「京都」と一致するもの

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『あいときぼうのまち』菅乃廣監督、井上淳一さん、大島葉子さんインタビュー
(2013年 日本 2時間6分)
監督:菅乃廣 
脚本:井上淳一
出演:夏樹陽子、勝野洋、千葉美紅、黒田耕平、瀬田直、大島葉子 ほか
2014年6月28日(土)~テアトル梅田、今夏京都シネマ、元町映画館他全国順次公開
※テアトル梅田公開初日、菅乃廣監督、千葉美紅さん、夏樹陽子さん、黒田耕平さん舞台挨拶予定
※大阪アジアン映画祭2014メモリアル3.11部門入選
 ドイツ・フランクフルトNippon Connection2014 Nippon Visions部門公式出品作品
(C) 「あいときぼうのまち」映画製作プロジェクト
 

~70年、4世代から浮かび上がる原発を背負わされた福島の闘い、そして未来~

 
1945年、福島県石川町で行われていた学徒動員によるウラン鉱石採掘から、1966年福島県双葉町での原発建設反対運動による町民同士の軋轢と運動の終焉、そして2011年福島県南相馬市に押し寄せた東日本大震災による津波と原発事故による肉親の死、東京への避難生活・・・。4世代70年に渡って描かれる原子力エネルギーをめぐる抵抗と翻弄の歴史の中で、抵抗する人もいれば、従う人もいる。震災後様々な形で3.11が映画の題材となっているが、福島の人々や変わりゆく街を真摯に見つめているのが印象的な『あいときぼうのまち』は、過去から現在への流れが体感できる野心作だ。監督は福島県出身の菅乃廣。脚本は『戦争と一人の女』で監督デビューを果たした井上淳一。夏樹陽子、勝野洋をはじめ、『戦争と一人の女』にも出演している大島葉子も井上作品で再び出演を果たしている。
 
3月の大阪アジアン映画祭2014メモリアル3.11部門上映でも好評を博した本作の菅乃廣監督、井上淳一さん、大島葉子さんがキャンペーンで来阪し、70年に渡る福島と原発の歴史を描く本作の企画~脚本が出来上がるまでの経緯や、福島原発問題を扱った作品に役者として出演することの意味、タイトルに込めた狙いについてお話を伺った。
 

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―――企画のきっかけは?
菅乃:2011年福島第一原発の1号機、3号機が爆発する事故が起き、僕はその映像をテレビで観ていました。僕は福島県二本松市出身ですが、大学以降はずっと東京に住んでおり、故郷を捨てたような感じになっていたのです。でも、爆発の映像を観て、福島に対する思いが強くなりました。故郷を舞台にした映画を作りたいと考えたとき、原発の問題を避けて通ることはできません。それが今回の『あいときぼうのまち』に繋がっていきました。
 
―――「これを映画にしなければ」と感じたのでは、いつですか?
菅乃:爆発の映像を観てすぐですね。本格的に動き始めたのは2011年の夏です。最初は1970年ぐらいに書かれた『原発ジプシー』という原発労働者を題材にした本を原作にと考え、今回脚本を担当していただいた井上さんに相談しました。色々検討した結果、今回はオリジナル脚本で行く方向性となったのです。
 
―――1945年から2012年まで、70年弱という非常に長いスパンで、福島の4つの時代を取り上げ、脚本にしようと考えた理由は?
井上:3.11を経験して、モノを表現する人は皆、これからは3.11後を意識しなければと思ったはずです。ただ実際には苦労しました。原作と考えていた『原発ジプシー』は原発労働の詳細を描いているので、原発の中でロケができないとなると、セットを作らなければなりません。台詞にも書きましたが、「原発は最新技術で作られているけれど、やっていることは格差社会の底辺の人による人海戦術」なのです。このままではそのテーマが立ち上がってこないので、一旦ふりだしに戻りました。
 

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―――なるほど、原作から離れて、オリジナル脚本が立ち上がるまでに、紆余曲折があったのですね。

井上:最初は現在だけを描こうと思っていましたが、本当にこれが福島の人に届くのか、被災者目線に立っているのかと考えたとき、立ちすくんでしまったのです。そのとき、たまたま新聞で読んでいたウラン開発の記事を目にし、車で福島まで行ったときのことを思い出しました。そこで、東京と福島は地続きであることに改めて気づいたわけです。津波被害も、ほんのちょっとの高低さで建物が残っている場所もあれば、全て流された場所もあり、そこにいたのが僕でもおかしくはなかった。ウラン採掘の石川町に寄った時も、土地だけでなく時間も地続きなのだと思ったのです。ウラン採掘の問題を取り入れることで、他の3.11を扱った映画と差別化を図れるし、ドキュメンタリーにはないフィクションの視点を獲得できるのではないかと考えました。また監督からは、66年原発反対運動が潰れていく様も描いてみてはとアドバイスをいただいたのです。そうすれば、全体的なテーマとして、国家及び国家的な政策によって蹂躙(じゅうりん)された命や尊厳を奪われた人たちの歴史が描けるのではないか。そういう発想で書き上げていきました。

―――時代をクロスさせるような作りにした狙いは?
井上:我々が描くべきものは人間です。10年ぐらい前からメキシコの脚本家、ギジェルモ・アリアガ(『バベル』脚本を担当)は時制を入れ替えて書いています。ある時期から、ふつうの時間軸だけではこの世の中を捉えられないと、世界中の作家が感じたのだと思います。福島の被災者といっても色々あるわけで、それらを含めて包括的にやるためには、時間軸を入れ替えるしかなかったのです。
 

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―――現在の東京が舞台の場面では、井上さんご自身を投影した役もあるそうですね。
井上:僕は被災地ボランティアに行かず、募金をしてしまうとそこで完結してしまうような気がして、それもできずにいました。「絆」、「がんばろう」、「一人じゃない」という言葉への嫌悪と相まって、何もできずに半年経ち、現地を見に行くことしかできない。カッコつけて言えば、そういう自分を、「引き受けて」書くことしかできないのです。僕を誰に重ねたかといえば、福島から避難して東京で暮らしている高校生、怜が渋谷で出会った募金詐欺の「俺はライターだ」と言う男です。何もしていないように見えて、僕の視点はあそこなんですよ。だから怜は彼だけに「死ねばいいのに」とむき出しの言葉を投げつけられるのです。そういう意味でいえば、僕がしたのは福島のことを書きながら、福島から今の日本を映すことを書いているのです。
 
―――怜と募金詐欺の沢田は、「うそなんでしょ」という言葉をお互いに投げあう姿が現在の若者たちを象徴しているようにも見えました。
井上:家族全部死んだというのは嘘だけど、ほかのことはたぶん彼女が体験してきたことなんですよね。嘘に任せるから本当が言えるという部分が人間にはあると思います。僕はいつも書くときに、本当か嘘かを考えます。その中で人は揺れるのではないのでしょうか。
 

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―――本作にオファーされたときや脚本を読まれたとき、大島さんはどんな感想をもたれましたか?
大島:作品を観ている人は役者を観ているので、出演するということは責任を持たなければいけないと思い、しっかり脚本を読んだ上でお受けしました。私も(表現者としての)責任があるということを口実に、震災後何も行動を起こさなかったのです。自分の中で「何かしなければ」と思いつつも、何もできなかった。でも、今回この脚本をいただいて、ここで一歩何か話せるのではないか。参加することによって、私も何かできるのではないかと思いました。
 
―――実際に出演されて、ご自身の中で変化はありましたか?
大島:3.11以降は福島を題材にした作品がたくさん作られており、原発を題材にして撮ることに対して、それに便乗しているのではないかと悪く言う声もたくさん耳に入ってくるので、それを知った上で自分で何かをすることに覚悟は要りました。また、周りの役者仲間は福島での撮影を断っている方もいらっしゃるのは事実です。でも、自分がどういうふうに福島にかかわっていきたいかという意味で、この作品に参加することがいいきっかけになりました。参加してよかったと思っています。
 
―――大島さんは、愛子の母役(原発建設による土地買収に最後まで応じなかった夫と娘を残して家を出てしまう)を演じています。登場シーンは少ないですが、最後に夫に対して「ごめんなさい」と言うのがとても印象的でした。
大島:自分に対して、夫に対して、娘に対して、そして全てに対しての「ごめんなさい」だと思っています。家を出ざるを得なかった彼女の行動は必ずしも悪いことではないと思います。自分がその時代に暮らしていて、その立場であれば家を出たかもしれない。だけど、そういう自分に対しての葛藤もあり、娘にも「自分のところに来てもいいのよ」と声をかければ、夫の本心を聞いてやっと全てを口に出して謝ることができたのです。とても感情的に難しい役でした。
 

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―――原発誘致に反対して土地売却の話を断りつづける家族、仕事での被ばくによるガンで息子を亡くした家族、3.11後の東京で祖母を津波で亡くした責任を感じながら生きている少女など、それぞれの時代のむしろマイノリティーになっている人々を描いていると捉えることもできますね。
大島:本当に個人的な自分の中のことを客観的に出す。ここに出てくる登場人物ではなくても皆それぞれ持っている事実で、たまたまそれを象徴的に全部の中で描かれているという意味では、私はそれは特別なことではないと思います。
菅乃:2011年の被災があり、その後に福島ナンバーでコンビニに入ろうとしたら断られたり、福島から東京に避難してきたら学校で色々言われたりしたという話を聞きました。3月11日を境に、福島というだけで差別される人間になってしまったのかと思うとすごくショックで、自分が難民になったような気持ちがしたのが、今回の映画の一番の動機につながるところです。今までふつうに過ごしていたのに、いつの間にか差別される人間になってしまったという思いがずっとあります。誰でも何かのきっかけで差別のような待遇を受け、理不尽な思いを受けるのではないか。物語の中にも若干そういう匂いが出ればいいかなと思っています。
井上:原発事故後、いまだに故郷に帰れない人が20万人もいる中で、彼らのことを考えることなく、平然となかったように原発稼働を押し進めることが僕には分からないのです。まるで子どものように「訳がわからない」と感じることが、僕がマイノリティーに仮託したり、彼らを描いてしまうことなのだと思います。そして、それをマイノリティー的視点というのならば、その視点こそが、危うい方向に突き進んでいく世の中をギリギリつなぎとめる水際の闘いができるのではないでしょうか。
 
―――最後に、『あいときぼうのまち』というタイトルに込めた想いを教えてください。
井上:大島渚さんは、デビュー作で階級差は決して埋まらないという話を書き、最初は『鳩を売る少年』というタイトルにしました。地味だからと『怒りの町』に変更したけれどそれも却下され、最終的には『愛と悲しみの街』で会社と合意したら、翌朝刷りあがってきた台本には『愛と希望の街』と書かれていて、愕然としたそうです。結果的に、大島さんは愛も希望もない街としかとれないような作品に仕上げたということが頭にありました。それでどうしてもこのタイトルを付けたかったのです。大島さんの作品から55年たち、階級差や愛と希望のなさがより見えにくくなっているので、ひらがなにしたら見えるのではないか。また、こういうインディーズ映画はなかなか世間には届かないので、大島さんのタイトルで響いてもらえるのではないか。そして、大島さんが亡くなった今、大島さんの椅子は空いているので、誰か座りにいかなければ席そのものがなくなってしまう。そういう意味も込めています。社会的には愛も希望もないけれど、個人個人については愛と希望をもってほしいし、これからを生きる怜には愛と希望を持ってほしいと思って脚本を書きました。
(江口由美)
 

sutegataki-s-550.jpg素直さで人間の業に迫る!『捨てがたき人々』榊英雄監督(44)インタビュー

(2012年 日本 2時間03分)
原作:ジョージ秋山
製作・監督:榊 英雄  製作・脚本:秋山 命
出演:大森南朋、美輪ひとみ、美保 純、田口トモロヲ、滝藤賢一、内田滋

2014年6月14日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、京都シネマ、7月12日(土)~元町映画館 他全国順次公開

★作品紹介は⇒ こちら
★公式サイト⇒ 
http://eiga.com/jump/QDXiy/

(C)2012「捨てがたき人々」製作委員会


 

~多様な人間性があるからこそ愛おしくなる“捨てがたき人々”~

 

sutegataki-550.jpg 長崎県五島を舞台にした『捨てがたき人々』は、生きることを否定しながらも欲望むき出しに女にすがりつく男の生き様を通して、「何のために生まれ、何のために生きるのか」を、いまを生きる我々の心情に、根底から突き動かすような勢いで問い掛けてくる。ジョージ秋山の原作に共感した榊英雄監督が、ジョージ秋山の息子の秋山命と共に製作し、脚本は秋山命が担当。二人は同じ年の双子座生まれ。製作時期が丁度厄年にあたり、この作品に今までのオリや不祥をすべてぶつけて、これからの人生を新たにスタートさせるキッカケにしようと思ったらしい。そこには、榊監督自身の個人的なバックグランドが強く反映されているというから、本作への想いはより深くて強いものがある。

 【STORY】
sutegataki-2.jpg 金も仕事も家族も希望もなく、「生きるのに飽きちゃった…」と、人生に行き詰まって故郷に戻ってきた勇介(大森南朋)。誰もがよそ者の勇介を警戒する中、弁当屋の顔にアザがある京子(三輪ひとみ)だけはいつも明るく微笑み掛けてくれた。京子は、乱暴されても人懐こく勇介の世話をするうちに、いつの間にかなしくずしに体を重ねるようになる。そして、京子は身籠り、勇介は京子が信奉する教団幹部経営の水産加工会社で働くようになる。そこでは、教団幹部の不倫や自殺騒ぎなど、ドロドロとした人間の欲望を目の当たりにする。

 愛のない両親から生まれ、劣悪な環境で育った勇介は、はじめは京子の妊娠を喜ばなかったが、それでも男の子の父親になったのだ。10年が経ち、勇介は京子の叔母であるあかね(美保純)とも関係を続けており、京子は顔のあざを化粧で隠すようになっていた。息子は成績優秀な子に育ったが、自堕落な父親を毛嫌いし反発していた。まるで自らの生い立ちを辿るかのような現状に驚愕するのだった…。


 【榊英雄監督のプロフィールについて】
sutegataki-s-2.jpg1970年、長崎県五島市出身。福岡の大学卒業後、ダンサー目指して4月に上京。6月に「ぴあスカラシップコーナー」で古厩智之監督の『この窓は君のもの』の主演男優募集に応募し合格。8月には撮影に入るという、ラッキーなスタートをきる。ところが、その後7年間は暗黒時代で、年中バイトに明け暮れる日々だったという。そんな時、俳優仲間との宴席で売れっ子の俳優にケチを付けていたら、女優の片岡礼子に、「カッコ悪いわね、英雄君。他人を批判・中傷する暇があったら、自分で脚本書いて監督すれば、自分で主役ができるでしょう!」と言われ、それで奮起して撮ったのが、『“R”unch Time』(‘96)だったそうだ。

それから数年後、TSUTAYAのレンタルポイント懸賞で3位に入賞し、授賞式で1位を獲った北村龍平監督と出会い、『VERSUS-ヴァーサス-』(‘01)への出演依頼を受ける。もう諦めて田舎に帰ろうと思っていた矢先のことで、北村監督から「次でダメだったら田舎へ帰ればいいじゃない」と諭され挑戦。初めてのアクションだったが、ダンスの振付と考えて見事に演じた。「片岡礼子と北村龍平監督との出会いがなければ、今の自分はない。俳優業も監督業もどちらも好きだ」という。何でもこなさなければいけない時代にきているのかも知れない。

「映像作家と言われるような監督ではなく、娯楽性も芸術性もある映画が撮れる職業監督になりたい」。また、「ジャンルにこだわらず興味のある題材を撮ってきたので、傾向的にバラつきがあるかも知れないが、自分ができる幅の中で見つけた題材が本作だった」。

 【作品について】
sutegataki-s-3.jpg俳優としても活躍する榊英雄監督は、菅井きん主演の『ぼくのおばあちゃん』(‘08)や高橋克典主演の『誘拐ラプソディ』(‘10)と、疎遠になりがちな家族の人間模様をユーモラスに人情味たっぷりに描いた作品を監督している。(筆者は特に『誘拐ラプソディ』がお気に入り!テンポの良さと林遼威くんのはじけっぷりが最高!)これらとは打って変わって、人間の業を生々しく描いた本作は異色だ。榊監督にとっても勝負を賭けた作品と見受けられる。

榊監督は、秋山命や主役の大森南朋と共に、「同世代の自分たちの内面をさらけ出し、気持ちを叩き込み、今後何十年生きられるか分からないが、いま生きている現代で、肉体と精神が一番いい時期に作品を残したい」と考えたそうだ。雰囲気的には昭和の匂いがする題材だが、時代性を感じさせない五島という場所で、人生も中間地点にさし掛かった男たちのターニングポイントになるような、入魂の一作と言えよう。

【主人公・勇介(大森南朋)に対する思い】
勇介は、榊監督や秋山命や大森南朋などの想いがいっぱい詰まったクリーチャーだということが、撮影しているうちに分かってきたそうだ。「それぞれ可能性を持った人間、すなわち自分自身の投映だと思って撮った」。具体的には、「単純に女性を見ると、お尻を見たり、セクシーに感じたりとね(笑)。僕や大森の過去の悪行を見たら、そうなるでしょう(笑)」。確かに、女性には積極的で、よくモテたらしい。そんな男性の本性を隠したりせずに、またカッコ付けたりもせず、素直に表現しているところは潔い。だからこそ、「人間って醜いけど可愛いよね、愛おしいよね」という気持ちを主人公・勇介に投映しているのかも知れない。それが、秋山命も大森南朋もこの作品を手掛けた動機だと言う。

【京子(三輪ひとみ)の存在について】
sutegataki-3.jpg本作の良さは、製作陣の想いの深さもさることながら、俳優陣の熱演がさらに作品に深みを出している。特に、京子を演じた三輪ひとみが素晴らしい。今までホラークイーンとして知られていたが、ここにきて女優としての強い覚悟が見て取れる。榊監督によるとかなり厳しい現場だったようで、今までにない裸体による絡みや、複雑な心情表現の演技が求められ、肉体的にも精神的にも毎日闘っていたとか。

最初はこの役を引き受けてくれる女優が中々見つからなかったようで、紹介されて初めて三輪ひとみに会った監督は、“胸騒ぎ”がしたそうだ。「何か妙なものが合うかな?と思い、現場では厳しくあたり、ドS状態でした。それまでのキメ顔、キメ台詞に慣れてきた女優さんだったので、想像力を働かせて能動的に演じることに慣れていなかった」。大森南朋の方はさすがに常にスタンバイできていたそうだが、彼女の用意が不完全で、スケジュール的にも厳しい状態だったのに、撮影を1日延ばしたこともあったらしい。

京子の顔のアザは、「三輪さんは綺麗過ぎるので、何かハンディを付けた方がいい」という助監督の意見が取り入れられて付けたとか。そのため脚本も変更したが、その効果は絶大だったと思う。彼女が余計に色っぽく感じられ、色白の美しさが際立って見えた。秋山命の脚本には、原作にはないドストエフスキーの『罪と罰』の自己犠牲の象徴であるソーニャが登場する。京子がソーニャを好きだと言うシーンがある。大胆な絡みもある映画だが、いやらしさを感じさせないのは、三輪の美しさとソーニャのような純粋な自己犠牲が盛り込まれているからだろう。

【今後の活躍は?】
本作では新興宗教が出てくるが、宗教そのものについては描いていない。それにすがりついて生きている人々を描いているだけだという。今後、「隠れキリシタン」を題材にしたものを撮る予定で、その前に、この秋には「トラック野郎」的娯楽作品の撮影に入る予定だという。既に完成している、『トマトのしずく』と『木屋町DARUMA』の公開を控えている。

榊監督はインタビュー中でも常に自分を正直にさらけ出そうという気持ちにあふれていた。撮影中も周りの意見を取り入れる寛容さを見せていたようで、そんな素直さが作品にも表れている。作品ごとにパワーアップしていく榊監督作品に、これからも目が離せない。

ちなみに、榊英雄監督は、河瀬直美監督『2つ目の窓』(7/26公開)には俳優として出演していた。だが、何シーンか出番はあったものの、顔の見えない背中だけの出演となった。

(河田 真喜子)

uzumasa-550.jpg『太秦ライムライト』

uzumasa-bu-550.jpg体のキレも健在!『太秦ライムライト』主演の福本清三さん舞台挨拶

(2014年6月9日(月)梅田ブルク7にて) 

(2014年 日本 1時間44分)
 監督:落合賢  脚本:大野裕之
出演:福本清三、山本千尋、本田博太郎、合田雅吏、峰蘭太郎、栗塚旭、萬田久子、小林稔侍、松方弘樹

2014年6月14日(土)~MOVIX京都、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、関西先行公開 (7月12日(土)~新宿バルト9 ほか全国ロードショー)

公式サイト⇒ http://uzumasa-movie.com/

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uzumasa-550.jpgのサムネイル画像 トム・クルーズ主演の『ラストサムライ』(2003年)に寡黙な侍として出演し、一躍脚光を浴びた福本清三さん。斬られ役一筋の福本さんが初主演の映画『太秦ライムライト』がこのほど完成し、公開を目前に控えた9日、大阪の梅田ブルク7で特別試写会が行われた。福本さんは紋付羽織袴で登壇され、会場はあたたかい拍手に包まれた。謙虚なお人柄は変わらず、緊張した面持ちながらも、殺陣の仕草となると、一転して鮮やかな身のこなしを披露され、会場を沸かせた。客席からの質疑応答では、テレビの時代劇の再放送で福本さんを観ているという応援の言葉や、若い女性からの質問も相次ぎ、なごやかな雰囲気の中で舞台挨拶が行われ、福本さんの、脇役ながら、斬られ役として一つのことを極めてきた生き様、映画への真摯な思い、誠意が伝わるひとときとなった。

―――最初に一言、挨拶をお願いします。
私みたいな斬られ役が大役をいただき、自分でどうしていいかさっぱりわからず、監督以下スタッフ、出演者の皆様方に助けていただき、松方弘樹さん、萬田久子さんとまわりを固めていただき、なんとかやらせていただいたというのが本音のところです。皆さんのおかげで映画にしていただいたと思っています。

uzumasa-bu-2.jpg―――初主演を務めて、どうでしたか?
僕はずっと斬られ役できましたので、まさか斬られ役が主役をいただくなんて夢にも思いませんでしたし、こんなことがあっていいのかと毎日が夢うつつです。このお話を聞いた時から受けていいのか迷ったりもしたのですが、たくさんの方に「やりなさい」と後押ししていただきました。斬られ役として、ずっと、こんな感じ(斬られる仕草)でしたが、今日は、こんなところにこうして挨拶で舞台に立つという全く初めての経験で、心臓がバクバクして、今も何をしゃべっていいのやらという感じです(笑)。

―――昨日の日曜日、京都の二条城でイベントが行われ、舞台挨拶で、松方弘樹さんが、福本さんは普段からあまりしゃべらないけれど、セリフがあったらもっとしゃべれないから、今回、セリフが多かったので、監督に言って、けずってもらったというお話を披露されましたね。
僕はセリフも言えん男ですから、「あいつ、セリフが多かったらあかん」と脚本家に言っていただいて、少なくしていただいたというのが現実です。立ち回りならできるんですが、セリフになったら全く、というようなもので、皆さまにご迷惑をかけ、監督には申し訳なく思っています。人生50年ずっと斬られ役をやってきて、今回の映画が、最初で最後の死に土産(笑)と思っています。

―――昨日は、二条城の二の丸御殿台所という、重要文化財で一般公開されていないところに、機材やスクリーンを持ち込んで、初めて映画の上映が行われましたが、どうでしたか?
二条城は、撮影でよく庭とか使わせていただきましたが、重文の建物はなかなか貸していただけないところを、市長さんがこれからは「映画の市」ということで、撮影にも使ってくださいと言われていました。これからも神社、仏閣で撮影させていただけるのではないかと思っています。

―――京都の神社とかで、福本さんの立ち回りを、観客の皆さんがご覧になれる機会があるかもしれませんね?
立ち回りといっても、僕はもうすぐ72で、「わあっ」と言って死んでるのも限界ですからね(笑)。僕自身はまだ出れると思っているのですが、まわりからは、「年やで」って、そんな声も聞こえます。今の僕としては、立ち回りを若い世代の人たちになんとか伝えていきたいと思っています。時代劇が低迷していて、なかなか若い人が映画の世界に入ってくれない状況ですが、若い人にこの映画を観てもらって、映画に興味を持ってくれる人が出てこれば、というのが一番の思いです。

uzumasa-4.jpg―――ヒロイン役の山本千尋さんはどうでしたか?
一番助けていただいたのが千尋さんですね(笑)。立ち回りに関していえば、彼女は世界チャンピオンですから、僕が教えるなんてとんでもないくらい上手い人です。だから、今回の映画で彼女が一番苦労したのは、できる人ができない芝居をせなあかん、という点じゃなかったかと思います。映画の中で、僕は教える人ですが、本当は千尋さんに教えてもらう立場で、反対だよねと笑い合っていました。 

―――松方弘樹さんに出演していただいて、どうでしたか?
uzumasa-3.jpg共演なんてとんでもありません(笑)。16歳で会社に入ってから、画面の端っこに出していただき、お父さんの近衛十四郎さんにも斬られ、二代に渡って斬られてますねと大笑いしてました。

僕らは映画の時代から始まって、テレビの時代になり、全盛期には、テレビのチャンネルが全部時代劇をやっていたこともありました。その頃は、毎日、立ち回りばかりで、「銭形平次」で斬られ、「暴れん坊将軍」で斬られ、と毎日、相手を変えて3、4回、後ろから斬られて(笑)というような状況でした。そんなに勢いがあったのが、一気になくなってしまって、最後まで続いたのが「水戸黄門」でしたか。まさかあの「水戸黄門」がなくなるなんて、夢にも思いませんでした。時代劇がないと、斬られ役も仕事がありませんし、ただ増えてくれてないかなというのが僕らの今の願いです。

こんなにたくさんの方に観てもらうのは初めてなので、ぜひ宣伝よろしくお願いします。ヒットすれば、次の作品にもつながります。立ち回りのおもしろさ、下積みをやっている人たちが頑張っている姿とかを感じていただければ、一番うれしいと思います。

―――先日、無声映画の時代劇を観て、NHKのドキュメンタリー番組で、福本さんが、映画とテレビでは斬られ方が違うと言われていたのを思い出しました。斬られ方で、相性のよかった人とわるかった人があれば、教えてください(会場からの質問)。
uzumasa-2.jpg僕らが入った頃の東映は、斬られ役みたいな専門で立ち回りできる人がたくさんいました。400人位の俳優のうち200人位が男性で、その中に立ち回りができる人が50か60人位いましたので、その中に入り込むのがまず大変でした。あの頃は、皆よくできたんです。というか、できて当たり前の時代でした。僕はペーペーでしたから、どこから這いあがっていこうか、まずは立ち回りを覚えてと、先輩から習いました。僕らが先輩に合わせていただいていた状況なので、今はその恩返しのようで、若い人たちに立ち回りを教えていく立場です。でも、今でももっと上手くなりたいと思います。ただ「わあっ」と言って「わあっ」と死んだふりしているように見えますが、何かしら奥の深いものがあるんです(笑)。 

――小さい頃から時代劇が大好きで、殺陣を習いたいと思っていたのですが、何をすれば上手くなれますか?(会場からの質問)
 僕は、見て覚えたのが一番大きかったですね。どこかの劇団とかに入って、習うのも一つですが、好きな人は見ただけで上手くなれますし、自分だけでも結構できます。僕も結構自分だけでやってきましたから。見よう見まねで、倒れ方も自分でやってみたりして、いろいろやってきました。テレビの主役の斬り方のかっこよさや、えらい倒れ方しよるなとか、そういうのを見るのが、一番身近でできる方法じゃないかなと思います。

――最後に一言お願いします。
50年やってきて、こんな芝居しかできないのかと自分でも反省ばかりしているんですが、とにかくなんとか形にしていただいて、いろいろな方に観ていただいて、「よかったよ」と一言もらいまして、「ほんまかいな」と思ったり(笑)、それは、僕がよかったんじゃなしに作品自体がよかったというお言葉をいただいて、ほっとしているところです。これからが勝負で、一人でも多くの方に観ていただきたいというのが本音です。このところ、全然寝ていません。こんなことは役者になって初めてです。どうぞよろしくお願いします。

(伊藤 久美子)

『ダイバージェント』オリジナル ①Tシャツ or ②キーチェーン(5種で1セット) プレゼント!

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■KADOKAWA提供

■ 募集人員: ①か②、どちらかお選びください。

①Tシャツ1枚(男女兼用Mサイズ) 5名様

②キーチェーン1セット(5種)   5名様
(①ABNEGATION(無欲)②AMITY(平和)③DAUNTLESS(勇敢)④ERUDITE(博学)⑤CANDOR(高潔)の5種類入り)

■ 締切:2014年7月20日(日)

★公式サイト⇒ http://divergent.jp/

2014年7月11日(金)~TOHOシネマズ有楽座、TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS)、なんばパークスシネマ、OSシネマズミント神戸、MOVIX京都、ほか全国ロードショー!


 『ダイバージェント』

最終戦争から100年後の近未来―
人生の全ては、たった一度の“性格診断”で決まる。
 

全米No.1メガヒット、
2014年全米SNS期待の映画ランキングNo.1、
原作シリーズは1,900万部を突破した世界的ベストセラー、
2014年最大級の近未来SFアクションがついに上陸!!

divergent-550.jpg近未来―。人類は、たった一度の性格診断テストにより、5つの共同体(ファクション)に振り分けられた:勇気ある者が集う【勇敢】(ドーントレス)、正直者が集う【高潔】(キャンダー)、思いやりのある者が集う【無欲】(アブネゲーション)、優しい者が集う【平和】(アミティー)、知的な者が集う【博学】(エリュダイト)。
しかし、この5つに該当しない性格を持つ者が出現。それは“異端者(ダイバージェント)”と呼ばれ、その未知なる力をめぐって強大な陰謀が動き始める―。

(DIVERGENT 2014年 アメリカ 2時間19分)
原作:ベロニカ・ロス「ダイバージェント 異端者」(株式会社KADOKAWA刊)
監督:ニール・バーガー
出演:シャイリーン・ウッドリー、テオ・ジェームズ、アシュレイ・ジャッド、レイ・スティーブンソン、ゾーイ・クラヴィッツ、マイルス・テラー、トニー・ゴールドウィン、マギー・Q、ケイト・ウィンスレット脚本:エバン・ドーハティ、バネッサ・テイラー
2014年7月11日(金)~TOHOシネマズ有楽座他 全国ロードショー

公式サイト⇒ http://divergent.jp/
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 日本一のられ役・福本清三初主演映画『太秦ライムライト』インタビュー

(2014年 日本 1時間44分)
 監督:落合賢  脚本:大野裕之
出演:福本清三、山本千尋、本田博太郎、合田雅吏、峰蘭太郎、栗塚旭、萬田久子、小林稔侍、松方弘樹

2014年6月14日(土)~MOVIX京都、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、関西先行公開 (7月12日(土)~新宿バルト9 ほか全国ロードショー)

公式サイト⇒ http://uzumasa-movie.com/

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uzumasa-3.jpg【物語】 
  かつて日本のハリウッドと呼ばれた京都・太秦。斬られ役一筋の大部屋俳優・香美山清一(福本)は、半世紀近く続いたテレビ時代劇が突然打ち切られ、後続番組の若者向け時代劇にベテランの職人は不要と言われる。時代劇の大御所・尾上清十郎(松方弘樹)も「またいつか斬らせてくれ」香美山に声をかけ、去っていく。

 

uzumasa-2.jpg  映画村の立ち回りショーの仕事だけになった香美山の前に駆け出し女優・伊賀さつき(山本千尋)が現れ「立ち回りを教えてください」と頼む。「女優に立ち回りは要らない」と一度は断った香美山だが往年の“太秦城のお姫様”を思わせるさつきの熱意に殺陣の稽古を始める。指導のかいあってさつきはテレビ出演のチャンスをつかみ、京都を去る。香美山も年齢には勝てず、引退の時を迎える。

  売れっ子になったさつきは京都で時代劇大作出演のが決まり、胸躍らせて帰って来るが、撮影所には香美山の姿はどこにもなかった…。

  福本清三はハリウッド大作『ラストサムライ』(03年)で主人公・トム・クルーズについて回るが、セリフは一言も発しない“サイレント・サムライ”として存在を世界に知らしめた。出演作品は数え切れないが、斬られ役専門でセリフのない役ばかりだったが、近年、その存在感が注目され、京都で撮られる時代劇には必ずと言っていいほど出演している。『最後の忠臣蔵』では吉良役に“出世”している。


uzumasa-fuku-2.jpg  ◆【福本清三略歴】
  1943年(昭和18)2月3日、兵庫県生まれ。59年(昭和34)、15歳で東映京都撮影所に専属演技者として入所。以来55年間、映画、テレビで時代劇を中心に、活動し続けた“斬られ役”俳優。殺陣技術集団「東映劍会」所属。半生を綴った著書に「どこかで誰かが見ていてくれる」「おちおち死んでられまへん」がある。NHK特番などでも特集番組が放送されお茶の間では名を知られている。04年日本アカデミー賞特別賞、11年第6回おおさかシネマフェスティバル特別賞受賞。

 ◆【山本千尋略歴】
  1996年8月29日兵庫県生まれ。12年9月、マカオで開かれた第4回世界ジュニア武術選手権大会で金メダル1枚、銀メダル1枚を獲得。武術の経験から本作のヒロインに抜てきされた。


 

~長い間一生懸命やってれば褒美がある~
 

 斬られ役一筋の名物俳優・福本清三さんがデビュー55年目で初めて主演を務めた映画『太秦ライムライト』が完成、6月14日から関西で先行公開される(全国公開は7月12日)。ギネス級の快記録となる映画は京都撮影所を舞台に、時代劇の斬られ役として一筋にワザを極めた福本さんの半生を描いたようなドラマ。そこにはかつて全盛を誇った時代劇映画の中でひたすら殺陣(たて)の追究に生きてきた“5万回斬られた男”の壮絶な生きざまがあった。

―― 撮影所の有名人の福本清三さんだが、主演映画は55年目で初めて。率直なご感想は?
福本「いやあ、ホンマにこんなことがあってええのか、あり得ないこと、考えられないことが起こった、と。エラいこってすわ」。

―― 最初にこの話を聞いた時は?
uzumasa-4.jpg福本「京都で劇団を主宰している方(大野裕之氏)が、立ち回りを通じて東映撮影所に出入りするようになって、チャップリンの死に方を見て感動したということで、名作映画『ライムライト』をもとに大野さんが“老いた斬られ役”といった話を書いてくれました。私が主役やなんてアホなこと言わんといて、言うたんですが、せっかくこんな話を書いてもらって申し訳ないけれども、お金も集まらないやろし、実現する訳ない、と思ってました。脚本も真剣には読まなかった」。

―― だけど実現しました。撮影はいつごろ?
福本「去年の9月に20日間で撮りました。気を遣うことが多くて全然集中出来ませんでした。夜は寝られへんし、普段は飲まない睡眠薬の世話になりました。撮影中、朝は7時から、夜は午前1時か2時ごろまで。松方弘樹さんや栗塚旭さん、中島貞夫監督さん、萬田久子さんら出て下さった方たちに周りを締めてもらったんで助かりました」。

uzumasa-fuku-1.jpg―― 福本清三さんのドキュメンタリーか、というようなお話ですが。
福本「映画の撮影中にNHKのドキュメンタリーも入ってたんで、こちらはハプニング狙いだし、いよいよ区別出来ないぐらいになりました。こんなこと経験ないし、目が落ち込んでしまいましたわ。ただ映画では、映画やテレビの仕事がなくなって、映画村のショーに出るという風になってましたが、これはホンマは逆ですね。ショーの仕事は大
変です」。

―― ただ、実際にテレビ時代劇は次々に打ちきりになってるし、時代劇映画もなくなり、斬られ役の仕事も減っている。
福本「時代劇は金がかかるし(映画は)お客さんが入らないと次が出来ない。それは事実ですね」。

―― ハリウッド映画『ラストサムライ』が大ヒットして、福本さんの存在を世界に知らせた。
福本「いやあ、私はともかく、あの映画は大ヒットして確かにメリットはありました。いろいろなところで取り上げられました。私がちょうど60歳の時。『ラストサムライ』撮影中に誕生日を迎え、撮影していたニュージーランドでトム・クルーズが祝ってくれました。東映では定年になりましたが」。

―― 最初に東映入社のころの話を。きっかけは?
福本「生まれは兵庫県城崎の先の香住で、親戚の米屋に住み込みで半年働いた。精米して配達する仕事ですが“まいどおおきに”と大きな声で言わないとあかんのやけど、これが言えんでね。それをこぼしてたら、店に出入りしていた不動産屋さんが『東映行くか』と言ってくれた。こちらは映画なんて洋画の『白鯨』を学校から見に行っただけで、東映って何? という状態でしたなあ」。

―― 東映ではすぐ契約した。
福本「あの頃(昭和34)は大部屋でも社員にしてくれた。当時は日本映画の絶頂期で、僕が入った当時は第二東映もあって、週替わり2本立てですからね。こちらが30本、あちらは70本というような時代だった。演技者(大部屋俳優)も400人ぐらいいました。昭和35~36年ぐらいは仕事が多すぎた。それが…一気に本数が減って、みんな食えなくなってやめていった。私はほかにやれることもないし、姉がいたんで食わしてもらってた。日活はポルノやるし東映でもポルノや空手映画になったこともありました。ほかに当てがなかったんで仕事続けてきたというところですね」。

―― 東映では「劍会」所属になっているが、これは最初から?
福本「いやいや、劍会は相当格上の人ばかり。私は最後の入会です。劍会は今も健在で会員は16人います。劍会に入ると、ギャラが上がった時代もありましたね。私は現場で立ち回りをやらせてもらえたんで、殺陣師の人に直接教えてもらえました」。

―― そんな長い俳優人生の総決算とも言える映画をスクリーンで見たら?
福本「いやいや、自分が情けないですわ。セリフもろくにしゃべれないしこんなもんが主役になるんかどうか、いやお恥ずかしい。周りの人に目をかけてもらって何とか…」。

uzumasa-5.jpg―― 新米女優(山本千尋)に殺陣を教える物語だが、こんな経験はあった?
福本「いや、それはありませんね。教えるなら殺陣師でしょう」。

―― 山本さんは映画初出演。
福本「あの人に助けられましたね。重要な役だけれど、武術のチャンピオンですからね。そりゃあ立派なもんです」。

―― これまでは「代表作なし」でしたが、これで出来たのでは?
福本「いやいや、ありませんがな。ただひとつだけ言えるとすれば、長いこと一生懸命やってきたらごほうびとして主役が出来ることもある、ということでしょうか。これが大ヒットする、なんて世の中そんな甘いもんやないですわな。小さなシネコンの片隅でこそっとやるのかと思ってたら、こんなに大きな話になって…。しかし、なるようにしかならんですな」。

―― ここまでやって来れた秘訣は身体能力?
福本「いやいや、まあ田舎のことでチャンバラごっこもしたし、走り回って足腰丈夫やった。新聞配達も4年間やりました。これから先のことは分からないけど、この映画みたいに、若い人につなげていってもらえたらよろしいな」。

 (聞き手・安永 五郎)

 

『神宮希林 わたしの神様』伏原健之監督、阿武野勝彦プロデューサーインタビュー

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(2014年 日本 1時間36分)
監督:伏原健之
プロデューサー:阿武野勝彦
旅人:樹木希林
2014年5月31日(土)~テアトル梅田、6月7日(土)~京都シネマ、神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
※テアトル梅田初日上映後、樹木希林さんの舞台挨拶あり
公式サイトはコチラ
 (C) 東海テレビ放送
 

~樹木希林と歩く心の旅路、肩の力を抜いてみなさんご一緒に~

 
 伊勢神宮で20年に1度行われる式年遷宮に合わせて、非常に興味深いドキュメンタリー映画が誕生した。人生初のお伊勢参りを行う大女優、樹木希林が、祈ること、自らの生き方をさらけだし、式年遷宮にまつわる心の旅にでかけていく。ふと口にする言葉や、鼻歌のように口からこぼれる懐かしいエンジェルの歌。自らの信条である「物の冥利」を大事にし、むやみに形になって残るものを所有しない姿まで、樹木希林から発信される全てが等身大の彼女を映し出し、どんどん惹き込まれる。また、遷宮のためのヒノキを何百年もかけて育てている伊勢市の神宮林や、神様にお供えする稲を育てる神宮神田、木曾で代々受け継がれている木こり一族が斧を入れる御杣始祭、そして神宮林のヒノキで再建された宮城県石巻市の新山神社などを紹介し、伊勢神宮の歴史を継承してきた今は亡き人々にも想いを馳せることだろう。生きること、祈ること、感謝して手を合わせること。全てがしなやかに盛り込まれた“感じる”ドキュメンタリー。日頃のストレスやささくれだった気持ちがすっと落ち着き、気持ちが安らぐ癒し効果も抜群だ。
 
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 『とうちゃんはエジソン』(03)でギャラクシー大賞を受賞、08年には伊勢神宮に関するドキュメンタリー『森といのちの響き~お伊勢さんとモアイの島』を手掛けた伏原健之監督と、樹木希林出演の『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』(13)でもプロデュースを務めた阿武野勝彦プロデューサーに、笑いを誘う箇所も満載の、樹木希林と一緒に作り上げたドキュメンタリーについてお話を伺った。
 

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━━━樹木希林さんを今回のドキュメンタリーの旅人に起用した経緯は?
阿武野:東海テレビは愛知、岐阜、三重が放送取材エリアなので、遷宮は20年に一度やってくる一大ビッグイベントです。番組制作スタッフが頑張っているものの、なかなか前へすすめず苦しんでいる様子を横で見て、そのことが頭の片隅にありました。昨年5月、ドキュメンタリー映画『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』のキャンペーンで樹木希林さん(以降希林さん)と仙台に行き、お酒を飲んでいるときに話題として遷宮の話をすると、「出雲大社と重なるのは本当に珍しいことでね」としばらくお話されたのです。「遷宮の番組を僕が作るとしたらどうします?」と切り出すと、「やる!」と即答してくださいました。翌日、帰りの仙台駅が見えてきたところで「あの話だけど、決まったらすぐに言って」と希林さんがさらりとおっしゃるので、とぼけて「あの話って何でしたっけ?」とお聞きすると、「何言ってるの!伊勢神宮の遷宮よ」。きっと面白いに違いないと思ってくださったのでしょう。「ふつうの旅人で行く伊勢参りとは違うものが、テレビと一緒に行けばあるかもしれない」ともおっしゃっていました。
 
━━━今まで東海テレビで制作してこられたドキュメンタリーとは少し違いますか?
阿武野:人間を描くという意味では、今までのドキュメンタリーと違いはない気がします。エンターテイメントの範疇かもしれませんが、社会性があるし、震災の話や、森を再生させている話もあります。ただ、笑いの総量は今までとは違いますね。
 

■想定外のことが起こり、そのシーンが映画を豊かにしている。(阿武野)

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━━━伊勢神宮だけではなく、さまざまな寄り道をしている様子が希林さんの人物像や目線を実感させてくれました。実際の撮影はいかがでしたか?
伏原:想定外はすごく多かったですが、プラスに働くことばかりでした。希林さん自身もプラスになると思ってあえて想定外のことをされていたようで、制作者としては幸せだなと思います。
阿武野:希林さん自身はこの作品について「普通は捨てるところばかりで作ったのね。それがいいのよ」とおっしゃっていました。うどん屋さんと喧嘩をしているシーンも、普通は使われたら嫌がられるかもしれませんが、物に対する価値意識を冒頭の自宅シーンで見せる仕掛けをしているので、ただ喧嘩しているのではなく、物の冥利につながることが分かるんですね。想定外のことが起こり、そのシーンが映画を豊かにしています。お餅屋に行くシーンでも、時間が押していたので飛ばそうとしたら「なんで飛ばすの?」と言われて、そこにお店のご主人が偶然出てきたわけです。二軒茶屋店のご主人が神宮に行く道すがらの音の話をされて、非常に豊かな感じがするので僕はあのシーンが好きです。希林さんが「寄る」と言わなければ撮れなかったです。他にも、希林さんから偶然出てきた言葉を伏原監督が丁寧に紡いでいますね。
 
━━━撮影を通じ、希林さんにどんな印象を持たれましたか?
伏原:かっこいい人だなと思います。服装も、スタイリストさんがいるわけではなく、娘婿、本木さんの服をリフォームして着ておられるところが素敵です。あとは何気ない、うどんを食べている姿やおもちを食べている姿一つとってもかっこよくて、ああいう老人になりたいなと思います。
 
━━━エンジェルの歌は突然歌い始めたのですか?
伏原:「神様っていると思いますか?」と問いかけたら、「ほらほらああいう歌があるじゃない」と、かなり初期段階に歌ってくれました。CMも知っていたので、神様はそういうものなのかという最初のテーマ設定の一つの答えになりました。完全に希林さんからの発信です。
 

■最初映画化NGの理由は「人間(私)が描けていない」。希林さんのメッセージから映画のテーマを導く(伏原)

━━━希林さんのアイデアもかなり盛り込まれているようですが、希林さんからの発信が増えてきたのは、どの段階ですか?
阿武野:2回目のロケの終わりには、「この作品の背骨をどう考えるの?」というお話をされていましたから、おそらくそのときには自分の心の内側を見せようと思っていらっしゃったのでしょう。何がきっかけなのか明確には分からないですが、すごく積極的に「会いたい」「行きたい」と動いてくださいました。(劇中一番最初に登場する)西麻布も希林さんから招待いただき、「この家の話をしたい。ここから話しておかないとダメだと思って」とおっしゃったのです。インタビューの時は美輪明宏さんやお稲荷さんの話が出てきて、話題が飛んでぐちゃぐちゃになりそうで、正直ヒヤヒヤしました。
伏原:本当にどこへ連れて行かれるのだろうという感じがしたときでしたね。今思えば「ここまで見せてくれた」と分かるのですが、そのときは「何を見せてくれるのだろう」とドキドキしました。大女優がしゃべってくれるのだから撮影はするつもりでしたが、撮影当時はカットシーンと思っていました。
 

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━━━カットと思っていた自宅での撮影シーンを本編に取り入れることにした訳は?
伏原:テレビ番組として64分で作っていましたが、長いバージョンに編集して映画化したいという話を希林さんにお伝えしたとき、最後の段階で希林さんから映画にするのはやめてようとNGが入りました。最大の理由は、「人間が描けていない」。お金を払って見に来てもらうお客様が感情移入できない、つまり「私」が描けていないということなのです。樹木希林さんを理解してもらうために、今までの業績や映像を並べることもできれば、ナレーションで語ってもらうこともできると考えもしました。そのときに希林さんのメッセージが流れてきて、世の中には自分の意志ではどうにもならないようなことがあっても祈るというテーマ性が出てきたのです。すると、自宅で数珠を取り出してお経を読むといむ話をされていたなとか、当時は唐突に始まったと思っていたことが、全部つながってきました。希林さんが「自分という人間を描く」というのはこういうことなのかと思いながら編集していきました。最初はわかりにくいのでカットするつもりだった部分が、最終手金は宝物になり、テーマがきっちりと出せたと思いました。
 

■「釈迦とダイバダッタ」の話から感じる深い愛情。希林さんは、色々な関係性の中に神が見える人。(阿武野)

━━━希林さんが折に触れてご主人、内田裕也さんの話をされていたシーンは、思わず笑わされ、深い夫婦愛を感じました。
伏原:ドキュメンタリーなので出口をあえて作らずに撮っていく段階で、伊勢神宮からどんどん興味対象が希林さんになっていき、面白いと思えるものが希林さんという人間を描くことになっていきました。希林さんといえば最大の関心事は「(内田裕也さんと)あの夫婦はいったいどうなっているんだろう」ということで、当初から機会があれば聞きたいと思っていました。実は日頃カメラがまわっていないところでも、本当にたくさん内田裕也さんの話をされていました。カメラの前で聞くとどうなるかと思い、初めて正面から「どうですか」と聞いてみたら、全く予想していない答えが返ってきて。びっくりしました。
阿武野:「釈迦とダイバダッタ」です。神宮の話をしているのに、まさか仏教の話なんて使えないだろうと最初は思いました。仏教と神道ですから不整合です。しかし、よく見ているとエンジェルも飛ばしているわけで、釈迦とダイバダッタがあってもおかしくはないかもしれない。それが祈るということなのかと思いました。
 
━━━夫婦の関係を「釈迦とダイバダッタ」に例えた話は、目から鱗でした。
阿武野:釈迦とダイバダッタの話が出てきた瞬間に、なんとなく謎が解けた気がしました。希林さん自身の内にある黒い部分が、カッカしている内田裕也さんにぶつかって浄化される。そういう物の見方や関係性を話されたとき、こんなに深い愛情というのはなくて、これは色々な関係性の中に神が見える人なのではないかと思いました。私たちもそれを聞かされた瞬間に解放されたような気がしました。希林さんの中にそういう物語がいくつもある中、内田裕也さんが絶大なる神様としてそこにいる感じがします。東京の公開初日に内田裕也さんが希林さんに電話をかけて「おまえは俺をコケにしているのか。おれはダイバダッタか」とえらい剣幕で怒ったそうですが、状況を説明すると「そうか。この映画はヒットするぞ」。
 

■日本に生まれてよかった、日本人でよかったと思える部分を、この映画に込めた。(伏原)

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━━━継承していくことや、見えるもの、見えないものに想いを馳せるなど、非常に深く、普遍的なテーマが内在していますね。
伏原:普段報道やドキュメンタリーの仕事をしていると、この国のイヤなことをきちんと正そうと思うことが多いです。でも、やはり日本に生まれてきてよかった、日本人でよかったと思える感じを僕は味わいたいのです。伊勢神宮に行って、お正月にあれだけの人が集まり、手を合わせる我々は素敵だなと思いたい部分をこの映画に込めました。きれいな国だとかそういう思いを紡いでいきたいなと思いました。
阿武野:非常に貴重な体験をしたとおっしゃっていました。希林さんは自叙伝をいくつもの出版社にお願いをされてはずっとお断りされているそうです。自叙伝を書く気は全くないそうで、「断る理由が見つかった。この作品を観て!と言えばいいの」とおっしゃるので、あまりの感動に鳥肌が立ちました。
 

■希林さんの感想は「今の私はこれよ。これを見せればいいのよ」。(伏原)

■一緒に撮影をさせていただき、益々希林さんに対する謎が深まった。(阿武野)

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━━━希林さんご自身は、この作品に対してどんな感想をお持ちですか?
阿武野:希林さんは、知り合いにお見せになっていますし、その反応をすごく気にしていらっしゃいます。自分が出ているから恥ずかしいけれど、観てもらいたいという風に感じます。通常の演技をしている樹木希林と違うものを出しているので、ご自分の分身のように思っていただいている瞬間がありますね。
伏原:希林さんの言葉では「今の私はこれよ。これを見せればいいのよ」。
阿武野:「これはあまりたくさんの人に観てもらわなくてもいいの」とまでおっしゃるのでこちらも一瞬焦りました。僕はせっかくだからたくさんの人に観ていただきたいのですが「いい作品と、人にたくさん観られた作品はまた別。あまり無理しなくていいの。適当なところで終わっておきなさい」と言われました。
 
━━━劇映画で演じるのとは違い、ドキュメンタリーの被写体として素の姿で動く体験が新鮮だったのかもしれませんね。
阿武野:報道に対する特別な想いがある気がします。初めて会う方にご紹介いただくとき、頻繁に「この人たちは報道の人たちだから。仕事が早いのよ」とおっしゃっていました。今回、撮り直しは一度もありません。「報道やドキュメンタリーという大切な仕事をあなたたちはしているのよ」と折りに触れて言われていました。だから家の中、冷蔵庫の中、ブラウン管のテレビ、お風呂や裕也さんの部屋まで見せ、「普段はしないようなことをしたのよ。それでいいじゃない」とおっしゃるのです。一緒に撮影をさせていただき、益々希林さんに対する謎が深まりました。
伏原:この映画は、希林さんの心の旅になっていると思います。
(江口由美)
 
 
 

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主演浅野忠信、二階堂ふみが登壇!『私の男』記者会見レポート
 
『私の男』(2013年 日本 2時間9分)
監督:熊切和嘉
原作:桜庭一樹「私の男」文春文庫刊
出演:浅野忠信、二階堂ふみ、モロ師岡、河井若菜、高良健吾、藤竜也、山田望叶他 
2014年6月14日(金)~新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイトはコチラ
(C) 2014「私の男」製作委員会
 

■「40歳になったらこういう役をやりたい」という想いを存分にぶつけた(浅野)

■今までも、これからも本当に大切な作品(二階堂)

 

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 冒頭、軋みながら漂う流氷の合間から、一人の少女が這い上がり、寒さに体を震わせながら時折思い出したように笑みを浮かべる。その少女、花を演じる二階堂ふみの鬼気迫る表情を観ただけで、すごい映画を観てしまったという気持ちが湧きあがった。桜庭一樹のベストセラー小説「私の男」を、『海炭市叙景』、『夏の終り』の熊切和嘉監督が映画化。流氷に閉ざされた北の大地と東京を舞台に、震災孤児の花と彼女を引き取り育てた遠縁の男、淳悟(浅野忠信)との禁断の愛の物語。肩を寄せ合って生きる淳悟と花の誰にも邪魔できない深い絆を、浅野忠信と二階堂ふみが時には退廃的に、時には艶やかに表現し、観終わって独特の余韻を残す。40代の男の色気が漂う浅野忠信の懐の深い演技が、二階堂ふみの演技を役柄同様に絶妙の呼吸で受け止める。一方、あどけない高校生から艶っぽい大人の表情まで、鮮やかに演じ分けた二階堂ふみの存在感は圧巻で、間違いなく彼女の10代における代表作となることを感じさせた。
 
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 映画公開に先駆け、大阪で行われた合同マスコミ会見では主演の浅野忠信、二階堂ふみが登壇し、本作や役への思い入れを語ってくれた。まさに作品中の淳悟と花のように、お互いに絶対的な信頼を寄せて演じたことが伝わってくる会見となった。その模様をご紹介したい。
 

(最初のご挨拶)

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浅野:初めて脚本を読んだときに「今の自分ならこの役をできる」と思いました。40歳になったらこういう役をやりたいという想いを存分にぶつけることができ、非常に感謝しています。
二階堂:ぜひこの素晴らしい作品を色々な方に観ていただけたらうれしいと思っています。
 
━━━「今ならこの役をできる」と思われた理由は?
浅野:20代のときは癖のある役を演じることが多かったのですが、30代で様々な役を演じるうちに、自分の中で明確になっていくことがたくさんありました。もう一度癖のある役を追求してみたかったので、淳悟役は「今の自分はこれをやるしかない」と思えるものでした。
 
━━━桜庭一樹さんの原作で魅力を感じる部分は?
二階堂:この原作もそうですが桜庭先生の世界観でもある耽美的な雰囲気がとても好きでした。今回、その雰囲気は壊さないまま、映画でしかできない表現をしたいと思っていました。そういった部分を熊切監督が形にしてくださいました。
 

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━━━過去作品は個性的な役が多いように思いますが、個性的な役をオファーされていることについて、どう感じていますか?そして、今後やってみたい役はありますか?
二階堂:個性的な役をオファーされていると思うことは少ないです。花役に関しても、個性的な女の子とは捉えていません。普通の女の子が成長していくにつれて感じるものが変わったり、好きなものが変わったりと、女性であれば皆が経験する部分だと捉えています。撮影現場に行くのが楽しいので、面白いと思える現場に行けるなら、どういう役柄かは気にせずに演じていきたいと思っています。今年で20歳を迎えるのですが、意外と学生の役を演じることが少ないので、淡い青春物語もやってみたいです。
 
 
━━━熊切監督の現場を体験されての感想は?
浅野:監督の学生時代からの仲間もたくさんいらっしゃり、コミュニケーションがよくとれていて、すごく助けていただきました。機会があればまた一緒にやらせていただきたいです。
二階堂:私が高校1年生のとき熊切監督とはじめてお会いし、直感的に「この監督と私は絶対に仕事をしなくてはいけない」と思っていました。ずっと想い続けていた監督の現場でしたので、撮影中は本当に幸せに浸って過ごしていました。熊切監督には「この監督のためなら」と思わせる魅力があると感じています。ご一緒できてよかったです。
 
━━━この作品の中で挑戦したことは?
二階堂:(オホーツク海は)寒かったので、それがなによりの挑戦だったと思います。流氷のシーンも大変でしたが、セットだと絶対に作れない雰囲気が出せてよかったです。
 
 

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━━━一番観てもらいたいところは?
浅野:淳悟を演じる上で、二階堂ふみさん演じる花が本当に欠かせませんでした。花役が二階堂さんでなければ、あそこまで淳悟を演じきれなかったと思うので、花が成長していく姿をじっくり観てほしいと思います。
二階堂:私の中で、今まででも、これからにおいても本当に大切な作品になりました。私にも浅野さんが演じる淳悟という存在がいなければ出せなかった感情がありました。淳悟と花の、普通とはまた違う愛の形を観ていただけたらと思います。
 
 

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━━━淳悟と花の親密な関係を演じるにあたって、お二人の間で話し合ったことは?
浅野:映画やシーンについての話をした覚えはあまりないのですが、淳悟としての気持ちを保ちながら、二階堂さんと接していました。そういう接し方が重要だったのだと思います。
二階堂:撮影期間中ずっと、浅野さんが淳悟として接してくださったのを身に沁みて感じていました。そういう雰囲気の中、自分が最近好きな音楽の話や、浅野さんが体験した他の撮影現場はどうだったのかというお話も聞かせていただきました。
 
 

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(最後のご挨拶)
浅野:僕自身もまた観たいと感じている作品ですし、何度も観ていただけると本当にうれしいです。
二階堂:私の運命の作品であり、勝負作品だと思っています。スクリーンで観ることに意味がある作品になっていますので、映画ファンの方、また色々な方に観ていただけるとうれしいです。
(江口由美)
 

『トークバック 沈黙を破る女たち』坂上香監督インタビュー

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(2013年 日本 1時間59分)
監督・製作・編集:坂上香 
2014年5月24日(土)~第七藝術劇場、京都シネマ
2014年7月26日(土)~神戸アートビレッジセンターにて公開
公式サイトはコチラ
※第七藝術劇場、京都シネマで上映後ワークショップ、トークイベントを開催
<第七藝術劇場>
5/24(土)12:15の回上映後、「映画を観た後、小さなスポットライトーわたしにも」
坂上香監督×倉田めばさん(NPO大阪ダルクセンター長/パフォーマー)
5/25(日)12:15の回上映後、「映画トークバックをトークする」ファシリテーター坂上香監督
<京都シネマ>
5/24(土)10:40の回上映後、レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授)x 坂上香監督
5/25(日)10:40の回上映後、レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授)x 坂上香監督
5/26(月)10:40の回上映後、岡野八代(同志社大学教授)×坂上香監督

 

~偏見、差別に負けない!どん底の人生をみつめ直し、声を上げる女たちの逞しさ~

 
 色とりどりのフェイスペインティングをほどこした女たちが、自らの詩を時には厳かに、時にはドンドンとリズムを刻みながら演じ、魂のこもったパフォーマンスで観客を魅了する。HIV、レイプ、薬物依存症、虐待と壮絶な事実が内在する詩には、観客の前で自らの境遇を宣言するだけでなく、それを乗り越えて生きようとする力がみなぎっている。
サンフランシスコの女性刑務所で活動中の「メデア・プロジェクト」(演劇ワークショップ)に出会ったドキュメンタリー映像監督の坂上香が、8年間にわたりメデア・プロジェクトに密着。メンバーであるHIV陽性女性たちへのインタビューを通じて、彼女たちが強いられてきた沈黙と、その奥にある誰にも語れなかった過去を振り返り、自分自身に向き合う姿を映し出す。我々や社会が持つ偏見がいかに当事者を沈黙の闇に押し込めているかを痛感する一方、彼女たちが自らの過去に向き合う姿は誰しも生きていくうえで乗り越えなければならない壁であり、傷だらけになりながら向き合う彼女たちに勇気すらもらっている気がするのだ。
 
 キャンペーンで来阪した坂上香監督に、メデア・プロジェクトに出会ったきっかけや、メデアメンバーにインタビューすることで感じとったこと、また作品中登場するトークバック(上演後キャストと観客が質疑応答を行う)を映画製作過程で行うワーク・イン・プログレスを取り入れていることについてお話を伺った。

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■様々な境界線を越えていく演劇ワークショップ「メデア・プロジェクト」の魅力とは

 
━━━メデア・プロジェクトに出会ったきっかけは?
10年前に作った『ライファーズ 終身刑を終えて』で男性受刑者に向けての「語るプログラム」を撮影しました。語り合うということはすごく大切ですが、語るだけでは十分ではない部分やもっと違うノンバーバルコミュニケーションもあります。また、受刑者が出所したときに、世の中が「あいつらはずっとダメだ」という目で見続けると、彼らもそれに反抗したり傷ついてしまいます。彼らも変わらなければいけないけれど、同時に彼らが変われる可能性を社会に知らせる何かが必要です。2005~2006年ごろ様々な表現形態を探しているうちにこのメデア・プロジェクトにたどりきました。受刑者が演劇を刑務所の中だけではなく、刑務所外でも上演したり、受刑者と一般の人たちが対話する場を持つのです。また劇が終わればトークバックが行われるなど、境界線をどんどん越えていくのが面白く、そういった革新的な活動をしているところは他にありませんでした。境界線をどんどん越えて色々な会話ができていくことが、日本の社会に必要なのではないかとずっと感じていたので、取材をしたいと思いました。実際、取材をお願いした当初は相手にしてもらえず、映像記録ボランティアとして活動し始め、映画の撮影許可がでるまで4年かかりました。
 
━━━演劇ワークショップ、メデア・プロジェクトのアプローチについて教えてください。
メデアのアプローチは演劇療法やアートセラピーなどの心理療法なのか、いわゆるアートなのか、もしくはサウンドデモのようにアートを使った社会運動なのか。代表のローデッサに、この3つの分類の中でメデアは何にあてはまるのかを聞いてみると「その一つ一つでもないし、すべてが含まれるものでもある」と答えたのです。全てを否定しないし、かといってアートセラピーのように一つに特化した目的でやっているわけではない。でもしっかりとやっていけば全てにつながるはずだというのが彼女の信念で、面白いと思いました。境界線をあえて越えることをやっていることに惹かれたのです。本当に時間をかけてやっているプロジェクトなので、結果的にはどれにでもあてはまることを取材しながら実感しました。
 
━━━HIV患者でもあるメデアメンバーの取材をするに至るまで、大変だったことは?
HIV陽性者のメンバーとは直接なかなかコンタクトをとらせてもらえず、しかも一人一人と連絡しようとするとローデッサを介さなければなりませんでした。個別にアプローチするのに時間がかかり、劇のリハーサルの時に話すぐらいしかできなかったのです。ようやく演劇の撮影に入ったときに個別にインタビューをお願いすると、皆HIVであることを家族や友人に言っていないので、家で撮影させてくれませんでした。結局カサンドラ以外は、私たちの滞在していたホテルに来てもらい撮影をする形で、彼女たちの家まで迎えに行き、撮影が終わったら家まで送ることを繰り返しました。待ち合わせをしても、その場に現れない人もおり、インタビューされたくなかった人もいたと思います。他の皆インタビューを受けているので自分だけイヤとは言えなかったのでしょう。
 

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━━━インタビューをすることで、劇やリハーサル風景だけでは見えない各メンバーの内面に肉薄し、彼女たちの痛みや克服する姿が浮き彫りにされていました。
リハーサルで詩を聞くことはできますが、彼女たちの細かいところは見えません。もっと知りたいことを彼女たちに直接ぶつけることで見えてくることがたくさんありました。私にとってインタビューは宝物です。また最初はしゃべってくれないことでも、出会ってから3年後には、もっと私との関係性ができてきました。かつて養育放棄をし、何度も逮捕歴があるカサンドラやカサンドラの娘さん等はもっと突っ込んだ話をしてくれました。
 
2012年アメリカへロケハンに行ったとき、オーストリア出身のマルレネから「この数年でいろいろあったのよ」と声をかけられました。親にもやっとHIVに感染したことを告白できたと報告してくれました。彼女は育ちが良く、「メデアのみんなは壮絶な体験をしているけれど、私は子供時代も恵まれているし、本当にラッキーだったと思う。皆本当によく生き延びてきたと感動したわ。」と言っていたのですが、実は彼女自身もひどい性暴力に遭っていたことを思い出したというのです。リハーサルの休み時間に後でゆっくり撮りたいとお願いしたら、結局はかなり具体的に話をしてくれました。詩も書いたというので、詩を読んでもらい、映画でもその場面を使っています。それだけ性暴力は意識していなくても色々な人に問題が起こっているのではないでしょうか。
 

 

■心を鬼にしてDV夫を追い出したカサンドラ、その勇気をメッセージとして映画に残す。

 
━━━人に言えないような辛い目に遭ってしまうと、自分の記憶に蓋をしてしまい、再び過去に向き合うことは相当精神的に厳しい作業ですね。
メデアでは仲間がいることが大きいと思います。演劇を作るプロセスを見ているときからそう感じていましたが、3年後にインタビューして確信に変わりましたね。特にカサンドラは、彼女がHIVであることを認めてくれる人と再婚しましたが、夫からDV被害を受け、別れることを決断したことはすごいと思っています。私はDVの被害者たちを支援する活動もしているのですが、どうしても加害しながら最後には謝ってなし崩し的になるような男との関係を断ち切れないことが多いのです。でもカサンドラは心を鬼にして夫を追い出したのです。これはメッセージとして映画に残したいと思いました。
 
 

■「死んだお姉さんの存在をみんなに知ってもらうために、私は演劇をやりたい」デボラが詩を書き、みんなの前で読むのを見て、私の中で彼女との距離が縮まった。

 
━━━他に今回取材したメンバーの中で、印象的だったエピソードを教えてください。
言語障害のデボラは、何を考えているかわからないという点で、私にとっては今回取材したメンバーの中で一番距離を感じていました。でも結果的に、一番変化が目に見える形で現れた人だったのです。
 
━━━曾祖母から祖母、母と脈々と自分に流れる血に誇りを持つ詩をデボラがリハーサルで朗読するシーンで、彼女を突き動かしている原動力はここにあるのかと衝撃を受けました。
デボラは売春をしているときに仲介人と付き合っていたときがあり、ボコボコにされて血だらけになっても付き合い続けていたそうです。お姉さんも同じ仲介人と付き合い、二人ともAIDSに感染しました。お姉さんは亡くなってしまったのですが、「死んだお姉さんの存在をみんなに知ってもらうために、私は演劇をやりたい」という思いが強いのです。私は最初、その気持ちが分からなかったのですが、デボラが詩を書き、みんなの前で読むのを見て、私の中で彼女との距離が縮まりました。映画のシーン以外でも、(先祖が)奴隷となっていたときの話や、自分とお姉さんの関係、お姉さんの死を看取ったときのことを皆の前で語ったのです。お姉さんが死の間際に薬物を止めて、生き直そうとしていた姿に感動し、自分もまじめに生きようとしている話を詩にしたり、それらを介してデボラに親近感が沸きましたし、もっとデボラのことを知りたいと思うようになりました。
 

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━━━上演後観客と行われたトークバックでは、彼女たちの勇気あるパフォーマンスに様々な反応が生まれていましたね。
最初に黒人の男性が手をあげて「HIVの女性の友達がいるのだけれど、まだ誰にも言えていないので、この演劇はそういう人たちに力を与えるはずだ」と発言しました。その後何人かが発言した後に、黒人男性の隣にいた女性(映画でも登場)が手をあげて「子供を産みたいと言ったあなたへ、私は子供を産めなかったけれど、あなたへエールを送りたい」と語ったのです。実は手をあげて発言した女性こそ、男性が最初に語ったHIVのことを誰にも言えない友人の女性で、終わった後ハグしながら泣いていました。代弁したつもりが、その本人が声を上げたわけです。その後も2人ぐらいの男性が次々に今まで誰にも言っていない病気のことを告白しました。本当に奇跡が起こっていましたね。
 
 

■「映画を媒介にして自分のことを話してくれた」当事者の人たちの声を映画に反映させるワーク・イン・プログレス(WIP)に手ごたえ

 

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━━━本作は、ワーク・イン・プログレス(※WIP)を取り入れていますが、なぜWIPを取り入れようと思われたのですか?※編集中の作品を限定的に公開して、そこで出た意見を作品に反映させる試み
前作の『ライファーズ 終身刑を終えて』は薬物依存の元受刑者や当事者の話だったのですが、上映しているときに一番ビビッドに反応するのは、まさにそういう状況にある人たちでした。当事者の人たちの声を本作にも反映させたいという思いは当初からあったのですが、どうすればいいのか分からなかったのです。これはアメリカのことだし、アメリカの映画に日本の人たちの声を直接投影できません。悩んでいるときに、薬物依存症者の回復施設「ダルク」の一つであるNPO法人「女性ダルク」代表の上岡陽江さんがファンドレイジングのイベントに来場し、私たちの2分間スピーチを聞いてくださったのです。最初は「これはアメリカのことでしょ。日本では無理よ」と言われたのですが、最後に「10年後でもいいから、私たちもこれをやりたい。できる社会にしたい。私たちにも手伝わせてほしい」と申し出てくれました。その当時から10万円出資していただければ市民プロデューサーになれる制度を作っており、WIPも頭にあったのですが、どうやって展開すればいいのか分からなかったのです。上岡さんが非常に積極的に働きかけてくれたおかげで、当事者の人たちにプロデューサーになってもらえれば、どんなに力強いだろうと思えてきました。
 
━━━なるほど、試行錯誤しながらWIPを取り入れる道筋が見えてきた訳ですね。
最終的にはWIPという試写にして、ダルクの方に観てもらい、声を上げてもらう場にしたのです。私はダルクの人たちと色々活動をしているのですが、映画でのHIV陽性者のメンバーと同じように、なかなか自分たちと違う人のいる場所に行く自信がなく、ましてやそういった場所で発言などできません。ですから、彼女たちが一番しゃべりやすい環境は何だろうと考え、ダルクに私たちが行き、白板にプロジェクターで映像を映し出して、居間でくつろぎながら観るという試写をやりました。予想しない反応がたくさん返ってきましたね。
 

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━━━具体的にはどういった場面で反応が大きかったですか?
カサンドラの2歳半の孫が出てくる場面は、話した言葉を訳していなかったのですが、「坂上さん、あの子今何て言っているんですか?」とあちらこちらから声が上がりました。なぜそこで反応したのか聞いてみると、ダルクの皆さんは大体お子さんがいらっしゃるけれど、子どもが小さいときは覚せい剤や薬物で刑務所に入ったり、中毒状態になっていたりと色々トラブルに巻き込まれており、子どもをきちんと育てることができなかったのです。乳児院に行ったり、祖母に預けたりといった形で育っていることが多いので、子どもに対する罪悪感があり、その年頃の子どもが何を考えていたのかをすごく知りたいのです。『トークバック』は、自分たちが歩んできたのと同じケースの人が登場する映画なので、まさに置かれている状況がぴったりなのです。
 
━━━上演後のトークバックのような効果もあったのでしょうか?
ダルクの皆さんは日頃あまりしゃべらない方が多く、個人個人のことをあまりよく知らなかったのですが、映画を媒介にして自分のことを話してくれました。例えば、「英語のスラングを聞いたのは久しぶり」とアメリカで3年ぐらい暮らしていたことを語り始めたり、子ども時代のことを思いだして語ったり、墓まで持っていこうとしていたことまで語り始めたりされるので、こちらが衝撃を受けるぐらいでした。映像を観るだけではなく、ツールにしたいという想いはどこかであったのですが、映画を介して対話ができ、その人の内面が見えたり、逆に私に質問してきてくれたりといった双方向のコミュニケーションが取れました。今回ほど試写の段階からそれがビビッドに反応が伝わることは今までなかったので、この手法でやれると思いました。
 
━━━これからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
沈黙が強いられている現在の社会で、何が私たちを沈黙させているか、私たちも他人に沈黙を強いているかもしれないということを考えるきっかけになると思います。今までなら言わなかったことも、この映画を見て「言ってもいいのだ」と声を上げる背中を押せたらうれしいです。(江口由美)
 

monsterz-b-550.jpg藤原竜也に操られたい!『MONSTERZ モンスターズ』舞台挨拶レポート

(2014年5月13日(火)18:30~梅田ブルク7にて)
ゲスト:藤原竜也(32歳)、中田秀夫監督(52歳)

(2014年 日本 1時間52分)
監督:中田秀夫
出演:藤原竜也、山田孝之、石原さとみ、田口トモロヲ、落合モトキ、太賀、三浦誠己、藤井美菜、松重豊、木村多江

2014年5月30日(金)~丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、梅田ブルク7、なんばパ-クスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 ほか全国ロードショー

公式サイト⇒ http://wwws.warnerbros.co.jp/monsterz-movie/index.html
(C)2014「MONSTERZ」FILM PARTNERS

 



 ~藤原竜也×山田孝之、ふたりのモンスター俳優が仕掛けるガチ勝負の恐怖~
 

 2年前公開の韓国映画『超能力者』は、目で人を操るという超能力を持つが故に孤独に生きる男が主役の怖くてせつない映画だった。カン・ドンウォン演じる超能力者が初めて操れない男コ・スと出逢い、運命の歯車が大きく狂い出すという衝撃的なサスペンスホラー。それを『リング』でハリウッドデビューを飾った中田秀夫監督が、「彼をおいて他にいない!」と言わしめた藤原竜也をモンスターにしてこの世に送り出す。

monsterz-550.jpg さらに、唯一操れない男を、これまた若手演技派のひとり山田孝之が演じる。同世代ながら初共演となった藤原竜也(32)と山田孝之(30)がダブル主演。どちらがモンスターを演じてもおかしくないキャラクターだ。このふたりの対決とあっては、何かが起こるに違いない!実際、実の親からも恐れられ、超能力を使う度に手足が壊死してしまう超能力者の哀れさと、何があってもすぐに回復する不死身という超能力を持つ操れない男もまたモンスターといえる。アクションだけではない、悲しい運命を背負ったモンスターの内面を、ふたりの若き演技派俳優の目ヂカラの演技に注目してご覧頂きたい。

 いよいよ5月31日より全国公開される映画『MONSTERZモンスターズ』。公開を前に、主演の藤原竜也と中田秀夫監督の舞台挨拶が、大阪は梅田ブルク7で開催された。
 


 【舞台挨拶詳細】 (敬称略)

monsterz-b-f1.jpg――― 最初のご挨拶を。
藤原:大阪の皆さん、こんにちは。1年位前に一月半かけて一所懸命に撮影しました。面白いエンターテインメント作品になったと思います。
中田監督: (ここで、客席に向かって)男性の方は手を挙げて? 女子率高いな~。竜也君が来るのが分かっていた人? 少ないな~、はい以上です。(笑)
――― 何なんですか、それ?
中田監督:自分だけのアンケートです。

――― この映画のどこに一番の魅力を感じましたか?
藤原:韓国映画の『超能力者』がベースになっているのですが、その映画を見てから脚本を読んで、中田監督の得意分野の映画に呼んで頂けて嬉しく思いました。目で人を操るという設定なんですが、視界に入った人なのか、ピンポイントで見た人なのか、僕もそのルールがイマイチよく分かりませんでした。でも、それは気にせずに見て頂けたらと思います。

monsterz-b-n1.jpg――― その辺りも含めて、藤原竜也さんを起用した理由は?
中田監督:竜也君とは『インシデルミ 7日間のデスゲーム』でも一緒に仕事したのですが、プロデューサーと竜也君主演のサスペンス・スリラーを作りたいという話が出ました。そこで、韓国映画『超能力者』が挙がり、世界を敵に回しても孤独の中で闘えるダークでクールなカッコイイ役は、藤原君をおいて他にいないだろうと思いました。
(ここでまた、客席に向かって) 藤原君に操られてみたいと思う方?(笑)
藤原:どうしたんですか?
中田監督:映画はダークな面もありますが、面白がって見て頂ければいいかなと(笑)。

――― 人を操っている時の藤原さんの目にとても魅了されたのですが、何か工夫は?
中田監督:山田君が演じた操れない男と出会ったことで、初めて生きていると実感します。彼とのバトルを通して、生きる証しを感じていきます。何千人ものエキストラが山田君一人に襲い掛かって行くのですが、それに似合った眼力が必要でした。お芝居プラス、それまでの人生が反映されているエフェクトが必要だったのです。

monsterz-b-f2.jpg―――人を操る目の演技について?
藤原:目だけをいっぱい撮ってもらいました。「もういいんじゃないですか?」というぐらい沢山。
――― 目だけ撮られる感じは?
藤原:その時は分からなかったのですが、作品を見て、うまく編集されているなと納得しました。

 

――― 今日は、ここ大阪ということで、大阪についてお聞きしたと思います。
藤原:年に2回位お芝居で来ています。大好きですね~住みたいくらいです。僕は西武ライオンズのファンですが、阪神タイガースも大好きですし、人は温かいし、大阪の空気が好きですね。
――― 先月、大阪城ホールでのワールドプレミアムボクシング、長谷川穂積選手の試合を観戦しに来られていたらしいですね?
藤原:はい、長谷川穂積さんが大好きで、彼の大事な試合でしたから「これは見届けなくてはいけない」と勝手に思い込んで観に行きました。
――― ええ?バレないんですか?
藤原:バレてたんでしょうね~(笑)
――― 声を掛けられたりしないんですか?
藤原:皆さん試合に集中されてましたので、それはないです。
monsterz-2.jpg――― 本作では格闘家の川尻達也さんを操っていましたが?
藤原:僕は操るだけなので、2時間位で撮り終わりましたが、後は山田君らのアクションシーンに10時間位かかったんです。「すみません!お先に失礼します」と毎日謝りながら帰っていました(笑)。
――― 川尻さんと闘ってみたかったのでは?
藤原:いや~、操るだけで十分です。

 


monsterz-b-3.jpg――― ご存じの方も多いと思いますが、来る5月15日は藤原竜也さんのお誕生日なんです!そこで、中田監督からスペシャルプレゼントが用意されています。どうぞ!
(黄金のミニビリケンさん登場! 中田監督から藤原竜也へ手渡された。)

――― ビリケンさんの足の裏をなでると願いが叶うということですので、映画のヒットを祈願して触り放題でございます。家のどの辺りに飾りますか?
藤原:寝室です。(笑)

――― 最後のご挨拶を。
藤原:誕生日を皆さんに祝って頂いて、心から感謝しております。『MONSTERZモンスターズ』は中田監督のもと、皆で頑張って撮った作品です。いよいよ5月31日から公開されますが、ひとりでも多くの方に見て頂けたらなと思っております。本当に今日はありがとうございました。
中田監督:この映画の見せ場は、アクションに次ぐアクションですが、「生きていくことは闘いの連続である」がテーマということだと思います。山田君が群衆と闘うシーンも去ることながら、藤原君と山田君が直接ボディコンタクトをしながら闘うシーンは、この物語の大きなポイントとなりますので、その辺りを注意してご覧になるとお楽しみ頂けるのではないかなと思います。



 monsterz-b-f3.jpg 中田監督に、「藤原君に操られてみたい方?」と聞かれ、思わず手を挙げそうになった筆者。舞台や映画にと大活躍の藤原竜也の成長ぶりは、今年公開の4本の出演映画からもお分かり頂けるだろうが、自信と共に貫禄が付いてきたように感じる。どの作品にも言えることは、声が違う!以前に比べ、太く大きくなっている。さらに、物語のテーマを象徴したキャラクターを全身で生きているから、存在感が違う! 明らかに他の若手俳優と違うところだろう。7月から始まる連続TVドラマ『ST警視庁科学捜査班』で13年ぶりに主演を務めるという。まだ32歳。40歳過ぎてからの藤原竜也を見るのが、今から楽しみでならない。

(河田 真喜子)

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