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『HOMESICK』廣原暁監督インタビュー

HOMESICK-550.jpg『HOMESICK』廣原暁監督インタビュー

(2012年 日本 1時間38分)

監督・脚本:廣原暁

出演:郭智博、金田悠希、舩崎飛翼、本間翔、奥田恵梨華

10月26日(土) ~第七藝術劇場、11月2日(土)~元町映画館、12月~京都シネマ

公式サイト⇒http://homesick-movie.com/

(C) PFFパートナーズ / 東宝


 

~自分の居場所を探す若者たち~

HOMESICK-2.jpg家族は離れ離れで、取壊し間近の古びた実家で、ひとり暮らしをしていた30歳の健二。失業して、無気力になり、ひきこもりになりかけた矢先、3人のちびっこたちが家に乱入してくる。突然の訪問者に戸惑い、怒ったりしながらも、いつしか童心にかえって、毎日訪ねてくる子どもたちと一緒に、夢中になって遊んでいる健二。ダンボールで恐竜をつくったり、楽しい夏休みが始まる。3人のうち母がいない少年ころ助と夕飯を食べたり、健二は仲良しになっていくが…。

PFF(ぴあフィルムフェスティバル)スカラシップを獲得し、本作で劇場公開デビューを果たした廣原暁(ひろはら さとる)監督。東京藝術大学大学院を修了し、これからますますの活躍が期待される若手監督の一人。映画の宣伝のために来阪された廣原監督に、映画づくりについて興味深いお話をうかがいましたので、ご紹介します。

 


◆子どもたちについて


 HOMESICK-s3.jpg―――ちびっこ3人組の子どもたちが実に生き生きとしていて、すばらしかったです。

100人以上の候補者の中からオーディションで絞った十数人に遊んでもらい、その様子を観察して選びました。ころ助役の金田悠希君はいい目をしていて、最初会った瞬間に「いいな、この顔を撮りたい」と思いました。ヤタロー役の舩崎飛翼君は、最近見ない昭和っぽい顔、オッチ役の本間翔君は変化球みたいな少し変わった子でおもしろかったです。

―――水鉄砲を使うというアイデアはどこから出てきたのですか?

子どもたちとこの家で何をやったらおもしろいか考えました。アクションをやりたくて、子ども達と撃ち合うというのをやりたくてやってみました。子ども3人対1人なので、健二には大きい水鉄砲を持たせ、それは子どもの頃使っていたという設定にしました。

―――相米慎二監督の『夏の庭The Friends』(’94年)も閉じこもっていた老人と3人の少年との出会いを描いていて、どこか似てるなと思いました。

相米監督の作品は好きですが、『夏の庭~』は観てなくて、脚本を書いている時に、人に言われて観ました。まねするつもりは全くなく、『ションベン・ライダー』(’83年)とかの自由な感じ、爽快さがすごく好きです。僕は、黒沢清監督の『ニンゲン合格』(1999年)が大好きで、ああいう映画を撮りたいと思ったのが、出発点です。家族が出てくるけれども、父も母も、親としての役割を終え、個人として生きているところや、主人公役の西島秀俊さんが10年間眠り続け、目覚めて同級生に会っても、何も変わっていない。多少変わったところはあっても、全然成長してないところとか、皆そうだよなあ、それが真実だなと思いました。そういうところに影響を受けたと思います。ベースは子どもで、いろいろ無理したり、頑張っちゃったりしながら大人になっていくというふうに思っています。

―――ダンボールで恐竜をつくるシーンがすごくおもしろいです。

ただ遊ぶだけでなくて、皆で何かひとつのことを成し遂げたいというのがありました。自由に色を塗ってと皆に言ったのですが、あの時の皆の顔は本当に真剣で、まじめに働いてるなと思い、子どもたちも郭さんも、それがよかったですね。カメラもどんどん自由に撮っていきました。健二役の郭智博さんは塗装職人という設定なので、いろいろ子どもたちに教えてあげるというのもありましたが、皆で、ここはこの色にしようと話し合ったりして、本当に真剣にやっていました。仕事とか労働って、ああいうものであってほしいなと思いました。全然お金にも何にもならないのですが、仕事してるなという感覚があのシーンにはあって、いいなと思いました。

―――あのシーンで流れるトクマルシューゴさんの音楽がぴったりでしたね。

トクマルさんの音楽は、前からずっと好きで、今回も脚本を書いている時から「Lahaha」という曲は使いたいと決めていました。すごくポップで、いろんな楽器を使っていて、おもしろいけど、どこか切実な感じもあって、そういうトクマルさんの音楽みたいな映画にしたいと思っていました。トクマルさんに脚本を読んでもらって、会って、何曲か使わせてほしいとお願いしたら、OKしてもらえて、アレンジしてもらったり、音楽もやってもらいました。映画のテーマは何ですかと聞かれたら、この曲ですといいたいぐらいに、聞きながら脚本を書いていましたので、切り離せない存在です。

HOMESICK-6.jpg―――子どもたちへの演出はどんなふうにされたのですか?

撮影までの期間は、毎週集まって遊んだりして、役を遊びの中で意識してもらったりはしていました。現場では、「よーいどん」といった感じでしたが、どんなに楽しくても、自分の役割みたいなのは意識してもらい、その中でどれだけ楽しいことをするかというのを皆で考えてやってくれたのがよかったです。3人集まるとおもしろくて、それぞれ勝手に動き始めたり、即興みたいなのも始まります。家まで走っていくシーンも、誰が一番速く家に入れるかといったゲームにして、やってもらったりしていました。いつも、何かやってくれそうと思いながら、楽しみにしていました。

―――撮影中、子どもたちと過ごす中で、何か感じたことはありますか?

子どもたちとやっていて感じたのは、何もない場所を特別の場所に、楽しい遊び場に変える力があるということです。脚本を書いている時に震災があって、避難所の映像がテレビで流れ、そこで子どもたちは楽しそうに遊んでいました。そういう力ってすごいと思いましたが、それは今回、撮りながら感じたことで、それがこの映画におけるひとつの希望なのかもしれません。どこだって特別な遊び場に変えられるのだとしたら、自分のいる場所になんか、こだわらなくてもいい。このことは、映画を撮って完成させ上映していく中で、僕自身やっとわかったことですね。だからこそ健二は、最後に家の鍵を返すことができたと感じてもらえたらいいなと思います。

水族館かどこかわからないようなところで、いるかが泳いている映像が上映され、健二がころ助を肩車して遊んでいるシーンがあります。退屈な日常を少し楽しく変えてみせるということは、子どもたちが健二に教えてくれたことではありますが、逆に、健二が子どもたちに伝えることができたことでもあると思って、撮りました。

 


◆主人公の健二について


 

HOMESICK-s2.jpg―――失業して自由なのに、自分が何をしたいのかわからず、一か所に居続けるという健二の設定がおもしろいですね。

健二の人間像は、特にはっきりとはなくて、「ある家にとどまり続ける」という設定が、まずありました。そこで何が起きたらおもしろいか考えていくうちに、子どもならずかずかと家に入っていけるし、主人公が何もする気がなくても、いろんなことを巻き起こすことができるということで、子どもたちが出てきました。主人公に、何か特別な性格みたいなことを決めたわけではなく、どこか受身な人物、何を考えているかよくわからないような人物、脚本を書いている僕自身にもよくわからないような人物で(笑)、どうしようと思っていたのですが、実際に何人かの俳優さんに会って、郭智博さんにお会いした時、この人、何を考えているかよくわからないと思って、それで健二役をお願いしました。何を考えているかはわからないけれど切実さは感じる、何か秘密を持っていそうな感じがして、それは俳優としてすごく魅力だと思いました。

―――健二役の郭さんへの演出は?

郭さんとは、撮影前に何度か会ってお話しましたが、現場では、具体的な動きも含め、そんなに細かく言わなかったです。難しい演出をした記憶はありません。撮影前に心配だったのは、郭さんは、一人で映る場面は、きっとうまくできるだろうと思っていたのですが、子どもたちと大声を出してはしゃいだり、むきになってやったりするのができるかなと不安でしたが、いざ現場に入ってみたら、わりと一緒になって遊んでくれてた感じで、なんの不安もなかったです。

―――健二の昔の同級生ののぞみは、健二に向かって「人間の屑」と言ったり、かなりきつい性格ですね。

健二を見ていて、むかつく人は絶対いるだろうと思い、そういう視点は欠かせないと思いましたので、のぞみを演じた奥田恵梨華さんにやってもらいました。

 


◆ロケーションと脚本について


 

 ―――黒沢清監督の『ニンゲン合格』に感動して、家族のドラマとして本作が撮られたとのことですが、黒沢監督からは大学院でも師事されて、何か影響を受けましたか?

HOMESICK-4.jpg黒沢監督は場所の構造をとてもうまく使って、物語に取り込んでいくと感じるので、台所の窓から映すのはうまく使いたいと思いました。撮影の準備をしている時、家の裏庭に、近所の子ども達が秘密基地をつくっていて、それを台所の窓から見ると、とてもおもしろい感じだったので、脚本にはなかったのですが、健二がダンボールでつくった恐竜を運んでいく姿を、台所の窓から撮ることを思いつきました。この家は、大きくて、庭のつくりとかも変わっていて、そういう映画としておもしろい装置というのは使わずにはいられませんでした。そういう装置が物語を生み出していくわけで、単純に楽しんで撮っていました。撮り方だけでなく、動き方もいろいろ自由にできたので、子ども達もわりとこんなふうに動きたいと言って、楽しみながらやっていました。

―――現場で、脚本はかなり変わったのですか?

脚本を書いていくうちでも、撮っていく中でも、変わっていきました。自分の思ったとおりの物語にしたいとは、はじめから思ってなくて、最初、主人公は死んでしまう設定でした。あの家がロケ地に決まった時、ここで何ができるんだろうと考え、壁に落書きすることや、台所から映したりいろいろ思いつきました。本当は、脚本と撮影という境界をあまりつくりたくないんです。常に物語が生まれていくというのが一番の理想です。準備のため、スタッフを説得するため、仕方なく脚本を書かなきゃいけないのですが、本当の理想は、脚本を書くのは、企画・撮影段階から編集段階までずっと全部だと思いたいんです。

 


◆撮影について


HOMESICK-3.jpg―――家の中では、カメラを固定して撮るシーンが多かったように思いますが、どうですか?

部屋を撮るというか、状況や空間を撮りたいと思っていたので、主人公がいてもいなくても関係ないという感覚で撮っていましたので、映画の最初の方では、主人公がいないシーンを幾つか撮っています。そこにいろんな人が入ってきて、何かが動いたり始まったりして、アクションが生まれていく…、カメラもそれにあわせて動いていく、というところがうまくいけばいいと思いました。

―――健二が台所で食事したりするのを、少し離れたところから、いつも同じ構図で撮っているのは?

撮る対象にあまり寄りたくないというのがあります。これを見せるというのを決めずに、舞台のように撮りたい、映像的な工夫をなるべく排除して撮りたいという意識があります。全部じゃないですが。特に、今回は家の話だったので、家という場所は、人がいてもいなくてもそこにあるものとして撮りたかったのです。映っている時間だけではなく、映っていない過去や未来もそこにはあるという感覚にならないかなと思ってやっていました。

 


◆印象的なシーンについて


 

HOMESICK-s550.jpg―――ラストシーン近くの、健二が花火を見るシーン、余韻があってよかったです。

脚本には、自転車に乗って去っていくとしか書いてなくて、どうしようと思いました。主人公のラストだし、どう去っていくか、フレームアウトが微妙だなと考え、いろんなロケ地を見ていく中で、目の前に空き地がある、あの場所を見つけました。空き地で若者たちが花火しているのを、映画の最後で健二が見ているというのがいいなと思いました。でも、その空き地が花火禁止で入れないといわれ、どこか遠くを見てほしいというのがあって、最後、健二が遠くを見て去っていくということで、打ち上げ花火を見ている―花火の映像は合成なんですが―というのを入れました。

―――夕方、風船が飛んでいくロングショットの長回しがよかったです。

奥の団地を見せたかったんです。風船が飛んでいく映像は全部で4回ほど撮ったのですが、最後のカットで、風船がひっかかってしまい、そのせいで1本ずつ飛んでいきました。それが逆にすごくきれいだったので、その映像を使いました。バックに映っている団地は、今、ころ助が住んでいて、かつては健二が住んでいたところで、帰り道という設定です。

―――最後に、ころ助が団地の自分の家に帰っていく表情が印象的でした。

健二がタイムスリップしているような感覚がほしかったんです。ころ助自身も、健二を見ていて、いつか僕も大人になるんだということを感じている、何かがそこで受け継がれるというような感覚がありました。皆で家で遊んで、わいわいやった後に、ころ助と健二がどういう関係を結び、最後、健二がどう去っていくのかというところは、悩みましたし、一番大事なところだと思ってつくりました。

 


 

HOMESICK-5.jpgとにかく子どもたちがよく走る。すごい勢いで坂道を、商店街を走っていく。そのエネルギーに健二もいつのまにか感化される。水鉄砲、ダンボールで作った恐竜トリケラトプス、風船、健二ところ助の二人乗りする自転車と、魅力的なイメージにあふれている。めいっぱい遊び、遊びを通じて、魂がつながる。何がやりたいのかわからず、居場所を探し続けていた健二が、子どもたちと過ごしたひと夏を通じて、何かをつかむ。それは、明快なものではなく、曖昧でしかなくても、これから生きていく自信につながるもの。一か所に留まろうと、あちこち飛び回ろうと、自分の居場所は今ここにあると思えることが、どれだけ、生きていく支えになることか…。

健二のとらえどころのない存在感、ころ助のさみしそうな表情が、言葉にならない思いを伝え、観る者の心を引き寄せる。「大人になるって、寂しいこと?それとも、楽しいこと?」映画は、明快な答を用意することはない。でも、ラストシーンの、原っぱで遊んでいる子どもたちをとらえたロングショットのすてきさが、そっと答を教えてくれるようで、バックに流れるトクマルシューゴの軽快な音楽に導かれ、不思議な世界にたぐり寄せられる。

セリフや言葉でなく、映像や動きで伝えようとする監督のセンスが随所に光り、深い余韻の残る作品になった。監督からじかにお話をうかがい、ロケーションや俳優さんたちのたたずまい、撮影現場の熱気から、随時インスピレーションを受け、映画が立ち上がっていく過程を垣間見たような気がする。若いスタッフたちの力が決してプロにひけをとらないことを証明したくて、同世代の人たちでつくりあげたそうだ。映画が、数多くのスタッフたちの力を結集してつくった総合芸術であることを実感した。1度観ただけでは味わい尽くせない魅力に満ちた世界。ぜひスクリーンで味わってほしい。

(伊藤 久美子)

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