「京都」と一致するもの

SFT-550.pngSFT西尾監督-2.jpg『ソウル・フラワー・トレイン』西尾孔志監督インタビュー

(2013年 日本 1時間30分)
監督: 西尾孔志
原作:ロビン西『ソウル・フラワー・トレイン』
出演:平田満、真凛、咲世子、大和田健介、駿河太郎、大谷澪他
2014年1月18日(土)~第七藝術劇場、2月22日(土)~京都みなみ会館、3月8日(土)~神戸アートビレッジセンター
※第七藝術劇場公開時の西尾監督、キャストによる舞台挨拶、ゲストを迎えてのトークショー(連日)詳細はコチラ

公式サイト⇒http://www.soulflowertrain.com/

(C) ロビン西 / エンターブレイン

 

 

~大阪を舞台に描く究極の「子離れ」物語。懐かしくてロックな人情喜劇!~

 大学に通う娘のもとを久しぶりに訪れる田舎の父親の素朴さと、いつまで経っても子どもの頃の娘の面影を胸に抱く親心が胸を打つと同時に、昭和堅気の父親像が非常に懐かしく思える。監督は本作が長編劇場デビュー作となる西尾孔志。漫画家、ロビン西の短編をもとに、父親が旅の途中で出会った少女あかねとの珍道中や、美しく成長した娘の真実を受け入れるまでの葛藤を、時には滑稽に、時には切なく活写している。大阪映画でおなじみの新世界をはじめ、日劇会館(旧作邦画専門の二本立て映画館)や、ストリップ劇場など、大阪で生まれ育った西尾監督が表現する大阪は、そこに住む多様な人たちの息吹が溢れているのだ。少年ナイフが歌う主題歌『Osaka Rock City』にのって、父親役の平田満をはじめ、真凛、咲世子と関西出身の新世代実力派俳優がみせる人情劇。いつの世も変わらぬ「子離れ」「親離れ」がロック感溢れるテイストで表現されていたのも新鮮だった。
 本作の西尾監督に、デビュー作を人情喜劇にした経緯や、平田満さん演じる父親役に込めた狙い、大阪を舞台に映画を撮るにあたって表現したいことについてお話を伺った。


■『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』のように、伝統的な日本映画のエンターテイメントをまた観たかった。


SFT-3.png―――『ソウル・フラワー・トレイン』は西尾監督の長編劇場デビュー作であり、大阪を舞台にした昔懐かしい人情喜劇になっていますが、このような作品にしようと考えたきっかけは?
『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』など、自分が20代の時は古臭くてあまり観ようと思わなかった作品を今観ると、面白いんです。プロの職人の仕事として良くできているし、もちろん尖った部分はありませんが、すごく安定して面白い。僕は10代のとき撮影所で働いていたことがありました。深作欣二さんや工藤栄一さんの現場でも働きましたが、両監督作品のような日本映画のエンターテイメントがすごく好きです。丹念に作られていて、決してチープではない。こういう作品を自分なりに継承したい、ああいうエンターテイメントがまた観たかった、そもそも寅さんのような人情喜劇を劇場デビュー作で撮る人は珍しいでしょう。僕は今までインディーズで映画を作っていたので、インディーズ=ちょっと尖った感性の映画というイメージがあるかと思いますが、逆に日本の伝統的なエンターテイメント映画を目指した人間喜劇にしました。

―――ロビン西さんの原作を映画化しようと思った理由は?
漫画関連イベントを手がけている巴山(はやま)君と芸術創造館勤務時代の上司の前田さんと僕との三人でALEWO企画というユニットを作りました。映画の西尾、漫画の巴山、演劇の前田というそれぞれの色分けができているユニットなので、それぞれの強みを生かした作品づくりを狙い、その第一弾は僕と巴山君の好きな漫画家ロビン西さんの作品で、大阪が舞台の『ソウル・フラワー・トレイン』にしようとすんなり決まった感じです。既にロビン西さんと交流のある巴山君と一緒に映画化のお願いをしにいき、快諾していただきました。

SFT-5.png―――今までの西尾監督作品も、女の子が可愛かったですが、今回は本当にどの女の子も魅力的でした。
女性キャストたちはルックスもすごくいいのですが、お芝居もうまいですね。配役の面では前田さんの役者関係の人脈を活かして、大手プロダクション所属の役者さんにオーディションを受けに来てもらうことができました。皆さん東京で活動している方ですが、オーディションの条件が「関西弁がしゃべれる人」ということで、関西出身者が揃いましたね。

 

■原作と映画の違いに注目!ロビン西さんの原作があるからこそできたオリジナルストーリー。


―――西尾監督は共同脚本も手がけていますが、原作と変えようとした部分もたくさんあったのでは?
原作は今絶版中なので、『ソウル・フラワー・トレイン』劇場用パンフレットに原作を全て掲載しています。パンフレットを見ていただければ、原作を映画でどういう風に変えたかという部分にかなり驚いていただけると思います。原作と映画の違いは注目して観ていただきたいですね。映画の半分はオリジナルストーリーですから。

―――なるほど。それは鑑賞後に原作も読みたくなりますね。具体的に、原作からどのようにして脚本を膨らませていったのですか?
ロビン西さんに、こういう風に変えていきたいという話をしたら面白いと思っていただき、僕と同じく脚本の上原さんとが何度か書き直したものを、二、三度ロビン西さんに見ていただき、意見をもらいました。原作者は普通映画化されるとき、脚本にはノータッチのケースが多いですが、今回はロビン西さんも一緒に作ってくださり、すごくこの映画を気に入ってくれています。東京で上映した際は、ゲストでもないのに後半毎日のように上映に来てくれましたし、原作者にそこまで気に入ってもらうのは、映画を作った者の冥利に尽きます。ロビン西さんの持っているテイストや、原作の空気はしっかり残しています。ロビン西さんの原作があるからこそ、ノリノリでオリジナル部分を膨らませた感じですね。

 

■父親のキャストイメージは「笠智衆」。父親役平田満さんのアイデアを取り入れた、子離れする親のラストシーン。


SFT-4.jpg―――クライマックスでストリッパーの娘を前にした平田満さん演じる父親の行動は、本当に勇気がありますね。あんな勇気を出せる父親はなかなかいないなと感動しました。
原作では様々な展開があった上で最後は色紙が家に飾ってあるんです。原作の肝の部分でもあるので脚本もそのまま使っていたのですが、平田さん自身が娘を持つ父親でもあるので、映画の父親の決断の気持ちが分かるからこそ、最後は子離れをしっかりしなければいけないのではないかと提案されました。「色紙を持って帰るということは、まだ子どもにこだわっているということなので、この色紙をどうにか処分できないでしょうか」とおっしゃってくださったので、それらの話を伺った上で僕が平田さんに提案したのは、船の上で捨てたのか忘れたのか分からないような曖昧な形で色紙を置いていく形でした。その色紙を風がさらって、もう戻らないような感じで表現しています。平田さんも脚本にアイデアを下さるような現場でしたね。

―――脚本にも平田さんはアイデアを出されたとのことですが、他に平田さん起用の決め手となった点や、平田さんが演じる父親像に託したことは?
父親は原作の通りの描写です。僕の中でこの作品のことを考えた時パッと頭に浮かんだのが小津安二郎の『東京物語』でした。本作も親が離れて暮らす子どもを訪ねていく話ですから、実はキャストイメージのところに「笠智衆」と書いていたんですよ(笑)。笠智衆さんがあの娘の姿にドタバタするというイメージが私の頭の中にあって、今ああいう頑固さと人としての純粋さを持った父親を誰が演じることができるかと考えたとき、平田満さんがピッタリはまりました。

 

■平成のじゃりんこチエ、花時計のストリップ劇場とダンサーたち、串カツ屋の在日コリアン客。大阪の下町を舞台に、多様な人間が住む均一的ではない魅力を描く。


SFT-2.png―――ナビゲーターのあかねというキャラクターは、大阪の子らしいイキイキとカラフルな感じが出ている部分とナイーブな部分の両面が見えていました。
大阪という場所でポジティブかつ行動力があって、しっかりしている子というと、昔でいえば「じゃりんこチエ」ですね。また山本政志監督の『てなもんやコネクション』(90)でもナビゲーターをやっているのは女の子なんです。あかね役を演じている真凛を見ていて「じゃりんこチエやっているなと」思っていました。

―――大阪映画だけあって、定番の大阪観光地を西尾監督流に入れ込んでいますが、地元の人間として逆に抵抗はなかったですか?
前半はべたべたな大阪観光ですよ。20代のときは大阪のベタベタな描写や大阪の観光地を撮るのを避けていたのですが、大阪以外の人からみればそんなこだわりは全く関係ないですよ。例えば『ローマの休日』で全くローマの観光地が映っていなかったら、つまらないじゃないですか。串カツ屋の「二度づけ禁止」なんて大阪では本当に当たり前のことなのですが、東京のお客様には「串カツ屋ってあんな感じなんですか?」と言われます。

―――確かに、登場人物は皆、人間くさいキャラクターですね。
例えばストリップ劇場の前の串カツ屋で劇場のことを紹介するお兄ちゃんも韓国人ですが、大阪の下町を描いて、日本人以外の人が出てこないのは不自然な気がします。在日コリアンの人を社会問題として取り上げるのではなく、普通に街で生きている人として登場するような話にしたかったんです。アジアの多様性や在日問題を掲げるのではなく、「アジア一のあじや!」みたいなしょうもないダジャレで終わらせたかった。その方が僕の知っている大阪の感じがでます。自分の周りに普通に多様な人間が住んでいる状況が、大阪の下町を舞台にすると描きやすいです。均一的ではない魅力ですね。

 

■もともと人間は愚かだけれど、そこが可愛いわけで、ダメな部分もいい部分も含めて肯定したい。


SFT西尾監督-1.jpg―――西尾監督が今までに影響を受けた監督は?
三人挙げると、一人目は黒沢清監督です。ハリウッド映画よりも予算が少ない日本映画にあって、ドラマチックに映画を語る術が非常に素晴らしいです。特にVシネマ時代のカット割りの影響をかなり受けていますし、今回も東京上映時ゲストに来ていただきましたが、「国際映画祭を狙ってアート的な映画を撮る若い人が増えているけれども、西尾君はジャンル映画を作る担い手になってください」と言ってくださいました。作品も含めて黒沢監督にすごく好意的に受け取ってもらえたのがうれしかったです。
二人目は林海象さんです。テレビドラマ『濱マイク』シリーズや『弥勒』(13)の監督もされていて、京都造形大学では私が講師、林さんは上司の学科長でした。映画を作るだけではなく、観客にどう届けるかといった上映まで含めた一つのエンターテイメントであることを教えてもらった気がします。
三人目は森崎東監督です。東京で森崎監督の特集上映が組まれる前年(08)に、京都造形大学で森崎東映画祭を学生と一緒に企画し、作品選定をさせてもらいました。森崎監督は日本の娯楽映画の担い手の一人であるわけですが、そこに描かれる人物像が一癖も二癖もあり、こちらの予想を裏切る複雑で入り組んだ人間であるところが、より感動を呼びます。

―――主題歌の『Osaka Rock City』や、登場人物の心情に寄り添うようなアコーディオンなど、音楽にも注目が集まる作品ですね。
少年ナイフ、赤犬のクスミヒデオさん、DODDODOさんと、今回はほとんど関西のミュージシャンの方ばかりです。僕がもともと大阪のライブハウスで音楽を聴くのが好きな人間なので、彼らと一緒に作品を作りたかったんですね。かんのとしこさんが弾いているアコーディオンのメロディーは、映画完成後にクスミヒデオさんが作曲してくださいました。クスミさんは今後も関西の映像音楽の重要なキーマンだと思います。ALEWO企画の前田さんが、かつての角川映画のように主題歌のある作品にしたいということで、大阪の映画だからロックテイストの曲を、少年ナイフさんにこの映画のために作っていただきました。今回、みなさんの音楽が本当によく映画にハマったと思います。

―――本作をどんな方に観ていただきたいですか?
この作品は映画を作っている学生や夢を追いかけている若い人と、そういう子どもを都会に送り込んでいる親御さんたちに見てほしいです。子どもがやっていることを認めるというのは、とても普遍的なことで、『ソウル・フラワー・トレイン』は子どもを一人の人格として認めて子離れをする話だと思います。30代後半以上の人たちの涙を誘うところもそこですね。また結構若いお客様から「久しぶりに実家に帰りたくなりました」と言ってもらい、うれしかったです。

―――最後に、これから大阪でどんな映画を撮っていきたいですか?
大阪に限りませんが、正義や悪、良識などある一辺倒の価値観に加担するようなことはしたくない。愚かな部分や汚らしい部分も含めて人間なのです。でもそういう部分はどんどん隠されてきているし、「人はこうでなくてはならない」とこだわっているから、逆に悪ぶることが受けたりします。もともと人間は愚かだけれど、そこが可愛いわけで、ダメな部分もいい部分も含めて肯定したい。色々な人がたくさんいるという状況が好きです。僕は、色々な人がいて、それぞれのペースで生きているのが街だと思っていますから。
(江口由美)

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ポーランド映画祭チラシ.jpg 2012年に開催され、大好評を博した『ポーランド映画祭2012』が、ポーランドの名匠イエジー・スコリモフスキ監督による監修で『ポーランド映画祭2014』として再び特集上映が行われる。シネ・ヌーヴォでは1月11日(土)より、京都みなみ会館では2月8日(土)より開催される同映画祭では、「アンジェイ・ワイダの軌跡」と題して、戦後ポーランド映画を牽引し、今春最新作『ワレサ』が劇場公開予定の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の社会派作品群を網羅。『大理石の男』(ジャーナリスト今井一さんによるトークあり)、『鉄の男』を上映する他、傑作『地下水道』、『灰とダイヤモンド』をアンコール上映する。イエジー・スコリモフスキ監督作品も多数ラインナップ、アンジェイ・ムンク、タデウシュ・コンヴィッキら世界の映画人に影響を与えたポーランド映画を一挙に鑑賞できるまたとない機会だ。

『ポーランド映画祭2014』開催に先駆け、イエジー・スコリモフスキ監督、アグニシェスカ・オドロヴィッチ氏(ポーランド・フィルム・インスティテュート<ポーランド映画協会>)が来阪、記者会見ではポーランド映画祭や日本映画界との関係、ポーランドの映画制作支援の環境、そしてアンジェイ・ワイダ監督について語ってくれた。その模様をご紹介したい。


―――ポーランド映画祭が日本で開催されることについて
イエジー・スコリモフスキ監督(以下スコリモフスキ):ポーランド映画界と日本映画界の関係がどんどん密接になってきているように思います。実際に、ポーランド映画祭開催と並行して、ポーランドでも日本映画祭を開催しております。開催にあたっては、マーメイドフィルムの村田信男さんが協力してくださり、13年6月ワルシャワにて開催しました。

 

―――スコリモフスキ監督は、日本映画をどう捉えているか?
スコリモフスキ:ポーランドで日本映画は高い評価を得ています。特に映画ファンには人気があり、クロサワの名前を知らない人はいないでしょう。オオシマやもっと若い世代の監督も人気があります。

 

―――日本は特定秘密保護法案が成立したが、ポーランドのように言論の自由がない中で作品を作ってきたスコリモフスキ監督にとって、言論の自由をどう獲得しようと努めているのか?
スコリモフスキ:政府の管理に対する反抗は、政府の力が強くなればなるほど、創造的な反抗になるということです。

 

スコモリフスキ3.JPG―――ポーランド60年代の作品は、フランスのヌーヴェルヴァーグの状況と重なるが、スコリモフスキ監督はヌーヴェルヴァーグをどう感じていたのか?
スコリモフスキ:映画の作り方が大きく変わったと言えます。それまでは、お金、人員、機材が大規模でしたが、フランスのヌーヴェルヴァーグでは映画の作り方がそれまでのものから自由になり、手持ちカメラで外に出て行き、既にあるロケーションを活かしました。音声も完璧に収録するのではなく、台詞が聴きづらくてもいいといった感じでしたし、役者もアマチュアを採用する等、映画を作る上での民主主義になっていったのです。

 

―――次回作について
スコリモフスキ:2014年春、新しい作品を撮る準備をしています。脚本も自分で書きましたし、ロケ場所やキャストも大体決まっています。キャメラマンは今回初めて若い人を起用する予定です。
アグニシェスカ・オドロヴィッチ氏(以下オドロヴィッチ):11分の中で色々な人の人生の中での出来事が展開し、それらが絡み合う中で人生が変わっていくというストーリーです。スコリモフスキ監督の作品ですから単純なところは一切ありません。

 

スコモリフスキ2.JPG―――今のポーランドは映画を作りやすい状況になっているのか?
スコリモフスキ:ポーランド映画協会が設立されてから、映画が作りやすい環境になってきました。次回作も同協会から製作費の半分の支援を受けています。
オドロヴィッチ:共産主義から資本主義に転換する際、映画を含む文化支援は完全に無視されていました。その時期は教科書に出てくるような小説の映画化や、絶対に儲かる題材の映画化しかされていなかったのです。私が文部省副大臣をしていたときに映画を支援する法律整備に力を入れ、05年にポーランド映画協会を発足させ、ポーランド映画界は新しい時代を迎えました。ポーランドで作られるほとんどの映画が製作費の半分までの支援を受けることができるようになりました。今ポーランドでは大体年間50本程度の映画が製作されていますが、そのほとんどが映画協会の支援を受けています。今、ポーランドで製作された映画はかなり人気があり、ポーランド全体の映画館興行収入の32%が国産映画です。ただ、明らかに利益目的の作品や芸術性の低い作品は支援ができません。

 

―――アンジェイ・ワイダ監督について
スコリモフスキ:一言で言わせていただければ、長きに渡り素晴らしい映画を作り続けていらっしゃることが何よりもうれしいです。ワレサ元大統領の半生を描いた最新作『ワレサ』も、ベネチア国際映画祭でのワールドプレミアを経て、今春日本で上映されると聞いています。お元気で、これからも良い作品を作り続けて下さることを期待しています。私たちにとってワイダ監督は師匠のような存在で、現在も自らの映画学校を経営し、若い監督たちを指導し続けています。そのようにして、若い監督たちがワイダ監督の魂をたどり、展開していってくれると思います。


ポーランド映画祭 公式サイトはコチラ

シネ・ヌーヴォ 上映予定はコチラ

busikon-b2-550.jpg野菜だらけのクリスマスツリーにびっくり!『武士の献立』大ヒット御礼舞台挨拶

(2013年12月24日(火)なんばパークスシネマにて)

ゲスト:上戸 彩、高良健吾

 

(2013年 日本 2時間01分)
監督:朝原雄三
出演:上戸彩、高良健吾、西田敏行、余 貴美子、夏川結衣、成海璃子、柄本佑、緒形直人、鹿賀丈史、ふせえり、宮川一朗太、猪野学、海老瀬はな、浜野謙太、笹野高史/中村雅俊(語り)

2013年12月14日(土)~全国公開中

★作品紹介⇒ こちら
★11/28(木)大阪舞台挨拶⇒  こちら
 ★12/8(日)京都舞台挨拶⇒  こちら
 ★公式サイト⇒
 http://www.bushikon.jp/

(C)2013「武士の献立」製作委員会

 


~高良健吾の誠実な役作りに改めて感謝する上戸彩~


 

busikon-550.jpg12月14日から全国公開されている映画『武士の献立』。江戸時代の加賀藩を舞台に、藩の台所を預かる“包丁侍”と言われた一家を描いた時代劇は、和食が世界文化遺産に登録されたことも追い風となって好評を博している。特に、加賀藩に伝わる饗応料理や調理の様子がたくさん登場する映画とあって、目にも鮮やかに美味しい和食の魅力が楽しめる。何と言っても、包丁でもって藩に誠を尽くした藩士とそれを支えた妻との夫婦愛や人を思い遣る優しさにあふれた物語は、人との関わりが希薄になりつつある現代人の心を優しく温めてくれる。年末年始、家族で観に行くには最適な感動作である。

その大ヒット御礼のため、主演の上戸彩と高良健吾が大阪なんばパークスにて舞台挨拶を行った。公開前の大阪ステーションシネマとMOVIX京都での舞台挨拶に続くものとなったが、大勢の観客を前に、感謝の気持ちと、改めて作品への想いを語った。

 


【最初のご挨拶】 (敬称略)
busikon-b2-2.jpg上戸:舟木春を演じさせて頂きました上戸彩です。こうして公開を迎えて皆さんにお会いできるのをとても嬉しく思います。大阪にもまた来られてとても嬉しいです。本当にありがとうございます。
高良:メリー・クリスマス!クリスマスイヴにこの映画を選んで観に来て下さいまして、本当にありがとうございます。この映画はテンポのいい時代劇なので、とても見やすいと思います。

――― お二人は公開前に大阪・京都と舞台挨拶に来て下さいましたが、公開後に舞台挨拶をするお気持ちは如何ですか?
上戸:クリマスイヴに高良君と一緒にお仕事できるなんて、嬉しいです♪
高良:僕も嬉しいですが、実は今日が最後なんですよ。
上戸:そうなんですよ、今日でバイバイなんですゥ。
高良:寂しいです!(笑)
 busikon-b2-u1.jpg――― キャンペーンは大阪が最後なんですか?
上戸:はい、大阪が最後なんです。
――― それは大阪をトリにして頂いてありがとうございます!(会場から拍手)
お二人は撮影中は春と安信として接して来られて、キャンペーンに入ってからよく話すようになったのですよね?
上戸:そうです。現場ではそれなりに楽しく過ごしていたのですが、こうしたキャンペーンで一緒に食事したりお喋りしたりして親しくなりました。それを思うと、4月の撮影の時はまだぎこちなかったんだなと思います。

――― 親しくなってからの高良健吾さんへのイメージは変わりましたか?
上戸:私の中では、今まであまりお会いする機会もなく「よく映画に出ておられる役者さん」という感じだったので、共演できてとても嬉しかったです。撮影の時から紳士的でとても優しく、ちょっと不器用なところは映画の中の安信さんらしいなと思っていましたが、今ではとても大人に感じます。速いテンポで会話ができるようになりました。
 busikon-b2-k1.jpg――― それは高良さんに何かあったんでしょうか?
高良:別に撮影中役に入りきっていた訳ではなく、ぎこちなかったかもしれませんが、「春と安信」という関係性だとそれで良かったのかなと思います。あの時は春をやっている上戸彩さんでしたが、今では意識せずにいろんな事をお話させて頂いています。ずっと芸能界の中心にいた方ですので、こうしたキャンペーンや取材にも慣れておられ、どんな時でも元気に応えておられます。そんな上戸さんに会うとパワーをもらえます。
上戸:嬉しい

――― 映画の中では沢山のお料理が登場しますが、どれが一番美味しかったですか?
上戸:私は一番「治部煮」が美味しかったです。最初甘くて、わさびを入れると味がキュッと締まってさらに美味しくなるんですよ。
――― 映画では見るだけですけど楽しみですね。高良さんは?
高良:僕も「治部煮」が一番美味しかったです。春が作っているシーンもありますが、この時代は簡単に食材が買える訳ではなく、また調理器具や保存方法も違いますので、料理にはもっと時間が掛かっていたはずです。そうしたことを考えながらこの映画を見ると、また違った感情を抱いて頂けるのではと思います。

busikon-b2-u2.jpg――― 映画の中の調理シーンでは手元だけしか写ってないですが、実際にお二人が料理されているのですよね?
上戸:はい。吹替えの人を用意して下さるのかなと甘いことを考えておりましたら、全部自分たちでやらなければならなくて、現場で初めてやらされることがあったり、いきなり本番にいったりして、凄く緊張しました。手元しか写ってなくても、実は私の手だったり、高良君の血管だったりしているんですよ(笑)。
――― お料理は大変だったのでは?
高良:とても楽しかったです 
 ――― それじゃ、お家でもお料理をバンバンするようになったのですか?
高良:撮影終わってからだいぶ経っていますので、あまりしてないです(笑)。

――― 時代劇の撮影で難しかったことは?
 busikon-2.jpg上戸:この時代男性に「もの申す」女性というイメージがなかったので、安信さんをどの程度にらみつければいいのか、その加減が難しかったです。下から見上げるだけでも危険なのに、そのルールを破っていくのですから、安信さんのテンションを見ながら、高良君の演技に私が乗っかっていく感じで演じました。安信さんがもっと強く出れば私はそれ以上に強く出る必要があったのですが、そうなると時代劇として成立しなかったかもしれません。それを、高良君自身が持っている不器用さや優しさで安信さんの柔らかさや映画の雰囲気を作って下さっていたんだなぁと、映画を見て改めて思いました。
――― 高良さんもその辺りのさじ加減は難しかったですか?
高良:安信は不器用で子供っぽいですが、誠実だと思うんです。その誠実さに辿り着くまで時間が掛かるんですが…。映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎の不器用だけど誠実な感じが好きなんです。声から誠実さが伝わってくるような人物像です。

 


busikon-b2-3.jpgここで、劇場から特製のクリスマスツリーをプレゼントされる。大根や人参やかぼちゃなどの野菜の形をしたオーナメントが飾り付けられたツリーが登場して、大喜びする二人!

一旦会場の照明を消灯して、全員でカウントダウン――点灯!

きらめくツリーの横で照れながら野菜のオーナメントをほお張ろうとする高良健吾。それをからかう上戸彩。

 

 


(最後のご挨拶)
 busikon-b2-k2.jpg高良:クリスマスイヴの日にこの映画を選んで下さいましてどうもありがとうございました。この映画に出てくる人物は、本当に自分のしたいことが出来ているのか、必ずしもそうではない気がして…それでも何をすべきか、何を感じるべきか、目の前にある状況や人をちゃんと見て、食に対してだったり、思いやりだったり、いろんなことに気付いていきます。この映画を見て凄く大切だなと思ったのは、自分が今立っている場所でどう向き合うか、どういう風に行動するかということです。本当にこの映画を選んで下さってありがとうございました。このツリーは、野菜だけにグリーン席に乗せて持って帰ります!(笑)

上戸:おおっ上手いこと言ったな!(笑)ご家族やお友達と集まる機会も多いと思いますが、この映画を見て「いい映画だったな」と思って頂けたら、周りの方にも広めて頂きたいと思います。素敵な年末が過ごせますように! 家族や夫婦の愛や思いやりがいっぱい詰まった映画ですので、ホッコリした気持ちで帰って頂けたら嬉しいです。今日は本当にありがとうございました。

 


 

バツイチで四つも年上だが料理の腕を見込まれて「息子の嫁に!」と父親に懇願されて江戸から加賀藩へ嫁いで来た春。剣で身を立てるつもりが、長兄の急死で道場の娘との縁組も剣の道も諦め“包丁侍”として生きる道を選ばざるを得なかった安信。料理の腕はまるっきしダメな安信が料理上手な姉さん女房に反発しながら渋々料理をしていくあたりはおざなりのコメディになりがちだが、上戸彩が語るように、高良健吾の誠実で真剣な安信像が映画全体の雰囲気を高めているように感じた。また、高良健吾の演技に健気に応えた上戸彩もまた役柄同様内助の功を奏してとても微笑ましい。そんな二人が心も軽くしてくれる味わい深い時代劇を是非観に行って頂きたい。

 

(河田 真喜子)

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『太陽に灼かれて』『戦火のナージャ』につづく戦争スペクタクル3部作、ついに完結!不朽の名作『太陽に灼かれて』から19年。ロシアの巨匠ニキータ・ミハルコフによる最終章『遥かなる勝利へ』が、いよいよ2014年1月18日(土)よりシネマート心斎橋にて公開される。
『遥かなる勝利へ』作品レビューはコチラ

『遥かなる勝利へ』公開を記念して、奈良のロシア雑貨店「マールイ・ミール」がシネマート心斎橋劇場ロビーにて出張販売を開催。店主自らがロシアで買付けした素朴でかわいいロシア雑貨は、日本でも馴染みのあるマトリョーシカも、すべて手描きのものばかり。大量生産ではできない温かみのあるロシアの民芸品やソビエト時代の珍しいグッズが勢揃いする。映画鑑賞の合間に、ぜひ劇場ロビーをのぞいてみて!

harukanarugoods.jpg■販売期間:2014年1月18日(土)~
※映画『遥かなる勝利へ』上映終了まで
■場所:シネマート心斎橋 劇場グッズコーナー
    大阪市中央区西心斎橋1-6-14 ビッグステップ4F
TEL:06-6282-0815
■出張販売:マールイ・ミール(МалЫЙ МИР)
奈良市西笹鉾町2
TEL:090-9691-9844

http://mmnara.web.fc2.com/
不定休(ブログまたは電話でご確認ください)


『遥かなる勝利へ』
2014年1月18日(土)シネマート心斎橋、1月25日(土)京都シネマ、2月 元町映画館にて全国順次公開

アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した不朽の名作『太陽に灼かれて』から19年。製作期間8年を経て、ついに3部作の完結編が完成した。1936年スターリン大粛清の、激動の時代によって引き裂かれた男女3人の悲劇を描いた第一部『太陽に灼かれて』(94年)。1943年の第二次世界大戦の独ソ戦に巻き込まれた父と娘の深い絆を描いた第二部作『戦火のナージャ』(10年)。そして、本作の第三部で、革命の英雄となり犠牲者となった主人公が、ナチス・ドイツ軍と母国の権力に立ち向かう姿を通して、闇に包まれていたロシアの歴史と共に、これまで複雑にからみあってきた物語の結末を明らかにする――。

監督・脚本・製作・出演:ニキータ・ミハルコフ  
出演:オレグ・メンシコフ、ナージャ・ミハルコワ 
2011年/ロシア/ロシア語/150分/カラー/
原題:BURNT BY THE SUN3 (THE CITADEL)
配給:コムストック・グループ、ツイン                    
© 2011, GOLDEN EAGLE 

gakutaiusagi-550.jpg『楽隊のうさぎ』鈴木卓爾監督、磯田健一郎音楽監督インタビュー
(2013年 日本 1時間37分)
監督:鈴木卓爾 プロデューサー・監督補:越川道夫
音楽監督:磯田健一郎 
原作:中沢けい『楽隊のうさぎ』新潮文庫刊
出演:川崎航星、宮崎将、井浦新、鈴木砂羽、山田真歩他
2013年12月14日(土)~ユーロスペース、新宿武蔵野館、12月29日(土)~第七藝術劇場、シネ・ヌーヴォ、2014年1月11日(土)~京都みなみ会館、2月8日(土)~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.u-picc.com/gakutai/

(C) 2013『楽隊のうさぎ』製作委員会


~日々生徒たちと接しているところでしか台本も音楽も生まれてこない。
生徒たちとの「キャッチボール」から生まれた青春音楽映画~ 

gakutaiusagi-s3.jpg瑞々しい中学生たちが奏でる吹奏楽部の演奏は、決して完璧ではないけれど、心を打つ「音楽の力」がみなぎっている。中沢けいの人気小説『楽隊のうさぎ』を『ゲゲゲの女房』の鈴木卓爾監督が映画化。楽器の街、静岡県浜松市を舞台に、吹奏楽部員を一般の中・高校生からオーディションで募集し、映画のために一から作り上げられた花の木中吹奏楽部と、主人公克久の成長ぶりが、寄り添うような映像で綴られている。

主人公克久を吹奏楽部へと誘ううさぎ役に山田真歩、花の木中吹奏楽部顧問の和田勉役に宮崎将が扮し、ファンタスティックに、時には在りし日のゆったりとした吹奏楽部の雰囲気を醸し出しながら生徒たちに音の楽しさを伝えていく場面も微笑ましい。また、クライマックスの定期演奏会演奏曲『Flowering TREE』(オリジナル曲)をはじめ、克久が吹奏楽部を意識するきっかけになった勧誘演奏に『星条旗よ永遠なれ』、新入部員が入ったばかりで初見演奏させられた『ファランドール』、克久がコンクールメンバー落ちしたときの演奏曲『吹奏楽のための第一組曲』など、劇中の音楽シーンはすべて実際に部員たちが演奏した生音が使用されており、音楽映画として台詞同様彼らが奏でる音にも注目したい。

鈴木卓爾監督と音楽指導やオリジナル曲作曲を担当した磯田健一郎音楽監督に、青春音楽映画を実際の学生を集めて作り上げたプロセスや、意識したこと、音楽指導でのこだわりやオリジナル曲誕生秘話について話を伺った。


■試行錯誤を重ねた生徒たちとの撮影、音楽指導

gakutaiusagi-s1.jpg───今回は主役を含む中学生のキャストを全員オーディションで選び、一から花の木中学校吹奏楽部を作り上げました。今までの映画作りと違う点や、苦労した点は?
鈴木:今回の映画は、「浜松で映画を作りたい」という持ちかけがあったことから始まりました。吹奏楽部の物語なので、出演者はプロの俳優ではなくむしろ普段学校に通って、家で家族と暮らしている素人の学生さんたちに出演してもらえないかと考えました。プロの俳優さんは台本の流れを掴んで演技をしていきますが、10代の人たちが主人公の物語の場合、今しか映りようのない彼らという生々しいものを物語に入れたかったのです。しかし僕自身吹奏楽部の経験がなく、本作の重要な一面である音楽映画をどうやって作っていけばいいのか全くしらないままスタートしたので、彼らの生々しいものを、しかもアフレコではなく彼らが出した音を使いたいということがどれだけ大変かということを知りませんでした。生々しいものを撮るために、彼らにそこに居てもらうためにはどのように会話したり、監督として演出しなければいけないのか。その問題に突き当たりながら、スタッフみんなで作りました。

───磯田さんは、音楽監督として生徒たちの音楽指導や、オリジナルの楽曲も作られたそうですね。
磯田:オーディションで僕たちが選んだ子ども達は特に吹奏楽の経験は問わず、「『楽隊のうさぎ』に出演したい人は来てください」という条件で応募してくれた人の中から選んでいます。学年も経験もバラバラで、楽器の経験のない子もいました。最初の夏の撮影では普通の映画のアプローチを行っていました。しかし、実際に演奏をしている姿やしゃべっている顔、出ている音を使いたい。僕たちの実際目の前にいるイキイキとした子ども達を映像に撮りたいと越川プロデューサーに言われ、改めて夏の間撮影したラッシュを見ると、子どもたちが窮屈そうに見えて、僕たちが撮りたいものではないことに気づきました。そこで最初あった脚本は一度忘れて、一からやり直しました。

 

■原作とは違う展開を考えた理由と、映画版ならではの吹奏楽顧問「勉ちゃん」の造詣

gakutaiusagi-4.jpg───花の木中吹奏楽部を一から作るようなものだったのでしょうか?
磯田:どこにてもある普通の吹奏楽部を作る、もしくはそれに近付くようにやろうとしたのですが、8月の撮影ではまだ人間関係ができていませんでした。これではダメだと脚本が書きなおされる一方で、僕はオリジナル曲を書こうと思ったのです。原作では吹奏楽コンクールで全国大会に行く話になっていますが、それはやめました。震災の後に、子どもたちが他の子ども達に勝って喜び、自分たちは特別だと思うような物語を果たして紡いでいいのかという問題意識があったのです。普通の子ども達同士の有り様を撮ることは最初の撮影時点でも固まっていました。また吹奏楽部の顧問、森勉先生(以降勉ちゃん)の造詣も原作ではコンクールに一直線の猛烈型でしたが、映画ではひっくり返しています。

gakutaiusagi-3.jpg───吹奏楽部の熱血教師のイメージとは一線を画した、ふわりとした印象の勉ちゃんのキャラクターはユニークでしたね。
磯田:勉ちゃんは音楽が好きで、吹奏楽がずっと好きだったけど、一度やめてずっとチェロを弾いていた。学校の吹奏楽部の顧問になり、子どもたちが演奏しているのを見ている中で、また自分も子ども達の中に入りたくなるといった造詣にどんどんとしていきました。
鈴木:宮崎さんには磯田さんが子ども達と一緒に音楽室でやっているのを見てもらっていました。
磯田:宮崎さんは最初から必ず音楽室にいるんですよ。職員室でのシーンなどの出番が終わると、必ず音楽室にやってきて、ピアノの前で座っていました。誰も頼んでいないのに、ずっとその場にいたのです。

───練習をずっと宮崎さんがご覧になっていたということは、磯田さんが勉ちゃんのように指導されていたのかもしれませんね。
磯田:「僕自身が勉ちゃんだったらどうするだろうか」と思いながら、生徒たちの合奏やパート練習をやりはじめました。僕も吹奏楽の経験者として言いたいことや伝えたいことがいっぱいあったのですが、だんだんそれはどうでもよくなり、まずは音と戯れ、一緒に音楽で遊ぶということをやろうと思ったのです。学生時代指揮者だった経験を思い出しながら、「後はやってね」という風に生徒たちに投げかけました。すると、合奏の時に「チューバが音出てない!」と生徒たちが文句を言い始めたり、食事の時間になれば仲良しグループができて遊び始めるということがリアルに起こり始めました。学年や音楽キャリアを超えて本当に彼らが花の木中学校吹奏楽部になるのを感じながら、僕はオリジナル曲を脚本でいう「あて書き」していきました。

 

■生徒たちの生の言葉や練習の様子を台詞、オリジナル曲にフィードバック 

gakutaiusagi-s2.jpg───ティンパニーのドンという音から始まる曲はなかなかありません。「あて書き」とおっしゃった意味がよく分かります。 
磯田:最初に克久君の「ドン」というティンパニーの音を書くと、その後に何がくるかといえばファンファーレしかないのでトランペットや他のパーカッションを演奏する子の様子を想像しながら書いていきます。それを全部設計しながら練習するので、「こいつうまくなったな、ちょっと譜面変えて難しいことをさせてみよう」など、練習の様子を譜面にどんどんフィードバックさせていきました。同時に練習中生徒たちにさせた中から生まれた生の言葉を、シナリオにもフィードバックしていきました。こちらから投げたボールに対して、どう返すか。そういうキャッチボールを生徒たちと一緒にやるわけです。

───具体的にどういうやり方で生徒たちの生の言葉をフィードバックしていったのですか?
鈴木:コンクール出場メンバーから落ちて、廊下で落ち込む同級生に、「バーカ、がんばれ!」と同学年の女の子が声をかけていくシーンがありますが、台本の稽古ではなく、ワークショップのような形で投げかけた中から生まれました。「コンクールメンバー落ちして廊下に立っているよ。一人ずつ、声かけられるかどうかやってみようか」というシチュエーションだったのですが、越川プロデューサーから「触ることはやらないで」と言われて、悩んだ後に「バーカ、がんばれ!」という言葉が出た時はプロデューサーも涙目でした。冬のワークショップで出たその言葉を台本に入れ、翌年のゴールデンウィークの本番で使いました。
磯田: 「僕らはこういう方向で作りたいのだけどやってみて」と生徒たちに投げてみて、返ってきたことを拾い上げて、また投げ返す。それを全て撮ったのがこの映画です。僕の仕事で言えば、音楽シーンの演出だけでなく、吹奏楽部を作っていく中で、その奥にドラマがあるわけです。練習の前でふざけているときと、カメラが回り始めた時と同じテンションができなかったら、この映画はダメだということを僕たちは夏の撮影で学びました。どうやったら具体的に撮れるのか常に模索していましたね。
鈴木:自然さのある撮り方を考えたら、盗み撮りすることもできたでしょうが、それは意味ありません。僕らの前に、ちゃんと吹奏楽部があることが目標としてあり、日々接しているところでしか台本も何も生まれてこなかったのです。まさに生徒たちとのキャッチボールの応酬です。全体練習で集まれる限られた濃密な時間に、リハーサルも意識させない形で行っていました。僕が一番キャッチボールが下手だったので、他の皆さんに救ってもらって形にしていきました。 

gakutaiusagi-2.jpg───主役に選ばれた川崎航星君は映画初主演ですが、役作りや撮影での様子はいかがでしたか? 
鈴木:川崎君は、最初にオーディションで会ったときに克久にすごく重なる部分があって、自己主張はしないけれど、透明感があって、人の話やしぐさを見ていたんですね。満場一致で決まったのですが、最初に花の木中吹奏楽部で集まった時に「僕はどの役をすればいいですか?」と聞かれ、克久役と告げると主役ということでショックを受けていました。プレッシャーを感じていたのでしょうが、ご飯の時間などみんなと仲良くなっていくうちに、わざとふざけて皆を笑わせるようなキャラクターで、彼の笑顔がとても良かったんです。そんないい笑顔をする子が克久のような役をしようとするには、川崎君なりに演じているわけですよね。相当自覚的に自分を追い込んで、関係性を忘れないようにしながら、休憩時間にどれだけ弾けられるか。そんな調整を自分の中でしていたんじゃないでしょうか。
磯田:川崎君は音楽経験はなかったですが、独特の集中力がありました。今回彼にはリアルな吹奏楽感を出すために、僕が教えるのではなく、先輩役の子に教えてもらうようにしました。彼は元々持っているビートは正しくて、僕は1年半一緒にやってきた中で「おまえ、リズム感いいんだぞ。自覚してないだろ?」とだけ伝えて、後は指導は彼女たちに任せていました。定期演奏会の本番でティンパニーを叩くシーンの前に、こういう持ち方をすればいいというのだけは、プロのティンパニー奏者の指導を入れましたが、それ以外は全部自分で練習していましたね。演奏会のシーンは最後の撮影でしたが、日頃は表情を崩さない川崎君が滝のようにワーンと泣いて、相当自分を追い込んでやっていたんだと思います。

 

■『ベルリン 天使の詩』の天使のような、どこにでも偏在している「うさぎ」の存在

───この物語で山田真歩さん演じるうさぎの存在は、ファンタジーの要素を加える一方、主人公克久を音楽室に誘う重要な役割をはたしています。このうさぎに込めた想いやうさぎで表現しようとしたことは?
鈴木:原作小説に出てくるうさぎは、克久が公園で最初に見かけ、これから行く中学校が嫌だなと思っている克久の中に住み込んでいるような内なる存在でした。映画化するにあたって、ファンタジーは僕の映画的な嗜好として好きな場面でもあるので、俳優が演じ、音楽室の空間に同時に存在してほしかったのです。しかし、ファンタジーの枠組みの一方で、生々しいやりとりをしていかなければ、生徒たちを撮れないことに気付いたとき、うさぎの意味をきちんと捉えていかないと、子どもたちがきちんと映らなくなる危機を迎えました。越川プロデューサーに「『ベルリン 天使の詩』で、天使は人が思っていることをずっと寄り添って聞いている。あちこちにいる天使の一人がうさぎと重なるのかもしれないね」と言われハッとしました。克久自身にしか見えないという本作の枠組みはあるけれど、ティンパニーを教えてくれている園子先輩もひょっとしたら1年生のときに見えたかもしれない。どこにでも偏在している、一人一人を見守っている存在ではないかと、撮影後半に入って見つけていった感じです。克久にしか見えていないようなうさぎが、定期演奏会の前、誰もいない音楽室で、一人一人の椅子を触っていき、「うさぎが皆にもきっといるのだ」と暗示しています。うさぎ役の山田真歩さんは監督からも明確な指示もない中で、自分で動きを全部考え、現場でうさぎを完成させてくれました。

───最後に、これからご覧になるみなさんに一言お願いします。
鈴木:僕たちはこの映画という日常じゃないものを、普段学校に通っている子どもたちを集めて一緒に映画に参加した時間を共有しながら撮らせてもらうという形にしました。その中で彼らが森先生とやっている音楽は、世界中にそこだけのものです。また先生と彼らの音楽や、彼らの笑顔や彼らの時間というのは、彼らだけにある特別なものだと思うのです。そこでやっているものの中から特別なものをふと感じられる映画として、みなさんと出会えたらとてもうれしいと思います。
磯田:僕たちが子どもたちと一緒に過ごした時間が定着されていて、イキイキとした何かをご覧いただけたら、それが一番うれしいです。

(江口 由美)

chiisaiouchi-butai-550.jpgお茶目な大女優の素顔を見た!『小さいおうち』舞台挨拶

(2013年12月9日(月)うめだ阪急ホールにて)
ゲスト:松たか子(36歳)、倍賞千恵子(72歳)

(2013 日本 2時間16分)
監督:山田洋次
原作:中島京子『小さいおうち』文春文庫
出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子他

2014年1月25日(土)~丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国一斉公開

★合同記者会見の模様は こちら

 

★公式サイト⇒ http://www.chiisai-ouchi.jp/opening.html
(C) 2014「小さいおうち」製作委員会

 


~山田洋次が描く“人妻の恋”~


(作品ついて)

chiisaiouchi-4.jpg昭和初期、東京にあった赤い屋根の小さなおうちに女中として仕えた女性が、ある秘密を心の重荷として抱えたまま平成の世まで生きて生涯を終えた。そして、いまその秘密が明かされようとしている。当代、和服の似合う№1女優の松たか子が、『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』のラストシーンで見せた気品ある妖艶さで、男性だけでなく女性をも魅了する若奥様を演じて、成瀬巳喜男監督作の中の大女優たちを彷彿とさせる貫録を見せる。若奥様への特別な想いを抱きつつ、ひとり気を揉む女中のタキを、『舟を編む』『シャニダールの花』など2013年だけでも4本の出演映画が公開された黒木華(はる)が、新鮮な眼差しで物語をけん引している。そして、平成の世のタキを演じたのは、山田洋次監督作にはお馴染みの倍賞千恵子。妻夫木聡や夏川結衣らと誠実な強い想いを貫いたタキの生涯を彩っている。

(最初のご挨拶)

chiisaiouchi-butai-3.jpg2014年1月25日の公開を前に、松たか子と倍賞千恵子の新旧大女優による舞台挨拶が行われた。ショートヘアに黒のオーバーブラウスとサブリナパンツ姿の松たか子は、「あまりにも映画の中の時子と違う恰好で驚かれたかもしれませんが」と挨拶。一方、倍賞千恵子は黒のジャケットにブーツスタイルで、「あまりにも実物が若くてべっぴんなんでびっくりされたかもしれませんが」と客席を沸かせた。

 

(役作りについて)

chiisaiouchi-butai-2.jpg掴みどころのない役を最後まで想像力を働かせながら演じたという松たか子。「時子は果たして幸せだったのかな?何を求めていたんだろう?誰かを幸せにできたのかな?」という思いや昭和初期の女性の考えなどを、山田監督やスタッフのアドバイスを受けながらの役作りだったようだ。「山田監督は最後まで情熱を失わずに映画を作っておられました」。

『母べえ』(2008)以来の山田組出演となる倍賞千恵子は、緊張してお茶を入れる手が震えたこともあったようだが、相変わらず情熱をもって映画製作に取り組む監督に励まされ、原作の世界観や時代を思い描きながら演じたという。髪の毛や着物のことなど些細なところも監督から直されたらしい。「少しでも監督のイメージに合うよう努力しました」。

若いタキを演じた黒木華とは、「タキらしいクセを考えましょうかと言っていましたが、結局何もしないままでした」。松たか子と黒木華の二人がいるシーンに立ち会ったが、自分がいるべきではないと感じたらしい。

 

(撮影現場での秘話について)

chiisaiouchi-butai-4.jpg撮影現場での秘密を聞かれると、倍賞千恵子は「秘密は秘密だから内緒です」と言いながら、山田監督が機嫌の悪い時は空腹な時で、そんな時「最近お肉食べてないんじゃない?」などとみんなで話していたとか。ぬるいラーメンでも我慢して食べるくらい食べることが大好きだそうだ。

一方、松たか子からは、夫が勤める会社の社長役を演じたラサール石井は眉やヒゲなど顔全体に特殊メイクをされたが、「特に金歯をアピールしてリハーサルしたら、監督がちょっと照れ屋のキャラにしようとしたため、折角メイクさんが付けた金歯が見えなくなっちゃいました。ラサール石井さんの口の中も注意してご覧ください」。

 

(最後のご挨拶)

最後に、倍賞千恵子から「この映画は、いろんな年齢の方の立場や見る角度によって新たな作品となっていくと思います。また違う年代の方に紹介して下さい。ひとりでも多くの方に見て頂きたいです」。松たか子からは、「こうして人生の先輩方に見て頂けて嬉しいです。こういう生き方をした女性もいたのだろうと想像しながら映画の中の人物たちへ思いを馳せて頂きたいと思います」と締めくくった。

 


『男はつらいよ』シリーズの「さくら」のような優しくて穏やかなイメージの倍賞千恵子だが、『霧の旗』(1965)では復讐心を内に秘めた情念の女を演じたこともある。「家族の絆」や想いを貫く誠実な日本人像を人情味たっぷりに描いてきた山田洋次監督のミューズ的存在の女優でもある。

chiisaiouchi-3.jpg一方、松たか子は梨園(歌舞伎界)の生まれで、16歳の時に出演したNHK大河ドラマ『花の乱』では市川海老蔵(当時は新之助)と共演し、室町時代のお姫様が憑依したかのような高貴な佇まいと透明感のある美しさで、衝撃的な印象を残している。近年の舞台での彼女を見ても、トランス状態を感じさせるほどの勢いのある演技に圧倒される。舞台挨拶でのお茶目な彼女からは想像もできないほどだ。

そんな松たか子演じる昭和初期の若奥様が織りなす物語は、意外な程明るく戦前の暗さを全く感じさせない。赤い屋根の小さなおうちで命を輝かせていた人々の幸せを一瞬で消し去った戦争の非情さを改めて思い知ることになる。それにしても、美しい人妻が男の下宿先の階段を上がるシーンでは、見る者がドキッとしてつい着物の褄(つま)を上げたくなるようなサスペンスフルなセクシーさを感じさせる。(着物は着てないけど…) また、若奥様の帯の柄の位置が出掛けた時と違うことによって、何をしてきたかを想像させる。山田洋次監督82歳にして、男女の営みを直接描かずとも、これほど雄弁に語って見せるあたりは、さすがだ!

(河田 真喜子)

 

chiisaiouchi-kisha-550.jpg『小さいおうち』山田洋次監督、松たか子、倍賞千恵子合同記者会見

(2013 日本 2時間16分)
監督:山田洋次
原作:中島京子『小さいおうち』文春文庫
出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子他
2014年1月25日(土)~丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国一斉公開

 

 

★舞台挨拶の模様は こちら

 

★公式HP→http://www.chiisai-ouchi.jp/opening.html
(C) 2014「小さいおうち」製作委員会


~昭和10年代東京のリアルな家庭の営みと、秘密を胸に秘めた女中の「長く生きすぎた人生」~

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 昭和10年代の東京を舞台に、モダンな小さな家に女中として働いていた主人公と、美しき奥様、そして奥様が愛した夫の部下板倉との関係や、主人公が一生守り抜いた秘密をしとやかに解き明かす時代を超えたヒューマンドラマ、『小さいおうち』。『東京家族』の山田洋次監督が直木賞を受賞した中島京子著の同小説の映画化を熱望し、キャストに松たか子、黒木華、妻夫木聡、倍賞千恵子らを迎えて戦争に突入する昭和初期と現代とが交差する重層的な物語に仕立て上げた。

 松たか子はタキが慕う美しき奥様、時子を、昭和モダンな雰囲気と内に秘めたる情熱を織り交ぜながら艶やかに演じている。女中として時子に仕えながら、時子と板倉(吉岡秀隆)の情事に大きな衝撃を受けるタキを黒木華が、また平成のタキを倍賞千恵子が演じ、秘密を胸に秘めて生き続けた苦しみを体現する演技に胸を打たれることだろう。

 キャンペーンで来阪した山田洋次監督、松たか子、倍賞千恵子が合同記者会見で、原作に魅了された理由や、今昭和初期の家族を描写することの意味、また秘密を秘めて生きたタキの想いについて触れた。その模様をご紹介したい。


(最初のご挨拶)
chiisaiouchi-kisha-2.jpg山田洋次監督(以下監督):今年の3月にクランクインし、ようやく完成して来年封切りということになり、この1年間はずっとこの映画だったなと、今しみじみ思い返しています。やれることはやったと思いますし、倍賞さんや松さんをはじめ大勢の俳優さんに出ていただき、懸命に芝居をしていただき、スタッフもやるだけのことはやったという充足した想いをいただいています。いよいよ封切りなので、どうぞ皆さんよろしくお願いいたします。
松たか子(以下松):こんにちは、松たか子です。今日はありがとうございます。いよいよ公開が近づき、どんな風に見ていただけるのか緊張していますが、公開を楽しみに待っているところです。一人でも多くの方に見ていただければいいなと思っています。
倍賞千恵子(以下倍賞):こんにちは、倍賞千恵子です。久しぶりの山田さんの作品で、初日にはお茶を入れようとしてふと自分の手を見ると、手が震えていたのにビックリしました。それからスタジオの外に出て、深呼吸をして、もう一度スタジオの撮影に入りました。緊張しながらも、楽しく、あっと言う間に撮影が終わった気がします。とてもすてきな作品に出会えてよかったなと思っております。一人でもたくさんの人に見ていただけるよう、封切りまで頑張っていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

―――なぜ本作で戦前の時代を描こうと思ったのですか?また、山田監督ご自身が、原作者の中島京子さんにお手紙を書かれたそうだが、そのときの中島さんの反応は?
監督:戦前の時代を描こうと思ったのではなく、小説(『小さいおうち』)がとても面白くて魅力的だったので、これを映画にできないかと思ったのが最初にありました。原作のある場合は、最初は僕が直接お願いするのが筋だし、俳優さんにも直接お願いしたいと常々思っています。特に本作は直木賞受賞作なので、既に映画化が決まっているのではないかという心配もあったので、一刻を争うのではないかと慌てて手紙を書きました。すると「まだ映画化は決まっていません。是非お願いします」ということで、やれやれと思った次第です。

chiisaiouchi-kisha-matsu.jpg―――松さんが今回演じた時子は男性からも女性からも憧れられるような存在だったが、この役にどう向き合って演じたのですか?
松:本当につかみどころのない女性で、でもタキちゃんから憧れや興味を持ってもらわなければいけないし、板倉さんからも好きになってもらわなければいけない。どうすればそうなるんだろうと・・・。
監督:そのままで(憧れられる女性に)なってましたよ。
松:監督や黒木さんや吉岡さんに「お願いします。(憧れや愛情の気持ちで)思ってください」という気持ちで、私が具体的にできることは何もないので、時子はどんな人かと想像しながら演じることだけは止めないようにしました。

―――倍賞さんは平成のタキばあちゃんを演じ、挨拶では「緊張した」とおっしゃっていたが、久しぶりの山田組の印象は?また、特に思い出に残っている台詞やシーンは?
倍賞:居心地が良かったです。最後の方に、手紙を書いているシーンがありますが、そのときに山田監督が近くに立ってブツブツ言っているので「何ですか?」とお聞きすると、「私、長く生きすぎたのよね」とおっしゃるんです。「それは誰が言うんですか」とまたお聞きすると「君だよ」と言われたので「えっ、私が言うんですか」と切り返すと、監督は「僕も長く生きすぎたかな」。全員で「そんなことないですよ」と言ったんです。すごく印象に残っています。
監督:タキは手紙を届けなかったことを後悔し、生涯苦しみ抜いたわけで、早くこんな人生を終わりにしたかったという想いがあったに違いない。それにも関わらず、こんなに生きてしまったという意味の台詞です。「僕も・・・」というのは冗談ですが。

―――昭和10年代の女性を演じるに当たって、何か参考にしたものは?
松:撮影前、昭和パートの全員が集まって読み合わせをしたとき、監督が「持てる知識を総動員して、想像してほしい」とおっしゃいました。私もそんなに多くを見てきた訳ではありませんが、こういう仕草もあったとか、特に何かを参考にした訳ではありません。強いて言えば、母や祖母など着物を特別扱いせず、日常着として来ていた人の姿を思い出しました。所作を伝える映画ではないので、自然に見えるように心がけました。

chiisaiouchi-kisha-yamada.jpg―――山田監督は、具体的に原作のどの部分に強く惹かれたのですか?
監督:僕は自分が少年時代だったこの頃の東京をよく知っていますが、実に正確に描写されています。著者の中島京子さんは戦後生まれなのですが、よく調べたなと思うぐらい間違いがない。まざまざと昭和10年代の東京の暮らしが再現されています。もう一つは、山形県から上京してきた本当に初々しい女中、タキが体験したことです。特に奥様の秘密を知ったとき、彼女にとっては眠れない大事件を体験したのです。その大事件を僕はこの映画で描く、そういう映画にしようと思いました。映画は多かれ少なかれ事件を描きます。近未来を描くこともあれば、地球が滅んでしまうという大事件を描くこともありますが、この映画においては(板倉を訪問した後)奥様の帯が解かれたのが初めてではないということを知ったときのタキの、目の前がクラクラするような出来事でした。それが昭和10年代の東京にある郊外の片隅のちいさな家で起きたという芝居がとても僕には面白いのです。タキの小さな胸の中を見つめると、大きな当惑と、驚愕と、その彼女を包み込むその時代の東京と、さらには日本や世界という1940年代前半の人類の歴史すら感じ取れるような映画になればいい、そんなことをしきりに思いながら脚本を書きました。

―――本作においての戦争の描き方で留意された点は?
監督:戦争そのものを描く等、色々な戦争の描き方があります。この映画も今から70年前の太平洋戦争を描いていますが、タキの胸にどのように戦争が反映したのか。或いは時子や時子の夫の暮らしにどのように反映していたのか、そういうことを通して巨大な歴史が見えればいいのではないかというのが基本的な態度ですね。

chiisaiouchi-kisha-baishou.jpg―――昭和を代表する女優である倍賞さんから見て、昭和初期のしかも複雑な胸中を抱えた時子を演じた松さんの演技はどのように映りましたか?
倍賞:撮影を一日見学させていただいた日に、昭和のタキ(黒木華)と時子が玄関を出ていくシーンを拝見しました。松さんはそこにいらっしゃるだけで、原作を読んだときの時子のイメージがそのまま浮かんできました。休憩時間にタキと時子が撮影待ちをしているときも、声をかけがたくてすっと横を通りぬけていくような不思議な感じを垣間見たことがあり、こんな風に映画で2人は生きていくのだなと思いました。私は年老いたタキを演じるのですが、タキはどんなふうに奥様(時子)のことを思っていたのかなと考えたとき、松さんがとても色っぽかったので、とても美しい奥様にタキは仕えていたのだと、一緒にいた2人を見ただけでとてもよく分かりました。
松:本当にありがたいです。私にできることは何もないという状態で現場に入ったので、倍賞さんにダメなところも含めて、ありのままの姿を見ていただくしか術がありませんでした。自分では全く色っぽいと思っていませんが、他の方がそういう想像力を持って観ていただけることで、なんとかあの時私は(時子として)生きていたのだなと思います。

―――倍賞さんは、どういう想いで大事件だったという若い頃の出来事を秘めたまま生きる女性を演じたのですか?
倍賞:山田監督に原作を読んでくださいと言われ、読んだ後に「ミステリーロマンみたいですね」とお話しました。タキばあちゃんが感じたたくさんのことが胸の中にしまってあるのだなという想いがだんだん分かってきて、一番最後の「私、長く生きすぎたのよね」という一言に全てが入っているという気がしました。どれだけのものを小さなおうちの中で見て感じていたのか、とても素敵な体験をした人だったのではないかと思いました。
監督:素敵というよりはむしろ悲しい想いをしたのではないでしょうか。奥様や旦那様が生きていれば戦後の長い付き合いの中で関係を修復したり、謝ったりすることもできたでしょうが、戦争で死んでしまったのでタキは謝罪のしようもない。それが一番タキばあちゃんにとっては辛かった。生涯罪の意識を背負って生き続け、これ以上生きるのが辛いという想いを持っていたに違いないのです。同時に、もしかして板倉さんのこと嫉妬していたのかもしれないし、奥様のことを嫉妬したのかもしれないと、そのあたりは観た方が考えてもらってもいいのですが、そう考えるとタキばあちゃんは辛い事ばかりだったんですね。でもそういう想いを大事に生きている、素晴らしい人だったと思います。

―――本日すまけいさんの訃報がありましたが、山田監督よりお言葉をいただけますか?
監督:すまさんは、僕が大好きな俳優のお一人で、あの方が出演されると本当に映画があたたかくなるキャラクターでした。優しくて、ちょっとユーモラスで、ああいう日本人が今いなくなっているのですが、本当に最後の得難い日本人だったのではないでしょうか。また素敵な日本人を演じることのできる最後の俳優だったのではないかと思うぐらい、僕はすまさんが好きでした。長い間色々な病気を抱えて辛い想いをされていたことは想像していますけれど、それにしてもすまさんがいなくなったことはとても悲しいです。
(江口由美)

busikon-his-3-550.jpg上戸彩&高良健吾、世界遺産の「和食」にご満悦!『武士の献立』『第5回京都ヒストリカ国際映画祭』クロージングを飾る!

(2013年12月8日(日)MOVIX京都にて)

ゲスト:上戸 彩、高良健吾、朝原雄三監督 

 


『武士の献立』 

 

★ 「和食」の「世界無形文化遺産」認定というタイムリーなおめでたい話題を受けて、

“包丁侍”一家を救った料理上手な春の奮闘記をお披露目★

 

(2013年 日本 2時間01分)
監督:朝原雄三
出演:上戸彩、高良健吾、西田敏行、余 貴美子、夏川結衣、成海璃子、柄本佑、緒形直人、鹿賀丈史、ふせえり、宮川一朗太、猪野学、海老瀬はな、浜野謙太、笹野高史/中村雅俊(語り)

 

2013年12月14日(土)~全国ロードショー (12月7日(土)~石川先行ロードショー)

★作品紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://www.bushikon.jp/

(C)2013「武士の献立」製作委員会

 


 

historika13-12.6-2.jpg11月30日(土)~12月8日(日)京都文化博物館を中心に開催されていた『第5回京都ヒストリカ国際映画祭』も、MOVIX京都での『武士の献立』上映会でクロージングを迎えた。世界の時代劇だけを集めた世界でただひとつの映画祭。日本映画発祥の地である京都ならではの、時代劇ファンには大変嬉しい映画祭でもある。今年も9本の新作映画と復元で甦った6本のクラシック映画を始め、アニメや映画企画のプレゼンテーションなど様々なイベントが開催された。また、豪華ゲストによるトークも充実していて、時代劇を見るだけではなく、映画の歴史とその時代背景も勉強することができて、大変貴重な体験となった。

historika13-5.jpg特に、アルフレッド・ヒッチコックやるエルンスト・ルビッチ、チャールズ・チャップリンといった巨匠のサイレント時代の作品は、世界に散逸していたフィルムを発掘・復元した作品とあって大変貴重な作品ばかり。しかも、復元版日本初上映とあって、このような機会に見られて本当に至福の日々を過ごせた。この映画祭を機に、こうした作品の上映の場が広がり、もっと多くの方に映画の本当の面白さを楽しんで頂けることを願うと同時に、来年もこの映画祭が開催されることを心から希望する。

さて、クロージング上映会では、『武士の献立』に主演した上戸彩と高良健吾と朝原雄三監督が舞台挨拶に登壇。撮影中、劇中で使われた料理の殆どを食べてしまった高良健吾に対し、あまり食べられなかった上戸彩が羨ましく思ったらしい。だが、ロケ地の石川県でも京都の撮影所でも、いつも温かい食べ物を用意されて、作品の内容同様、温かい思いやりに満ちた撮影現場だったようだ。長いキャリアのある上戸彩は、現場でも舞台挨拶でも余裕のあるリッラクスした雰囲気で会場を和ませていた。以下に、詳細な舞台挨拶の模様をレポートします。

 


 

(最初のご挨拶) (敬称略)
 朝原監督: 本日はお出で下さいましてありがとうございます。『京都ヒストリカ国際映画祭』のクロージング作品に選んで頂きまして誠に光栄に思っております。時代劇と言っても肩の力を抜いてご覧頂ける作品ですので、どうぞお楽しみ下さい。
上戸:皆さんこんばんは、舟木春役の上戸彩です。昨日も金沢で舞台挨拶を6回させて頂きました。今日も全て満席ということで、私にとっては8年ぶりの主役で不安やプレッシャーもありますが、こうして皆さんのにこやかなお顔を拝見できてとても嬉しいです。本当にありがとうございます。
 高良:こんばんは。舟木安信役の高良健吾です。『京都ヒストリカ国際映画祭』のクロージング作品に選んで頂きまして、本当にありがとうございます。時代劇は年齢層が高いと聞いていましたが、この映画は年齢層の幅が広いのでとても嬉しく思っています。今日はごゆっくりお楽しみ下さい。

busikon-ueto-2.jpg――― 石川県の皆さんの反応は如何でしたか?
上戸:5歳位のお子さんからご高齢の方まで、本当にいろんな年齢の方が沢山見に来て下さり、本当に嬉しく思いました。今までの作品だと私と大体同じような年齢の方が多かったのですが、この作品では沢山の方に見て頂けそうで、とてもワクワクしています。今日はまた綺麗な方ばっかり! ほら見て見て、可愛い! 皆さんとても素敵です。

 

――― 石川県でのロケは如何でしたか?
高良:石川県での撮影では、二人のシーンが多かったのですが、ほぼセリフもなく、楽でした! 海辺のシーンといってもどこの海でもいい訳ではなく、ちゃんと石川県の日本海側で撮影できて嬉しかったです。それに、魚介類を使った料理が多く、またそれが美味しかった~!

 

 

busikon-asa-1.jpg――― 風光明媚な石川県での撮影でしたが、人情味+美味しさを出すのに苦労されたことは?
朝原監督:料理をどう撮るかということは難しいことですが、出てくる料理は本当に美味しくて綺麗なものが多かったので、それを素直に撮るだけで監督としての苦労は一切なかったです。京都の小道具のスタッフや助監督や製作部、それから石川県の料理研究家の方々や板前の方々、京都で料理を担当して下さった方々などが、本当に手間暇かけて作って下さいました。なるべく本物の料理を用意しようと、石川県から材料や器などを運んだりもしました。和食が世界無形文化遺産に登録されたことでもありますし、料理に関しましては監督が云々と言うより、料理を作る手間も味わってご覧頂ければと思います。

――― 実は、先程二条城でお披露目がありまして、もうお雑煮を召し上がったんですよね?
上戸:はい、とっても美味しかったですよ♪

――― 京都での撮影は3月1日からだったそうですが、京都の思い出は?
上戸:撮影に入る前に高良君の作品を見ておこうと、この映画館に『横道世之介』を見に来ました。すると現場にも「横道世之介」そのままの高良君がいました。キャンペーンで半年ぶりにお会いしたのですが、もう10歳くらい歳を取っているのでは?と思うくらい大人びて見えてびっくりしました。シャイな人ですが、お喋りも上手になっていました。

busikon-koura-1.jpg――― 最初に上戸彩さんとの共演を聞いたときの感想は?
高良:正直な感想は、ただ「上戸彩だ!」と。中学生の頃からずっと芸能界のど真ん中に居る人だと思って見て来ましたから、ちょっと緊張しました。現場では役になりきることもありましたが、普通に話せました。
上戸:こうしたキャンペーンでは沢山お喋りができて楽しいです。
高良:上戸さんはずっと芸能界のど真ん中にいた人だから存在感が大きくて、余裕というか貫録がありました。監督とも話していたのですが、「さすがプロだ、僕らはアマちゃんだ!」って(笑)。

――― そのプロの方が『横道世之介』をこの劇場で見て下さっていたんですよ。
上戸:高良君の作品はDVDでも見ましたが、どの作品も全く違う面を見せて凄いんですよ。この映画でも「安信さん」の時と今とは全く別の人ですしね。
朝原監督:日頃の高良君からは想像もできない演技ですよね。僕もこの劇場で見ましたよ。
――― こんな風に言われた感想は?
高良:自分のことはよく分からないです。そういう感じの日もあるし、そうでない日もあるし……そんな感じッス(笑)。

――― 京都での撮影は?
高良:僕は京都が大好きで、プライベートでもよく来てはお寺巡りとかしています。それが、撮影で1か月間も滞在できるなんて、ホント嬉しかったですね。楽しかったです!

busikon-ueto-3.jpg――― 和食が世界無形文化遺産に登録されたことを聞いて如何でした?
上戸:ベッキーと一緒にテレビ見ていて知ったのですが、「ヤッター!」って二人で大喜びしました。また、「これで『武士の献立』がもっと盛り上がるね~!」って言ってくれて嬉しかったです。和食が有名になることによってヘルシーな食事が広まるので、オリンピックも決まったことですし、日本のいいところが海を渡って有名になることは楽しみだらけです。

――― 高良さんは和食はお好きですか?
高良:和食大好きですよ。何でも食べます。今回世界無形文化遺産に登録されたことによって、日本人が和食を見直すいい機会にもなると思います。

――― 今回、和食がたくさん出てきましたが、あれはどうされたのですか?
上戸:高良君が全部食べました。私はお茶を出したりご飯を出したりする役だったので、食べたい時に食べられませんでした。高良君はご飯のシーンになると居なくなるんで、「高良君はどこ行った?」って探すと、お料理を作る部屋でいっぱい食べてるんです。羨ましかったですよ。
 busikon-his-2-2.jpg――― さぞかし美味しかったでしょうねぇ?
高良:はい、美味しかったです!
上戸:特に治部煮が美味しかったね~。お汁をひと口飲んでその甘さに驚いて、さらにわさびを入れると味が引き締まって美味しくなるんですよ~!
――― それがスクリーンで味わえますね。お腹空いてたら大変ですが――。
上戸:確かに危険な時間帯ですね(笑)。イライラしちゃうかも知れませんが、一番見て頂きたい時間帯でもあります。

 


【花束贈呈】

busikon-his-6-550.jpg①京都ヒストリカ国際映画祭の実行委員長の阿部勉氏
オープニングでは東映の『利休にたずねよ』を、そして、クロージングでは松竹の『武士の献立』という、両方とも京都撮影所で撮影された作品を上映することが出来て、本当に嬉しく思っております。

②『武士の献立』ラインプロデューサーの砥川元宏氏
寒い季節の撮影だったので、温かいものの献立を作って環境作りをしました。そうした温もりも感じて頂けたら嬉しいです。

③料理指導・今西好治先生(京都調理師専門学校)
1年を通じた料理を作らなければならなかったので、季節柄材料をそろえるのが大変でしたが、美味しく召し上がって頂きましたので良かったです。二人ともとても優秀な生徒さんでした。

――― 映画の中では手元しか映ってなかったですね?
上戸:もっと引きで撮って欲しかったよね。
朝原監督:手も演技をするんです!(笑)

 


(最後のご挨拶)

busikon-koura-3.jpg高良:こうして大きなスクリーンで見て頂けることを嬉しく思います。自由に見て、自由に感じて、この映画をより育てて頂ければと思います。見所のひとつでもある料理をしているシーンが沢山ありますが、すぐに食べるシーンになります。この時代は今みたいにスーパーで何でも食材が買える訳ではないので、海の物や山の物、東の物や西の物でも違うだろうし、保存方法や調理器具も違います。今より何倍も時間を掛けて作っていたはずです。料理する間の手間暇に思いやりが沢山詰まっていると思います。その時間を感じて頂ければ、春の優しさや安信の不器用さなど、この映画の中の思いやりを感じて頂けるのではないかと思います。是非それらを感じてとってお楽しみ下さい。

busikon-his-2-1.jpg上戸:人の愛だったり、家族の愛だったり、本当に思いやりがあって心がホッコリ温まる映画だと思います。女性をいい意味で立ててくれる映画でもあります。私もお料理を作る楽しみが増えましたし、お料理の深さや意味を知ることができました。こうした想いを持ってお料理してくれている人の気持ちも分かって頂けるのではないかと思います。「いいな~」と思ったことだけを、広く紹介して下さいね。よろしくお願いいたします。

朝原監督:昨日から二人が石川県での舞台挨拶に立ってくれたので、とてもヒットしそうです、石川県では!(笑) 本当は80%は京都で作っておりまして、石川県の映画でもあり京都の映画でもあります。是非とも皆様のお力で日本中に発信して頂きたいと思います。京都には「時代劇」と「和食」があるということを、胸を張って広めていきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございました。

 

(河田 真喜子)

FG-550.jpg『フライング・ギロチン』

 

(血滴子 The Guillotines 2012年 中国・香港 1時間53分)

監督:アンドリュー・ラウ

 

出演:ホアン・シャオミン、イーサン・ルァン、ショーン・ユー 

2013年12月28日(土)~シネマート心斎橋にて公開

公式サイト⇒ http://www.cinemart.co.jp/theater/special/hongkong-winter2013/lineup_03.html

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★武侠映画だから出来る、素朴な体制批判


 

  うなりをあげて飛来する輪状の武器フライング・ギロチンは、かつて武侠映画のカルトスター、ジミー・ウォングが主演した映画『片腕カンフーと空とぶギロチン』(75年)で敵役が使ってファンを驚かせた伝説のアイテム。他の映画でも登場したかは覚えがないが、いかにも武侠映画らしいアブない武器だった。そのタイトルを使った映画、しかもジミー・ウォング御大まで顔見せ出演しているからこたえられない。

FG-3.jpg  フライング・ギロチンは冒頭に登場するだけと控えめで、映画の主役は原題の『血滴子』。皇帝直属の暗殺部隊の名でその部隊長役がジミー・ウォング。血滴子は本来、皇太子の幼少時の遊び相手という無邪気な存在なのだが、長じて皇帝のボディガードになり、政敵を暗殺する役目を担う「朝廷の暗部」の象徴でもある。

  清朝、第5代皇帝・雍正帝(アンドリュー・ラウ)の暗殺集団・血滴子の総領官(ジミー)は「反清復明」を掲げる反乱軍リーダー天狼(ホァン・シャオミン)暗殺を部下の冷(イーサン・ルァン)らに伝える。一度は捕らえたものの仲間に奪い返され、血滴子仲間の女・ムーセンを連れ去られる。仲間の奪還を狙いつつ天狼を追う血滴子。熾烈な戦いが幕を切って落とす。

FG-2.jpg   だが、非情なはずの血滴子・冷は、民衆とともに生きる天狼の姿と生きざまを見て、暗殺者である自分に疑問を感じ、暗殺を断念する。それを知った雍正帝の子、第6代乾隆帝(ウェン・ジャン)は、冷の義兄弟・海都(ショーン・ユー)を差し向ける…。

  満州族の清朝打倒、漢民族の明朝復権を目指す“反清復明”は、民族紛争であり権力闘争。だから、中国映画の秀作『孫文の義士団』と違ってどちらが正義か悪か、判断は難しい。だが、主役のはずの血滴子が天狼に共感し、逆に皇帝と義兄弟に追い詰められる。この複雑な逆転が現代中国ではないか。

  皇帝の交代による情勢の変化、近代兵器「鉄砲隊」の完成で無用の存在として追われることになる血滴子の悲惨な運命。殺傷力抜群だったギロチンは、過去の遺物の象徴になってしまっていた。

 

FG-4.jpg   子供たちや民衆に囲まれて生活する平和な天狼の姿に、中国の理想社会があるはず。そんなユートピアが皇帝軍の鉄砲隊の前に脆くも崩れ去る…武侠映画なのに歴史を越えて普遍的な真理さえ垣間見えた。

  ラストにはびっくり“皇帝への進言”が登場する。帰国した血滴子の生き残り、冷が皇帝に伝える。「民は食が足りて住むところがあれば満足する」「行き場を失えば反乱する」「不公平は不満を呼び、格差は不平等を生む」…。もはや武侠映画のセリフの域を越え、今現在の“中国民衆の声”そのものではないか。

 


  先頃開かれた京都ヒストリカ国際映画祭で『ソード・アイデンティティー』と『ジャッジ・アーチャー』の武侠映画2本を出品した北京出身のシュ・ハオフォン監督は初日『フライング・ギロチン』上映後のトークショーに参加し「武侠映画の本質」について語った。

  香港、台湾の独壇場のように思われていた武侠映画だが、自ら武侠小説も書くシュ監督は「元は中国本土から来た」という。「血滴子は実際にいた。王子が蝉を取る時に棒の先に赤い米の糊をつけたのが血のように見えたために血滴子と呼ばれた」と由来を話し「実際に暗殺を任務にする特務機関として恐れられ、自分たちもまた恐れていた。特務機関は増えて互いに監視し合い、潰しあっていくもの、今のアメリカも、古くはヒトラーのナチスもそうだった」と言う。

  「武侠映画、小説は体制へのメッセージ。中央政府への反対というよりも、中国の社会そのものを表現している」と明言する。反体制映画ではないのに、ダイレクトな現代中国への批判。こんなタブーがサラッと出来るのが武侠映画の強みであり、人気の秘密だろう。 

 

(安永 五郎)

 

 

FG-550.jpg『フライング・ギロチン』

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