「京都」と一致するもの

violette-inta-550new.jpg

『ヴィオレット―ある作家の肖像―』主演エマニュエル・ドゥボスインタビュー
 

~女性で初めて“性”を赤裸々に語ったフランス作家ヴィオレット、その孤独と葛藤に満ちた半生とは?~

 
フランスを代表する女性作家でありフェミニズム運動家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールが、その才能に惚れ込み、世間に認められるまでバックアップを惜しまなかった女性作家がいた。自らの体験を美しい文体で赤裸々に綴り、初めて“性”を語った女性作家として64年の『私生児』で大成功を収めたヴィオレット・リュデュックだ。父親に認知されず、またその容姿から愛する人からも拒まれ、孤独の中で全てを書くことに捧げてきた激動のヴィオレットの半生を、『セラフィーヌの庭』のマルタン・プロヴォ監督が映画化した。
 
 
violette-500-2.jpg
 
マルタン・プロヴォ監督が「最初からヴィオレット役と決めていた」というエマニュエル・ドゥヴォスが、自分の容姿に悩み、母との関係に苦しみながら、ボーヴォワールを慕い、自分の力で生きる道を切り開くヴィオレットを熱演。ヴィオレットの愛には応えられないと断言しながらも、女性の自由な表現を求めて、ヴィオレットの執筆活動を全面的に支援するボーヴォワール役には、『屋根裏部屋のマリアたち』のサンドリーヌ・キベルランが扮し、フランス文学界に革命を起こした二人の友情や愛情を超越した関係が描かれている。40年代から60年代に渡る二人の対照的なファッションや、その変化も見どころだ。
 
6月に開催されたフランス映画祭2015の団長として久々の来日を果たしたエマニュエル・ドゥボスが、タイトなスケジュールの中インタビューに応じ、ヴィオレット・リュデュックを演じたことについて、また自身のキャリアについて語った。
 

 

violette-inta-240.jpg

―――フランスを代表する女優として活躍されているドゥボスさんですが、女優を目指したきっかけは?
エマニュエル・ドゥボス(以下ドゥボス):もともと役者一家の出身なので、小さい時から舞台に自然に接していましたし、何歳の時に女優になったか分からないぐらい、最初から女優になりたいと思っていた気がします。もしかしたら色々な人の人生を演じることに魅力を感じたのかもしれませんが、一人の人間が役者になりたいと思う動機は、常に謎だと思います。
 
―――ドゥボスさんの女優人生の中で、一番大きな変化が訪れたのはいつですか? 
ドゥボス:私のキャリアは徐々に上っていったので、特別大きな変化はありませんが、ジャック・オーディアール監督の『リード・マイ・リップス』は、私にとって大きなきっかけになりました。この作品で私は賞をいただきましたし、作品も大成功を収めました。ヴィオレットと同じように強烈な役なので、変わるきっかけになったと思います。
 
violette-550.jpg
 
―――マルタン・プロヴォ監督からオファーを受けた時、まだ脚本は出来ていなかったそうですが、出演を決めた理由は?
ドゥボス:私が出演作を選ぶ基準は、出来あがった映画を一観客として観てみたいと思うか、役柄が自分にあっているか、シナリオの質や監督の才能などを総合的に判断しています。本作の場合、マルタン・プロヴォ監督の前作『セラフィーヌの庭』が大好きでしたし、プロヴォ監督がそんなに変な作品を作るはずはないと思っていましたから。
 
―――プロヴォ監督は、ヴィオレット役はドゥボスさんしかいないと思っていたそうですが、演じるにあたって二人でどのように役を作り上げていったのですか?
ドゥボス:撮影前に何度も会い、ヴィオレットに対してお互いにどんな印象を抱いているか話をしました。対話を通して、役が出来上がってきた感じです。実際にヴィオレットと知り合いだったというパトリック・モディアーノ氏にも会う機会があったのですが、出来上がった映画を観て、「本物のヴィオレットはもっとひどかった」。とても耐えがたい外見の人だったそうです。私自身、ヴィオレットが書いた全ての本を読みましたし、彼女がシモーヌ・ボーヴォワールに宛てて書いた手紙や、詳しい自伝も読みました。それだけヴィオレットは自己表現をしていた訳ですから、そういうものを読み込むと、彼女のことは大体分かりました。プロヴォ監督の前で演じる上でも、迷いなく演じることができました。
 
 
violette-500-1.jpg
 
―――映画の冒頭に「女性の醜さは罪である・・・」という詩が登場しますが、ドゥボスさんご自身は女性の美について、どのような考えをお持ちですか?
ドゥボス:美に関する感覚はパーソナルなものだと思いますが、役を演じる上で、つけ鼻をし、醜い姿になって感じたことは、「極端に醜いのは本当に重荷だ」ということです。ヴィオレットは自分の鼻が耐えられず、整形手術もしていますが、それでもあまり美しくなれませんでした。逆にそれはキツいことだったと思います。
 
―――ドゥボスさんが演じたヴィオレットは、個性的である一方、少し親しみすら覚えるようなかわいらしさもありました。
ドゥボス:自分と似ている部分を見つけようとはしたものの、一つもなく、探すだけ無駄でした。ただ、あまりひどい所ばかり見せてもいけませんから、私が演じるヴィオレットには少女のようなかわいい面も必要でした。
 
violette-500-3.jpg
 
―――南仏で自分の居場所を見つけ、幸せそうに過ごすところで終わっていきますが、ヴィオレットの人生をどう捉えていますか?
ドゥボス:現実のヴィオレットも『私生児』がフランスでベストセラーになった後、様々な国で翻訳されました。彼女の心の傷の元は、父親に認知されなかったことにありましたが、ようやく世間が自分を認めてくれ、世間の中に自分の居場所が出来たことで、心が穏やかになったのです。また、ヴィオレットはボーヴォワールというメンター(導き役)がいました。二人の関係は特殊な関係で、これに比べられるものは私の中にもありません。その後南仏に家を見つけ、半ば引退生活とはなりましたが、友人を招いたり、人生に欠けていたものをみつけ、心の平穏を得ました。最後はガンで闘病の末亡くなっているので、死ぬ間際は辛かったと思いますが、南仏でようやく自分の居場所を見つけることができたのでしょう。
 
(江口由美)
 

<作品情報>
『ヴィオレット―ある作家の肖像―』
(2013年 フランス 2時間9分)
監督:マルタン・プロヴォ
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、サンドリーヌ・キベルラン、オリヴィエ・グルメ
2015年12月19日(土)~岩波ホール、2016年1月9日(土)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、1月16日(土)~神戸アートビレッジセンターほか全国順次ロードショー
公式サイト ⇒ http://www.moviola.jp/violette/
配給:ムヴィオラ 
© TS PRODUCTIONS – 2013
 

sugita.jpg

『人の望みの喜びよ』杉田真一監督インタビュー
 

~震災で両親を失った姉と弟の心情を、子どもの目線ですくい取る~

 
震災により目の前で両親が亡くなったことを弟に告げられず、一人苦しみを抱え込む姉と、大人たちの中で無邪気な笑顔を見せながら、姉のことが気になる弟。思いがけない出来事のその後を、幼い二人に寄り添うようにじっくりと描いた杉田真一監督初の長編作品『人の望みの喜びよ』が、12月5日(土)から第七藝術劇場で公開される(以降、元町映画館、京都みなみ会館にて公開)。第64回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門スペシャルメンションを受賞した本作は、罪悪感や思いがけない出来事にどう向き合っていくかという普遍的なテーマを、台詞ではなく主演二人の自然な表情や動きで、静かに感じさせてくれる「心で観る」作品だ。
 
阪本順治監督や大森立嗣監督の助監督を経て、長編デビュー作を撮り上げた地元伊丹出身の杉田真一監督に、助監督時代のエピソードや、本作のテーマ、そして子ども目線で描くことの意義について、お話を伺った。
 

hitononozomito-550.jpg

■阪本監督の映画との向き合い方を目の当たりにし、ここでしっかり勉強したいと思った。

―――杉田監督は、様々な監督の下で助監督として仕事をされていますが、いつから助監督の仕事を始めたのですか?
大学一年生のときにちょうど山下敦弘監督が『ばかのハコ船』を撮影されており、最後の夏のシーンを手伝わせてもらったことが最初のスタッフとしての仕事です。大森立嗣監督は、『赤目四十八滝心中未遂』で助監督をされており、関西での上映で来場した大森さんと劇場でお会いしたのがきっかけです。僕は上映劇場でもぎりスタッフをしていましたが、大森さんも気に入ってくれ、当時準備中だった『ゲルマニウムの夜』にスタッフとして参加すればと声までかけてもらいました。大学はどうしても卒業したかったので、卒業後『ゲルマニウムの夜』劇場公開初日を見に夜行バスで東京まで行ったら、大森さんは僕のことを覚えていてくれ、「卒業したなら、東京に出てきたら?」と。その言葉を機に上京し、山下監督の『天然コケッコー』などを経て、大森さんの作品準備に呼んでいただくようになりました。
 
 
―――山下監督、大森監督と学生時代から実力派の監督と仕事をされていたのですね。今も杉田監督が師匠と仰ぐ阪本順治監督の助監督になったきっかけは?
大森監督のカメラマンである大塚亮さんが、阪本監督のカメラマン、笠松則通さんの弟子という関係だったので、大塚さんと僕の仕事が空いてしまったときに、阪本監督の『展望台』(『The ショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった』)に参加させてもらいました。『カメレオン』の現場で阪本監督の映画との向き合い方を目の当たりにした時、ここでしっかり勉強したいと思い、以降は新作を撮る時は阪本監督も僕を呼んで下さるようになりました。
 
 
―――錚々たる監督の下で修業を積んでいらっしゃいますが、ご自身が監督される際に思い出すような教えはありますか?
大森監督も阪本監督も、ご自身の作品に本当に真摯に向き合い、誰よりも勉強するし、誰よりも苦しむし、誰よりも役者さんをリスペクトし、スタッフもリスペクトしてくださいます。ただこうしろと言うだけの演出ではなく、役者さんが表現したことに対し、それを受け止めながら、時には軌道修正を加えたりし、リスペクトを忘れないのです。僕が憧れるのはそういう演出で、その方が役者さんも輝きますし、思っていたことと違っても案外それが面白いのではないでしょうか。大森監督は「そこで生まれてきたものを信用するしかないよね」とはっきりおっしゃいますから。阪本監督は「役者には顔を見て演出、スタッフには背中で演出」とおっしゃっていました。
 
 

■「おまえ助監督に向いていないから、監督する準備をしておけ」との言葉に背中を押された。

―――助監督時代が6年ほど続いたそうですが、そこから自分の作品を撮るにいたった経緯は?
28歳の頃、『座頭市 THE LAST』のサード助監督をしていたのですが、照明を待つ間に、カメラマンの笠松さんに幾つになるか聞かれたので28歳と答えると、「その年に松岡錠司は『バタアシ金魚』を撮ってたな。助監督なんて3年やれば分かる。今回の『座頭市 THE LAST』でフィルムが余るから、それで短編映画を撮れば?」。我に返ってそうだなと思う部分もありましたが、阪本組でやりたい仕事をさせていただいていたので、そこから外れる不安もあったんです。続く『行きずりの街』が完成した夜に、阪本監督が二人で飲みにつれて行って下さり「おまえ助監督に向いていないから、セカンド助監督で2本ぐらいやったら、監督する準備をしておけ」とも言ってくださって。低予算だけど短編の話があったときにやろうと思えたのは、そんな背中を押す言葉があったからだと思います。その後短編を撮った時も、「もう助監督に戻っちゃだめだ。自分の作品のことを一番に考えろ。短編はいくら評価されても短編でしかないから、長編を作れ」とアドバイスしてくださいました。
 
 
hitononozomito-500-1.jpg

■大きなハプニングが起こった時に真正面からどう向き合うのか、また、何かしたいけどできない後ろめたさをテーマに描く。

―――本作のアイデアはいつ頃生まれたのですか?
東日本大震災後、実家の伊丹で3カ月生活しながら、今後世の中がどうなっていくのか感じていなくてはいけないと思いました。三好プロデューサーと長編のアイデアを考えていたときで、東日本大震災が起こり、何かしたいけれど出来ない後ろめたさを感じていました。そういう後ろめたさとどう向き合うのか。それをもっと具体的に反映した企画が今回の原案でした。はっきり打ち出すのかどうかのボリュームの違いはありましたが、一番ボリュームが大きいものを選びました。こういう題材を選んでいながら、そこから逃げるのは不誠実ではないかという思いがありましたから。
 
 
――物語は地震で少女が両親を失うところから始まりますが、監督自身の被災体験も反映されているのですか?
僕は、主人公の春奈よりは少し年上の14歳で阪神淡路大震災に遭いました。大人でもない、子どもでもない、すごく宙ぶらりんの年代を主人公にしたいと思ったのは、僕の被災体験が元になっていると思います。大人になると、頭では考えられるけれど、心がついていかないような感情が描けない。大人だと、かわしたり、別の人に相談できたり、様々な手段を選択できますが、子どもたちはそういうかわし方をしらないし、目の前で起こった事に真正面から対峙するしかありません。僕個人の立ち位置もそうですが、大きなハプニングが起こった時に真正面からどう向き合うのかに焦点を当てたかったので、子どもたちの方がテーマにも合うと思い、主人公二人の目線で描くことを選びました。
 
 
hitononozomito-500-3.jpg

■大人目線で描いた子どもだけには絶対にしたくない。彼らがやってみたいことを極力尊重する撮り方をした。

―――物語を通じて、主人公の子ども二人の目線で描ききっています。台詞で表現するのとは違い、感情をため込んだまま、ただ歩く春奈の姿をじっと追っていますね。
そういう表現が(春奈役の)大森絢音さんだから出来ました。実際に撮影してみないと分からなかった部分です。最初に震災が起こったところから始まり、そこで大森さんがどういう表情をするかで、この後観る人や、僕らも含めて彼女の思いを一緒に抱えることができるかが決まります。この思いさえ共通して持てるのなら、じっと寄り添って描くという表現は可能だと思わせてくれました。文字ではいくらでも表現できますが、どうやったら説得力のある映像になるかを試行錯誤し、最初の思いを一緒に抱えながら撮っていった感じです。
 
スケジュールが短い低予算映画ですが、冒頭と最後のシーンだけは撮り順を変えたくありませんでした。そうでなければ、何を手掛かりに映画を作り、何がOKか判断できません。大人目線で描いた子どもだけには絶対にしたくなかったので、プロデューサーにそこだけは無理にお願いしました。
 
 
―――子ども目線で描くということは、実はかなり難しいと思いますが、特に演出面で気を付けたことはありましたか?
思い描いていることはもちろんあるのですが、なかなか思うようにいかないことが多いです。そのときに子どもが合わせるのではなく、こちらが合わせればいいと思い、大人に演じてもらうより、すり合わせの幅を緩やかにしました。カメラマンにも、今回は子どもに合わせるので、そんなにテイクを重ねられないから一発撮りのつもりで緊張感を持つようにと話しました。子どもたちとは自分が演じる役の気持ちの動きなどを話し合いました。もちろん彼らが分からない、納得できないこともありました。そこで無理やり台詞を言ってもらうことはできますが、それでは彼らが演じる人物の気持ちは伝わってこないので、彼らがやってみたいことを極力尊重する方を選びました。普段僕がしゃべっている言葉が通じないこともあり、5歳の子どもに伝えるにはどうしたらいいかも考えました。今となっては勉強になったと思います。
 
 
hitononozomito-500-2.jpg

■十字架を背負ってしまった人の気持ちも、希望も日常の中にある。

―――日常の描写が続く中、後半からラストにかけては、姉弟二人だけの世界になり、二人の内面が響き合って静かな感動を呼びます。特にラストはハッとさせるものがありました。
物語としては大きな起伏もありませんし、冒頭の震災以降は見て下さる方の日常とリンクできるようなシーンばかりが並んでいる気がします。でも、十字架を背負ってしまった人の気持ちは日常にこそ現れるでしょうし、希望も日常の中にあると思うのですが、あまりにも近すぎて見えないことがあるのではないでしょうか。そこにふと気づいた瞬間を、ラストに持ってきたいと思っていました。分かりやすいハッピーエンドとして描くより、ただ目の前で悲しんでいる姉を勇気づけてあげたい一心で弟がとった行動によって表現しました。現場で翔太役の稜久君の笑顔を見たとき、この後は何をくっつけても蛇足にしかならない、こんなに説得力のあるところで終われなかったら、この映画は何だったんだと。まさに、稜久君と綾音さんの二人だから撮れたし、様々なことを積み重ねていった結果だと思います。
 
 
hitononozomito-500-4.jpg

■『人の望みの喜びよ』は、全てを肯定する言葉。少しでも相手をリスペクトしたいし、それを映画で表現していきたい。

―――『人の望みの喜びよ』というタイトルも、非常に印象的です。このタイトルに込めた思いや、表現したかったことを教えてください。
脚本を書いているときに、「人の望みの喜びよ」という言葉をものさしにしていました。正直、本作を見て「人の望みの喜びよ」という言葉とリンクしにくいし、覚えづらいので、他のタイトルを勧められました。でも、この言葉に向かって書き、作ってきたので、どうしても他の言葉ではしっくりこないのです。バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』からとったのですが、否定するものが一つもない、全てを肯定する言葉で、映画のテーマにもなっています。震災後の風潮を見ていると、「復興」などの分かりやすい言葉で語られがちですが、その言葉によって苦しむ人もいるのではないか。震災などが起こったとき、生きる上で背負わなくてもいいものを背負ったり、罪悪感を抱えてしまう人もいますが、全てひっくるめて肯定できないのかと思うのです。
 
 
―――確かに今の日本は、スローガンのようなポジティブで強い言葉が全面的に出過ぎて、息苦しさを感じますね。
簡単に他人を否定することはできますが、点のような自分を中心とした考え方をもう少し広げて、自分と相手との意識を広げ、少しでも相手をリスペクトできないのかなという気持ちがあります。僕の高校の恩師が、「自分が楽しいと思うときは、足元を見ろ」と言ってくれ、今でも胸に残っているのですが、自分が楽しい時に実は他人の足を踏んでいても気づかないことがあるかもしれない。そういう時に、ふと冷静になって足元を見ることができる自分でいたいし、その方が人と関係するときにも豊かでいられるのではないでしょうか。言葉を投げるタイミングも、相手に合わせることでより加速するでしょうし、それをどうすればいいのかをこれからも映画で表現していきたいです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『人の望みの喜びよ』
(2014 日本 1時間25分)
監督・脚本:杉田真一
出演:大森絢音、大石稜久、大塲駿平、吉本菜穂子
2015年12月5日(土)~第七藝術劇場、元町映画館、京都みなみ会館他全国順次公開
※12月5日(土)14:40の回、杉田真一監督 舞台挨拶予定
 12月6日(土)14:40の回 杉田真一監督、阪本順治監督 トークショー予定
※第64回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門スペシャルメンション受賞
公式サイト⇒http://nozomi-yorokobi.com/
(C) 344 Production
 

anohito-min-500-1.jpg織田作之助が書いたとされる幻の脚本を映画化した

山本一郎監督長編映画デビュー作『あのひと』

第22回ミンスク国際映画祭で審査員特別賞受賞!



第二次大戦末期の昭和19年に書かれた映画脚本『あのひと』が、2012年に大阪の中之島図書館で発見され、専門家によって文豪・織田作之助が書いたも のと認定されたと報道されました(2012年10月13日付「産経新聞」ほか)。松竹大船撮影所で製作予定だったものが、おそらく軍部の忌避にあい、実現しなかった幻の作品です。

anohito-280-1.jpg
ストーリーは、4人の帰還軍人が戦死した部隊長の遺児「小隊長」を育てているところから始まります。やがて、戦局が厳しくなり軍需工場に働きに出た帰還軍人たちの代わりに、今度は4人の女たちが住み込んで遺児を育て始める。「小隊長」を中心とした戦時下の奇妙な共同生活を、時にユーモラスに描く意欲作で す。
 

そんな幻の作品『あのひと』が70年の時を超えて映画化! メガホンをとったのは、『武士の一分』(山田洋次監督)、『珈琲時光』(侯孝賢監督)など数々の傑作のプロデューサーを務めてきた山本一郎監督。本作が長編監督デビューとなります。織田作之助の脚本を一字一句変えず、独自の解釈であえて モノクロ/スタンダード・サイズを採用し映像美を追究。カメラマンに佐々木原保志(『その男、凶暴につき』『ゲゲゲの鬼太郎』他)など映画界を代表するスタッフが結集し、山本一郎監督の世界観を映像化しました。

anohito-280-2.png 

出演は、田畑智子、神戸浩、『太秦ライムライト』を製作した大野裕之率いる劇団とっても便利のメンバーに、福本清三、峰蘭太郎ら。撮影は、2013年夏に、京都の松竹撮影所で行われました。
 

 

 

このユニークな作品『あのひと』が、このたび、ベラルーシ共和国で11月6日から13日まで開催された、東ヨーロッパ・中央アジア最大の映画祭である第22回ミンスク国際映画祭にて、異例の2つの審査員特別賞を受賞!

anohito-min-500-2.jpg

「映画を信じることの奇蹟、人生を信じることの奇蹟への特別賞」
「日本映画の伝統へのこだわりに対しての特別賞」

を受賞しました。

初監督作品が、国際映画祭で二つの特別賞という異例づくめの快挙です!


【山本一郎監督・受賞の言葉】
「とても光栄です。京都の松竹撮影所で撮影できた事が良かったです。20 年以上前のことですが、そこにあった、KYOTO 映画塾に感謝しています。「あのひと」に参加して下さった皆さま、ありがとうございました。
 

山本一郎監督作品・織田作之助の脚本とされる映画『あのひと』は近日、東京・渋谷のユーロスペースにて公開予定です。 


anohito-pos-1.jpg★映画『あのひと』 
87分 モノクロ/スタンダード (C)2014山本昆虫
監督:山本一郎(プロデューサーとして『武士の一分』(山田洋次監督)、『珈琲時光』(侯孝賢監督)を担当)
脚本:織田作之助(推定)
プロデューサー:榎望(『日本のいちばん長い日』『駆込み女と駆出し男』他)
出演:田畑智子、神戸浩/大野秀典、多井一晃、彩ほのか、鷲尾直彦、杉山味穂、中島ボイル、上野宝子、大野裕之、川嶋杏奈/林基継、橋本一郎、上西雄大/福本清三、峰蘭太郎 他
公開劇場:ユーロスペース(近日公開)ほか 
配給:劇団とっても便利
 

【一般からの問い合わせ先 および 配給・宣伝・宣材についての連絡先】
劇団とっても便利(担当:大野) info@benri-web.com

anohito-min-500-3.jpg

Ray-pos.pngサタジット・レイ監督デビュー60周年記念『シーズン・オブ・レイ』

・京都みなみ会館:2015年11月30日(月)~12月11日(金)

・元町映画館:近日公開

公式サイト⇒ http://www.season-ray.com/



インド映画界の至宝、その真の魅力がよみがえる

サタジット・レイ監督デビュー60周年記念 特集上映

『チャルラータ』&『ビッグ・シティ』デジタルリマスター版上映

 

インドを代表する映画監督にして、小説家、音楽家、グラフィックデザイナーなど、多才な才能をもつサタジット・レイ。日本では『大地のうた』をはじめとする「オプー三部作」でリアリズム監督としての印象が強いですが、実はミュージカル、ファンタジー、SF、ドキュメンタリーまで幅広いジャンルの作品を手がけ、晩年にはアカデミー賞特別栄誉賞を受賞。世界中でその名が知られている偉大な監督です。


そんなレイの監督デビュー60周年を記念し、中期の代表作『チャルラータ』『ビッグ・シティ』がデジタルリマスターで蘇ることになりました。


特に『チャルラータ』は監督本人が最高傑作と語り、ウェス・アンダーソン監督らも大ファンを公言するほど。富裕な夫を持ち、大邸宅に暮らす妻の孤独と芸術への目覚めを、詩的で美しい映像の数々とともに描きます。インドの文豪タゴールの原作小説を、レイが脚色し音楽も担当。日本では1975年に公開されて以来の上映となり、デジタル・リマスターによる40年ぶりの上映となります。今回は同作の姉妹編ともいえ、同じく大女優マビド・ムカージーが主演した『ビッグ・シティ』も併映します。 


この機会にサタジット・レイ監督の真の魅力をお楽しみ下さい。

 

his-ninja-t-550.jpg

《第7回京都ヒストリカ国際映画祭》を終えて

2015年10月31日(土)~11月8日(日)、京都歴史博物館と京都みなみ会館で開催されていた《第7回京都ヒストリカ国際映画祭》は、最終日に『NINJA THE MONSTER』(日本初上映)と『ラスト・ナイツ』(11/14公開)の上映で幕を閉じた。毎年、時代劇のメッカ・京都にふさわしい作品を世界中から集めた映画祭は、時代劇ファンにとっては大変貴重な映画祭である。特に、日本初上映を含む新作だけを集めた【HISTORICA WORLD】は毎年楽しみにしている。今年は全部は見られなかったものの、『フェンサー』『吸血セラピー』『大河の抱擁』『NINJA THE MONSTER』を見る機会を頂いたので少しご紹介したい。
 


his-fencer-500.jpg★自由のない暗い時代でも、生きる希望が人を強くする
第二次世界大戦後のエストニアを舞台にした『フェンサー』 (2015年)は、戦後ソ連の領土となったエストニアの田舎の子供たちと、フェンシングを通して夢と生きる力を育んだ実在の教師エンデル・ネリスの勇気ある行動を精緻な映像で描いた感動作である。政治犯としてソ連の秘密警察に追われる身のエンデルは、息を潜めてエストニアの田舎で教師生活を送っていたが、戦争で父親を失った子供たちに慕われ、特技のフェンシングを教えるようになる。子供たちに支えられ自らも居場所を見出すエンデルの様子や、戦後の困窮生活の中にも柔らかな光が差し込んでいく描写は胸を熱くする。フェンシングの全国大会でのエンデルや子供たちの表情がいい。シンプルな構成ながら、次第に色味を増していく映像から希望がわいてくるのが実感できる、そんな映画だ。
 
 


 his-kyuuketu-550.jpg★悩めるドラキュラ伯爵のセラピー治療とは!?
20世初頭のウィーンを舞台にした『吸血セラピー』 (2014年)は、500年も連れ添った妻の愚痴に悩むドラキュラ伯爵がフロイトのセラピーを受けに来るという、ドラキュラとはいえ人間的な悩みを持つことに親しみがわいてくる映画だ。影がなく鏡にも写真にも映らない。自分がどんな顔なのか見たことがなく、美しいかどうかさえ分からない。他人の意見を聞くしかないので、毎日夫に自分についての感想を言わせる妻。それが500年も続けば、そりゃストレスも溜まるだろう。フロイトがドラキュラ伯爵夫妻に紹介した若い画家とその恋人をめぐる愛と血を追い求めるホラーコメディが、思いのほか面白かった。

◎『吸血セラピー』トークショーの模様はこちら
 


his-taiga-500.jpg★大河が見つめてきた、西洋文化の功罪
アマゾンの奥深く、西洋文化が如何に自然を破壊し原住民たちの生活を踏みにじっていったかがよくわかる『大河の抱擁』 (2015年)。部族で最後の生き残りとなったシャーマン(呪術師)カラマテの記憶を辿りながら行くアマゾン探検の旅である。20世紀初頭、カラマテが若い頃随行した探検家の日記を基にアマゾンを遡上したいとアメリカ人のエヴァンがカラマテを頼りにやってくる。アマゾン流域の豊かな自然がゴム資源を求める白人たちに破壊され、流域で暮らす人々の暮らしも残酷なほど一変させてしまう。それは、資源を求めてやってくる山師であり、無理やりキリスト教を押し付ける宗教家である。自然の息吹を感じながら、畏怖の念をもって逞しく生きて来た人々の変化をモノクロ映像で捉えた世界は、失われた文明を再発見する旅でもある。

 


his-NINJA-550.jpg 
★忍者本来の姿を描く時代劇スリラー
松竹株式会社の若手レーベルが海外向けに制作した『NINJA THE MONSTER』は、朝の連ドラ「あさが来た」で五代友厚を演じて人気急上昇中のDEAN FUJIOKA主演の忍者映画。江戸中期の浅間山噴火と天明の飢饉を背景に、困窮する長野藩のお家存亡の危機と正体不明の化け物騒ぎを絡ませたストーリー展開は、斬新。自然界のパワーバランスに敏感な山伏のような忍者像は、黒覆面の超人という従来のイメージを一新させる。お家の困窮を救おうと人身御供にされるお姫様と忍者・伝蔵との微妙な関係性も興味深い。イケメンすぎるDEAN FUJIOKAの甘いマスクがキリリと光る忍者ぶりに魅了される一篇だ。

 



his-ninja-t-deen-1.jpg

この上映会は、京都ヒストリカ国際映画祭のいつもの客層とは違い、観客は女性ばかり!映画祭ナビゲーター・飯星景子さん司会による上映後のトークショーでは、黄色い歓声に迎えられてDEAN FUJIOKAと落合賢監督が登場。本作についていろいろ語ってくれた。

■今までの忍者のイメージを一新するアクションと忍者像
国際的に活躍するスタッフやキャストが集結して完成した作品とあって、ブルーレーベル海外向け第1作として自信を持って売り出したいと力強く語る落合監督。5年前に出会って意気投合したDEAN FUJIOKAとは、いつか一緒に映画を作りたいと、東京にあるジャマイカ料理を食べながら語り合ったそうだ。その後、『NINJA THE MONSTER』の企画書がDEAN FUJIOKAの元に届き、スカイプで連絡を取り合い、忍者についての資料を勉強するよう宿題が出されたという。かねてより中華武術をやってきたDEAN FUJIOKAは、今までの忍者像を一新するようなアクションを学ぶように言われ、フィリピンの「カリテ」という接近戦に強い武術を練習。劇中では、一番の見せ場となる山小屋の薄暗い中でのアクションに活用され、忍者・伝蔵の独特の殺陣が生まれた。

 

his-ninja-t-di-1.jpg ■神秘性を出すためにデザインされた液状の化け物
アニメ『もののけ姫』や『プレデター』などからイメージして、CGで創り上げているが、あまり知性的な化け物にはしたくなかったという。そのため目をひとつにして、予測不可能な動きと正体不明な不気味さを出している。具体的なビジュアルが完成する前に実写部分の撮影が進んだので、DEAN FUJIOKAは見えない敵との演技に苦労したようだ。落合監督のゾウのような声を合図に、それに向かってアクションを起こしたという。DEAN FUJIOKAは、『風の谷のナウシカ』のオウムのようなものを想像していたので、完成した作品を見て驚いたという。

 
■京都での撮影と日本武術の様式美
京都の松竹撮影所を中心に行われた撮影は真冬に行われ、劇中降っている雪は本物だそうだ。年末の撮影所では餅つきをしていて、お餅をご馳走してもらって嬉しかったというDEAN FUJIOKA。日本武術の様式美を教えてもらい、別のクルーの人たちと一緒に素振りもしたと懐かしそうに語る。そこで、DEAN FUJIOKA自前の武器を持ち出し、この日来場していたアクション俳優と殺陣を披露。DEAN FUJIOKAの生アクションを近くで見られて、観客も興奮気味。

his-ninja-t-500-1.jpg 
his-ninja-t-deen-2.jpg
■他人とは思えぬ“もののけ”と忍者に親近感
DEAN FUJIOKAは、“もののけ”も忍者も陰の存在で、世の中に認められず孤独に生きている覚悟が心に沁みると振り返り、伝蔵役をまた演じたいと希望。落合監督も、伝蔵が自分の居場所を求めているのに対し、藩のために人身御供になろうとしているお姫様もモンスターも忍者も、同じ立ち位置にいるという。DEAN FUJIOKAと落合監督は海外で長く暮らしてきて、こうしたキャラクターたちと共通するものを感じたようだ。DEAN FUJIOKAも、「5年前、なぜ落合監督に声をかけたのか今分かった。他人とは思えぬ何か共感するものを感じたからだ」と振り返った。


日本公開は、海外での映画祭のスケジュールによるので未定。細かな歴史的考察とファンタジックなシーンをミックスさせた新しい忍者映画に、乞うご期待下さい。

(河田 真喜子)

koibitotachi-550.jpg

個人の些細な苦しみの話から今の日本を感じてもらいたい
『恋人たち』橋口亮輔監督インタビュー
 

~新人俳優3人と名優たちが体現する愛、絶望、そしてかすかな光~

 

koibitotachi-hashiguchi-1.jpg

困難を乗り越え生きていく夫婦の10年を描いた名作『ぐるりのこと』から7年。橋口亮輔監督の7年ぶりとなる完全オリジナル最新作『恋人たち』は、誰もが心の中で秘めている哀しみや孤独、そして今の日本を覆う不条理さを、3人の主人公の物語を絡ませながら重層的に描いた感動作だ。
 
ワークショップを経てオーディションで選ばれた新人俳優たちが演じるのは、通り魔殺人事件で突然妻を失った男、アツシ(篠原篤)、姑と同居の退屈な日常に突然現れた男に心揺れ動く主婦、瞳子(成嶋瞳子)、同性愛者で完璧主義のエリート弁護士、四ノ宮(池田良)。喪失感の中もがき苦しむ姿や、ささやかな愛を夢見た結果今の幸せを再認識する姿、そして愛する人から中傷を受け感情を爆発させる姿など、人間の生々しい感情を見事にすくい取っている。我々の生活と地続きのような空間で繰り広げられるリアルで、どこか滑稽さも滲む人間描写は、橋口監督の真骨頂とも言えるだろう。それを体現する俳優陣も、上記3人の他、安藤玉恵、黒田大輔、山中聡、山中崇、内田慈、リリー・フランキー、木野花、光石研と豪華メンバーが揃い、見事なアンサンブルを見せている。日常の小さなエピソードが積み重なり、今の日本と、そこに生きる人々がパズルのように浮かび上がるとき、そのどこかに自分の姿を重ねてみたくなることだろう。
 
本作の橋口監督に、作品が生まれる経緯や、オリジナル脚本に込めた思い、そして演出方法についてお話を伺った。
 

――2011~12年に『二十四の瞳』の予告編を作られていますが、その当時の橋口監督の状況をお聞かせいただけますか? 
橋口監督:当時はまだ自分自身、映画を撮るまで気持ちが回復していませんでしたが、木下監督の作品を観て、救われる思いがしました。震災に遭われ、なぜという思いで過ごしている方はいっぱいいると思います。木下監督の『二十四の瞳』で、家族のために働きながら肺病を患い、たった一人で死んでいく少女に高峰三枝子演じる大石先生が「そうね、苦労したでしょうね」と一声かける場面があります。台詞としてはシンプルですが、あの一言で少女はどんなに救われたことか。僕の場合、個人的になぜと思う状況に置かれていたときに、誰も話を聞いてくれる人がいなかったのですが、戦争や犯罪被害や自然災害などで人生が大きく揺れ動いたときに、それでもなんとかしてやっていこうと思うきっかけになるのは、人だと思います。 
 

■やはり演出が好きだと気付いたワークショップ「もう一度映画をやってみよう」

―――ご自身の辛い状況を経て、再び映画を撮ろうと思ったきっかけは?
橋口監督:『恋人たち』でもプロデューサーを務めてくださった深田誠剛さんが映画を撮ろうとずっと言ってくださっていたのですが、僕自身は映画に対するモチベーションが全然なかったのです。すると、まずはワークショップからと、今回主演した3人を含め、初めて若い役者さんたち45人と一緒に4日間のワークショップを行いました。人を好きになると、本来の自分ではない情けない自分が現れる。そんな恋愛劇をやってみましょうと、疑似恋愛をしながら本当の自分を探りましたが、とても良かった。僕がアドバイスをしたことで、相手が変わり、面白いものが生まれてくるのです。引きこもりで、人前でなかなかしゃべれなかった人が、パッと変わる瞬間があると、本当に感動的です。僕はやはり演出が好きなのだと、改めて気付きました。そこからもう一度映画をやってみようと思ったのです。 
 

■たとえ未熟でもいいから表現の強さを信じ、8ミリで撮っているつもりで臨む。

―――7年ぶりの新作でしたが、どんな気持ちで撮影されたのですか?
橋口監督:30歳のときに『二十歳の微熱』を撮った感覚に近かったです。あの時は僕も、出演者も含めて全員素人で、何をやっていたか分からなかったけれど、撮ってみると大ヒットした作品でした。今回も、素人の方たちを使って映画を撮るとなったとき、どういうタッチで撮ればいいのか、しばらく試行錯誤していました。僕自身、自主映画出身なのですが、ちょうどワークショップと同時期に自主映画の審査をやらせていただくようになり、再び自主映画を大量に観ることになったのです。何本かはすごくいい作品があり、十分に作家と呼べる思いの強さを秘めていました。そこで、今回の映画はたとえ未熟でもいいから、そういう表現の強さを信じてやってみようと思い、8ミリで撮っているつもりで臨みました。撮影していると、『二十歳の微熱』の頃を思い出し、気持ちがぐっと元に戻った感じです。
 
 

■僕の映画は、役者が「役を通じて自分の人生を生き直す」存在になっている

koibitotachi-240-2.jpg

―――主役3人、それぞれのキャラクターが演者の個性に合っていたと思いますが、特に瞳子役の成島さんのリアルな主婦像と変貌ぶりに驚かされました。
橋口監督:成嶋さんは昔お芝居をしていたときもあったそうですが、まさか自分にスポットライトが当たるとは思っていなかった。ただ演じたいという気持ちで参加したと思います。彼女が演じる瞳子も、姑と夫との生活を別に不幸だとは思っていません。これが生活だと思っているけれど、どこかに今の私ではない自分を求める部分があったのでしょう。そんなときに、光石さん演じる藤田にさらりと声をかけられ、「あっ」と思う。ときめきの表情をみせる瞳子が段々少女のように見えてくるのです。不幸ではないけれど、別の人生を望む自分が瞳子の中にはあり、それと成嶋さんがシンクロし、彼女は瞳子を通じて自分の人生を生き直していました。『ぐるりのこと』の木村多江さんやリリー・フランキーさんもそうです。僕の映画は役者さんが「役を通じて自分の人生を生き直す」存在になっているのではないでしょうか。役者のみなさんに取材をして、そのエピソードを台本に入れようとはしません。僕の作った人物像に、「この人だったら合うかな」という勘ですね。
 

koibitotachi-240-1.jpg

―――ワークショップから選ばれた3人を主演にして映画を撮るにあたり、キャスティングや演出で配慮した点は?
橋口監督:ご覧になった方から「素人だから下手だったね」と言われたら失敗です。全員が同じ力でそこにいなければならなかったので、僕の神経をそこに集中して作りました。今の若い俳優たちは、テレビドラマを見てお芝居を覚えるので、皆同じ芝居をするのですが、そうではないということをワークショップでも言いました。「それぞれの奥にある個性が出て、切実に感じられるように」と。ワークショップでは、演技経験が全くない人や、逆に前に出てくるような人も混じった中に演技の上手い人が2、3人いると、全体的に演技がぐっと上手くなるのです。最初は戸惑っていた人も、上手い人の演技を真似て表現するうちに、面白いものが出てきます。そうなると、他の人も触発され、最終的にはとてもいいワークショップになって終わります。だから、今回もプロの俳優が主役の3人に均等に絡むようにキャスティングしました。成嶋さんは光石さんや木野さんといったベテランとも絡み、ヌードにもなります。こちらも随分気を遣いながら見ていたのですが、全然緊張せず、すごくリアルなトーンが出せました。存在感は抜群だったと思います。主演だけはワークショップの中から選ぶという趣旨ではじまった作品で、こういう形の映画作りをするのは今では珍しいのですが、上手くいったと思います。
 
―――3人とも独白するシーンがあり、本音を吐き出す場所の大切さを感じさせます。
橋口監督:誰しも、なかなか自分の本音や胸の内を話せる相手はいないと思います。皆、色々なことを飲み込んで生きているのでしょう。主人公の3人が話すときは、相手はいるけれど聞いていないとか、電話が切れているのにしゃべっているとか、しゃべっているけれど相手は死んでいるとか、相手がいない中での恋愛で、それを『恋人たち』に集約させています。
 

■普段誰にも言わない本当の声が書けた。人を絶望させるのも人ならば、人に希望を抱かせるのも人。

koibitotachi-240-5.jpg

―――ただ心情を吐くのではなく、胸の奥にある本当の声が突き刺さる気がしました。
橋口監督:今回、一番いい台本が書けました。それは完成度が高いというのではなく、3人、特にアツシのあの語りで、普段誰にも言わない本当の声が書けたと思っています。色々なことを飲み込んで生きている人がこの作品を観て「ここに同じ思いがある」と思うだけでも、ちょっとした日常の支えになってくれたらいいなと思います。人間は気持ちの揺れが不安になり、色々なことに頼ってしまうのですが、本来人間はそんなものですから。そんなときに誰かに一声かけてもらったり、ちょっと飴玉をもらったりするだけで、少し気持ちが上がります。ほんの些細なことの積み重ねで、なんとか今日と明日がつながって、生きていこうと思える。『ぐるりのこと』でも思いましたが、人を絶望させるのも人ならば、人に希望を抱かせるのも人だという気持ちを、今回また新たにしました。
 

■個人の些細な苦しみの話、その、そこかしこから今の日本が見えてくれたらいい。

koibitotachi-240-4.jpg

―――人物を離れて、過去の東京で起こっていたこと、現在の東京で起こっていることが物語に散りばめられていますが、脚本を書く際に念頭に置いていたことは?
橋口監督:今回は100%ゼロからスタートしなければならず、それを完全オリジナルで書くのは難しいです。ただ、ワークショップから選ばれた3人がいますので、彼らの個性を生かしたものにしなければならない。長編だと、自分に引き寄せ、自分のモチーフで作らなければストーリーがもちません。予算がなかったので、『ぐるりのこと』のように10年に渡る様々な事件を盛り込むような形はとれませんでした。でも作品となって小さくならないように、どうやって今の日本を織り込み、作品に広がりを感じてもらえるか考え、製作費や彼らの演技力の様子を見て試行錯誤をし、3本の話が絡むようで、絡まないようなストーリーにしました。
 
俯瞰で見たような作品ではなく、個人の些細な苦しみの話ですが、その、そこかしこから見えてくれたらいいと思っています。安藤さん演じる晴美の皇室詐欺も、有栖川宮詐欺事件を元にしていますし、瞳子が雅子さまの追っかけをしていたというエピソードも含め、今の日本の空気を感じてもらえればと思ったのです。
 

koibitotachi-240-3.jpg

―――自己中心で、周りに思いやりを持たないイヤなキャラクター四ノ宮も、恋心を隠して友達づきあいしてきた聡(山中聡)夫妻から思わぬ中傷を受けます。

橋口監督:四ノ宮のエピソードのように、今の日本では弁明すら聞いてもらえません。「いじめってマスコミが作ってるんでしょ」とサラリというシーンがありますが、そういった中傷がネットの世界でも多く、いわれのないことを言及されて傷つくのです。オリンピックのエンブレム問題も、ジャッジする側がきちんとジャッジをし、批判がきても方針をきっちり説明すれば、子どもたちも納得するでしょう。何が本当で、何を信じて生きていけばいいのか分からないのが問題ですし、気持ち悪い。そこも感じてもらえると思います。

 
―――ラストシーンは川から東京の街を映し出していきますが、その狙いは?
橋口監督:今回は最後にタイトルを出そうと思っていたので、青空と川の風景の上を選びました。それを見て、これはアツシが今まで見てきた風景なのだろうなと思ったのです。アツシは孤独に生きてきて、(仕事で)舟の上に浮かんで「アイツ、ぶっ殺してやる」と言いながらも人が好きなのです。川から人間を見ていたのでしょう。これはやや深読みになりますが、僕は川からの風景を見ていると、震災を思い出します。「大都会の建物たちが、一瞬にして無くなってしまう。人の営みって何だろうな」と。
 
―――どん底から抜け出せないままのように思えたアツシにとって、職場の先輩、黒田(黒田大輔)の存在は大きな救いになりましたね。
橋口監督:アツシに輝く希望は訪れないし、黒田は輝く希望をもたらしはしないけれど、黒田のように寄り添う人がいないと、人生は辛すぎますよね。アツシの働く職場の人間は皆ヤンキーですが、裏表がないし、だからこそ救われます。「なんか、暗いですよね~」なんて言うぐらいの女の子と一緒になる方が、アツシは幸せになるのかもしれません。普通の映画なら、深い哀しみの後には女性と出会い、深い愛情に癒されていくものですが、今回は別の恋愛で救われるような展開にしたくなかった。ご覧になった方が、アツシの未来を考えて下さればいいなと思っています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『恋人たち』
(2015 日本 2時間20分)
原作・監督・脚本:橋口亮輔
出演:篠原篤、成嶋瞳子、池田良、安藤玉恵、黒田大輔、山中聡、山中崇、内田慈、リリー・フランキー、木野花、光石研他
2015年11月14日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒http://koibitotachi.com/
 

sugino5.jpg

杉野希妃、最新主演作の見どころ&復帰後の心境を語る
『3泊4日、5時の鐘』記者会見&インタビュー
 

~作品の中の誰かに共感したり、反発したりするうちに自分を見つめ直せる「ミラーボール」のような映画~

 
日本を代表する名匠小津安二郎監督の定宿・茅ヶ崎館を中心として描かれる、ちょっと大人の青春群像劇『3泊4日、5時の鐘』。新鋭、三澤拓哉監督が脚本も担当し、長編デビューを果たした本作は、4月に北京で開催された第5回北京国際映画祭で注目未来部門、最優秀脚本賞を受賞しただけでなく、続々と海外映画祭出品が決定している。日本でも9月から東京で公開され、杉野希妃をはじめ、『花宵道中』の演技も記憶に残る小篠恵奈、キム・ギドク監督最新作『STOP』で主演を務め、今後更なる活躍が期待される青年団の堀夏子、本作でスクリーンデビューを果たした新星、福島珠理と4人の女たちの火花散るリアルな女子トークや、思いを寄せる男性とのすれ違いぶりが共感を呼んでいる。
 
chigasaki-story-44.jpg
 
9月末に大阪、シネ・ヌーヴォXで開催された記者会見では、今冬、ロッテルダム国際映画祭来訪時の交通事故で長期療養中だった本作の主演兼エグゼクティブプロデューサーの杉野希妃が、約9カ月ぶりに報道陣の前に姿を見せ、記者からの質問に笑顔で答えた。シネ・ヌーヴォは、大阪アジアン映画祭2011で主演兼プロデュース作『歓待』を上映して以来、映画祭や新作公開の際必ず訪れていた、杉野にとってはまさにホームのような場所。冒頭の挨拶では、杉野も記者団も感極まって涙が混じる一幕もあった。
 
記者会見後の単独インタビューでは、『3泊4日、5時の鐘』についてのお話だけでなく、復帰した今だからこそ明かせる入院中の心境、そして今後の抱負をざっくばらんにお聞かせいただいた。その内容をご紹介したい。
 

<記者会見>
━━━復帰した現在の心境をお聞かせください。
見慣れた顔が揃っていらっしゃるので、それだけで目が潤んでしまいました。東京でも感傷的になることはなかったのですが、大阪はホームなのだと改めて思いました。本当に表舞台に立つことができるのか、事故後一カ月ぐらいは分からなかったので、今日はこのように記者会見の時間をいただけて、本当にうれしいです。ありがとうございます。
 
━━━『3泊4日、5時の鐘』について、制作の経緯を教えてください。
監督の三澤くんは、2012年から私のアシスタントとして活動しています。私の初監督作『マンガ肉と僕』では制作を、2作目の『欲動』では助監督を、短編の『少年の夢』ではプロデューサーを務めてくれました。『欲動』撮影の直後、「日本映画大学を卒業する前に一本、私の会社(和エンタテイメント)で監督作を作ってみてはどうか」と私から声をかけました。そこから三澤くんがプロットを書き、一緒に作った作品が『3泊4日、5時の鐘』です。ロッテルダム映画祭に到着した日に『3泊4日、5時の鐘』の舞台挨拶をし、その直後に交通事故に遭ったので、この作品には色々な思いが入り交じっています。日本の公開を迎えて嬉しいです。
 
chigasaki-story-copy.jpg
━━━杉野さんの今までのイメージを逆手にとったようなキャラクターが非常に面白かったです。三澤監督と一緒に作り上げていったとのことですが、どの程度ご自身を分析して、キャラクターに反映させているのでしょうか?
私は、いつも様々なキャラクターを演じるとき、自分のようであり、でも自分とは違うと感じています。本作の真紀はジェットコースターのようなキャラクターだったので、悩むというより、「こんな時に、こんな感情が湧くのか」とどこか客観的に思いながら、楽しんで演じることができました。脚本に関しては、キャラクターを増やして物語を肉付けしたり、台詞についてのアドバイスなどは私も一緒に行いました。ただ、基本的には三澤くんの観察力や女性に対する目線が、全面的に反映されていると思います。
 
━━━トランプや卓球など、オーソドックスな遊びをする中でそれぞれの思いを交差させる演出が光りましたが、どのような意図で取り入れたのでしょうか。
卓球は、ピンポン玉の打ち合いから人間関係がどう変わっていくかを描くために、どうしても取り入れたかったそうです。三澤くんの中に「積み重ねていく」「ペア探し」というモチーフがあり、トランプや、遺跡を発掘するシーンなどで、そのイメージを反映させています。
 
━━━以前のインタビューで、三澤監督は「ご当地映画みたいに、その場所だけで終わってしまう作品にはしたくないという思いがあった」と語っておられましたが、企画段階でどのような話し合いをされたのですか?
ある監督の言葉で印象的だったのが、「ローカルを描けば描くほど、ユニバーサルになる」。まさにその通りだと思います。深田監督の『歓待』は、東京の下町を舞台に、ローカルなものを描いたからこそ、ユニバーサルなものが生まれたという感覚が私自身の中にあります。この『3泊4日、5時の鐘』も、非常にローカルなことを描いていますが、地元の方も、海外の方も楽しめる作品にしたいという気持ちがありました。現在、海外の映画祭に招かれていますが、それは作品を受け入れていただけた結果と捉えています。
 
━━━プロデューサーや女優、時には監督と一人で様々な役割をこなしていますが、仕事の違いや、特に気を付けていることはありますか?
自分の中では、特に違うことをしている感覚はありません。私は2008年頃からプロデュースの仕事を始めたのですが、経験のない中、女優業と兼務だったので、周りからは怪訝な顔で見られることも多かったです。ですから、私よりも年下世代の人たちには、一緒に映画を学び、作っていける場を提供していけたらと考えています。私は、まだまだ肉体を使って表現していきたいので、自分がプロデュースに入っていなくても、女優として作品に参加したいですし、逆に女優として出演せず、監督だけに専念することもいずれあるかもしれません。色々なことに挑戦していきたいですね。
 
━━━これからご覧になる皆さんに、どう観ていただきたいですか?
自分が作った映画に関して「こういう風に観てほしい」という考えは、一切ありません。逆にみなさんが、全然違うことを考えて下さった方が面白いのではないでしょうか。『3泊4日、5時の鐘』はミラーボールのような映画だと思っています。作品の中の誰かに共感したり、反発したりするうちに、それが自分に跳ね返り、「私ってこういう人間なのかな」「こういう面があると思っていたけれど、違うのかも」と見つめなおすことができるのではないでしょうか。男性からしてみたら女は怖いと思うかもしれませんし、ガールズトークの話のネタにできます。お酒のつまみになりそうな映画ですね。
 

<インタビュー>
 

chigasakipostermini.jpg

━━━三澤監督は、脚本も初めての作品となりますが、杉野さんはかなり評価されていたのですね。

2012年から三澤くんとは一緒に仕事をし、色々な作品の脚本を見てもらったり、企画段階から参加してもらい意見を聞いていました。20代とは思えない映画の知識量の豊富さや、モノの見方の鋭さを持っていますし、観察力も非常に優れています。真面目な好青年ですが、少し斜めからモノをみているような発言もするので、監督として絶対いいものを作ることができるという直感が私の中にありました。彼は元々プロデューサー志望だったのですが、ウディ・アレンが好きだと言っていたので、「自分で出演し、監督もすればいいじゃない」とずっと話していました。今回は初監督作品なので、演出に集中し、出演は控えたようですが。

茅ヶ崎を舞台に、女たちのリアルなセリフがこだまする青春群像劇~『3泊4日、5時の鐘』三澤拓哉監督インタビューはコチラ
 
━━━三澤監督と同じく、本作で映画初出演を果たし、杉野さんのように女優兼プロデューサーの道を目指している福島珠理さんへ、何かアドバイスはありますか?
色んな困難はあるかもしれませんが、めげずに本当に頑張ってほしいですね。自分自身の中にある固定観念や、周りにある固定観念もどんどん取っ払っていきたいという思いがありますので、福島さんのような若い世代から作り手にも演じ手にもなりたいという人が出てくることで、日本映画界の風通しも良くなる気がします。
杉野希妃に続く、女優兼プロデューサーを目指して!『3泊4日、5時の鐘』でスクリーンデビューの新星・福島珠理さんインタビューはコチラ
 
━━━今回の杉野さん演じる真紀は、一生懸命すぎるところが逆に空回りする、コメディエンヌ的要素のあり、今までにない魅力がありました。
脚本を読んだときに、ジェットコースターみたいな感情の起伏が激しい性格で、変わり者だなと思いましたが、どこか共感できる部分もあり魅力を感じました。真面目で一生懸命なところがいつも空回りしていて、後から客観的に見ると痛々しさが笑えますね。(大阪アジアン映画祭のQ&Aで一生懸命すぎる真紀に共感したという声が挙がっていたという話を聞き)それは、とてもうれしいです!
 

sugino1.jpg

━━━仕事に復帰するまでの半年間は、復帰した今から思うと長かったですか?
入院している間は長いなと思っていましたが、今から思うと短かったような気もします。入院中は、色々な方からお手紙をいただいたり、メールをいただいたりし、今まで感じていなかったような感情が湧いてきました。そして、空っぽの言葉と心からの言葉の違いにもより敏感になりました。今後は言葉一つにしても、自分の気持ちに素直になり、自分の心と言葉を一体化させるような作業を丁寧に行っていきたいです。
 
━━━映画制作の現場を離れている間は、映画と客観的に向き合う時間にもなったのではないかと思いますが、これから撮りたい作品ややりたいことに変化が起きましたか?
当初は、また表舞台に立てるかどうか分からないという絶望感があったのですが、色々考えても、改めて「映画と心中したい」と思いました。寝たきりの時はベッド上で撮影が可能なお話を、車椅子の時は車椅子で可能なキャラクターを考えたり…。どうやったらその時の状況下で映画作りや演技ができるのか考えていましたが、考えている内に体はどんどん回復していきました。今まではがむしゃらに映画を作ってきた訳です。ただ、映画とは向き合ってきたけれど、一番重要な自分とは向き合ってこなかった。今回思わぬ時間が与えられたことで、映画と向き合うだけでなく、自分とも向き合えました。
 
━━━なるほど、自分自身と向き合い、映画への思いを再確認されたのですね。
私たちは「生きるも死ぬも表裏一体」という曖昧な中で、生きています。だから、誰も見たことのないものを見たいし、誰も解読できないことを映画制作しながら探っていきたい。それが、自分の表現方法なのだと思い知らされました。答えがすでにある上で映画を作るという方法は、私には向いていません。むしろ、宇宙の不思議を探る研究者のような感覚で、映画に接している気がします。
 
━━━「映画制作をしながら探る」という杉野さんのスタンスは、過去作品を思い返しても頷けます。療養生活を経た今、映画で描きたいことや実現させたいアイデアはありますか?
入院中は音楽が印象的な、死にまつわる作品にも数多く触れながら、生と死のはざまのミュージカルのようなものを私なりに描いてみたいという思いが強まりました。今まで私が手がけたものは、人間の感情や社会問題をえぐり出すような作品が多く、あまりキラキラしたものは描いていません。何かのはざまにいるからこそ輝くようなものを作ってみたい。色々な国の方が出演するような無国籍のミュージカルも、いつか実現させたいです。
(江口由美)
 

<作品紹介>
『3泊4日、5時の鐘』
(2014年 日本 1時間29分)
監督:三澤拓哉 
出演:小篠恵奈、杉野希妃、堀夏子、福島珠理、中崎敏、二階堂智、栁俊太郎
2015年10月31日(土)~シネ・ヌーヴォ、11月21日(土)~元町映画館、京都みなみ会館他全国順次公開
 
<ストーリー>
花梨(小篠恵奈)と真紀(杉野希妃)は休暇を取り、茅ヶ崎の老舗旅館・茅ヶ崎館に訪れる。元同僚で同館の長女でもある理沙(堀夏子)の結婚パーティーに出席するのが目的だったが、花梨は茅ヶ崎館でバイトする大学生、知春(中崎敏)にちょっかいを出す一方、生真面目な性格の真紀とは衝突してばかり。花梨のせいで予定を狂わされ、腹ただしさを隠せなかった真紀だが、大学時代のゼミの教授、近藤(二階堂智)と偶然再会し、気分が高まっていく。近藤ゼミのゼミ長を務める彩子(福島珠理)は、同じゼミの知春に思いを寄せる一方、仲良さそうにしている花梨のことが気にかかって仕方がない。理沙の弟の宏太(栁俊太郎)も加わった男女7人の関係が、次第に絡まりあっていくのだったが・・・。
 
 
 

sayonaranokawarini-ki-550.jpg一瞬一瞬を大切に生きよう!『サヨナラの代わりに』ヒラリー・スワンク記者会見@TIFF2015
(2015年10月23日 六本木アカデミーヒルズにて)
 

・原題:You‘re Not You
・2014年 アメリカ 1時間42分
・監督:ジョージ・C・ウルフ
・出演:ヒラリー・スワンク『ミリオンダラー・ベイビー』『P.Sアイラヴユー』、エミー・ロッサム『オペラ座の怪人』、ジョシュ・デュアメル、ロレッタ・ディヴァイン、マーシャ・ゲイ・ハーデン
・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒ http://sayonarano-kawarini.com/
・コピーライト:©2014 Daryl Prince Productions, Ltd. All Rights Reserved.
・配給宣伝:キノフィルムズ

・公開日:2015年11月7日(土)~ 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー!


 

★逆境にも前向きに生きる姿を圧倒的演技力で魅せるヒラリー・スワンク
 劇中歌を作詞作曲したエミー・ロッサムとの強力タッグに自信を見せる

 

困難に立ち向かう生き方が似合う女優、ヒラリー・スワンク。2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いた演技派女優が、苦境の中でも一瞬一瞬を大切に生きる喜びにあふれた物語に感動して、自らプロデュースを買って出たが映画『サヨナラの代わりに』が11月7日から日本でも公開される。10月22日から開催された《東京国際映画祭2015》でも特別上映され、2度目の来日となったヒラリー・スワンクが記者会見に臨んだ。
 

sayonaranokawarini-550.jpg聡明な美人で誰もが羨むような人生を送っていた主人公ケイト(ヒラリー・スワンク)が、難病ALS(筋委縮性側索硬化症)発症という苦境に陥る。ヘルパーとして雇った歌手志望の学生ベック(エミー・ロッサム)との日々を通して、対照的な二人がお互い影響し合いながら、苦境の中でも自分らしく生きる喜びに目覚めていく。次第に言葉も不自由になり四肢も委縮して動けなくなる過程や、様々な感情を目で表現する難しいキャラクターを、大きな存在力と演技力で力強く生きたヒラリー・スワンクはさすがだ。


性同一性障害がまだ今ほど認知されていなかった時代、男性として生きようとした女性の悲劇を描いた『ボーイズ・ドント・クライ』(‘99)で世界を驚かせ、その5年後のクリント・イーストウッド監督と共演した『ミリオンダラー・ベイビー』(‘04)では一途な想いを貫こうと悲運に見舞われる女性ボクサーを演じて、人気実力共に演技派女優の名を不動のものにしたヒラリー・スワンク。いつも彼女の目力に惹き付けられ、彼女が歩むハードな人生に衝撃を受けてきた。彼女の素顔が知りたくて、一番会いたい女優――それがヒラリー・スワンクだった。


白の総レースのミニワンピースに黒のピンヒールをはいたヒラリー。引き締まったスリムなボディに満面の笑みを浮かべて登場。ひとつひとつの質問に丁寧に自信をもって応じていた。
 



――― 最初のご挨拶
sayonaranokawarini-ki-240-1.jpg皆様こんにちは。再び東京に戻って来られてとても嬉しく思っております。日本の美しい文化や美味しい食べ物を楽しんでおります。

――― 本作では主演だけでなくプロデューサーも務められていますが、制作のキッカケは?
とても美しい物語だと思ったからです。ALSについてはまだ原因も治療方法も解明されていません。二人のキャラクターは苦境の中で予期せぬことで友情を育むことになりますが、そこに人生の美しさや日々の瞬間を大切にしなければと思わせてくれる素晴らしいストーリーだったのがキッカケです。

――― 難病に侵されるケイトを演じてヒラリーさん自身が得たものは?
役者の素晴らしいところは、キャラクターを演じることで一人の人間として沢山の贈り物を得ることです。そのキャラクターの目を通して違う世界を見ることができ、私自身の視野がどんどん拡がっていくように感じられます。ケイトからも、人生は今の瞬間しかないのだから大切に生きなくてはならないということを学びました。また、人生で大切なのは、100%あるがままの自分であることだし、自分自身をちゃんと見てもらうことだと思うんです。ベックはケイトに贈り物をしているようですが、ケイトもまたベックに同じ贈り物を返しているんです。

――― もし、自分が限られた時間しかないとしたら、何をしたいですか?
私は本当に恵まれていると思います。いろんな役をやる度に、世界観が拡がり、世界中を旅して、自分とは違うタイプの人々と触れ合える、それが人生を豊かにしてくれています。数年前、愛する家族との時間を大切に生きていこうと誓いました。それはこの作品に出会ったからです。「一瞬一瞬を大切に生きる」これは「ポケットリスト(死ぬまでにしたいこと)」の一つであり、私は今生きているんです。

――― エミー・ロッサムを選んだ理由と共演した感想は?
sayonarakawarini-500-2.jpgエミーは素晴らしい才能を持った女優さんです。今回はオーディションだったのですが、私はオーディションの時違う作品の撮影のため立ち会えませんでした。後でエミーのテープを見た時に、彼女しかいない!と実感しました。プロデューサーも兼務していますので、こうしてキャスティングにも関われて、エミーを選ぶことができて本当に良かったと思っています。彼女は自由奔放なベックの心理状況を正確に掴んで演じてくれたので、彼女との共演は本当に本当に素晴らしいものでした!

――― 去年、ALSについて動画サイトを使った大規模なキャンペーンが行われましたが、その影響はあったのですか?
私も本作を手掛けるまでALSについては何の知識もありませんでした。あのキャンペーンを通じて世界中の多くの人々がALSに興味を持ってくれて、研究が進むように社会全体が動いてくれたことはとても有意義だったと思います。ただし、『サヨナラの代わりに』の撮影はあのキャンペーンの前に終わってましたので、タイミングは合ったという次第です。

――― 「一瞬一瞬を大切に生きることが大切」と仰ってましたが、どんなことをされているのですか?
sayonaranokawarini-ki-240-3.jpg例えば、誰かのことをふと思い出した時、「どうしているかなあ」とただ思うだけでなく、電話したりメールしたりしています。今チャリティを立ち上げる準備をしていますが、子供たちと捨てられた犬との触れ合いを通じて責任感を育んで行こうという意図です。何事も最初は大変ですが、充実した時間を過ごせます。それから、仕事からもすべて離れた1日オフの時間を取るようにしています。犬と遊んだり、散歩したり好きな本を読んだり、自分のための時間を必ず設けるようにしています。それ以外にも次のプランのために常にアンテナを張っているので、正直自分の時間を作るのはとても難しいですね。

――― 日本の学生に向けてのメッセージをお願いします。
全ての人は人生における生徒だと思います。別に学校へ通ってなくても、生きていく上でどんな逆境に在っても、諦めないで、乗り越えていくことが大変重要なことだと思います。若い時、自分を定義するのは自分自身でやるべきで、自分のために何が必要なのかを考えるべきです。自分のやりたいこと、自分の夢を叶えるために必要な事柄を日々選択していく生き方をすることが大切です。

sayonaranokawarini-ki-240-2.jpg――― しばらく休業されていましたが?
さあ?どうしていたかしら?(笑)実は父が肺の移植手術をして、その看病のため1年間仕事を休みました。

――― アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督とコラボされるとか?
はい、イニャリトゥ監督は素晴らしい監督ですので、一緒に仕事ができるのをとても楽しみにしております。まだレオナルド・ディカプリオの映画を撮っている最中ですので、もうしばらく後になりますが。

――― アニメ映画の声優もされていますが?
凄く楽しかったです。2日間だけでしたが、もっとやりたかったです。機会があればまたやりたいです。

――― オスカーのシーズンになると、受賞した時のことを思い出したり、また3つ目が欲しいと思ったりして落ち着かないのでは?
8歳で女優になりたいと思った頃は、ただいろんなキャラクターを演じたいと思っていたので、オスカーのことなど想像もできませんでした。でも受賞することはとても光栄なことです。また、オスカーのシーズンはとてもマジカルなシーズンでもあります。自分が関係している作品は勿論ですが、他の作品も観る機会が増えますし、多くの方が注目して見て下さるので、ノミネートされただけでも大きく違うのです。



sayonaranokawarini-ki-500-1.jpg「8歳の時に女優になりたいと思ってから、人生の大半を女優として過ごしてきました。人生にインスピレーションを与えてくれる様々なキャラクターを生きられることに心から感謝しています」と語るヒラリー・スワンクの謙虚さこそ、真っ白な状態でそのキャラクターを生きられる秘訣かもしれない。

 (河田 真喜子)

『レインツリーの国』 映画公開記念
オリジナル ミラー プレゼント!

  

raintree-pre.jpg■  提供:ショウゲート

■  募集人員: 2 名様

■ 締切:2015年11月30日(月)


2015年11月21日(土)~ TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条)、大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、イオンシネマ京都桂川、OSシネマズミント神戸、109シネマズHAT神戸 ほか全国ロードショー!! 

★公式サイト⇒  http://www.raintree-movie.jp

『阪急電車』『図書館戦争』シリーズの有川浩が贈るロングセラー恋愛小説、ついに映画化!
玉森裕太(Kis-My-Ft2)×西内まりや  今年最高に心ときめく感動のラブストーリー

 


 raintree-log.jpg    
それでも好きと伝えたかった――
玉森裕太(Kis-My-Ft2)×西内まりや フレッシュなふたりと豪華キャストの共演
まっすぐな「想い」と「言葉」が紡ぐ、珠玉のラブストーリー


<STORY>
raintree-550.jpgまだ会ったことのない君に、恋をした。きっかけは伸が高校時代に好きだった「忘れられない本」。そこから「レインツリーの国」というブログの管理人であるひとみとメールで繋がり、彼女に惹かれていくー。「直接会いたい」という伸。「会えない」というひとみ。頑なに会うことを拒む彼女には、言い出せない「秘密」があった…。「秘密=感音性難聴」を抱え、自分の殻に閉じこもっていたひとみ。パソコンの中に作ったブログ「レインツリーの国」は、唯一「秘密」を気にせず、活き活きと「言葉」を綴れる場所。そこに伸が現われ、ひとみに変化が訪れる。想い合うあまり、恋に傷つき迷う2人。本当の〝障害″を乗り越えたとき、現実の世界に2人の「レインツリーの国=ときめきの国」を見つけることができるのかー。

 


■出演:玉森裕太(Kis-My-Ft2)、西内まりや、森カンナ、阿部丈二、山崎樹範、片岡愛之助(特別出演)、矢島健一、麻生祐未、大杉漣、高畑淳子
■原作:有川 浩『レインツリーの国』(角川文庫刊) 
■監督:三宅喜重『阪急電車 片道15分の奇跡』『県庁おもてなし課』  ■脚本:渡辺千穂  ■音楽:菅野祐悟
■主題歌:Kis-My-Ft2「最後もやっぱり君」(avex trax) 
 2015/日本/108分/ショウゲート (C)2015「レインツリーの国」製作委員会

2015年11月21日(土)~ TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条)、大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、イオンシネマ京都桂川、OSシネマズミント神戸、109シネマズHAT神戸 ほか全国ロードショー!! 

RIMG2478.JPG

プロデューサーが語る異色吸血鬼ムービー秘話とオーストリア映画事情『吸血セラピー』トークショー@第7回京都ヒストリカ国際映画祭
登壇者:アレクサンダー・グレア氏(プロデューサー) 
    ミルクマン斉藤氏(映画評論家)
 
10月31日から開催中の第7回京都ヒストリカ国際映画祭。2日目となる11月1日は、ヒストリカワールドより『吸血セラピー』(14 オーストリア=スイス)、『フェンサー』(15 ドイツ=エストニア=フィンランド)、『千年医師物語~ペルシアの彼方へ~』(13 ドイツ)の3本が上映され、上映後には映画評論家ミルクマン斉藤氏によるトークショーが開催された。
 
ミルクマン斉藤氏曰く「ヒストリカは歴史映画かと思うギリギリのところを狙ってくる面白い作品が多く、『吸血セラピー』もその部類」と太鼓判を押した作品。ゲストとして、オーストリアより同作のプロデューサー、アレクサンダー・グレア氏を迎えて行われた『吸血セラピー』トークショーでは、冒頭に「オーストリアの映画製作者として地球を半周した日本でこの映画を観てもらえるのはうれしい。作った甲斐があった」と喜びの挨拶をしてから、1930年代のウィーンを舞台にした吸血鬼コメディーの発想のきっかけや、オーストリア映画事情、作品中の諸設定についてミルクマン斉藤氏と興味深いトークを繰り広げた。その内容をご紹介したい。
※『吸血セラピー』をはじめとする、ヒストリカワールド作品は、11月7日(土)22:30より京都みなみ会館で「ヒストリカ・ワールド4作品オールナイト上映」と題した再上映あり。
 
 
his-kyuuketu-550.jpg
 
<ストーリー>
1930年代ウィーン、フロイトはミステリアスな伯爵を患者として迎えるものの、彼が語る妻の愚痴や悩みに、腕のいい画家の卵ヴィクトールを紹介し、伯爵夫人の肖像画を描かせることを提案する。ヴィクトールはモデルのルーシーのことが好きだが、伯爵と姿を消したルーシーに疑惑の目を向ける。一方、伯爵はルーシーに何百年も前に別れた最愛の人の面影を重ねていた。そう、伯爵夫妻は500年もの夫婦生活を続ける超倦怠期バンパイア―夫妻だったのだ。
 

―――グレアさんは本作のプロデューサーとのことですが、かなり精力的に映画を制作されているそうですね。
アレクサンダー・グレア氏(以下グレア氏):ノボトニー&ノボトニー社の社員です。社名となっている社長のノボトニ―氏は、70年代から監督として活躍している方で、私は2007年に入社し、今は一緒に映画を作る仕事をしています。ノボトニー&ノボトニーという社名なのは夫婦でやっているからですが、今はノボトニ―フィルムプロダクションというCMに特化した会社を奥さんが経営しており、夫である監督の方は芸術映画作るという形で、完全に分業した映画制作会社になっています。
 
―――日本でオーストリア映画をなかなか見る機会はありませんが、デイヴィット・リューム監督のバックグラウンドは? 
グレア氏:デイヴィット・リューム監督は両親も芸術肌です。父親は作家で、ウィーンの文学界で70年代に革命を起こしたメンバーの一人ですし、母親はポーランドが東西に分割されていた頃の東側に属するポーランド人で、オペラ歌手です。監督自身も幼い頃はウィーン少年合唱団で歌っていたこともあり、芸術的バックグラウンドを持ちかつ、東西分割時の雰囲気を受け継いでいる家庭に育っています。この映画の中でもその要素を散りばめているのが分かります。ロマン・ポランスキーもそうですが、ポーランドは共産主義の中で独特のコメディーを作る要素があります。
 
作家ということで言えば、映画の中で文学的に面白い対話がされており、それは父親の影響が反映されています。フロイトが夢を見る錠剤をいくつか飲み、分からない言葉をしゃべるくだりがありますが、それは父親が作った実際の作品です。
 
kyuuketu2.jpg
 
―――日本でも映画だけでは食べていけず、CM製作などをすることが多いですが、オーストリアの映画事情は?
グレア氏:オーストリアは、昔は大帝国で文化が花咲いていたのに、第二次世界大戦後、重要な国ではなくなっていると皆認識しています。「昔はすごかった」と嘆くことを我々はオーストリア病と呼んでいます。映画は新しい分野の芸術で、最初は娯楽から始まりましたが、70-80年代、オーストリアの一つの文化となりうるべきではないかという考え方が出てきました。また、80年代には、フランスを中心にヨーロッパでも映画を社会で育てていこうという政策がありました。オーストリアは人口が800万人と少ないですし、そこだけで上げられる収益も少なく、いつもどうやって次の作品のお金を作ろうかと画策しています。オーストリアはドイツ語をしゃべるのですが、かなり方言がキツく、ドイツ人は我々がしゃべるドイツ語をかなり分かりにくいと思っているようなので、この作品では、あえて伯爵は標準ドイツ語をしゃべらせ、ドイツでも作品を受け入れてもらえるようにしています。
 
ただ、人口が少ないことは裏返せば、市場に迎合せず、実験的な作品にも挑戦できるということです。大衆向けではなく自分たちの活路を見い出しています。現在ポストプロダクション中のエゴン・シーレを描いた作品もその中に入るでしょう。
 
―――1932年という時代設定にした理由は?
グレア氏:何年もかけて作られる間に、紆余曲折がありました。リューム監督は最初、精神科医のフロイトに焦点を当てることを考えていました。監督自身もユダヤ人のバックグラウンドがあり、フロイトもユダヤ人ですから。ただ、そこに焦点を当てるとコメディーが成り立ちません。また、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期だと、自動車は登場させられるけれど、まだものすごく交通機関が便利になったわけではない。また登場する景色も現存のものが使える等総合して考え併せた結果、このような設定になった訳です。
 

kyuuketu1.jpg

―――第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期という設定で、少し世紀末的なコメディーになっていますね。
グレア氏:ナチスが台頭しかける時代でもあり、飲み屋から二人の酔っ払いが出てくるところは、台頭するナチスに心酔する人を皮肉る意味も込めて登場させています。フロイトが吸血鬼というものに実際に関心を持っていたのは事実です。吸血鬼は不死で孤独な存在です。アメリカに興味深い研究結果があるのですが、民主党の人が大統領になると吸血鬼を扱う映画が、共和党の人が大統領になるとゾンビ映画が増えるそうです。吸血鬼は個人主義の台頭、ゾンビは大量の人が同じ方向を向くということで映画の傾向で、次の大統領選が分かるという見方もあるかもしれません。
 
―――吸血鬼は東欧からヨーロッパ文明の退廃の象徴のように思いますが、この作品に吸血鬼を取り入れた理由は?
グレア氏:私はオーストリア南部のシュタイマルク地方の出身ですが、そこにあるお城に伝わる本に吸血鬼伝説があります。ルーマニアに行けば実際にドラキュラ伯爵がいましたし、ヨーロッパの退廃というより、人間が普遍的に持つ不安や願望だと思います。不死が願望であり、誰かを噛むというのはたいてい惚れ込んだ人を噛むので、そこから悲喜こもごもが生まれ、ジレンマにも陥ります。アメリカの『トワイライト』シリーズ同様、普遍的なものだと捉えています。
 
―――吸血鬼にはいくつかお約束的な設定がありますが、数えることにこだわる吸血鬼は初めて見ました。吸血鬼の肖像画を書くときに、筆先が拒否するのも面白く、オリジナリティを感じました。このアイデアはどこから思いついたのですか?
グレア氏:吸血鬼が数えることにこだわるのは、色々な伝承にあり、それらを受け継いだものです。吸血鬼を防ぐために、数を数えて時間を稼ぐのも伝承でありますね。監督が(吸血鬼の妻が)鏡に映らないということは、絵にも書けないのではないかと考え、(妻は)うぬぼれているけれど自分の姿を確認できないという設定を絵に反映させようと、我々のアイデアを取り入れました。
 
―――伯爵を演じているのはドイツ映画ファンならなじみの深いトビアス・モレッティさんです。また『ブリキの太鼓』で主演を演じた少年(ダビッド・ベネット)が伯爵の召使役で出演しています。そのあたりのキャスティングについてお聞かせください。
グレア氏:一番最初に探したのは、ルーシー役とヴィクトール役でした。あまり名声もなく、実績がない若い年齢層から選ばなければなりません。また、ルーシーは美人だけど自己主張が強いので、この二人のやりとりが物語の肝になると思い、ここは時間をかけて選びました。トビアス・モレッティさんは以前一緒に仕事をし、今回ドラキュラ役をやってほしいと脚本を送ったところ、すんなり決まりました。
 
ダビッド・ベネットさんはスイス人で、まさに『ブリキの太鼓』で有名になりましたが、それ以来姿を現していないので、やってもらえるかどうか心配でした。今はオーストラリアで演劇の仕事をしていたので、そこまで出向き、「やりたい仕事しか受けない」と言われながらもオファーを受け入れていただけ、非常に幸運でした。ダビッド・ベネットさんは、トム・クルーズの映画にも出演しており、あの人と今回一緒に映画ができるなんてと興奮しました。
(江口由美)

<作品情報>
『吸血セラピー』
(2014年 オーストリア=スイス 1時間27分)
監督・脚本:デイヴィット・リューム
出演:トビアス・モレッティ、ジャネット・ハイン、コーネリア・イヴァンカン、ドミニク・オリー 
 
第七回京都ヒストリカ国際映画祭はコチラ 
 
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76