「京都」と一致するもの

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ヘリコプターで江口洋介、本木雅弘が華麗に登場!『天空の蜂』神戸ヘリコプターイベント&記者会見レポート
(2015年8月23日 場所:ヒラタ学園・神戸エアセンター)
ゲスト:江口洋介、本木雅弘、堤幸彦監督
 

「スーパーアクション映画、日本一諦めない男を演じた」(江口)

「『ゴジラ』のように、小さいお子さんにも怪獣映画と思って観てもらいたい」(本木)

「たくさんの語るべき要素を二時間強の“娯楽作品”にまとめることが僕の仕事」(堤監督)

 
ベストセラー作家、東野圭吾最大の勝負作にして、映画化不可能と言われてきた史上最悪の原発テロに迫るサスペンス大作『天空の蜂』。95年に出版されてから20年経った今、江口洋介、本木雅弘を主演に迎え、堤幸彦監督が完全映画化し、9月12日(土)から全国公開される。
 
 
<ストーリー>

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防衛庁からの依頼により開発された巨大ヘリコプター“ビッグB”の納品日、開発した技術者・湯原(江口洋介)らが式典の開始を待つ間に、湯原の息子・高彦が乗っていたビッグBが何者かの仕業で自動操縦され、飛び立ってしまう。行き先は福井県の原子力発電所「新陽」。“天空の蜂”と名乗る犯人の要求は、日本の全原発を破棄すること。「新陽」の真上、800メートルの上空で大量の爆弾を積んだままホバリングしているビッグBの燃料がなくなるまで8時間がリミットと告げるのだったが・・・。
 

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『天空の蜂』劇場公開に先駆け、ヒラタ学園・神戸エアセンターで行われたヘリコプター&レッドカーペットイベントでは、映画さながらの迫力でヘリコプターが空中を旋回したあと轟音と共に着陸。

ダブル主演の江口洋介と本木雅弘が、ヘリコプターから颯爽と登場した。二人で格納庫へと敷かれたレッドカーペットを進みながら、特別招待された観客たちの熱い声援に笑顔で応えた。

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引き続き、ヒラタ学園・神戸エアセンター格納庫で行われた記者会見では、イベントで登場した江口洋介、本木雅弘に加え堤幸彦監督も登壇。
 
 
 
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まずは江口洋介が「ヘリコプターに乗って撮影を思い出しました。400メートルぐらいの上空で、監督は『もっと上がってくれ』と。本来ヘリにはドアがあるものなんですね。撮影ではヘリ上から手を出して大型ヘリを止めるシーンもあり、かなり緊張しました。スーパーアクション映画になっているので是非とも劇場でご覧ください」と過酷な撮影の様子も交えて挨拶すると、本木雅弘は、誰も知らないと思うがと前置きしながら「神戸にヘリで降り立ったのは、3人グループのデビュー3年目イベントで神戸ポートピアランドに降りて以来31年ぶり。そのように(『天空の蜂』も)奇跡が起こり得ます。映画では、困難が目の前に現れたときに自分は何を守り抜けるのかを問うています。小さなお子さまからご年配まで楽しめます」と、31年ぶりのヘリでの来神と映画で起こる奇跡を重ねながら、幅広い年代が楽しめる娯楽作品であることをアピール。
 
堤幸彦監督は、「この映画は東野圭吾先生が20年前にお書きになった大変な問題作。2年ぐらいこの作品に向き合い、なんとか仕上げ、届けることができました。2時間強、絶対飽きさせないエンターテイメント作品です。ぜひ映画館でご覧ください」と感無量の面持ちで挨拶した。
 
ここで、航空整備士育成を行っている学校法人平田学園大阪専門学校の学生の皆さんから三人への花束贈呈が行われ、既に映画を鑑賞した三人から質問が寄せられた。

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「(ヘリコプターシーンについて)高いところは大丈夫かと思っていましたが、ドアのないヘリはこんなに怖いものかと思いました。マネをしないで」(江口)
 
「(息子を助けるシーンについて)何度かスカイダイビングをして撮りました。助ける方は実写です」(堤監督)
 
「(どんな人に観てほしいか)みなさんのような若い方ですが、もっと小さいお子さんにも観てほしいです。かつて『ゴジラ』という映画があり、人間の欲望が生み出した産物だったという理由がありましたが、今回の巨大へりや原発も人間の生み出した、ある意味怪物です。その二つの対決とそれを見守る観衆という怪獣映画として感覚的に見てもらい、成長されたとき映画の背後に隠れていた大きなテーマに気付いて、理解してもらえれば何よりだと、脚本の楠野さんもおっしゃっていました」(本木)と、対話形式で質問に答え、未来の空の安全を担う学生の皆さんへエールを送った。
 
その後に行われた質疑応答では、高校生記者からの質問も飛び交う熱気を帯びたものになり、堤監督からは映画化において重点を置いた点が、また江口洋介や本木雅弘からはそれぞれの役の捉え方や撮影秘話が語られた。その模様を詳しくご紹介したい。
 
 

 
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―――濃密な内容で、キャスト、スタッフの思いが詰まった作品だが、撮影中大変だったことは?
江口:ほとんどスリリングなシーンの連続でした。本木さんと二人でカーアクションをするシーンではロードを本木さんの運転で爆走するのですが、一つのハンドルを取り合って、何テイクも、何テイクも重ね、山を上から下までS字で降りていき、アキレス腱から骨盤からインナーマッスルが貼るぐらいでした。
本木:車内は、今の暑さの三倍ぐらいで、呼吸困難でしたね。
堤監督:声を撮らなくてはいけないから窓も締め切っていました。私の演出的指示は、とにかく何かあったら「あっ」とか「うっ」と言ってくれと。
江口:あのシーンは長かったですね。560テイクぐらい撮りましたか?
堤監督:それはないですが、30テイクぐらいあったかもしれませんね。
本木:専門用語が飛び交う世界で、それをこなすのが大変でした。その中、今枝役の佐藤二朗さんは非常に滑舌が良く、監督は佐藤さんが演技する度に「大オッケー!」とおっしゃっていました。一番大変だったのは、昨年の初夏の頃、東京ではゲリラ豪雨が降り続けていましたが、1995年の灼熱が照りつける8月8日という設定だったので、雨の中でも照明部の方がその日の太陽を作り続けていたことです。撮影も時間との闘いですから、一定の太陽に仕立てていくのは本当に大変で、クレーンの上の照明部の皆さんはトイレの用も足せずに頑張っていらっしゃいました。
 
 

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―――20年前に発刊され、映像は不可能と言われた『天空の蜂』映画化は、かなり覚悟のいる仕事だったのでは?
堤監督:私一人の力量では到底立ち向かえない原作です。非常に緻密に解析されており、人間ドラマとして深い部分もあります。ただ私も20年ぐらいかけて作り上げたチームがあります。そのチームで、原子力発電所はどのようなものか。ヘリコプターがどうやって飛ぶのか。それが分からないと、映画の最後に大変大胆なくだりがありますが、そこには行きつきません。本当にゼロから学び、膨大な資料と向き合い、ロケ場所を探しながら、台本に反映し、長い撮影期間をかけました。また、撮り終わってから何カ月もCGの作業を行いました。中空に浮かんでいる金属の物体にリアリティーを出すことがこんなに大変だとは思いませんでした。
 
 
―――東日本大震災から4年が経ち、今も原発の問題がある中で、特に現在の高校生に伝えたいことは?
堤監督:映画の中で背景として原子力発電所はいい面も悪い面もあり、そこから目を背けてはいけないことを申し上げたいつもりです。みなさんも学習した知識と、足と目と耳と口と鼻と、友達、親、先生と使えるものはすべて使って、自分が納得いくまで調べ、自分なりの結論をだすことが色々なことにおいて必要です。自分が疑問に思ったことは、逃げずに向き合うことが大事です。
 
 
―――子どもを命がけで守る場面があるが、その姿勢に共感する部分はあるか?
tenkuuhachi-6.jpg江口:映画が始まって7分ぐらいで子どもがへりに乗り合わせ人質になってしまい、日本全国民も人質という大事件が起きます。役を演じる中で、自分の子どもが今、空中にいると思うと、立っていられるのか、こんなに冷静にせりふをしゃべれるものなのかと、色々なことを考えました。阪神大震災といい、東日本大震災といい自分の日常にはない怖さがあるのだと、家族ができると余計に敏感に反応し、何かできないかという気持ちが強まります。今回湯原を演じましたが、何か自分が成し遂げたいというものから逃げてはいけない。立ち向かわなければいけない。そこには根性が要るという、根性の映画で日本一諦めない男を演じました。その姿を何も言わなくても、子どもは見ていると思います。
 
 
―――江口さんとの初共演はどうだったか?
tenkuu-s-eguchi-2.jpg本木:江口さんには、同じ80年代に青春をすごし、90年代を中心に活動してきたという親近感や、共に結婚して家族があるという役に近い状況があります。今回の湯原と三島はある意味、陰と陽で性質が分かれていますが、基本的には仕事に没頭する反面、家庭をないがしろにし、親子間のコミュニケーションをうまくとれなかったという後悔を抱えている男です。その辺は、私たちの不定期な仕事と共通するところがあり、お互い共感している雰囲気が伝わりました。基本的に江口さんは普段も情熱をたくさん称えている方で、私はどちらかと言えばウジウジといった感じですので、そのコントラストが映画の役割にも有効だったのではないか。我ながらいい組み合わせだったと思います。
江口:この組み合わせ以上のものはないでしょう。一緒にやっていて本当に刺激されます。三島の言っていること、そのセリフに奥行きがあり、それを本木さんは見事に言ってくれるので、本当にやりやすかったです。
 

―――本木さんが演じた三島は本作のサスペンス部分を盛り上げているが、三島をどのように解釈して演じたのか?
tenkuu-s-motoki-2.jpg本木:脚本と共に東野さんの原作を読んだとき、「意志の見えない仮面を付けた沈黙の群衆」というフレーズが出てきますが、私もまさにその一人でした。世の中では、予想外のタイミングで大変な事件が起きますが、それに対し自分は距離を置いてやり過ごしてきたタイプでした。本作には、そういった自分への戒めをこめて参加した部分があります。三島は自分が抱えた親子の関係の中で、息子とうまくコミュニケーションが取れなかったために、息子を悲しい境遇にさせてしまった後悔がありますが、その根元はどこにあるかといえば、「沈黙の群衆」に行きついたのです。最終的に三島なりの賭けに出る訳ですが、そこには息子への懺悔、自分への戒め、未来への教訓や願いを込めていたと思います。

 
―――本作を作るにあたり、堤監督はどこに一番重点を置いたのか?
堤監督:東野さんのお書きになった内容は、非常に科学的かつ緻密である洞察力と、原発に対する警鐘を発しています。我々が3.11を通じてリアルに感じている現実問題や、巨大な輸送機を作らざるをえない防衛産業の狙いとは何か、事件がおきた後の警察機構のあり方の問題など、今起きている日本の現実を象徴するようなことがこの映画の素材としてたくさんあります。また江口さん、本木さんの二人をトップランナーとして、たくさんの役者さんが全身全霊で演じていただいたこと、現実にはない巨大な飛行物体を作るVFX、ロンドンのリチャード・ブリン氏によりハリウッド並の音楽をつけていただいた音に対する膨大な作業と、語るべき要素もたくさんあります。個人的には親子のことが演技演出的に訴えたい、強い要素の一つです。それらの皆さんに訴えたい、考えていただきたい色々な要素を2時間強にまとめ、「娯楽作品」としてお届けすることが一番私の仕事だと感じ、今回20年連れ添ったチームと共に作り上げました。「娯楽作品」というのが、一番大事なところです。
(江口由美)
 


<作品情報>
『天空の蜂』
(2015年 日本 2時間18分)
tenkuuhachi-530.png原作:東野圭吾「天空の蜂」講談社文庫
監督:堤幸彦  脚本:楠野一郎  音楽:リチャード・プリン
出演:江口洋介 本木雅弘 仲間由紀恵 綾野剛 國村隼 柄本明 光石研 佐藤二朗 やべきょうすけ 手塚とおる 松島花 石橋けい 竹中直人 落合モトキ 向井理 永瀬匡 石橋蓮司 他
2015年9月12日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー
配給:松竹 
公式サイト⇒ http://tenkunohachi.jp/
(c)2015「天空の蜂」製作委員会
 
『天空の蜂』作品レビューはコチラ

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主演、多部未華子をべた褒め!『ピース オブ ケイク』公開記念 田口トモロヲ監督トークショーレポート@ TSUTAYA EBISUBASHI (2015.8.26)
 
【出演】田口トモロヲ監督
【聞き手】平野秀朗(映画評論家)
 

~ラブシーンも攻めの姿勢で。リアリティーに徹した20代女子のイマドキ“下北ラブストーリー”~

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『色即ぜねれいしょん』から6年ぶりとなる田口トモロヲ監督最新作は、20代女子のリアルな恋愛模様を描く、ジョージ朝倉原作の『ピース オブ ケイク』。恋愛も仕事も流されるまま生きてきた志乃を演じるのは、映画やテレビドラマで大活躍の多部未華子。志乃が恋に落ちるバイト先の店長、京志郎を演じるのは、主演作が目白押しの綾野剛が扮する他、松坂桃李、木村文乃、光宗薫、菅田将暉、柄本佑、峯田和伸ら個性豊かな人気俳優陣が、意外な一面を存分に披露し、細部まで見逃せない。漫画原作ながら、リアルすぎる恋愛模様に思わずハマってしまう、トモロヲマジック全開のラブストーリーだ。
 
この『ピース オブ ケイク』が9月5日(土)より全国公開されるのを記念し、タイアップ企画も行われているTSUTAYA EBISUBASHIにて、田口トモロヲ監督を迎えてのトークショーが開催された。
 
 
映画評論家の平野秀朗氏、が田口トモロヲ監督を紹介したところ、開口一番「どうも、綾野剛です」と挨拶し、一瞬にして会場は笑いのるつぼに。過去作品と少し毛色が変わったのではと聞かれ「プロデューサーからお話をいただき、まずは原作を読むところから開始した。そこにでてくるカルチャーが自分の影響を受けたものと一緒だったので、そこを窓口に描くことができると思う反面、20代の恋愛話が50代のおっさんに描けるのか。俺に描けるのか。少し無茶ぶりではないかという心配があった」と制作経緯を説明。平野氏から「めちゃめちゃいい感じ。おっさんがはまる映画」と言われ、初めて言われたと感動の様子だった。
 

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作品の肝となるキャスティングについて田口監督は、「原作が等身大の25歳の女性の話だったので、そこのリアリティーをもった芝居をできるのは多部さんしかいないと、満場一致だった。(監督という立場で)一緒に仕事をし、すばらしいプロフェッショナルだった。現場スタッフが疲れきっていても、撮影の最後は多部さんのアップを撮って終わろう!となる。スタッフ殺しの多部さんはさすが」と多部未華子を褒めちぎると、綾野剛については「いつもシャープでエッジの聞いた役が多いが、京志郎は少し能天気で野太い木の幹のような、本能的に優しさを兼ね備えている。そういう感じをやったことはないのではと思い、ぜひとお願いした」と田口流キャスティングを披露した。
 
監督自身が俳優ということもあり、その演出方法も気になるところだが、「基本的に役者やスタッフと脚本という共通テキストを通して、どう思ったかということからはじめている。綾野君は体が動くので、肉体表現をしてくれるが、京志郎は野太くて、佇んでいるだけで優しさが滲み出て、相手の言葉を一つ一つ受け止める。その反面抜けたところがあるという話をし、動きを封じてもらうように、共同作業で作っていった」と綾野の新たな一面を引き出す京志郎の役作りについて語った。
 

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平野氏が、二人がつきあっているのではないかと思えるぐらい非常にナチュラルだったと、その中でも志乃と京志郎のラブシーンについて尋ねると、田口監督は「R指定はNGという枠があったが、二人が結ばれ、キスをし、抱き合った次には翌朝という淡泊な表現にはしたくなかった。ラブシーンは恋愛映画に必須。そこは攻めたいと思い、アクションシーンと考えて、前もって全て動きを作ってから俳優に提示し、了解を得て演じていただいた」と男性スタッフで試行錯誤しながらラブシーン案撮りをしたエピソードも披露。「二人が演じると、かなり官能的、芸術的になり、そこに感情も入れてくれるので、かなり攻めた表現になったと思う」とラブシーンの出来栄えに自信を見せた。 
 
 
映画全体で、自然な感じを出すために心がけたことを聞かれると「芝居のサイズ感には注意した。大げさにならず、かといって芝居が沈まないように。漫画原作だが、『そんな訳はないだろう』と思われたくないので、さじ加減が重要だった。最初はアッパーな感じのラブコメになるかと思ってリハーサルをしたが、もっとリアリティーのある現実に向き合うものにした方が、脚本いきると判断し、舵を切った」と試行錯誤の上、微妙なさじ加減があって実現したものであることを明かした。
 
 
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最後に、田口監督から「脚本作りの時に『リアルな東京の恋愛を描けたらいいね』ということで本作がスタートした。東京のリアルな風景をバックに、堂々巡りを繰り返しながら、自分たちにとっての真実を求めていく恋人たちのオルタナティブなラブストーリーになっていると思う。サブキャラクターも皆さんが素直に共感できるように肉体化ができたと思うので、その辺を是非楽しみにご覧いただきたい」と観客へメッセージが寄せられた。「どうも、綾野剛です」をギャグのように挟み込み、大盛り上がりのトークイベント。主人公たちの恋愛の悲喜こもごもがグングン沁みてくるのは、リアルに徹した田口監督の演出術にあるのだと実感した。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『ピース オブ ケイク』
監督:田口トモロヲ 
原作:ジョージ朝倉『ピース オブ ケイク』祥伝社 フィールコミックス
出演:多部未華子、綾野剛、松坂桃李、木村文乃、光宗薫、菅田将暉、柄本佑、峯田和伸
(C) 2015 ジョージ朝倉/祥伝社/「ピース オブ ケイク」製作委員会 
公式サイト⇒ http://pieceofcake-movie.jp/
2015年9月5日(土)~梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸、109シネマズHAT神戸ほかにてロードショー
 
 
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「チェコのアカデミー賞」といわれるチェコ・ライオン賞で4部門を受賞し、制作された2010年当時、国内で『トイ・ストーリー3』などハリウッド大作を上回る大ヒットを記録した話題のチェコアニメ『クーキー』がついに日本上陸!
 
9月12日(土)よりシネ・リーブル梅田、9月26日(土)よりシネ・リーブル神戸、近日より京都シネマで公開されるのを記念して、8月26日(水)~9月30日(水)の期間、CAFÉ 太陽ノ塔 UMEDA店、CAFÉ太陽ノ塔 ULTRA JAM店で『クーキー』とのコラボレーションケーキが登場する。
 

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CAFÉ 太陽ノ塔 UMEDA店では、クーキーの可愛い顔にクローズアップしたようなキャラメルチョコチップムース。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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CAFÉ 太陽ノ塔 ULTRA JAM店ではカップからクーキーが顔を出しているよう見えるティラミスを販売。
 
そして2店舗では、コラボケーキの写真を撮り、それをInstagramに投稿していただいた方の中から抽選で劇場鑑賞券(3組6名)、または特製キーホルダー(3名)をプレゼント(応募方法の詳細は下記参照)。また、『クーキー』を鑑賞された方は、どちらかの店舗で飲食をした際、鑑賞券の半券を提示するとプレスシートを各先着5名にプレゼント。
 
可愛いくて、ちょっぴり奇妙で、夢と現実が混ざったような⼼地良さを味わえる『クーキー』。コラボレーションケーキも食べて、より楽しい気持ちになって!
 
 
<CAFÉ 太陽ノ塔×『クーキー』 タイアップキャンペーン>
■キャンペーン期間:8月26日(水)~9月30日(水)
 
■実施店舗:
CAFÉ 太陽ノ塔 UMEDA店(大阪市北区角田町3-25/TEL:06-4256-8025)
CAFÉ 太陽ノ塔 ULTRA JAM店(大阪市北区中崎西2-6-3パステル1101号/TEL:06-6131-4171)
 
■店舗公式サイト: http://taiyounotou.com
 
■キャンペーン内容:
①コラボレーションケーキ
梅田店:キャラメルチョコチップムース 734円(税込)
URTLA JAM店:ティラミス 648円(税込)
 
②シネ・リーブル梅田で本作を鑑賞された方の中から先着5名に、プレスシートをプレゼント(鑑賞券の半券を提示してください)
 
③コラボレーションケーキの撮影写真をInstagramに投稿した方の中から抽選で劇場鑑賞券(3組6名)、またはクーキーキーホルダーをプレゼント
 
※応募方法:Instagramの『クーキー』公式アカウント(@kooky_movie)をフォロー後、対象メニューの写真にハッシュタグ(#クーキーin太陽ノ塔)を付けて投稿してください
 
※当選の方には、『クーキー』公式アカウントよりダイレクトメッセージにて連絡いたします。当選者の発表は、このダイレクトメッセージをもってかえさせていただきます。

<『クーキー』とは?>
『クーキー』は、子どもの頃、誰もが経験した「お気に入りのおもちゃとの別れ」をユーモラスに描いたパペットアニメーション映画。捨てられたクーキーが大好きな少年のもとへ帰るために大冒険を繰り広げ、その奮闘する姿を応援しながら観てしまう。さらに、クーキーの前に登場する森の住人の権力争いはまさに人間社会そのもので、思わず大人もハッとさせられる。キャラクターをデザインしたのは、チェコを代表するゲームクリエイター集団“アマニタ・デザイン”。マリオネットの独特の動きも本作の個性のひとつになっている。
 
<作品情報>
『クーキー』
監督・脚本・製作:ヤン・スヴェラーク/キャラクター・デザイン:アマニタ・デザイン/出演:オンジェイ・スヴェラーク
2010/チェコ/原題:KUKY SE VRACI/95 分/配給:アンプラグド
(C)2010 Biograf Jan Svêrák
公式サイト:http://kooky-movie.com
 
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最新鋭ヘリを強奪し原子炉に墜落させようとする史上最悪のテロと、その危機に立ち向かう人々の8時間の攻防を描いたノンストップクライシスサスペンス『天空の蜂』が9月12日より全国ロードショーされる。
 

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この家族を、そして日本を“守り抜く”ために戦う男たちのドラマにちなみ、“こってりスープをどこまでも守り抜く”天下一品と『天空の蜂』のタイアップキャンペーンを現在開催中だ。本作のタイトルにちなんで、抽選で88名様に「天下一品×天空の蜂」タイアップ特製どんぶりをプレゼント。他では手に入らない特性どんぶりを是非ゲットして!
 
【キャンペーン応募方法】
 
全国の「天下一品」店舗に掲出されているタイアップポスター内のQRコードを読み取るか、または『天空の蜂』タイアップ特製どんぶりちょうだいキャンペーンページURL(http://www.shochiku.co.jp/movie/fm/ten_ichi)から応募フォームへアクセス。  
 
【キャンペーン期間】
8月21日(金)~9月30日(水)
 

<作品情報>
『天空の蜂』
(2015年 日本 2時間18分)
原作:東野圭吾「天空の蜂」講談社文庫
監督:堤幸彦  脚本:楠野一郎  音楽:リチャード・プリン
出演:江口洋介 本木雅弘 仲間由紀恵 綾野剛 國村隼 柄本明 光石研 佐藤二朗 やべきょうすけ 手塚とおる 松島花 石橋けい 竹中直人 落合モトキ 向井理 永瀬匡 石橋蓮司 他
2015年9月12日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー
配給:松竹 
公式サイト⇒ http://tenkunohachi.jp/
(c)2015「天空の蜂」製作委員会
 
 
 
 
 
 

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『わたしの、終わらない旅』坂田雅子監督インタビュー
 

~「聞いて下さい」母の訴えが背中を押した、核を選んだ人類の今を辿る旅~

 

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『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』で米軍がベトナム戦争で使用した枯葉剤の被害を追った坂田雅子監督。その最新作は、坂田監督の母、静子さんが77年から続けていたミニコミ紙、『聞いて下さい』で問い続けてきた原発の被害となった場所を巡り、その未来を問う。『わたしの、終わらない旅』というタイトルどおり、坂田監督は「核」をテーマに、実姉が70年代から放射能汚染を訴えていたフランスのラ・アーグ再生処理工場、46年から58年まで67回の核実験が行われたマーシャル諸島(ビキニ環礁)、旧ソ連の主要な核実験場だったカザフスタン・セミパラチンスクを取材。核実験による放射能に怯えながら過ごす日々や、今も体調不良を訴える人が後を絶たない様子などを、専門家の意見も取り入れながら映し出していく。
 
生前の母の活動を振り返りながら、その歩みを継承するかのようなドキュメンタリーを撮り上げた坂田雅子監督に、いち早く核の危険性に気付き、活動を続けてきた静子さんの歩みや、今回の旅を始めた動機、そして取材の中でさらに気付かされたことや今訴えたいことについてお話を伺った。
 

―――70年代に日本の使用済核燃料が、フランスで再処理されていたことは知りませんでした。お母様の静子さんは、いつ頃から核問題に関心を持っていたのですか?
スリーマイル島の爆発の前から危ないと思っていたようですが、大きなきっかけとなったのは、結婚後、フランスのラ・アーグ再生処理工場の対岸のガンジー島に住んでいる私の姉から手紙が来た時でした。手紙に驚いたと同時に、姉がその前年に重い障害を持った子供を産んでいたので、母の気持ちの中では「もしかしたら」という部分があったのです。母が調べてみると、放射能がどんなに危険なものかが記されていました。日本でもすでに反原発の動きが起こっており、東大の市民講座に連絡して勉強し始めたら、その危険性が分かり、母は居ても立っても居られなくなって、ガリ版を刷ったそうです。 
 
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―――原子力発電についてのビラ、『聞いて下さい』を作ってから、お母様の活動はどのように広がっていったのですか?

 

「公民館でガリ版を刷って駅前で配ってきたのよ」と母が言っていましたが、その一歩が大きいのです。初めてビラを配るなんて、本当に勇気が要りますから。たまたまガリ版を公民館で刷っているときに、信濃毎日新聞の方が記事にしてくださり、活動が周りに広がっていきました。そういう社会運動は一人では続けていけませんから。
 
 
―――監督は、お母様の活動をどのような気持ちでご覧になっていたのですか?
当時私は東海地方で働いており、自分の生活に必死だったので、母が原発のことを熱心に調べて行動していることが理解できませんでした。国や科学者の方が調べて、このような状態になっているのだから、何も知らない一介の主婦が心配しても、取り越し苦労ではないかと。
 
 
―――お母様は原発問題に対する運動を起こした先駆者のようにも思えますが、元々社会問題に興味を持っていたのですか?
母はクリスチャンだったので、ずっと宗教のことを考えており、靖国問題に興味を持ち始めたあたりから、社会問題に興味を持ったのだと思います。なぜキリスト教会が第二次世界大戦に加担したのか、また日本が国策で戦争をしてしまったが、私たちは何も知らないできてしまいました。原発の問題もそれに重ねて、何も知らないで来てしまったのではないかと。
 

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―――タイトルもある監督にとっての『わたしの、終わらない旅』は、いつから始まったのですか?
始まったのは3.11ですね。前作『沈黙の春を生きて』の最終的な編集をしていたときで、レーチェル・カーソンの『沈黙の春』を参考にしたのですが、これは50年前の作品なのです。あれだけレーチェル・カーソンが化学薬品や農薬に対する警告を発し、しかもその本がベストセラーになったにも関わらず、今の私たちの状況は警告を活かせていません。50年後になって、初めて被害が分かるものもあるのではないかと思うと、今から目を開き、間違っていないか考えるつもりで映画を作っていました。その50年を待つことなく福島原発事故という、とても過酷な形での環境破壊が起きてしまいました。
 
 
―――福島原発事故が起きたとき、お母様の運動が改めて頭をよぎったのではないですか?
外国の友達は、日本を脱出するように勧めてくれましたが、私は今こそ日本にいて、福島のことを映画にしなければいけないと思いました。でも、何が起こっているのか分からない。いても立ってもいられない状況の時に、母のガリ版誌『聞いて下さい』を読み直し、当時と福島の状況が一つにまとめて語れる映画ができればと思ったのです。
 
 
―――実際に、福島に入って取材はされたのでしょうか?
最初は日本各地の反原発運動をしている方に会いに行こうかと考えていました。そこでチェルノブイリの時に当時30万円ぐらいした放射能探知機を、母が仲間たちと一緒に買い、誇らしげに見せてくれたことを思い出しました。当時はこんなものが役に立つのかと思っていたのですが、仲間たちが母の死後も大事に持っていてくれ、彼女たちと一緒に福島に行ったとき、その探知機の値がどんどん上がり、飯館村の辺りになると信じられないような音を立てました。一緒に行った仲間は深いため息をついて、嘆いている声を聞きながら、私たちはどこに行ってしまうのかと考えた時に、思いついたのです。探知機を持って、ビキニ諸島に行ってみよう。60年前に核実験が行われたところが、今どうなっているかを見ることによって、福島のこれからがある程度見えるのではないかと。福島から旅は始まったし、福島に何度も行ってお話を伺いましたが、話を聞けば聞くほどまとめられなくなるのです。それぞれの悲劇がありますから。少し引いて違う角度から見ようとしたのが実際的な旅の始まりです。
 
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―――『聞いて下さい』の原点はフランスで、70年代当時は反対運動が行われていたそうですが、今はどのような状況なのですか?
ラ・アーグ再処理工場には、日本の使用済核燃料がまだあります。姉の島では、もう反対運動は全然ありません。みんな慣れてしまいました。70年代から稼働していて、目に見えて何かがあるわけではありませんから。今もジワジワと放射性廃棄物は流れていますが、皆見ないふりをしていますね。はっきりどこまでが危険で、どこまでが危険でないかが分からないという部分は、福島にもつながります。
 
 
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―――ビキニ島の住人達の取材も、いまだに島を追われ、戻っても残留放射能値が高く、とても住めない状況でした。
この映画には登場しませんが、ビキニ島の隣にあるロンゲラップ島も実際に放射能の灰を浴びており、80数人いた島民は別の島に避難していますが、甲状腺がんや亡くなった方も大勢いらっしゃいました。そのロンゲラップ島を除染し、住宅を建て、島民を返そうという努力をアメリカはしているのです。アメリカの科学者にインタビューすると、「少々放射能は残っているかもしれないが、決して危険な程度ではなく、しかも今のスラムのような場所に住んでいるよりはモダンな気持ちのいい家を作るのだから、そちらに住んだ方が全体的に見て絶対いいと思う」。島民は帰っていませんが、アメリカとしては島民を返して、この問題から手を洗いたいのです。それも、どこかで聞いたことのある話ですね。少しぐらい放射能が残っていても、住人を返せば責任はなくなると。ビキニ島の核実験で第五福竜丸が被ばくして帰ってきたときに、日本でも反核運動が盛り上がったにも関わらず、56~57年ぐらいからアメリカにより、原発の平和利用という名目で国民が洗脳されていく訳です。今は民意がNOと言っても、反映されません。
 
―――日本でも最近はSEALDsなど、若者発の市民運動が起こっていますが。
日本と原発全廃を決めているドイツとどこが違うかと言えば、ドイツは市民社会がかっちりしていて、町の反原発運動が、国中の大きなうねりになったのです。日本でも小さな運動はありますが、それが大きなうねりにはなりません。さざ波のままなので、どうすればうねりに持っていけるのかが課題です。うねりになるためには、上から来ないと。第二次世界大戦の時も開戦するときのうねりは上から来たわけで、下から来ないです。
 
―――この核をめぐる問題に答えはあるのでしょうか?
答えはあります。再生エネルギーにして原発を止めるということです。できてしまった廃棄物をどうするかに対する答えはまだありませんが、これ以上原発や廃棄物を作らないでいることはできます。
(江口由美)

<作品情報>
『わたしの、終わらない旅』
(2014年 日本 1時間18分)
監督:坂田雅子
2015年8月29日(土)~第七藝術劇場、9月5日(土)~京都シネマ、9月26日(土)~元町映画館
公式サイト → http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/
(C) 2013 天空/アジア映画社/太秦
 
 

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90年代、パリの音楽シーンを駆け抜けたDJの栄光と挫折~『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ氏インタビュー
 

「最初の10年は実り豊か、その後の10年は時が止まってしまったようだった」

 
90年代パリ。親友とDJデュオを結成し、瞬く間にクラブシーンで有名になっていったポールを主人公に、彼が辿った栄光と挫折の道のりを、時代を彩るガラージミュージックやクラブミュージック満載で綴る青春群像劇『EDEN/エデン』が、9月5日(土)から劇場公開される。
 
監督は、『あの夏の子供たち』のミア・ハンセン=ラヴ。兄で20年間ガラージミュージックのDJとして活動してきたスヴェン・ハンセン=ラヴの体験を元に、90年代後半から00年代にかけてフランスのダンス・ミュージックシーンで起こったムーヴメント、“フレンチ・タッチ”の最中で生きた若者たちの姿をリアルに再現。20年に渡る軌跡を、「パラダイス・ガラージ」と「ロスト・イン・ミュージック」の2部構成で瑞々しく描き出した。実存する伝説のクラブで行われる音楽イベントやパーティーは、当時の様子そのままの熱気と華やかな空気が伝わってくる。DJたちがアメリカの人気DJたちとセッションする様子や、音作りする様子など、DJの活動を詳細に映し出しているのも興味深い。ガラージミュージックにハマった世代には懐かしく、初めて知る人にはその魅力が全編から伝わってくるだろう。
 
 
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バブルのように人気が膨らみ、一転して挫折を味わうポールを演じるのは、22歳の時に本作の主役に抜擢されたフェリックス・ド・ジヴリ。若くしてアーティストだけでなく企業家の顔を持つフェリックスの、瑞々しくも堂々とした演技に注目したい。ポールと関わる女性たちには、ポーリーヌ・エチエンヌ(『愛について、ある土曜日の面会室』)、グレタ・カーヴィグ『フランシス・ハ』)、ローラ・スメット(『愛の残像』)、ゴルシフテ・ファラハニ(『彼女が消えた浜辺』)と、若手実力派女優が揃った。国籍もタイプも違う女たちとポールとの関係性の変化もリアルに描写され、ポールの揺れ動く内面を感じとることができるのだ。
 
フランス映画祭2015のゲストとして来日した共同脚本のスヴェン・ハンセン=ラヴ氏に、妹のミア・ハンセン=ラヴ監督と脚本を書くに至った経緯や、本作で描かれたガラージミュージックの魅力、当時の音楽的ムーヴメントを描くにあたって注力した点ついて、お話を伺った。また、『EDEN/エデン』トークショー@フランス映画祭2015でのスヴェン・ハンセン=ラヴ氏のトークも改めてご紹介したい。
 

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―――ご自身の半生を反映させたような本作を妹のミア・ハンセン=ラヴ監督と作るに至ったきっかけは?
スヴェン:ミアは、以前に撮っていたのが三部作だったので、次は少し違う方向の映画を作りたいと考えていました。音楽が登場人物のように重要な映画であると同時に、90年代の若者についての映画を撮りたいと思っていたのです。私はその時代の音楽シーンである程度の役割を担っていたので、ミアの方から声がかかり、一緒に映画を作ることになりました。
 
 
―――脚本を書くにあたり、スヴェンさん自身の人生を振り返り、妹のミアさんが今まで知らなかったことを話すことは、大変な作業だったのでは?また、どのように分担したのですか?
スヴェン:ミアが描こうとした90年代はパリでも音楽的なムーヴメントが起こっていた時代です。日々、お祭りやパーティー、また友達の集まりなどがあり、そこからムーヴメントが起こってきました。ミアからは音楽的ムーヴメントを語るために、「当時、そこで何があったのか、思い出を語ってほしい」といわれました。決して、私自身のことを話してほしいと言われたのではありません。私の語った事柄をもとに、ミアがシナリオを書き、第一稿ができあがったのですが、そこにはすでに私が話したことからインスピレーションを得た話や、彼女自身が当時私を見ていた時の思い出から生まれたミアの創作も加わっていたのです。第一項の段階でフィクションが作られていき、そこに私が参加していきました。
 
 
―――冒頭に流れた曲で一気にガラージの世界に引き込まれたが、スヴェンさんから見たガラージミュージックの魅力とは?
スヴェン:どの音楽にも似ていないところが魅力的です。変わった音楽でもありますが、色々な音楽を合わせることにより、オリジナルな音楽が生まれています。ガラージは当時新しく、また革命的な音楽でした。ダンス的な踊り出したくなる要素がある反面、ゴスペル的な要素も入っています。有機的なところと構成音のコントラストも、非常に魅力がありますね。
 
 

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―――映画では当時のDJの仕事ぶりや、クラブのライブなどが非常にリアルに再現されていましたが、それらを再現する際に一番こだわったことは?
スヴェン:ミアが重要視していたのは、嘘ではない本物を作ることです。そのためにディテールにこだわりました。DJが実際どうやって音楽を流すのか。それを正確に見せることが重要だと考えていたので、音楽シーンで重要な役割を担っている方に直接話を聞き、時には手取り足取りで教えてもらうこともありました。歴史ものを作っている時のように、お互いに意見を出し合い、専門家の助言を受け、間違いのないように注意して作っていきました。そこをいい加減にすると、後で非難されることをミアは分かっていたのです。
 
 
―――ポールの過ごした10年はポール自身だけでなくDJシーンの浮き沈みやパリで起こった音楽ムーヴメントの終焉を示唆しているようだったが、この時代を音楽シーンで生きたスヴェンさん自身は、この10年をどう捉えているか?
スヴェン:今振り返ってみると、最初の10年は実り豊かで、楽しかったです。毎日パーティーをし、様々な国にも行き、お金も儲けていました。全てが非常にうまくいっていたのです。ただ、未来のことは何も考えていませんでした。その後の10年は時が止まってしまい、まだ終わらないパーティーの中にいて、自分はずっとその中に浸かっているような感じがしていました。7~8年経ってようやく、私は目が覚めました。何も進化していない、ずっと同じことをしていると気づいた時から、私にとって人生で難しい時期が始まったのです。そこから未来を考えざるを得ない状況に追い込まれ、私は変わっていきました。
 

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―――映画は音楽で始まって、ロバート・クリーリーさんの詩で終わるが、この詩への思いや、このようなエンディングにしようとした狙いは?
スヴェン:もともとロバート・クリーリーは私が好きだった詩人で、ミアに紹介しました。“The Rhythm”という詩を選んだのはミアです。最後に詩を挿入するのは、ミアの映画の世界観に合っていますし、詩の内容も映画にマッチしていたと思います。
 
 
―――スヴェンさんは、音楽から書くことへと今は方向転換したが、今後の活動予定は?
スヴェン:文学のマスターを得るのにあと1年あるので、それを終えたら一度フランスを離れてスペインに行きたいと思っています。そこでできれば書くことに没頭したいと思います。すでに作品は書いているのですが、また新しいものを海辺の小さな街で書ければと思っています。
(江口由美)
 

『EDEN/エデン』トークショー@フランス映画祭2015

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―――『フランシス・ハ』に出演したグレタ・ガーヴィクさんをジュリア役に起用した理由は?
スヴェン:グレタさんは私もミアも大好きで、彼女が出演してくれるのは一つの夢でもありました。出演を了承してくれるかどうか不安でしたし、エージェントを通じて打診すると役が小さすぎると言われましたが、偶然にもグレタさんはミアの映画が好きで、すぐにやりたいと言ってくれました。少しのシーンですが、彼女の軽やかな感じが、作品に温かみを与えてくれたと思います。
 
 
―――今再びディスコやガラージが盛り上がってきているようですが、スヴェンさんから見て、この動きをどう思いますか?
スヴェン:一番大きな違いは、昔はこのようなクラブミュージックを聞いていた人が今より少なかったし、新しいミュージックを発見したという熱がありましたが、今は世界中で若者たちが様々なミュージックを聞いていて、彼らは自分たちの聞いている音楽の根っこが昔にあると知っています。
 
 
―――自身の役をフィリップさんにしようとした決め手は?
スヴェン:ミアがオーディションで、フィリップのことがすぐにいいと思ったのは、当時の若者の中にあったエネルギーを彼の中に感じたからです。フィリップスは音楽のことも知っています。音楽のことは門外漢という人は選びたくなかったのです。
 
 
―――フランスの文化を紹介する一方で、本作はアメリカの影響を強く受けていることを示していますが、その意図は?
スヴェン:確かにこの映画の中ではアメリカ文化のことを紹介していますが、フレンチ・タッチを紹介する映画でもあります。フレンチ・タッチというのはアメリカとフランスのつながりによって生まれた音楽です。フランスは昔からアメリカの黒人音楽に対する根強い愛着がありました。この映画は、ある意味フランスの伝統を表しているともいえますし、その絆がいかに美しいかということを示した映画でもあります。私の好きなシーンで、主人公がシカゴに行き、アメリカのDJに会うシーンがありますが、そこで二つの全く違う文化をもったDJの間に絆が生まれ、お互い違いはないのだということが分かります。
 

<作品情報>
『EDEN/エデン』
(2014年 フランス 2時間11分)
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
出演:フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ
配給:ミモザフィルムズ
2015年9月5日(土)~新宿シネマカリテ、大阪ステーションシティシネマ、今秋~京都シネマ、元町映画館ほか全国順次ロードショー
公式サイト ⇒ http://www.eden-movie.jp/
© 2014 CG CINEMA - FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD– YUNDAL FILMS
 
『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ、主演フェリックス・ド・ジヴリトークショー@フランス映画祭2015はコチラ
 

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romance-s-550.jpgしっかり者の大島優子主演映画『ロマンス』監督&サプライズゲスト記者会見

ゲスト:タナダユキ監督、大倉孝二(桜庭洋一役)
 

・(2015年 日本 1時間37分)
・監督・脚本:タナダユキ
・出演:大島優子、大倉孝二、野嵜好美、窪田正孝、西牟田恵
2015年8月29日(土)~ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、9月5日(土)~シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://movie-romance.com/
・コピーライト: (C)2015 東映ビデオ


 

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~大島優子と大倉孝二の“箱根湯けむり珍道中”~


元AKB48メンバーの大島優子主演映画は、新宿と箱根を往復する特急ロマンスカーに乗務するアテンダント女性の成長物語。ひょんなことから怪しい映画プロデューサーと名乗る男と箱根の名所を巡りながら、それまでの生き方を見つめ直して、前向きな気持ちになっていく。怪しい映画プロデューサー・桜庭を演じた大倉孝二と、母親との関係に悩む実年齢と同じ26歳の鉢子を演じた大島優子との掛け合いが、これまた絶妙で笑える! 大人の男性としてリードしようとする桜庭を全く信頼しない鉢子。ボケとツッコミ漫才の“箱根湯けむり珍道中”を見ているようだが、そこに人生をやり直そうとするふたりの心境の変化を感じとることができる。

 


 【STORY】
romance-2.jpg特急ロマンスカーでアテンダントをしている26歳の鉢子(大島優子)は、今日も同棲している彼(窪田正孝)にお小遣いを渡して出勤。ドジな後輩(野嵜好美)の失敗もさり気なくフォローし、テキパキと車内販売の仕事をこなすしっかり者。そんな鉢子が万引をした男・桜庭(大倉孝二)を捕まえたことから、変なオッサンと箱根をめぐる羽目になる。鉢子は、男にだらしない母親と高校卒業以来疎遠になっていた。一方、桜庭は、度重なる資金繰りの不調で妻子にも去られ、借金取りに追われる“人生崖っぷち”状態の映画プロデューサーだった。二人が晩秋の箱根を巡る内に、幼い頃の思い出が甦る鉢子と、不甲斐ない自分と向き合う桜庭。二人とも過去を振り返りながら、それまでの自分と決別して前へ進もうとする。

 


 8月29日の公開を前に来阪したタナダユキ監督の合同記者会見が行われた。そこに、急遽東京から駆け付けた大倉孝二が飛び入り参加。鉢子の前に突然現れた怪しい男とは違い、ナイーブさを感じさせる色白のスレンダーボディ。思わぬ嬉しいゲストに取材陣も湧き立った。箱根のガイドブックを見ながら脚本を書いたというタナダユキ監督と、大島優子との共演がとても楽しみだったという大倉孝二。作品に込めた思いや撮影秘話などについて、それぞれに語ってもらった。


 【大島優子について】

――― 大島優子さんに対するそれまでのイメージや、当て書の部分は?
romance-3.jpg監督:子供の頃に憧れていたアイドルのお姉さんという感じでした。とても明るくてキラキラしているけど、どこか憂えを感じさせる。何でもできるけど何でもやらされる、本人にしか分からない大変さもあるんだろうなと思っていました。

当て書の部分は、何でもテキパキとできるところや、足が速いところ、他は想像して書いていました。

大倉:大島さんは、足、マジで速いんで、大変でしたよ、逃げ切るの(笑)

――― 大倉さんは大島優子さんに対して?
大倉:僕は、失礼ながらアイドルということしか知りませんでした。「AKB48」もたまにテレビで見るくらいで、真ん中でとても綺麗な娘が踊っているなという印象しかなかったですね。それが、会ってすぐに「前から知ってる!」みたいな雰囲気になって、普通にダベってました。

監督:ここに大島さんがいたら、多分一番しっかりしていると思います(笑)。

大倉:どこでもそうなのか知らないけど、“アイドル大島優子”を演じているというところは見たことなかったですね。

監督:一番若いスタッフにでも誰に対しても変わらない態度で接していました。

romance-s-o-1.jpg――― 最初、大島さんとの共演を聞いた時の感想は?
大倉:なんか面白くなりそう!と思いました。

――― 体格も性格も対称的なふたりでしたが、撮影する際に工夫したことは?
監督:工夫というより、限られた時間の中でどれほど自由に動いてもらえるかなと考えました。自由に好き勝手にやってもらえればと。

大倉:本読みでも、10分くらいで「もう終わりです」と監督が言われたので、スタッフが慌てて「いやいやいや」と止めたほどです。「もういいです。後は本番でやって下さい」とね。

――― 車の中の二人の会話が面白かったのですが、緊張した?
大倉:まったく無かったすね。打ち合わせも練習もなかったです。

――― 絶妙な掛け合いに笑わされましたが?
大倉:たまたまですね(笑)。

  


 
【脚本と演出について】

――― 「脚本協力」とクレジットされている向井康介さんは、どんな協力だったのですか?
監督:鉢子と映画プロデューサーの二人が箱根へ行って帰ってくるという、大まかなプロットの部分です。それに私が肉付けしていったのです。

――― 映画プロデューサーのモデルはいるの?
監督:特にいないです。私自身がプロデューサーを胡散臭いと思っているので(笑)、未だにどんな仕事をしているのかよく分かっていないのです。いろんな人たちをミックスさせて桜庭という人物像を創り上げました。本当に、監督より個性的な人が多く、そんな人たちといると、自分が常識人だと思えてくるほどです。

romance-s-t-2.jpg――― 鉢子と桜庭との出会いのシーンについて?
監督:桜庭にとっては逃げる日だったので、鉢子が捨てた手紙を利用して、映画のプロデューサーらしく自分でストーリーをこしらえて、一緒に「母を探す」行動に出たのです。

大倉:そんな説明初めて聞いた!(笑)

監督:何も考えていない訳ではないんです。説明するのがイヤなんです、野暮に思えるから。

――― 細かな演出はしないんですか?
監督:一切しません。脚本を渡して好きにやってもらった方がいい。

――― 役者としてはやりにくいのでは?
大倉:いろんな監督さんがいらっしゃるので、その人の船に乗ったら従うだけです。説明がなくてもあんまり不安にはならなかったです。監督は言葉にしなくても「それでいいんだ」という顔をしていたので。

――― ラブホテルでのシーンについて?
監督:最初からそういう感じで撮ろうと思っていました。桜庭の中の男性としての欲望とは別に、若い女の子に泣かれてしまい、抱きしめてからの展開は、桜庭の中ではかなり混乱していたであろうと(笑)。

――― 監督からの説明もなく、脚本通りされたのですか?
大倉:理解しようとしても難しいですからね。

監督:あんまり言い過ぎると固まってしまうので、何も言わずに自由にやってもらった方が、新しい発見があるからいいんです。

――― ラストシーンにちょっと疑問を感じたのですが?
監督:最初からそういう構成でした。たまたま出会った鉢子と桜庭ですが、一緒に過ごすうちに、鉢子の母親へのわだかまりを落ち着いて考えられるようになり、最後は鉢子の笑顔で終わらせたいと思っていました。でも、母親を見掛けてすぐに母親を許す気にはなれないと思うので、ちょっと間を置いてからあのようなラストにしました。

――― それが鉢子が成長した姿だったんですね?
監督:そうです。

 
 


 
 【鉢子と親子関係について】

――― オリジナル脚本ということですが、主人公・鉢子の26歳という年齢は、タナダ監督にとって曖昧さや不安定感というものがありましたか?
監督:あったと思います。それまで“若い”というだけで許されていたことが段々と許されなくなる。今の年齢から見ればまだまだ若いと思えますが、当時は“若い”とは感じられませんでした。あまりにも一般常識もなく、できないことが多過ぎたり、また母が姉を産んだ年齢なのに自分が母親になるなんて無理だわ、「やばい!」と思ってました。

――― 26歳という年齢的なリミットを感じていたのですか?
監督:リミットは感じていませんでしたが、とても母親になる自信がないという焦りを感じていました。

romance-s-o-2.jpg――― 大倉さんは鉢子のような20代半ばの曖昧さとかありましたか?
大倉:個人的にはフラれたりバイトがダメになったり、周りの人たちが少しずつ映像に出だして「俺はもう諦めなければいけないのかな?」と思ったり、かなり腐った状態でした。でも、26歳~27歳の時が一番大きな転換期だったように思います。野田秀樹さんや三谷幸喜さんの舞台に出させて頂いたり、映画『ピンポン』に出演したりとね。

――― 親と子の関係や子供をうまく育てられなかったという思いが作品の中にあるが、監督もそんな難しさを感じているのですか?
監督:意識している訳ではないけど、「家族ってやっかいだな」と思っている部分はあります。どんなにひどい親でも捨てきれないとか、逆の立場では、私自身親の望み通りの人間に育ってないので、何だか面倒くさいなとかね。

――― 「親だから」といって許してしまうところもあるが?
監督:今回、私は桜庭の年齢に近いのですが、鉢子に対しては、まだ子供ですが親のことが理解できる立場でもあるので、子供だからといって親を責めていい年齢ではないよね、と気付き始めた時の苦しさがあります。桜庭に関しては、親としての不甲斐なさや、子供を嫌いになれないという親の感情を、今の年齢だから入れられたのかなと思います。

 


  
【箱根について】

――― 関西の人にはあまりなじみのない箱根ですが、ロケ地について?
romance-s-t-1.jpg監督:実は私も箱根は初めてだったんです(笑)。都心から1時間ちょっとで行けるので、いつでも行けると思って全然行ったことがなかったんですよ。今回は時間がなかったので、脚本はガイドブック見て書きました(笑)。行ったことのあるプロデューサーに、ここは1日で移動できる距離なのかと聞いてみたり、後はロケハンで決めればいいやというふうに思ったり、自分で脚本書いている強みですね。

大倉:ホント、ベタですからね。ガイドブックに載っている所しか出て来ないですからね(笑)。

――― 小田急電鉄からのオファーなのかと思いましたよ?
監督:いえいえ、こちらからお願いしたのです。最初小田急電鉄へ電話した時、たまたま受けて下さった広報の鈴木さんという方の奥様がロマンス号のアテンダントをされていて、「アテンダントに光を当てて下さって嬉しいです」と仰って下さり、撮影が実現しました。小田急さんに断られていたら、今ここで取材を受けることもなかったでしょう。

大倉:箱根はとてもいい所ですよ。

――― 今、火山活動の影響で観光客も減っているようですが?
監督:早く収束してほしいですね。でも、箱根へ行けない間は、この映画で見て箱根を楽しんで頂きたいです。


 (河田 真喜子)

 

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