「京都」と一致するもの

kinmedaru-240-pre-2.jpg『金メダル男』 原作本 プレゼント!

  

★賞品名:映画『金メダル男』原作本

★プレゼント個数:4冊

★締切:2016年11月6日(日)

★公式サイト⇒ http://kinmedao.com/

★2016年10月22日(土)~全国にて大ヒット上映中!
TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、T・ジョイ京都、イオンシネマ京都桂川、OSシネマズ神戸ハーバーランド、109シネマズHAT神戸ほか

 

 


 

 

秋田泉一の情けなくも愛おしい、七転び八起き人生が日本中をトリコにするっ!
内村光良×知念侑李×超豪華キャストが贈る、抱腹絶倒<全力>エンタテインメント!

 

内村光良&知念侑李(Hey!Say!JUMP)の豪華ダブル主演で贈る『金メダル男』が、10月22日(土)より全国公開いたしまして、ただいま大ヒット公開中です。

kinmedaru-500-1.jpgあらゆるジャンルで一等賞になることだけを生きがいにする、その男の名は秋田泉一。オリンピックイヤーに彗星のごとく現れた“金メダル男”が、この秋、とんでもないキセキを巻き起こす!内村にとって3本目の監督作となる本作は、2011年に上演された一人舞台「東京オリンピック生まれの男」がベース。監督のみならず原作・脚本・主演の4役を務め、まさに純度100%の内村ワールドを展開。

内村とW主演で若き日の泉一を演じるのは、かねてより内村に似ていると評判だった(?)、Hey!Say!JUMPの知念侑李。運動神経抜群の知念は、あらゆる種目にチャレンジする泉一にピッタリ!さらに波乱万丈の人生を送る泉一のパートナーとなるヒロイン・頼子を木村多江が演じるほか、驚きの豪華キャスト陣からも目が離せません。内村の熱烈なオファーにより実現した主題歌は、桑田佳祐の書き下ろし楽曲「君への手紙」!美しいバラードのメロディが、映画の余韻を彩ります。


 『金メダル男』

【出演】 内村光良 知念侑李(Hey! Say! JUMP)
木村多江 / ムロツヨシ 土屋太鳳 / 平泉成 宮崎美子 / 笑福亭鶴瓶
大西利空 大泉 洋 上白石萌歌 大友花恋 ささの友間 音尾琢真 清野菜名 竹中直人 田中直樹 長澤まさみ
加藤 諒柄本時生 山崎紘菜 森川 葵 ユースケ・サンタマリア マキタスポーツ 手塚とおる 髙嶋政宏 温水洋一(登場順)

【原作・脚本・監督】内村光良
【配給】ショウゲート


 (プレスリリースより)

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岡山の桃農家役にチャレンジ。「人のつながり、温かさを感じたままに表現した」
『種まく旅人 夢のつぎ木』主演、高梨臨さんインタビュー
 
第一次産業を応援する『種まく旅人』シリーズの第三弾、『種まく旅人 夢のつぎ木』が、10月22日(土)から岡山県先行ロードショー、11月5日(土)から大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、11月12日(土)から109シネマズHAT神戸他全国順次公開される。
 
第一弾は大分県白臼市の有機お茶づくり、第二弾は兵庫県淡路島の玉ねぎ栽培と海苔養殖を描いてきたが、『種まく旅人 夢のつぎ木』では、岡山県赤磐市の桃農家を題材に、数々の地方を舞台にしたヒューマンドラマを世に送り出してきた名匠、佐々部清監督がメガホンをとった。
 
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東京で女優になる夢を諦め、兄亡き後は一人で桃農家を継ぎながら市役所で働くヒロイン彩音には、アッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』をはじめ、映画、ドラマと出演作が絶えない高梨臨。農林水産省から派遣された職員、治を今一番多忙な俳優の一人、斎藤工が扮し、二人が不器用に気持ちを通わせながら、挫折しても諦めず、つぎ木のように夢を膨らませていく様子が描かれる。薄暗い桃畑にオレンジ色の防蛾灯が灯る幻想的な風景や、たわわに実る桃の木、そして春には桜のように美しいピンクの色に包まれる桃の花。赤磐市の自然豊かな情景の中、地元の人たちと支え合いながらこの地に根を張って生きていく彩音を、高梨臨が等身大で演じ、共感を呼ぶ。第一弾で主人公を演じた田中麗奈や吉沢悠、農林水産省の上司を演じる永島敏行と、シリーズならではのつながりをさりげなく感じさせる演出も健在だ。
 
本作のキャンペーンで来阪した主演、高梨臨さんに、岡山県赤磐市での撮影や、「夢のつぎ木」というサブタイトルに込められた意味についてお話を伺った。
 

―――『種まく旅人』シリーズ第三弾であり、岡山の桃農家を題材にした物語ですが、最初オファーされた時の印象は? 
高梨:脚本を読んだときに、人と人とが関わっていく温かい話だと感じました。私は岡山県には行ったことがなく、桃畑の風景も想像できなかったですし、小学校以来、農作業のような形で土を触ったことがなかったので、面白そうだなと思いながら、どんどん想像を膨らませていきました。他にも、脚本に書かれていた防蛾灯がどんな物か分からなかったのでインターネットで調べてみると、とても幻想的だったので、興味が湧きましたね。
 
―――実際にロケで舞台となる岡山県赤磐市に行かれて、どんな発見がありましたか?
高梨:桃の木は見たことがなかったのですが、接ぎ木をして、どんどん横に大きくなっていたのに驚きました。また、ロケのためにお借りした家から畑まで一本道で、撮影中は何度も往復していたのですが、そこを歩くだけで桃のいい香りがして、ワクワクしました。
 
 
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―――高梨さんが演じた彩音はどういう女性と捉えていますか?
高梨:本当に普通の人です。笑ったり、怒ったり何でもしますし、強い部分もあれば弱い部分もあって人間らしいなという印象です。佐々部監督からも、本当にナチュラルに演じてほしいと言われました。「彩音と高梨臨の中間で」と指示されていたので、桃についての知識はもちろん入れましたが、彩音を演じるための特別な役作りはせず、私そのまま。言うならば、「もし私が岡山に住んで、桃農家をやっていたら」という感じでしょうか。
 
―――クライマックスでは、ずっと彩音の様子を気にしていた地元の小学生が走り去るのを、ご当地の桃キャラクターに扮したままの彩音が追いかけるロングショットのシーンがあり、とても印象的でした。
高梨:暑い中、ももちゃん(赤磐市マスコットキャラクター、「あかいわももちゃん」)
の着ぐるみを着て走るのは大変なシーンではありましたが、ももちゃんにはすごく愛着があり、私の分身のように思っていたんですよ。赤磐市の備品で、元々は人が入っていない設定のキャラクターだったそうですが、映画で私が使わせていただいて解禁になったようです。ほぼ順撮りだったのですが、あのシーンでは撮影が終わりかけている淋しさを感じていました。リョウタ役の男の子が本気で走るので、私も走るのが好きですし、負けていられないと思って走りましたね(笑)。
 
―――彩音が桃の収穫や手入れをするシーンも多かったですが、地元の農家の方から手ほどきを受けたのですか?
高梨:収穫がほぼ終わった後に撮影に入ったので、実際には美術の方が包み直して下さったもので撮影したのですが、結構収穫しきれない桃が下に落ちていました。それほど収穫するのは大変だということを、実際に見ることができましたね。収穫の時期には、遠方に住んでいるご家族が手伝いに来られることも多いそうです。撮影中は毎日のように桃や、少し後の時期にはブドウなど本当に贅沢な果物の差し入れをいただきました。暑かったので、氷で冷やして持ってきてくださり、それがとてもパワーになりました。
 
―――映画からも赤磐市の方々が街ぐるみで応援されていることが伝わってきました。
高梨:エキストラの方もほとんどが赤磐市の方々が本当に暑い中協力してくださいましたし、市の職員の方とお食事しながらお話をしていても、映画に対する愛情や、赤磐市を盛り上げたいという話をしてくださいました。私も市長さんをはじめ、赤磐市の方の熱い思いを聞けるのはとても嬉しいですし、宣伝なども頑張らなければ!と思いましたね。
 
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―――東京からやってきた農林水産省職員、木村治役の斉藤工さんも普通の青年を独特のユーモアを交えながら演じていましたが、共演していかがでしたか? 
高梨:斎藤さんは面白いですし、安心できる空気感を作ってくださいました。くだらない話ばかりしていたのですが、私と斎藤さんの関係が、彩音と治の関係にもいい影響を与えているなと思います。たくさん会話をしたので、治がくだらないことを言って、彩音が呆れる等、自然とコミカルなテンポになっていきました。
 
―――佐々部組の常連俳優として、本作でも井上順さんが彩音の桃の取引先である酒屋役、や津田寛治さんが市役所の上司役で登場し、脇を固めていますね。
高梨:井上さんはすごく温かい方で、最初に「ご飯に連れていくから、場を作ってほしい」とおっしゃって、その場があったから佐々部監督ともさらにお話できるようになりましたし、みんなでご飯にも行くようになりました。太陽より明るいのではないかというぐらい、本当に明るい方でしたし、私にも気さくに話かけてくださいました。津田さんは、本当に課長ような感じで、彩音がちょっと舐めかかっている感じで接しているように、私も接することができました。優しいし、面白いし、津田さんが先に撮影が終わって帰られる時は淋しいぐらいでした。本当にいい上司でしたね。
 
―――本作はテーマが「夢」ですが、高梨さんご自身の夢や思い描いていることは?
高梨:とにかくやったことがないこと、知らないことには常にチャレンジしたいというモットーがあります。佐々部監督がおっしゃっていたのですが、本作は「夢のつぎ木」というサブタイトルがあります。彩音は東京で女優になるという夢を諦め、赤磐に帰ってきます。そこで、兄から受け継いだ桃があった。でも品種登録が許可されず心が折れてしまうけれど、斎藤さん演じる治に出会い、また桃を頑張ろうという新しい夢がつぎ木のように生まれ、また伸びていく。それはとても素敵だと思います。夢は必ずしも全てが叶うものでもなければ、達成できないこともたくさんありますが、それは別の夢に向かうような種を撒いているのかもしれません。ダメだったところからつぎ木をして、新しい芽が見えたらいいなと思っています。一つ一つの出会いを大切にしようと、この映画を通じて感じました。
 
―――普通は一度枝が折れてしまうと、挫折してしまいますが、とてもポジティブなメッセージですね。
高梨:「ここはどこですか?」「赤磐です。」というのが一つのキーワードになっているのですが、脚本を読んでいるときはピンとこなかったのです。でも、撮影で3週間赤磐市に滞在し、赤磐市の皆さんと触れ合い、お話するうちに、「ここはどこですか?」「赤磐です。」だけで成立するものを感じました。すごく素敵な街でしたね。
 
―――高梨さんは、20代前半でアッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』、後半で『種まく旅人』に出演され、それぞれご自身のキャリアにも大きな影響を与える作品になったと思います。高梨さんにとって、どのような位置づけの作品と捉えていますか?
高梨:アッバス・キアロスタミ監督の時は脚本も説明もなく、言われるがままに演じていたので、監督に上手く転がされてヒロインの明子が作られていきました。キアロスタミ監督に騙されましたね(笑)。本当にそのままの私で、とても素の自分に近い話し方や反応をしていました。当時は作品を観ても「なんだ、これは」と思ったのですが、数年後見返した時に、このお芝居は、やろうとしてもできないということに気付いたのです。いつでも撮影当時のフラットな状態に戻せるつもりでいたのですが、久しぶりに観ると、これが「自分の中の最高の芝居ではないか」と思うことがあります。それを越えたいと今も頑張っている感じですね。『ライク・サムワン・イン・ラブ』は私にとって運命の作品。これをきっかけにご縁をいただいて、仕事をたくさんさせていただくようになり、知らないうちに色々な技術が身についてきたと思います。
 
今回久しぶりに佐々部監督のような名匠の作品に出演することになり、芝居をフラットにし、監督が余分なものをそぎ落としてくれました。リセットしてくれた作品ですし、とても貴重なものになったと思います。
 
―――最後にメッセージをお願いいたします。
高梨:この映画は桃農家に関することも盛り込まれていますし、岡山県の皆さんが大切に思ってくださる映画になればいいなと思います。誰が観ても楽しめるエンターテイメント性のある人間ドラマですし、岡山県赤磐市で撮影をして感じた、人と人とのつながりがとても密で、温かいからこそ感じるほっこりした部分を、私が感じたままに表現しました。みなさんにも、この映画の温かさを感じてもらえればうれしいです。
(江口 由美)
 

<作品情報>
『種まく旅人 夢のつぎ木』(2016年 日本 1時間46分)
監督:佐々部清
出演:高梨臨、斎藤工、池内博之、津田寛治、升毅、吉沢悠、田中麗奈、永島敏行、辻伊吹、海老瀬はな、安倍萌生他
10月22日(土)~岡山県先行ロードショー、11月5日(土)~大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、11月12日(土)~109シネマズHAT神戸他全国順次公開
 (C) 2016「種まく旅人」製作委員会
 

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珈琲を飲む時間のように「明日も頑張ろう」と思える映画を
『函館珈琲』西尾孔志監督インタビュー 
 
 “映画を創る映画祭”として函館でスタートした「函館港イルミナシオン映画祭」から、シナリオ大賞映画化プロジェクト第一弾として誕生した映画、『函館珈琲』が10月29日(土)からシネ・リーブル梅田を皮切りに、関西ではイオンシネマ京都桂川、京都みなみ会館、元町映画館他順次公開される。  
 
大阪出身の西尾孔志監督(『ソウルフラワートレイン』)がメガホンをとり、いとう菜のはが同映画祭シナリオ大賞を受賞した脚本を映画化。函館にあるアーティストの卵が集う「翡翠館」を舞台に、夢と挫折の狭間でなんとか自分の居場所を見つけようとする30代男女の群像劇をしっとりとした映像で描写。どこか飄々としたクスミヒデオ(赤犬)の音楽や、テディーベア、とんぼ玉、ピンホールカメラの写真などが並ぶアーティストたちの住まいなど、アート好き、カフェ好きが和める雰囲気が漂う。ゆったり珈琲を片手に、肩の力を抜いて楽しめる作品だ。 
 
本作の西尾孔志監督に、このプロジェクトに関わった経緯や意義、脚本から浮かび上がらせたこと、函館で映画を撮った感想についてお話を伺った。  
 

―――本作を企画した函館港イルミナシオン映画祭(以下イルミナシオン映画祭)と接点を持ったきっかけは?  
西尾監督:イルミナシオン映画祭で『ソウルフラワートレイン』と『キッチンドライブ』を上映して下さったのですが、その時同映画祭のシナリオ大賞を受賞したのが、いとう菜のはさんのシナリオだったのです。映画祭に行くと、僕は関係者の皆さんたちと映画を観るのもさることながら、よく飲みに行くのですが、その席で受賞シナリオの監督をやってもらえないかと声をかけられたのが本作につながりました。 
 
 
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 ■社会に認められている自分という確たるものがないまま生きている30~40代を描く。 

―――実際に、受賞シナリオを読んでの感想はどうでしたか? 
西尾監督:自分も含め30~40代の人間が、「大人になる」ということが良く分からないまま、宙ぶらりんに生きている感じがあります。年を取ってきたので、大人の顔つきはしているけれど、社会に認められている自分という確たるものがないまま生きている。10~20代前半の人たちのこれから社会に出ていくドラマは昔からよくあるのですが、いとう菜のはさんの脚本は、30~40代が今どうやって社会で生きていこうかと考えている内容だったので、自分がやりたいテーマと合うと思いました。若い頃は感覚で動きますが、その年代は、まじめに考えすぎて身動きが取れなくなるのです。 
 
―――社会で一度挫折を経験したような年代の青春群像劇とも言えますね。 
西尾監督:菜のはさんとは受賞したシナリオから撮影用の脚本になるまで、かなりやり取りをしました。元々は登場人物それぞれがあまり対立しないので、小道具を盛り込んだりして登場人物が少し感情をぶつけ合う場面を書いては投げてというキャッチボールをしましたね。  
 
―――小道具といえば、皆が待っていた家具職人藪下の代わりにやってきた主人公、桧山は藪下が作った椅子を持ってきます。この椅子は藪下の不在を埋める重要な役割を果たしていました。
西尾監督:そうですね。その椅子には藪下を巡って過去にあったかもしれない様々なことを託しました。ファーストカットは椅子が荷物と一緒に運ばれるシーンです。時子や一子たちは座りますが、桧山はその椅子には座らず、ラストシーンも椅子で終わります。気付かない人も多いでしょうが、よく見ると「そういうことだったのか」と思えるように作り込んでいますし、桧山と先輩藪下との関係も新たな発見があるのではないでしょうか。  
 

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■函館は北海道のラテン。関西でのやり方で映画が撮れると確信した。 

―――西尾監督は今まで大阪で映画を作ってこられましたが、今回初めて函館で映画を作った感想は?撮りやすかったですか?
西尾監督:函館の映画は今まで割と「淋しい」とか「寂れている」という印象があったのですが、映画祭で出会った方たちは、みなさん陽気な方ばかりで、それこそ天神橋商店街のお好み焼き屋に入ったらいそうなおばちゃんとかがたくさんいらっしゃるんですよ。ぐいぐい来る感じで、函館の方自身も“北海道のラテン”と思っていらっしゃるようです。イルミナシオン映画祭の委員長も本当にムードメーカーですし、函館という街の温かさに触れ、僕が今まで関西でしてきたやり方で映画が撮れると思いました。とはいえ、関西色を盛り込み過ぎて、一度プロデューサーから怒られました。「登場人物が全員、関西人のノリになってる!」って(笑)。  
 
―――確かに、函館の方がそんなに陽気だというのは新たな発見ですね。西尾監督作品のカメラマンは今まで高木風太さん担当が多かったですが、今回は上野彰吾さんが担当されています。カメラマンが変わると、随分映画の雰囲気が変わりますね。 
西尾監督:撮影の上野彰吾さん、照明の赤津淳一さん、美術の小澤秀高さんという、この三人の力は非常に大きかったです。高木さんのように同年代の人たちとワイワイ作るという雰囲気ではなく、優しさの中にもどこかピリッとしたところもありました。僕の映画は軽いタッチが多いのですが、上野さんが撮ると重みとしっとりさが出るんです。また美術の小澤さんは、蔵のような場所を人が住んでいる場所に見事に変えて下さいました。 
 

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 ■「なんとなくいい話」より、帰ってからも思い出してもらえるシーンを盛り込んで。 

―――クスミヒデオさんの音楽は西尾さんらしさを感じましたが、今回のコンセプトは? 
西尾監督:音楽は僕の好みを表している部分なので、『ソウルフラワートレイン』から一緒にさせていただいているクスミさんにお願いしました。あまり欝々とした雰囲気にはしたくなかったんですね。上野さんのカメラはしっとりとしていますが、カット割りやカメラの感じ、音楽などの好みはしっかり加えたいなと。ちょっとあがきましたね。先ほどの椅子や音楽にこだわったりすることで、大量生産される地方の観光映画的な作品にはしたくなかったんですね。もちろん函館をいいイメージにしたいという気持ちはありますが、ただ単に風光明媚な場所が出てきたり、なんとなくしっとりとしたいい話で終わるより、映画として帰ってからも思い出すようなシーンを盛り込んでいきました。   
 
―――キャスティングですが、夏樹陽子さんが『翡翠館』館主役で出演されています。 

 

西尾監督:夏樹さんも『あいときぼうのまち』がイルミナシオン映画祭で上映されたときに、函館にいらしています。夏樹さんは最近インディーズ映画にもよく出演されていて、企画や脚本が良ければ出てくださるとのことだったので、読んでいただいて出演を快諾いただきました。  
 
―――劇中の台詞で「この街は流れる時間がちがう」とありますが、実際、函館の時間の流れ方をどう感じましたか? 
西尾監督:大阪とは全然違いますね。真ん中に路面電車が走り、和のテイストが入った洋館もたくさんあります。街の時間の流れ方が上品というか、ええ感じですね。冬になって雪が積もると、また雰囲気が変わります。それに港町なのであか抜けていますね。撮影前、2~3週間先に行って、しばらく住んでいましたが、もし別荘を持てるのなら、函館がちょうどいいなと。自転車で飲みに行けるところもあり、そこにきちんと文化があるという、コンパクトな規模感が本当にいいです。
 
―――今までとは全く違うスタッフとの映画づくりでしたが、それを通じて学んだことは?
西尾監督:プログラムピクチャーではないですが、職業監督なら誰もが経験することを僕は今回初めて経験させてもらいました。なかなか作品を客観視することができなくて、今回は今まで撮ってきたようなコメディじゃないので笑うシーンも少ないこともあり、きちんとお客様に作品が届いたのか分からなくてドキドキしましたが、公開初日に映画好きの友人が好意的なつぶやきをTwitterでしてくれていたのを観て、やっと安心しました。次はオリジナル脚本で映画を撮りたいですね。  
 

■みんなが悩んでいることを柔らかく取り込みながら、コメディー的作品を作りたい。 

―――それは楽しみです。オリジナル脚本の構想は既にあるのですか? 
西尾監督:全部で三本考えています。一つ目はこじんまりとしたコメディーで、都会からアートフェスティバルをしにやってきた人たちを田舎の街づくりNPOが食い物にされるのではなく、逆に食い物にしてしまうピカレスクロマン。二つ目は年代が違う4人の女性が団地で一人暮らしをするオムニバス。三つ目は60代になったらシェアハウスをして、有名アイドルオタク生活を続けようとする人たちのコメディーです。僕は社会をえぐるような硬派な作品を作るタイプでもないし、アートに近いような作家性を出すタイプでもありません。大阪育ちなので、目の前で生活している人の悲喜こもごもや、今みんなが気にしたり悩んでいることを柔らかく取り込みながら、コメディー的なパッケージで作品を作りたい。そういう方向が僕には向いていると思いますね。 
 
 
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 ■『函館珈琲』はイルミナシオン映画祭が資金、スタッフ集めから興行まで全て行った第一作。軌道に乗れば、他映画祭とは違う特色を打ち出せる。

―――西尾監督はCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)の運営に携わっておられた時期があり、また本作はイルミナシオン映画祭から誕生した作品です。このような映画祭が次の時代の映画人を育てていく場所になればいいですね。 
西尾監督:イルミナシオン映画祭は受賞シナリオを映画化していますが、初期段階はグランプリをとった脚本を制作会社に渡して映画制作を行っていたそうです。今回初めてイルミナシオン映画祭がお金もスタッフも集めて作ったのです。そういう意味では、『函館珈琲』は自分たちで作った初めての映画で、みなさん本当に大変だったと思います。イルミナシオン映画祭は映画を作ると宣言し、もう2本目も制作中です。多くの映画祭は助成をしても一部で、残りは監督が負担することがほとんどなのですが、イルミナシオン映画祭はお金だけでなく、興行まで含めて全てやる訳ですから、気合が違います。この映画制作が軌道に乗っていけば、他の映画祭とは違う特色を打ち出せるのではないでしょうか。 
 
―――最後に、メッセージをお願いします。
西尾監督:『函館珈琲』は、珈琲を一杯飲むときの、立ち止まって考える時間や物思いにふける時間の大事さや、その時間そのものを映像にできればという気持ちで撮りました。忙しい生活の中、ほっと一息つきたいときに観ていただければうれしいです。人生をかけて気合を入れるような映画も大事ですが、アメリカのインティーズ映画の小品でよくあるような疲れない映画、明日も頑張ろうと思える映画がもっとあっていいなと思いますね。それこそ、昔のプログラムピクチャー的な作品がなくなっているのは、すごく勿体ないですから。
(江口由美)  
 

<作品情報> 
『函館珈琲』
(2016年 日本 1時間30分) 
監督:西尾孔志  
脚本:いとう菜のは 
出演:黄川田将也、片岡礼子他 
10月29日(土)からシネ・リーブル梅田、11月19日(土)、20日(日)イオンシネマ京都桂川、今冬京都みなみ会館、元町映画館他順次公開 
(C) HAKODATEproject2016 

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宮沢りえ、「はっぴ姿には自信がある」余命2ヶ月の肝っ玉母ちゃんを熱演。
『湯を沸かすほどの熱い愛』先行上映会舞台挨拶
登壇者:中野量太監督、宮沢りえ(16.10.6 梅田ブルク7)
 
日本映画界にまた頼もしい才能が誕生した。前作『チチを撮りに』(12)が海外の映画祭でも高く評価された京都出身の中野量太監督。10月29日(土)に全国公開される最新作『湯を沸かすほどの熱い愛』で『紙の月』(14)の宮沢りえとタッグを組み、見事商業映画デビューを果たす。
 
 
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宮沢が演じるのは、余命2ヶ月の宣告を受けた幸野双葉。夫、一浩(オダギリジョー)が1年前に家を出た後、家業だった銭湯、幸の湯は休業状態。娘の安澄(杉咲花)が学校で問題を抱えているのを励ましながらつつましく暮らしていたが、残りわずかの人生で出来ることを考えた末、夫の所在を突き止めてその愛人の子ども共々連れ戻し、幸の湯を再開させることを決意する。いじめに遭っていた安澄に闘う勇気を与える双葉。だが死ぬまでに安澄に伝えなければならないことは、それだけではなかった…。
 
中野監督によるオリジナル脚本は、家族の物語に一筋縄ではいかない展開を盛り込み、命が限られた人間の葛藤や、過去の過ちに対する自責の念、弱い自分を克服しようと奮闘する姿を各キャラクターに託している。スクリーンから思わぬパワーが伝わってくる、まさに“湯を沸かすほどの熱い愛”に包まれた作品だ。
 
一般公開を前に10月6日(木)梅田ブルク7にて行われた先行上映会では、中野量太監督と、主演の宮沢りえが上映前の舞台挨拶で登壇。故郷への凱旋試写会となった中野監督と、中野監督の脚本に惚れ込んだという宮沢りえの同い年コンビが、作品への愛や、アツかった撮影現場を振り返るトークを繰り広げた。その模様をご紹介したい。
 

(最初のご挨拶) 

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宮沢:みなさん、暑い中お越しいただいておおきにです。この作品は同い年の中野量太監督と撮りました。同世代で、こんなに素晴らしい脚本を書く監督がいることを知ることができたのは、私の宝です。そしてこの物語の中で思いを交わしあった共演者のみんな、スタッフをすごく誇りに思いますし、そこで交わした思いは未だに私の中で熱を帯びている気がします。どうぞ、楽しんでください。 
 
中野監督:脚本、監督をしました中野量太です。僕は京都出身なので、こうして関西で試写会を開くことができ、とてもうれしいです。しかも理恵さんを連れて帰ってくることができました。映画のことを少しお話すると、面白い脚本を書けば映画が撮れるのではないかという気持ちで、全くのゼロベースで脚本を書きました。この話で一番重要な母親役を誰がやるかという時に、宮沢さんが脚本を読んでくれ、新人監督のしかもオリジナル脚本に出演すると言ってくれたのです。理恵さんが出演を快諾してくれたおかげで、この映画は一気に動き出しました。その後は、自分の思いを全部込めて、込めて映画を作り、いつの間にか理恵さんとこの場にいた感じです。(宮沢が「イエイ~」とハイタッチ)。楽しんでもらえればと思います。 
 

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―――なかなか日本映画でオリジナル脚本の作品は少ないですが、最初に読んだときの感想は? 
宮沢:大体作品をオファーされると、最初に自分が演じることを重ねながら脚本を読むのですが、この本は読み進めるうちに、どんどん双葉という役に自分の思いが入っていきました。タイトルにも含まれていますが、本当に衝撃的なラストシーンを読んだときには、心にも体にも鳥肌が立ちましたし、なかなかこんな作品に出会えないぞという気持ちがありました。 
 
ただ余命を宣告された女性の役なので、悲劇的に作ることもできれば、ドライに作ることもでき、そこは監督にお会いしてみないと分からない。私はあまりウェットな悲劇のヒロインにはなりたくなかったので、その気持ちが監督と共有できれば、ぜひ演じたいと思いました。監督と初めてお会いして、その気持ちが共有できたので、その場でOKしました。 
 
中野監督:代官山のツタヤでしたね。めちゃくちゃうれしかったし、何か強い縁があり、絶対この役は宮沢さんがやってくれると思っていましたから。でも、半分はダメかもと思っていましたよ。 
 
宮沢:そんな弱気な感じは全くなかったですよ!最初からかなり強気で・・・。 
 
中野監督:会って断られるほど辛いことはないですから。必死で思いを伝えました。そのときに宮沢さんが「双葉役は聖母になったら絶対にダメだよ。普通にそこら辺にいるお母ちゃんが余命2ヶ月で下した決断は、自分のことより家族をなんとかしたいという思いだよね」とおっしゃって。正にその部分を共有できたのが、とても良かったです。 
 
 
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―――宮沢さんが演じる双葉は、肝っ玉母ちゃん役でしたね。 
宮沢:幸の湯という銭湯の話ですが、はっぴを着ました。かなりはっぴ姿には自信があります。この物語の中で双葉を生きていたときには「これほどはっぴが似合う女はいないぞ」と鏡を見ながら思っていました。 
 
―――銭湯の掃除をするシーンもありましたが、実際に練習したそうですね。 
中野監督:一度は経験してほしかったので、ロケで使わせていただいた銭湯で練習しました。 
宮沢:カネヨンというパウダー状の洗剤を使って、その銭湯の方が「こうやってやるのよ!」と熱心に指導してくださり、すごく楽しかったです。 
 
 
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―――幸野家は父や娘のいる家族ですが、家族間の撮影中の感じはどうでしたか? 
宮沢:娘役の杉咲花ちゃんとは撮影に入る前に連絡先を交換しあい、撮影当日まで毎日作品とは関係のないことを交換しあっていました。そこでは敬語もやめて、お母ちゃんと呼んでもらうようにしたので、撮影に入る頃には密度の深い関係が出来ていて、親子役をするのにいいエネルギーになりました。 
 
夫役のオダギリジョーさんは、私がいつか共演してみたい俳優さんでしたし、脚本を読む力がとてもある方でした。役者は格好良く見られたいと、一瞬でも思ってしまうものですが、この物語の中のオダギリさんはダメ男です。そこに徹していて、最後はとても素敵になりますし、そのバランス感覚に感動しました。 
 
 
―――俳優は絶対格好いいシーンをやりたいものですが、オダギリさんとはどんなやりとりをしたのですか?
中野監督:オダギリさんに会ったその日から、「今回格好良かったら負けですからね」と言ったのですが、実際はやはり格好良くて。これが格好良く見えなくなるのは難しいなと思ったのですが、一歩間違えばただのダメ男をちゃんと憎めないダメ男に演じてくださったのは、オダギリさんの力です。
 
 
―――それでは、最後のご挨拶をお願いします。
中野監督:どんな作品か、まずは観てください。自信があります。宮沢りえさんも、とてもとてもいい演技をしてくれました。脚本を書いても、自分の想像を超える芝居はなかなかなくて、自分の頭の中で想像している方が面白いのですが、今回の映画は見事に僕の想像を超える芝居をしてくれるメンバーが集まり、何度も僕は現場でアツくなって、たまらない思いをしました。その思いがこの映画の中に映っていると思います。ぜひ、楽しんでください。
宮沢:この撮影で命に限りがあるということを覚悟した双葉という役を演じ、命があって、呼吸ができて、日常があるということは決して当たり前ではなく、奇跡の積み重ねです。そう思うと人と会ったり、暮らしたりすることがとても大事なことに思えました。そういうことがこの映画から滲んでほしいし、観て下さった方が、自分の持っている日常や愛する人や大切な人を、心から「大切」と思えるようなきっかけになればいいなと思います。どうぞ、楽しんでください。
 
(文:江口由美 写真:河田真喜子)
 

<作品情報>
『湯を沸かすほどの熱い愛』
(2016年 日本 2時間5分)
脚本・監督:中野量太
出演:宮沢りえ、杉咲花、篠原ゆき子、駿河太郎、伊東蒼、松坂桃李、オダギリジョー
2016年10月29日(土)~新宿バルト9、梅田ブルク7、他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://atsui-ai.com/
(C) 2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会
 
fuchini-di-550.jpg観客にとって共感できる映画より「共感できない他者」でありたい。
『淵に立つ』深田晃司監督インタビュー
 
『歓待』(10)、『ほとりの朔子』(13)、『さようなら』(15)と、オリジナル脚本で家族や青春、さらには生と死を見つめる秀作を生み出し続けている深田晃司監督。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した最新作『淵に立つ』が、10月8日(土)よりシネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、OSシネマズ神戸ハーバーランド、京都みなみ会館、イオンシネマ京都桂川他で全国ロードショーされる。
 
自宅兼工場で金属加工業を営む鈴岡家に夫・利雄(古舘寛治)の旧友、八坂(浅野忠信)が突然現れ、住み込みで働くことになったことから始まる不条理劇は、予測のできない展開の連続だ。妻の章江(筒井真理子)や娘の蛍(篠川桃音)に隠していた八坂との関係、一家に訪れる悲劇、そして不思議な巡り合わせ。緊迫感に満ちた物語は家族一人一人の本性を静かに炙り出していく。
 
本作の深田晃司監督に、『淵に立つ』に込めた深田流家族物語の狙いや、映画と観客とのあるべき関係について、お話を伺った。
 

fuchini-550.jpg■『歓待』と『淵に立つ』はコインの裏表。

―――舞台設定や、第三者が一見平和に過ごしている家族の日常を壊していく様子は『歓待』を彷彿とさせました。この企画の始まりと『歓待』との関係性について教えてください。
深田監督:実は、2006年に『淵に立つ』のシノプシスは出来上がっていました。ただ当時はまだ自分のキャリアも浅く、撮るのが難しそうだったので、前半部分だけ抜き出して『歓待』を撮りました。女の子がいる一家によそ者が入り込み、家族をかき乱して去っていくというストーリーは『淵に立つ』の前半部分と同じです。
 
―――『歓待』も『淵に立つ』も自宅兼作業場のある町工場が舞台になっています。従業員の出入りが多いという「他者が侵入しやすい」設定を作りやすいという点以外に、町工場を舞台にする理由は?
深田監督:ヨーロッパは公共の場とプライベートとが非常にきっちりと分かれています。でも、少し前の日本は公共の場とプライベートの空間の境目が曖昧です。特に舞台となっている工場のような場所は、通りに接続していて、その奥にプライベートの住空間まで繋がっています。そのようなセミパブリックな空間はドラマが作りやすいですし、とても日本的に感じて面白いですね。
 
―――出発点は同じながら、『歓待』はコメディー要素が強かったですね。
深田監督:前半だけで映画を決着させるために、どんどん(異文化を持つ)外国人が入ってきたら面白いのではないか。そのあたりからコメディー要素が強まっていきましたが、『歓待』と『淵に立つ』はコインの裏表で、“黒い『歓待』”とも言えます。
 
fuchini-di-240-1.jpg―――コインの裏表で言えば、両作品に出演している古舘寛治さんも、正反対の役柄です。
深田監督:『歓待』に出演された古舘寛治さんは、当時撮影が終わった段階で、「お金は集まっていないけどこんな企画を考えている」と一番に声をかけていました。『淵に立つ』で言えば八坂のような役を『歓待』で古舘さんが演じていたのですが、彼は舞台でもどちらかといえば攻めや、引っ掻き回すような役が得意な俳優さんです。なので、たまには普通の、寡黙なおじさん役の古舘さんが見たかったので、『淵に立つ』が正式に制作スタートしたら引っ掻き回される方の役をやってもらいたいとお願いしていました。 
 
―――章江を演じる筒井真理子さんの、妻として、母として女として変貌を遂げていく様が圧巻でした。
深田監督:『歓待』を観た米満プロデューサーが、一緒に映画を作ろうと声をかけてくれて、どんな企画がいいかと色々とテーブルに上げて話し合っているときに、どちらともなく「筒井真理子さんっていいよね」という話が出ました。で、改めて筒井真理子さんの写真を見ると、かつて自分が書いた『淵に立つ』の章江役にピッタリで、翌日には米満プロデューサーにこの企画を持参していました。そういう意味では、筒井さんは『淵に立つ』がリスタートするきっかけを与えてくれた存在。とても感謝しています。
 
―――物語の鍵を握る存在、八坂を演じる浅野忠信さんは、これまでの深田監督作品でよく出演されている演劇畑の俳優さんとは違い、日本を代表する映画人です。浅野さんがキャストに加わることで、現場で新たな発見はありましたか?
深田監督:夫婦役が決まってから、その二人の間に誰が入ってきたら面白いだろうと考え、浅野さんをキャスティングしました。古舘さんと筒井さんは演劇畑出身ですし、浅野さんは映画畑の方なのでどうなるかなと思いましたが、それは(作品に滲み出ている)浅野さんの異物感にいい意味で影響を与えているかもしれません。出身はどうあれ皆独立した俳優なので、すぐに馴染んでいらっしゃいました。撮影中面白かったのは、古舘さんと筒井さんは自身の演技論をしっかり持っている方々なので、リハーサルをしていても、いつの間にか演技論を闘わせ、傍から見ていると夫婦喧嘩みたいなのです。その様子を、浅野さんが横からニコニコしながら見ているところが、役の関係性に似ているなと。

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■本音を話さない人たちを描きたい。想像してもらうために沈黙や余白をいかに作るかが重要。

―――家族は本音を打ち明けているようでいて、実はとても気をつかって暮らしているのだと感じますね。
深田監督:家族を描いて面白いと思うのは、毎日顔を合わせているがために、だんだん言葉が減っていく。会話は情報の交換ですが、家族はどんどん新しい情報がなくなっていく関係性なので、お互い知っていることは敢えて口にしなくなります。そのような中で毎日を合わせ、食事を共にする関係が続いていくのは、どこか不条理だと思います。
 
―――作品中でも、言葉と言葉の間やその時の表情などがとても丁寧に描かれています。
深田監督:僕が描きたいと思っているのは、本音を話さない人たちです。僕達は普段本音を剥きだしにして生きている訳ではありません。現代の人間観で重要なのは、自分自身が本音を話しているつもりでも果たしてそうなのか。それは自分自身でも分かる訳ないじゃないかという世界観が好きなのです。だから僕は、登場人物の本音が良く分かる映画は前時代的映画だと思ってしまいます。なるべく僕たちが日常話しているように、本音が説明的にそこにあるのではなく、それぞれの想像の中に本音らしい何かが存在するようなものにしたい。そして想像してもらうためにも、沈黙や余白をいかに作っていくかが重要だと思っています。

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■本質的には因果関係のないところに何か罪や罰を見出すのが、人間の不思議さや弱さ。

―――八坂によって利雄一家は残酷な爪痕を残されます。8年の時が流れた後に利雄は章江に向かって「オレとお前への罰。8年前、俺たちはやっと夫婦になった」と言い放ちますが、この言葉に込めた意図は?
深田監督:人間の身勝手さだと思っています。僕達は生きているうちに事故や災害、暴力など、色々な状況にさらされながら生きています。それは誰かの罪に対する罰なのでしょうか? そんな訳はありませんよね。でも本質的には因果関係のないところに何か罪や罰を見出すのが、人間の心の不思議さであり弱さでもあります。利雄が言ったことに対し、章江は全く共感できない。でも、心のどこかでそう思ってしまったことを利雄に暴露され、動揺し、嫌悪を感じてしまう。そういう二人のすれ違いを表すために書いたセリフです。 
 
―――八坂が着ていたシャツ、蛍の発表会用のドレス、ピクニックで咲いていた花など、赤色が観る者に何かが起こりそうなイメージを呼び起こしています。

 

深田監督:リアリティーから少しずれて八坂のキャラクターを徹底的に作っていこうという意図で、浅野さんが「赤いシャツにしよう」と提案してくれました。八坂は前半こそ登場しますが、後半は出てこないことで常に画面を支配していきます。ヒッチコックの『レベッカ』のように、一度も映画の中で出てこないレベッカの存在感が常に映画全体を不穏で覆い続けているような感じを出したかったので、八坂に赤のイメージを持たせることで、その演出がやりやすくなりました。孝司に赤いリュックを持たせたり、作業場に赤の機械を置くことで、赤色から常に八坂の気配を感じる雰囲気は作れたと思います。

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■タイトルの由来は、平田オリザさんの言葉「崖の際で踏みとどまり、心の闇を覗き込むのが“表現する”ということ」。

―――『淵に立つ』というタイトルの由来は?
深田監督:基になっているのは平田オリザさんの言葉です。私は2005年に平田オリザさんが主宰する劇団「青年団」の演出部に入団したのですが、最初の研修のとき平田さんが言った言葉がとても心に残ったのです。「表現をやっている人間は、少しでもいい芸術を作ろうとすると人の心の闇を覗きこまなければならない。少しでもよく見ようとすれば崖の淵まで行かなくてはならないが、表現者自身が崖から落ちてしまうと、表現そのものができなくなってしまう。だからギリギリのところで崖の際に踏みとどまり、心の闇を覗き込むのが“表現する”ということ」。この作品自体も観客と一緒に人の心の闇を覗き込むような作品にしたい。そういう思いでタイトルをつけました。
 
―――編集は深田監督ご自身がされていますが、今回は編集コンサルタントから随分意見が出たとお聞きしました。編集に対する意見をもらうことで、作品はより豊かになるのでしょうか?
深田監督:今回は、ポストプロダクションをほとんどフランスで行いました。自分で編集をすると、客観的に観ることができなくなるので、毎回どの作品でも現場スタッフではない人からアドバイスをもらっているのですが、今回はフランス人の編集アドバイザーにお願いしました。おしなべて、日本の技術スタッフの人はすごく技術力が高い一方で、自分の意見を押し殺す人が多い印象を受けます。自分を殺して、監督のやりたいことを実現させようと動いてくれるし、それがいい結果を生む場合もあります。一方、僕が仕事をしたフランスのスタッフは、技術者である前に一人の表現者として、この映画をどうすればより良いものになるかを、その人の感性や考え方、人生哲学を織り交ぜながらぶつけてきてくれました。お互いに言葉を尽くして説明するというキャッチボールの中で、その作品が変わっていくのはすごく面白かったですね。

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■僕の作る映画が、観客にとって共感できる映画より「共感できない他者」でありたい。

―――本音の分かりやすい映画が席巻している中、深田監督は観客に捉え方をゆだねる作品を作っています。それは、観客を信用しているからですか?
深田監督:重要なのは、観客の想像力を信じることであり、信じすぎないこと。その綱引きをどうするかだと思います。観客にあれこれ想像してもらいながらも、それを少しずつずらしたりしていく。それがサスペンスを生んだりしますが、それ以上に、観客の想像力に働きかける表現は本質的に非常に大事だと思っています。映画の歴史は、一方で例えば戦時下では思想統制に使われてきたプロパガンダの歴史でもあります。それだけ映画には、人の心をぐっと掴み、巻き込んでいく強い力があり、そこが映画の魅力でもあり警戒すべき罠でもあります。負の歴史を経て私たちは映画を作る以上、そのプロパガンダ性には細心の注意を払わなければいけません。観客全員の感情を同じように塗りつぶそうとするような作品ではなく、出来る限り映画自体が観客の他者となる。つまり観客の共感を必ずしも求めないもの、観客の思考を刺激するもの、例えば「家族とは?」と考えてもらえるような作品を作りたいし、そのためにはカタルシスを犠牲にしてもいいと思っています。
 
―――共感を抜きにしてでも、観客を参加させようという意図でしょうか?
深田監督:映画を作る技術の上では、細かく共感してもらえる部分も取り入れながら、どこかで突き放すことを繰り返して、作り上げていきます。共感できる映画がいい映画というのは、とても違和感がありますね。僕自身が映画を観る際に別に共感を求めないこともあるでしょうが、共感できる映画よりは、僕の作る映画が観客にとって「共感できない他者」であることが重要です。
 
今私たちは多文化共生の時代に生きています。この時代に重要なのは、多数決が原則の民主主義の中で、いかにしてマイノリティーの意見や気持ちを汲み取り、社会の制度を構築していくか。そういった社会で前提として求められるのは、他者の考えや他者性が社会の中に常に可視化されているかであり、その中で芸術が果たす役割はとても大きい。別に啓蒙的なことを考えているのではなく、芸術自体が他者性を帯びた異物として社会にゴロゴロと転がっている状況が重要だと思っています。この映画もそういう存在であってほしいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『淵に立つ』(2016年 日本・フランス 1時間59分)
脚本・監督:深田晃司
小説版:深田晃司『淵に立つ』ポプラ社刊
出演:浅野忠信、古舘寛治、筒井真理子、太賀、三浦貴大、篠川桃音、真広佳奈他
2016年10月8日(土)~シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、OSシネマズ神戸ハーバーランド、京都みなみ会館、イオンシネマ京都桂川他全国ロードショー
※第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞
公式サイト⇒http://fuchi-movie.com/
(C) 2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS
 

『PK』 試写会プレゼント(10/10〆切)


PK-pos.jpg■ 日時:2016年10月19日(水)  
    18:00開場/18:30開映
    (終映21:03予定)
■ 会場:朝日生命ホール 
     大阪市中央区高麗橋4‐2-16
*大阪府の条例に基づき、16歳未満の方は保護者同伴でご来場いただきますようお願いいたします。

■ 募集人数:5組10名様

■ 締切:2016年10月10日(月)


★公式サイト⇒ http://pk-movie.jp/

2016年10月29日(土)~大阪ステーションシティシネマ、京都みなみ会館、イオンシネマ京都桂川にて、11月~シネ・リーブル神戸 ほか全国順次ロードショー!

 


 

 『きっと、うまくいく』監督・主演タッグが贈る全世界興収100 億円突破の超話題作、
世間の常識を全く知らない男、PK。 彼の”小さな”疑問は、やがて”大きな”奇跡を呼ぶ―。

 
2013年、日本中に笑いと涙と拍手喝采を巻き起こしたインド映画があった―。その名は、『きっと、うまくいく』。底抜けに爽快な青春映画でありながらも、謎解きのような緻密なストーリー、さらに社会問題にまで鋭くメスを入れた、その驚くべき映画が与えた衝撃は、やがて社会現象となった―。

PK-500-1.jpgその監督・主演タッグが、今度は世界中の度肝を抜く映画を誕生させた。その映画の名は、『PK』。SFコメディ、切ないラブストーリー、偏見や宗教問題といったテーマに斬り込んだ社会派ドラマなど、多数のジャンルを1つ愛の映画に注ぎ込む手法は本作でさらに冴え渡る。既に『きっと、うまくいく』を超え、インド歴代興行収入No.1の記録を樹立。さらに全米でも記録的大ヒットを樹立し、世界中のメディアを唸らせている。


【STORY】
PK-500-3.jpg留学先で哀しい失恋を経験し、今は母国インドでテレビレポーターをするジャグーは、ある日地下鉄で黄色いヘルメットを被り、大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の飾りをつけてチラシを配る奇妙な男を見かける。チラシには「神さまが行方不明」の文字。ネタになると踏んだジャグーは、“PK”と呼ばれるその男を取材することに。「この男はいったい何者?なぜ神様を捜しているの?」しかし、彼女がPKから聞いた話には、にわかには信じられないものだった―。

驚くほど世間の常識が一切通用しないPKの純粋な問いかけは、やがて大きな論争を巻き起こし始める―。


【監督】:ラージクマール・ヒラニ (『きっと、うまくいく』)
【出演】:アーミル・カーン (『きっと、うまくいく』)、アヌシュカ・シャルマ (『命ある限り』)、スシャント・シン・ラージプート、サンジャイ・ダット

【配給】:REGENTS/2014/インド/ヒンディー語・英語/153分 pk-movie.jp

2016年10月29日(土)~大阪ステーションシティシネマ、京都みなみ会館、イオンシネマ京都桂川にて、11月~シネ・リーブル神戸 ほか全国順次ロードショー! 

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様々な過去を背負った大人たちが、無邪気な笑顔を見せるまで。
『オーバー・フェンス』山下敦弘監督インタビュー
 
『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)、『そこのみにて光輝く』(呉美保監督)に続く佐藤泰志原作函館三部作の最終章『オーバー・フェンス』が、9月17日(土)よりテアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマ他全国ロードショーされる。
 
監督は、『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』の山下敦弘。大阪芸大出身の監督による連作というのも面白い試みだが、撮影監督は三作とも同じく大阪芸大出身の近藤龍人で、まさに近藤三部作でもある。閉塞感や生きるままならなさを痛切に感じる前二作と比べて、温かさや清々しさ、ふとした日常の歓びや笑いを感じられ、山下×近藤の黄金コンビらしい空気感が心地よい。
 
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故郷に戻ったバツイチ男、白岩(オダギリジョー)と、鳥の求愛ダンスをするホステス聡(蒼井優)の出会い。職業訓練校に通う、年齢もキャリアも様々な男たちの日常。そこに生きる人を切り取り、外れ者のブルースのように不器用な愛を重ねた二人のラストは、青春映画さながらの爽快感に満ちている。
 
取材当日40歳の誕生日を迎えた山下敦弘監督に、撮影や演出、クライマックスのソフトボール大会に込めた思いについて、お話を伺った。
 

 


■脚本の広がりある世界を凝縮した映画版『オーバー・フェンス』

―――終わり方が本当に清々しくて、まさに大人の青春映画といった感じでしたね。
山下監督:原作もあんな印象で終わりますから。そして、一日二本ビールを飲む生活はやめようと。映画のラストは、原作と同じにしようと思っていました。
 
―――ラストは同じですが、脚本では原作と随分設定を変えている部分もあります。原作や脚本を、どのようにアレンジしたのですか?
山下監督:僕がこの企画に参加したときには既に初稿があり、聡はこどもの国で働き、(鳥の)求愛ダンスもするし、ホステスもしている設定になっていました。その後プロデューサーと脚本の高田亮さんと僕で一度函館に行ったのですが、まだ寒い3月の頃だったので雰囲気的には『海炭市叙景』のような感じ。寒くて車を出て5秒で戻りたくなって(笑)。それから、高田さんの広がりのある世界をぎゅっと凝縮していきました。『海炭市叙景』も『そこのみにて光輝く』も120分以上あったのですが、『オーバー・フェンス』は、更に短くしたかったのです。
 
―――なぜ、120分以内に収めようとしたのですか?
山下監督:最近の僕のテーマです。映画は90分と思っていますから。もちろん2時間や3時間で語る映画もありますが、自分の技量を考えると、2時間を切る方が自分に合う気がします。
 
 

■(カメラワークについて)函館三部作の最後はこの感じ、どこかラフな近藤龍人、そこが良かった。

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―――撮影の近藤龍人さんは、山下監督作品の常連であり、函館三部作全てを担当されています。『オーバー・フェンス』での近藤さんの撮影はいかがでしたか?
山下監督:さすがだなと。近藤君のカメラはとても強くて、物語以上に彼のカメラが際立つ瞬間もあるのですが、今回はすごくいい距離感、スタンスで臨んだのではないでしょうか。ふっと笑えるシーンもありますし、(観客が)気分的にも軽い気持ちで観ることができるということも含めて、近藤君のカメラもそういう空気にちゃんとなっている。僕は好きなカメラでしたね。
 
―――それは山下監督からの指示というより、近藤さんご自身の考えでそのように撮られたのですか?
山下監督:ヨーロピアンビスタというサイズに決めたのも近藤君ですし、彼の中で何かあったのだと思います。脚本の世界観もありますが、函館三部作の最後はこの感じ、どこかラフな近藤龍人、そこが良かったですね。
 
―――冒頭に挿しこまれた空を飛ぶカモメのショット、ウミネコや鳥の求愛ダンス、そして空から舞い降りる羽と、「鳥」が様々な場面で象徴的に使われていますが、その意図は?
山下監督:函館に行くと、ウミネコがたくさんいるんですよ。歩いていると、国道の脇に羽が落ちていたりして。この作品では飛べない人たちがいて、飛べる鳥がいる。その対比としてという意味もありますが、実は鳥も檻の中にいたり、ドン曇りの空を飛んだり、窮屈な中にいるのです。こんなに鳥が重要になるとは僕も思っていなかったのですが(笑)。でも多分函館に住んでいる人からみれば、ウミネコやカモメは象徴的なものだと思います。
 
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■主演オダギリジョーとは「面倒くさくない関係」。同世代だからこそ分かる感覚を共有。

―――オダギリジョーさん演じる白岩の背中から漂う哀愁が、男の過去を感じさせました。オダギリさんとは、どのようにして白岩のキャラクターを作り上げていったのですか?
山下監督:オダギリさんとはドラマ『深夜食堂』他で時々ご一緒していたのですが、映画の主演と監督という立場で向き合うのは初めてでした。オダギリさんも少し照れくさいという気分があったでしょう。でも撮影中は、一言で言えば「面倒くさくない関係」でした。ここまでは絶対に分かっていて、ここからはどっちに行きます?という具合に、ゼロから話をしなくても済むことが多かったです。ある程度は共有できており、僕が悩んでいたことをオダギリさんも分かってくれていたし、オダギリさんがやりたいことを僕もフォローできた。見ている景色は違っても、同じ世代だからこそ分かっている感覚が共有できていたのだと思います。
 
―――聡を演じる蒼井優さんが、とてもインパクトのあるキャラクターだっただけに、翻弄されながらも自らを図らずしもさらけ出すことになり、変わっていく白岩から目が話せませんでした。
山下監督:白岩のドラマは、聡に対してどう変わるかという受け身の立場です。聡がどう変わるかで、白岩も変わってくるとオダギリさんも分かっていました。今回は蒼井さんが聡役で作ってくれたものが大きかったのですが、彼女が吐き出したものに僕とオダギリさんが同じ目線で見ている。「なるほど、聡はこうくるか」みたいな部分がありました。蒼井さんはやりづらかったと思います。「二人で私のことを見てる」と(笑)。
 
―――聡役は、蒼井さんに役作りを一任といった感じですか?
山下監督:そうは言わないですけどね。考えているふりをして、全然分かっていないので、どうやってくれるんだろうと思いながら見ていました。
 
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■何気ないソフトボール大会、実はその瞬間が清々しく、明日を感じることができる。

―――白岩は「俺は普通に生きてきたんだよ」「前から普通だったよ」と、聡や元妻に語ります。「普通」と信じている男と、女たちから見た白岩とのズレを感じながら、「普通」って何だろうと問題提起されている気がしました。
山下監督:普通という定義がよく分からないような世の中ですし。自分のことを普通だと言っている人こそ、普通じゃないというか。でも、今回原作を読んで思ったのですが、最後はたかが職業訓練校のソフトボール大会で、いい年をしたおっさんたちが集まって天気のいい日にプレイしている。でも、実はその瞬間が清々しくて、気持ちがいいし、明日を感じることができるのです。そういう感覚が昔、自分の中にもあったなという気持ちがどこかにありました。漠然と楽しかったり、明日も楽しみだと思えていた。でも最近は天気によってそんなに気分が変わる訳ではないし、人間が当たり前に思っていたこと、普通の感覚なり感性が、生活していくうちに失くなってしまう。普通の人はいないかもしれませんが、普通でありたいと僕は思っています。
 
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■普通から逃げていたはずなのに、普通に戻れなくなっているニュアンスを散りばめて。

―――そうですね。皆、実は普通でありたいと思っている気がします。
山下監督:昔は普通が嫌で、自分は特別だと思い込んでいましたが、今は逆のことを求めています。普通に楽しんだり、普通に涙したり、怒ったり。昔、普通から逃げていたはずなのに、自分の中でどんどんねじれてきて、普通に戻れなくなっている。今回台詞の中にそのニュアンスを散りばめていますが、撮影しながらそういうことを考えさせられました。
 
―――ラストのソフトボール大会は幸せ感満載で、皆キラキラしていましたね。
山下監督:なんかね。皆、必死になって頑張っている姿があって、応援に来た孫が「ガンバレ、ガンバレ!」と言って。その辺の草野球でよくある風景ですが、妙に愛おしくなるというか、なんかいいよなと思いますよね。白岩もそこでホームランを打って、多分あの瞬間、チームのみんなは「やった!」と同じ気持ちになっているんだろうな。あれで試合に勝てるとは思わないけれど(笑)。聡もホームランを見て、すごく嬉しそうにしていたし、あの瞬間は、皆が無邪気で、普通になれたのかもしれないという気がします。
 
―――今日40歳のお誕生日を迎えられた山下監督ですが、40代に足を踏み入れた監督にとっての『オーバー・フェンス』とは?
山下監督:難しい質問ですね(笑)。フェンスだらけというか、越えなければいけないものがたくさんある気がします。監督として作品を作り続けられている部分で言えば、すごく有難いし、自分の役割はあると思っています。僕は生まれ持っての監督というタイプではなく、周りの人の影響を受け、一人で物を作れないから映画をやっているタイプの人間です。監督としては皆に支えられてきた訳ですが、人としての山下は何一つできない。ずっとこの40年間、さぼってきました。約束はできないけれど、人生折り返しですから。一度自分をきちんと見ないと、監督として先に行けない。自分を更新しないとダメですね。
 
―――40歳というのは、自分を見つめ直すにもいい区切りですね。
山下監督:そのいい区切りにこの『オーバー・フェンス』を撮れたのは、すごく恵まれていたと思います。
(江口由美)

<作品情報>
『オーバー・フェンス』(2016年 日本 1時間52分)
監督:山下敦弘 脚本:高田亮
原作:佐藤泰志『オーバー・フェンス』(小学館「黄金の服」所収)
出演:オダギリジョー、蒼井優、松田翔太、北村有起哉、満島真之介、松澤匠、鈴木常吉、優香他
2016年9月17日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒http://overfence-movie.jp/
(C) 2016「オーバー・フェンス」製作委員会
 
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池松壮亮、東監督の現場では「自分をコントロールすることをやめて、飛び込んだ」
『だれかの木琴』舞台挨拶@大阪ステーションシティシネマ
(16.9.2 大阪ステーションシティシネマ)
登壇者:東陽一監督、池松壮亮
 
何不自由なく、幸せそうに見える主婦に見え隠れする孤独な心。そこに触れたのは、初めていくサロンの若い美容師だった…。井上荒野『だれかの木琴』を、『酔いがさめたら、うちに帰ろう』の東陽一監督が映画化。美容師に心を奪われていくヒロイン、小夜子を演じる常盤貴子の心の内が読めない演技は、物語にスリルを与えている。行動がエスカレートする小夜子の影を感じて生活が乱されていく美容師海斗役には池松壮亮を配し、普通に生きているように見える青年の心の闇も描き出す。小夜子の不倫夫や、思春期の娘、海斗の彼女など、小夜子の周りの人間の感情の揺れや狂気がじりじりと露わになるのも興味深い。正に一筋縄ではいかない現在の家族と、それぞれの孤独を、名匠ならではの視点で活写している作品だ。
 
全国公開に先立ち、大阪ステーションシティシネマで行われた舞台挨拶付き先行上映会では、東陽一監督と主演の池松壮亮が登壇。女性ファンの熱い視線を受けながら、憧れの東監督作品に出演した池松壮亮と、池松に絶大な信頼を寄せている東監督の出会いエピソードから、東監督の演出論まで、非常に興味深い話が飛び出し、濃い内容のトークとなった。その模様を、ご紹介したい。
 

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(最初のご挨拶)
池松:池松壮亮です。今日は本当にありがとうございます。最近大阪に縁がありまして、もう一回来ました。楽しんでもらえればうれしいです。
 
東監督:こんばんは、東陽一です。池松壮亮という、これから大きな仕事をするであろう俳優と、常盤貴子さんという不思議な魅力を持った女優さんを中心に据え、私たちが考える「本当に面白い映画」をと一生懸命作りました。誰が観ても恥ずかしくないものだと思っております。最後まで楽しんでください。
 
―――池松さんは、大阪にご縁があるとことですが、大阪のイメージは?
池松:どうですかね…。今、心斎橋から歩いてここ(大阪ステーションシティシネマ)まで来たのですが、なんか通ったところを見るたびに、ちょっとキュンとしてしまって。「あれ、俺大阪好きだったのかな…」ってちょっとだけ思いました。僕は福岡生まれで福岡育ちですが、また福岡とは違う人情の色があって、嫌いじゃないんだなと。
 
―――東監督は大阪とのご縁は?
東監督:私は生まれが徳川御三家の紀州ですし、仕事の関係でもよく来ます。昼間もマスコミの方に12年ぶりだねと言われて、気軽な感じがしました。大阪のたこ焼きを食べたら、東京のたこ焼きは食えたもんじゃない。今日は(大阪で)食べる時間がありませんが…。大阪の皆さんにお会いするのは、楽しみでした。
 
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―――池松さんと東監督との出会いは?
池松:映画学校に通っていた19歳の時、授業で『絵の中のぼくの村』(96)を観て、あまりにも衝撃を受けたんです。その日のうちに東さんの『サード』(78)という映画を観て、勝手にその日の夜、「なんか、僕はこの人に会わなければいけない気がする」と思っていたら、いつの間にかこんな風に(一緒に映画を撮ることに)なって、びっくりしています。
 
―――東監督が池松さんとお会いになったのは、いつですか?
東監督:2年ぐらい前ですが、池松さんが逢いたいというから何の用かと思いながら行って、色々話をし、2つの感情を持ちました。1つは、俺の昔の映画を好きだなんて、かなり変わった男だなと。もう1つは、私にとって重大な意味を持つ作品なので、できてから20年経ってそれにショックを受けたと言われると、若い人に認められたんだなと嬉しい気持ちがありました。
 

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―――『だれかの木琴』にはどう繋がっていったのですか?
東監督:初めて会った時は「何か一緒に仕事をできるようになったら楽しいね」と言って別れたのですが、今度の映画をするにあたり、私たち映画をやっている人間にとって今度の原作は「お前、これを映画に出来るのか?」と聞いてくるような、刺激的な本だったんです。これをやりたいと思ったのですが、原作ではどうしても小夜子が中心人物なので、男性の若い美容師について綿密に書かれていなかった。ですが映画には映画のやり方があり、一人のスターだけでは物語を引っ張っていけません。男性美容師を青春映画にチャラチャラ出てこないような、ほとんど表に出てこないキャラクターにして登場させたいと思った時に、そういえば池松という青年と会ったなと。この台詞をやれるのは彼しかいないと思い、海斗役をお願いしました。
 
池松:まだ公開前ですが、「ここまで来たか」という感じです。
 
―――映画の中でカットするシーンもありましたが、美容師の特訓はされたのですか?
池松:そうですね、もうちょいやりたかったですけど。(しゃべりながら切るのは)慣れるまで時間がかかりましたが、手が慣れてくれば意外とできました。教えてもらった人にずっと話しかけてもらいながらやっていたので。
 
―――美容師さんと客が会話しながらという部分で、心が通い合う関係になりますね。
東監督:池松さんが自分で練習し、プロが指導しているのを見ると、美容師はとても繊細な仕事で、ある意味ではカウンセラーみたいな役割をすることもあるんです。髪の毛をいじらせるのは、恋人か旦那か家族ぐらいしかいないでしょ。赤の他人が触って、耳の傍で話をする訳ですから、美容師以外の人が触ることはあり得ないわけです。そういう微妙な感覚をお客さんと取る訳ですから、単に髪を切るだけでは済まない。(美容師役は)大変だったと思います。
 

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■磨いたところと、まだ磨いていないところが両方混じっている、生々しいものをお客さんに見てもらいたい。(東監督)

―――東監督の現場はどんな感じでしたか?
池松:いやあ、ものすごく早くて。僕はてっきり年齢のせいだと思い、東さんはおじいちゃんだから(撮影が)早いのかと思っていたら、いつも早いそうです。ほぼ1テイクか2テイクですし、1シーン1カットがほとんどだったので、16時ぐらいに終わるんです。その辺の小学生と一緒に帰っていて、「どうすりゃいいんかな」と思っていました。
 
東監督:何度もテストをして俳優の芝居がだんだんキレイに出来上がっていく。そういう芝居を撮るのは嫌いなんです。表現がピークになる、つまり磨きすぎたダイヤモンドのようなものは要らない。磨いた跡が残っていて、磨いたところとまだ磨いていないところが両方混じっているものの方が好きなのです。そういう生々しいものをお客さんに見てもらいたい。役者も生身の人間ですから、何度もテストをするとだんだんダレてきますよね。それで安定していっても、生気を失ったキレイなお芝居はお客さんに見てもらいたいと思わないんです。そして磨きかけのダイヤモンドを最後まで磨いてもらうのは、お客さんの方なのです。
 

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■東さんの価値観に共感。いつも以上に自分をコントロールすることを止めて飛び込んだ現場。(池松)

―――そういう現場で、東監督と出逢われたのは新しい刺激になりますね。
池松:まじめな話をすると、僕はあまり人からどうこう言われたくなくて、普段は放っておいてほしいんです。自分で自分をコントロールするタイプですが、東さんの価値観だとか、東さんと話をすると本当に面白くて、いつも以上に自分をコントロールすることをやめて飛び込んでいた現場でした。
 
東監督:現場では、カメラの調整や他の俳優さんとの関係で、どうしても何テイクか撮らなければいけないことがありますが、池松さんは、一回ごとにアクションが違う。つまり、自分で考えて、試しているのです。最終的にこれで行こうと決めて、次にカメラを回すとまた違うことをする。そこが僕は楽しみなんです。そしてそれをうまく捕まえられたら、監督としての勝利だと思うんですよ。
 
―――常盤貴子さんとの共演はいかがでしたか?
池松:2、3日しか会っていなくて、現場での印象は、実はほとんどないんです。何もしゃべっていないですし。でもこの映画が完成したのを観て、本当に素晴らしいなと思いましたし、東さんの映画の女性は輝いているというか、常盤さんもすごくフィットしていました。
 

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■監督は最初で最高の観客でなければいけない。(東監督)

―――女性の気持ちをきめ細やかに描くコツは何ですか?
東監督:コツもへったくれもないんですよ。要するに2人の俳優さんに好きなことをやってもらい、それを私が撮るだけです。常盤さんとあまり会わなかったというのには2つ意味があり、1つは映画でデートをする設定はない。もう1つは、常盤さん自身が彼女はしゃべりだしたら結構しゃべる方ですが、故意に休み時間はあまり話しないようにしていたのです。小夜子を演じるのに、舞台裏であまり他の俳優さんと話したり仲良くならないように自分で抑制していたのです。私も、役者の演技が自分の思っている方向と違えばダメ出しをするでしょうが、今回はそんな場面はなかったです。僕はただ黙って「本番いきましょうか」と。外から見れば、ただ号令をかけているだけと思われていたでしょう。ただし、監督は世界で最初に俳優たちの芝居を見て、OKかどうかを決める立場です。鋭い目を持っていないと、いい加減な芝居でOKしたらお客さんの方が目は鋭いですから、そこは用心しています。最初で最高の観客でなければいけないと、いつも思っています。
 

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■東監督が何を現代に向けて伝えようとしたのかを踏まえて、観てほしい。(池松)

―――最後に一言ずつお願いします。
池松:色々お待たせしてしまいましたが、ありがとうございます。 宣伝文句としてストーカーだとか謳っていますが、宣伝部には申し訳ないですが、割とそういう映画ではなくて、東さんが現代というものを見つめ、現代の孤独に向けた映画だと僕は思っています。
 
東監督:気楽に見てください。池松さんは、こういうものの言い方をするところが、いいところなんです。この映画は最後まで観ないと損をする可能性があるので、映倫マークが出るまで観てもらう方がお得です。
 
池松:決して分かりやすい映画ではないですし、昨今流れている映画の中では少し異質かもしれませんが、せっかくの出会いですから、東さんが何を現代に向けて伝えようとしたのかを踏まえて、観ていただけたら、きっと楽しんでいただけるのではないかと思います。ありがとうございました。
(江口由美)
 

<作品情報>
『だれかの木琴』
(2016年 日本 1時間52分)
監督:東陽一
原作:井上荒野『だれかの木琴』 (幻冬舎文庫)
出演:常盤貴子、池松壮亮、佐津川愛美、勝村政信、山田真歩、岸井ゆきの、小市慢太郎、河井青葉他
2016年9月10日(土)~大阪ステーションシティシネマ、シネマート心斎橋、京都シネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://darekanomokkin.com/
(C) 2016『だれかの木琴』製作委員会
 
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日々葛藤しながら仕事を頑張る全ての人へのエールに。
『にがくてあまい』川口春奈さんインタビュー

~“一物全体”食べ物も、人間もありのままを受け入れるオーガニック・ラブコメディ~

訳あって野菜嫌いのキャリアウーマンが、女が苦手な菜食主義男子と同居を始めたことからはじまる食べ物と愛が詰まったオーガニック・ラブコメディ『にがくてあまい』。人気WEBコメディの原作を映画化したのは、本作が本格的な商業映画デビュー作となる草野翔吾監督だ。『好きっていいなよ。』をはじめ、ドラマに大活躍の川口春奈が仕事と恋、家族の問題で悩みながらも全力でぶつかるヒロイン、マキをイキイキと演じている。相手役となる過去のトラウマを抱えたお料理男子、渚を演じるのは、『パレード』『花芯』の林遣都。「雑な食事をする姿を見るのは耐えられない」と、マキにお弁当を作るだけでなく、完食を要求するドSぶりをみせるかと思えば、真っ直ぐなマキを受け止め、まさに名コンビぶりをみせる。渚の初恋の相手、アラタ(淵上泰史)や学校の後輩(真剣佑)、バーのマスター(SU)と、美形のゲイ男子揃い。人生経験も様々なゲイ男子の含蓄ある言葉にハッとさせられながら、それぞれが自分らしく生きようとしている姿に励まされる作品だ。
 
本作のキャンペーンで来阪した主演川口春奈さんに、マキ役を演じての感想や、本作に込めた思いを伺った。
 

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―――高校生など、学生役が多かった川口さんですが、今回は肉食系キャリアウーマンという今までにない役にチャレンジされています。実際に演じてみての感想は?
川口:演じていて、とても楽しかったです。マキは、まっすぐで、嘘がなくて、物事をはっきりさせたい女性です。大人だけど、悩んだり、行き詰ったりする部分があるし、完璧でもない。それでも一生懸命なのがマキの魅力だし、弱さでもあると思います。どういう風に演じればそんなマキの魅力が伝わるか、観ている方に共感してもらえるか考えながら、演じていました。作品自体もそうですが、マキを演じる際にはメリハリを意識しました。表情もそうですし、全力で笑ったり、泣いたり、怒ったりと感情をぶつけたので、気持ちよかったですね。
 
―――大ヒットしたWebコミックが原作です。川口さんは今までも原作もののヒロインを演じていますが、役作りをするにあたり難しさはありますか?
川口:原作には原作のファンがいらっしゃり、ファンの皆さんが持っているイメージがあると思います。私はそのイメージをいつも覆したい。映画は映画として、全く別の作品として、原作を知っている人にも、知らない人にも受け入れてもらえるようなものを、作っていきたい。原作にはあまりこだわらず、映画オリジナルの良さを出していきたいですね。 
 
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―――ありのままが一つのテーマになっている作品ですが、監督からマキを演じるにあたりどんな演出がありましたか?
川口:きれいに映ろうとは思いませんでした。そもそもそんな役ではありませんから。本当に頑張る人は美しいです。葛藤しながら仕事を頑張る人へのエールでもあるので、とにかく全力でやろうという話をしていました。
 
―――林遣都さん演じる渚は、マキと一見正反対のように見えます。オーガニック料理と男を愛し、過去に家族とのトラウマを抱えている複雑な美系教師役で、マキとの化学反応にドキドキハラハラさせられました。
川口:渚も完璧なキャラクターではありません。色々なトラウマや苦手なものを抱えながら生きているところは、マキと共通しています。不器用だけど、人の痛みが分かるキレイな心を兼ね備えている。だからこそ惹かれ合い、恋愛感情でなくても、最終的には一緒にいると心が落ち着くような関係性に辿りつく。 友情とも恋愛ともまた少し違った関係性ですよね。マキとそのような関係を作っていく渚を、林さんは丁寧に演じて下さったので、私もマキとしてついていけましたし、色々な芝居を引っ張っていってくださいました。
 
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―――渚が作ったお料理を食べるシーンが度々登場し、マキが口に入れる時は真正面からのアップで、正にこの作品の肝になっています。撮影の時に監督から何かアドバイスや、川口さん自身が意識したことは?
川口:食べるシーンは一番、私の素の表情が出ています。それぐらい、食事が本当に美味しくて、思わず「美味しい!」と言いたくなるぐらいでした。作り込んだ「美味しい」よりも、素直に私が美味しいと感じた方が、観客の皆さんにも伝わるのではないかと思います。見た目だけでなく、お肉を使わない中でアイデアが活かされていて、どれを食べても美味しかった。「感謝!」ですね。日ごろは自分のためだけに時間をかけてお料理をすることがないので、劇中であっても、あれだけ健康的なご飯を毎日作ってくれる人がいるのはとてもいいな。マキが羨ましかったです。
 

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―――途中、マキの方が渚を押し倒して、「私のことを見て!」と訴えるシーンがあります。男性から壁ドンではなく、女性からアグレッシブに訴えるのが新鮮ですね。

川口:不思議なことに、マキはこんなことをしても嫌な女だとは思わない。どちらかといえば、子どものように見えて、「なんで、なんで」と可愛い部分があるような気がします。どれだけ外では取り繕っていても、実は乙女な気持ちが大人の皆さんの中にきっとあると思います。マキの姿を見て「(子どもっぽい部分があるのは)私だけじゃないんだ」と感じてもらえたら、うれしいですね。
 
―――マキと渚が喧嘩するシーンはかなり真に迫っていましたが、演じていて特に印象的だったことは?
川口:感情をぶつけ合うシーンが多かったのですが、カイカンというぐらいに言葉が湧き出てきて、相手にぶつけ、相手から言葉が返ってきたらムカついて…。そういうキャッチボールを(演技で)無理してやっているのではなく、本当に腹が立っていました。今思うと、本当に役を生きていたのかなという気がします。ゴーヤの冷製茶わん蒸しをマキが渚と一緒に作るシーンは、ずっとカメラが回りっぱなしで、監督からは「二人で楽しそうにやって」とだけ言われていました。付き合ってもいない男女が一緒にお料理を作るなんて恥ずかしいし、実際に演じている時も恥ずかしさがあったのですが、その距離感が二人らしくて良かったのかもしれません。
 
―――苦手なものと向き合うことを伝えるシーンもありましたが、川口さんご自身が今向き合っていることは?
川口:私も完璧ではないし、コンプレックスや、なかなか自分を好きになれない面があります。まずは自分を知ることが大事、そこから他人と向き合っていく。でも実際に他人と向き合うのは本当に気力、体力が要ることなので、今は日々小さな悩みと格闘しています。
 
 

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―――タイトルの『にがくてあまい』は、非常に深みのある言葉です。川口さんはどのように解釈していますか? 
川口:意外に深い言葉ですよね。上手くいきそうに思えて途中で狂ってしまい、「自分は運が悪いな」と落ち込むこともありますが、悪いことばかりではなく、良いことも訪れる。マキもなんとか前に進もうと頑張っている一人で、失敗することだってある大人に向けてのメッセージが含まれていると思います。
 
―――最後にメッセージをお願いします。
川口:「一物全体」(食べ物はできるだけ丸ごと食するのが一番いい)等、さりげなく自分たちに当てはめると響く、良い言葉が散りばめられています。年齢も性別も関係なく、自分の今の環境や、苦手なものを登場人物たちに投影して、少しでも勇気づけてもらえればと思います。ラブコメディーですが家族の話でもあるので、身近な人との向き合い方を改めて考えるきっかけになればうれしいです。
(江口 由美)
 

<作品情報>
『にがくてあまい』
(2016年 日本 1時間36分)
監督:草野翔吾
原作:小林ユミヲ「にがくてあまい」マックガーデン
出演:川口春奈、林遣都、淵上泰史、桜田ひより、真剣佑、SU、中野英雄、石野真子他
9月10日(土)~TOHOシネマズ新宿、大阪ステーションシティシネマ、神戸国際松竹、イオンシネマ京都桂川他全国ロードショー
(C) 2016 映画「にがくてあまい」製作委員会 (C) 小林ユミヲ/マッグガーデン
 
 
 

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映画界の人間だけで、お笑いの映画を作ってみたかった
『エミアビのはじまりとはじまり』渡辺謙作監督インタビュー
 

~M-1初戦突破で映画とリアルがシンクロする!?笑いを追求した男たちの愛と喪失の物語~

松本人志監督や、内村光良監督など、お笑い界のベテランが笑いのツボを心得た作品を映画界に送り出している中で、漫才師を主人公にした笑いと涙と感動の物語を紡いだ渡辺謙作監督(『舟を編む』脚本)の『エミアビのはじまりとはじまり』が、9月3日(土)からヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、10日(土)からシネ・リーブル神戸他全国順次公開される。
 
人気漫才コンビ、エミアビの実道を演じるのは、話題作の出演だけでなく、自身も映画監督としての活動を行っている森岡龍。そして、実道の相方で交通事故に遭い亡くなってしまう海野を演じるのは若手個性派俳優にして、最近はauの一寸法師役でも人気の前野朋哉。さらにエミアビコンビ結成のきっかけを作りながら、自身は引退した先輩芸人の黒沢役には新井浩文を配し、主役二人に負けない存在感を見せる。ゴスロリ風メイクで天然ぶりをみせるエミアビのマネージャー役を演じる黒木華も必見だ。
 
大事な人が亡くなった時、怒りに震えている時でも、笑える瞬間があり、笑うと何かが変わっていく。人を笑わせる大変さも含め、本当に真剣に何かをなそうとしたとき、奇跡のようなことが起こると思わせてくれるヒューマンストーリーに仕上がっている作品だ。
本作の渡辺監督に、漫才師を主人公にしたオリジナル作品に臨んだ理由や、撮影秘話についてお話を伺った。
 

emiabi-550.jpg―――森岡さんと前野さんは劇中コンビの「エミアビ」でM-1にエントリーされ、見事、初戦突破されましたね。
渡辺監督:彼らが、自分たちからM-1にチャレンジしたいと言い始めたんです。最初はシャレで言っているのかと思ったのですが、森岡君は高校生の時、3年間M-1にエントリーして、一回戦を突破したこともあるんですよ。先日の初戦は、森岡君がセリフを飛ばしてしまったそうで、やはり観客の前で漫才をやらないとダメだと実感したみたいですね。
 
―――そもそも漫才師が主人公の物語にしようと思ったきっかけは?
渡辺監督:元々やりたかったのは、身近な人の死からの再生でした。2010年前後に、僕の周りで身近な人の死が相次ぎ、しかもかなり若い人が多かった。お葬式で遺体と対面すると涙が止まらないけれど、控室に入れば知り合いと世間話をし、またお骨が出てくると泣いたり…。お葬式は案外涙と笑いがあり、そうやって故人を忘れるのではなく浄化していくのではないかと思ったのです。涙と笑いがセットであり、笑いがテーマとなるのなら、いっそのこと漫才師を主人公にした方がよりテーマが明確になるのでないか。そう考えて取り組みました。
 
―――実際に漫才師を主人公にし、笑いや涙と対峙する物語を作り上げるのは大変でしたか?
渡辺監督:とてもリスキーでしたね。映画界では、「泣かせるのは簡単、笑わせるのは難しい」と昔から言われています。泣かせる映画は、仮に観客が泣かなくても「いい映画だった」と思って帰ってもらえます。一方、こちらが笑わせようとしている映画で、観客が笑わないまま終わってしまうと「最低の映画だった」と言われる訳です。最初は脚本をプロデューサーらに見せると、漫才のネタ部分は全てプロ(漫才台本ライター)に任せた方がいいと言われました。もしくは、主役二人を吉本の芸人にすればとも言われましたが、それはイヤだった。僕の中で、この話は映画人でやりたいという気持ちが強かったのです。
 
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―――漫才師役の二人を普通の俳優に演じてもらうことは、監督にとって何よりも譲れないことだったのですね。
渡辺監督:漫才師の話となると、絶対止めた方がいい、絶対スベると、映画界も恐れているんですよ。出演者の新井さんですら「絶対、スベりますよ」と言っていましたから。どうやったら面白くなるかとポジティブに考えてくれたのは、主演の森岡君と前野君だけですね。でも、コイツらとなら闘えると思いました。今、お笑い界から映画の方へ、どんどん人材が流入してきています。お笑い界の方たちが作る映画は見応えのあるものもありますが、こちらからのカウンターパンチがあってもいいのではないか。映画人だけでお笑いの映画を作ってみたかったという部分はあります。
 
―――脚本を書く際に、お笑いは色々と勉強されたのですか?
渡辺監督:ツービートなどの80年代漫才ブームの時は見ていましたが、それ以降はあまり見ていなかったので、今回はYoutubeを見て研究しました。最終的には、サンドイッチマンさんの漫才から漫才コントのようになっていくあたりが、エミアビのイメージに近いかなと思っています。せっかく役者が演じるのですから、コントの要素のある方がいいですね。後は、ドリフターズのような昭和のコントへのオマージュとして、たらいやハリセンを使ったりもしています。
 
―――漫才のネタは何を参考にしたのですか?
渡辺監督:台詞のやり取りなので、案外シナリオと似ています。でも、漫才はより物語性を排除する方向になっている。僕が書くと物語性が強くなってしまうので、森岡君と前野君の二人が稽古をする中でディテールへのアイデアを取り入れたり、話し合いをしながら作っていきます。漫才に関しては、脚本家よりも演者の方が色々なアイデアが出ると思います。二人は漫才をやりつつ、俯瞰的な目線も持ってやれていたので良かったと思います。
 
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―――本作では、究極に“笑えない”状況の中で、「笑わせろ」と強いられるシーンが何度も登場し、登場人物たちがなんとか笑わせようと奮闘するところが大きな見せ場となっています。どのように、それぞれの“究極の状況下で人を笑わせる”シーンを演出したのですか?
渡辺監督:森岡龍という役者は随分前から知っていて、何か物足りないと思っていました。今回は主役ですから、逃げ場を全部塞いで、彼を追い詰めたかったのです。新井君が20代の時に一緒に仕事をし、新井君を責め立てるような演出をしたのですが、森岡君に対してそのやり方ではダメだろう。新井君演じる黒沢が、後輩芸人の森岡君演じる実道を責め立てる設定なので、新井君に「もっとやれ!」と何度も言わせ、僕は傍からニコニコ笑って見ていました。スタッフ側には逃げられないし、俳優側には責め立てられるので、森岡君は現場で寂しそうにタバコを吸っていましたよ(笑)。暑い中ヅラを被っていたので、本当にしんどそうでしたね。
 

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―――本当に満身創痍の中から、新しい一歩を踏み出す実道役は、新しい森岡さんの一面が垣間見えました。
渡辺監督:最初は、「ヅラとサングラスで、僕の顔、映ってないですよね」と文句を言っていましたが。実道は、物語の中では満身創痍なのですが、どこか傷ついていないとツッパっていて。自分の中の傷に気付いたところから、前野君演じる海野の渾身の飛翔(おならで宙に浮く)で笑う訳です。まずは泣けなくてはいけない。それで、笑えなければいけない。そこが重要なのだと思います。
 
―――実道の相方である海野を演じる前野朋哉さんも、恋物語があれば、暴漢に襲われ究極の状況下での一発ギャグを繰り広げたりと、笑って泣ける演技が印象的です。
渡辺監督:前野君は非常にフォトジェニックなんですよ。妙な芝居が達者です。例えばプロポーズのシーンで、後ずさりして後ろにコケるところも、実は難しい芝居なのです。普段やりそうでやらない動作で、嘘くさくなるかと思いましたが、とても上手に転んでくれました。すごく才能がある俳優です。プロポーズをすべく「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」を歌う場面もワンテイクOKでした。
 
―――前野さんが熱唱した「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」は、ザ・昭和の哀愁が漂い感動的でしたが、なぜこの曲を選んだのですか?
渡辺監督:僕の中で「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」は映画人の歌と認識しています。作詞が藤竜也さんですし、松田優作さんや原田芳雄さんが歌い続けてきました。それを前野君に流れとして受け継いでもらいたかったのですが、当の本人は「誰の歌ですか?」と聞いたこともない感じでした(笑)。原田芳雄さんだけでなく、全映画人への思いを込めていますね。
 
―――先輩芸人、黒沢役の新井浩文さんも、クールな中にお笑いへの熱い思いをたぎらせ、最後には新生エミアビの一人として漫才を披露していますね。
渡辺監督:最初は映画のシナリオが短く、シーンが分厚かったのですが、黒沢役が新井さんに決まってから打ち合わせをしたとき、黒沢役の出番をもっと増やした方が、役が生きてくるのではないかと提案されました。僕自身の気分的にも黒沢役を膨らませたかったので、諸条件との兼ね合いもありましたが、プロデューサーのOKをもらい、今の形になっています。
 
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―――実道のマネージャー役で、ゴスロリ風メイクの黒木華が登場し、今までのイメージを覆すような芝居をしているのも印象的です。
渡辺監督:黒木さんは『舟を編む』で面識がありました。山田洋次監督作品でみせる昭和風の黒木華はニセモノだと思っていたんです(笑)。本当はもっと腹黒い部分があると思って、マネージャー役は彼女にオファーしたいと考えていました。黒木さんは大阪出身なので、最初の打合せで「ちょっと微妙な関西弁を入れてほしい」と伝えました。この微妙なニュアンスは大阪弁ネイティブな人でないと再現できない。監督が演出するのにも無理がありますから。
 
―――実道が地面に投げ捨てたお弁当を食べるシーンは、黒木さんの女優魂が炸裂していましたね。
渡辺監督:僕も、なぜ彼女がそういう行動をしたのか分からずに脚本を書いたんです。黒木さんと会った時、脚本には書いたけれど、なぜ弁当を食べたのか理解できなければ、別のアイデアを出すよと話しをしたら、「私、なんとなく分かる気がします」と言ってくれました。映画が出来上がってからじっくり考えると、あの時点で夏海というマネージャーが相方を亡くして自暴自棄になっている実道に出来ることは、ああいうことぐらいしかなかったのだろうと。どうやって、実道をもう一度前向きにさせるかと思ったときに、夏海は漫才が出来る訳でもなく、落ちた弁当を食べることぐらいしか、彼の心を動かせない。そういうことなんだろうなと。
 
―――誰が主役になっても不思議ではない感じがしましたね。
渡辺監督:僕もそう思ってシナリオを書いていましたし、もし新井君が「僕を主役にしてください」と言ったなら、そのように書き直したかもしれませんが、案外今回は一歩引いて演じてくれました。黒木さんの役もフィクサー的ですが、森岡君と前野君が一番主役らしいですね。
森岡君は何か面白いことをする訳ではないですが、キングコングの西野さんのイメージが出ていればと思います。
 
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―――リアルとファンタジーの垣根がなく、死者を死者っぽく描いていないのが、渡辺監督の一番の狙いのように感じました。
渡辺監督:元々僕の中で、リアルとファンタジーの境界線はあまりありません。人間は死んだ後のことはわからない。人が死んで悲しむというのは、死者のことを思って悲しむというより、自分が悲しんでいるわけです。亡くなった身近な人間も、我々が知らないだけで、死んだ後も幸せに生きているのではないかと思うのです。勝手に生きている人が「可愛そう」と言っているだけではないかと。だから、最後に海野たちが登場するシーンは、幸せそうに出てきてほしかったのです。もしかしたら、本当に飛んでいるかもしれませんから。
(江口由美)
 

<作品情報>
『エミアミのはじまりとはじまり』
(2016年 日本 1時間27分)
監督・脚本:渡辺謙作
出演:森岡龍、前野朋哉、黒木華、山地まり、新井浩文他
2016年9月3日(土)~ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、10日(土)~シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト⇒http://bitters.co.jp/emiabi/
(C) 2016『エミアビのはじまりとはじまり』製作委員会
 
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