「京都」と一致するもの

『世界で一番いとしい君へ』オリジナル付箋 プレゼント!

sekaiichiitosii-pre.jpg


 

■ 募集人員: 3 名様

■ 締切:2015年9月6日(日)

 

2015年8月29日(土)~ シネマート心斎橋
9月19日(土)~ 京都みなみ会館
10月 ~ 元町映画館  他全国順次公開

★公式サイト⇒ http://www.itoshiikimi-movie.info/
 


  
『世界で一番いとしい君へ』

 

流れ星のようなボクたち家族の人生は、毎日が喜びの連続でした。
微笑みを絶やさず今を生きる ある家族の愛の物語
夢いっぱいの青春を生きるはずの我が子が、誰よりも先に“大人”になっていく…。

     

sekaiichiitosii-550.jpgテコンドー選手を目指していたデスと、アイドルを夢見ていたミラ。17歳という若さで親になった2人は、息子アルムと3人でかけがえのない家族になった。16歳になったアルムは、成長が急速に進む先天性早老症のため、身体年齢は80歳を超えている。治療費を稼ぐため必死に働くデスとミラだったが、息子と共に明るさを失わずに生きてきた。そんな彼らの人生がテレビ番組で紹介され、それまで限られた世界しか知らなかったアルムにドキドキする“事件”が起こり始める。だがアルムに残された時間はわずかだった…。


映画『群盗』『超能力者』など“美しきオーラ”で圧倒的な存在感を示してきたカン・ドンウォンが初の父親役に挑戦し、子供よりも子供っぽい無邪気な姿とあふれ出る父性愛を表情豊かに表現。ドラマ「オールイン運命の愛」などで輝きを放ってきたソン・ヘギョは、優しい笑顔で家族をしっかりと包み込む母親役を好演している。また『スキャンダル』『女優たちへ』のイ・ジェヨン監督は、過去作とは全く趣を変えた軽快なテンポの本作で、観る者の心に温かな癒しと深い余韻を運び込んでくれる。

 


 
監督:イ・ジェヨン  原作:「どきどき僕の人生」キム・エラン著(クオン)
キャスト:カン・ドンウォン、ソン・ヘギョ、チョ・ソンモク、ペク・イルソプ、イ・ソンミン、キム・ガプス
原題:두근두근 내 인생
2014年/韓国/カラー/117分  配給:ツイン
© 2014 ZIP CINEMA All Rights Reserved.

 2015年8月29日(土)~ シネマート心斎橋、 9月19日(土)~ 京都みなみ会館、 10月~ 元町映画館  他全国順次公開

 (プレスリリースより)
 

okinawa-butai-550.jpg

『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督トークショー@第七藝術劇場
2015年8月9日(日)第七藝術劇場にて
 
(2015年 日本 2時間28分)
監督:ジャン・ユンカーマン(『老人と海』『映画 日本国憲法』)
8月8日(土)~第七藝術劇場、15日(土)~ポレポレ東中野(アンコール上映)、29日(土)~神戸アートビレッジセンター、近日~京都シネマほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://okinawa-urizun.com/ 
戦後70年、沖縄は問いかける『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督インタビューはコチラ 
(C)2015 SIGLO
 

~主張をし続けることが大事。

日米双方で沖縄問題に関心を持つ人が少しでも増えれば、小さな勝利になる~

 
2005年に『映画 日本国憲法』で海外からみた日本国憲法を描いたジャン・ユンカーマン監督が、沖縄戦から現在に至るまでの長いスパンで「沖縄の戦後」を顧み、沖縄の声を聞く最新作『沖縄 うりずんの雨』を完成させた。東京、沖縄での上映を経て、現在第七藝術劇場で絶賛公開中だ。
 
okinawa-500-1.jpg
ジャン・ユンカーマン監督は、沖縄が本土復帰して3年後の1975年から沖縄に滞在している。復帰後にもかかわらず多数の米兵が滞在していることに理不尽さを感じ、ずっとアメリカに沖縄の現状を伝えたいと思っていたという。製作に3年半をかけた本作は「沖縄戦」「占領」「凌辱」「明日へ」の4部構成で、アメリカ側の沖縄映像資料(沖縄戦や、占領時代の映像)やインタビューを織り込み、沖縄とアメリカ双方の立場から米軍基地問題を掘り下げた。第七藝術劇場では、『沖縄 うりずんの雨』の延長線上に位置する作品、『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)も現在同時公開しており、双方を観ることで、沖縄問題をより深く知り、考える良い機会となるだろう。
 
公開2日目の9日15:20の回終了後に行われたトークショーでは、満席の観客を前に、ジャン・ユンカーマン監督が本作のテーマや現在日本が抱えている安保、基地問題、沖縄に対する日米の差別意識について、会場からの質問に答えた。米兵によるレイプ事件の加害者インタビュー映像を取り入れたことについても、経緯やその必要性について監督の意見を真摯に語ってくださった。1時間に及ぶ熱のこもったトークショーの模様をご紹介したい。
 

okinawa-3.jpg

Q.現在記念上映されている『ひめゆり』(柴田昌平監督作)の感想は?
『ひめゆり』は丁寧に証言を集めていたので、ひめゆり学徒隊や沖縄の現実がみえる映画です。『沖縄 うりずんの雨』との共通点は、経験したことを自分の言葉で証言してもらっていること。歴史を理解するのに一番いい方法です。勇気が必要だったと思いますが、自分の目で見たことを話してもらいました。皆さん、とても劇的で、悲劇的な経験をした方々で、経験したことを明確に記憶しています。それらがこの映画のベースになっており、その延長戦上に三上智恵監督の映画(『戦場ぬ止み』)があります。私が歴史の証言を取っていく中で、辺野古も厳しい状況になってきています。昨年9月、空撮のため沖縄に行くと、モートン・ハルペリン氏(沖縄返還交渉に携わった米国家安全保障会議元高官)がシンポジウムで基調講演を行うため滞在しており、一緒に撮影もできました。シンポジウムとそこでの大田昌秀先生の発言が、この映画の主張の一つをまとめてくれ、最後のシーンができました。
 
 

okinawa-butai-2.jpg

Q.20年前に起きた12歳少女レイプ事件の犯人の一人、ロドリコ・ハープ氏が画面で証言しているが、証言を映画に入れるまでの経過は?また、沖縄の方の反応は?
こういう映画を作るときは、最初から誰に観てもらうかを考えます。沖縄問題を意識してもらいたいのは、主に日本本土、アメリカの人たちで、彼らが沖縄問題を掴むためにどうすればいいかを考えました。沖縄で上映したときは、本土とは全然違う感じがしました。レイプ事件だけでなく、沖縄戦のことを沖縄で観ることは、とても辛いところでもあったと思いますが、アメリカ人や本土の日本人に伝えるためには真正面から描く必要があったのです。沖縄でも、多くの人に沖縄のことを伝えようとすることに対し、暖かい反響と感謝を伝えてもらいました。
 
私は、最初から加害者の証言も映画の中に入れるべきだと思っていました。沖縄問題が出てくるたびにレイプ問題も取り上げられますが、その実態はなかなか理解されていません。特に沖縄以外の人たちは遠いところの事件と思っています。ハープ氏は今回最初に撮ったインタビューですが、それまでには撮るかどうか、撮った後につかえるかどうかという判断がありました。いつも相手にシンパシーを持ってインタビューをしているので、レイプした人に面と向かって話ができるか不安でしたが、実際に会うと、とても素朴な人でした。心の深いところで反省していたので、これは使えると思いました。
 
後は、どうやって見せるかです。そのためには事件の背景に何があるかを描きました。加害者の話だけでなく、(今までのレイプ事件の)被害者の話も入れ、最終的にはアメリカの学者シンシア・エンローさんの話を入れて、インタビューの前に枠組みを作って、丁寧に見せるようにしました。沖縄で女性問題に深く関わっている方も、こちらの意図は認めてくださっていますが、加害者インタビューは見せるべきではないと言われました。20年前に起こった事件ですが、被害者に配慮し、沖縄のメディアは今でもディテールには触れないようにしています。だから僕たちはそれに真正面から取り組み、見せようと判断しました。
 
okinawa-500-4.jpg
Q.今回の映画のテーマの一つである憲法第9条に対する沖縄県民の思いと本土の人の思いは、アメリカ人のジャン・ユンカーマン監督からみると、どう映るのか?
一つの見え方として、沖縄は憲法第9条を守る最前線です。戦後70年の今、憲法問題や安保法案を通して、日本の戦後の歴史が見えてきています。多くの日本市民が心の深いところで戦争を否定、放棄しています。ただ、矛盾しているのは、日本とアメリカが軍事同盟を組んでいることです。アメリカは絶えず戦争を選んでおり、日本がアメリカと組むと、どうしてもアメリカの方針に従わざるを得なくなります。安保がそうですが、それがはっきりと見えてきているのが今年の夏で、民意と政府の方針が対立しています。
 
もう一つの見え方は、同じことが狭い規模で沖縄に起こっているということです。20年間沖縄の人たちは(辺野古移設は)ダメだと否定し、特にこの2、3年はオール沖縄の意思となっているのに、安倍政権はアメリカ政府と約束しているから基地を作ると言っています。TBSキャスターの金平氏が、「全国が辺野古化されてきた」と言っていますが、辺野古で起こっているのと同じことが国会で起きています。どうやって解決するかはとても難しいですが、その難しさがこの映画のテーマでもあります。
 
また、それらが起こる環境には二つの意識が内在しています。一つは(アメリカ側から見て沖縄は)戦利品という考え方で、沖縄はアメリカが沖縄戦で犠牲を払って得た特権的な権利を持つ場所なのです。長いスパンで映画を描くことは、戦争が終わった途端、アメリカが特権的意識で扱ってきた沖縄を映し出すことでもあります。占領が終わっても基地がそのまま残るのは、特権的な権利がある戦利品だからです。
 
もう一つは、本土の日本市民の中に沖縄に対する差別意識があることです。今は米軍基地の74%が沖縄に集中しています。「それはしょうがない」という発言には差別が入っていると思います。なぜ70~90年代に沖縄の基地に反対する声が挙がってこなかったのかと考えると、それは沖縄市民が二流市民(second citizen)と思われているからです。実際、アメリカ本土占領が終わったとき、米軍基地の80%が本土にありました。沖縄が74%になったのは沖縄の本土復帰後です。本土の基地を閉鎖して、沖縄に移設しているのです。今になってそれに対して疑問が広がっていますが、沖縄では(基地を残したままの)本土復帰は差別的だと当時から言われています。映画の中で沖縄の写真家、石川真生さんも、沖縄の人が受ける差別と黒人差別が似ていると語っていました。重要なのは、差別が根拠になるときは、差別がなくなるまで闘い続けることです。アメリカの黒人公民権運動も差別と闘う歴史でしたし、沖縄もそういう歴史になると思います。
 
 
Q. (生粋の沖縄県民であることを表明しての質問)事件の加害者であるロドリコ・ハープ氏には、実際にどういう言葉で映画の出演依頼をし、それに対してどのような返答があったのか?また、沖縄県民の反発は予想はされていたと思うが、実際はどうだったか?
ハープ氏らには、「あなたたちは罪を犯したが、その罪を責めるつもりはない。あなたたちの状況を正直に話してもらいたい」と手紙を書きました。手紙が届くまでは色々な経緯があり、時間がかかりましたが、届いてからすぐに「了解しました」と返事をもらったのです。後で理由を聞くと、カメラの前で事件が起きたときのことを正直に話すことが自分のためにもなると語ってくれました。レイプ事件を起こしたことは許してはいけないし、(観客の皆さんには)映画の方針を理解していただいていると思います。メディアが(事件のことを)丁寧に扱ってきたことに対して、そのルールを破ったという反感はありましたが、コザ地区での上映後に、「ハープ氏と話す機会があったら、『あなたには生きてほしい、自殺しないで』と伝えてほしい」とおばあさんが話しかけてくれたこともありました。
 
加害者のインタビューを見て複雑な気持ちにならない人はいないですが、そこから色々なことが見えてくると思います。ハープ氏はとても素直な人でした。「アメリカではレイプ事件に関わることは想像もできないが、沖縄では関わることができる」というのはどういうことかといえば、占領者の意識であり、基地から外に出た世界を見下しているのです。それはすごく大事な情報です。加害者が普通の兵士だからこそ、深刻な問題で、現に米軍基地の中でも、性暴力が頻繁に起こっています。
 
okinawa-550.jpg
Q.将来の展望という点で、アメリカが沖縄を戦利品と捉えているのなら、アメリカの国民世論が盛り上がることも必要だと思うが、アメリカで本作のような映画に賛同してくれる人がどれぐらいいるのか?
残念ながらアメリカの軍事主義はとても根強く残っています。アメリカ人として悲しいことですが、僕はベトナム戦争の最中に育てられ、反戦運動もしていました。終わったときに二度とあんな戦争をしないと思っていましたが、アメリカはそこから何も教訓を得ていません。民主党も共和党も軍隊を支持しており、武力で国際問題を解決することができるし、必要だと思っています。また、アメリカは海外に100か国で800基地を持っています。残念ながら沖縄はその中の一つという捉え方です。
 
ただ、沖縄の辺野古問題が長引いたことにより、辺野古の基地建設をやめてほしいという人は増え続けています。私が関わっている大学のネットワークによると、平和を唄う元米兵グループが、辺野古の基地建設反対声明を出していますし、バークレイの市議会も声明を出しています。それらはまだ少数派なことは否めませんが、秋に『沖縄 うりずんの雨』上映ツアーを組み、大学などで上映しながら、広めていきたいと思います。解決方法となると、主張をし続けるということでしょう。辺野古を応援しつづけ、強制的に基地が建設されることに対し抗議の声をあげれば、その声はアメリカに響くはずです。
 
特に(沖縄に駐在した)元米兵の動きが大事です。(米軍が沖縄に駐在し始めてから)70年になりますが、大体年平均5万人が沖縄に駐在しており、延べ350万人にのぼります。彼らは、沖縄に対して懐かしさを抱いていますし、沖縄のことが好きです。そういう人たちが沖縄にずっと基地を残すべきなのかと考えるのではないでしょうか。少なくともインタビューで出演した元米兵(沖縄戦に従事)は、まだ米軍が沖縄に残り、負担させられていることを残念がっていました。
 

okinawa-butai-3.jpg

Q.米軍兵士が置かれている状況を以前直接聞く機会があり、軍隊内は暴力が支配し、レイプも当たり前。兵士たちは貧しい中でリクルートされ、完全に暴力的支配で統治されておりというのは忘れてはいけないアメリカの状況だと感じたが。
その通りだと思います。軍隊は根本的に非人間的な組織で、敵を見下すことが必要です。それは、米軍が沖縄でやっている行動につながっています。米軍もPTSDを抱えている若い兵士が25万人おり、年間7000人の自殺者(1時間に一人ぐらいの割合)がいます。戦死者より自殺者が圧倒的に多いですし、自衛隊でもイラクからの帰還兵には自殺者が多いです。しかし、そういう精神的な病気を抱えている人の治療は全く行われておらず、兵士は使い捨てのようになっているのが、軍隊の根本的な姿です。米軍の性暴力も同じで、毎年2万8千件ぐらい起きており、とても深いところにある問題です。だから、妥協してはいけません。
 
集団的自衛権も同じことです。戦争に行かせるということは問題の解決にはならず、両方が被害者になることにつながります。沖縄という一つの島でもそういう状況が見えてきますが、それは普遍的なメッセージでもあります。沖縄から届く声を聞くことが大事です。
 
三上監督の『戦場ぬ止み』で、辺野古の座り込みに参加している人たちは、唄って踊って、とても明るく、人間的なところがあります。厳しい状況の中、強い精神をもって座り込みを行っているのです。これがおかしい、やってはいけないという人が増え続ければ、いずれは改善できます。本土の中でも、この映画を歓迎する人がたくさんいます。沖縄への関心が確実に高くなり、その事実が沖縄に届くと、沖縄の人の励みになります。沖縄問題に関心を持つ人が少しずつ増え続ければ、それは小さな勝利です。一度、「沖縄の人たちは、負けは知らない」と言われたことがあるので、「負けっぱなしではないか」と返すと、「勝ったことはないから、負けはわからない」と言われました。沖縄は「(見方を変えれば)世の中はこういう風に見える」と教えてくれる気持ちの豊かな島です。
(江口由美)
 

『天空の蜂』特製ウェットティッシュ プレゼント!

tenkuuhachi-pre.jpg
■ 募集人員: 5 名様

■ 締切:2015年9月11日(金)

2015年9月12日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー
 
★公式サイト⇒ http://tenkunohachi.jp/


tenkuuhachi-530.pngのサムネイル画像9月12日(土)より全国公開の映画『天空の蜂』。ベストセラー作家・東野圭吾が1995年に発表した同名長編小説を原作に、最新鋭にして日本最大のヘリコプター〈ビッグB〉を乗っ取り、原子力発電所の真上に静止させるという“原発テロ”事件と、その危機に立ち向かう人々の8時間の攻防を描く本作。原発を題材にしたテーマ性や物語のスケールの大きさから長年“映像化不可能”とされていましたが、この度ついに映画化が実現!メガホンをとるのは、『20世紀少年』シリーズや『悼む人』を手掛ける堤幸彦監督。そして江口洋介、本木雅弘と、日本を代表する実力派俳優の二人が初共演を果たす他、仲間由紀恵、綾野剛をはじめ、邦画界を担う豪華キャストが集結した、今年最も注目のサスペンス・アクション超大作です!

この度、映画の公開を記念して、暑い夏の熱い映画の後もスッキリ!!「天空の蜂」特製ウェットティッシュをご用意いたしました。 

 


 

 『天空の蜂』


史上最悪の原発テロに立ち向かう男たちを描いた、クライシス・サスペンス超大作


【ストーリー】
tenkuuhachi-2.jpg1995年8月8日。最新鋭の超巨大ヘリ《ビッグB》が、突然動き出し、小学生を乗せたまま、福井県にある原子力発電所「新陽」の真上に静止した!遠隔操縦によるハイジャックという驚愕の手口を使った犯人は〈天空の蜂〉と名乗り、“日本全土の原発破棄”を要求。従わなければ、大量の爆発物を搭載したヘリを原子炉に墜落させると宣言する。

機内の子供の父親であり《ビッグB》を開発したヘリ設計士・湯原(江口洋介)と、原発の設計士・三島(本木雅弘)は、上空に取り残された高彦の救出と、日本消滅の危機を止めるべく奔走するが、政府は原発破棄を回避しようとする。

その頃、《ビッグB》と原発を開発した錦重工業総務課に勤める三島の恋人・赤嶺(仲間由紀恵)は、周囲に家宅捜索の手が伸びる中、密かに恋人の無事を祈っていた。一方、事件現場付近で捜査にあたる刑事たちは、《ビッグB》を奪った謎の男・雑賀(綾野剛)の行方を追跡。聞き込みを続けるうちに、衝撃の真相へと辿り着いていく――

 


出演:江口洋介 本木雅弘 仲間由紀恵 綾野剛 國村隼 柄本明 佐藤二朗 向井理 石橋蓮司 
監督:堤 幸彦
原作:東野圭吾「天空の蜂」講談社文庫  脚本:楠野一郎  音楽:リチャード・プリン
制作:オフィスクレッシェンド  企画/配給:松竹  ©2015「天空の蜂」製作委員会

2015年9月12日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー


(プレスリリースより)
 
 

kunisora-di-550.jpg『この国の空』荒井晴彦監督インタビュー

・(2015年 日本 2時間10分)
・原作:高井有一(「この国の空」新潮文庫刊)
・脚本・監督:荒井晴彦(脚本:『ヴァイブレーター』『共喰い』『さよなら歌舞伎町』など)
・出演:二階堂ふみ、長谷川博己、工藤夕貴、富田靖子、石橋蓮司、奥田瑛二
・公開:2015年8月8日(土)~テアトル新宿、丸の内TOEI、テアトル梅田、イオンシネマ京都桂川、シネ・リーブル神戸、ほか順次公開
・公式サイト⇒ http://kuni-sora.com/ 
・コピーライト: (C)2015「この国の空」製作委員会

 


  

~戦争が終わればこの恋も終わる…里子の切なすぎる初恋~

 

kunisora-550.jpg日本映画を代表する脚本家・荒井晴彦氏が、近く公開される『この国の空』で『身も心も』以来17年ぶりにメガホンを取った。芥川賞作家・高井有一の同名小説を出版当時に読み、「映画にしたい」と考え長年温めてきた。“戦後70年”で日の目を見ることになり、プロデューサーから「自分で監督すれば」と言われて監督したという。

戦時下、空襲激しい東京、母(工藤夕貴)と暮らす19歳の娘・里子(二階堂ふみ)と、隣に住む妻子を疎開させている男・市毛(長谷川博己)との“垣根越しの恋”を描く、荒井氏らしい情念の映画。

戦争末期、男たちは戦場へ駆り出され、里子は激しくなる空襲を複雑な思いで眺めていた。「いつ死ぬか分からないのだから、仲良く暮らそう」と、里子は、食糧不足であえぐ中転がり込んできた叔母と母親がいさかいを繰り返す度に諭していた。誰もがある覚悟を持って生きていた時代。若い身空で恋も知らずに死ぬことは堪らなく不安なことだろう。そんな里子が、隣家に住む妻子持ちだがバイオリンを弾く素敵な男性に惹かれたのは自然なこと。「普段だったら、妻子ある男性の家に娘一人を行かせはしませんよ。だけど、今は娘をお願いします、という気持ちもある。」という、母親の言葉は重い。

「戦争が終わるのを望まない女もいた、そのこと自体が戦争がもたらす不幸だ」と語る荒井晴彦監督の、反戦の意が込められた作品でもある。


 ――― 脚本家・荒井晴彦はすでに確立している存在だが、映画化の決め手になったのは?
荒井晴彦氏:原作の出版当時(83年)に読んで、ヒロイン里子が神社で男に抱きつくところの画が浮かんだんです。原作者の高井さんに会って“原作を下さい”ってお願いしたら快諾してもらいました。


――― 17年ぶりに自分で監督したのは?
kunisora-di-2.jpg荒井晴彦氏:7年前に脚本書いて、根岸(吉太郎)監督に脚本を見せた時は「いい脚本だけど、誰が見るの?」って言われました。だから、プロデューサーに監督について相談したら「自分でやれば」と言われて。

――― 根岸監督にはどう答えたのか?
荒井晴彦氏:いい脚本なら撮りたいと思わないのかと。興行のこと言うくせに当てたことないじゃないかと思ったけど、言いませんでした。撮影所育ちの監督は自分から企画を出さない人が多いですね。

――― 荒井さんは撮影所に所属したことがない?
荒井晴彦氏:ありません。日活出身と思われていますけどね。

――― 脚本家・荒井晴彦氏と映画監督は時に対立する?
荒井晴彦氏:監督はシナリオは自分のために書かれるべきだと思っているようです。脚本家は映画に向かって書いているんですけどね。映画に奉仕するけど監督には奉仕しない。監督と脚本家は対等だと思っています。日本は監督主義だから困ることがありますが…。

――― この映画の現場ではどうだったか?
荒井晴彦氏:どうしても“監督”と呼んでしまうようだけど「絶対、監督と呼ぶな」とスタッフみんなに言ったんです。「脚本を担当した」と言うけど、「監督を担当した」とは言わない。よく見かける「監督・脚本」誰それというクレジット、監督が脚本も書きました、みたいな。この映画のクレジットは「脚本・監督」になっています。アメリカでは“Written and Directed by”(脚本、監督)です。私は雑誌をやっているけど、「監督・脚本」とあるのは「脚本・監督」に直します。

――― 監督が荒井脚本を手直しして揉めることはある?
荒井晴彦氏:三度ありました。脚本を手直ししたらいけないと言っている訳ではありません。でも、手直しする時は脚本家に直させたらいいと思います。脚本家に無断で直すなと言っているんです。

――― その点では、溝口健二監督が脚本家の依田義賢に何十回も書き直させたのは正しい監督と脚本家のあり方?
荒井晴彦氏:そうなりますね。何十回はいやですけど。

――― 17年ぶりの監督となると、忘れていることもあったのでは?
荒井晴彦氏:確かに、なかなか(監督としての)勘が戻らなかったですね。監督はいろんなことを決めなきゃいけないし、どこかで妥協しなきゃいけないですからね。

――― 終戦直前の苦しい時代のホームドラマということだが?
kunisora-2.jpg荒井晴彦氏:戦争が終わって嬉しくないと思った女の子を撮りたかったんです。2年前の『戦争と一人の女』でもありましたが、人間は自分に向かって爆弾を落とすB29でも、美しいと思ってしまう。爆弾でいつ死ぬか分からない中での里子のロストバージンの話です。彼女には“終戦から始まる戦いがある”ということです。

――― あの時代にしては、けっこう食べるシーンが多かったようだが?
荒井晴彦氏:原作にはもっといろいろなシーンがありますが、食べるシーンが多くなりましたね。東京は焼け野原になったと思われているけど、焼けなかった所もあったんですよ。大空襲の映画はこれまでたくさんあって、被害があったことばかりが描かれてきました。空襲被害の映画は、工藤夕貴が出た今井正監督の『戦争と青春』(91年)でも十分描かれています。

――― 昨年の『さよなら歌舞伎町』(荒井晴彦氏脚本、廣木隆一監督)で、荒井晴彦氏健在を実感したが、この映画はちょっとテイストが違うように思った。
荒井晴彦氏:「幅広なんだけどね」と言いたくなることもあります。『さよなら歌舞伎町』はオリジナルと言われているけど、“グランドホテル”ですよ。三谷幸喜の『有頂天ホテル』も“グランドホテル”って言っていたようだけど。今や、三谷幸喜と張り合っているかも(笑)。

――― キネマ旬報脚本賞を5回受賞して、最多受賞の大脚本家・橋本忍氏に並んだ。荒井さんの監督作品は当然、注目の的だが?
荒井晴彦氏:川瀬陽太という役者にメールで、「『幻の湖』(橋本忍初監督=失敗作の評価)にならないように」と突っ込まれました。

――― これから映画にしたいシナリオは?
荒井晴彦氏:たくさんあります。数本? いやあシナリオ出来ているだけで7 ~ 8本はありますね。最近は若い脚本家が出てこないしね。

――― 集団的自衛権で随分きな臭い時代となってきたが、『この国の空』で警告を?
荒井晴彦氏:いやあ、映画は無力です。反戦映画はいっぱい作られてきたけど、戦争は無くならない。それにしても、60年安保の時は30万人は集まった学生・市民・労働者たちが、今は当時の10分の1程度。今の若者たちはどこで何やってるんでしょうねえ。


 (安永 五郎)

okinawa-di-550.jpg戦後70年、沖縄は問いかける『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督インタビュー

(2015年7月15日(水) 大阪十三 シアターセブンにて)

・インターナショナルタイトル:The Afterburn
・2015年 日本 2時間28分
・監督:ジャン・ユンカーマン(『老人と海』『映画 日本国憲法』)
・シグロ30周年記念作品

公式サイト⇒ http://okinawa-urizun.com/ 
・コピーライト:(C)2015 SIGLO

・公開情報:2015年6月20日(土)~東京・岩波ホール、沖縄・桜坂劇場、 8月8日(土)~第七藝劇場、近日~京都シネマ、神戸アートビレッジセンター ほか全国順次公開


 【トークショーのお知らせ】
・日 時:2015年8月9日(日)15:30の回上映後

・ゲスト:ジャン・ユンカーマン監督


  

~戦後70年、沖縄は問いかける。
沖縄の歴史と現状を通して見えてくる、“平和憲法の国”日本の未来~

 

「うりずん」とは、「潤いはじめ」(うるおいぞめ)を語源とし、冬が終わって大地が潤い、草木が芽吹く3月頃から、沖縄が梅雨の入る5月くらいまでの時期を指す言葉だそうだ。丁度、太平洋戦争末期の熾烈を極めた沖縄戦の時期とも重なり、戦争経験者は元より戦後生まれの人でも、その頃になると体調を崩す人が多いと言われる。

 
okinawa-500-1.jpg毎年8月15日の終戦記念日が近づくと、新聞・テレビなどでも太平洋戦争にまつわる特集が組まれ、犠牲者への哀悼の意を示すと共に、悲劇を繰り返さぬ誓いを新たにしてきた。だが、果たして太平洋戦争と戦後の歩みについて、私たちは正確な情報を得てきたのだろうか。「真の平和を求め、不屈の戦いを続けている沖縄の人々の尊厳を描いた」映画『沖縄 うりずんの雨』で捉えられた沖縄の歴史と現状は、見る者の眼を開かせ、大いに刺激を与えてくれる。アメリカ・沖縄双方からの公平な視点、分かりやすい4部構成、説得力のある豊富な資料映像や証言など、今までにない強烈な発信力を持つドキュメンタリー映画に、ひたすら圧倒されてしまった。


アメリカ人のジャン・ユンカーマン監督は、1975年頃から沖縄に強い関心を持ち、武器を持たない文化の沖縄に憧れて「空手」を習い、沖縄文化を紹介する活動もしていたという。武器に頼る文化のアメリカとは対称的なところに魅力を感じて、いつかは沖縄の映画を撮りたいと。戦後60年の2005年には、世界の知識人12人へのインタビューを基に日本国憲法を検証した『映画 日本国憲法』の撮った際に、平和憲法に守られた本土と、米軍基地のある沖縄との矛盾を感じて、本作を撮ろうと思ったそうだ。


東京では6月20日から公開されて大反響を呼んでいる。大阪での8月8日の公開を前に来阪したジャン・ユンカーマン監督がインタビューに応えてくれた。「沖縄への想いが深いので、この映画の公開は緊張しています。一生に一回しか撮れない映画です。」という言葉通り、誠実な人柄は作品にも表れている。

 


  

 【映画化の理由について】

okinawa-di-2.jpg――― この作品を撮ろうと思った一番の理由は?
沖縄以外にも日本各地に米軍基地はありますが、沖縄ほど広い土地を占領しているところはありません。主権国家では在り得ないことなのです。さらに、『映画 日本国憲法』(2005)を作った時、沖縄ほど日本国憲法9条が矛盾する所はないと思いました。本土は平和憲法に守られているが、沖縄はそうではなく軍事の国…その矛盾に気付いた時からこの映画を撮ろうと思っていたんです。《理由その1》

――― 平和という観点からの矛盾ですね?
その通りです。

――― 沖縄本土復帰間もない頃、米兵の相談に応じておられたそうですが、具体的には?
ベトナム戦争終結間もない頃、反戦の意志を持つ米兵が軍法会議にかけられた時の法律相談や、支援活動の手伝いです。

――― 沖縄のプラスの一面として文化・芸術に対する思いは?
その頃、米兵向けの新聞を作って沖縄の歴史や文化を紹介する活動をしていました。私は沖縄の文化に憧れていて、武器を捨てた民族性をとても尊敬していました。武器を持たない空っぽの手で戦う「空手」を習っていたこともあります。武器に頼る文化のアメリカと、武器を持たない文化の沖縄とは対称的ですが、そこに魅力を感じて沖縄の映画を作りたいと思ったのです。《理由その2》

――― 沖縄戦はアメリカの人々にとって特別な戦闘だったのでしょうか?
沖縄戦について書かれた本がベストセラーになったこともあります。太平洋上の他の島での戦闘より戦闘期間も長いし、アメリカ兵の負傷者も多く、PTSDになった兵士が何万人もいたのです。資料映像を見ていても、時間が経つにつれて米兵が絶望的な表情に変わっていくのがよく分かるんですよ。

――― それほど壮絶で悲惨な戦いだったんですね?
okinawa-2.jpg彼らはプロフェッショナルな兵士ではなく、普通の一般市民だったんです。そういう意味では沖縄の人々と同じ立場なんです。戦争に巻き込まれて悲惨な経験をし、70年経った今でも思い出すだけで涙ぐんでしまう。米兵も沖縄の人々も苦しみを抱えたまま生きているんです。戦争がもたらす悲劇は、戦争が終わった今でも続いています。そこに反戦の意味が込められています。《理由その3》

 


 

 【4部構成について】

――― 最初から「沖縄戦」「占領」「凌辱」「明日へ」の4部構成にしようと思ったのですか?
okinawa-di-4.jpg最初から分けて撮ろうとは思ってなかったのですが、“沖縄戦”と“米軍による占領”と“その後”の3つの時代を描きたいとは考えていました。今の沖縄の現状を見ているとそれまでの経緯が見え辛いように思います。最初から丁寧に描くつもりで70年というスパンに取り掛かりました。70年はとても長いので、それまでに積み重ねられてきた中からエピソードをピックアップして強調しようと思っていました。去年の春ぐらいから編集し始めたのですが、4部構成にしようと決めたのは今年の2月ぐらいです。エピソードを並べただけでは語り口に違和感があったので、4つに分けて、それぞれに焦点を当てて編集するようにしました。特に3部の「凌辱」は全体のテーマにもなることなので、歴史の一部として取り扱うことはしませんでした。

――― 1年かけて編集したからこそ、分かりやすい作品になったのですね?
私はいつも編集が遅いので(笑)。全体的にナレーターが引っ張って行くのではなく、当事者の話でつなぐようにしました。インタビュー時間だけも80時間ありました。各人のインタビューの中から各部のテーマに即したものを抜粋していくのですが、その際、内容が重複するような文言を削ったり、同じようなケースでは問題意識が薄められないようにバッサリと切ったりして、効果的な編集をしたつもりです。4時間位に編集できた時に2作品に分けようかとも思ったのですが、より確実に伝えるためには短縮する方が効果的だと考えました。結果2時間28分の1本の作品に仕上がったのです。

――― 思いが強い程つい盛り込みがちですが、よく思い切れましたね?
そんなもんです、映画を作るということは。

――― 沖縄とアメリカの双方から公平に描かれていますが、資料映像はどこから?
資料映像はアメリカの公文書館にあったものを、沖縄県とNHKがコピーして持って帰ったもので、沖縄の公文書館にあります。100時間以上ありますが、誰でも見られるものです。

 


  

【インタビュー取材について】

――― アメリカ人の証言者は独自にリサーチされたのですか?
1995年に起きた12歳少女レイプ事件の犯人の一人、ロドリコ・ハープについては、6~7ヶ月位かけて調べて彼の弁護士を通じてオファーしました。中々承諾を得られませんでしたが、私がこの春まで勤めていた早稲田大学の教授という立場で手紙を書いたら、彼が信頼してくれてすぐに承諾してくれました。

――― ハープはどういう心境でインタビューに応じたのでしょうか?
インタビューに答えることは自分のためになると言っていました。カメラの前であの事件のことを語ることは、彼なりに過去へ決着を付けられると思ったのでしょう。

――― ハープにとってもあの事件は悪夢だったと言っていますが、主犯格の人はインタビューに応じていませんね?
同じように探したのですが、ダメでした。彼の母親とは連絡がついたのですが、「自分のことはどこで何をしているのか話さないでほしい」と言っていたそうです。

――― 沖縄戦の二人の元米軍兵士へは退役軍人協会を通じてオファーしたのですか?
okinawa-di-3.jpgいえ、アメリカのリサーチャーが直接連絡をとってお願いしました。レナード・ラザリック氏もドナルド・デンカー氏も、ストリート・ジャーナルのドキュメンタリー番組に出演されていたんです。いろんなドキュメンタリーを見た中で、この二人が一番良心的な話し方をしていたし、また話し慣れていたのも大きな理由です。ラザリック氏は小学校などで沖縄戦のことを語り継いでいて、デンカー氏は沖縄戦の本も出版されています。二人とも沖縄戦についてとても詳しい上に、自分の気持ちを整理して語れる人達なのです。

――― 元日本兵の近藤一さんの証言について?
シグロ作品で『ガイサンシーとその姉妹たち』(2007)というドキュメンタリー映画の中で、彼は中国の慰安所について証言していました。その時「日本兵は沖縄の人々を中国と同じ第3世界の人々として見下していた」という事を聞いていたので、それを思い出して今回も証言してもらいました。

――― 沖縄の人々は、日本兵からも米兵からも見下されていたんですね。それが「凌辱」という言葉につながっていく訳ですね?
そこが重要なポイントなんです。沖縄の人々がそのことを主張しても、“被害者意識”がそう言わせていると思われがちですが、元日本兵の近藤さんが言うと真実として受け止めてもらえるんです。

――― 中国で多くの慰安所ができた経緯は知っていますが、それが沖縄にもあったとは意外でした。
沖縄本島をはじめ小さな島にもあり、全部で146ヶ所もあったそうです。

 


 

【沖縄の現状と平和を希求する心】

――― 今後の沖縄基地問題について、アメリカでの関心度は?
okinawa-500-4.jpg沖縄に対する関心が少しずつではありますが高まってきています。大学の先生や活動家が辺野古への基地移設に反対する呼びかけが強くなってきています。元兵士による団体も声明を出しています。帰還兵の中には沖縄のことを大事に思っている人が多いのです。米軍は沖縄を戦利品のように扱っているかもしれませんが、一人一人の兵士はそうは思っていません。沖縄戦の元兵士たちがツアーを組んで沖縄にやって来た時、先ず驚いたことは、「まだこんなに基地があるのか?」ということでした。

――― 沖縄の基地はアジアでも一番大きいのですか?
アジアでは韓国と日本に常態的に米軍基地がありますが、空軍基地としては沖縄の基地が一番大きいです。兵士と軍属合せて年間約5万人のアメリカ人が沖縄に駐留しています。戦後70年の間には350万人ですよ。

――― 沖縄の人々は反戦への強い意識を持って生きておられるように感じたのですが?
okinawa-550.jpg日本で唯一、地上戦が集中して行われた所ですからね。沖縄戦の終戦記念日の6月23日には、摩文仁に代表されるような大きな慰霊祭だけではなく、集団自決のあったチビチリガマのような集落や沢山の人々が犠牲になった町など至る所で慰霊祭が行われています。それほど沖縄では多くの犠牲者が出て、戦場となったことを意味しているのです。そして、若い世代に確実に語り継がれているので、皆が反戦への強い意識を持って生きていると思います。

――― 戦争中の日本と今の日本とを比較して思うことは?
okinawa-3.jpg根本的に比較にはならないと思います。今の日本は軍国主義を強要しても誰も言う事を聞かないでしょう。一般住民が集団自決したチリチリガマのような狂った愛国心につながる事態にはならないと思います。ただ、過去の戦争で起こした事件を認めず、無かったことにしようとする姿勢は問題です。沖縄の人々は慰霊祭の度に、過去の戦争を思い出し、語り継ごうとしています。だからこそ平和を希求する想いが強く、戦争に反発する気持ちがより一層強いのです。

――― 英題「The Afterburn」の意味は?
沖縄では、慰霊祭の時でも絶えず戦闘機が飛び交っています。常に戦争を身近に感じながら生活しているので、戦争を忘れたくても忘れられないのです。「The Afterburn」とは、トラウマが解消しない限り傷はどんどん深くなっていく、という意味なんです。米軍基地という問題がある限り、沖縄の人々が心から平和を享受することは不可能なんです。

――― それが沖縄の現実なんですね?
その通りです。


 (河田 真喜子)

nobi-di-550.jpg若い人の宝になる映画を!『野火』塚本晋也監督インタビュー

(2014年 日本 1時間27分)
・原作:大岡昇平
・製作・脚本・撮影・監督・編集:塚本晋也
・出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森 優作、中村優子
・2015年7月25日(土)~渋谷ユーロスペース、8月1日(土)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
・公式サイト⇒ http://nobi-movie.com/
・コピーライト:(C)SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER


 nobi-500-1.jpg 

~雄大で美しい風景と無残で小さい人間、このコントラストを撮りたかった~

 

大岡昇平が第2次大戦中、フィリピン戦線での日本軍の苦闘を描いた問題作。1951年に「展望」に発表した戦争文学の代表作。第3回(昭和26年度)読売文学賞・小説賞受賞。59年に市川崑監督が大映で映画化している。


【物語】
nobi-550.jpg第2次大戦末期のフィリピン・レイテ島。敗色濃厚で日本兵たちが飢えに苦しむ中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを命じられるが、病院も負傷兵で入れず、田村は追い出される。戻った部隊からも入隊を拒否され、原野をさまよい歩く。空腹と孤独、容赦なく照りつける太陽の熱と戦いながら、田村は地獄のありさまを目の当たりにする。殺人、人肉食への欲求、同胞すら狩ってまでも生き延びようとする戦友たち。何とか生き延びた田村にも、いつしか狂気がしのび寄る…。  

死体が行く手にゴロゴロ転がる、凄惨な画面には絶句するしかない。人間はどこまで残酷になれるのか? 限界を試すようなフィリピンの無残極まりない描写は、今転がって行きつつある“いつか来た道”への警告に違いない。


 塚本晋也監督が構想20年をかけた悲願の作品『野火』(大岡昇平原作)が完成し9日、大阪・シネ・リーブル梅田で先行上映された。舞台あいさつのため来阪した塚本監督に、映画に込めた思いを聞いた。


―――『野火』の映画化はいつ頃から考えていたのか?
塚本晋也監督:原作を高校時代に読んで、鮮烈に頭に残った。悪いトラウマではなく、いいトラウマになった。映画少年だったんで、いつか映画化したい、とその時から思っていた。あれから40年。凄惨な戦場の映画ですが、雄大で美しい風景と無残で小さい人間、このコントラストだけは描きたいと考え、30代でも40代でもそこは変わらなかった。

nobi-di-2.jpg――― 脚本執筆はいつ頃? 
塚本監督:30代にはシノプシスを書いた。輪郭は変わっていない。原作に近づいて、追体験していく旅、みたいな感じですね。

――― 市川崑監督の『野火』(59年)は見たか?
塚本監督: 銀座・並木座で見た。強い印象を受けた。崑さんを大尊敬している。心に残りました。崑さんの人間性にも…。自分が撮っていたモノクロの8㍉映画に影響を受けた。その後、崑さんの映画をずいぶん見た。

――― 市川崑監督フリークだった?
塚本監督:日本映画が好きで崑監督も好きだが、黒澤明監督、岡本喜八監督も好きでした。一番好きなのは神代辰巳監督ですけど。全盛期の日活ロマンポルノは中学生なので見られなかった。東宝時代の『青春の蹉跌』や『アフリカの光』などを見てます。日活時代の映画は今後の楽しみにしています。

――― 監督としては最初が『鉄男』(89年)になる?
塚本監督: 『野火』にはまだまだ手が届かなかった。30歳過ぎて映画にしようとしたが、規模が大きく現実的にはならなかった。10年ぐらい前に、戦場に行った方々が80歳を超えられた頃、インタビューを始めた。レイテ島の戦友会のリーダーの紹介で10人ぐらいの方々に聞いた。実際、人間がいかに簡単に物体に変化するものか、聞いた。写真も見せてもらった。

――― カニバリズム(人肉食)については?
塚本監督:自分が、とは誰も言わないが、現地では普通に行われていたようです。理性が働いてる状況じゃない。食べたか食べなかったか、良い悪いを問う映画ではない。

nobi-di-3.jpg――― 原作は文学的表現になっているが?
塚本監督:市川崑作品では食べていない。人肉を食べて歯がボロボロになって食べられなかったということになる。今作では、食べただろうなという程度。サルの肉とされているが、バラバラ死体はサルではなく人間に見える。

―――『鉄男』をはじめ、海外や日本でも“塚本フリーク”は多いが『野火』はアレっと思う作品では?
塚本監督:そうかな?  ある種のファンタジーとして見せる映画が多かったが、根っこのところでは共通している、と思う。

――― 丁度戦後70年の節目の公開になるが?
塚本監督:そこを目指した訳じゃないが、偶然のようで、実は必然だった。10年前には取れなかった原作(の映画化権)も取れたし、周りのスタッフも頑張って、1着買った軍服を50着にしてくれた。奇跡みたいにして出来た映画です。

――― 自ら主演も。はじめから自分でやるつもりだった?
塚本監督:いやいや、もっとほかの人でオファーもありましたが、やっぱり自分で、ということに。普通の人っていう目線を意識した。田村(主人公)とお客さんが一緒です、と。

―――『野火』の前に(マーティン・)スコセッシ監督の『沈黙』に3か月、中心になる「茂吉」役で出演しているが?
塚本監督:遠藤周作原作で、これもスコセッシ監督が20年ぐらい温めていた作品。『野火』、スコセッシ監督作品と、宿願の作品にかかわれた、意義ある1年。この1年は“ビフォーアフター”みたいですね。 

――― 昨年9月にベネチア国際映画祭コンペ部門に出しているが、反響は?
塚本監督:お客さんのスタンディング・オベーションはものすごく長かった。マスコミは賛否両論。暴力シーンではっきり別れました。

――― 若い人に見てもらいたい映画?
塚本監督:本当にそう。私たちが子供時代に“はだしのゲン”を見て心から感動したように、若い人には宝になる映画です。

(安永 五郎)

chaplindirector.JPG

『チャップリンからの贈りもの』グザヴィエ・ボーヴォワ監督インタビュー&トークショー@フランス映画祭2015
 

~「神を信じていないけれど、チャップリンは信じています。」

グザヴィエ・ボーヴォワ監督×ミシェル・ルグランが綴る

チャップリン遺体誘拐の顛末とほろりとする結末~

 
伝説の喜劇王、チャーリー・チャップリンは、いつも社会の底辺で生きる人たちに目を向け、その苦しみや歓びをユーモアと皮肉を絶妙なさじ加減で取り入れながら描き続けてきた。そんな偉大なチャップリンを思わぬ形で取り上げ、現在に”甦らせた“のが、実在のチャップリン遺体誘拐事件を題材にした、グザヴィエ・ボーヴォワ監督最新作の『チャップリンからの贈りもの』だ。
 
chaplin-550.jpg
 
<ストーリー>
1978年、スイスのレマン湖畔に住む、移民のオスマン(ロシュディ・ゼム)は、刑務所から出所したばかりの親友エディ(ブノワ・ポールヴールド)を離れのバラックに住まわせながら、娘サミラと共にギリギリの生活を送っていた。ある日、エディとテレビを見ていると、チャールズ・チャップリン逝去のニュースを目にする。妻の入院費が払えず窮地に陥ったオスマンのためにエディは、前代未聞のチャップリンの遺骨を誘拐し、身代金を奪う計画を立てるのだったが・・・。
 
チャップリンの遺族が本作へ全面的に協力し、作品中でもチャップリンの妻役やサーカス座長役で出演している他、なんといっても感動的なのは『シェルブールの雨傘』をはじめ、数々の素晴らしい映画音楽を手がけたミシェル・ルグランが、本作で久しぶりに音楽を担当していること。往年の名画を観ているような壮大な音楽に胸が熱くなる。
 
遺体誘拐事件の犯人側にスポットを当て、彼らが当時置かれていた状況や、誘拐事件を起こさねばならなかった理由、そして映画ならではの結末に希望が見える、グザヴィエ・ボーヴォワ監督流ファンタジー。ファンタジー要素をより高めたのが主役のブノワ・ポールヴールド演じるエディがサーカス座で職を得、二人組のパントマイムを演じるシーンだ。チャップリンの姿がかさなるようなエディの姿やラストシーンは、記憶に残ることだろう。
 
グザヴィエ・ボーヴォワ監督へのインタビューでは、チャップリンへの思いやサーカスシーンの裏話をお聞かせいただいた。
 

chaplin-2.jpg

―――チャップリンの存在の偉大さや、グザヴィエ・ボーヴォア監督が学ぶべきものを引き継いでいる偉大さを感じましたが、監督にとってチャップリンはどのような存在ですか?
私は神を信じていないけれど、チャップリンは信じています。チャップリンが語る言葉は、私の前作『神々と男たち』の修道僧に語らせても、ぴったりくるような台詞がありました。『チャップリンの独裁者』でのスピーチも修道僧に語らせても非常にしっくりくるもので、そういう意味でもチャップリンは偉大な存在だったと思います。
 
 
―――犯人が移民であることも、この事件や本作の脚本を書く上で大きな要素となっていたと思いますが、当時の社会的背景や移民たちの置かれていた状況について教えてください。
事件はスイスで起こっていますが、フランスとスイスで実は状況は違っていました。スイスは移民を街の中に溶け込ませ、住まわせていましたが、フランスの場合は移民を郊外に追いやり、ゲットーのようなところで住まわせていたのです。スイスは最初から移民に滞在許可を与えていましたが、フランスはなかなか滞在許可を与えませんでした。しかも当時フランスは労働力確保のために移民を来させておきながら、滞在許可や労働許可を与えなかったのです。これがそもそもフランスの間違いだったと思います。労働力として入国させたなら、スイスのように街の中に住まわせ、労働許可を出すべきでした。それが今フランスで起きている様々な事件の根源になっていると思います。
 
 

chaplin-3.jpg

―――サーカスのシーンで、ブノワ・ポールヴールド演じるエディの二人組の出し物(パントマイム)が素晴らしかったですが、このシーンはどのように作り上げていったのですか?
本当のサーカスの出し物を見て、それが素晴らしかったので映画に採用しました。ブノワは、最初は道化師の役は絶対にやらないと言い張っていました。赤い鼻をつけた、いわゆる道化師ではないと話をしても、DVDを見せようとしても断固拒絶されたのです。最終的には、一緒にサーカスを見に行って、生のサーカスのパントマイムを見て、ようやく「これだったら、やってみる」と快諾してくれました。
実際のサーカスでのパントマイムは、本番一回だけですが、映画の撮影時は20回、30回と同じことをやらなければならなかったので、翌日ブノワは「筋肉痛だ!」と大騒ぎしていました。
 
 
―――墓を掘り起こすシーンと、埋め戻すシーンの曲は少し楽しそうな雰囲気がありましたが、監督からはどのような指示を出したのですか?
お墓を掘り起こす奇妙で奇天烈な人がいたということで、ファニーな音楽を起用しました。刑事ものであれば暗い感じの音楽になりますが、そういうものは作りたくなかったのです。
 
chaplin-4.jpg
 
―――『ライムライト』をアレンジした音楽が使われていましたが、その意図は?
『ライムライト』をアレンジしたのは、ミシェル・ルグランです。この曲を使ったのは、お墓を掘り起こしたときに、チャップリンの魂がもう一度表舞台に現れたという感じを出したかったのです。そこで、『ライムライト』の曲で登場させたのです。執事が「こんな事件でももう一度表舞台に(チャップリンが)出てきたので、私はもう一度ここにいなくてはいけない」と最後に言いますが、そこでも掘り起こされたことにより、生き返りはしませんが、やはり“チャップリンは出てきた”のです。
(江口由美)
 

FFF-チャップリン-T-550.jpg
フランス映画祭2015上映後に行われたトークショーでは、東京を気に入ってくださった監督の熱のこもった挨拶に続き、音楽について話が及んだときは、担当したミシェル・ルグランになんと生電話という、うれしいサプライズも。きっとチャップリンも微笑みながら見守ってくれていたであろう、最後まで盛り上がったトークショーの様子をご紹介したい。
 
ゲスト:グザヴィエ・ボーヴォワ監督
(2015年6月29日(日)@有楽町朝日ホール)
 

FFF-チャップリン-T-2.jpg

――― 最初のご挨拶。
皆様こんにちは~。この場を借りてこの作品を公開して下さった関係者の方々にお礼を申し上げます。
私は、私の作品を紹介してくれるいろんな国へ行って「この国に来られて嬉しい」といつも言っていますが、それはウソで、心の中では「本当は家に居たかった」と思うことが多いです。ですが、今回は本当に本心から日本に来ることができて嬉しく思っております。私の友達の多くは日本が好きです。日本映画は勿論、家並みやファッション、和食や文化、特に注目したのは自分以外をリスペクトする姿勢です。東京はこんな大都会なのに、物音があまりしません。車も静かで、あまりに静かなのでびっくりしたくらいです。今回は皆様とお会いできて大変嬉しく思っております。
黒澤明監督は、「映画について語ることは余計なことだ」と仰ってたと思いますが、「見ればわかる」ということでが、私は私の映画についてひと言説明させて頂ければと思います。
 
 
――― この映画は実際に起きたチャップリン遺体誘拐事件を基に作られていますが、今なぜこれを題材にして作ったのですか?
家で妻と『ライムライト』を見ていて、その事件のことを思い出して妻に話したんです。すると、「冗談でしょ!?」と信じなかったんです。そこで、インターネットで調べて説明していたら、「チャップリンの遺体を盗むなんて、こんな奇妙奇天烈なことは映画にすべきだ!」と思って作ったのです。
 
FFF-チャップリン-T-3.jpg
――― 音楽を巨匠ミシェル・ルグランが手掛けておられるのに、先ずびっくり! さらに、滑稽で間抜けなシーンにそれが使われていたのにまたびっくり!彼を起用した理由は?
映画は魂を持った人間のようだと思っています。映画を作るということは、魂に導かれるように創り上げていくことだと。先ず、その作品は音楽が必要かどうかを考え、必要だったら魂からの呼びかけがあると思っています。
ミシェル・ルグランの音楽は大好きで、『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』などずっと彼の音楽を聴いて育った人間ですので、「是非担当して欲しい!」とオファーしたら、OKして下さったのです。しかも、フランスにあるお城のようなご自宅に3週間泊めて頂いて、一緒に生活するという幸運に恵まれたのです。スタジオはハリウッドにあったのですが、フランス人女優の奥様がフランスに居たいと仰って、そうなったのです。
編集を担当していた私の妻は、編集機をルグランさんのピアノの横に置いて、ルグランさんはシーンを見ながら作曲するという共同作業ができたのです。彼は83歳ですが、若々しくてとても熱意のある方です。オーケストラのイメージも同時に出来上っていて、作曲も演奏もすべてやって頂きました。今思い出しても涙ぐんでしまうほど感謝しております。
 
(ここで突然携帯電話を取り出して、電話を掛けるボーヴォワ監督……相手はなんと、ミシェル・ルグラン!! 会場の大喝采を送ると、「日本の皆さんにカンパイ!」とミシェル・ルグランの元気な声でお返事が!―― 思わぬプレゼントに会場は大盛り上がり。)
 
 
――― 『ライムライト』を思わせるラストシーンが特に印象的でしたが、最初からそうするつもりでしたか?
社会の陰の部分で生きている人も光の方へ行ってほしい。人は立ち上がることができる。スイスで撮影したのですが、可能な限りの光を集めて撮影しました。刑務所から出所する時に「もう道化師は辞めろよ」と言われるのですが、結局サーカスで道化師をやることでエディは立ち直っていくのです。そこがとても重要なことだったのです。私の子供時代もとても大変なことがあり不幸でした。ですが、映画の力で光の方へ行けたのです。同じように立ち直ってほしいという願いを込めて撮りました。
 
 
――― 雨のシーンが多かったようですが、何か理由があるのですか?
チャップリンが亡くなったのはクリスマスで、必然的に冬のシーンが多くなって雨が多かったのです。自然の雨のシーンは好きで、よく撮ります。思い通りの気候を人工的に設定して撮影したい監督もいますが、私は自然に任せて撮る方です。
 
 

FFF-チャップリン-T-4.jpg

――― 『神々と男たち』でも素晴らしい映像で魅了させてくれたキャメラマンのカロリーヌ・シャンプティエとの仕事について?
彼女とは5作品一緒に仕事をしています。彼女なしでは撮影は考えられない程です。言葉に出さなくても私の意図を素早く理解してくれます。私たちがよく考えていることはあまり美しくなり過ぎないようにすることです。俳優とのやりとりもよく理解してくれています。彼女は、半分はアーティストで、半分は「サムライ」だと思っています。芸術家としてのセンスも素晴らしく、モーターのような原動力があり、さらに確固たる意志を持った人なんです。体は小さいのですが、「サムライ」のような人だと思っています。
 
 
――― とてもユーモアのある作品でしたが、チャップリンの秘書の方や娘さんなどの身内の方はどう捉えていたのでしょう?
弁護士と検事のやり取りは実際の裁判記録から引用しています。結構、楽しんでいたのでは?と思われます。チャップリンの奥様は、最初「チャップリンは心の中で生きている」という理由で身代金は払わないと言っていたそうです。ですが、子供たちに危険が及ぶような脅迫をされ、それぞれにガードマンを付けたようなこともあったらしいです。ご家族にしてみれば不愉快な事件ですが、最後は粋な計らいで締めくくられましたので、今回の映画化にもとても協力して頂けたのです。チャップリンの偉大さは、亡くなってからもマスコミで大きく報道されて世界が注目し、死してなお二回目の生を生きた人なんだと思いました。
(河田真喜子)
 

<作品情報>
『チャップリンからの贈りもの』
原題:La rancon de la gloire  英題:THE PRICE OF FAME
・2014年 フランス 1時間55分
・監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
・脚本:グザヴィエ・ボーヴォワ/エチエンヌ・コマール
・出演:ブノワ・ポールヴールド、ロシュディ・ゼム、キアラ・マストロヤンニ、ピーター・コヨーテ他
2015年7月18日(土)~YEBISU GARDEN CINEMA、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸ほか、全国順次公開
公式サイト⇒ http://chaplin.gaga.ne.jp/
©Marie-Julie Maille / Why Not Productions
 

ボヴァリーインタビュー.jpg

『ボヴァリー夫人とパン屋』アンヌ・フォンティーヌ監督インタビュー
 

~小説『ボヴァリー夫人』に美しき隣人を重ねて・・・文学好きパン屋の危険な妄想~

 
フランスを代表する小説家ギュスターヴ・フローベールの傑作『ボヴァリー夫人』をモチーフに、小説好きの主人公が、美しく奔放な人妻に『ボヴァリー夫人』の悲劇のヒロイン、エマを重ねることで起こる物語を描いた『ボヴァリー夫人とパン屋』。
 
文学好きのパン屋、マルタンを演じるのは、『屋根裏部屋のマリアたち』『危険なプロット』の名優、ファブリス・ルキーニ。隣人の英国人人妻、ジェマを演じるのは『アンコール!!』のジェマ・アータートン。はまり役と言わんばかりの2人の演技が、物語にリアリティーを添える。『ココ・ヴァン・シャネル』『美しき絵の崩壊』のアンヌ・フォンティーヌ監督が、美しいフランス西部ノルマンディーの小さな村を舞台に、官能的かつ、ユーモアを交えて描き出した覗き見の恋物語は、ファンタジックであり、探偵もののような趣もあり、プラトニックラブもあり、妄想物語でもある。まさに味わい深いジャンルレスな作品だ。
 
女優業をされていたこともあってか、インタビュー後の写真撮影では「私は笑わないの」と、キリリとした表情でこちらを見つめてくださったアンヌ・フォンティーヌ監督。キャスティングの経緯や、本作で描いた「欲望」についてお話を伺った。
 
『ボヴァリー夫人とパン屋』アンヌ・フォンティーヌ監督トークショー@フランス映画祭2015 はコチラ
 
bovary-550.jpg
  <ストーリー>
マルタンは出版社務めの後に、ノルマンディー美しい村でパン屋を営む文学好きな男。ある日、向かいに引っ越してきた英国人のチャーリーとジェマ・ボヴァリーを見て、愛読している『ボヴァリー夫人』の悲劇のヒロイン、エマを重ねるようになる。毎日パンを買いに来るジェマと少しずつ世間話をするような仲になるマルタンだったが、ある日、ジェマが年下の男のもとに向かう現場を目撃。小説のエマのように服毒自殺を図るのではと妄想が膨らんでいったマルタンは、ある行動に出るのだったが・・・
 

FFF-ボヴァリ-T-4.jpg

―――本作の原作と出会ったきっかけや、本作を映画化するに至った経緯は? 
アンヌ・フォンティーヌ監督(以下監督):私がよく仕事をしているプロデューサーの机の上に偶然ポージー・シモンズさんの本が置いてありました。本のタイトル(『Madam Bovery』)や、表紙の絵がミステリアスで興味を惹かれました。本を借りて読んでみるとファンタジーに満ちており、とても面白い方法でフランス文学における伝説的人物である『ボヴァリー夫人』をモチーフとして扱っていました。ポージーが持つ描き方のトーンに惹かれ、ぜひ映画にしたいと思ったのです。 
 
―――パン屋という設定は原作でもあったのですか? 
監督:主人公がパン屋であること、ノルマンディーという舞台や、隣に引っ越してきたのが英国人夫婦なのは原作どおりです。他に映画の中で私が書き足したシーンもあります。 
 
―――具体的に、どんなシーンを書き足して物語を膨らませたのですか? 
監督:例えば、ファブリス・ルキーニ演じるパン屋のマルタンが、ジェマにパンをこねることを教える少しエロチックなシーンは、映画のために書きました。またラストも映画のために書いたシーンです。原作コミックの精神を踏襲し、書き加えていきました。 
 
―――主人公マルタンを演じたファブリス・ルキーニは、彼なくして本作はありえなかったというぐらい、まさにはまり役でしたが、キャスティングの経緯は?
監督:ファブリス・ルキーニとは旧知の仲で、映画を一緒に作ったこともありますし、演劇でもご一緒しているので、原作本を読んだときに、知的な文学狂のパン屋を演じられるのは彼しかいないと思いました。彼個人がフローベールの大ファンで、普段からもボヴァリー夫人のことを話していますから。彼はとても面白い人なので、即興などももちろん取り入れて演じてくれました。(トークショーでは、ルキーニが自分の娘をボヴァリー夫人の名前、エマと名付けたことや、初めて一緒に食事をしたときからボヴァリー夫人について熱く語っていたエピソードを披露) 
 
―――冒頭はファブリス・ルキニ演じる主人公のモノローグが挿入されていますが、その狙いは? 
監督:冒頭、ファブリス・ルキーニが観客に向かって語りかけるのは、彼がまるであの作品の映画作家であるような印象を与えたかったのです。映画において、あのようにカメラに語りかけるのは珍しいのですが、一つのスタイルとして選択しました。 
 

FFF-ボヴァリ-T-5.jpg

―――ヒロインのジェマを演じたジェマ・アータートンさんも、艶やかで、とても魅力的ですが、起用理由は? 
監督:ジェマ・アータートンは、ポージー・シモンズさん原作の作品に出演経歴があるので、あえて起用は避け、他の英国人女優をオーディションしていたのですが、あまりしっくりきませんでした。ジェマは偶然ヒロインと名前も同じですし、役に合っていることは分かっていたので、最終的にはジェマと会いました。彼女が部屋に入ってきた一瞬にして、すごく官能的で、親しみやすく、モダンでありながらもクラシックな感じを抱いたのです。この役はエマ(『ボヴァリー夫人』のヒロイン)とジェマを両方演じられるようなモダンかつクラシックな素養が必要ですが、ジェマ・アンダーソンはまさにそれを体現している人物でした。 
 
―――わさびは芸者のように日本に関係あるものが登場しますが、監督は日本文化に関心があるのでしょうか?また影響を受けた映画監督は? 
監督:日本料理や日本文化も好きですし、ユーモアの一環で、今回(わさびや芸者を)使ってみました。今まで日本に関する作品を撮ったことはありませんが、東京は映画作家にとってインスピレーションを与える街だと思います。おすすめの日本を題材としたテーマがあれば教えてください。また影響を受けたのは、小津安二郎監督です。 
 
bovary-500-1.jpg―――本作はフランスですでに大ヒットしていますが、フランスの観客の心を掴んだ理由をどう分析していますか? 
監督:そうですね。コメディーですが、洗練されていることや、笑いの質としては残酷であったり、ブラックなところもあり、アングロサクソン的な笑いが評価されたのかもしれません。いずれにせよ、いい映画と思っていただいているからヒットしたのでしょう。 
 
 
―――『美しい絵の崩壊』も本作も「秘めたる欲望」を堂々と描いている印象がありますが、その意図は?
監督:欲望という点でいえば、本作はファブリス・ルキーニ演じるマルタンの欲望、投影による愛を描いています。ジェマはマルタンの妄想の人物でありながら、同時に現実に存在している人物です。現実とフィクションの間で心理学でいうトランスファー(転移)の状態にあるわけですが、その投影の愛はプラトニックで、それがマルタンの愛の構造です。 
 
『美しい絵の崩壊』はドラマツルギーで前代未聞の親友の息子に恋してしまうという、ありえない状況の愛や欲望の実現を取り上げています。両方の共通点をあげるなら、普段描かれない影の部分、人間のコントロールから外れ、難しい道に入ってしまう人々を描いているところにあると思います。 
 
―――次回作について、教えてください。 
監督:撮影が終わり、現在編集中の作品があります。1945年終戦前のポーランドの修道院が舞台で、32人の女優が修道女を演じています。赤十字で働く主人公にはルー・ドゥ・ラージュを起用し、彼女が修道院の女性たちと関わっていく物語です。他はポーランドの女優を起用していますが、『イーダ』で叔母役を演じたアガタ・クレシャも出演しています。 
(江口由美)

 
<作品情報>
『ボヴァリー夫人とパン屋』“Gemma Bovery”
(2014年 フランス 1時間39分)
監督:アンヌ・フォンテーヌ
出演:ファブリス・ルキーニ、ジェマ・アータートン、ジェイソン・フレミング、ニールス・シュナイダー
配給:コムストック・グループ 
公式サイト ⇒ http://www.boverytopanya.com/
7月11日(土)~シネスイッチ銀座、8月1日(土)~テアトル梅田、T・ジョイ京都、今夏、シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショー
© 2014 – Albertine Productions – Ciné-@ - Gaumont – Cinéfrance 1888 – France 2 Cinéma – British Film Institute
 

FFF-カレカノ-T-550.jpg

◆ゲスト:アナイス・ドゥムースティエ(クレール役)
(2015年6月27日(土)@有楽町朝日ホールにて)


『彼は秘密の女ともだち』

・(Une nouvelle amie 2014年 フランス 1時間47分)
・監督:フランソワ・オゾン
・出演:ロマン・デュリス、アナイス・ドゥムースティエ、ラファエル・ペルソナ
・配給:キノフィルムズ
2015年8月8日(土)、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、
8月15日(土)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次ロードショー!

公式サイト⇒ http://girlfriend-cinema.com/
・© 2014 MANDARIN CINEMA – MARS FILM – FRANCE 2 CINEMA – FOZ
 


カレカノ-550.jpgのサムネイル画像 

~“秘密の女ともだち”に魅せられた、ちょっと変わったラブストーリー~

 

男性の立場も女性の立場もよく理解できる(?)フランソワ・オゾン監督が仕掛けるラブストーリーは、性を超越した自由な魂に魅せられた女性の成長を通し、真実の愛に導かれていく幸福感にあふれている。

大親友のローラを病気で亡くしたクレールは、ローラの夫ダヴィッド(ロマン・デュリス)と赤ん坊の娘を死ぬまで守ると宣言。その後、ダヴィッドの意外な秘密を共有することで、二人の間に微妙な関係性が生まれる。優しくて誠実な夫のジル(ラファエル・ペルソナ)にも言えず、ダヴィッドを「ヴィルジニア」という女ともだちの名で呼び、クレールは次第にダヴィッドの中の「ヴィルジニア」に惹かれていく。

カレカノ-2.jpgあのヒゲの濃いロマン・デュリスが本気で女装しているではないか! 立ち居振る舞いからさり気ない仕草、優しい表情やエレガントな着こなしに至るまで、なんと女らしいこと! 特に、細くてセクシーな足にご注目。でも、ロマンの濃い顔からしてニューハーフのような完全な女装ではない。やっぱり男とすぐ分かる女装ゆえに、ダヴィッドに大きな悲しみが襲うことにある。

フランソワ・オゾン監督は、敢えて男性の部分を残した女装「ヴィルジニア」を仕立てたという。「ヴィルジニア」のセクシーさにも、ダヴィッドの男らしさにも、そして亡くなったローラへの恋慕の想いをミックスした感情をクレールに芽生えさせている。その複雑な感情の変化を表情だけで表現したクレール役のアナイス・ドゥムースティエが、《フランス映画祭2015》に際し来日。上映後のトークショーでは、製作現場での様子やオゾン監督の意図や共演者についてなど、どれも興味深いお話を披露してくれた。


FFF-カレカノ-T-5.jpg――― 最初のご挨拶
皆さんこんにちは!こんなに沢山の方に見に来て頂いて本当にありがとうございます。日本ではフランソワ・オゾン監督はとても愛されている監督だと思っていますので、こうして監督作品を携えて皆さんの前に登場できて光栄です。


――― アナイスさんは去年だけでも5本出演されて超売れっ子でいらっしゃいますが、この映画出演を決めた経緯は?
一つ目のモチベーションは、フランソワ・オゾン監督はフランスでもとても才能のある監督のおひとりですから、オファーを頂けたら女優にとっては大きな喜びでした。しかも女性を描くのが巧みな監督でもあります。
二つ目のモチべーションは、この物語がオリジナルでとても変わったラブストーリーだったことです。私が演じるクレールは、最初から最後までラブストーリーを通じて本来の自分自身に目覚めていくという素晴らしい人物造形に魅力を感じました。

――― アナイスさんはオゾン監督にどうして選ばれたのでしょうか?
オゾン監督は、表現豊かな眼差しを持った女優を探していたということを聞いたことがあります。確かにこのクレールという役は、セリフの少ない分、女優にとっては難しい役柄でした。クレールの目を通して物語を辿っていく役目もありましたから、細やかな表情でシリアスな場面やミステリアスな状況を表現する必要があったのです。クレールがどんな気持ちでいるのかを想像しながら演じるのは、とてもやりがいのある役でした。

FFF-カレカノ-T-2.jpg――― ヒゲの濃いロマン・デュリスさんを目の前にして吹き出すことはなかったですか?(笑)
この映画はちょっと変わったラブストーリーなので、クレールがそんなにイケメンではない男性に惹かれていくのが解らないかもしれませんが、ダヴィッドが完璧に女性になりきれていない男性の部分を残しているところがオゾン監督の狙いです。だからこそクレールが惹かれていくのが衝撃的で感動的になっていくのです。オーデションではもっと女装の似合う美しい男優さんもいたのですが、敢えてロマン・デュリスのような男っぽい男優を選んだ理由はそこにあります。

クレールがダヴィッドになぜ惹かれていくのか?それは彼のルックスとかフィジカルな部分ではなく、ダヴィッドが持っている自由なエスプリとか魂に惹かれていったのだと思います。クレールは、物語の最初の方では内気で自分の居場所を見出せないような女性でした。それがダヴィッドによって、自分を開放していき、本当の自分自身をダヴィッドを通じて見つけ出していくわけです。

――― 映画館の中でのシーンで、ヴィルジニアに痴漢するのはオゾン監督ですよね?
そうです!(笑)

――― アナイスさんがクレールと同じ立場になったらどうしますか?
勿論女装したいという人がいたら一緒に過ごしますよ。私はそうしたことに反対の意見は持っていません。この映画の素晴らしいのは、クレールの接し方が理解できるように仕向けているところです。時折クスクスッと笑ったり大笑いしたりすることもありますが、それは決してバカにして笑っているのではありません。ヴィルジニアに寄り添いながら楽しんでいる笑いなのです。オゾン監督は、このように遊び心のある軽やかなトーンでこの深刻になりがちなテーマを描きたいと思われたんだと思います。私もそう思って演じました。

FFF-カレカノ-T-3.jpg――― ロマン・デュリスさんも役作りが大変だったと思いますが、アナイスさんから見て如何でしたか?
ロマン・デュリスとの共演は素晴らしい体験でした。以前から女装する役をやりたい!と思っていたらしく、カツラを着けたりハイヒールを履いたりすると、子供のようにキラキラっと目を輝かせていました。私にとってもいい刺激になりました。
普通は女優の方が化粧に時間が掛かるのですが、ロマンは2時間位かけて化粧していましたから、私の方が男優待ちをしていました。


――― 彼の喜び様は素顔の時から伝わってきましたね?
だからオゾン監督はロマン・デュリスを選んだんだと思います。

――― クレールは、ダヴィッドの中の女性の部分に恋をしていたのか、それとも男性の部分なのか、あるいは亡くなった親友へのレズビアンのような恋情なのか、3つの想いが交差していたように感じたが?
クレールが恋したのはヴィルジニアです。ダヴィッドのことはどうでもいいと思っていたのです。確かに複雑なラブストーリーなので、親友のローラのような完璧な女性をヴィルジニアにも感じていました。また、ダヴィッドが創造したヴィルジニアにもセクシーさを感じていたのです。この撮影はとても微妙で不思議な感覚で過ごしました。他の映画で見るようなロマン・デュリスの視線を感じながら、女装した時にはダヴィッドの創造物であるヴィルジニアの視線にも対面しなければならない、というとても心が動揺するような撮影でした。
 

FFF-カレカノ-T-4.jpg――― クレールのファッションがとても素敵でした。ロマン・デュリスとラファエル・ペルソナという二人の人気俳優に愛されるお気持ちは?
本当に幸せでした。ラファエルとは2回共演したことがあってよく知っているのですが、今回ちょっと可愛そうな役でしたが、本当にいい人なんだなあと思わせる演技をしていたと思います。ロマン・デュリスは子供の頃から憧れていたので、今回共演できてとても嬉しかったです。
衣裳については監督と相談して、ストーリーの進行によってクレールが変化していくので、それに合せて衣裳もマニッシュで目立たないものから女性らしいフェミニンなものへと変化して行きました。自分の女性っぽいところを受け入れていく訳です。

――― オゾン監督が他の監督と違うところは?
とてもスピーディーに仕事をする方です。彼が1年に1本映画を撮っていて、現場でも彼のパッションを強く感じられます。子供ようにエキサイティングして、いつも楽しんで映画を作っています。技術上でも他の監督とは違う点があります。それは彼自身がカメラを覗いていることです。俳優との距離が近くなり、俳優にとっても見られているという快感があり、気持ちのいい関係です。

――― 7年後だという最後のシーンの意味は?
(アナイスさんから観客に質問)
皆さんはどう思いましたか? クレールが妊娠していましたが、相手がヴィルジニアだと思う人は?ジルだと思う人は?
不思議なラストシーンです。わざと疑惑を残した監督の狙いです。私も監督もヴィルジニアの子供だと解釈しています。ジルは捨てられてということです。親子3人のシルエットが夕焼けの向こうに映ることは監督が示す家族のアイロニーです。

――― 最後にご挨拶を。
今日は見に来て下さいまして本当にありがとうございました。もし気に入って頂けましたら、他の方にも勧めて下さい。
 


 映画の中では、フランス人女優にしては控えめなお胸のボーイッシュな感じでしたが、実際のアナイス・ドゥムースティエさんは、ふっくらホッペとくりくりっとしたお目々が可愛い女優さんでした。どんな質問にも正直にユーモアたっぷりに答えてくれて、その明るく親しみやすい人柄に益々魅了されてしまいました。覚えにくい名前ですが、これから彼女の出演作が続くと思われますので、頑張って覚えましょう。ドゥムースティエ、ドゥムースティエ・・・。

(河田 真喜子)

2015年8月8日(土)~シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、
8月15日(土)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次ロードショー!

 


◆フランス映画祭2015
◆6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場) にて開催・・・(終了しました)
◆フランス映画祭公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2015/


 

FFF-サルガド-T-550.jpg

『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督トークショー
 
『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』“Le Sel de la terre”
(2014年 フランス=ブラジル=イタリア 1時間50分)
監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
出演:セバスチャン・サルガド
提供:RESPECT 配給:RESPECT×トランスフォーマー
2015年8月1日(土)~Bunkamuraル・シネマ、8月8日(土)~シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、8月15日(土)~シネ・リーブル神戸、8月22日(土)~京都シネマ他全国ロードショー
© Sebastião Salgado © Donata Wenders © Sara Rangel © Juliano Ribeiro Salgado
 

~息子とヴィム・ヴェンダースが紐解く写真家セバスチャン・サルガド、40年の旅路~

 
60年代から40年にも渡って、地球を旅し、虐げられた者、移動せざるを得ない者、労働する者、長きにわたって部族の伝統を守り繋いでいる者、そして人類の営みに惑わされることなく生きる動物や雄大なる自然を、真っ直ぐに撮り続けてきた写真家セバスチャン・サルガド。彼の人生の歩みを写真と共に振り返ると共に、彼の家族人としてのもう一つの物語も語られていく。
 
セバスチャン・サルガドの息子であり映像作家のジュリアーノ・リベイロ・サルガドとヴィム・ヴェンダースが、写真の奥にあるセバスチャン・サルガドの視点、そして彼の実体験に迫るドキュメンタリー『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』。セバスチャン自身の独白だけでなく、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドやヴィム・ヴェンダースの語りが挿入され、セバスチャンの知られざる姿を多面的に浮かび上がらせる。
 
サルガド-550.jpg
 
撮影旅行に同行したときの映像では、セバスチャンの写真がなぜあれだけの力を持つのか、現地の人々と一体となっている様子からうかがい知ることができる。大虐殺の現場や、飢餓で亡くなっていく人々など、同じ人間のする残酷さに目を背けたくなるような写真もあるが、それも含めて、セバスチャンが今までカメラで捉えてきたものが今に伝えようとしていることは大きい。一方、セバスチャンが新たなる希望として掲げる「自然の再生」は、希望を失いがちないな現代を生きる私たちに力を与えてくれるのだ。
 
上映後のトークでは、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督が登壇し、「映画の中でセバスチャンが持っている希望を皆さんと分かち合えたならうれしいと思います」と挨拶。映画でも触れられている父、セバスチャン・サルガドとの関係や、ヴィム・ヴェンダース監督の考えた仕掛けについて、たっぷり語って下さった。その内容をご紹介したい。
 

FFF-サルガド-T-2.jpg

―――どのようにして、この企画が始まったのか?
ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督(以下監督):2009年から企画が始まりました。セバスチャンは南アメリカインディアンのゾエ族の写真を撮りに行くことにしました。ゾエ族は女性が非常に重要な位置を占めています。当時の私と父との関係は非常にぎくしゃくしていて、なかなかコミュニケーションができない状況でした。ですから、当時は父の映画を作るなんて考えられませんでした。ただゾエ族は1万5千年前から同じような生活をしている人々に出会う機会はなかなかありませんから、取材旅行に同行することに決めたのです。ゾエ族の人たちは非常に温厚な人たちで、私たち親子にもいい影響を与えてくれました。
 
セバスチャンが仕事をしているときの映像を旅行中撮影していたので、パリに戻ってから編集をはじめると信じられないことが起こりました 映像を撮るときは、映像を撮る人の感情が映像を通して見えてきますが、セバスチャンは息子がどういう感情をもっているか初めて私が撮った映像を通じて見たのです。あまりにも感動して、ずっと涙を流していたのです。私と父の間の扉が開かれ、一緒に映画を作ることもそのとき可能になったのだと思います。
 

FFF-サルガド-T-3.jpg

―――写真家である父のどの部分をどういう視点で捉えようとしたのか?
監督:セバスチャンは写真家なので、彼が撮った写真はアルバムや展覧会で観れますが、写真の映画であってはいけない。また、彼の撮影の旅を題材にしてもあまり強いテーマのにはならない。むしろ、世界を40年間特別な視線で見てきた証人として、彼が見てきた世界を描こうとしました。
 
 
―――ヴィム・ヴェンダース監督はどのように映画制作に関わっていったのか?
監督:セバスチャンは非常に色々な人を見た経験がありますし、(映画を通じて)何か分かち合うものがあるのではと、1年間考えました。彼のことを語ることがとても重要で、若い頃世界と対峙していたのが、だんだん変わっていく部分が面白いし、セバスチャンが、世界を見る時の仲介役となって、カメラを通すことでより豊かに表現できた訳です。セバスチャンは、自分がとても耐えられない状況をエチオピアなどで見ることになりますが、彼はその中で自分なりの世界を作っていくわけです。そこで、ヴィム・ヴェンダース監督に連絡をとり、11年から彼に加わってもらいました。
 
 
―――原題の『地の塩』“The Salt Of the Earth”の意味は?1940~50年代にアメリカ映画で『地の塩』という作品もあったが、この作品と関連はあるのか?
監督:唯一関係を考えるとすれば、50年代の同作は鉱山で働く人たちを描いており、社会的なテーマを描いているという部分では通じるかもしれません。実際にはこのタイトルは聖書の一節です。セバスチャンは合理的で神を信じない人なので、少し矛盾がありますが、彼の写真はシンボリックなものを見出だすことができ、ある意味宗教的とも言えます。セバスチャンは人々を通して地球を好きになったのです。色々な人々と出会うことで、彼らの目線で写真を撮っていきました。ですから、人間について語った言葉が、非常に適切ではないかと考えました。
 
 

FFF-サルガド-T-4.jpg

―――セバスチャン・サルガドは、写真を撮る活動を辞めて、森に帰っているが、人類を愛する、信じることが今できているのか?
監督:94年、セバスチャンは、ルワンダの撮影から戻り、ルワンダで見たものに心を痛めていました。彼の写真の撮り方や取材旅行の仕方は、行った先の共同体と一体化し、人と人との人間関係を作りそこから、生まれる感動を写真にしていました。彼の写真は何か希望を持っていて、写真を撮ることや見ることで、人々の意識が変わるだろうと思っていました。しかし、ルワンダでは悲惨な状況があり、自分の写真は役に立たないと感じたのです。その時、彼の中で写真を撮ることに終止符が打たれたのです。
 
その後、セバスチャンは故郷の森に戻り、一時はまる裸になった畑に250万本の木を植えるプロジェクトを行いました。そうすると、生態系の頂点にあるジャガーが戻ってきたのです。以前のように絶対人間が前向きに進むという希望は失いましたが、この時彼は、別の希望を持ちました。私たちはゴリラのようにも、海のクジラのようにも、世界の一部になれると思えるようになったのです。彼が発表した13年に発表した『GENESIS』からも、それを感じていただけるでしょう。
 
 

FFF-サルガド-T-5.jpg

――――ジュリア―ノさんは子どもの頃、父、セバスチャン・サルガドさんのことをスーパーヒーローと思っていたそうですが、実際に父の仕事の現場を見た感想は?
監督:一緒に旅をしているときは、父のことを全く知ることができませんでした。彼は非常に集中していて、色々な動物や人と出会うことに完全に入り込んでいます。パプアニューギニアでは、2日間歩いてジャングルの森を上がり、村から1~2キロぐらいのところで畑を耕している人々を見つけると、お互い言葉は分からなくても10分間でその人たちと関係を築き、彼らの共同体に入っていくのを目撃しました。その場では、父のことを探求する余裕はないのです。
 
同行しての撮影が終わり、この映画をヴィム・ヴェンダースと仕事をするようになり、彼のおかげで父を見出しました。私は最初からこの映画をどう語ろうか、決めていました。セバスチャンが写真についての話をし、写真と話を結びつけることにより、若者だった彼が40年の経験の中で、どうやって『GENESIS』のセバスチャン・サルガドアーティストになっていったのか、その変容を語ろうと思っていたのです。
 
そこで、ヴェンダースが撮影にあたってとてもいい仕掛けを考えてくれました。セバスチャンをスタジオに座らせ、周りを黒い幕でかこみ、撮影チームも静かにしていて、何も見えない、聴こえない状態に置きます。彼の前に鏡を置き、マジックミラーで、鏡の後ろにはカメラを据えています。鏡には写真が映るようにし、ヴェンダースは写真を変えるだけでした。彼の物語はよく知っていましたので、写真は私が十分吟味して選んでいました。セバスチャンは、2、3枚写真を見ただけで、完全に写真を撮っている時に戻って語りだしたのです。撮影をしたあとに、事前編集をして、初めて他の人の目を通して父が語るのを見て、彼が精神的にどう成長していったのかを知りました。そこから私と父、セバスチャンとの関係は完全に変わり、友人になりました。
 
 
―――:素晴らしい音楽でしたが?
監督:サルガドが見た世界をどのような音楽を使って表現できるか考えました。サルガドの感情が表に出るように、控えめで抽象的な音楽をさりげなく使いたかったのです。ローレント・ピティガントはそれに応えた音楽を作ってくれました。
(江口由美)
 

 
フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)…終了しました。
公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2015/
 
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71