(2012年 日本 1時間54分)
監督:長谷川三郎 撮影:山崎裕
出演:福島菊次郎 朗読:大杉蓮
2012年8月4日(土)~銀座シネパトス、新宿K’s cinema、8月18日(土)~テアトル梅田、8月25日(土)~シネリーブル神戸他順次公開
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(C)2012「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」製作委員会
10年間広島の被爆者を撮り続けた「ピカドン ある原爆被災者の記録」で日本写真批評家賞特別賞を受賞し、三里塚や公害問題、天皇の戦争責任などを写真を通じて問うてきた反骨の報道写真家、福島菊次郎。現在90歳となる福島氏に、2009年から2年に渡って密着、年金を拒否し、慎ましくもユーモアに溢れる日常生活を映し出しながら、ニッポンの嘘を暴くために命懸けの仕事をしてきた福島氏の写真と語りで戦後のニッポンを顧みるドキュメンタリー『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』が公開される。キャンペーンで来阪した長谷川監督に、福島氏や彼が撮り続けてきた写真の魅力についてお話を伺った。
━━━どのようにして福島さんと出会ったのが、きっかけを教えてください。
一番最初に福島さんにお会いしたのは今から3年前の2009年夏でした。伝説の報道写真家福島菊次郎さんが瀬戸内海の町に暮らしていらっしゃると聞いたのですが、当時は米寿で、胃ガンをわずらっていたため、本当にちゃんと話を伺えるのは今が最後のチャンスかもしれないと言われ、お会いしてみようと思いました。福島さんが撮った写真を見たときに、僕らが知らなかったニッポンがここにあるんだと思い知らされたんです。本当に被爆者の人の声が聞こえたり、学生運動や三里塚で闘っている人たちの怒りの声が聞こえてくるようでした。福島さんの言うところの”ニッポンの嘘”が覆い隠されたその後に生まれてきた世代なので、自分の足元にこんな歴史が埋まっていて、なおかつ、声を上げてきた日本人がいたということに大きな衝撃を受けました。しかも、その写真は真正面から日本の人たちと向き合って撮ってきた。苦しみとか怒りをストレートに受け止めている、どんな写真家なんだろうと思ったのが最初のきっかけです。
先輩からは、カメラを武器にして、敵をだましてでも潜入して撮ると。家を焼かれたり、暴漢に襲われても屈しないで、撮影し続けたというエピソードを聞いたので、どれだけ怖い人なんだろうと緊張して行ったのですが、お会いしてみると本当にチャーミングなお人柄で、その人柄に一発で魅了されてしまったのが正直なところですね。この人を撮りたいな。福島菊次郎という人間を知りたいなというのが一番大きなきっかけです。
━━━今まで撮る側であった福島さんに取材を申し入れたとき、どんな反応をされたのでしょうか。
「僕みたいな独居老人を撮って、絵になるのかい。」と最初に言われましたね。でも、とてつもなく魅力的だったんです。年金を拒否されて、でも三食はちゃんと自分で作って、ユーモアを交えながら日々の暮らしを過ごしていらっしゃる。その一方で90歳になっても全く引退せずに、今の日本に自分が何をメッセージとして残せるのかを真剣に考えて、日々原稿を書かれたりされている。その生き方を見たときに、どうやって人は最後まで生きるのか、自分の仕事をなしていくのかということを、教えられたような気がして、その日常も見つめたくなりました。
「福島さんを撮らせてください。」と言ったときに、「合い鍵を渡すから、何でも撮っていいよ。」といきなり渡してくれました。でもそれは、挑戦だと思います。おまえたち何を撮るんだという、人を撮ってきた福島さんだからこそでしょう。毎日アパートの鍵を開けて、「おはようございます。」と言うところから始まって(笑)。その中で、病気も患っていらっしゃったので自分の老いとか、「ちょっと気分が悪くて、もどしちゃったんだよね。」とフラフラの青い顔で朝起きられたりしていて、そういう自分の老いていく様も隠さずにさらけ出してくれました。でもその中で写真家として自分に何ができるのか、写真家として最後にどのような人生を貫けるのかを、あきらめないで日々を過ごされていた様子を見て、福島さんのすごさを改めて感じましたね。
━━━最初、福島さんを撮りたいと思ってお会いになった時から、映画を作ることを念頭に置いていたのですか。
福島さんのやってきた仕事とその証言を残したいという勝手な使命感にとらわれて「撮ろう」ということで進めていき、出先は決めていなかったです。福島さんの見つめてきたニッポンは今のメディアではあまり扱えないタブーも含まれているので、それをストレートに伝えたい。自分自身が伝えるのに責任を持って出したいと思ったときに、映画という形がいいのではないかという気になりました。さらに撮っていく中で、福島さんが撮影してきた戦後のニッポンというものに劇場の暗闇、大スクリーンで向き合ってもらって、そのことを見てくださった観客の方に持ち帰ってもらいたいと思ったんですね。あまり過剰な説明はしたくないと考えたときに、観客との共同作業で作品が完成する映画という場で、福島菊次郎に出会ってほしいと願うようになり、途中の段階で映画にしようと決めました。
━━━監督が福島さんを背負っている光景から作品がはじまりますが、どのような意図があったのでしょうか。
結果的にですが、僕らの態度表明になっていますね。もう90歳になって、もちろんカメラを持てば野生動物のように現場を駆け回る菊次郎さんですが、階段を上るのがちょっと苦手でいらっしゃるようで、その福島菊次郎を今の世の中に届けるという、心中と言ったら大げさですがそういう気持ちで福島さんを背負わせていただきましたし、映画の最初のシーンに使わせていただきました。福島菊次郎が見た戦後って正直言うと賛否両論があると思うんですよ。でも、その目線に寄り添ってそこから見えてくるものがあるんじゃないかと撮っていくうちに思うようになって、距離感ゼロという距離感でいこうと決めました。
━━━福島さんからドキュメンタリーを教わったと監督は語っておられますが、具体的にはどのような点でしょうか。
「国が法を犯したときは、カメラマンは法を犯してでも撮影しなければならない。法に従っているからいいドキュメンタリーが撮れないんだよ。」という言葉は、頭では分かっていたつもりでも、それを実践して生きている人が本当にいるんだと実感しました。福島さんは思想やイデオロギーで反体制の写真家になったのではなくて、色んな人と出会う中で、福島菊次郎が出来上がっていったんです。その一番のきっかけが(被爆者の)中村さんで、中村さんのことを50年経っても「彼の敵討ちをできただろうか」と想い続けられるのは、ドキュメンタリーを撮っている人間としてすごいなと、これが一番です。月並みに「そのパワーの源は何ですか。」と聞こうとすると、怒られるんですよ。「僕は普通のことをやっているだけだよ。あなたたちがやってないだけだよ。」と。それだけ真摯に現場で心を動かしながら撮ってきた人なんだなとそのシンプルさにやられましたね。
━━━撮影したものをどうしようかと考えていたところに、震災が起こったそうですが、本作にどんな影響を与えたのでしょうか。
福島さんと現地に入ったのは、震災から半年して少しずつ日常を取り戻し始めた頃で、震災直後はがれきになっていたような海沿いの街がボウボウの草が生えていて、メディアもいなくなって、市内に行くとすごく高濃度なのにマスクもしないで日常の生活を送っていたんです。あれだけのことが起こっているのに、日常を取り戻そうとしてあまり都市部の人は放射能のことはしゃべりたくないし、日本が変わるのかなと思ったら、また同じように元に戻ることの怖さを実感しました。
その一方で、「今のフクシマはヒロシマと重なる。」とおっしゃったことを受けて、足跡をずっと撮ってきた福島さんの写真を見た時に広島が放射能の爪痕をどうやって隠していって、今僕らが修学旅行で訪れるような平和都市広島にしていったのか。これからフクシマでも起きるかもしれないことが、これまで撮ってきた福島さんの写真にはある。『ニッポンの嘘』は、過去のものとしてタイトルにしたのですが、決して過去のことではなくて、これからの日本で始まるかもしれない嘘がそこに映っていたんだなと、そういう意味合いを持ってしまったことに無念さを感じましたね。
━━━本作の撮影は、是枝監督作品の常連でもあるベテランの山崎裕さんですね。
彼がいなかったら、撮れなかったですよ。撮影の初日に、福島さんはどういう風に撮るのか見るんですよね。出会いがしらに自分の写真のことを話し始めて、3時間ぐらいお話されたのですが、山崎は手持ちカメラを一度も下さずにずっと受け止めていましたから。日常の撮影も、どのポジションからどれだけの距離で、どこでシャッターを押すのか、福島さんはカメラマンだから見ているんです。それで一日終わった後に、「あんたら違うね。」と認めてくれました。山崎裕の距離感とか、人を見つめる視線だったと思います。六畳間の中で日常が展開するのですが、戦後の中で生きてきて最後にどうしようかという福島さんの焦燥とか、孤独とか、その中でメラメラ燃えている炎だったり、そういうものを山崎は見事にカメラで撮りきったと思います。山崎もそういう戦後を生きてきたカメラマンだったので、スイングしたのでしょう。
━━━最後にメッセージをお願いいたします。
『ニッポンの嘘』というタイトルは、今皆が心のどこかで思っている言葉ですが、それに対してどう声を上げていいか分からない人たちがたくさんいると思うんです。でもこの国には一人で闘ってきた写真家がいる。その男の闘いを見ることできっとエネルギーをもらえると思うので、これからの日本と向き合うヒントが世代を問わずこの映画にはあるんじゃなかと思います。福島菊次郎に会いに来てほしいです。きっと何かもらえると思います。
余計な音楽を流さず、大スクリーンでじっと映し出される福島の写真の被写体の目には、どれにも訴えるような力がこもっていた。福島菊次郎が50年にも渡って撮ってきた戦後ニッポンの真実と、90歳になってもまだ闘い続ける姿を是非スクリーンで目撃してほしい。(江口由美)