人です。この物語を現代に置き換えて描くにあたっては、職にありつけなかったり、介護の問題を抱えていたりと、生きにくいと思っている人はたくさんいるであろう「今」の格差社会を描くべきだと思いつつも、24年前よりは世の中はクールダウンしている気がするので、そのテンションをちゃんと作りたいと考えました。
特に千夏は自分の体を使って商売をし、パートタイマーもし、家族の面倒も見ています。父親の介護、酒浸りの母親、何をするかわからない弟を一手に引き受けて生きているのです。だからといって、あからさまに同情されるようなひとりよがりなヒロインにしたくはありませんでした。今回はラブストーリーということもあり、観客の男性には千夏という女に惚れてもらいたい、同時に一人の人間として、千夏を肯定したいと考えました。
■映画は視覚で惹かれるインパクトがとても大事。千夏が最初に登場するときの “スリップ”をどうするかから取り組んだ。(池脇)
――――千夏を演じるにあたり、精神面や外見面でどんな準備をしたのか?
池脇千鶴さん(以下池脇):精神的な面では、脚本が優れていたので、何の疑問もなく、その通りにやれればいいと思いました。実はそれが一番難しいことでもあるのですが。人物描写にブレがなかったので、書いていないト書きのことですら浮かんできました。脚本のとおり忠実に自分を出せれば、難しく掘り下げる必要はなく演じられると思いました。
外見面では、映画は視覚で惹かれるインパクトがとても大事だと思います。最初に監督と二人で話し合いの場を設けていただき、監督とも「(千夏の視覚面は)すごく大事だよね」と意見が一致しました。千夏が最初に登場するインパクトは結構強烈なものを持っているので、ト書きに書かれている“スリップ”をどうするかから取り組んでいきました。今は“スリップ”だけとは限らないので、今に置き換えてみたり、現代の千夏年代の人たちはどんな格好をして夜の仕事をし、家の普段着としても着用しているのかも考えました。監督がおっしゃった千夏のテーマカラー、黒を大事に衣裳合わせをしましたし、生地一つとっても、すごく時間をかけて合わせていきました。
――――千夏の台詞はどれも非常に印象的だが、台詞に対するこだわりは?
池脇:台詞という点でいえば、今回は方言が最大のネックでした。監督からは「方言がダメだったらカットする」というお話もありました。方言は本当に難しく、役者が変な方言を使うと、(観客が)そちらに気を取られてしまいます。なるべく(現地の人が話す方言に)忠実に、自然と耳に入って邪魔にならないアクセントになるように、訓練しました。音楽のように丸覚えをして撮影に臨んだので、アドリブという即座のことはあまりできないぐらいでしたね。 千夏は大事なことだけでなく、大事でないことも結構ブツブツ言っているので、それがみなさんにどう届くか、それだけだと思います。
■綾野剛さん、池脇千鶴さんがお互いを包み込むイメージができた。二人の立ち姿も想像しながらのキャスティング。(呉監督)
――――達夫役の綾野剛さんは、どういう部分に惹かれてキャスティングしたのか?
監督:綾野さんに関しては5年程前にオーディションでお会いし、最後の2人に残っていただいたものの、最終的には別の方を選びました。でも他の人にはないお芝居をやってくださったり、また綾野さんでしかない独特の空気を感じたので、すごく強烈に覚えていたんです。その後ドラマや映画で活躍されているのを拝見して、またお会いできればと思っていました。
実は、今回達夫役を考えたとき、山で働いていた男なので、最初はもっとゴツゴツした感じの人を想像していました。でも、これは男と女のラブストーリーなので、「色気や陰があり、女が放っておけない男を演じられるのは綾野剛さんしかいないよね」とプロデューサーさんと話し合い、綾野さんのキャスティングを決めました。それと同時に達夫と千夏が二人並んだ時の背のバランスや、体格のバランスを想像したときに、池脇さんとなら綾野さんはぴったりだと思いました。綾野さんが池脇さんを包み込む姿はもちろん、また池脇さんがもっている母性で綾野さんを包み込むという、お互いを包み込むイメージができたんですよね。どちらか単体でキャスティングというよりは、二人の立ち姿も想像しながらのキャスティングでした。
――――千夏役の池脇千鶴さんについて、キャスティングの経緯は?
監督:池脇さんとも2年程前に広告のお仕事でご一緒したことがありました。もともと池脇さんのことが大好きでしたのでとてもうれしかったですし、広告はその時だけの放送になってしまうので、次はちゃんと残るものでご一緒したいとも思いました。池脇さんにも「映画をやりましょう」と声をかけさせていただいた記憶があります。
池脇:言われましたね。
監督:勇気を出して言いました。池脇さんって現場では非常に無口で「はい」しか言わないんですよ。それだけにこちらは言葉を選ばなければいけないので大変なのですが、そのときも「はい」とだけ言われました。実は「いやだ」と思われていたらどうしようと思っていましたが(笑)、池脇さんに受けていただいたことで、またひとつ私の夢が叶いました。
――――監督からの本作のオファーを受けたときの感想は?
池脇:私にとって新しい監督やスタッフ、キャストの方と出会うことも意味のあることですが、再び(現場に)呼ばれる、再び出会うということはどれほど大事で深い意味があるかをいつも思っているので、すごくうれしいことです。もちろん最初は台本をいただいて、すごくおもしろかったので出演しようと思ったのですが、それが呉監督だったので「また会えるんだ」と思い、すごくうれしかったです。
■久しぶりにこんなにすばらしい台本に出会えた。私の境遇とも全然違う過酷さを持っているのに、千夏の悩みや苦しみ、そこに生まれるちょっとした歓びもわかってしまう。(池脇)
――――作品で惹かれたポイントは?
池脇:あまり私は映画やドラマに出演していないのですが、台本を読む機会はよくあります。その中でも、久しぶりにこんなにすばらしい台本に出会えたと思いました。すごくイキイキとしていて、何も疑問が浮かばなかったです。みんなの軸がしっかり決まっていて、物語がきちんと進んでいき、いろいろ膨らませてくれ、ビジョンが浮かんでくるような、掻き立てられるものでした。ですから、余計に心揺さぶられる内容になっていて、「間違いなくおもしろいものになる。だから出よう。」と思いました。
――――千夏は自分の体で家族の生計を立て、寝たきりの父親の面倒も見る難しい役どころだが、どのような気持ちで演じたのか?
池脇:台本を読みながら、「こういう家族もいるよね」と思っていました。実際に(千夏のような家族が)いると思います。私の日常の傍にいるわけでもなければ、私の境遇とも全然違う過酷さを持っているのに、千夏の悩みや苦しみ、そこに生まれるちょっとした歓びもわかってしまうのです。「うれしいんだ、今」とか、「苦しい家族を支えていて、すごいな」とか。惹きこまれる小説は、ト書きの説明でどんどん入り込んでいくのですが、今回の千夏はその感覚に似ているのかもしれません。
■池脇さんは衣裳合わせに、「千夏」になって現れてくれた。(呉監督)
――――この作品を通して、池脇さんのどういう面を引き出したいと思ったのか?
監督:儚く放っておけない女というのはもちろん、30代の女が放つ大人の艶っぽさ、また「その町」でしか生きられない女の土着感、池脇さんはその全てを出してくれる人だと思いました。綾野さんとの肉感的な愛や、高橋和也さん演じる中島を放っておけない情、女の全てを出してほしいとお願いしました。また、30代女性を演じるにあたり、声をワントーン下げようと提案しました。
池脇: 「声を低く」とおっしゃっていましたね。すぐに高くなってしまうので、意識して低くしていました。
監督:どうしたら(池脇さんの)新しい部分が観られるのかと思い、これまでの映画など、とにかく池脇さんを探求しました。お会いする前に、スタイリストさんと「どんな服が似合うか」と打ち合わせしてから池脇さんとの顔合わせに臨みました。今回はラブシーンもあったので、衣裳合わせの前に二人きりで話をさせてもらう機会があり、その時に千夏のある程度のイメージを伝えました。「千夏は黒が似合うはず」とか、「髪は自分で染めていて、しかも海の潮で汚く抜けている」とか、具体的な話をしました。その数日後、池脇さんが衣裳合わせで登場したとき、黒い服を着て、髪を染めてきてくれ、「千夏がきた」と思わず泣きそうになりました。この物語は達夫目線で千夏を見ていくので、彼女がひとりよがりになってしまうと物語に感情移入できないし、ラブシーンにもついていけないという不安がありました。でも池脇さんのおかげで、そんな不安はいつの間にか消え去りました。
■決してハッピーエンドではないけれど、最後に“救い”を。(呉監督)
――――感動的で美しいラストシーンだが、最初からこのようなエンディングを決めていたのか?
監督:ラストシーンについては、色々なパターンを話し合いました。この作品は決してハッピーエンドではないけれど、ただ、だからこそ“救い”が必要だと考えていました。決して大きな“救い”ではないけれど、その瞬間、千夏は罪を犯さなくて済んだという「安堵」という意味での“救い”。千夏は、達夫のおかげで暗い夜を乗り越え、朝を迎えることができた。だから今日を、生きられる。まさにそれが『そこのみにて光輝く』というタイトルに結びつくのではないかと思っています。
■『そこのみにて光輝く』というタイトルを象徴するラストは、恥も何もない魂のシーン。(池脇)
――――池脇さんはどのような気持ちでラストシーンを演じたのか?
池脇:このラストは、「これが『そこのみにて光輝く』というタイトルを象徴しているな」と解釈しています。救いですよね。でも「そこでしか輝けない自分」というのも正直あり、私自身は恥も何もない魂のシーンだと思っています。たまに千夏は自分を卑下する癖があり、そうやって周りに対してバリアを張るのですが、あそこもまたひとつ「ね、バカでしょ」という千夏がいます。そこに抱きしめることもできない達夫がいて、二人が表れていたのかなと思います。
監督:タイトルの『そこのみにて光輝く』は千夏のことを言っているのではないかと思っています。「光輝く千夏」を見つめる達夫がいて、“そこ”というのは“底辺”という意味もあるのではないのでしょうか。
(江口由美)