「京都」と一致するもの

sketch-s550.jpg『スケッチ・オブ・ミャーク』大西功一監督インタビュー
sketch-1.jpg(2011年 日本 1時間44分)
監督:大西功一
原案、監修:久保田麻琴
出演:久保田麻琴、長崎トヨ、高良マツ、ハーニーズ佐良浜、譜久島雄太他
2012年11月17日(土)~第七藝術劇場、11月24日(土)~元町映画館、12月8日(土)~京都みなみ会館、12月15日(土)~シネピピア他全国順次公開
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 ※第64回ロカルノ国際映画祭批評家週間部門「批評家週間賞・審査員スペシャル・メンション2011」受賞
(C) Koichi Onishi 2011

  沖縄の宮古島で「古謡」や「神歌」に出会った音楽家の久保田麻琴が、その素晴らしさに感銘すると共に、なんとかして後世に伝えられないかと記録を始めたのがきっかけとなって誕生した『スケッチ・オブ・ミャーク』。フォークシンガー高田渡を迎えて『とどかずの町で』を撮って以来、これが16年ぶりの映画復帰作となった大西功一監督が、消えつつある宮古の「古謡」「神歌」を丹念に記録した意義深い作品だ。キャンペーンで来阪した大西監督に、制作の経緯や実際に「古謡」「神歌」に出会って感じたこと、編集時に念頭に置いたことなどお話を伺った。 


sketch-s1.jpg━━━本作にも出演し、監修を務めているミュージシャン久保田麻琴さんとの出会いや、本作を撮ることになった経緯をお聞かせください。 
 一番最初は1999年に細野晴臣さんと久保田麻琴さん二人のロックプロジェクト「ハリ-とマック」のプロモーションビデオを作らせてもらったのが発端で、久保田さんが映像の必要なときには呼んでもらったり、個人的な交流もウェイトを占めている関係でした。そんな中、映画制作の2年前にあたる2007年に久保田さんが、映画でも描いている通り思うところがあって宮古島を訪ねて歌と出会っていきました。その状況や音や、自らハンディカメラを回していたことを知っていたので、「お婆ばかり撮っているな」と思っていたのですが(笑)。僕も昔岡本太郎の写真集を持っていて、沖縄の祭祀の写真を収めていたのでこういう光景があることは知っていたし、興味はありましたが、そんなにさかんに(神事が)行われているとは知らなかったし、残っているという奇跡、かつそれがいつ途絶えてもおかしくない危険性がある。何百年と続いた島の歴史や大変な生活を知っている人も戦前の世代、80~90歳ぐらいで歌の背景や島の生活を聞かせてもらう機会は今しかないと思っていました。映像の作り手として、記録をしなければならないという気持ちはありましたが、映画を作るのは大変なことですからそんな簡単にはできないとその時はそれで終わっていたんです。

 久保田さんが2007年から(古謡を)録音していた流れから、2009年に開催されたアリオン音楽財団と朝日新聞社主催の第25回<東京の夏>音楽祭2009(2009年で最後)より、その年は日本の歌がテーマだったのですが、宮古もそのひとつに選ばれ、久保田さんの人脈で宮古で取材した人たちに東京へ来ていただきました。映画で随所に挿入されているのは、この音楽祭のライブシーンですね。

 久保田さんから2009年7月に行われるこのコンサートの映像の相談を2009年2月に受け、そのときに予算はないけれど、記録と収録をしたいという意図が分かり、DVDにして販売することも考えたのですが、歌単体よりもその背景に生活、儀式があるのはわかっていたし、それが見えた方がもっと豊かに伝わると思ったのです。記録をしなければいけないという責務が頭の片隅にあったので、コンサートの出演者を軸にしながら、その背景にある島の人の風習や生活を描いて、記録し、映画にしようと決めました。久保田さんに色々紹介してもらって、まず4月に宮古島に行きました。

━━━7月、東京でコンサートが行われる前に撮影を始めたんですね。
 コンサートよりも前に行った訳は、(7月に東京へ)行ってしまうとお婆ちゃんたちの何かが変わってしまうのではないかと思ったんです。たとえば古い町でも何かに指定されてしまうと、素の状態ではなくなってしまうじゃないですか。これがきっかけですね。

━━━コンサートが終わってからは、どれぐらいの期間撮影されたのですか?
 期間はおよそ1年間で、のべ4ヶ月強です。(取材対象者は)コンサートの出演者というメインの軸はあったので、カットした方は少ないぐらいで、あとは久保田さんから紹介された人を取材するだけでも大変でした。 

━━━お婆たちの歌やしゃべり言葉に字幕が付いていましたが、聞き取るのはかなり難しかったですか? 
 内地の人間に合わせて、お婆たちは標準語としてしゃべってくれているので、字幕を付けられるのは不服だろうと思います(笑)。本当の方言でしゃべられると分かりませんよ。

sketch-2.jpg━━━宮古の古謡はバリエーションも豊富で、独特の節回しが印象的ですが、実際取材されてこれらの音楽をどう感じましたか?
 僕は沖縄の民謡は好きなのですが、宮古の歌に関しては最初あまりピンときていなかったです。多分この映画の作り手ではなく、純粋に作品と出会ったなら宮古の歌の魅力にはまると思うのですが、何もない状態で聞くと、同じメロディーの繰り返しでそんなにかっちり掴むという感じではなかったです。それよりも記録しなければという気持ちが強かったので、(音楽の魅力が)分かるまでにタイムラグがあったかもしれません。撮影しながら、だんだん宮古の歌を理解していった部分が大きかったです。宮古の歴史から現代に至るまでのところで、宮古にまだ残っているものを掴むのに時間がかかりましたね。二ヶ月ぐらい行ったとき、すごく葛藤があって、それを掴めないと映画がつなげないし、いいものはできないと分かっていたので、それを獲得するのに苦労しました。

━━━ライブのシーンで、「みなさんご一緒に」という掛け声に合わせて、舞台上まで観客が上がって場内全員でクイチャーを踊る姿が印象的でした。
 踊るという行為はすごく自然な行為だったはずでしょうね。歌うということも会話をするのにも近いし、お祈りから歌になっていったのかもしれないし、そんなに特殊なことではなくて、全部繋がっているはずのことが今は分離してしまっています。そういうことがこのミャークを通じて確かめられたし、そういうのを見に行きたかったという部分もあります。音楽は好きなので、音楽に対する限界も感じていたし、元々の本当のものはどうなんだろうと。昔宮古の人はアドリブで皆歌えたんですよ。さすがに今はいませんが、メロディーにどんどん乗せて恋人同士や嫁姑などが歌い合うという話も聞きました。

━━━ライブシーンや、お婆たちの語り、このプロジェクトに取り組む久保田さんの姿、村の歴史を紐解くことなど、様々な要素が盛り込まれていますが、編集の際に念頭に置いていたことや、心がけたことはありますか。
 撮影の途中から編集をはじめ、一年以上かけて編集しました。あそこまでミックスされた形に収まるまで、すごく時間がかかりました。写真集みたいな映画にしようと思ったんですよね。写真集には色んな写真があって、それをめくっていき見終わって閉じたときに、何か心に残っていると思うのですが、その写真を(映画の)一つ一つのシーンに置き換えた形で、映画を見終わるときに何かが残っている。一つの起承転結があるような形ではなく、画集のような構成でいきたいと思っていました。

そういう構成にすると、普通はアート作品になるのですが、『スケッチ・オブ・ミャーク』は宮古島のことなので、宮古島で上映したときに島のおじさんやおばさんたちにも伝わらなければなりません。画集のような構成でありつつも、きちんと一般の人にも伝わるような作品にしたいと思い、制作しました。

sketch-3.jpg━━━長きにわたって続いていく伝統がある一方で、それらが消えてゆく現実も映り込んでいましたね。
 この映画は宮古島オンリーではなくて、宮古諸島と言った方がいいのですが、多良間島はテロップを入れていますが、ほかはあえてテロップを入れていません。伊良部島の佐良浜地区は儀式がかなり盛んだし、かつ記録に応じてくれました。儀式を撮るのは全然大変ではなくて、先方もいつ途絶えるか分からないから記録をしてもらいたい、こういうことをやっていると公表してもらいたいという気持ちと、何百年も続いてきた儀式を次につなげていきたいという気持ちがあるので、スケジュールも教えてもらい応援してもらいました。映像にもでていると思いますが、かなり熱中して撮れましたし、編集も早くつなぐことができたんです。宮古本島になるとずいぶん昔から変わっていて、24時間営業のコンビニやスーパーがあるような島なので、昔のままのものが視覚的にも空気的にも掴みにくくなっています。そこでお婆たちの記録や歌と、今この島で空気感を掴まえて、これが宮古だなと感じ取って古い映像を混ぜながら作っていくのは時間がかかりました。

━━━第64回ロカルノ映画祭で、「批評家週間賞・審査員スペシャル・メンション2011」賞を受賞されましたが、お客様の反響はいかがでしたか?
 昨年の8月に2回上映しました。批評家週間部門というのはロカルノ映画祭に関してはドキュメンタリーに特化した作品が上映されます。世界から集まった作品の中で7本が選ばれた中の一本で、ロカルノのこの部門でははじめての日本映画でした。エンドロールのうちに拍手のボルテージや歓声が上がってきて、7本中ピカイチでした。これは一等賞かビリだろうと思っていたら、二等でがっかりしました(笑)。後から思えばありがたかったと思います。

sketch-s2.jpg━━━本作が監督にとっては16年ぶりの映画となったわけですが、監督にとってどんな意味があったのでしょうか。
 前に撮った映画はドラマだったこともありますし、16年の間に何度か脚本に着手もしました。この作品も最後までできるかどうか分からなかった部分もあります。途中で気持ちが萎えてしまったり、様々な状況が起これば動けなくなりますから。できてよかったと思うと同時に、自分のエゴをあまり感じないので、カタルシスもないですね。どちらかといえば宮古をなんとか感じ取って、それをどうやって映画として純粋な形で置くことができるかに専念したので、創作的なシーンはありつつも自分の作品ではない感じがします。作業的には大変でしたが、自分の中では3本目というよりは、2.5本目といった気がします。それはいい意味だと思います。

━━━これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
 古い歌のことを追いかけている映画ですが、それと同時に背景である島の人の暮らしや、儀式を含めた風習があって、その原初のものを知る、人間自身のことを知るような意味を持った映画だと思います。僕も実際に島で(原初のものに)触れてきたわけで、この映画でそれに触れることができる役割を果たすのではないでしょうか。今の時代、我々は大きな問題に直面していて、ルーツである人間の生き様をこの映画を通して一緒に見つめて、これからの未来に向けて、ものを考え始めよう。そういうきっかけになってほしいと思って作ったところもあります。僕も答えは出せないけれど、それを共有して一緒に考えていきたいですね。(江口 由美)

engeki1-550.jpg『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~前半~

『演劇1』(2012年 日本・米国 2時間52分)
『演劇2』(2012年 日本・米国・フランス 2時間50分)
監督・製作・撮影・編集:想田和弘
出演:平田オリザ、青年団・こまばアゴラ劇場の人々
10月27日(土)~第七藝術劇場、11月10日(土)~神戸アートビレッジセンター、12月8日(土)~京都シネマ
公式サイト⇒http://engeki12.com/
(C) 2012 Laboratory X, Inc.

engeki-s1.jpg台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践し、『選挙』、『精神』、『Peace』と、独自の視点で社会に焦点を当てた作品をつくり続けてきた想田和弘監督。1995年に岸田國士戯曲賞を受賞し、日本を代表する劇作家・演出家の平田オリザと、彼が主宰する劇団・青年団に取材し、300時間以上の映像素材と4年の歳月を経て、長編演劇ドキュメンタリー2部作を完成させました。

『演劇1』では、演劇の創作現場にカメラが向けられます。平田が唱える「現代口語演劇理論」を追求する青年団の演劇は、日々の生活の中の静かで淡々とした時間をそのまま直接的に舞台にのせ、人間の存在自体を劇的なものとして浮かび上がらせようとします。セリフの間や速度を秒単位で決め、声のトーン、仕草も細かく指示する平田と、同じシーンを何度も繰り返す劇団員たち。青年団の演劇の魅力だけでなく、演劇そのもののありように迫ります。『演劇2』では、「まず食うこと それから道徳」という、青年団の事務所に掲げられた言葉のごとく、財政難と不況で芸術関連予算が削られる中、いかに生き残り、活動を継続していくか。教育現場、地方の演劇祭、政治家、海外進出と、劇団経営を模索する平田の活躍ぶりに迫ります。演劇を通して、現代社会のありようが浮き彫りになります。

晩夏、映画のPRのために想田監督が来阪され、共同取材が行われました。青年団や演劇のおもしろさ、演劇と社会との関わりなどに迫る興味深い内容でしたので、長くなりますが、前半・後半に分けて、詳細にご紹介したいと思います。

≪構成≫(1~4が前半、5~7が後半)
1 青年団との出会い
2 上映時間について
3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~
4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~
5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~
6 『演劇2』独自の視点
7 演劇(芸術)と社会の関係


【1 青年団との出会い】

engeki1-1.jpgQ:青年団のことは、いつ頃知ったのですか?
A:2000年10月にニューヨークで観たのが初めてです。僕が東大の駒場に入った1989年は、こまばアゴラ劇場で『ソウル市民』という平田さんが現代口語演劇を確立した、最初の代表作が発表された年です。僕はその頃、演劇とか全然興味がなくて、声を張り上げたり、不自然なセリフ回しとか、偏見がありました。でもNYで、平田さんの『東京ノート』を観た時、その偏見が払拭されました。平田さんは、いわゆる芝居臭さみたいな、演劇についていた手垢みたいなものを拭い去ることをされてると思ったんです。そこにポリシーというか平田さんの強い意思を感じました。しかもそれがドキュメンタリーっぽい、あたかも舞台上でドキュメンタリーをやっているかのようにみえました。僕はその頃、NYで駆け出しのドキュメンタリーのディレクターだったので、まずは素直に驚いてしまいました。なんでこんなことが可能なのかって。

本当は駒場で遭遇してもよかったのですが、僕の方が用意できていなかったわけです。駒場にいた時、僕は東大新聞の活動に没頭していて、1989年は「風の旅団事件」がありました。昭和天皇が亡くなった年で、反天皇の旗を掲げたメッセージ性の強い、風の旅団というテント劇団があって、駒場で公演を打とうとした時に、大学側が許可しなかったんです。劇団が許可なしに強行しようとしたら、機動隊が入って学生が5人逮捕されるという事件です。学生運動の最後ともいえるもので、僕は、警官にぼこぼこにされながら取材していて、だから、風の旅団とは縁があったのですが、青年団とは全く縁がなかった(笑)。

ただ昼飯とか食べるのに、駒場の商店街を歩いていると、アゴラ劇場と書いた、すごく小さな劇場があって、こんな劇場ってあるんだなあと思った記憶があります。その前の喫茶店にはよく入り浸っていて、近くのラーメン屋にも行ったのですが、いかに関心がないと何も気付かないか、見えていても出会っていないんですね。それから、僕が宗教学を志し、宗教学もやめて、映画を志し、NYに行って芸術や映画とか勉強して、入ったのがドキュメンタリーの会社で、駆け出しのディレクターとしてやっていて、初めてこれはすごいと思った…そういう出会い方でした。

Q:ドキュメンタリーを撮っていたからこそ、青年団のよさもわかったのではないですか?なかなかよさがわかりにくい演劇ですよね。
A:それはあるかもしれません。自分がカメラを向けるとそれまで生き生きしていた人が急にしらじらしくなったり、現実を撮りたいと思っても、何も戦略も技術もなしに撮ろうと思っても無理なんです。そのことが駆け出しのディレクターとしては、毎日骨身にしみていました。日常生活をそのまま切り取ってしまったかのような、青年団の舞台は、ものすごく自然で、即興にさえみえるわけですが、それはありえないという予感はありました。ただ、どうやっているのかと思い、2006年にNYに来た時、観に行きました。全然別の『ヤルタ会談』という喜劇でしたが、それでも世界観、人間観、芝居観は共通していると思ったんです。これはとてつもない芸術家なんじゃないかと思いました。そこで、いろいろ著書を読んだら、思ったとおりで、しかも僕が通っていた駒場で「現代口語演劇理論」というのを稽古場での実践からやっていて、これはすごいものに出会ってしまったなと思いました。僕は『選挙』の編集をしていて、「観察映画」という方法論を完成しようともがいていた時期ですから、「現代口語演劇理論、すげえなあ」と、方法論があって作品をつくりだすことにも、すごく感じるものがありました。

Q:それから平田さんに連絡をとって、撮影を始めたということですか?
A:2006年の時点では、僕はまだ『選挙』も発表しておらず、いきなりすごい劇作家のところに行って、撮らせてくださいなんてのもどうかと思いますし、2008年に、NYで俳優をやっていた、友人の近藤強さんが日本に帰って、青年団に入って平田さんと芝居をやりますという連絡が来た時に、急に具体化しました。その時点では『選挙』も公表して、観察映画というスタンスも段々固まってきた時期で、『精神』の編集中だったか、思い切って撮影を申し込もうと手紙を書きました。それで、会うことになり、決まった感じです。

Q:ずっと稽古場に詰めて、撮影されていたのですか?
A:会いに行ったのは2008年5月で、7月から9月にメインの撮影をして、打ち止めようかと思ったのですが、段々欲が出てきて、平田さんが11月なら世界初のロボット演劇があるとか(笑)、さすがプロモーターです。別に僕に言うわけじゃないのですが、誰かに宣伝しているのを聞くと、立ち会わないわけにいかないと思って(笑)。『冒険王』とか『サンタクロース会議』の稽古が11月、12月にあるということで、もう一回来ようかなと思って、来て撮影して、そしたら、今度は「2月、3月にフランスで公演をやる」と言われて(笑)、確かに海外公演も撮りたいなとフランスに行って、これで300時間以上回したので、十分だろうと思っていたら、政権交代が起きて、平田さんが鳩山首相のスピーチを書くことになり、それも撮りたいと思ったのですが、その頃『Peace』の撮影中で、『精神』も海外上映のたけなわで、撮影できませんでした。それで、ここまでということで、何が描けるのかやろうと思いました。

 

【2 上映時間について】

Q:『演劇1』と『演劇2』に分けるという決断はいつ頃されたのですか?
A:最後の最後です。できれば1本にと思ったのですが、これだけの量を撮って、1本にまとまるわけないとも思っていました。人間って、区切りがつくだけで、長いものでも耐えられるという性質があることに、僕自身、本を書きながら気がついていて、同じ文章でも、1章、2章に分けると急にわかりやすくなったりします。だから、分けるという手があることは、薄々感じながらやっていました。最初は3部構成で、1は平田オリザの世界、2は平田オリザと世界、3は平田オリザの未来とか演劇の未来という感じでロボット演劇とか海外公演とか入れるとおもしろいと思ったのですが、編集しているうちにそれを2に合併したほうが、作品の強度が増すことがわかってきたので、最終的には2本になりました。

Q:編集段階で、上映時間について、これ以上短くできないと思ったのですか?
A:妥協すれば、短くするというのは、いくらでもできると思います。でもベストな作品にはなりません。別の作品になってしまいます。とりあえずベストなものを投げたいという気持ちがあって、僕も段々分別ができてきたので、5時間42分の映画をジリ貧の映画界でやるというのが、どういうことを意味するのかってことは、一応わかっているし、なんとか短くしたいという気持ちはあったのですが、何度観ても切れない。切ることはできても、ベストではなくなると思いました。それで、今まで日本で配給してくれた会社の人達がやってくれるかが試金石だと思ったので、まずは投げてみました。そしたら、絶対これはやりましょう、やらなきゃいけないでしょうというメールが返ってきたので、じゃあお願いしますということになりました。

Q:観ていて、飽きないですね。あっという間でした。『演劇1』で公演が終わるのが寂しいくらいで、もっと練習風景とか観たいと思いました。『演劇2』の予算の交渉も新鮮でした。
A:僕自身がそう思ってつくったんですよね。平田さんのことを知らない人、青年団を初めて観る人も映画館に呼びたいわけで、そういう人たちがどう観てくれるのかという不安もあったし、上映時間が長いので、劇場で一日何回上映できるのか、本当に興行的にはチャレンジでした。でも、そういうことをするインディペンデント作品があってもいいのではないか。皆が上映時間を気にして、売れることばかり気にしてやっていたんじゃ、映画界もだめになる。今の映像の世界での軽少化、どんどん切っていく傾向、ファーストフードみたいなものに対抗するスロー映像みたいなものを提起する意味でもいいかなと思いました。

 

【3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~】

engeki1-2.jpgQ:平田さんの演出光景をみて、一番印象的だったことは?
A:平田さんって、あらゆることが可能だと思っている人だと思うんです。できないことってないって、どこかで思っているふしがあって、必ずポジションを見つけるんですね。演技とかでも行きづまるということがない。稽古していても同じで、行きづまったときの人間の反応って、怒鳴るとか、諦めるとか、放り投げるとか、いろいろあります。平田さんの場合は、違う解決法を見つける。行きづまった時に、なんとか別の角度から攻めて行って、解決法を探し出します。たとえば、演劇がどうしてもうまくいかない場合は、セリフを変えるとかして、なんで言えないんだよと怒ったり、灰皿投げたりはしません(笑)。稽古場でもソフトで、声を上げたりはほとんどせず、あのテンションのまま。時々、ちょっと語調が強いくらいで、別に侮辱とかもしません。普段のプロデュース面でもそうで、障害があったら、どうやってそれを乗り越えるのか、解決するのかに、すぐ意識が向かう人だから、余計なことを考えません。「うまくいかないな」とか、「なんでだよ」とか、いちいち怒らない、そんな暇ないという感じで(笑)、「じゃあ、どうしよう」というふうに考える。やっぱり仕事のできる人って、そうですよね。いちいち感情で立ち止まりません。

僕自身は、そこまで人間ができていないので、もう300時間の編集をやっていると、最初のカットができた時、本当に全然だめでがっかりして、もしかしたら撮影の時に根本的なミスをしたのではないかと、これは映画にならないんじゃないかと思った瞬間もありましたが、その時に、励みになったというか、参考にしたのは、平田さん自身の働き方というか、だめな時に違う解決法(ソリューション)を考えることでした。
編集中は結構いけてるんじゃないかと思っていただけに、去年の秋頃、ようやく編集が固まって、第一篇ができて、全体で観た時は、『演劇1』だけで4時間超あったのですが、カミさんと一緒に観てて、もうどんよりしちゃって(笑)、カミさんもずっと寝てるし、終わった時に「体感6時間だね」と言われて(笑)、僕もそう思っていたので、だめだってすごく落ち込んだんです。でも、おもしろいことに、そこからもう一回やってみようと思って、次の日にもう一回、がちゃがちゃやったら、そこで実は、ぱーっとできちゃいました。不思議なものですね。そのときすごく思ったのは、余計なものが流れを邪魔しているということで、その邪魔をしているものを全部削ぎ落としていって、スリムな形になったら、ようやく血が通う、という感じでした。結構、編集は苦労しましたね。 

Q:平田さんは話が上手いですよね。ここまでだったのかという驚きみたいなのは? 
A:一つ驚いたのは、ワークショップをいろんなところでやりますよね。毎回一言一句、同じなんですよ。ギャグまで、ギャグのタイミングまで同じなんです。自分の中で台本があって、使う言葉から表現から、全部一緒なんです。それを入れようかと思ったんですが、そういうところから、やっぱり演じてるとも思いました。

あとは、切り替えの速さですね。これは描きにくかったんですが、一日に4本か5本位の別々の作品を演出したりしているんです。その合間に、プロデュース的なことをやったり、子どもに教えたり、新作を執筆したり、そういうことを5分、10分単位で切り替えていて、すぐにそれに集中できるんですよ。タッタッタッと切り替えて。あれはすごいなと思いました。いきなり寝ちゃうんですよね。

Q:タイミングの合わせ方もすごいですね。子ども達に教えている時でも、合間を縫って、自分の脚本を書いていますね。
A:普通は気持ちを盛り立てないと書けないとかあるじゃないですか。平田さんは、そういうのがないんですよね。10分の間があれば、戯曲だろうとなんだろうと何かしちゃう。合間に何かをやっているというのは、結構、映画的には、描きにくくて、難しかったです。というのは、並列しただけだと、いつなのかわからないんです。たとえば、一日に10件取材があったというのを描くなら、テロップがあれば何時何分と書けば大丈夫ですが、それをただ積み重ねただけだと、いつだかわからないし、次から次へということが実感できません。それがすごく描きにくくて、でも、どうしても入れたかったので、学校でのワークショップ中に、パソコンをあけて、新作を書いているのは、結構、重要なシーンになりましたね。あれが撮れたのは。ああいうふうにバックグラウンドがあって、そこでパパッとやらないと、細かいことが伝わらないんですよ。そのへんが現実のリアルとドキュメンタリーのリアルとの違いでもありますよね。現実のリアルは、時間がずっとつながっているので、それを体感する人は、その時間の中で体感しているわけですけど、ドキュメンタリーは編集というハサミが入ることが前提なので、そのハサミが入ってもなおかつ、それがまとまった時間として感じられるためには、それなりの撮り方と技術、編集の技術が必要なんです。だから、ただ漫然と撮って、漫然と編集しただけでは、そのときの体験みたいなものは再現できません。そこを工夫する必要がありました。

 

【4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~】

Q:芸術家の場合、プライベートな部分や本音とかが商売道具だと思うので、そこにカメラを向けられるのは、商売道具をさらけだすようで、あまり好ましく思われないように思うのですが、平田さんはどうでしたか?
A:平田さんはものすごくオープンな人だから、方法論も全部本で開示しています。平田さんの持論は、演劇というのは方法論を開示したところから始まると。これは『演劇2』にも関わることなのですが、やはり助成金で維持されている集団だということで、彼は24時間パブリックな存在だと思っているふしがあって、隠し事はしない、すべて公開するという透明性をものすごく大事にしています。

Q:劇団員との話合いでも、平田さんは、劇団の財政状況を示して、きちんと台所事情を説明していましたよね。
A:あれが求心力の原点です。皆、同じ意識でいられるというか、結構センシティブな情報でも、全部共有した上で、少なくとも共有したように感じる(笑)レベルまで公開するから、劇団員は、あまり不満を持たないし、持ちにくい。一緒に何かをやっているという感じになるのだと思います。多分。

Q:平田さんは、カメラに向かっても、全部出しますというところがありますよね。逆にカメラ用のパフォーマンスとかはなかったですか?
A:それが微妙なところで、最初はものすごく撮りやすい人だと思ったんですよ。カメラは基本、無視してもらえればと言ったら、本当に無視するんです。こっちがさびしくなるくらい(笑)。だから、最初はこんなに撮りやすい人はいないと思いました。でも、段々撮っていると、「おい、待てよ、この人は、人間とは演じる生き物であると言っていて、しかも、どうしたらリアルにみえるかということをずっとやってきた人で、俳優さんたちも自然な演技をどうできるかをやっていて、今僕が撮っているのは何だろう」(笑)と考えてしまうんです。普通ならドキュメンタリーを撮っていると、カメラを意識しすぎる人はぎごちなくなるか、ハイテンションになって、カメラ向きのパフォーマンスがありありになる。アメリカで撮っていると、そんな人ばかりで、トーンが普段より3オクターブ位上になったり、そういうカメラを意識したふるまいをどうやって普段のものにするかがドキュメンタリストの腕のみせどころなんです。

でも、青年団の場合は、一見、全然演技していないように見える、非常に自然な振る舞い、普通の基準でいえば、素の状態をずっと撮れているような感じがするのですが、でも、「待てよ」と。よく考えると、平田さんの無視の仕方は尋常ではない。稽古する時にも、普通だったら僕が撮り逃さないよう、撮る前に、今から稽古しますよとか、耳打ちするとかあると思うんですが、平田さんの場合は、全然おかまいなしで、結構、稽古も始めちゃうんです。これほどまでに無視するということは、もうカメラがいないことを、いないかのように振舞うことを徹底されているにちがいない、ということが、ずっと経って、今、思えてきて(笑)、その演技の裂け目みたいなものに、こちらはカメラを向けていきたくなるわけじゃないですか。時々それが撮れたんじゃないかという実感がするわけですよね。今のはいつもと違って、怒ってたんじゃないかとか、いらいらしてたんじゃないかなとか、素の感情が見えたような気がする瞬間もあるわけです。だけど、よく考えると、そういう素の瞬間が出たという演技かもしれない(会場爆笑)。

今回、青年団だから、そういうことを考えてしまうわけで、今まで撮ってきた『選挙』であろうと、『精神』であろうと、『Peace』であろうと、理論は同じだったんじゃないかと実は行き着いたんです。つまり、本当のところはわからないんです。いくら徹底的瞬間、素の感情が撮れたと思ったとしても、それはもしかしたら、本当にそうなのかもしれないけど、どこまでそれが、本人の自己演出というものが入っているかどうかはわからないんですよね。もしかしたら、本人ですらわからないかもしれない。もっというと、普段のコミュニケーションというのも、実はそうかもしれない。今、こうして話していますけれども、どれだけ僕のしゃべりに演劇的要素が入っているかはわからないですよね。というか、僕自身もわからないです。なんとなくそれは演技しているところもあるかもしれないし、でも本音を語っているつもりでもあるし、多分、普段の生活でもそうなんじゃないかと。

≪→後半へ≫


ginpei-2.jpg笑福亭銀瓶さん、『高地戦』の見どころを語る

(2012年11月3日(土)シネマート心斎橋にて)

登壇者:笑福亭銀瓶(しょうふくていぎんぺい)

 

(2011年 韓国 2時間13分)

監督:チャン・フン 

出演:シン・ハギュン、コ・ス、イ・ジェフン、リュ・スンリョン、キム・オクビン

2012年10月27日(土)~シネマート新宿、シネマート六本木、11月3日(土)~シネマート心斎橋、11月24日(土)~元町映画館、12月1日(土)~京都みなみ会館

公式サイト⇒ http://www.kouchisen.com/

(C)2011 SHOWBOX/MEDIAPLEX AND TPS COMPANY ALL RIGHTS RESERVED.


 

ginpei-1.jpg【笑福亭銀瓶(落語家)プロフィール】

兵庫県神戸市出身。1988年、笑福亭鶴瓶に入門。

 

2009年、第4回繁昌亭大賞受賞。
現在は大阪・繁昌亭を中心に京阪神、東京で自身の独演会、落語会を開催。
2005年からは韓国語落語に取り組み、毎年韓国で公演を継続。
 OBCラジオ「笑福亭銀瓶のぎんぎんワイド」メインパーソナリティ。

MBSラジオ「こんちわコンちゃん お昼ですょ!」の人気コーナー

「銀瓶人語」は第3刊まで書籍化。

 


 

【作品紹介】

kouchisen-1.jpg1950年6月25日から3年1か月も続いた朝鮮戦争。いまだに社会主義国家の北朝鮮と民主主義国家の韓国の南北に分断された国家は、世界でもここだけだ。その朝鮮戦争の終結間際の、高地での戦いを描いたのが『高地戦』である。山を占拠するため日々一進一退を繰り返し、その山肌は死体で埋め尽くされ、熾烈を極めていた。「何のために戦っているのか?」……双方の兵士がその疑問を抱きつつも、ようやく訪れた停戦協定の日。やっと、やっと戦争が終わった!生き延びられた!と喜んだのも束の間、協定が実行されるのは12時間後だという。最後まで戦い抜いた時点で境界線が決まる。そのために、どれ程の人命が失われたのだろう。弾丸の飛び交う戦地と、作戦本部との大きな温度差。
 

kouchisen-3.jpg戦争がもたらす悲劇は、今までも『太白山脈』『ブラザーフット』『トンマッコルへようこそ』など様々な形の映画で表現されてきたが、本作は、南北の戦士たちの人間性を浮き彫りにすることによって、戦争の空しさ、愚かさ、非情さを、心に染み入るように訴えかけている。戦闘シーンだけではなく、人間性に焦点を当てた描写が特徴的。

 


 

11月3日シネマート心斎橋で公開初日に、落語家の笑福亭銀瓶さんが、映画を見終えたばかりの観客の前に登壇し、韓国の国民性と作品の見所を楽しく語ってくれた。

【笑福亭銀瓶さんのトーク】

今日は平均年齢高ですね~いい映画だったでしょう?(会場から拍手)寒くなかったですか?どうぞトイレ行きたい人は行って下さいね。(と観客を気遣う。)
 

ginpei-3.jpg僕、この頃映画見たら眠たくなるんですけど、この『高地戦』だけは全然眠くなかったですわ! 僕、朝4時半に起きてましてね…別に新聞配達してるワケやないですよ!(笑)ラジオ大阪で「笑福亭銀瓶のぎんぎんワイド」という番組をやってるんですけど…聴いてる人?…いやメッチャ少ない! 朝7時~9時の生放送なんです。その後映画館へ行ったりしてるんですが、予告編始まって館内が暗くなり本編始まる頃には、もうぐ~っと眠たくなるんですよ。でも、この映画は午後1時から試写室で見せてもらったんですが、いつもなら眠くなるところを、最後まで集中して見れました。


ホンマは11月2日~4日は韓国で落語をする予定でしたが、3月に延期になったんで、今日こうして皆さんとお会いできて良かったですわ。(拍手)それにまだ韓国語の落語を覚えてなかったんで、ホンマ良かった!(笑)

 


皆さん、『ワンドゥギ』も良かったでしょう?あの映画に出ていた猫背のお父さん役のパク・スヨンは私の友達なんです。舞台『焼肉ドラゴン』というお芝居では僕もパク・スヨンと一緒に出てたんですよ。彼は僕より年下なんですよ。(え~1?)老けてるけど巧いでしょう?


皆さん、韓国へ行ったことありますか? 僕行く度に思うんですが、韓国の人って、2時開演や!というても、2時から集まり出して、2時15分位にやっと揃うんですよ。食堂行っても、韓国には生ビールがないんで瓶ビール頼んで、「栓抜きちょうだい」っておばちゃんに言うても、黙って壁の方を指さすんですわ。つまり、壁に掛かってるのを自分で取って来い!ちゅうことで、使い終わったらまた指さして、今度は戻せ!という具合に、ええ加減なところがあります。でも、映画に関しては驚くほど緻密なんですよ~!

ginpei-5.jpg


『高地戦』のような映画は、ひと昔前までは描けなかった内容です。南北は善悪ではっきり分けられてましたが、今では友好的な物語が多くなっています。特にこの映画は、『JSA』の脚本を書いたパク・サンヨンが脚本を担当していますので、南北の兵士同士の友好的な光景がまたいいんです。主演のシン・ハギュンは、『JSA』にも出演していましたが、その時は26歳だったんですよね。いまでも情感込めたいい演技してますよね。コ・スもカッコイイし、ワニ中隊の若き大尉を演じたイ・ジェフンがまた良かったですね。仲間を守るため、この戦争を生き抜くため、非情の決断をするところなんかは泣けます。


この映画は、戦争を描いていますが、決して戦争を美化することはせず、戦争がいかにバカげているか、無駄に人の命を奪う愚かな行為であるかを痛切に描いています。停戦協定の調印とそれが実行される時間に12時間も差があるなんて、ひどい話です。やっと戦争が終わったと思ったのに、また12時間も戦うなんて……戦争がいかに無駄なことかを伝えることがこの映画のテーマなんでしょう。
 

ginpei-4.jpgとても迫力のある戦闘シーンですが、CGは殆ど使わず、俳優たちもマジで山を駆け上がったり格闘したりしていたらしいです。ひとつのシーンでも20回もリハーサルしていたというから、その撮影がいかに過酷なものだったかわかりますよね。戦闘シーンも凄いんですが、平和なシーンもこれがとても美しい! 韓国軍の兵士たちが小川で水浴びをするシーンなんて、印象的ですよね。『マイウェイ 12,000キロの真実』も見たんですが、奇跡的に再会したオダギリジョーとチャン・ドンゴンが海岸で一緒に走るシーンが綺麗でしたね~、僕あのシーンで泣いてしまいました。


日本も政治状況次第では戦争になる可能性がゼロではありません。平和な日本を持続させるためにも、このような映画が発するメッセージを真摯に受け止める必要があると思います。今日はどうもありがとうございました。



噺家らしく先ず会場をなごませ、韓国の国民性と映画製作の対称的な点を分かりやすく説明し、そして、作品の見所を一気に紹介するあたりは、さすがだ。当日のお客さんは、いい映画を見たあと、銀瓶さんの 楽しいお話も聴けて、本当にお得感のある映画鑑賞日だったことだろう。
                               
(河田 真喜子)

『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』試写会プレゼント(11/10〆切)

wib-1.jpg日時:2012年11月16日(金) 18:30開場/19:00開映
会場:御堂会館
〒541-0056 大阪市中央区久太郎町4-1-11
    TEL(06)6251-5820(代表)
    FAX(06)6251-1868
    地下鉄御堂筋線本町駅8号出口南へ200m
    地下鉄中央線本町駅13号出口南へ50m  
・募集人数: 5組 10名様
・締切:2012年11月10日(土)
・公式サイト⇒http://www.womaninblack.jp/
2012年12月1日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、T・ジョイ京都 他全国ロードショー
 


ダニエル・ラドクリフ主演最新作
『ウーマン・イン・ブラック(原題)』
全世界で1億2,000万ドル突破! 衝撃のゴシック・サスペンス・スリラー

wib-pos.jpg全米ボックスオフィス初登場第2位。5,500万ドルの大ヒットを記録!
映画史に残るメガヒットシリーズ『ハリー・ポッター』シリーズへの出演で、世界で最も有名な俳優となったダニエル・ラドクリフ。彼が『ハリー~』を卒業後、どの作品に出演するかを世界中が固唾を呑んで見守った。その彼が第一回作品として選んだプロジェクトはイギリスの名門ホラーレーベル、ハマーフィルムがイギリスの作家スーザン・ヒルによる1983年の傑作ゴシック・ミステリー小説「黒衣の女」を映画化した今作である。全米公開は2012年2月3日。2,855館のワイドリリースで2,087万ドル、ボックスオフィス初登場2位を記録。その他イギリスを始め世界各国で大ヒットを記録。ハリウッドレポーター誌によると過去20年間で最も成功したイギリス産スリラー映画となった。そして今作の大成功を受けて続編製作も決定している。

【STORY】
時は19世紀のイギリス。愛妻を亡くした若き会計士アーサー・キップス(ダニエル・ラドクリフ)。その悲しみは、未だに癒えてはいない。しかし、一人息子のジョセフの世話ばかりか、自身の仕事も殆ど手につかず、職を失う寸前の状態だ。そんな彼に回ってきたのが、ある田舎町で最近他界したという女性の、遺産を整理する仕事だった。その人物の館では、奇妙にして不気味な出来事が頻発する。更には、黒い服に身を包んだ女性の人影らしきものを目撃するアーサー。この場所には、絶対に何か秘密がある―。この哀しくも恐ろしい過去の真実を突き止めるべく、アーサーは己のすべてを賭けるが、彼自身の危険だけでなく、息子ジョセフにまでも恐ろしい魔の手が迫って来るのだった―。

2012年/イギリス・カナダ・スウェーデン合作/約95分
監督:ジェームズ・ワトキンス(『ディセント2』脚本、『バイオレンス・レイク』)
脚本:ジェーン・ゴールドマン(『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『キック・アス』)
出演:ダニエル・ラドクリフ(『ハリー・ポッター』シリーズ)
キアラン・ハインズ(『裏切りのサーカス』『ザ・ライト-エクソシストの真実-』)
プロデューサー:ブライアン・オリヴァー(『ブラック・スワン』)
原作:「黒衣の女」(スーザンン・ヒル著)(ハヤカワ文庫NV―モダンホラー・セレクション)

 


kamihate-s550.jpg『カミハテ商店』

(2012年 日本(北白川派)1時間44分) 

監督:山本起也 
プロデューサー:高橋伴明
出演:
高橋惠子、寺島進、あがた森魚

2012年11月10日(土)~ユーロスペース、11月24日(土)~京都シネマ、12月8日(土)~第七藝術劇場、12月15日(土)~神戸元町映画館、他全国順次公開


★作品紹介⇒こちら
★公式サイト⇒ http://www.kitashira.com/

(C)北白川派


 京都造形芸術大学の映画製作集団「北白川派」の第3作「カミハテ商店」が完成し29日、上映予定の大阪・十三の劇場で山本起也監督、プロデューサーを務めた高橋伴明監督、主演の高橋恵子(57)がPR会見を行い“自殺の名所”で雑貨屋を営む女性を描いた風変わりな映画をアピールした。

kamihate-s4.jpg―――北白川派の第3作の意図は?

高橋伴明監督:山本監督になった以上、自分には絶対撮れない映画、自分が見てみたいものを作ってもらいたいと思った。

―――高橋恵子さんは23年ぶりに主演ですが?

高橋伴明監督:当初はもっと老人で達観した人を考えていた、もうちょっと生身の人、人生途中のおばさんがいいかな、ということで「うちのカミさんはどうか」と山本監督に言った。

kamihate-s2.jpg

 

 

―――最初にこの役を聞いた時は?

高橋恵子: 内容を知らずにオーケーした。うれしかった。(伴明監督の前作)「MADE IN JAPAN こらッ!」の時にも声かけてもらったけど、舞台と重なって出られなかったので。

山本起也監督: (恵子さんの起用は)早い段階で聞いたが、恵子さんで映画撮ってヘタなこと出来ない、と考え込んだ。最初は70歳ぐらいのおばあさんと思っていた。ひと晩考えてお願いします、と。

―――脚本読んでどうだったか?

高橋恵子:  わあ難しいな、と思ったけど(主役の)千代さんが描かれてない分、やりがいがあるなと思った。

―――恵子さんに「おばあちゃん」というセリフもあったが。

山本起也監督: 一番違和感があったのは恵子さんかな。映画の最初の方で若い女性2人が言うんだけど、おばさんぐらいの意味ですね。

kamihate-s3.jpg―――北白川派の映画は授業の一環ですか?

山本起也監督: 学生の原案を伴明監督が持ってきた。

高橋伴明監督: (監督は)ドキュメンタリーの人なんで、自殺志願者を見送る人を客観的に捉えられる、と思った。

山本起也監督: ドキュメンタリーも劇映画も、映画の山への登り方が違うだけで、私は大まじめに劇映画を作ったつもりです。千代は、どうしてこんなについてないんだろうという女ですね。

kamihate-1.jpg―――千代というキャラクターについて?

高橋恵子: 撮影しながらも(千代は)どういう気持ちで住んでいるのかな? と想像しながら彼女の闇の部分に入っていく感じで、胃が痛くなった。手掛かりがなく、想像するしかなかった。(冒頭に描かれる)お父さんの自殺が大きかったでしょうね。母の死で本当に一人になって、カミハテ商店をたたむのか、いややっていこう、前向きなものではなくて、自分の中に死ぬことは出来ないという鬱陶しい思いがずっとあった。でも、こんな風に生きていくんだ、ということを千代さんと一緒に探していって、ここで生きていくんだと覚悟が決まった。牛乳配達の若者の自殺を止めたりしてちょっとした変化はありますが。

―――断崖絶壁の絶景には魅せられるが・・・?
山本起也監督: 一目ぼれですね。現場ではテンパってたんであまり覚えてないけど、千代が父を見送った時の角度でずっと押した。そのこだわりは強かった。

―――冬の景色も春の風景もある。撮影日数は?

山本起也監督: ちょうど3週間。インの日はドカ雪で中止になったけど、雪の実景を撮れた。それがだんだん春になっていって、最後の日は春の絵が撮れました。  伴明監督 この映画には映画の神様がついていた、と思う。

kamihate-s1.jpg―――北白川派の映画は、伴明監督の「MADE IN JAPAN こらッ!」の家族崩壊に続いて自殺願望の映画になったが・・・?

高橋伴明監督: そうですね。絶対ほかでは撮れない映画を作りたい。4本目(林海象監督「弥勒」)がもう出来ていて、5本目のあとは学生から脚本、監督を公募したけど、意外なことに応募が少ない。若い人は「責任を取りたくない」という気持ちが強いようだ。

山本起也監督: 映画は団体戦なんで、今の人は苦手なのかもしれない。一人でやるのは好きみたいですがね。映画館で、大勢で映画を見るということも知らない世代ですからね。

(安永 五郎)

 

kikoeteru-furi-s550.jpg『聴こえてる、ふりをしただけ』今泉かおり監督インタビュー
(2012年 日本 1時間39分)
監督:今泉かおり
出演:野中ハナ、郷田芽瑠、越中亜希他
2012年11月3日(土・祝)~第七藝術劇場、京都みなみ会館、12月1日(土)~元町映画館他全国順次公開
公式サイトはコチラ
※第62回ベルリン映画祭ジェネレーションKプラス部門子ども審査員特別賞受賞

kikoeteru-furi-1.jpg母の喪失からはじまる、思春期入口の少女の葛藤が、ここまで静かに、冷静に、そして繊細に描かれることに驚きを隠せなかった。第7回CO2助成監督に選ばれ、本作が初長編作品となる今泉かおり監督の少女たちの目線に立った人物描写が秀逸。主人公サチが母の喪失を受け止めるまでを、友人との関わりや、親戚や先生などの大人との関わりを絡めて表現した「行間を読む映画」だ。

現在は2人の子どもの母であり、看護師の仕事にも復帰間近の今泉かおり監督が、ご主人で同日公開の『こっぴどい猫』監督の今泉力哉監督とお子様を連れてのご家族来阪キャンペーンを決行。たくましい母の顔を見せながら、自身初長編作品となる本作の脚本や演出のこだわりについて、語っていただいた。

━━━元々短編を膨らませて本作の脚本を執筆していったそうですが、主人公のさちを初めどうやってキャラクターを作り上げていったのですか?
今泉かおり監督(以下かおり監督):のんちゃんが理科の授業で脳の話を聞いたとき、おばけが怖くなくなったというのが私自身小学校6年生のときに本当に体験をしたので、それを元に短編を作り始めました。片方はおばけが怖くなくなる子、片方は魂は残ることを信じたい子という話を作ったのですが、短編でなかなかちゃんと表現が出来なくて長編へと直していくうちに、主人公の子に自分のことを投影した感じになりました。

━━━脚本も手掛けられていますが、一番こだわった点はどこですか。
かおり監督:一度書き上げたときは、さっちゃんが橋の上で泣くシーンで終わっていて、半年ぐらい脚本を触らない時期がありました。第7回CO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)助成作品だったので、事務局長の富岡さんに脚本を見ていただくと「その終わり方は無責任だから、もう少し大人として責任のあるストーリーにしなさい」とアドバイスがあり、そこから後ろを考えていったんです。自分の頭では一旦終わっていたので、付け加えるのにすごく苦労しました。

━━━セリフではなく、動きやたたずまい、ちょっとした表情の変化でさちの感情を観客は読み取っていきますが、そういう演出をするのは難しかったですか?
かおり監督:さち役の野中ハナさんとはリハーサルを何回もしましたが、その時に一緒に脚本を読んで、読みながらさちの気持ちを話し合いました。野中さんも話し合ったことを台本に書いて、本番の時に自分なりの演技でやってくれた感じです。そんなに色々言わないで、野中さんの感じるように演じてもらい、ちょっと動きが早いとか、間が短いという指摘はしましたが、そこまできっちりはしなかったです。

━━━子どもの中に生まれる鬱屈した感情も描かれていましたが、監督の中にも子どもがただ「純粋で希望に満ちている存在」だけではない部分を浮き彫りにしたいという気持ちはあったのでしょうか?
かおり監督:5年生の女の子は男子よりも大人っぽくて、私自身も友達に嫉妬したことがあります。でもそんなことを忘れてただきれいなことだけを書くのは、私はそういう映画を観ると「いやだな」と思ったりするので、きたないところも持っていて、そこを描くのが正義かなと思っています。

kikoeteru-furi-s1.jpg━━━「お母さんが見守ってくれているよ」という大人たちの声掛けがとても空々しく聞こえましたが、徹底的に少女目線で描く中で、周りの大人に対してはどういう描き方をしようとされたのですか?
かおり監督:私も12歳の頃父が病気になり、なかなか気持ちを消化しきれないまま引きずって大人になったのですが、幸せなファンタジックなものを否定することで少し楽になる部分がありました。そういうのがなく、普通に真っ直ぐに大人になった人は、逆にファンタジーな部分をないと分かっていながら、どこかでまだあると信じて大人になっているんです。

そういう真っ直ぐな人は多分幸せだと思うし、世の中の多くの人はそうなのですが、そういう人は逆に子どもの時の感情をあまり覚えていない気がします。だからおばさんや、先生は真っ直ぐに大人になった人という設定で、慰め方も決して悪意のある慰め方ではなく「正しい慰め方」なんです。100%子どものときに戻って、さっちゃんの気持ちになって慰めることはできないけれど、大人としての正しい言葉をただ言っているだけという感じにしました。

━━━一方、さちの父親はさちを支えるはずが、自分が病んで会社にも行けず引きこもってしまいますね。
かおり監督:お父さんのキャラクターは、私が5年生のとき父が病気になったときは、私や兄より母が一番精神的に落ち込んでいたところから着想を得ています。子どもは分かっていない分平気でいられるけれど、大人の方が将来のことを考えたり、責任の重さで潰れていってしまうということを、私も大人になって気付いたので、キャラクターに反映させました。

━━━出産を経験したことで、書き足したというラストの展開に影響した部分はありますか?
かおり監督:自分が母親になると、母親としての責任感が生まれた気がします。最初泣いて終わるストーリーにしていたときは、大人の自分から見て「泣けてよかったね」と思っていたのですが、実際この子が大きくなってよかったとは思えないだろうなと考えたときに、さっちゃんの状況は変わらなくても、彼女自身が強くなり、お母さんも残せるものがあるようにしていきました。

━━━力哉監督は、かおり監督の作品を見て、どんな感想を持たれましたか?
今泉力哉監督:脚本を書くのが大変そうでした。また撮影中もまずスタッフがいないので、助監督や撮影などメインどころは自分の組の人が入っていて、初日終わって帰ってきたとき「今日、3シーン撮りこぼした」、翌日も「2シーン撮りこぼした」、3日目も「何シーンか撮りこぼした」と言っていたので、終わらないよと話をしていました。それだけこだわっていたんですね。

自分の中で明確にやりたいことがあるのに言葉が身についていなかったり、スタッフの方が経験があったり、スタッフも男性が多かったので細かい描写は「いや、別にこれでもいいんじゃないですか」と言われたこともあったみたいです。でも細かいところも散々こだわったのは、観た時そうなってるなと思ったし、スタッフも終わった直後は「本当、大変でしたよ」って言ってましたが、出来上がりをCO2で観た時に、「今泉さんも、ちゃんとやりましょうよ!」って言われたりしました。(笑)

嫁は普段は監督といっても看護師をしていて、この作品もちょうど育児休暇やCO2があったから撮れたけど、次いつ撮れるかわからない覚悟も見えたし、演出もすごくしっかりして観ていてすごいと思いました。あと、嘘や単純にみんないい人みたいな、そういう映画やドラマの嘘が嫌いなのは僕と共通していますね。


大事な人を失ったとき、人はその喪失にどう向き合っていくのか。周りはどう支えていくのか。母が大事に育ててきた花は、もう一つの命のモチーフのように、母の死を受け止めたさちの心を照らす。積もったほこり、触れなかった母のエプロン、そこにそっとふれる指先にまで気持ちの入った静かに主張する演技が、観るものを最後まで掴んで離さなかった。喪失を受け止める永遠のテーマを少女の目線で表現した今泉かおり監督。映画監督の妻、二児の母として子育て、看護師の仕事を続けながら、ライフワークとして映画を撮り続けるという強い意志が同じ女性としても頼もしく映る。自身のキャリアを積み重ねることで、今泉かおり監督にしか撮れない作品を今後も生み出してほしい。(江口由美)

 

koppidoineko-s1.jpg『こっぴどい猫』今泉力哉監督インタビュー
(2011年 日本 2時間10分)

監督:今泉力哉
出演:モト冬樹、内村遥、小宮一葉他
2012年11月3日(土・祝)~第七藝術劇場、京都みなみ会館、12月15日(土)~元町映画館他全国順次公開
公式サイトはコチラ

テレビ、舞台でも人気のエンターテイナーモト冬樹生誕60周年映画を手がけるのは『たまの映画』をはじめ、ドキュメンタリータッチの手法とダメ恋愛映画に定評のある今泉力哉監督。本作でもモト冬樹演じる主人公の小説家高田を取り巻く総勢15人の男女の恋愛模様が時にはリアルに、時にはシニカルに綴られ、クライマックスの還暦パーティーまでもつれ込んでいく様は圧巻だ。

奥様で『聴こえてる ふりをしただけ』の今泉かおり監督とお子様を連れてのご家族来阪キャンペーン、後半は今泉力哉監督に、モト冬樹さんの撮影エピソードや、ダメ恋愛映画を描く理由についてお話を伺った。

━━━モト冬樹さん生誕60周年を作るとなったとき、緊張しましたか?
今泉力哉監督(以下力哉監督):プレッシャーはありましたし、光栄なお話だったのですが、普段でも脚本を書くのが遅いのに、今回は全く書けなかったんです。最初昨年の4月末までに第一稿を書き上げてくれと言われて、何も書いてないのに近い状態で5月末が過ぎ去り、「一度モトさんと飲ませてください」とお願いして、ご一緒する場を設けてもらいました。モトさんは自分の過去の作品も観てくださっていて、ドキュメンタリーみたいだと面白がってくれて、そのときに「今回一緒にやって失敗しても、もう一回やればいいから」と言っていただいたのです。もう一回なんてあるんだ、ありがたいと思って、新しいことや特殊なことではなく、今まで自分がやってきたダメな若者の恋愛映画にモトさんを入れようという感じで進んでいきました。

━━━監督は現在仕事もプライベートも順調ですが、毎回ダメな恋愛を描くのはなぜですか?
力哉監督:今は結婚もしていますが、全然もてなかったり、彼女もできなかったりしたときに、世の中のカップルや夫婦などうまくいっている人たちへの嫉妬がありました。実際どちらかが好きで、どちらかが思われている関係の方が多いと思っていて、その二人の差を描くのに二人だけで描くことにも憧れはあります。でもまだ自分の力量でできないと思った時に、分かりやすく浮気相手とか第三者を置くことでその差を表していったのが一番最初で、未だにそういうことに興味はあります。

あと、今まである男と女が出会って、ロミオとジュリエットだと身分の差などの障害があって結ばれる/結ばれないという恋愛映画ではなくて、結婚していたり、つきあっていたりという状況下で起こる問題を乗り越えるか乗り越えないかというところ、つまり最終目標が達成や結婚ではなく、それが現状維持みたいなもっと現実に近い問題を描きたいです。

koppidoineko-1.jpg━━━モト冬樹さんに「これは言ってほしいけど、書けない」といったセリフはありましたか?
力哉監督:ハゲネタは書かなかったけれど、モトさんがアドリブで言ったシーンがありましたね。大分前には脚本に書いたと思うのですが、最終稿には入れませんでした。今までのモトさんのイメージといえば、派手な、どちらかといえば三枚目の役や、わざと笑わせたり、髪のネタですが、そういうのではない今までの自分(今泉監督)がつけてきた芝居でやってほしいというのがありました。モトさんも過去の作品を見てくれた時点で「ぼくも新しい挑戦だ」と言ってくれていたので、あまり細かい演出もせずに、あの芝居をしてくれました。 

━━━モト冬樹さんはインディーズ映画の現場は初めてだそうですが、撮影現場ではどんな感じでしたか? 
力哉監督:モトさんは自主映画のような規模感の映画を全くやったことがない方なので、普通は当日脚本差し替えなどもなく、きっちりしているものなのですが、インディーズの映画ってこういうものだなと思われたのではないでしょうか。私は台本も差し替えたり、現場でもセリフを変えたりするので、モトさんは「そっちの方が正解だよね」とすごく言ってくれていて、準備していて気持ちが乗らないのに縛られていくよりは、直した方がいいと言ってくれていたので意見が合ってよかったです。  

━━━この映画で一番美味しいなと思ったのが、監督が演じたガン患者の役ですが、元々ご自身で演じるつもりだったのでしょうか?  
力哉監督:周りから「自分でやれば」と言われていたし、あのシーンはメインの家族の話があって、さらにその周りのサブエピソード的な第二陣がいて、さらにその外の話なんですが、私はサブエピソード好きなんですね。群像劇がもとから好きなこともありましたし、あと今邦画は感動作とか余命映画とかがあまりにも多くて、それが嫌で、そういうことへのわざとネタとして使って「死なない」ようにするとか。あとスキンヘッドする人はいないだろうなとか、一番病人が似合うのは自分だろうとか。出たがりでもあるんですね。自分の映画だと失敗しても切れますし。

koppidoineko-s2.jpg━━━あそこからナレーションでいきなりクライマックスにつなぐ展開も新鮮でした。
力哉監督:台本にはもちろんなくて、現場で当日書いていて、撮影していく中で病院で自分が病気でないと分かり、その次のシーンでモトさんが退院した日常というより、いきなりモトさんのパーティーシーンでいけるのではないかと。でもつながりが微妙かもしれないので、文字テロップではなく言ってしまうかと。いきなり登場人物が語りかけるみたいなウディ・アレン的なのも好きですし、興味があるのでやってみたいというのはありました。

━━━還暦のモト冬樹さんに小学生の喧嘩のような口ぶりで「ばーか」と言わせるのは、今泉監督ならではですね。
力哉監督:さんざんいい大人として全ての家族をまとめようとしてきたのに、最後に子どもに戻ってしまう。すごくお世話になっている『私たちの夏』の福間健二監督が還暦映画をやろうとしていたと噂を聞いて、監督曰く「20年が大人から子どもに戻るくぎりだとしたら、還暦は3度目の子どもがえり」と本で読んだ気がしますが、還暦の赤いちゃんちゃんこも「赤ちゃん」という意味なので、着た瞬間いきなり子どもに戻っているなと。ここでいつものモトさんができることももちろんやってもらいましたね。ギターや演奏もそうだけど、サービスではなく、ストーリーに自然に入れたいと思いました。

━━━夫婦で映画監督をすることの良い面を教えてください。
力哉監督:良いところは脚本を書いたら必ず相談できる相手ですし、自分の家で撮影したり、さらけだしたりすることに対しての理解があったり、それは嫁の性格だからだと思いますが。あと、夜遅いとか、付き合いの飲みがあることにも理解はあるのでそこはいいと思います。

━━━お子さんが二人生まれたことで、描くテーマに変化は出てきていますか?
力哉監督:結局自分から出ているもので、どんなジャンルにしても自分にしか作れないものでないと意味はないと思っていて、子どもができてからとかは、夫婦の話や、中の話も変わってきていると思っています。モトさんと映画をするというときに、家族の話をやりたいと思ったのも、そういう実生活の影響はあるでしょうし。

結婚する時思ったのは、本当にモテたいという憧れから始まっているので、ハングリー精神じゃないけど彼女いないとか、バイトがキツイというところのモチベーションで映画を作ってきたので、正社員で結婚して子どももできて、どんどん安定していったときの不安もありました。どちらかといえば映画を作らなくてもいられるタイプなので、映画を作らないといい状況になっていると思ったときに、正社員で、結婚して、子どもを作ってという追い込まれ方もあるぞと。結局相変わらず映画を作っていますが、自分が脚本も監督もする場合は自分にしか作れないものをという想いは未だにあるし、そうでないとダメかなと思っています。


タイプは違えど「嘘」ではない本音の部分を描くという点で、夫婦共通の価値観を持っている今泉監督夫妻。かおり監督がお気に入りの周りを振り回す小夜と高田の関係をはじめ、心憎い演出が随所にほどこされ、モト冬樹の魅力が存分に引き出されている恋愛群像劇。抱腹絶倒のクライマックスをお見逃しなく!(江口由美)

『シャドー・チェイサー』特製クリップ型デジタル クロック プレゼント!

shadow-pre.jpg板挟みにあいながら、時間に追われる現代人には必需品!?
メモなどが挟めるクリップに時計が付いた“特製クリップ型デジタルクロック”プレゼント!

・募集人数: 5名様 
・締切 :2012年11月11日(日)
・公式サイト⇒ http://www.shadowchaser.jp/

2012年10月27日(土)~有楽町スバル座、新宿ミラノ、大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、109シネマズHAT神戸 他全国ロードショー


豪華スター競演で贈る、息も付かせぬサスペンス・アクション!
ヘンリー・カヴィル×シーガニー・ウィーヴァー×ブルース・ウィリス

監督:マブルク・エル・メクリ(『その男、ヴァン・ダム』)
出演:ヘンリー・カヴィル(『インモータルズ‐神々の誓い‐』)シーガ二―・ウィーヴァー、ブルース・ウィリス、ロジェ・ゼム

2012/アメリカ/原題:The Cold Light of Day/93分
(C)Fria Luz del Dia, A.I.E. 2011, Artwork (C)2012 Summit Entertainment, LLC, All Rights Reserved.

幸せは一瞬にして崩れ落ち、父親の秘密が絡んだ国家を揺るがす陰謀に巻き込まれていく―。豪華スター競演で贈る、ノンストップ・アクション巨編!

shadow-2.jpgスペインで家族と久々の再会を果たしたウィル(ヘンリー・カヴィル)。しかし、家族が突然誘拐されてしまう。愕然とするウィルの前に父親のマーティン(B・ウィリス)が現れて、「自分は実はCIA工作員である」と驚くべき事実を告げる。そして政府間の事件に巻き込まれたことが原因で家族が拉致されたことを知り、ウィルは衝撃を受ける。マーティンは同じくCIA工作員のキャラック(S・ウィーヴァー)に現状を打破すべく連絡するが、待ち合わせ場所でマーティンは狙撃され、魔の手はウィルへと及ぶ。スペイン国家警察、CIA、そして謎の組織にも追われ、家族を救う猶予は24時間もない。ウィルは己の本能だけを頼りに国家間の陰謀の渦中へと身を投じていく―。

新通提供

shadow-1.jpg『シャドー・チェイサー』プレスシート プレゼント

・募集人数: 5名様 
・締切 :2012年11月11日(日)
・公式サイト⇒ http://www.shadowchaser.jp/

 2012年10月27日(土)~大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、109シネマズHAT神戸 他全国ロードショー


豪華スター競演で贈る、息も付かせぬサスペンス・アクション!
ヘンリー・カヴィル×シーガニー・ウィーヴァー×ブルース・ウィリス
 

     監督:マブルク・エル・メクリ(『その男、ヴァン・ダム』)
出演:ヘンリー・カヴィル(『インモータルズ‐神々の誓い‐』)シーガ二―・ウィーヴァー、ブルース・ウィリス、ロジェ・ゼム

2012/アメリカ/原題:The Cold Light of Day/93分
(C)Fria Luz del Dia, A.I.E. 2011, Artwork (C)2012 Summit Entertainment, LLC, All Rights Reserved.

幸せは一瞬にして崩れ落ち、父親の秘密が絡んだ国家を揺るがす陰謀に巻き込まれていく―。豪華スター競演で贈る、ノンストップ・アクション巨編!

shadow-2.jpgスペインで家族と久々の再会を果たしたウィル(ヘンリー・カヴィル)。しかし、家族が突然誘拐されてしまう。愕然とするウィルの前に父親のマーティン(B・ウィリス)が現れて、「自分は実はCIA工作員である」と驚くべき事実を告げる。そして政府間の事件に巻き込まれたことが原因で家族が拉致されたことを知り、ウィルは衝撃を受ける。マーティンは同じくCIA工作員のキャラック(S・ウィーヴァー)に現状を打破すべく連絡するが、待ち合わせ場所でマーティンは狙撃され、魔の手はウィルへと及ぶ。スペイン国家警察、CIA、そして謎の組織にも追われ、家族を救う猶予は24時間もない。ウィルは己の本能だけを頼りに国家間の陰謀の渦中へと身を投じていく―。

    

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~合言葉は『神戸で映画を!』、一味違う新企画も登場!~

 阪神淡路大震災に見舞われた1995年からはじまった神戸100年映画祭が、今年で17回を迎える。新長田ピフレホールをメイン会場に幅広い年齢層の市民ボランティアによって運営される心のこもった映画祭。神戸にゆかりのある映画を中心に、多彩なゲストを迎えたトークショーや、「淀川長治メモリアル」と題した懐かしの名画上映など、最新作を競って上映する他の映画祭にはないユニークなプログラミングに注目している映画ファンも多いことだろう。

 11月2日(金)に開催されるトークショーに登場するのは、2005年に引き続き2回目のゲストとなる女優香川京子さん。黒澤、小津、溝口といった往年の名監督のほとんどと仕事をした経験を持つ香川さんに、映画黄金期の思い出をたっぷり語っていただく他、香川さん出演作品の『東南角部屋二階の女』、そして黒澤監督作品の『まあだだよ』の上映も見逃せない。

 そして、今年は親子で楽しめる特撮ヒーローが登場!現代の特撮ヒーロー『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』に加え、往年の特撮ファンにはたまらない『モスラ』が11月3日(土)に上映される。「日本の特撮と円谷プロ」と題した特撮トークショーも開催予定だ。

 翌週の11月9日(金)~11日(日)は、神戸アートビレッジセンターで恒例となった「淀川長治メモリアル」を開催。この2月に亡くなった昭和を代表する名女優淡島千景さんの追悼上映として、生誕100年の今井正監督作品『にごりえ』を上映。名作『第三の男』では淀川さんの解説映像が楽しめる他、『地下室のメロディー』、『死刑台のエレベーター』、『赤い靴』が上映される。同時開催されるのが、「未来の神戸映画プロジェクト」と題した神戸芸術工芸大学×京都の映画制作上映団体「月世界旅行社」によるコラボ上映企画。オリジナル作品の上映に加え、本映画祭のために「異色のヒーロー」をテーマとして双方で制作した短編がオムニバス作品として登場するなど、同映画祭の新しい一面が垣間見れる。

 最後に、NPO神戸100年映画祭通信第60号より、今年の映画祭の見どころやその想いが込められたコラムを紹介させていただきたい。


 あれっ、今年はちょっと違うのかな? そう思ってもらえたら、実行委員会で話し合いを重ねた甲斐があったというものです。

 映画祭は17回目。会員数も減少を続け、新しいファンを発掘できていません。苦しい状況が続く中、新顔の実行委員も加わった会議により、少しだけ違った趣向を導入することにしました。

 例年の作品選定では往年の名作や近年の秀作ばかりを選んできましたが、今年は「特撮映画」2本も上映します。「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」は神戸でたっぷりロケした作品。また、ザ・ピーナッツの伊藤エミさんが亡くなった今年6月にも話題になった「モスラ」は、今年のメーンゲスト香川京子さんの主演作です。放射能に汚染された南の島から来た怪獣という設定は、いまの社会に通じるテーマでもあります。

 香川さんは2005年にもゲストで来ていただきました。今回は黒澤作品など出演作3本を上映します。日本映画の黄金期を知る女優ならではのお話をうかがうのが楽しみです。もしかしたらトークショー以外でも舞台上に顔を見せていただけるかもしれませんので、ぜひ3作とも見ていただければと思います。

 もうひとつ、新しい企画が「未来の神戸映画プロジェクト」です。若い映像作家を応援していく取り組みは、地域で映画祭を続けていくことと決して無縁ではないでしょう。新鮮な感性が生み出す映像が楽しみです。

 そして「淀川長治メモリアル」では、色あせぬ名作の数々がスクリーンによみがえります。古きも新しきも、どちらも追い求めたい。私たちがこだわりたいのは「いい映画を見たい」という欲求だけです。(代表理事・石田雅志)


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