「京都」と一致するもの

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「時間は取り戻せないから、一日一日全力で生きて」中村獅童、小西真奈美、竹永典弘監督が登壇『振り子』舞台挨拶@TOHOシネマズなんば(2015.2.23)
登壇者:中村獅童、小西真奈美、竹永典弘監督
 

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 お笑い芸人から、今やパラパラ漫画家として精力的な活動を続けている鉄拳が2012年に発表した「振り子」。再生回数300万回を記録し、大きな話題を呼んだ4分半の動画から、昭和・平成と移り変わる世の中を映し出しながら、そこで生きる波瀾万丈な夫婦の姿を振り子時計に重ねて綴った感動作が誕生した。
 
 
 本作で真っ直ぐで不器用な夫・大介を演じた中村獅童、献身的で常に笑顔を絶やさない妻・サキを演じた小西真奈美、そして脚本も担当、本作が長編デビュー作となる竹永典弘監督がTOHOシネマズなんばで行われた『振り子』舞台挨拶に登壇。満席の客席から大きな拍手で迎え入れられた。
 
 

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 初めて鉄拳の原作を見たときの感想を聞かれ、「とても感動して泣いた。母が亡くなった後すぐにいただいたお話なので、過ぎ去った時を取り戻す思い出深い時間だった。小西さんは本当にサキではないかと思うぐらいいつもニコニコしていた」(中村)、「原作のパラパラ漫画も知っていたが、本当に脚本が素晴らしかった。よくサキは尽くす女性と言われるが、ただただ大さん(大介)のことが好きなのだと思う」(小西)と作品づくりについての話にも及ぶと、竹永監督は「この夫婦は底抜けに明るく生きている。中村さんと小西さんの二人が(セットの)居間にポンと入ると、昭和の居間が出来上がっていた。二人の演技をモニターから見ながら、何度も涙を流してカットを切れない時があった」と主演二人の演技を絶賛した。
 
 

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 パラパラ漫画を映画にするときに難しかった点を聞かれた竹永監督は「4分半しかないパラパラ漫画に男の後悔のライフストーリーが入っている。セリフのない空間にどんどんセリフが浮かび、家族の人生を描いた」と意欲的に取り組めたことを明かした。
 
 また自身が演じた大介について、中村獅童は「奥さんに甘えているけど、いいところは自分に真っ直ぐに生きている部分。不器用なところもどこか共感できる。時間は取り戻せないから一日一日全力で生きなければ」と実感を込めて語った。
 
 一方、大介のようなダメ男を結婚するときに選ぶかと聞かれた小西真奈美は「そんなに(大介は)ダメじゃない。感情の起伏がワシャーっとくるけれど、その後の獅童さんの表情に『やっちゃったなー』みたいな後悔の念が浮かんで、ダメっぽいけど愛らしい。大さんみたいな人は素敵だと思う」とまさにサキが乗り移ったかのようなコメントを披露すると、竹永監督から「小西さんの手相を見たら、頭脳線が足りなかった。生命線は黒柳徹子さん並に長いのに」との思わぬ応酬に会場も爆笑。大介のキャラクター話で盛り上がったところで、中村獅童が「女性のお客さんは後半にかけて本当にイラッとくると思う。感情移入して観てほしい」と作品をアピールした。
 
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 最後に「沖縄国際映画祭など、映画祭以来はじめて観ていただけるのでうれしい」(小西)、
「主演二人の演技と、70年代から元気のある80年代、ミレニアムを迎える90年代まで描かれている時代にも注目して、100分間楽しんでいただければ」(竹永監督)、
「私たちの愛情がたっぷりと詰まった作品。仕掛けもアクションもない地味な映画だが、昭和の時代にあった人との出会いやぬくもり、日本特有の義理人情がこの映画に生きている。昭和をよくご存じの方もご存じない方も何かを感じ取ってくれればうれしい。もしかしたらこんな夫婦いるのかもしれないし、いないのかもしれない。観終わった後に、童話を読んだ後のように優しい気持ちになってくれたら」(中村)と万感の思いを込めた挨拶で締めくくった舞台挨拶。
 
 男の弱さや脆さを全て受け止めるサキと、その包容力に甘え過ぎてしまう大介の夫婦が、振り子時計の振り子のようにお互いの辛い時を支えた後に起こる奇跡に涙する感動作だ。
 
(江口由美)
 
 
 

<作品情報>
『振り子』(2014年 日本 1時間40分)
監督・脚本:竹永典弘  
出演:中村獅童、小西真奈美、石田卓也、清水富美加、板尾創路、苗木優子、松井珠理奈(SKE48╱AKB48)、鈴木良平、中尾明慶、研ナオコ、小松政夫、山本耕史(友情出演)、武田鉄矢(特別出演)
公式サイト⇒http://furiko.jp/
2015年2月28日(土)より角川シネマ新宿、池袋シネマ・ロサ、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都ほか全国ロードショー
(C) 2014『振り子』製作委員会
 

 

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<ストーリー>
1976年、不良に絡まれていたところを大介に助けられたサキは、大介に一目惚れして猛アタック。相思相愛になった二人は反対するサキの親をなんとか説得し、19歳で結婚する。おしどり夫婦のような仲睦まじさで、娘・心晴も誕生し幸せに満ちた日々だったが、大介が詐欺に遭い、二人でコツコツ頑張ってきたバイク屋をたたんでから、夫婦の歯車が狂い始める。大介は転職先で女をつくり、朝帰りを繰り返すようになるが、サキは辛い目に遭いながらも常に笑顔を絶やさなかった。99年リストラされた大介は就活もうまくいかず、飲み屋で酔いつぶれて家に帰ると、サキが脳梗塞で倒れていた…。
 

hanatoalice-di-1.jpg亡き篠田昇キャメラマンに捧げる『花とアリス殺人事件』岩井俊二監督舞台挨拶

2015年2月21日(土)梅田ブルク7にて

・(2015年 日本 1時間40分)
・原作・脚本・音楽・監督:岩井俊二
・声の出演:蒼井優/鈴木杏/勝地涼/黒木華/木村多江/平泉成/相田翔子/鈴木蘭々/郭智博/キムラ緑子
・制作:ロックウェルアイズ/スティーブンスティーブン
・(C)花とアリス殺人事件製作委員会 
・特別協賛:ネスレ日本 配給:ティ・ジョイ  
・公式サイト⇒ http://hana-alice.jp/

2015年2月20日(金)~梅田ブルク7、T・ジョイ京都、109シネマズHAT神戸、ほか全国ロードショー


  

~花とアリスが主人公だと、物語は止めどなく生まれてくる~

 

hanatoalice-1.jpg11年前の『花とアリス』以来、プロデュース作品はあったがあまり監督作品を生み出してこなかった岩井俊二監督が、『花とアリス』の前日譚となる二人の出逢いの物語を、初の長編アニメーションで映画化した。『Love Letter』『スワロウテイル』『リリィ・シュシュのすべて』と思春期の繊細な心情の変化を瑞々しい映像で捉えた作品は、“岩井俊二ワールド”と称され、撮影はすべて篠田昇キャメラマンによるものだった。その篠田キャメラマンが『花とアリス』が公開された2004年に亡くなられ、その後実写映画はカナダ製作の『ヴァンパイア』だけとなっている。


hanatoalice-di-2.jpg世界でも評価の高い岩井俊二監督は、日本のみならず世界中のファンが彼の新作を待ち望んでいた。2004年当時闘病中の篠田キャメラマンに読んでもらおうと徹夜で執筆していたが、書き上げたその朝、篠田キャメラマンは帰らぬ人となった。届かなかったシナリオだったが、作品の中には彼を思わせる病気の老人が登場する。アリスと他愛ない会話をしながら過ごすひと時が、黒澤明監督の『生きる』の一場面と重なり、切ない想いが胸に迫る。
 

長い時を経て、今回自ら脚本・監督・音楽を務めて作り上げた『花とアリス殺人事件』。舞台挨拶に登壇した岩井俊二監督には、「完成してやっと篠田キャメラマンに捧げることができました」とその胸の内を明かした。


また、実写版で主演を務めた花(鈴木杏)とアリス(蒼井優)も本作をきっかけに女優として大躍進を遂げているが、さすがに11年経って前日譚となる中学生を演じるには無理がある。主演の二人をはじめ、当時同じ役の俳優たちが今回のアニメーションでは声優を務めているのも大きな魅力。懐かしい声から11年前のあの感動が甦るようだ。「続編を作ってほしい」という蒼井優の言葉に応えるように岩井監督は、「花とアリスが主人公だと、物語は止めどなく生まれてくる」と語る。
 



公開2日目の梅田ブルク7、この日集まった観客の殆どが実写版『花とアリス』を見ているという。新作を待ちかねたファンを前に登壇した岩井俊二監督は、下記のように語った。

hanatoalice-2.jpg――― 初の長編アニメーションは如何でしたか?
初めての体験で試行錯誤することばかりでしたが、実写とは違う感覚でとても新鮮でした。細かいところでいろんな問題が発生するのがアニメの恐ろしい処で、なかなか苦しめられました。毎日一コマずついじり倒しているような状況でして、後で全体を見て「こんな話だったんだ~」と久しぶりに物語に触れた気がしました。実写だとそんな細かくチェックすることはないので、今回のように一コマずつ作り上げていく作業は、作り手としては快感でしたね。

――― 11年前、実写版『花とアリス』が公開された時には今回の脚本は作られていたんですね?
はい、完成後にプランはあって書いていたんですが、製作に至るまでいろいろあって時間がかかりました。

――― ずっと岩井監督作の撮影監督だった篠田昇さんが亡くなられて、そのシナリオを篠田さんに捧げられたというエピソードがありますが?
この本を書いている時に篠田さんは闘病中だったんです。何とか篠田さんに届けたいと思って徹夜で書いていたんですが、やっと書き上げた朝に「篠田さんが亡くなられた」と連絡がありました。本作の中に渡辺という老人が登場しますが、篠田さんのつもりで書きました。彼に捧げるというより、闘病している篠田さんを書いている自分に、作家の業(ごう)を感じました。10年経ってこのような形で完成したので、結果的には彼に捧げられたかなと思っています。

――― 出演された蒼井優さんも同じようなことを仰ってましたが?
二人に久しぶりに会ったのも篠田さんのお葬式の時でして、二人は号泣していました。篠田さんは撮影中はムードメーカーのような“いいおじさん”だったので、二人ともとても懐いていましたので、残念で仕方なかったですね。

hanatoalice-3.jpg――― 実写版と同じメンバーが声優を務めていますが、収録の様子は?
皆さんとは久しぶりにお会いしたのですが、そんな長い時間ではなく1週間ぶりの再会のようなとても近しい感覚でしたね。これが現場の不思議なところだなと。意外と懐かしい感じではなかったですね。皆さんさっとその役に入るという感じでした。平泉成さんは、アリスの父親役ですが、アリスのファザコンのシンボルみたいな存在なので、渡辺老人の声も平泉さんでなくてはと思ったんです。それで、後日「実はもう一つ役をお願いしたいのですが」と。これはアニメだからできることです。

――― シナリオを書く時に、どうやって14歳の心情になれるのですか?
当時を思い出したりもしますが、あの年齢ぐらいになる大人とあまり変わらなくなるので、敢えて大人がやっていることを子供たちにやらせると、行動と結果がまた違ったものになったり、ちぐはぐにズレてしまったりするところを楽しみながら書きました。

――― 男性より女性キャラクターにした方がやりやすいですか?
そうですね、自分の中で距離を置けるので書きやすいです。男性を主人公にすると自分と直結してしまい、業のようなものが出て、大体変質者か殺人者になることが多いですね(笑)。

――― 少女を主人公にすると、ピュアなものになれるんですね?
そうです。

――― 蒼井優さんが、是非続編もやりたいと仰ってましたが?
「花とアリス」は腐れ縁の悪友みたいな話なので、ストーリーは止めどなく出てきてしまいます。続編を作る機会があれば楽しいだろうなと思いますけどね。

――― 最後に。
長い時間が掛かった新作ですが、製作だけで1年半かかり死ぬような思いをしました。とても可愛らしい映画なので、皆さんの中でいい思い出になって、お友達にも勧めて頂ければいいなと思います。どうかよろしくお願いいたします。

(河田 真喜子)

LF-b-550.jpg橋本愛、大阪初の舞台挨拶に緊張!? 『リトル・フォレスト 冬・春』舞台挨拶

ゲスト:橋本愛、森淳一監督
2015年2月21日(土) 大阪ステーションシティシネマにて


  
『リトル・フォレスト 冬・春』

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・原作:五十嵐大介「リトル・フォレスト」(講談社「アフタヌーン」所載)
・監督・脚本:森淳一 
・フードディレクション:eatrip、 
・音楽:宮内優里、主題歌:FLOWER FLOWER「冬」「春」(gr8!Records)
・出演:橋本愛、三浦貴大、松岡茉優、温水洋一、桐島かれん
・公式サイト⇒ http://littleforest-movie.jp/
・コピーライト: ©「リトル・フォレスト」製作委員会

2015年2月14日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際会館、ほか全国ロードショー

 


  

~大阪初お目見え橋本愛の華麗なる転身!
素朴な農業ガールから美しさ際立つ大人の女性へ~

 

LF-s1.jpg東北の山奥で農業しながら女性としても成長していく「いち子」の姿を通して、日本の四季の美しさや大地の恵みの豊かさを再認識させてくれた『リトル・フォレスト』。昨年夏に公開された『リトル・フォレスト夏・秋』に続いて『リトル・フォレスト 冬・春』が先程公開された。最初、「あのツンデレ愛ちゃんが田んぼで草取りしてるよ~!?」と、地道な農作業や山奥での暮らしぶりに素朴な瑞々しさを見せた橋本愛の意外な表情に、驚きと感動を覚えた。汗水流して農作物を育て、収穫した農作物や山の恵みを様々な形で調理して、そして感謝の気持ちを持って美味しくいただく。岩手県奥州市の山奥で約1年かけて撮影された本作は、美しい日本の四季を捉えたしっとりとした映像もさることながら、意外な魅力を発揮した橋本愛の吸引力はかなり大きい。彼女の独白のようなナレーションがまたいい!
 

その橋本愛と森淳一監督が大阪の劇場での舞台挨拶に登壇した。大阪での舞台挨拶は初めてという橋本愛は、藍染め模様のワンピースに長い艶髪を垂らして、ハッとするほど美しく成長した姿を見せた。彼女のナイーブさは演技を見てもわかることだが、こうした舞台挨拶でも質問に対して真摯に答えている様子が伺えた。劇中登場した数々の料理のことや撮影秘話など、さらには2月10日ベルリン映画祭での上映イベントの秘話など、森淳一監督と共に楽しく語ってくれた。
 


  (敬称略)  

――― ようこそ大阪へ! 大阪での舞台挨拶は?
LF-b-di1.jpg森:僕は舞台挨拶には何度か来ています。
橋本:私は初めてです。大阪へはプライベートでも来たことがありません。

――― 大阪で何か味わられたものはありますか?
森:去年の年末にドラマの撮影で1か月半くらい滞在しまして、その時よく食べたおでんです。先ず昼間からよくおでんを食べているのに驚きました。お店もあちこちにあって、それぞれ味も違うしタネも違って、とても美味しかったです。今回愛ちゃんを連れて行こうと思ったのですが、予約がとれなくて残念。

――― 粉もん以外の食べ物を気に入って頂けて嬉しいですね。この映画は美味しそうなお料理が沢山出てきますが、特に印象に残っているものは?
橋本:どれも美味しかったのですが、特に「ひっつみ汁」が美味しかったです。私の出身地熊本にも似たような料理があって、なんだか懐かしくて美味しく頂きました。
:撮影が終わると出された料理をみんなで食べるのですが、いつも奪い合いになってしまって(笑)。監督だからって優先的に食べられる訳ではなく、ちゃんと順番に並んでいました。僕は2色のケーキが美味しかったですね。和と洋の混じり具合が良かったです。

LF-b-i-1.jpg――― キャベツのケーキは本当に美味しかったのですか?
橋本:私は基本的にお砂糖が入っていれば何でも美味しく思っちゃうのですが、三浦さんは「僕はちょっとムリだな」と仰ってました。
森:ソースを掛けて食べると美味しかったですよ。

――― 料理をする橋本さんの指先が、品があってとても綺麗だなと思ったのですが?
橋本:そう言って頂けて嬉しいです。ありがとうございます。

――― パンをこねるなんて難しそうですが、とても手慣れた感じだったのですが、普段から作っておられるのですか?
橋本:いえそんなことはないです。初めてだったのでこねるのはとても難しかったです。
森:フードコーディネーターの人に、「男っぽい」と言われていましたよ(笑)。繊細なんだけど思い切りがいいってね。

LF-b-i-3.jpg――― シーン毎に違う「いただきます」と言うのがとても印象的でしたが、何か監督からの指示があってそうされたのですか?
森:いえ僕は何も指示していません。
橋本:はい、監督からの指示は何もなかったです。あれは「こだわらない」という「こだわり」があって、それぞれのシーンでのいち子の心情や体調とかが色としてほのかに滲み出ればいいなと思ってしましたので、そう感じて下さって嬉しいです。

――― あれほど長いナレーションは初めてですか?
橋本:ホントきつかったです。何時間もスタジオにこもってひとりで喋るというのは大変でした。

――― 映画を導いていく大切な役割ですものね。
橋本:はい、原作はコミックなので、台本だけだとどの視点で喋っているのかよく分からなくて、とても難しかったです。
森:説明のためのセリフと心情面のセリフとは違うので、使い分けるのが難しかったと思いますが、一生懸命やっていましたね。

――― 特に言いにくかったものはありますか?
橋本:しょっちゅう嚙んだりイントネーションを間違えたりしていました。今でも言えないのが「かばねやみ」、「なまけもの」という意味なんですが難しいですね。
森:特に方言は難しいですよね。なかなか覚えられずに苦労していました。

LF-sp2.jpg――― 岩手の地元の方々が沢山出演されていましたが、オーディションとかされたのですか?
森:セリフのある人はオーディションしました。仙台などロケ地から近い所でやりました。特に方言の強い方は地元の方です。

――― 1年に渡るオールロケでしたが、一番辛かった季節は?
橋本:真冬とか真夏はそれなりに覚悟していたのでそんなに大変ではなかったのですが、冬になる前のまだ覚悟ができてない秋とかの寒さは堪えましたね。まだ薄着なのに急に寒くなってしまって。真冬になってしまえば、雪の中でも楽しめました。

――― ベルリン国際映画祭では?
森:去年の夏にはスペインへ行って、この間はベルリンへ行ったのですが、日本の食材や料理にとても興味を持って頂きました。それから、日本にこんなにもはっきりとした四季があることにも驚かれていました。親子関係など人間関係にも自分のことに置き換えて感想を言って下さり、とても好評をいただきました。

LF-sp1.jpg――― 日本の方とは違った見方をされるので、新しい発見もあったでしょうねえ?
森:直接感想を言いに来てくださるので、それが楽しかったですね。
橋本:ベルリンは真冬で曇りの日が多かったせいか、夏と冬の強いコントラストを面白がって見て頂いたようです。

――― 二つ星クラスの有名シェフに特別なお料理を作って頂いたとか?
森:ベルリンでは夏篇と冬編を上映したのですが、それにインスパイアされて作ったという料理をご馳走になりました。微妙な味でした。
橋本:繊細な日本料理に対しダイナミックなドイツのお料理でした。例えば、メインでは瑞々しいおナスにカレー粉に味噌が混ぜられた大胆なソースがかけてあったり、前菜ではウスターソースがベースにあったりと、口の中が面白い感じになっていました。これが食の国際交流か!? って思いました(笑)。

LF-b-i-2.jpg――― 最後にメッセージを。
森: 「リトル・フォレスト」の場を広げて頂いたら嬉しく思います。本日はお出で下さいまして誠にありがとうございました。
橋本:この作品は長い間お付き合いさせて頂いた作品ですので、これからは皆さんに末永く見守って頂きたいと思えるような映画になりました。届くべき人に届いて欲しい、ご覧になった皆さんの心の中で豊かな時間となれば光栄に思います。今日は本当にありがとうございました。
 

(河田 真喜子)

 

megami-550.jpg『女神は二度微笑む』スジョイ・ゴーシュ監督インタビュー

(Kahaani 2012年 インド 2時間03分)
監督:スジョイ・ゴーシュ
出演:ヴィディヤー・バーラン、パラムブラト・チャテルジー、ナワーズッディーン・シッディーキー
2015年2月21日(土)~ユーロスペース、3月14日(土)~シネ・リーブル梅田、4月11日(土)~京都シネマ、近日~神戸アートビレッジセンター ほか全国順次ロードショー

★公式サイト⇒ http://megami-movie.com/
 


 

 ~戦いの女神ドゥルガーの化身のようなヒロインが
            夫失踪の謎に迫るサスペンス~

 

megami-2.jpg大きなお腹を抱えた妊婦ヴィディヤ(ヴィディヤー・バーラン)がロンドンからインドのコルカタ(旧カルカッタ)に行方不明の夫を探しにやってくる。地元警察の協力を得ながら、夫が泊まっていたはずのホテルや勤務先を訪ねるが、夫の名前もなければその痕跡すら残っていない。混沌とする街と不気味な組織の影に覆い尽くされそうになりながら、ヴィディヤは果敢にも優れたハイテクの知能と妊婦という女の武器をもって真相に迫っていく。次第に夫の本当の姿が明らかにされるにつれ、ヴィディヤの身にも危険が及んでくる。果たして、夫を見つけることはできるのか?

と言った単純なサスペンスではない。インド版『ゴーン・ガール』のような、失踪事件の裏にひそむ国家組織ぐるみの陰謀がからんでくる。そこで本作の大きな特徴と言えるのが、主人公のヴィディヤである。妊婦という一見弱い立場の存在を活かして、警察やホテルの従業員や周囲の人間を取り込んで協力を得ていく。これは今までにないヒロイン像だ。見ていてハラハラしながら彼女の動向から目が離せなくなる。

megami-3.jpgそして、街は「ドゥルガー・プージャー」という祭りの最中で、ただでさえ人の多い街がさらにごった返してくる。その中に混じって姿をくらますあたりは、祭りで祝われるヒンドゥー教の戦いの女神ドゥルガーがヴィディヤに乗り移ったように見えて面白い。優雅な容姿と激烈な気性を兼ね備えた女神こそ、本作の主人公ヴィディヤにオーバーラップして、とてもエキゾチックなヒロイン像に魅了されることだろう。

本作を監督したのはコルカタ生まれでロンドン育ちのスジョイ・ゴーシュ監督。俳優としても活躍する監督の次回作は、東野圭吾原作『容疑者Xの献身』のボリウッド版を手掛ける予定だとか。なお本作はハリウッドでのリメイクが決まっている。そんなスジョイ・ゴーシュ監督のインタビュー記事を下記にて紹介します。 (河田 真喜子)

 


 
――― 本作はコルカタが舞台となっていますが、コルカタを選んだ理由についてお聞かせ下さい。

megami-di-1.jpg私はコルカタで生まれ育ちました。その為この街のことについて熟知しています。私は以前からコルカタを舞台にした作品を作りたいと思っていましたので、この地を選びました。


――― 主演のヴィディヤー・バーランの存在感が素晴らしかったのですが、どのようにして彼女を主演に抜擢されたのでしょうか?
私はずっとヴィディヤー・バーランと一緒に仕事をしたいと思っていました。この映画の企画が浮かんだときに彼女にアイディアを伝え、それから彼女と相談しながらストーリーを作り上げていきました。

そしてこの役を演じる上で、彼女には多くを説明する必要はありませんでした。彼女は主人公のキャラクターについて私と同じくらい理解してくれていましたし、インドでも抜きんでた女優ですから、自分の役柄をしっかりと演じてくれたのです。


――― インド映画でサスペンスというのは日本人にとって馴染みがなくとても新鮮で驚きました。この作品は監督のオリジナルのアイディアなのでしょうか?
はい、その通りです。このストーリーは私の中で、何年もかけてあたためてきたものです。最初の発想は、私の妻が最初の子どもを出産したときに、一晩で変わった彼女の姿を見たことがきっかけでした。前の夜まで知っていた彼女とは違う、別の誰かに一瞬で成長したのです。それは私にとって大変魅力的な光景でした。突然生まれた責任感、わが子を守ろうとする本能、無条件の愛。それがアイディアに結び付いたのです。

また、主人公のキャラクターについては私の母親がモデルなのです。母は無条件に愛を注ぎ、全力で私たちのことを守ってくれる人です。

母親というものは全く見知らぬ環境の中でどう反応するのか?どのようにして自分自身や自分の子供を守ろうとするのか?このアイディアをヴィディヤー・バーランに相談し、そこから作り上げていきました。
 

――― インド映画というと歌って踊るイメージが強いのですが、なぜそのようにされなかったのでしょうか?
映画は絵画のようなもので、一つ一つの作品に違う色彩や形式が要求されるものです。この映画では、観客がヒロインと伴に彼女の旅や捜索に加わることが求められました。そのため今回は歌や踊りは入れずに、少々ドキュメンタリー的な感じも加えて撮影しました。

 

――― 最近日本では、今までのボリウッド映画のイメージとは異なる多種多様なインド映画が公開されているのですが、今インド映画界は大きく変化しているのでしょうか?
確かにそうです。私は世界がどんどん小さくなっていると感じています。インドの観客も進化していて、より新しい題材を経験することに許容的になっています。彼らは要求が厳しくもあり、そのため私たち製作者は油断するわけにいきません。でもそれこそ進化そのものだという気がします。私たちは進歩するために常に変化する必要があるのです。


――― 巡査役ラナを演じたパラムブラト・チャテルジーも素晴らしかったです。どういう経緯で彼を抜擢されたのでしょうか?
彼はベンガル語圏の映画界で人気のある俳優です。そしてこの映画にとって、彼は命の恩人なのです。実は当初、このラナの役は他の俳優が演じるはずでしたが、直前で出演できなくなってしまいました。そのときチャテルジーはイギリスにいたのですが、彼に電話をして相談したところ翌日なんと帰って来てくれて、そのまま撮影に参加してもらうことができました。彼は本当に素晴らしい俳優です。私は今でも、一晩で全てがうまく行ったことに驚いています。
 

――― ハリウッドリメイクが決まったと聞きました。ハリウッドリメイクとされたことについてどのようにお考えですか?
私はハリウッドリメイクのプロジェクトには関わっていないのですが、とても嬉しく思っています。本作と同じような面白さをもった作品になったらと期待しています。

 

(プレスリリースより)

 

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~日本に生まれて良かったと思える、「食」とその奥の「命」を感じるドキュメンタリー~

 
2013年12月、無形世界文化遺産に登録された和食。その中でもだし、しょうゆは和食の核となる存在だ。そのだしとしょうゆを、ネイチャードキュメンタリーのように美しい映像で、その素材や思想まで掘り下げ、和食を守る人たちの仕事ぶりにも目を向けたドキュメンタリー、『千年の一滴 だし しょうゆ』が関西でいよいよ公開される。

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4人の高校生が、森の生活の名人に直接インタビューし、名人の生き方や仕事に対する姿勢などを「聞き書き」する様子を紡いだ柴田昌平監督の前作『森聞き』と通じる、鰹節名人、椎茸名人、醤油名人…と和食を守る名人たちの仕事ぶりを丹念に追い、それらが集結してできあがった黄金色のだしがポトリとしたたる音、椎茸が発育し花のように開いていく様子、海中でダンスするかのように優雅にゆらめく昆布など、美しい映像と研ぎ澄まされた音で和食の魅力が静かに伝わってくる。観終わって、「鰹節を削りたい!」と思う人は私だけではないだろう。
 
その一方で、動物、植物関係なく「命をいただく」という考え方や、禅寺のシーンでは食事の最後の一粒ずつを差しだし、鳥たちに分け与えることで、地球上に生きる者が常に他人を想い、共生しているのだと実感する。
 
インタビューで、柴田監督が「映画そのものはそんなにインパクトのあるストーリーではないし、声高に何かを訴える訳ではないけれど、おだしのような映画ですよね」とさらりと口にされ、私は思わず唸ってしまった。目に耳に沁み込んでくるようなこのドキュメンタリーが、でも見終わったときに自分の食生活を見つめ直したくなったり、真の和食に触れたくなり、さらには六味の一つと言われる「淡味」の役割に深く共感したりする。本当に色々な気付きを与えてくれ、最後に「ああ、日本に生まれて良かった」と思えた。
 
撮影当時以上に今は和食離れが進み、和食を守る職人たちが廃業せざるをえない状況を招いているという話も含めて、柴田監督に、持ち込み企画からスタートした本作の狙いや、撮影や調査を通じて得た気付き、和食の原点のお話を伺った。
 

 

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━━━前半のだし編はネイチャードキュメンタリー、後半のしょうゆ編は科学ドキュメンタリーのようでしたね。
春日井康夫カメラマンは、このプロジェクトで初めて一緒に仕事をしたのですが、前作の『森聞き』を見てくれ、すごくいいから一緒に仕事をしたいと連絡をくれた人なのです。普段は自然を撮ることが多い人なので、面白いコラボレーションになったと思います。ベーシックにはネイチャードキュメンタリーですね。この撮影のときは最後の7,8ヶ月は京都に家を借りて撮影していたのですが、食を扱いながら、その向こうにある自然をどう撮ろうかと、ずっと考えていました。
 
━━━そもそも柴田監督がだしやしょうゆに興味を持ったきっかけは?
一番自分が興味を持っていたのは椎茸だったんです。『森聞き』を撮った後、クニ子おばあちゃんのもとに1年間住み込みながら、クニ子おばあちゃんのテレビドキュメンタリーを作りました。焼き畑は元々やりたかったテーマで、環境破壊だと悪者扱いされていますが、実際にどういう知恵があるのかを見たいと思ったのです。僕の映画の師匠は姫田忠義さんなのですが、姫田さんも「焼き畑は大事だと」おっしゃるし。森の一年を撮る中で、森の循環はキノコなのだと気がついたんです。キノコがあるからこそ、森の中で次の10年、20年があるというサイクルが面白いじゃないですか。
 
 
━━━今回椎茸の話も出てきますが、そこに一番興味を持っていらしたのは意外でした。
椎茸は400年前までは滅多に取れないものだったらしく、椎茸は超貴重で見つけたらお代官様に献上しなければいけないものだったのが、たまたま焼き畑をやったり、杉焼きをやっている作業の中で鉈に芽が入っているのに気づいた人がいた。そこにどんどん工夫を重ねていった訳です。あの方法が発見されたのは江戸時代初期なんですよ。きちんとそういうことを発明した人がいたということを膨らませたかった。今まで焼き畑とキノコを一緒に語った人は誰もいなかったと思います。
 

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━━━だしとしょうゆのドキュメンタリーというのは、監督の持ち込み企画だったのですか?
日本のドキュメンタリーはなかなか海外で見てもらえない現状があります。小川紳助さんは別格ですが、NHKのドキュメンタリーでも全く相手にされませんし、僕が作ったドキュメンタリーをヨーロッパで見てもらえることがほとんどない状況でした。2011年12月にインディペンデントの制作者集団が、世界のプロデューサーたちを30人ぐらい招致し、企画をプレゼンテーションを行う東京TVフォーラム(2013年12月から東京DOCSに改名)を始めたのです。ヨーロッパはテレビと映画の敷居が低いので、フランスやサンダンスの財団の方等助成金を出す人の前で私もプレゼンテーションを行った結果、助成対象に選ばれました。
 
 
━━━海外のプロデューサーに評価されてスタートした企画とのことですが、日本のプロデューサーと違う部分や、やりやすさはいかがでしたか?
そのときに面白いと評価してくれたのがフランス人だったのですが、すごく地味なテーマなので、日本のお祭りの映像とか、エキゾチックな映像を入れた方がいいのかと思い、そのフランス人のプロデューサーに一度聞いたことがありました。すると「エキゾチズムはいらない」と明快に言ってくれたんです。「例えば整備された風景がきれいだというのは、みんな自然を支配しているのだ。君がやろうとしていうのは、それとは違う自然感だろう?人間と自然の境目がないものを撮ろうとしているのだったら、そこに踏み込んでやるべきだ」。なかなかこういう風に言ってくれるプロデューサーは日本ではいないです。とても本質的なことを言われたので、そこに集中することができました。迷わず専念できる環境だったです。
 
 

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━━━京都の旧家で泊まり込んでの撮影だったそうですね。
しょうゆ編を主に京都で撮影したのですが、カビを撮るのは結構大変なので、京都大学の先生にセカンドハウスを貸していただいて、一室は真っ暗のまま28度にして、カビを生やしながら、隣にベッドを置いて常に撮影しました。
 
 
━━━種麹屋さんの代々菌を守ってきた努力に目を見張りました。
助野さんたちはものすごく研究をしていて、お米のレントゲン写真も持っています。同じ麹菌アスペルギルスオリゼもいろいろな種類や性質があり、それを持っているわけです。遺伝子情報だらけのものを売って、商売あがったりにならないのかとよく聞いたのですが、性質を守るのが大変だから、大丈夫だとおっしゃっていました。日本酒屋が健全で、しょうゆ屋がいきいきとしている限りは大丈夫だと。一番問題なのは、日本酒を飲む人が減っているし、化学調味料がでてきていることですね。そういうことが一番種麹屋さんを厳しい状況に追い込むのです。
 
 
━━━鰹節作りの職人、今給黎さんのところも足しげく通われたのですか。
そうですね。ただすごく残念なことに、今はあの本枯節を作れなくなってしまいました。原料が値上がりをするけれど、売値は変わらず、それだけでは生活が成り立たなくなってしまったので、本枯節は少量しか作らず、もう少し手間がかからない鰹節にシフトしてしまっています。
 
 
━━━是非、手間暇かけた琥珀色の本枯節を削ってみたかったのに、残念です。
問屋さんからも情報を得ていたのですが、よく「和食が世界遺産だと言うけれど、過去の遺産だ」と言われていました。しょうゆ屋さんも小さなその土地ごとの味を大切にしているところは、本当に経営的な部分でギリギリのところで踏ん張っていらっしゃいます。澤井さんも、廃業しようと思っておられたところで、機械がなにもなく、本当に昔ながらの作り方しかできないところに出会った訳です。
 

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━━━お寺のエピソードで紹介されている「淡味」は人にも国の姿勢にも当てはまると思いました。この淡味を含めた「六味」を紹介しようと思ったのはなぜですか?
道玄が1237年に記した「典座教訓」で、食事はとても大事だと説いています。最初は食なんて大したことがないと思っていた道元が、学問を極めようと中国に留学したところ、道元が持参した、当時は貴重品の椎茸をきちんと調理したいと現地の名僧に言われたそうです。なぜそんなに椎茸が大事なのかと道元が聞くと、「食は日常の様々な物事の中でもっとも大事なことの一つ。食をおろそかにして何で頭でっかちの思想を唱えられるのか」と言われ、その中にでしゃばらない、そのものはすごく主張はしないけれど、すべてのほかの要素のものを調和させていく「淡味」というものがあったのです。ドキュメンタリーづくりも、人から聞く一方、こちらはベースを作っていくわけで、淡味的な要素がありますね。
 
 
━━━なるほど、曹洞宗大本山總持寺での食の修業は、和食の思想の原点を見た気がします。
禅寺の話がなかったら単なる食材の話になってしまいます。人が自然を利用しているという話はできますが、その奥にある理念を伝えたい。常に自己主張したがるヨーロッパの人たちに向けて、そうではない発想の人たちが生み出したということも伝えたかったですよね。最初から、これはやりたかったことでした。
 
 
━━━最後に、お母さんが自分で削った鰹節からだしをとって、赤ちゃんの初めての離乳食を食べさせているシーンは、自分がそこまでこだわれなかった分すごく驚いたし、希望が見えましたね。
築地の鰹節問屋さんが教えてくれたのは、「鰹節の売れ行きはあまりよくないけれど、たまに和食に興味のあるお母さんが買いに来てくれるんだよ」と。今多くの子どもは朝がパン食、昼の給食がパン、夜にはパスタみたいな食生活で、煮物なんて食べない子どももいるそうです。このままでは、鰹節屋さんもしょうゆ屋さんも、椎茸づくりも減ってしまいます。椎茸づくりをやめてしまうと広葉樹がなくなってしまいますから。そういう状況の中で、食に関心の高い若いお母さんは、まさに作り手にとって希望なのです。(江口由美)
 


 
<作品情報>
『千年の一滴 だし しょうゆ』
(2014年 日本・フランス 1時間40分)
監督:柴田昌平 
出演:藤本ユリ、三浦利勝さん一家、今給黎秀作、坪川民主、椎葉クニ子、澤井久晃、大野考俊、助野彰彦、福知太郎、加藤宏幸他
語り:木村多江(「だし」)、奥貫 薫(「しょうゆ」)
2015年2月21日(土)~第七藝術劇場、2月28日(土)~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開。
※2月21日(土)10:30 / 12:40ともに柴田監督、澤井久晃さん(本作出演者・京都の醬油職人)トークイベント 「枯れ木に花を咲かせましょう!」 
 2月22日(日) 10:30 / 12:40ともに柴田監督+山中政彦さん(鰹節問屋・大阪鰹節類商工業協同組合) トークイベント「さまざまな鰹節の違い」試食あり
 
 

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役作りのために6日間の断食も。NAOTO、仁科貴が登壇『マンゴーと赤い車椅子』舞台挨拶@シネ・リーブル梅田(2015.2.15)
登壇者:NAOTO(EXILE╱三代目 J Soul Brothers)、仁科貴
 

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仲倉重郎監督の実体験を元に、突然の事故により車椅子生活を余儀なくされた女性が再び希望を持って歩み始めるまでを描いた『マンゴーと赤い車椅子』が、現在、シネ・リーブル梅田で絶賛上映中だ。様々な原因で車椅子で生活するためのリハビリを送っている病院のシーンでは、老若男女問わず社会復帰を目指して前向きな気持ちで生きている姿がリアルに伝わってくる。絶望と不安で周りに八つ当たりしていた彩香が、愛する祖母や、病院の仲間、リハビリの先生らと触れ合ううちに、少しずつ変化していき、初めての自分の赤い車椅子を前に目を輝かせる。元AKB48の秋元才加が、挫折を繰り返しながらも、前向きに生きるヒロイン彩夏を熱演したヒューマンドラマだ。
 

彩夏の病院仲間で、ラストライブに全てを懸けて闘う車椅子のボーカリスト・五十嵐翔太を演じたNAOTO(EXILE╱三代目 J Soul Brothers)と、彩夏のリハビリを担当し、精神的な支えとなる理学療法士のキクタクこと菊地を演じた仁科貴が上映後の舞台挨拶に登壇、会場からは拍手が沸き起こった。
 
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身体が動かなくなる進行性の脊髄腫瘍を患いながらも、ラストライブに全力を尽くす五十嵐翔太を演じたNAOTOは、「自分の引き出しの中にない経験をさせてもらいました。仲倉監督の実体験をもとに役作りをし、普段車椅子生活をされている方が、どういう視線で世の中が見えているのか、少しの段差がどれだけストレスになっているのかが理解できました」と、難役を演じた感想を語った。また、本作でしか見ることができない特別なパフォーマンスについて質問が及ぶと「普段はグループでパフォーマーという立場ですが、いつもボーカルはいいなと思っていたので、ようやく溜まっていたボーカルへの想いをマイクにぶつけることができました」と念願が叶った様子。三代目 J Soul Brothersのメンバーでよくカラオケに行くときも、「パフォーマーの5人でひたすらマイクを回すのが決まり。ボーカル2人には歌わせません。(持ち歌は)乾杯をするときに長渕剛さんの『乾杯』。2番になるとメンバーみんなへの思いを替え歌で入れながら歌います」と、歌が大好きな一面を披露した。
 

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秋元才加演じる彩夏のリハビリ担当理学療法士を演じた仁科貴は、「(役柄が)関西人にしてはお笑い度低めな療法士ですよね」と笑わせながら、「秋元さんを介助するときはドキドキしました。特に現場で初対面ながら、足のマッサージをするシーンをするときは、俳優なので緊張していないフリをしていました」とにこやかに秋元とのシーンを振り返った。

 

撮影現場スタッフからの情報と、台本を開いているところを見たことがないことを指摘されたNAOTOは、「僕は心配性で石橋を叩きすぎて割ってしまうぐらいの男なので、台本を読み、五十嵐という役にどうアプローチしていけばいいのか考えました。身体は弱っていくけれど、気持ちは強くて、まるでロウソクが消える瞬間に燃え上がるような状態ではないかと思い、現場で迷いがないように、事前にしっかり叩き込みました。役作りのために6日間断食し、体重を6、7キロ減らして臨みました」と事前の準備を徹底的に行ったエピソードを明かした。

 

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「秋元才加さんとNAOTO君のチャレンジ精神が、映画のキャラクターたちにマッチし、それ以上のことが映画に映り込んでいると思います。この映画をご覧になった方が、これから何か新しいことをするときにチャレンジするとき、肩を押してくれるような、一歩踏み出すお手伝いができるような映画になっていると思います。今後ともこの映画を応援してください。よろしくお願いします」(仁科)
「今日は劇場に足を運んでいただき、ありがとうございます。この映画のテーマは『一歩踏み出す勇気』ですが、誰しもが人生の中で経験する挫折や苦悩に出会ったとき、一歩踏み出すことの大切さや難しさが描かれていると思います。自分だけではなく、周りを見渡したら、本当に多くの人が支えてくれている。そんなとてもシンプルなことを改めて感じさせてくれる映画になっています。今、悩まれている方々に、少しでもこの映画を観ていただいて『元気をもらった』とか、『パワーをもらった』と言ってもらえるとうれしいです。」(NAOTO)と、心のこもった言葉で舞台挨拶を締めくくった。
 
ハンディキャップを背負った状況でも、決して卑下することなく、前向きに生きていく主人公たちと、彼らを支える周りの人たちの表情や努力を真っ直ぐに見つめた作品。是非、彼らの苦闘だけでなく、車椅子を華麗に乗り回す元気な姿を観に来てほしい。
 
(江口由美)
 

<作品情報>
『マンゴーと赤い車椅子』(2014年 日本 1時間33分)
監督:仲倉重郎  脚本:福島敏朗、山室有紀子、仲倉重郎
出演:秋元才加、NAOTO(EXILE/ 三代目J Soul Brothers)、石井貴就、吉岡里帆、榎木孝明、愛華みれ、杉田かおる、松金よね子、ベンガル、森宮隆・仁科貴・折井あゆみ・REDRICE(湘南乃風)・ドン小西・三田佳子 他
主題歌「Truth」歌 米良美一(ユニバーサルミュージック)
挿入歌「名前のない空」歌 辛島美登里(ユニバーサルミュージック)
公式サイト http://akaikurumaisu.com/
2月7日(土)よりシネ・リーブル梅田、イオンシネマ京都桂川ほか全国ロードショー
 
<ストーリー>

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看護師の宮園彩夏(秋元才加)は、転落事故を起こし脊髄を損傷、車椅子生活を余儀なくされる。リハビリの病院に転院しても、周りにストレスをぶつけていた彩夏だったが、自称「キムタク」の理学療法士をはじめ、車椅子の元気な女子高生や、同室の女性たちと触れ合い、次第に心を開いていく。初めての車椅子に、大好きな祖母(三田佳子)が育ててくれる大好きな赤いマンゴーを思い起こすような真っ赤な車椅子をオーダー。「大事にしろよ、赤い戦車!」。ぶっきらぼうのNAOTOも、進行性の脊髄腫瘍を患い、次第に動かなくなる身体と闘いながら、ラストライブに全てを懸けているのだった。
 
 

 otokonoishou-bu-550.jpg『娚(おとこ)の一生』舞台挨拶

日時:2015年2月5日(水)19:00~
場所:大阪ステーションシティシネマ
ゲスト:豊川悦司(52)、廣木隆一監督(61)

(2014年 日本 2時間)
原作:西 炯子(「娚の一生」小学館 フラワーコミックスα刊)
監督:廣木隆一
出演:榮倉奈々、豊川悦司/安藤サクラ、前野朋哉、根岸季衣、濱田マリ、木野 花/向井理
 

★作品紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://otokonoissyou-movie.jp/
© 2015 西炯子・小学館/「娚の一生」製作委員会

2015年2月14日(土)~新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、イオンシネマ京都桂川神戸国際松竹、109シネマズHAT神戸 ほか全国ロードショー


  

~トヨエツが放つ大人の魅力にメロメロになれる幸せ~

 

otokonoishou-bu-5.jpg最近大人の女性としての魅力が増してきた榮倉奈々(26)と、男のクールな色気で魅了する豊川悦司(52)との歳の差カップルが話題の『娚の一生』が2月14日(土)から公開される。公開を前に舞台挨拶が行われ、豊川悦司と廣木隆一監督が登壇した(榮倉奈々は仕事の都合上来阪できなかった)。いつもは口の重い豊川悦司だが、この日は有料上映会にもかかわらず集まった大勢の観客を前にリラックスした表情で語ってくれた。


特に、榮倉奈々を絶賛し、「彼女がつぐみでなければ、海江田醇は演じられなかった!」とまで言い切った。撮影前「本気で榮倉さんに恋してみたい」と言っていたトヨエツは、撮影が進むにつれて彼女の存在が気になって仕方なかったそうだ。榮倉の方も「海江田教授に愛されたことは、愛おしい思い出です」と別誌で述べているように、ふたりの息の合った恋愛模様はリアルな感情として見る者をドキドキさせることだろう。


 【STORY】
otokonoishou-550.jpg不倫の果て心身共に傷付いたつぐみ(榮倉奈々)は、仕事を辞め祖母の住む田舎へと帰ってくる。ところが、祖母が亡くなり、その葬儀の翌日、染色家だった祖母の教え子だったという海江田醇(豊川悦司)が現れる。祖母から離れの鍵を預かっていた海江田は、厚かましく屋敷に居着くようになり、つぐみが作った料理を食べ、勤務先の大学へ通う生活を送る。かつて祖母に憧れた海江田は未だに独身で、つぐみに祖母の面影を見出すと同時に、つぐみを失恋の痛手から救い出そうと懸命になる……。

 


 

――― 最初のご挨拶。(敬称略)
豊川:こんばんは。こんなに沢山の方が集まって下さり、嬉しく思います。
廣木:本当は榮倉さんが来る予定でしたが、仕事の都合上来られませんので、代わりに私がまいりました。短い時間ですがお楽しみ下さい。

otokonoishou-bu-2.jpg――― お二人は『やわらかい生活』以来8年ぶりのコラボですが?
豊川:廣木監督には絶大な信頼を寄せていますので、この映画の責任はすべて監督にあります(笑)。大好きな監督ですので、今回廣木監督がメガホンをとられると聞いて、是非やらせてほしいとお願いしました。
廣木: 『やわらかい生活』も難しい役でしたが、今回もこんな人ホントにいるのか?と思えるようなキャラクターを、豊川さんはリアルに演じてくれました。

――― コミックだとわかりやすいけど、実写ではどうなるのかな?と思ったのですが、豊川さんはぴったし!でした。
豊川:ありがとうございます。実年齢も52歳と海江田醇(じゅん)と同じなんですが、原作のコミックファンのイメージを壊さないよう色々考えて工夫した処もあります。私が演じた役を納得してお楽しみ頂ければ嬉しいです。

――― 廣木監督は豊川さんに何か要望を出されたのですか?
廣木:全くありません。ずっと豊川さんが創る主人公に魅了されっぱなしで、リハーサルでも笑って、この役にとても溶け込んでいました。

――― 初共演の榮倉奈々さんは如何でしたか?
豊川:素晴らしい女優さんです。彼女がつぐみでなければ、海江田醇は演じられなかったと思います。

――― 廣木監督は『余命3ヶ月の花嫁』以来の榮倉さんでしたが?
廣木:とても大人になっていましたが性格は殆ど変わらず、そうした子供のような純真なところがつぐみを作っていたと思います。

otokonoishou-bu-3.jpg――― 豊川さんは関西弁で喋っておられましたが、台本も関西弁だったのですか?
豊川:そうです。そこが僕と海江田醇との一番の共通点でした。でも大阪を離れて大分経つので、大丈夫かな?と心配したのですが、昔の上方漫才を聴いて勉強しました。若い人が喋る関西弁とは違う、大人の方が喋る関西弁だと思います。

――― 柔らかくて素敵ですよね?
廣木:ズバッと刺さっちゃうような言葉でも、関西弁だとポンと軽くハマっちゃう感じです。

――― 日頃関西弁を喋ることはあるのですか?
豊川:あまりないですね。今日の取材でインタビュアーの方が関西弁だと、段々とつられて移ってきましたが。

――― この梅田辺りの変化に驚かれたのでは?
豊川:びっくりしました!私の知っている梅田が表参道になってる!ってね。ここはどこでしょう?と思っていたら、歩いている人は関西人っぽい。やっぱ関西やなと(笑)。

――― 廣木監督は大阪のイメージは?
廣木:大阪は元気な気がします。その元気の源は何だろう?といつも思いますよ。

――― この映画は大阪の近所で撮影されていますね?
廣木:三重県伊賀上野と京都で撮影しています。映画の中の家はロケ班が見つけてきた家です。とにかく見晴らしがいいんです。

――― やはりロケーションは違いますか?
豊川:ロケーションは、実際の風や天気の変化などを実感できるので、大好きです。特に今回の家は良かったですね。

otokonoishou-bu-4.jpg――― 撮影中、よくお飲みになったとか?
廣木:僕の部屋が宴会場になっていました。いつも開放されていて、学生寮みたいな「部屋飲み」はとても楽しかったですよ。

――― 気を遣うより、その方がいいですよね?
豊川:作品の内容にもよると思いますが(笑)。今回はとてもいいチームで、ほのぼのとした素晴らしいお話なので、俳優をはじめスタッフも皆、この映画を楽しんで作っていました。

――― 最後にメッセージを。
廣木:2月14日に公開されます。今日ご覧になって、気に入って応援してもらえたら嬉しいです。皆さんに薦めて下さい。
豊川:今日の特別上映会は2000円とちょっと高めなんですよね?高いお金払って見に来てくださり本当にありがとうございます。その差額を埋めるだけのトークができたかどうか分かりませんが(笑)、そこはご容赦頂いて、この後の上映をお楽しみ下さい。

 



(河田 真喜子)

 

『駆込み女と駆出し男』試写会プレゼント(4/28〆切)
 

kakekomi-pos.jpg■ 提供:松竹
■ 日時:2015年5月8日(金) 
    18:00開場/18:30開映
■ 会場:御堂会館
〒541-0056 大阪市中央区久太郎町4-1-11
    TEL(06)6251-5820(代表)
    FAX(06)6251-1868
    地下鉄御堂筋線本町駅8号出口南へ200m
    地下鉄中央線本町駅13号出口南へ50m  
■ 募集人数: 5組 10名様
■ 締切:2015年4月28日(火)


★公式サイト⇒ http://kakekomi-movie.jp

2015年5月16日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー
 


 
『駆込み女と駆出し男』

国民的作家、井上ひさしが晩年11年をかけて紡いだ時代小説「東慶寺花だより」。平成26年歌舞伎座の新春大歌舞伎で上演され話題となったこの小説を原案に、原田眞人監督が映画化、初めて時代劇に挑戦した。いかなる時においても夢と希望を忘れず、独特なユーモアと台詞で温かく人間を見つめてきた井上ひさしと、第35回モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリを受賞した『わが母の記』を世に送り出した原田眞人監督という組み合わせにより、全く新しい時代劇に出会うことになった。

kakekomi-2.jpg本作では、現代の2倍あったと言われる江戸時代の離婚をモチーフに、縁切寺に駆込んでくる女たちが様々な出会いと別れを繰り返しながら明るく逞しく生きる姿を描くとともに、江戸時代後期の人々の暮らしや文化をも活写した。その重層的なエピソードと時代背景が織りなす交響楽的構成は清冽で繊細、それでいて大胆。本作は原田眞人の最高傑作と言っても過言ではない。

kakekomi-550.jpgのサムネイル画像主人公、中村信次郎を演じたのは人気、実力ともにトップ俳優の大泉洋。よどみなくセリフを繰り出しヤクザの親分をやり込めるシーンは、舞台さながらの臨場感に富み、捧腹絶倒、拍手喝采間違いなし。愛すべき人物像を作り上げた。一方、夫の暴力から逃げてきた鉄練りのじょごに戸田恵梨香、豪商・堀切屋の愛人お吟には満島ひかりが配され、一癖も二癖もあるワケあり駆込み女を演じた。じょごは未来への希望と勇気を、お吟は内に秘めたしなやかな強さを、二人の女優が絶妙な演技で表した。映画で描かれる二人の共犯的な関係も秀逸である。また、堀切屋の主人を堤真一が色気たっぷりに演じたほか、名優、樹木希林が三代目柏屋源兵衛という、男名を持つ手練れの離縁調停人を懐深くチャーミングに演じて見せた。そして山崎(たつざきになります)努は江戸時代を代表する戯作者、晩年の盲いた曲亭馬琴を人間味豊かに演じている。更に、内山理名、陽月華、キムラ緑子、木場勝己、神野三鈴、武田真治ら個性溢れる俳優が競演を果たした。

撮影は京都、滋賀、大阪、兵庫、奈良などで行われ、特に東慶寺の映像は、トム・クルーズ主演の映画『ラスト サムライ』の舞台にもなった兵庫県姫路市の書寫山圓教寺で撮影された。限りなく荘厳かつ圧倒的な美しさ、そして随所に登場する自然描写はユートピアのような映像美に満ちている。笑って、泣いて、人生は続いていく。生きることは素敵だ。余韻に満ちたラストは、温かな感動に溢れ、観るものの心の奥底でいつまでも静かに輝き続けるにちがいない。

 
【STORY】
質素倹約令が発令され、庶民の暮らしに暗い影が差し始めた江戸時代後期。鎌倉には離縁を求める女たちが駆込んでくる幕府公認の縁切寺の東慶寺があった。但し、駆込めばすぐに入れるわけじゃない。門前で意思表示をした後に、まずは御用宿で聞き取り調査が行われるのだ。駆出し医者でありながら、戯作者にも憧れている信次郎は、そんな救いを求める女たちの身柄を預かる御用宿・柏屋に居候することに。知れば知るほど女たちの別れの事情はさまざま。柏屋の主人・源兵衛と共に離縁調停人よろしく、奇抜なアイデアと戦術で男と女のもつれた糸を解き放ち、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けしていくが・・・・。

 


出演:大泉洋 戸田恵梨香 満島ひかり
内山理名 陽月華 キムラ緑子 木場勝己 神野三鈴 武田真治 北村有起哉 橋本じゅん 山崎一 麿赤兒 中村嘉葎雄 樹木希林 堤真一 山﨑努 

監督:原田眞人
原案:井上ひさし「東慶寺花だより」(文春文庫刊)
(c)2015「駆込み女と駆出し男」製作委員会
公式サイト⇒ http://kakekomi-movie.jp

2015年5月16日(土)全国ロードショー

(プレスリリースより)

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『繕い裁つ人』三島有紀子監督インタビュー

(2014年 日本 1時間44分)
原作:池辺葵(『繕い裁つ人』講談社「ハツキス」連載)
監督:三島有紀子
出演:中谷美紀  / 三浦貴大  片桐はいり 黒木華  杉咲花 / 中尾ミエ  伊武雅刀  余貴美子
★作品紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒ 
http://tsukuroi.gaga.ne.jp
(c)2015 池辺葵/講談社・「繕い裁つ人」製作委員会

2015年1月31日(土)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、シネ・リーブル神戸、OSシネマズ神戸ハーバーランド、MOVIXあまがさき、TOHOシネマズ西宮OS、宝塚シネ・ピピア、塚口サンサン劇場、MOVIX京都 ほか全国ロードショー
 


 


~こだわりのある生き方に美しさを感じさせる
    “三島ワールド”~


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湖畔のカフェに集まる人間模様を風情豊かに描いた『しあわせのパン』、挫折した男が故郷でワイン作りに挑む『ぶどうのなみだ』と、北海道の美しい自然を背景に、こだわりを持って生きる人々の姿を優しい映像で描いてきた三島有紀子監督。人も風景も音楽も独特の世界観で形成された“三島ワールド”。そこには「人を幸せにする食」への強いこだわりが底通していた。そして、3作目となる『繕い裁つ人』は、池辺葵原作の同名コミックを基に、西洋文化がいち早く根付いた神戸の街に生きる仕立屋さんの、ものづくりへのこだわりと心の軌跡を描いた物語である。

 


 ――― 原作のどこに惹きつけられたのですか?
市江というキャラクターに寄り添いたいと思ったのが一番。市江は、職人として最高の技術を提供するために、細部にこだわる性格で、非常にストイック。それでいて、天才的な祖母から受け継いだものを守る使命感に縛られている、そんな市江を解き放してあげたいと思いました。いろんな人との出会いによって影響を受けながら少しずつ心が開放されて、新しい自分を見い出していく姿を描きたいと思ったのです。


tukuroi-2.jpg――― 市江というヒロイン像について?
私は何か覚悟を持って生きている人が好きです。市江も自分のこだわりを貫き通すだけの強さを持った女性だと思います。最高の技術を持って唯一無二のドレスを提供する。さらに、相手が何を大切にしているかを汲み取って、服にその想いを込める。「語らずに服で伝えていく」、そこに共感したのです。それを受け取った人たちが新たな行動を始めるという、間接的なコミュニケーションを描こうと思いました。それは映画として難しいことですが、挑戦する価値はあると考えました。


――― 神戸の街を舞台にした理由は?
私の中で仕立屋さんの映画を作るとしたら神戸しかない!と思っていました。
神戸は開港されてから約150年経っていますが、異国情緒豊かで、服飾文化も早くから浸透して、テーラーも多く、独特の「洒落感」が神戸にはあります。
今回の映画は小規模作品でしたので「全員で神戸に行くの?」という感じでしたが、プロデューサーも神戸出身で一緒に働くチームの人たちにも関西出身の人が多く、内容を考えても「やっぱり神戸だよね」という話になりました。また、市江のキャラに合った場所であることも重要でした。

 

――― 神戸女学院やカフェなどの思い出の場所は?
神戸女学院の図書館でのロケは初めてのことで、特別に許可してもらいました。大学時代に自主映画を撮っていたので思い出深い場所ばかりです。神戸の街自体が懐かしい感じです。震災で多くを失った光景を見ているので、今の美しく再生した神戸を撮っておきたいと思いました。


――― 市江がチーズケーキをホールで食べるシーンは?
女性ならホールで食べる気持ちは分かるのでは?職住一体の市江にとって家の外にホッとする場所が必要ですし、そこで他人の目を全く気にせず、とても満足げな顔をして食べています。ふと自分自身が解き放たれる瞬間でもあるんです。
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――― 中谷美紀さんを起用した理由は?

初めて中谷さんを見たのは『BeRLiN』(‘95)という映画で、湖面のように美しい人だなと思ったのが最初の印象でした。いつかこの人と一緒に映画を作りたいと思ったのです。市江は完璧でこだわりの強い人なので、中谷さんの姿が浮かびました。でも、そんな完璧な職人がふとした瞬間ほころびを見せるところが面白いなと思い、それを同じく完璧な中谷さんがほころびを見せるところに大きな魅力を感じたのです。


――― 作品のテーマとして、衣食住へのこだわりは?
特に意識したことはありませんが、人間は何を大事にして暮らすかという、日々を丁寧に暮すということが重要かなと思います。


――― シーンの繋ぎに時間をかけるのが特徴のような気がしますが?
何かを感じる時間は長い方がいいかなと思います。これは私の考えですが、「余白にこそ意味がある」と思っています。市江の感情に寄り添って進む物語なので、余白を通して感じて欲しいと思い、そうしたテンポで繋いでいきました。


tukuroi-inta-2.jpg――― いつもこだわりの服を選んでいるのですか?
私は物を見たときに背景を考えてしまう癖があります。どういう想いで作られているのか。父親がテーラーで誂えた服を大切に着ていたので、服に限らずひとつひとつよく考えて買うようにしています。値段やブランドではなく、作った人の想いが見えるようなものが好きです。


最後に中谷さんから手作りポンチョをプレゼントされた三島監督。「とても器用な方で、ミシンの練習を1か月してもらったのですが、洋裁師の腕前になっていました。それで最後にポンチョを作って下さったのです。」と嬉しそうに語る。そんな三島監督とスタッフやキャストの想いがひとつになって紡がれた作品だからこそ、落ち着いた温もりと充足感を得られる映画になっているのかもしれない。


 【STORY】
tukuroi-3.jpg神戸の山の手に佇む瀟洒な建物「南洋裁店」では、市江(中谷美紀)が先代の作ったオーダーメイドの服を修理したり仕立て直したり、時々自分の好きなデザインの服を作ったりして、手作り仕事を大切に守り続けていた。そこへ百貨店の商品開発部の藤井(三浦貴大)が訪れ、商品のブランド化や百科店への出品を持ちかける。だが、頑なにオーダーメイドにこだわる市江は、大量生産を嫌がりその提案を断る。一着一着に着る人の想いを込めて仕立てられる服と、それを受け継ぐ人々の想いが交差する南洋裁店は、今日もおなじみのお客たちで賑わっていた。

そんな市江の姿勢に変化が訪れる。藤井の熱心なオファーに刺激を受け、また変わりゆく時代を感じ取り、オリジナルデザインの製作に心が傾いていく。美しい生地や小物などに囲まれた仕事場で一心に生地と向き合う市江の横顔は、凛としてとても美しい。

(河田 真喜子)

 

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『台湾人生』『台湾アイデンティティー』と台湾の日本統治下に生きてきた日本語世代に取材を重ねてきた酒井充子監督。最新作『ふたつの祖国、ひとつの愛 イ・ジュンソプの妻』は、韓国では知らない者はいないという名画家ジュンソプとその妻、方子(まさこ)との愛を丹念に映し出したドキュメンタリーだ。

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第二次世界大戦のさなか、日本の美術学校でジュンソプと財閥令嬢の山本方子は出会い恋に落ちる。方子は戦争が激しさを増した45年に命がけで韓国に渡り、ジュンソプと結婚するが、その後の朝鮮戦争の戦火と貧困が二人を引き裂き、ジュンソプは二度と方子たちに会うこともなく若くしてこの世を去ってしまう。日本と韓国、引き裂かれた二人を結んだのは200通にも及ぶ手紙で、真っ直ぐな愛が記された文面や、隅っこに書かれたイラストからジュンソプの人柄や深い愛が偲ばれる。
 
撮影当時92歳だった方子さんは、ジュンソプとの間にできた息子・泰成さんと暮らし、泰成さんが用意した朝食をたっぷり食べ、美容院でパーマを当て、苦労を重ねてきたであろう人生を今は穏やかに生きている。そんな方子さんがにこりと笑って話した一言「再婚もしないで、あなた一筋」を聞いて、こんなに深い愛の言葉があるだろうかと胸が熱くなった。
 
来阪した酒井充子監督に、本作のことだけでなく、台湾でドキュメンタリーを撮ろうと思ったきっかけや、台湾と韓国の日本統治下で生きた世代を取材した反応の違いなど、今までの創作活動にも触れるお話を伺った。
 

■台湾で日本語をしゃべるおじいさんとの出会いから、デビュー作『台湾人生』ができるまで。

―――監督が台湾に興味を持つようになったきっかけは?
はじめて台湾と出会ったのは98年でした。ツァイ・ミンリャン監督の『愛情萬歳』が私の生涯ベストワンなのですが、この映画の舞台になっている台北に行ってみたいという、本当にミーハーな一映画ファンの気持ちで台湾旅行をしました。『愛情萬歳』のロケ地や、今や一大観光地となっている『非情城市』のロケ地、九份にも行きました。夕方台北に戻ろうとバスを待っていたら、あるおじいさんがわざわざ近くの自宅からバス停まで出て、「日本の方ですか?」と日本語で話しかけてこられたのです。そのおじいさんは、子どもの頃日本人の先生にとても可愛がってもらったという話をしてくださり、戦争が終わってから53年経っていたのですが、「戦争が終わって日本に引き揚げてから連絡がとれなくなってしまったけれど、もしまだ先生がお元気なら僕は会いたい」とおっしゃったんです。バスが来て別れた後、そんな風に今でも日本人の先生のことを思っている人が台湾にいるということが、じわじわと私に衝撃を与えたのです。
 

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―――そのおじいさんとの出会いは監督にどんな衝撃を与えたのですか?
昔の台湾と日本の歴史について、私は本当に何の知識もなく、教科書で一行で書かれていたことぐらいでした。でも日本統治下の台湾で生きていた人が、その時代の想い出を大事にしたまま98年の台湾で生きていることを直接知ったのです。そこから台湾と日本のことを知りたいと思い、台湾から戻って色々な本を読んだりしながら、勉強を始めました。あまりにも台湾のことを知らないことが驚きでもあり、知らなかったことに怒りすら湧いてきました。自分に対する怒りであったり、何も教えてくれなかった日本という国に対する怒りなど、色々な怒りですね。そこから、台湾のことを伝える仕事をしようと思いました。
 
―――デビュー作『台湾人生』は、完成まで足かけ7年もかかったそうですね。
08年に完成し、09年に映画館で上映していただきました。途中辞めようかと心が折れそうになったこともありましたが、彼らが「日本人に話したい」という気持ちが取材を通してヒシヒシ伝わってきたので踏みとどまった感じです。台湾では87年にようやく戒厳令が解除され、私が本格的に取材を始めた02年でも「今こんなことをお話して、後で家族にどんな迷惑がかかるか分からないから・・・」とおっしゃる方もいたぐらい、やっと口を開いてくださるようになった時期が、私が取材し始めた時期と重なったのです。せっかく私に話してくれたことを届けないで終わっていいのかという思いもありましたし、彼らに対する責任感が、映画を完成させることができた原動力だったと思います。
 

■韓国の国民的画家、イ・ジュンソプさんとその妻方子さんの「愛」を撮る。

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―――台湾を題材にその後2作品制作したあと、今回は韓国の国民的画家、イ・ジュンソプさんとその妻方子(まさこ)さんを取り上げていますが、このお二人の作品を作ろうと思ったきっかけは?
今回は『台湾アイデンティティー』を作ったチームの方からお話をいただきました。台湾を取材していると、同時期に日本の植民地だった場所である韓国は切っても切り離せません。『台湾人生』の上映後のQ&Aでは「台湾の人はこのように捉えているけれど、韓国の人は違う反応の気がする。なぜだと思いますか?」と必ず聞かれましたから。今回はイ・ジュンソプの劇映画を日韓合作でという話があった中、奥様の方子さんがお元気なうちに撮影しておきたいということでした。韓国で取材ができるというのはいい機会をいただいたなと思いましたね。ただ『台湾人生』などのアプローチとは違い、今回は完全に夫婦の愛に焦点を絞ろうと思っていました。方子さんの人生を追っていけばおのずと植民地時代のことも感じ取っていただけるだろうと、淡々と撮っていきました。
 

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―――「再婚もしないで、あなた一筋」という方子さんの言葉は本当に重みがありました。
あまり多くお話される方ではないので、あの言葉を言ってくださるまで、本当に時間がかかりました。おととしの5月から昨年の1月まで撮影しましたが、1回お話を聞きに行っても、1時間たつとお疲れになってしまうので、本当に時間との闘いでした。東京にいらっしゃるので、カメラを回さなくても会いに行くことを続けて、「再婚もしないで、あなた一筋」という言葉を聞けたのは、本当に最後のインタビューのときだったのです。「よし!」と思いました。
 
―――方子さんは90歳を超えているとは思えないぐらい、お元気でオシャレな女性ですね。
週に一度は美容院に通っていらっしゃいますし、やはりたくさん食べることが長生きの秘訣ですね。朝ご飯のシーンも挿入されていますが、朝からあれだけの量を召し上がる訳ですから、本当に健啖家ですよね。毎朝息子さんがあの量の朝食を作っていらっしゃるわけですから。やめてオーラがすごくて、カメラマンは「いつやめて!と言われるかとドキドキしながらカメラを回していた」そうです。本当によく頑張ってくださったと思います。
 

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―――イ・ジュンソプさんの絵力と、封筒の宛名一つとってもとても味があり、手紙の文面も妻に対する愛がストレートに綴られていて印象的でした。ジュンソプさんの人生を語るにあたって、これらの作品や残された絵をどのように入れていこうと思ったのですか?

方子さんに最初に取材したとき、手紙を拝見し、この熱烈なラブレターをもらっていた女性はどういう人なのだろうかという興味がありました。私自身は手紙をフューチャーしたい気持ちはありました。ただ、最初にプロデューサーからは「(ジュンソプさんが遺した)手紙に頼るのは絶対ダメだ」と釘を刺され、結果的にはそれでよかったと思います。手紙に頼らずに手紙の魅力を伝えるという部分で、編集は苦労しました。でも、あの文字や、手紙の端に描かれているイラストをご覧いただくだけで、ジュンソプさんの愛が伝わりますよね。
 
 
―――日本と韓国で離れ離れになってしまったままという家族や夫婦は他でもあったのだろうなと痛切に感じました。
方子さんと最後の時を過ごした日本での1週間が経った後、私だったら首に縄をつけてでも、ジュンソプさんを韓国に返さずに日本に留めおくと思います。本作が完成した後に在日二世の方から聞いた話なのですが、ご両親のお父様が亡くなったとき、国交がないが故に実家に帰ることすらできなかったそうです。だから、そう簡単に留めおくなどできず、実の親子なのに、会うことすら難しい時代が確実にあったのです。切ないですね。
 
 
―――方子さんが帰国前に避難されていた済州島の住まいも、ジュンソプさんの絵が掲げられ、保存されていました。ジュンソプさんが韓国でどれだけ大きな評価を受けているかが伺えます。
西帰浦市が当時と同じものを復元していて、当時大家だったおばあさんは、あの場所に今でもお住まいです。彼らが住んでいた狭いスペースは観光名所になっていたので方子さんは色々なことを思い出されたはずですが、絶対に愚痴っぽいことをおっしゃらないのです。東京のインタビューでも「東京の空襲で自分の家が焼けないので残っていたのがどれだけ幸運だったか。だから戻ってくることができた」とおっしゃっています。焼けた東京もご覧になっているでしょうし、大変なのは自分たちだけではないという、あの時代の人だから言えるのでしょう。方子さんが特別な人というよりは、こういう人がたくさんいた時代があったということでしょうね。
 
 

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―――方子さんは車いすで韓国に行かれ、美術館でジュンソプさんの絵と対面を果たしましたが、どんな様子でしたか?
ソウルの美術館では、牛の絵を初めて見たそうで、ずっと真剣な眼差しでご覧になっていました。その絵を見たときの目や表情は、いつもとは何か違った気がします。本当に凄かったのは、韓国の美術館で、どれだけ他の取材が来ても絶対に撮影させないという絵を今回撮らせていただいたことです。「イ・ジュンソプさんの奥様の映画だったら協力します」ということでした。他にも同じような理由で協力いただいたことが多々あり、イ・ジュンソプさんの存在の大きさは私たちでは計り知れないという印象を受けましたね。
 
 
―――それだけ韓国で絶大な影響を与えているイ・ジュンソプさんに、離れ離れになってしまった日本人の妻や子どもがいたことを、韓国の皆さんはご存知なのでしょうか?
おそらく妻が日本人ということは知られていますが、これまでの方子さんに対する韓国での見方は「押しかけ女房」。すごくわがままで一方的な悪い女という言われ方をずっとしてきたそうです。この映画を韓国で上映していただくと、そうではないことは一目瞭然で、方子さんが生きていらっしゃる間に、韓国の方の誤解が解かれればいいなと思います。
 

■台湾、韓国の日本語世代取材を通じて感じた、それぞれの今とこれから。

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―――台湾、韓国共に日本統治時代を生きてきた世代にインタビューをされた訳ですが、その中で国による違いを感じることはありましたか?
決定的な違いは、日本に対する評価ですね。一つの要素として、台湾と韓国は全く歩んできた歴史が違います。韓国は14世紀かずっと李王朝が統治していたところ、日本の統治下に置かれることになった訳ですが、台湾は清の領土ではありましたが原住民は原住民族の言葉を話し、漢民族系の人は中国語を話したりと言語がバラバラな中、日本統治下に置かれることとなり、日本語が初めて台湾で共通語の役割を果たしました。また、台湾は日本が引き揚げた後、国民党の大変な時代がありましたが、韓国はまた自分たち朝鮮人の国を持つことができた訳です。
 
台湾は戦後国民党時代との比較で「日本統治時代の方がよかった」と、比較論の評価があり、それが親日と言われることにも繋がっています。韓国では、日本をプラスに評価しなければならない要素は何もないのです。単純に日本統治時代をどう評価するかという際の土台が台湾と韓国では違いますね。台湾では、日本語を話すことは「おじいちゃん、日本語を話せるの?すごい!」という反応が相対的にありますが、韓国はそうではありません。
 
 
―――確かに、本作では日本語を話す韓国の方はほとんど登場しませんね。
あるおばあさんに話を聞いたとき、彼女は日本統治下で大阪の女学校に2年間在学していたそうです。戦後日本人と話す機会はなかったそうで、約70年ぶりに私たちが通訳を伴って訪ねて行ったときは、簡単な単語を日本語で話すぐらいでした。でも別の機会にカメラを回しながら取材をすると、私の日本語の質問にいきなり日本語で答えてくださり、通訳がいらないぐらいでした。
 
そのインタビューをした夜に、彼女の娘さんから電話が入り、「今日母が日本語を話したそうですが、日帝(大日本帝国)協力者と疑われては困るので、韓国語で全部撮り直してください」という依頼があったのです。今だにそういうことを言わなければいけない空気のあることがとても残念で、「日本人に会って、日本語が自然に出てきたのが彼女の人生の証なのだから、そこに蓋をすることは私にはできません」と伝え、結局映画には使いませんでした。韓国語でインタビューを再度撮ることもできましたが、それをすることは何か違うと思ったのです。日本語を話す行為一つとっても、台湾での捉えられ方と韓国での捉えられ方はこんなにも違うのかと、驚きました。普通に取材をしている段階では、台湾と韓国で全く違いはなく、皆さん協力的ですし、反日的なところを感じることはありませんが、少し踏み越えたところに、そういう感情がありますね。
 
 
―――台湾、韓国と両国でドキュメンタリーのための取材を重ねている酒井監督だからこそ、感じられる体験です。
今回はとにかく「愛」に徹しようと思っていたので、逆に背筋が伸びるような経験でした。今は大変な時期とは言われていますが、それは日本政府や大マスコミが過剰に反応しているだけだと思っていますから。そういうことがあることをきちんと踏まえた上で、昔のジュンソプさんと方子さんのように、私たちも韓国の人たちと付き合っていけばいいなという思いを強くしました。
 
 
―――人の交流を絶やしてはいけませんね。
やはり、韓国は近いですから、日本人はどんどん行くべきですよ。映画を撮ることもそうですが、人が往来し、直接やりとりをすることがとても大事だと感じたので、そういうすごくシンプルなことをお伝えしていければいいなと思っています。この映画を観て、済州島に行きたいと思っていただけたらうれしいですね。 (江口由美)
 

<作品情報>
『ふたつの祖国、ひとつの愛 ~イ・ジュンソプの妻~』
(2014年 日本 1時間20分)
監督:酒井充子
出演:山本方子、山本泰成、キム・インホ、ペク・ヨンス、チョン・ウンザ他
2015年2月7日(土)~第七藝術劇場、近日公開~京都シネマ、元町映画館
公式サイト → http://www.u-picc.com/Joongseopswife
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