「京都」と一致するもの

hazimarinokioku-s2.jpg『はじまりの記憶 杉本博司』杉本博司×中村佑子監督トークイベント(2012.8.5シアターセブン)
(2011年 日本 1時間21分)
監督:中村佑子
出演:杉本博司、野村萬斎、李禹煥、野村萬斎他 
ナレーション:寺島しのぶ
2012年8月4日(土)~第七藝術劇場、京都シネマ他全国順次公開
公式サイトはコチラ

世界で活躍する現代美術家杉本博司に初めて迫ったドキュメンタリー『はじまりの記憶 杉本博司』。写真家としてキャリアをスタートさせてから、アートを「人間に残された最後のインスタレーション」と表現し、時には世界創造神話にまで想いを馳せ、時にはどこにも存在しない世界や、見えなかったものを可視化する唯一無比の表現を続けている杉本や彼の作品の魅力に迫った上質な作品だ。本作の公開に合わせて、大阪十三シアターセブンにて杉本博司×中村佑子監督トークイベントが開催され、満席の観客の前で時には笑いも巻き起こる濃厚トークが繰り広げられた。その模様をご紹介したい。


杉本:はじめまして、杉本博司です。今日は1時間ぐらい前に着いたので、この辺りを見学したのですが、非常に濃いところですね。活気があって、僕が子供の頃の東京はこういう感じだったんです。懐かしい感じで、僕はキレイになってしまった東京よりも、こういう所の方が性に合うなと、非常に懐かしい思いをしました。今日はありがとうございます。

監督:本日は暑い中、日曜の昼間に集まっていただき、ありがとうございます。
写真家として活動されて、ファインダーを覗くということをやってらっしゃった方なので、こういう形で切り取られて、いかがでしたか。

杉本:なんとなく居心地が悪いというか、本当にそうなのかなと。映画をご覧になって、杉本像がねつ造された訳です。一回「自分で編集させてもらえないか。」と聞いたことがありますよね。絶対イヤだと言われましたから、僕は作品になるための材料として扱われている訳です。長編ドキュメンタリーはアメリカとイギリスで一本ずつ作っているのですが、お国柄やディレクターで全然違います。向こうのドキュメンタリーは本人の発言だけで編集するのが基本です。これは情緒的な日本文化で、寺島さんがいい声で包み込むように語りかけると、なんとなく「この人はこういう人なのかな」と思わせる力はありますよね。

hazimarinokioku-1.jpg 監督:そこに関しては、すごく言いたいことがありまして。テレビ番組が元になっているので、劇場化が決まったときに、ノーナレーションで映像に物を言わせたものを作ろうと思ったときも実はあったんです。私はテレビドキュメンタリーを普段作っている者なので、テレビで培った映像と音楽とナレーションとを緻密に編み上げて言いたいことをいうテレビ的方法論を突き詰めた方がいいのではと。杉本さんのようなコンセプショナルアートの方で、あまりそれまで説明してこず、ポンと投げて感じろと言ってこられた方に対して、ナレーションを書くことは逆にものすごく勇気がいるんですよ。自分としての挑戦をすべきだろうと思って、あえてナレーションをつけ、編み上げました。

杉本博司ファンはある程度好きな訳だから、日本人でこれだけ活躍している杉本さんのことを知らない人にとって、どれだけ深くまで切り込めるかという点です。(テレビは)震災後色々言われて差別される向きがあって、私自身もそういう時もたくさんありますけれど、実は日本的な構成の妙、本当に緻密に編み上げる力、全く知らない人に伝える力はものすごく持っていると改めて思いましたね。

杉本:でも伝える方向や意味付けはかなり自由裁量でね。例えば太平洋戦争で日本が全員で突き進んで行くときに、逆にメディアの方が先に突っ走って、行政機関がそれを追認せざるをえなくなった。大規模な国民的付和雷同みたいなものを形作るメディアの力はものすごく大きいし、怖いと思う。特に戦争に至る経緯は、アメリカに居ながらアメリカ人にどう説明しようかと。非常に良くないですね。

hazimarinokioku-2.jpg監督:今杉本さんは、太平洋戦争にまつわるものすごいコレクションを持たれていますが、今集められていることをどういう形で発表していくのでしょうか。

杉本:物証として色々あります。開戦の12月8日の各新聞トップの見出しとか、終戦の新聞など。その間毎日と朝日が販売部数競争をしているんです。過激な現場報告をすればするほど売れるという状態で、戦争のおかげで発行部数が倍々ゲームになったんですよ。何が目的なのか、事実の報道が目的か、他社との競争かということになり、結局大衆の扇動要素になったのです。世論がどうやって作られるかは日本的な独特の形があるんですよ。

監督:杉本さんが(集められたものを)パッと手にとって、そこからどういうビジョンを描いているのか知りたかったということもありました。

杉本:こういうことが起こったときにどういう風に動くかと、震災のときもそうですが、日本人独特の精神性というかメンタリティー、共同で動く心の原理は、日本人以外の人たちと非常に違うのではないかと外国に住んでいると特に思います。仏教を6世紀半ばに受け入れたときどう思ったかとか、日本人が古来の神々にどう折り合いをつけたのかとか、縄文時代から絶対変わらない心の持ち方があるんです。

hazimarinokioku-s1.jpg監督:皆さん感じていらっしゃると思いますが、杉本さんはしゃべり始めると本当に大学教授のように止まらないのです。映画の中の姿そのものですが、どれだけ私がかなり分かりやすく編集したか分かっていただけるかと思います(笑)。

杉本:一般化していて、濃いところの問題発言はかなりカットされていますから。

監督:杉本さんの問題発言は、本当にすごいレベルなので、それはまたいずれパート2で。

杉本:裏バージョンを作ってもらいたい(笑)。

監督:アメリカで活動され、そして日本にエネルギーを逆に返してくださる杉本さんは日本の希望の星で、ここで一旦杉本さんの終わりなき活動を止めて見せたということで、この先ずっと私を裏切り続けていただきたいです。

杉本:写真はもうだいぶ終わりに近づいてきています。フィルムもなくなるし、紙もなくなるし。今はパフォーマーの方に入ろうとしています。自分でやらないとつまらないというか、脚本を書くのもそうですが、来年はニューヨークのローリー・アンダーソンとの共演で『滝の白糸』という無声映画の弁士をやります。彼女が「私も弁士をやる」と、溝口健二の映画をローリー・アンダーソン流にブチブチに切ってランダムに見せながら、彼女が英語で僕が日本語で弁士をするのです。

あと杉本文楽が橋本政権下で問題になっていますが(会場爆笑)、パリに招かれて10月に行きます。多分その凱旋公演として大阪公演はやろうと思っています(会場拍手)。どこでやるかはまだ決まっていませんが、来年中にはやることになると思います。ご期待ください。

(最後の一言)
監督:今日はお越しいただいてありがとうございました。気に入っていただけたらうれしいです。
杉本:これは杉本のほんの一面だけだと思ってください。『月見座頭』という狂言が私は好きなのですが、人間はいい時も悪い時もあるという狂言なんです。この映画はいい人の面しかなくて、悪い面もいっぱいあるのですが、そこは次の機会に。


異国にいるからこそ感じる日本人の精神性について、史実の出来事や芸術を例に挙げながら解説する杉本氏と、とにかくスケールの大きい類まれな芸術家の魅力を分かりやすく届ける挑戦に挑んだ中村佑子監督とのトークに、満員の観客からも大きな拍手が起こった。本作で杉本博司とその作品の崇高さに触れる至福の時間を、ぜひ体験してほしい。(江口 由美)

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アキ・カウリマスキ監督最新作『ル・アーブルの靴みがき』が8月18日(土)から公開されることを記念して、東京に引き続き、京都みなみ会館で全20作を一挙上映する特別上映『おかえり!カウリマスキ』が開催される。

長篇デビュー作の『罪と罰』や、敗者三部作『浮き雲』、『過去のない男』、『街のあかり』をはじめ、貴重な短篇にいたるまで、アキ・カウリマスキ監督の軌跡をじっくりと堪能したいスペシャル企画だ。


『ル・アーヴルの靴みがき』8/18(土)~公開記念!【特集上映:おかえり!カウリスマキ】詳細はコチラ 

映画ニューストップへ

『きっと ここが帰る場所』缶バッジトプレゼント!kittokoko-pre.jpg

 提供

・募集人数: 3名様
・締切 :2012年 8月 15日(水)

・作品紹介⇒コチラ 
・公式サイト⇒ http://www.kittokoko.com/
 

(2011年 イタリア・フランス・アイルランド合作 1時間59分)

監督:パオロ・ソレンティーノ

出演:ショーン・ペン、フランシス・マクドーマンド、イヴ・ヒューソン、ハリー・ディーン・スタントンほか

©2011 Indigo Film,Lucky Red,Medusa Film,ARP,France 2 Cinema,Element Pictures,All Rights reserved.

2012年6月30日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマライズ、7月7日(土)~シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、7月14日(土)~シネ・リーブル神戸、7月21日(土)~京都シネマほか、全国順次ロードショー

 


 

chihiro-s1.jpg(2012年 1時間36分 日本)

監督・編集:海南友子
エグゼクティブプロデューサー:山田洋次
声の出演:檀れい、田中哲司
出演者:黒柳徹子、高畑勲、中原ひとみ、松本善明
7/14〜テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、9月下旬〜京都シネマ
公式サイトはコチラ

~優しくみずみずしい絵に秘められた作家の人生に迫る~

 いわさきちひろの絵はカレンダーなどで、日本人なら一度は目にしたことがあるにちがいない。淡く柔らかで優しい絵の作家としてその名は広く知られている。しかし、ちひろの苦労続きの波乱に富んだ人生について知る人は少ない。本作は、初めてちひろの人生にスポットをあてたドキュメンタリー映画。監督の海南友子さんは、ちひろについては、子どもの頃触れたきりで、ほとんど縁がなかったが、本作がきっかけで、ちひろの生きる強さを知り、絵の印象が180度変わったと語る。大阪では、テアトル梅田で公開が始まったが、平日休日を問わず、日中は客席がかなり埋まるそうだ。没後40年近くたった今も根強い人気を誇る絵本画家いわさきちひろの魅力とその人生について、公開を前に行われた海南監督への共同取材の模様をつうじて、ご紹介したい。


chihiro-1.jpg■映画化について

――本作を監督されるきっかけは?

4年ほど前に山田洋次監督から、人間いわさきちひろのドキュメンタリーをつくらないかと声をかけられ、生前のちひろさんを知っている人に話を聞こうと、50人に足掛け3年かけてインタビューを重ねました。「鉄の心棒を真綿でくるんだような人」という言葉を度々うかがいました。確かに絵は可愛らしいですが、波乱万丈の人生の中で、決して諦めない、固い意思を持ち、自分らしさを求め、極めようとした人だと感じました。

――ちひろが20歳で親の決めた相手と結婚して満州に渡り、2年弱で夫が自殺、帰国したという話は衝撃的でした。戦時中、ちひろの母親が旧満州に若い女性達を“大陸の花嫁”として送り込むなど、両親ともに戦争に協力的だったことは、広く知られているのですか?

大半の人はちひろの絵しか知らないと思います。私も知りませんでした。最初の結婚の話はショックで、結婚したのに身体も心も開かないというのはどういうことかと思いました。いろいろ発見していく喜びがあり、証言を得てまた発見があって、という繰返しで作品づくりを進めていきました。最初の不幸な結婚をはじめ、苦しい思いをし、見てきたからこそ、あんな優しい絵が描けたのではないか、そこが知りたいと思いました。

■ちひろの人生の転機

――映画のタイトルの「27歳の旅立ち」というのは?

彼女の人生で一番大きいのは、27歳の時の転機だと思います。前年に敗戦で家も焼かれ、職もなく、(戦争に協力していたため)親の立場もなくなり、さらにバツイチ――今のバツイチと違って当事はちょっとタブーというか、結婚して戻ってきた娘――という三重苦の状態でした。その中で初めて、彼女は自分が本当に絵を描きたいということに気がつくんですよね。それまでは、絵を仕事にまでしようとは思っていなくて、もし敗戦がなかったら、ただの絵の上手い近所のおばさんで終わっていたかもしれません。でも、そうじゃなくて、絵の道で生きていきたいということを、人生のどん底で決意するんです。今こうして有名になっているからこそ、そこがスタートといえますが、ここで立ち上がっても、なんの成果も得られない可能性だってあったわけで、立ち上がる勇気というのが、彼女の人生の最大の転機だったと思います。

――ちひろの人生のどこにスポットを当てようと考えましたか?

彼女の3つの強さ、まず人間としての強さ、戦争にどう向き合うのか、二つめは働く女性としての強さ、母としての強さ、三つめはアーティストとしての強さを大事に描きたいと思いました。ちひろをアーティストというと違和感があるかもしれませんが、彼女は自分の絵にプライドを持っていたので、著作権運動も一生懸命やっていました。当時、絵本作家にはまだ著作権がなく、出版社が勝手に絵を切ったりしていた中で、彼女は、自分の絵をぞんざいに扱わないでほしいと、原画の返還や作家の権利を働きかけていくんです。そのことで、大手出版社からの仕事を失ったりもしているのですが、私は私でこうなんですという自分のアートに対する絶対的自信が彼女の強さに結びついていたと思います。

――彼女の強さはどんなところから生まれたと思いますか?

ご自分の好きなものをとても大事にされていました。たとえば敗戦後、物がなくて、おしゃれとかできない時に、彼女は可愛らしいものをすごく大事にしていて、どこかからひもを拾ってきてリボンをつくって、髪の毛やブラウスにつけたりしていました。当時、そんな人はおらず、すごく異様だったそうですが、自分がいいと思うものは、まわりからどんなに批判を受けても、絶対やりたい。それが著作権運動ともつながっていて、リボンと著作権は多分彼女にとっては同じことで、自分が大事にしているものを汚されたくない、そこが彼女の強さだったのではないかと取材を終えて思いました。

――弁護士を目指す夫を支え、生活費を稼ぐため、生後1か月半の息子を長野の実家に預け、東京で絵筆一本で仕事に励み、お金が入ると喜び勇んで子どもに会いに行くというエピソードが印象的でした。

ちひろは、自分の子どもが一番可愛い時期に離れ離れになってしまいました。すごく悲しいことですが、会えないからこそ、子どものことを考え、子どもの絵をいっぱい描く。子どもに会いたいという思いや愛を、ちひろは絵にぶつけるしかありませんでした。それがアーティストとしての彼女の深みにつながったとも思うので、不幸なエピソードが彼女の作風を高めていくことにつながったと感じます。27歳が1回目の転機だとしたら、息子との別れというのが2回目の大きな転機だったと思います。そこがなかったら、ちひろの絵はもっと違っていたかもしれません。

chihiro-s2.jpg■ちひろの描く子ども

――ちひろの絵に、満面の笑顔の子どもというのは、あまりいませんね。

ちひろは、子どもの気持ち、心をどうやって描くのかということに随分思いを砕いていました。いわゆる“可愛い子ども”というイメージではなく、その子が今どんな気持ちなのかというところまで、絵の中から伝わってくるようにするためには、どうしたらいいのか、工夫を重ねて最後までやり続けた人です。たとえば、『あめのひのおるすばん』という絵本に、お母さんを待って留守番をしている子どもの絵があります。雨が降っていて、色が重なって輪郭がなく、にじんだような絵です。お母さんが帰ってこないと本当に不安で、「ママどこ行っちゃったんだろう」という経験は誰もがお持ちだと思います。それを色の重ね方、ぼかし方で表現しています。どういう絵画の技法を使うかは無意識だったと思うのですが、どうしたら雨の日にお留守番をしている子どもの気持ちが表現できるのか、すごく考えて、そこにたどりついたのです。 

――表現としても斬新で、あまり言葉を尽くさずに、絵から感情がわきあがるということに感銘しました。 

「余白の美」と彼女はよく言っていますが、白く余っているところがあることで、世界が完成する。普通なら黒く塗らないと髪の毛に見えないのに、ちひろの絵では、髪の毛とかも白い子が多いです。白いところ、何もないところに、少女の思い詰めている気持ちが読み取れたりして、色使いや描きぶりは独自なものだと思います。

――ちひろの作品のうち、どれが一番好きですか?

本当にいろいろあるのですが、今は、ベトナム反戦を訴えた絵本『戦火のなかの子どもたち』の、まさしく今、焔に巻き込まれて死んでいく母と、母の腕に抱かれている子どもの絵です。戦争を表現する時に悲惨な場面を描くという方法もありますが、彼女は違います。これから壊される平和な世界を描き、それが壊されるということをどう思いますかと語りかけてくるのです。同じものづくりをする人間として、その方法はリスペクトしたいですし、表現者としてすごいと思います。

彼女は戦前2回ほど満州に行って、現地で悲惨な状況をみていますし、東京大空襲では被災者になっています。苦しい体験をしている子どもたちをたくさん見て、子どもが幸せということは大人も幸せということで、“いのち”の象徴として子どもを描くというのが、彼女が人生を通じて成し遂げたことだと思います

――ちひろの絵には、今でも数多くのファンがいますね。

私の母の世代に、ちひろの絵が好きな方が多く、見るだけで大好きみたいに言われ、正直最初は違和感がありました。でも、私自身、この年末に子どもを生んで、それから、ちひろの絵を見ると、母達が、絵を見ていたのではなく、絵の向こうに、娘である私とか、自分の子どもへの思いを見ている。そのことが、私自身の体験としてわかった時があって、ちひろの息子に向けた愛が、絵のどこかに、見えないけど凝縮して入っていて、それがきっと見る人にはね返って、一層、ちひろの絵への想いが強くなっていくのかなと今は思っています。

chihiro-s3.jpg■映画づくりについて

――今、いわさきちひろの映画をつくる意味は?

単にちひろさんの生前の映画をつくるのではなく、迷ったり悩んだりしている人達に、どうしたらちゃんと希望を伝えることができるのか、今映画をつくる意味についてはかなり考えました。彼女の生き方の強さは、今いろんなことに悩んでいる若い女性達にとって、とても意味があり、それをメッセージとして伝えたい。当時の27歳は、今の30歳代後半位だと思いますが、そんな遅くからでも自分の夢を貫き実現することができる、いつ始めても遅くない、歩き続けていれば、いわさきちひろのようになれる、そういう瞬間もあるのではないか、という希望みたいなものを提示できたらと思って編集しました。

3.11の東北大震災のことも意識しました。ちひろのように絶対的に不幸な三重苦の状態、何もかもなくしたからこそ、これをやりたいということを見つけることができた人もいます。3.11は絶対的に不幸なことですが、そこから立ち上がっていける生き方を提示したいと思いました。

――映画づくりの中でどんなところに苦労されましたか?

ご本人は約40年前に亡くなっていますし、証言だけで一人の人間像を立体化していくことは難しいですが、やりがいがありました。50人の人から見た50個の真実と出会い、その中からどこが一番ちひろらしいのか、円が一番重なるところを見つけることが私の仕事だと思いました。編集の過程では、随分悩んで、議論も果てしなくやって、結局1年位かかりました。ご本人の動く映像がなかったので、ちひろの書いた日記やメモの中の言葉を壇れいさんに読んでもらいました。ちひろの書き残した言葉の解釈、どういう気持ちでその言葉を書いたのか、また、一万枚近く残っている絵の中から、どの絵をどこに差し込むのかという構成について、ちひろの気持ちをどの絵で表現すべきかについても、山田監督やいろんな人と議論を重ねました。

――ちひろが27歳の時に描いた自画像は珍しい絵だと思いますが、今回の映画化で、新しい絵の発見はあったのでしょうか?

昔の自分の作品をかなりきちんととっておく方だったので、無名時代のスケッチも捨てないでとってありました、東京のちひろ美術館や、長野の安曇野ちひろ美術館できちんと整理され、あまり人目に触れられていないものもありますが、全部美術館にあったものです。でもこうやって一つの作品にまとめてみせるのはほぼ初めてで、この27歳の自画像を描いた人と、童話の絵を描いた人が同じ人だというのは少し意外な感じもします。アーティストというのは、いろんな紆余曲折を経て自分の作風にたどりつく、その過程を映画の中で一緒に体験してもらえたらと思います。下宿で描きなぐった大量のスケッチをワンカット撮っていますが、どんな思いでこれだけの絵を模写していたのかと思うと、ちひろの抱えていたいろんな思いがこちらに向かってくるように感じられて、撮影しながら背筋がびりびりするようでした。

夫の善明さんからちひろに宛てたラブレターは、たまたま美術館からいただいた資料のコピーの中に紛れ込んでいて、今まで整理したものにはなかったそうです。人に対する思いとか、どうやって社会と向き合っていくのか、本当に運命の人という感じの出会いだったようです。結婚式もつつましやかで、二人の結びつきが強いのも、一回目の結婚で失敗されているからこそ、二回目は本当に好きな人と結婚したいという願いが凝縮されていたと思います。

■観客に向けて

――映画だからこそと意識された点は?

私はもともとテレビ出身です。テレビはたくさんの方に一度に観てもらえる長所がある反面、お客さんの反応が全くわからず、作り手としてはすごく孤独でした。半年かけてつくった作品が45分の放送であっという間に終わってしまい、何も残りません。会社を辞めて私が選んだのは、暗闇で時間を共有できる映画という表現方法です。今回作風は若干テレビっぽいところもありますが、暗闇の中で90分間、観客の方と一緒にちひろの旅に出たいと思ってつくりました。自分が27歳の時どうだったかなということは、テレビだとあまり思いませんが、暗闇の中で観ると、自分の人生と比べたりすることも多く、それがドキュメンタリー映画のいいところだと思います。

――観客の方へのメッセージをお願いします。

ちひろの絵が好きな方からは、大画面でちひろの絵の世界を堪能でき、絵の世界に包み込まれる喜びがあり、音と絵を体感できて嬉しかったという感想をいただきました。私を含めて、ちひろの絵が少し苦手とか、あまり縁のない人には、今回、一人の女性としての生き方に焦点を当てたつくりになっていますので、彼女がどんなふうに悩み、どんなふうに立ち上がり、生き抜いたかはきちんと描けたと思いますので、ぜひ観ていただきたいと思います。


海南監督と同じく私もちひろの人生については全く知らなかった。本作を観て驚き、幾つもの苦しみをバネにして、大きく飛翔したともいえる人生に圧倒された。絵を描くことをこよなく愛し、1本の線に想いを込めて描き続けたちひろ。「甘い絵」と批判されても自分のスタイルを貫きとおす強さ、絵本画家として成功をおさめた後も、著作権運動に果敢に取り組んでいく志の高さ。優しく、弱く、純粋な子どもたちへの視点を終生忘れることはなかった。そんな、自分に誠実に生き抜いたちひろの生き様に大いに感銘を受けた。ぜひ、本作を観て、多くの人にこのことを共感してほしい。そして自分自身について、自分の人生についてちょっと振り返ってみてほしい。きっと、ちひろの強さ、潔さは、私たち誰もの心の中にもあるはずのものだと思うから…。(伊藤 久美子)

 

 6時間半にわたってイタリアのある家族の<今>を紡ぎ出す感動作『ジョルダーニ家の人々』が、7月28日より梅田ガーデンシネマにて公開するのを記念して、美味しいコラボレーション企画が行われる。

ミモザのタルト.jpgローマ出身のオーナーシェフが、心のこもった家庭料理を提供する『CASARECCIO』(カサレッチョ)では
映画『ジョルダーニ家の人々』にちなんだコラボレーション・ドルチェが登場! 「レモンクリームをサンドしたミモザのタルト(写真上)」、「リコッタチーズを包んだクッキーカンノーリ(写真下)が楽しめる。

◆半券または、前売り券をご持参のお客様には、
イタリアのカクテルミモザ(オレンジジュースとスパークリングワインを割ったドリンク)をサービス

カンノーリ・クッキー.jpg更に!◆ローマのレストラン【KEENS】のワンドリンクサービス券プレゼント!
是非、劇中に登場する美しいローマの街を訪れ、【KEENS】へ行ってみてはいかが?
KEENS http://www.ristorantekeens.it/ 住所:via zamparini 35-40   ※1年間有効(2013年8月まで)


 
◆実施期間:7月15日(日)~8月15日(水)
CASARECCIO カサレッチョ
住所:兵庫県尼崎市南武庫之荘1-22-23 (阪急電鉄 武庫之荘駅より徒歩3分)
電話:06-6432-3232 営業時間:11:30-14:00 18:00-22:00 毎週火曜日定休 http://casareccio.jp/


joldern.jpg『ジョルダーニ家の人々』

イタリア、ローマに暮らすジョルダーニ家の人々の葛藤、愛、別れと出逢いー。
揺れ動く時代を生きる人々の運命を6時間39分にわたって描いた感動のドラマ、一挙公開!
傑作『輝ける青春』の脚本家サンドロ・ペトラリアとステファノ・ルッリが、混迷を深める現代、イタリアに暮らすある家族の運命をとおし、それぞれの葛藤、愛と諍い、別れと出逢いを長時間かけて丹念に紡ぎ出す。観る者はこの希有な時間を体験することによって、今日においても家族という人間のつながりの在り方が、姿を変えながらも普遍であることを確かめるだろう。一本の川がいつか大河の流れとなるように、それぞれの運命と人生は、ふたたび織りあわされて、血のつながりや民族を越え、より大きな家族を成してゆく。

2010年/イタリア・フランス合作/上映時間399分/
配給・提供:チャイルド・フィルム、ツイン 後援:イタリア領事館 特別協力:イタリア文化会館
7月28日(土)~ 梅田ガーデンシネマにて2週間限定!8月4日(土)~ 京都シネマ にて1週間限定!

公式サイトはコチラ

 『ジョルダーニ家の人々』作品レビューはコチラ

映画ニューストップへ

HS-s2.jpg(12.7.6大阪ステーションシティシネマ)
ゲスト:蜷川実花監督、大森南朗

2012年 日本 2時間7分 R15+
監督:蜷川実花
原作:岡崎京子著『へルタースケルター』祥伝社
出演:沢尻エリカ、寺島しのぶ、大森南朗、桃井かおり、綾野剛、水原希子、窪塚洋介
2012年7月14日(土)~大阪ステーションシティシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国ロードショー

公式サイト⇒ http://hs-movie.com/index.html

作品レビューはコチラ

岡崎京子の人気アニメが原作の、芸能界を舞台にした愛と欲望の世界を描き出す沢尻エリカ5年ぶりの主演映画『ヘルタースケルター』。14日(土)の公開を前に「関西起爆プレミア試写会」と題して開催されるこの日の試写会には160組の応募に対し、なんと2万通の応募があったという。この話題作を早く観たいという熱気に溢れた劇場に、スペシャルゲストとして蜷川実花監督、沢尻エリカ演じるりりこと対峙する検事、麻田役の大森南朗が登壇。本作への想いや、主演沢尻エリカの撮影秘話について語った。


HS-s3.jpg━━━どうしてこの作品を撮ろうと思ったのですか。

監督:岡崎知子さんはもともと大好きなのですが、読み終わった後にずっと自分の中に何かが残るような衝撃で、この映画もそのようなドキドキが残せればいいなと思いました。美に執着する女性の話なので、りりこは随分と極端な人ではあるけれど、みなさんの中にも女性だったら小さなりりこがいるのではと思って撮っていました。

━━━りりこと対峙する麻田という役をオファーされたときの率直なお気持ちは?

大森:なかなかの二枚目キャラにも見えるので俺でいいのか、錦ちゃんのほうがいいんじゃないかと自分では思ったのですが、監督たっての希望だったので。

監督:撮影もご一緒してよく知った仲なので、最初のオファーは「今度ご飯いこう。あと、映画出て。」という感じで。返事も「メシ、行く行く。映画、出る出る。」みたいな。どうしてもこの役をやってほしいと思ったんです。南朗さんが演じたこの役は、すごく好みの男性で、さらに夜中に自分でせりふを書いたものですから、自分がこう言ってほしいというせりふが満載です。

HS-s4.jpg━━━監督から演じるにあたってのリクエストはありましたか?

大森:現場で話し合いはして、そのキャラクターを探していくという作業はしましたね。

監督:本当に難しい役で、せりふも口語体じゃないので、南朗さんがやってくれたことによって、人間味や説得力がでましたね。

━━━りりこ役の沢尻エリカさんも蜷川監督からのオファーですか?

監督:本当にりりこのストーリーなので、これを誰にやってもらおうかと何度もいろんな角度から考えても沢尻エリカしかいませんでした。見ていただいて感じていただけると思いますが、今この場に立っても本当に彼女にしかこの役はできなかったなと日々思っています。

━━━大森さんは沢尻エリカさんと共演していかがでしたか?

大森:すごく感受性の豊かな20代の女優さんだなと。マスコミに取り上げられていますが、意外と会うと普通に「地元近いね。」という話をしたりしましたね。

監督:多分緊張するんでしょうね。あとすごく不器用なので、お芝居をしているときはすごいなと思いますし、普通の女の子のときはそうなんだなと、私も思いました。 

hs-2.jpg━━━蜷川監督から沢尻さんに演じる上でのリクエストはしたのでしょうか?

 

監督:南朗さんにはほとんどしていませんが、エリカはものすごく細かくやっていました。最後の方は大体前日に電話をして、翌日のシーンのかなり細かい打ち合わせをしてから、お互い納得した上で現場に立っていたので、現場ではあまり言ってないように見えたかもしれませんね。

━━━寺島しのぶさんや桃井かおりさんなど、存在感のある女優さんとの共演でしたね。

監督:女の人が濃いので、男性は心安らぐキャストにしました(笑)。

hs-3.jpg━━━あと1週間で公開ですが、蜷川監督の今のお気持ちはいかがですか?

監督:本当に7年間ぐらいやりたくて、やりたくて、待っていた作品で、やっとここまできたかとドキドキしています。うれしいですけれどね。

大森:満を持して本当にヒットしてほしいです。お客さんにいっぱい入っていただいて、見て、いろんなことを感じていただければと思います。

監督:もしよかったら、ガンガンお友達に薦めてください。ブログとかTwitterとかに書いてくだされば、リツイートしますので!

━━━最後のメッセージをお願いいたします。

大森:すげえ力のある映画なので、みんながんばって見てください。きっといいものをもって帰れると思います。今日はありがとうございました。

監督:この作品は自分にとって本当に運命的な作品で、これ以前とこれ以降とはっきり自分の中で区切りがつくものになっています。私もエリカも他のキャストやスタッフの魂がかかった結構アツイ映画になっていますので、どうぞ楽しんでいってください。今日はありがとうございました。


HS-s1.jpg挨拶後は七夕にちなんで、蜷川監督と大森南朗が劇中に登場する蝶のモチーフに大ヒット祈願をかけて、笹の葉に飾り付ける一幕もあった。最後のフォトセッションではさらに大きな「大ヒット祈願」を手に引き締まった顔でポーズに応えてくれたお二人。蜷川監督の口から「運命的な作品」との言葉があった通り、鮮烈な映像と魅力的な主人公に強く惹きつけられ、ガツンとしたパワーを放つ作品だ。劇場公開までカウントダウン、この夏一番の話題作を是非スクリーンで目撃してほしい。

(江口 由美)

(C)2012映画『ヘルタースケルター』 製作委員会

「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭 映画の國名作選 VI」

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『ベルタのモチーフ』(1983年 スペイン 1時間58分)
『影の列車』(1997年 スペイン 1時間22分)
『シルビアのいる街の写真』(2007年 スペイン 1時間17分)
『シルビアのいる街で』(2007年 スペイン=フランス 1時間26分)
『イニスフリー』(1990年 スペイン=フランス=アイルランド 1時間48分)
『工事中』(2001年 スペイン 2時間13分)
『ゲスト』(2010年 スペイン 2時間13分)
『メカス×ゲリン 往復書簡』(2011年 スペイン 1時間39分)

9月から第七芸術劇場にて、今秋、京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンターにて公開予定

公式サイト⇒ http://www.eiganokuni.com/jlg/

『ベルタのモチーフ』作品レビューはコチラ

~驚きと発見に満ちた映像体験~

一昨年、日本で劇場公開された『シルビアのいる街で』のすばらしい音と映像世界で多くの映画ファンを魅了した、稀有の映像作家、スペインのホセ・ルイス・ゲリン監督。幻の処女作『ベルタのモチーフ』をはじめとした8作品が、「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」と題して、関西では、この秋、一挙上映されることになりました。東京では6月末から開催された同映画祭にゲストとして来日されたゲリン監督を、大阪では、7月3日に迎えて『ベルタのモチーフ』公開記念の記者会見が行われました。その内容をご紹介します。


―――昨年スペインのビクトル・エリセ監督が来日された折、映画は自分と向こう岸にいる人とを結ぶ架け橋のようなものと言われましたが、ゲリン監督はどう思われますか。

確かに私もそう思います。エリセ監督とはとても親しい仲で、スペインで最も尊敬できる監督です。私にとって日本との架け橋は小津安二郎監督の映画です。小津作品を観るまで、日本のイメージは芸者と侍しかありませんでした。若い時に小津の映画を観て、原節子が自分の姉のように、笠智衆が自分の父親のような気がしていました。ほかにも、日本の文化として、俳句や文楽にも興味を抱きましたが、最初に興味を持ったのは小津の映画です。

映画は、どの国においても、外務大臣より外交ができると思います。国のイメージがつくられるのは映画を通してです。イラクが空爆されてしまうのもイラクのイメージがなかなか世界に伝わっていないからで、イメージを持っている国は権力を持つことができると思います。

berta-1-240.jpg―――『ベルタのモチーフ』は1983年の作品ですが、モノクロで撮った意図は?

これは、私が22歳の時、今から30年位前の初監督の作品です。すべての要素をコントロールすることが大切と考え、何もない空間を探しました。フレームの中で、地平線のライン、垂直を表す木のライン、道路など、ラインというものをコントロールしたいと思ったのです。そのように統制された中でイメージがもっと饒舌に語り出すには、モノクロのほうがいいと考えました。

絵画においては色彩が一番重要だと思いますが、映画にとって重要なのは光だと思います。私の場合、ほとんどモノクロに戻ります。というのも、モノクロは最も基本的であり、私が親しんできた映画の大半はモノクロでした。

―――監督が親しんできた作品とは、具体的にどんな作品ですか?

『生れてはみたけれど』、『東京物語』、『晩春』、『雨月物語』、チャップリン、ジョン・フォード、ジャン・ルノワール、『お早よう』などなどです。

カラーの作品はとても費用がかかります。すべての要素をそろえようとすると、美術、衣装にも気を配らなければなりません。資金がないということで、どこかを妥協するぐらいなら、モノクロの方がよいと私は思っています。

Gerin-1.jpg―――小津監督の作品に、そこまで魅かれる理由は?

映画を観ていて、彼らが自分の家族だと思えたのは小津作品だけです。映画の中で、人というものを一番よく描いている監督で、奥ゆかしさ、謙虚さをもとに、シンプルに仕上げているところにあると思います。職人的に、フレームの決め方や構図などが非常に厳格に行われていて、それが日々の小さな出来事を映画という物語に変えています。 

(『晩春』で)父親がただ林檎の皮をむくところも、単純な仕草が、厳格なフレームの中で、とても大きな意味を持ち、後に何かが起きるきっかけになる秘密を秘めていることがわかります。小さな出来事を映画の中で描ききることが、今の現代映画では重要だと思います。

小津監督の作品をずっと観ていると、笠智衆も原節子も次第に年をとっていきます。その感覚が私にとっては新鮮で、家族だという感覚を教えてくれるのだと思います。北鎌倉を訪れて高齢の女性を見るたびに、私は、原節子さんかもしれないと思って見ています。すべての小津作品の中で、原節子は私の姉であり、娘であり、母です。ぜひ一度でいいから抱擁してみたいと思います。きっと驚いて逃げられると思いますが(笑)。

―――失われた時間や記憶に強い関心をお持ちなんですね?

私の映画には、すべて、過去という神秘的な時間と現在と、二つの時間が弁証法的につかわれています。それは、探しているわけではなく、偶然そうなってしまうといった方がいいかもしれません。たとえば、『工事中』(2001年)という映画の撮影中、古い建物を壊して掘っている時に、ローマ人の遺体が出てきましたが、これは偶然に現れたものです。

一作目の『ベルタのモチーフ』は、一番かっちり書いた脚本に基づいて撮影したものですが、それ以降は、何か起こったことに順応しながら撮っていく中で、過去と現在の間の関係というものを、その緊張感を新鮮に見出したいと思っています。

berta-2-240.jpg―――『ベルタのモチーフ』で、シューベルトの「さすらい」という歌をつかった意図は?

あの曲は女優アリエル・ドンバールが歌っていて、スペイン語で「歩いていく」という意味です。この曲自体、ベルタが大人になっていく成長過程を示すものであり、また、自殺する男はドイツのロマンティシズムの具現化なのですが、そのロマンティシズムを表すためと、二つの意味でシューベルトをつかいました。

―――自殺する男が持っていた三角帽子が印象的です。

ドイツのロマンティシズムの伝統と、ベルタの、戻ってくる人を待っているという間違ったロマンティックな解釈につながるものです。『イニスフリー』(1990年)でも、撮影隊が閉ざされた共同体に到着して、撮影を始めるという中で、少女と帽子というモチーフをつかっています。

―――スペインのアート系映画づくりの環境はどうですか?

スペインの映画の上映環境はよくありません。アメリカのヒット作品、大作ばかりが上映されるので、私は、アート系の映画を観るためにフランスに行きます。スペインはインディペンデント映画になかなか助成がなく、アート系の映画は製作しにくい状況にあります。今の経済危機の中で文化的要素が真っ先に切られているのが現状です。


 今、活躍中の日本人監督の名前を尋ねられて「知らない」と答えたゲリン監督は、ふと、いたずらっ子のような表情で微笑んで「ホウ・シャオシェン(侯 孝賢)」と言って、会場を笑いでなごませた。その後、ふと思い出したかのように「スワ、スワ」(諏訪敦彦)と繰り返した。小津監督作品への思いを、とても楽しそうに語ってくれ、言葉はわからなくても、熱い思いが伝わってきた。

監督は、大阪での記者会見を終えた後、京都へ向かい、夜、同志社大学で、学生や熱心な映画ファンを前にトークに臨んだ。会場は、監督の話を生で聞けるということで、満場の熱気であふれた。『ベルタのモチーフ』でアリエル・ドンバールの出演に至ったいきさつを尋ねられ、監督は、エリック・ロメールの映画で何度か観ていて、出てほしいと思い、お金はないですが、ぜひ映画に出てほしいと手紙を書いたところ、優しい人で、承諾してくれたというエピソードを紹介。撮影中もとても寛容な人でしたと感慨深く述べた。映画だけでなく、日本のいろんな文化に造詣の深い監督は、翌日は鴨長明の足跡をたどると嬉しそうに話し、俳句を読むことも発見に満ちていると言って、蕪村、芭蕉、子規、良寛、そして、山頭火の名を加えた。俳句という、限られた言葉で無常や詩的な世界を描写しようとする試みは、監督の、台詞や説明的な要素をできるだけ映画からそぎ落とし、詩的で内面的な映像世界をつくりあげようとする姿勢に通じるものがあるかもしれない。

京都では、『ベルタのモチーフ』、『メカス×ゲリン 往復書簡』の2本が先行上映され、ゲリン監督の音の感覚、映像を構築する力、生まれ出た映画のもつイメージの豊かさに、あらためて圧倒された。一つ一つのシーンが見事に絵になっていて、限りなく美しい。「映画の基本は見る事と聞く事だと思います」との監督の言葉どおり、目の前の映像と向き合い、聞こえてくる音にときめき、心洗われるような映画体験は、発見と驚きと喜びに満ちていた。

ゲリン監督は京都のトークで「時々、肖像画を描くように映画を撮りたくなってきました。映画を観たあと、物語は忘れても、ただ一つの場面の姿勢や態度などが、心に焼きつくことがあります。それが私にとっての『肖像画』になるのです」と言われた。監督の映画に出会った観客は、きっと、宝物のようなすてきなシーンを、幾つも心に刻み込んで、家路に着くにちがいない。秋の映画祭がただもう待ち遠しいばかり。この至福な出会いが関西でも実現したことに心から感謝したい。(伊藤 久美子) 

olo-s2.jpg(2012年 日本 1時間48分)
監督:岩佐寿弥
プロデューサー:代島治彦
音楽:大友良英 
絵・題字:下田昌克

© OLO Production Committee

6月30日~ユーロスペース(東京)、7月7日〜シネ・ヌーヴォ、(公開時期未定)京都みなみ会館
公式サイト⇒http://www.olo-tibet.com/

~少年オロの悲しみと明るさが心に刻みこまれる…~

チベットでは、中国政府の政策でチベット文化やチベット語の公教育が十分行われず、親たちは、インド北部のダラムサラにある「チベットこども村」(チベット亡命政府が運営)という全寮制の学校で勉学させるため、あえて子どもたちを人に託して、ヒマラヤを越え、亡命させる。少年オロもそんなふうに6歳の時、母から国外へと送り出された一人。映画の前半では、オロの学校生活や、友達の家族の姿が描かれ、家族が離散した悲しみや、友達が体験した亡命の苦労が語られる。後半は、岩佐監督ご本人が登場。オロは、監督とともに、チベット難民一世でネパールで暮らすおばあちゃん(監督の前作『モゥモ チェンガ』(2002年)の主人公)の家を訪ねる。

おちゃめで繊細な少年オロはじっと見守りたくなるくらいにかわいく、その表情にひき込まれる。オロを主人公としたドキュメンタリーでありながら、他のチベット映画の映像やアニメ映像も挿入され、撮影者である監督と被写体のオロとが映画について語りあうシーンもあり、自由な作風が魅力的。来阪された岩佐監督と代島プロデューサーから本作の魅力についてたっぷりとお話をうかがったのでご紹介したい。


■映画化のきっかけ

olo-1.jpg―――最初にチベットに魅かれたきっかけは何ですか。

監督「16年前、妻がトレッキングをやっていて、ガイドの方がネパール国籍を持つチベットの難民でした。妻たちが山に行っている間、僕は、彼が育った難民キャンプに行くようになりました。日本人と顔も感覚も似ていて、難民キャンプの空間も、僕の子どもの頃を思い出し、とても懐かしい、でもひとつ微妙な違いを感じていました。何だろうと思っていたら、こびへつらわない、卑屈にならないというのがあって、チベット文化が生み出すものだと思いました。チベット仏教が生活のひだまでしみとおるようにあって、そういう伝統の中から生まれてきた一つの人格という独特のものを、難民の人たちが外国へ行っても、とても大事にしているところに、とてもひかれました。

こびへつらうことは、威張ることの反対のようにみえますが、僕は一つのことだと思います。威張ることの裏返しがへつらうことで、威張りたい人は局面によってはすぐ卑屈になるし、卑屈な人は威張るチャンスがあれば威張りたがる。チベットの人たちにはそういうものがありません。日本人でも卑屈でない人はたくさんいますが、チベットの場合、子どもの時からそのようなものが育たないように育てられてきている感じがして、それがひきつけられた第一の理由です」

―――チベットの映画を撮ろうと思われたのは?

監督「チベットの人たちは、異国の地で、自分たちが持ってきた文化を抱きしめるように大切にしています。お寺もすぐつくるし、難民になってもお坊さんはいっぱい出てくるし、日常は全部祈りを中心に進んでいきます。衣装やお茶、生活の細かい様式で、強いられなくても自然に文化を保っている姿をみると、戦後私たち日本人が失ってしまったものがとても大事だったと考えさせられました。それで、最初は、そういった文化を一番守っているおばあさんの映画をつくりたいと思い、それから10年経って、今度は少年の映画をつくりたくなって、踏み出したんです」

olo-2.jpg―――なぜ少年を主人公にしたのですか。

監督「2008年の北京オリンピックの聖火リレーで、世界中あちこちの聖火が通る場所で人権デモがあり、チベットの置かれた状況についても広く知られるようになりました。その時、日本でもチベットのための運動が起きて、33年間監獄に入っていたバルデン・ギャツォ師という老僧が日本に来て講演をされました。僕は、壇上のそのおじいさんにずっと見入っていたのですが、その時ふっと横から少年が現れ、二人が対話を始めたというような幻がでてきて、“少年”と思ったのです。それからしばらくして、十歳位の少年を主人公にしたら、何かが生まれそうだと思ったのが、始まりでした」

―――オロが暮らすダラムサラはどんなところですか。

監督「北インドのダラムサラは、チベット難民に与えられた街で、インドの中のチベットです。1959年にダライラマ法王と一緒に亡命した難民たちに対し、翌年、インド政府がそこを与えることを決定しました。イギリス植民地時代のイギリス人たちの保養地、避暑地です。商売をするインド人もいますが、量的にも質的にもチベットの街で、当時のネルー首相が教育は大事だからと、チベットの学校もつくられました。

その頃チベットでは、中国政府の下、チベット文化の教育が全くなされず、そのことに耐えられない親たちが、ちゃんとしたチベットの教育を受けさせるため、子どもをインドに送り出すことが始まりました。年間何百人もの子どもたちが亡命したことも一時期ありましたが、今はそれほどではありません。お金を渡して、人に子どもを託し、ヒマラヤを越えてインドまで送りつける。そして、その人だけがチベットに帰ってくるということが秘密裏に行われていました。

映画に登場するホームの子は、警察に捕まるという典型的な苦労をしていますが、凍傷で足の指がなくなる子どももいます。生涯会えないかもしれないという不安があっても、親は子どもの教育が一番大事と考え、あえて亡命させるのです。中国の学校では差別があるでしょうし、チベット語で5、6歳まで育った子が、学校に行くと全然チベット語を使えないというのは、親にしたら、心配で見ていられないのではないでしょうか」

■少年オロの魅力 

olo-s1.jpg―――山で、オロがお母さんに向けて、しゃべりながら歩く場面がとても印象的です。

 

監督「お母さんに手紙を書くように語ろうかと丘の上でオロに言いました。それまで特に何も言ってなかったのですが、やろうと言ってから3分位で、あれだけ大人びた、しっかりした内容の言葉を頭の中で構築できるのは、驚くべき才能ですね。オロが特別ではなく、チベットの子はああいうことができるのです。日本の子とはえらく違います。でも、おやつをもらえなかったりした時、お母さんが恋しい、と子どもみたいなこともオロは言うでしょう(笑)」

―――映画の冒頭では、逆にオロが原稿を読むシーンがありますね。

監督「あれは真反対ですよね。映画の中でこれぐらいのことは言っておかないと筋道がわからないというのがあって、モノローグのナレーションをつけようと思って撮りました。録音機がなくて、カメラで録ったのですが、それなら写っていてもいいじゃないかということで、ライティング(照明)も何もせず、音を録るために撮っていた映像を、編集の時にそのまま使うことになりました。あのナレーションにどんな映像をあわせても、ちっともおもしろくなく、一緒に写された映像をそのまま入れると、言葉で説明しているオロがドキュメントされていて、非常に立体的になっています」

代島「あれは、オロ自身が、『音しか使わない』と言われてしゃべっていますから、表情を撮られているとは思ってなくて、ほとんど素なんです。だから、しゃべる緊張感とかしゃべり終わった後の開放感とか、一番オロらしい表情で撮れたところですね」

監督「観客に伝えなきゃいけないある程度の事実の説明もできるし、非常にうまくいったと思います。あれは『やらせてますよ』ということと、『やってますよ』ということと、そういう関係を、ずっと縄をよじるようにやってきて、映画の後半は、やらせていた人(監督)が、いつのまにか被写体となってくるとか、そういう意味もありますね」

代島「嵐がきて、外で撮影ができないということで、音も密閉されていない普通の部屋で録音しましたので、雷が鳴ったり、どんどん暗くなっていったのも妙にリアルでしたね。意図したわけではありません(笑)」

olo-s3.jpg―――オロがカメラをのぞきながら、監督に向かって「アクション、スタート」と言うシーンは、おもしろいですね。

監督「ああいう遊びは、放っておけば、するんですよ」

代島「オロはずっと撮られてるんですよね。ずっとそうだったから、逆のことをずっとやってみたかったんです。監督も長旅で疲れていましたが、オロにつきあってましたね(笑)」

監督「同じバスの中で、オロが、揺りかごのまねをするところも本当にかわいらしいですね。気持ちが自由なんですよ。小さな街から出て行ったこととか、いろいろ含めてちょっと気持ちもはしゃいでいて、バスの中の移動感も出ていて、あそこはよかったですね。オロというのは本名とは違うんです」

―――オロが、ネパールの難民一世のおばあちゃんと、チベットでの放牧の話をしているときの顔は、本当に生き生きとしていましたね。

監督「観た人の中で、あのシーンについて語ってくれる割合はものすごく高いです。二人はかなり長くしゃべっていますが、その長さがいいみたいな感じで、観客からのリアクションがあります」

―――明るくて屈託のないオロが、ネパールの難民キャンプで仲良くなった難民三世の姉妹に、亡命する途中の苦労について尋ねられて、初めて、つらい思い出を終始うつむき加減で答えるシーンがすごく印象的でした。

代島「オロがしゃべるのは、ある程度仲良くなって、好かれてるということがわかってるからだと思います」

監督「オロは僕たちにはああいうことはずっとしゃべりませんでした。全体として、オロは、特に思い出したくはないというのがあって、その中でやっと語ったということだと思います。その前に『いい人に拾われて』と言っていますが、そういうのも気を遣っているんだと思いますよ。朝、水をぶっかっけられて起こされた人だというのに、『いい人』と表現するなんて、矛盾しているおもしろさですよね。子どもが、しゃべりながら、状況に気を遣っているんです。彼女たちがかなり追求するみたいな形でしゃべるのは、映画の方から頼んでる面もあるんですけど、チベット人は聞き出したらずけずけ聞いていくところがあって、非常にチベット人らしいです」

―――亡命の途中、たった一人で迷子になってしまったオロがお店の人に雇ってもらうよう頼んだ時の言葉が「僕を買って」という訳になっているのが気になりました。

監督「きつい言葉なので、「雇って」という言葉に変えた方がいいのではないかと話し合いました。それで僕がチベット人に、ああいう時に「買って」と言うのかと聞いたら、それは言いませんとのこと。じゃあ、オロはどう言っているのかと聞くと、オロは「買ってください」と言ってます、と教えてくれた。それで、これは絶対僕は使いたいと思って、あえて、オロが言っているとおりに「買う」という言葉を訳に入れました。子ども心に、オロはそこまで追い詰められていたということなんですね」

―――最後にオロが、監督に向かって「ありがとう」というときの表情がすごいですね。

代島「チベットの人たちを代表して言ってる顔だねという感想がありました」

監督「オロはちゃんとだぶらせてますね。心のどこかで、チベットとしてありがとうと言っているのだと思います。本人はそんなことを計算しているわけじゃないですよ。でも、心の中は多分そうだろうと思います。本当にロケの最後の頃に撮ったシーンです」

■似顔絵と歌について 

―――映画の最後に出てくる似顔絵は、一枚一枚深みがあって、人生を感じました。似顔絵を使おうと思ったのはなぜですか。

 

監督「はじめ僕は成立するかなあと疑問に思っていたのですが、ものすごくよかったですね」

代島「似顔絵を描いた下田昌克さんは、チベットと出会うことで人生が変わった画家です。会社を辞めて放浪の旅に出て、いろんな絵や似顔絵を描いて、旅から帰って、その絵を気に入った編集者がいて、週刊誌に連載したりして絵描きになりました。この映画の気持ちがよくわかったのだと思います。

この映画は、監督の『ヨーイ、スタート』という掛け声から始まっていて、作り手のメッセージがあってもいい映画だと思っています。撮るということで、皆さんを引き込みながら映画をみせていく。フェイクしながらリアルをみせる。だから、最後にすごくリアリティがあるけど、『絵』というもの(フェイク)が入ってきてもいいんじゃないかと思いました。

映画は、学校の夏休み、冬休みと進んでいきますが、前半の物語と後半の物語とに分かれていますよね。映画の最後に、物語の総体というか、最初からの全体を感じてほしかったんです。そのとき登場人物の一人ひとりがどういう思いを抱えて生きているのか、ということを思い出してほしい。そこに岩佐監督の大好きなオロの歌「きっとまた会おう、兄弟たちよ」という歌を重ねたい。あの登場人物一人ひとりにも会いたい人がいるし、皆が会いたい。じゃあ、人間を出したいという中で、似顔絵を出そうという発想が出てきました」

監督「あの歌には『チベットでみ仏と会うことができますように』という歌詞が何回も出てきますが、チベット人は“み仏”というのを“ダライラマ”だと思って歌っているんです。でも、翻訳の人に、具体的に“ダライラマ”と言ってるのかと聞くと、いや、“み仏”と言ってると言われました。ダライラマ法王は観音菩薩の化身なんです。それを“み仏”といって歌にしていますが、心は具体的には“ダライラマ”なんです。ただ、歌の訳を“ダライラマ法王”と書いたら、日本人からみたら全然違うイメージになる。結局、言葉として言っているのは、“み仏”だから、“み仏”という訳にしようということになりました。

僕は、頑張ってチベット人と同じ気持ちになって、あれが“ダライラマ”だと思って歌っていると想像して、あの画面を観てると、ぐーっと迫ってきて、涙が出てきました。チベットの人たちにしたら、“ダライラマ法王”にチベットに帰ってきてほしいんです、そして、自分たちもチベットに帰って、あそこで会いたい、そういう歌なんです。ダライラマを慕って、一緒に国外に亡命した人もたくさんいますし、中国政府に禁止されているのを承知でダライラマの写真を大切に持っている人もいます」

―――観客の方へのメッセージをお願いします。

監督「チベットが中国にいじめられているという概念ではなく、映画を楽しもうという気持ちで、構えないで、観てほしいと思います」


オロが乗り越えてきた苦しみ、悲しみを知り、驚きながらも、今、目の前に映っているオロの明るさ、賢さ、たくましさに、未来への希望を感じずにはいられなかった。最後に、監督にお礼を言う時のオロの表情は、少年と大人が同居しているような、あどけなくて深みのある顔で、その成長ぶりに息をのんだ。ぜひ映画館へオロに会いにいってほしい。

少年オロの姿をとおして、未来がみえない不安の中でも、人とつながっていること、人との絆を感じることで不安を乗り越えていけるし、しっかりと前を向いて歩き続ける勇気がわいてくることを教えられた気がした。

 大阪シネ・ヌーヴォXでは、本作の公開にあわせ、「チベット映画特集2012」と題し、『モゥモ チェンガ』(2002年)をはじめ、チベット映画4本も上映される。ぜひこの機会に観に行ってほしい。

(チベット映画特集2012⇒http://www.cinenouveau.com/sakuhin/tibet/tibet.htm

(伊藤 久美子)

 

フランス未公開.jpg 

 

名作ながら、日本での公開が見送られた珠玉の作品を集めた『映画の國 名作選Ⅴ フランス映画未公開傑作選』が全国順次公開中だ。

関西では、第七藝術劇場で6/23より、京都シネマで7/7より、神戸アートビレッジセンターで8月より公開される。

上映作品は、下記の三本。

2010年9月にこの世を去ったヌーヴェル・ヴァーグの巨匠クロード・シャブロル監督の遺作『刑事ベラミー』。

少女時代のシャルロット・ゲンズブール主演の『なまいきシャルロット』『小さな泥棒』で知られ、この4月に70歳で亡くなったクロード・ミレール監督による、実話を基にした『ある秘密』。

エリック・ロメール監督の脚本の妙を堪能できる実話を元にしたスパイサスペンス『三重スパイ』。

フランス映画ならではの深い味わいを堪能できる絶好の機会だ。


『映画の國 名作選Ⅴ フランス映画未公開傑作選』公式サイトはコチラ

『映画の國 名作選Ⅴ フランス映画未公開傑作選』映画レビューはコチラ

映画ニューストップへ

masaokun-s1.jpg『LOVEまさお君が行く!』

ゲスト:香取慎吾、広末涼子、まさお(犬)

(2012 日本 1時間45分)
監督:大谷健太郎
出演:香取慎吾、広末涼子、光石研、成海璃子、木下隆行、寺島進他


2012年6月23日~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都他全国一斉公開
公式サイト⇒
http://www.love-masao.com/


 テレビ東京の動物バラエティー番組で犬が売れない芸人と旅をする「まさお君が行く!ポチたまペットの旅」。その実話エピソードを元にした感動物語が、香取慎吾主演でスクリーンに登場する。 売れない芸人松本君と食いしん坊なラブラドール・レトリーバーのまさお君が繰り広げる旅と友情、松本君を支えてきた恋人里美との恋の行方、そしてまさお君との永遠の別れ。お茶の間に愛されながら、惜しまれつつこの世を去ったまさお君との思い出や感動がいっぱいの本作公開に先駆け、大阪帝国ホテルにて記者会見が行われ、香取慎吾とまさお君、そして広末涼子が登壇した。
 途中でまさお君が興奮して吠え続ける場面もあったが、映画の松本君さながらの香取慎吾がまさお君とコミュニケーションを取りながら、落ち着かせる姿も微笑ましい会見となった。

masaokun-1.jpg━━━香取さんはまさお君と絡みのあるシーンがほとんどだが、どうやってコミュニケーションを深めていったのか。
香取:もともと犬は大好きで、一番飼いたかった犬種が偶然ラブラドールだったので、撮影でもこういう形で一緒にいれてよかったです。あまりいい感じではないコミュニケーション状態ではじまる話だったので、最初はほとんどコミュニケーションをとらずに、本番でリードをもらって、終わったら離れてといった状態でした。順撮りに近い形で撮影できたので、後半だいぶんいい感じになったときに仲良くなる撮影ができました。

━━━まさお君との撮影で、苦労したエピソードは?
香取:(まさおは)お芝居ができる子ではないですね。訓練された犬だときちんと背筋を伸ばしてピシッとしてるんですが、見ていてちょっと違うなと思ったら、偶然預けられていたこの子だったんです。この姿に監督が「これだ!」と思って飼い主さんに連絡を取って、「映画の主役なんですが、いいですか。」と。僕からしたらとんだ迷惑で(笑)、悪い意味ではないですが、何も分からない子でしたから。でも難しいだろうなと思うところで、本当におとなしくしていたりして、「まさお君はもしかしたら天才なんじゃないか。」と思ったりもしました。


masaokun-s2.jpg ━━━松本君とまさおの友情だけでなく、松本君と里美の恋愛の行方もハラハラさせられるが、広末さんからみた見所は?
広末:松本君とまさお君だけなら仲良しドタバタ劇のロードムービーになるところですが30代を迎えて結婚を意識したり、松本君が売れない芸人で実家から呼び戻されたりと、里美の存在はすごく現実とリンクするリアリティーを生む役でした。最初から松本君との別れを予感していたり、脚本だけ読むとシリアスになりそうでしたが、きっと二人で過ごした10年間は楽しかったことを感じさせるようなお芝居を意識しました。


━━━広末さんとのシーンで印象に残ったところは?
香取:二人の状況がすごく悪くて、里美がいなくなるときに、お好み焼き屋で声をかけることもできない。今の状況を謝るでもなく、先の発言をするでもなく、何もできずに会計までしてもらって申し訳なくても何もいえない。このだめっぷりが大好きです。本当に何もいえないのがすごくリアリティーがあります。ぼくは、そんな経験はありません、スーパースターなので(笑)。

━━━松本君の漫談のシーンはすごくリアリティーがあったが。
香取:最近、綾小路きみまろ師匠の一番弟子になりましたが、本作はその前に撮影をしていたので漫談の経験はありません。でもスマスマでコントをたくさんやらさせてもらっているのは近いところがあったかもしれません。あのシーンはやっていて超楽しかったです。一応台本はあるのですが、直していいと監督もおっしゃったので、松本君として、香取慎吾として、こうした方がおもしろいというところは順番を入れ替えたりしました。監督には尺だけ聞いて、6分ぐらいを自分で計りながらやりました。

masaokun-s3.jpg━━━SMAPのメンバーで誰をペットにしたいか。
香取:つよぽん(草なぎ剛)は今でもペットみたいなので、あえて木村君。ペット扱いは今後20年ぐらい僕はできないと思うので。
広末:香取さんがいいです。香取さんの食べっぷりが大好きなんです。大きなお口でたくさん食べられて、気持ちがいいですよ。稲垣さんとか木村さんだと、餌にうるさそう。


━━━香取さんからみた広末さんの魅力的な点は?
香取:見れば分かるじゃないですか!(笑)こうやって共演するのは初めてで、もっと小さい頃から涼子ちゃんとお仕事をさせてもらっていましたが、改めてかわいいだけではなく、とてもきれいな大人の女性で素敵ですね。
僕も結構本番の瞬間に相手の役の方を好きになるんですが、涼子ちゃんは本番で松本君のことを見ている好きさ加減が半端じゃなくて、危なく香取慎吾に戻りそうな鋭さがありました。


━━━現場でのまさお君のエピソードは?
香取:犬は人に癒しを与えると言いますけど、本当だなと思います。この子がいるだけですごく現場の空気が和むんです。撮影の現場でアシスタントの子たちがぐったりしてきたときに、合間にまさおを触って、夜中で疲れてるはずなのにいい笑顔になっているのを見てすごいなと思いました。それによって、ちょっとほんわかした空気になるんです。今まで経験した現場とは違いますね。
広末:まさお君の座り方が好きです。調教された犬だとピシッと座るんですよね。ウロウロして、草食べてるような歩き方もラブラドールだとなかなかできないんじゃないかと思うんです。

━━━売れない芸人役だが、参考にした芸人はいるのか?
香取:売れない芸人さんや、売れていたのに売れなくなった芸人さんや、どん滑りの芸人さんなどたくさんの方とお仕事をしてきたので、引き出しはたくさんあります。この人とは言いづらいですが、ポンと浮かぶところでは狩野英孝さん。あの感じでちょっと愛されるというか、僕は愛してないですけどね(笑)


masaokun-s500.jpg

記者会見後に大阪城公園で行われたおさんぽイベントでは、まさお君のトレードマーク「赤いバンダナ」を巻いた関西のまさお君仲間(犬)たちと飼い主50組が大集合。先頭を切って歩きながらも、お堀の方へ寄り道をするまさお君は映画の中のうろうろ歩きそのもの。一番寄り道し、一番吠えたまさお君は、仲間たちとともに大阪城をバックに記念撮影に収まり、香取慎吾、広末涼子とのお城おさんぽを満喫したようだ。犬好きならずとも、まさお君と松本君の不器用な二人が奏でる友情に心温まるこの夏一番のハートフルなワンワンLOVEストーリーをお見逃しなく!(江口 由美)

(C) 2012「LOVE まさお君が行く!」製作委員会

 

 

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