「京都」と一致するもの

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第8回おおさかシネマフェスティバル授賞式より
 
 2006年の第1回から今年3月の第9回まで、大阪市の支援(助成金)を受けて開催されていた大阪の春の風物詩、おおさかシネフェスティバル。総合司会、浜村淳さんと受賞ゲストとの爆笑トークで大いに盛り上がる、大阪らしい手作り映画祭として、映画ファンにも親しまれてきました。ここ数年は「大阪アジアン映画祭」の一部門として同様のバックアップを得て開催してきたおおさかシネマフェスティバルですが、大阪アジアン映画祭の事情により、来年は助成対象からはずれ、存続を模索してきました。
 
このたび、前身となる「映画ファンのための映画まつり~おおさか映画祭」(11976~2000年)の原点に返り、関西在住の映画ファン有志による自主運営という形で実行委員会を立ち上げ、「第10回おおさかシネマフェスティバル~映画ファンのための映画まつり~]として継続。2015年3月1日(日)、堂島のホテルエルセラーン大阪にて開催することが決定しました。シネルフレもスポンサーとして、第10回おおさかシネマフェスティバルをサポートします。
 
2015年2月7日のチケット一般発売に先駆け、おおさかシネマフェスティバルでは、お客様がより映画祭を楽しみ、思い出深い一日にしていただける特典付の最前列指定席付スペシャル・サポーターや、サポーターを募集中です。尚、ベストテン発表及び受賞結果、当日プログラムは2015年1月31日に発表予定です。
 
サポーター詳細、お申込みは
おおさかシネマフェスティバル実行委員会 事務局 
Tel 070-1762-0655  Fax 06-4800-4900
ホームページ http://www.oocf.net/
 

【おおさかシネマフェスティバルの由来】
 
 1976年に大阪・中乃島の関電ホールで「第1回映画ファンのための映画まつり」として開催。「関西在住の映画ファンが選ぶ」前年度の邦・洋画のベストテン・個人賞を表彰するイベントで、受賞者の映画人と映画ファン大阪の地でスキンシップを図る映画祭としてスタートしました。
発案者は映画監督の大森一樹氏、関本郁夫氏、映画記者・高橋聰で、グループ無国籍、シネマ自由区のメンバーが実行委員会を形成。第1回はひし美ゆり子さん、多岐川裕美さんら多くの俳優さんが来場し楽しいイベントになりました。以後、場所を大阪・三越劇場、京都・京一会館、神戸・バートンホールなど替えながら継続。第2回の水谷豊さん、原田美枝子さん、第3回のマキノ雅弘監督、鈴木清順監督、第4回の松田優作さん、原田芳雄さんらとの楽しいトークシーンが懐かしく思い出されます。第11回の守口文化センター開催から「おおさか映画際」という冠を付けて地元映画祭の特徴付けを行い、同所で第25回まで連続開催。大林宣彦監督、竹中直人監督、内田裕也さん、原田知世さん、原田貴和子さん、冨司純子さん、山下耕作監督、俊藤浩滋プロデューサーなど大勢が来場してくださいました。
 
第25回開催で「映画まつり」の灯は一度消えましたが、5年後、2006年開催の「第1回おおさかシネマフェスティバル~映画ファンのための映画まつり~」でよみがえり、大阪・鶴見区民センター、心斎橋そごう劇場(現・大丸心斎橋劇場)を経て、第3回から大阪歴史博物館講堂に場所を移し、今年の第9回まで継続。第4回の藤田まことさん、尾野真千子さん、第5回の笑福亭鶴瓶さん、松坂慶子さんらが場内に熱気を呼んでくださいました。第回からボランティアで司会とインタビュアーを務めてくださった浜村淳さんの名調子が、映画祭の名物になり今年まで続いています。
 

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~杉野希妃が鮮やかに映し出す、男女の性/生への欲求とその行く末~

 
深田晃司監督『歓待』、内田伸輝監督『おだやかな日常』と、プロデュース、主演作が世界で反響を呼び、来年公開の初監督作品『マンガ肉と僕』が第27回東京国際映画祭「アジアの未来」部門でワールドプレミア上映された、世界が注目する日本映画界のミューズ、杉野希妃。監督2作目で初劇場公開作品となる『欲動』と、主演作『禁忌』が12月20日(土)からシネ・ヌーヴォを皮切りに関西にて同時公開される。
 
今までは社会的な題材を内在させていた感のある杉野プロデュース作だが、この2作品はむしろ普遍的な男女の性や生を取り上げているのが特徴的だ。ヒロインを演じる三津谷葉子との出会いからプロジェクトが動き出したという『欲動』は、全編インドネシア・バリ島ロケの神秘的かつ情熱的な作品。ヒロイン、ユリの中に眠っていた性の欲動が駆け抜ける様を、三津谷が体当たりの濡れ場を交えながら、情熱的に演じ、煌めく女の姿をみせる。冒頭からバリ島の「ジャジャジャ」という歌や踊りで始まり、全編に渡って観光地とは違った地元の風情に触れることができるのも、大きな魅力だ。
 
一方、同時公開される『禁忌』は、監禁、レイプ、同性愛、少年愛とセクシャルマイノリティーの世界がモーツァルトの調べにのって、抑えたトーンで描かれる。どこか観るものに想像させる余地を与える描写は、衝撃的な設定ながら、厳粛で時には美しい儀式のようにも映る。本作が初の商業長編監督作となる和島香太郎の描く性的マイノリティーの世界は、ふと韓国のキム・ギドクを思わせるようなえぐみや深みがあった。杉野演じる、内心が読めない美人教師サラや、太賀が演じる監禁された少年、望人(モト)、そして佐野史郎が演じる望人を監禁したサラの父が繰り広げる奇妙な三角関係や、その行く末にも注目したい。
 『欲動』で監督、プロデューサー、出演を務め、『禁忌』でプロデューサー、主演を務めた杉野希妃に、両作品の企画段階の話や、撮影秘話、作品の狙いについてお話を伺った。
 

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『欲動』

―――とても土着感を感じる作品で、バリ島の神秘性や祭りの躍動感に溢れていました。インドネシアスタッフを多数起用し、全面バリ島ロケをされたのも国境を越えて活躍する杉野監督らしい作品ですね。この『欲動』の企画はどのようにスタートしたのですか?
杉野:6年前、ちょうど私がプロデュースのお仕事を始めた頃、まだ監督になれるかどうか分からないけれど、出来るのならこういう話を描いてみたいと、簡単なアイデアを書いていました。元々は、主人公の歌手がバリ島に行き、性的に解放され、殻を破って一歩外に踏み出すというストーリーでした。当時、私自身が表現の仕方に悩んでいたのでこのような話を考えたのですが、この6年間でやりたいことが変わり、もう少しドラマの部分を構築しないと映画として成立しないし、私自身もやりたくないと、一旦企画を寝かせていたのです。ただ、絶対にバリ島で撮影したいということだけは決めていました。インドネシアのガリン・ヌグロホ監督作品を観て、興味深い場所だと思っていましたし、民族音楽のガムランやケチャも間接的に知っており、バリは私自身が殻を打ち破れそうな何かがあると思いました。行ったことはなかったですが(笑)。
 

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―――バリで撮影したいという強い願望があったとのことですが、寝かせていた企画が再び動き出したのは、何がきっかけですか?
野:私の主演作、『おだやかな日常』を三津谷葉子さんが気に入ってくださっているという話を耳にし、直接お会いしたのです。三津谷さんは人間的に素晴らしいし、とても真面目な方で、直感的にこのバリの話を一緒にやれば絶対に面白くなる。そして、三津谷さんの今までにない姿を焼きつけられる作品になると思いました。
 
6年前は主人公を自分で演じたいと考えていたのですが、監督としてもまだキャリアが浅い上に合作映画ですから、単独主演の役を自分で演じるのは無理だと思っていました。でも三津谷さんなら一心同体になってやっていただけそうな気がしたので、この企画のことをお話してみると「面白そうですね」と快諾いただいて。結局撮影に入る1年ぐらい前から、三津谷さんと脚本家と私の3人で、どういうお話にしていけば、より三津谷さんの良さが活かせ、作品としても面白くなるのかを考えていきました。ある程度の段階で脚本を三津谷さんに見せ、意見をもらって、またこちらで書き直すという作業をしていきました。
 
―――三津谷さんは後半になるにつれ情熱的になり、自分を解放していく妻ユリを大胆かつ繊細に演じていました。実際に脚本でも意見を出したという三津谷さんですが、現場での様子や撮影が進む中での変化はありましたか?
野:三津谷さんはこの作品に対する気合が凄かったです。私も三津谷さんも気持ちは同じで、三津谷葉子という女優がイキイキとした作品にしたかったですし、海外でも通用する作品にしたいという思いがありました。一緒に企画開発しているときから気合を入れて臨んでくれましたので、現場でも並々ならぬ覚悟で臨んでくれたと思います。
 
三津谷さんは普段からすごく肝が据わった方です。太陽のように明るく、人に対しての気遣いも素晴らしいし、今回演じたユリのキャラクターはとは全く違います。現場では監督の私の方が助けられました。どんなハプニングが起こっても、「大丈夫です。やります」と言ってくれ、スタッフの誰よりも冷静だったのは三津谷さんと斎藤工さんだったのではないかというぐらい、一番落ち着いていました。三津谷さんや斎藤さんと組むことで、監督の私の方が勉強になりましたね。
 
―――ユリの夫、千紘を演じた斎藤工さんは、死に直面し、苦悩しながらも、最後はユリと情熱的に交わることで夫婦の絆を取り戻していく難しい役どころです。
野:普通は監督が役者をケアしなければいけないのですが、斎藤さんは短編映画の監督もされているので、「何か大変なことがあれば言ってくださいね」とよく声をかけてくださいました。三津谷さんも同じように声をかけてくださり、大変なシーンがたくさんあるにもかかわらず、監督の私の方が逆にケアをしていただいた感じです。
 
例えば、私が演じる千紘の妹・九美の出産シーンがあり、事前にカット割りを指示していたのですが、いざ出産のためいきむシーンを演じはじめると、途中で段取りが分からなくなり、頭の中が混乱したことがありました。そんな時も斎藤さんは、さり気なく「監督、ここから撮ればすごくキレイですよね」と言ってくださり、助かりました。気遣いがありながら、絶妙のタイミングでケアをしてくださるので、本当に素晴らしい方だと思います。役者としても、今回は怒りをぶつけたり、それに対して自己嫌悪に陥ったり、(死んで)妻と離れなければならないことに対して葛藤する、とても繊細な役でしたが、千紘の激しさや切なさを自然に演じてくださいました。
 
―――最後に、撮影中に様々な「奇跡」が起こったそうですが、印象的なエピソードはありますか?
野:本当にたくさんのハプニングがある現場でした。バリ島は神聖な場所ですし、こちらが予想もできないようなことが色々と起こる場所でした。例えば、元々予定していたユリと地元のジゴロ・ワヤンとのラブシーンも、最初は浜辺の近くで撮るつもりでしたが、神聖な場所だから駄目だと直前に言われ、別の場所を探したら満月の日だったので今度はセレモニーが始まってしまいました。皆準備して行っているのに、いつ終わるか分からないセレモニーを待機するのは大変なのですが、現地のスタッフは「明日撮れるよ」と呑気な声をかけてきます。でも日本人スタッフはきっちりしていて、撮影スケジュールがただでさえ押しているので駄目だと、意見が食い違ったりもしました。
 
結局は後日なんとか撮れ、そのときの月がとてもきれいで、小雨が降ったりやんだりしていたので幻想的な雰囲気の映像になりました。予定通りに撮っていれば、そんな雰囲気にはならなかったでしょう。このように、予定していた通りには撮れなかったけれど、結果的にいい映像になることがたくさんありました。京都や滋賀で撮影した『マンガ肉と僕』の場合は、ある程度こちらでコントロールして撮影できましたが、バリ島の撮影は、全くそういう手順ではできません。人間は自然に翻弄されながら生きていることを実感するような現場でした。私たちは、動物や植物や現地の人と共生しながら生きていることを、考えさせられました。
 

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『禁忌』

―――かなり過激な性的要素を盛り込みながらも、生々しく描写するのではなく、想像の余地を与えるような描き方がされています。また、徹底的に俯瞰した視点で描かれているので、ほどよい距離感を保ちながら作品と向き合えました。杉野さんは本作ではプロデューサー兼主演ですが、この作品の狙いや意図について教えてください。
野:私は和島香太郎さんの短編映画がすごく好きで、長編映画をまだ作っておられなかったことから、長編作品を初監督されるときは一緒に作りませんかと、こちらからお声かけしました。マイノリティーを描きたいと話し合い、和島さんが考えられたのがこの作品でした。ベースにある望人、サラ、サラの父親の親子で三角関係になるという構図が今までみたこともないものだったので、これは面白い作品になると思いました。マイノリティーの方々に寄り添うというよりは、今回俯瞰的に描いています。彼らの孤独や欲望を突き詰めた先に、どういうことが起こるのかという部分まで描いたら良いのではないかと考え、企画を進めていきました。
 
―――今回、杉野さんが演じたサラは共感を呼ぶキャラクターではありませんが、どこか目が離せない魅力がありました。複雑な内面や欲望を持つ女性を演じ、しかもほぼ全編に渡り登場シーンがあり、今までの女優キャリアの中でも一つ壁を超えるぐらいのチャレンジをされたのではないかと思うのですが。
野:今までは等身大に近い役が多かったと思います。また、私はまだ結婚や出産はしていませんが、母親役や妊婦役なども、日常生活に近い物語であり、私の中の何かを使って演じる感じでした。監督からも、役を自分に引き寄せることを求められていましたし、私もそのように演じるパターンが多かったです。今回のサラ役は、テーマ的に共感する部分はありますが、キャラクターも性格も全然違います。そのような役に対して、自分で作り込んで入っていかなければならなかったので、挑戦しがいがあり、ワクワクしながら演じる一方、難しさも感じました。
 
―――杉野さん同様にかなりの難役なのが、太賀さん演じる望人です。実年齢よりかなり下の年齢の少年や青年の顔を演じ分け、今回は杉野さん演じるサラとの激しい絡みもありました。今まで杉野さんは太賀さんとの共演や監督作にも起用されていますが、現場ではどのような感じでしたか。
野:太賀さんは今まで三作品でご一緒しているのですが、20代でこんなにすごい役者は他にいないのではないかというぐらい信頼している大好きな役者さんで、今後私が携わる作品には全て出演していただきたいぐらいです。ただ、今回は14歳の役ということで、オファーをしてから返事をいただくまでかなり時間がかかりました。太賀さんご自身が、本当に自分が望人役を演じていいのかと悩んでいたそうですが、私の中では、望人を演じられるのは太賀さんしかいないだろうと思っていました。
 
望人は両親に虐待され、親の愛に恵まれない辛い人生を送ってきたので、サラを盲信してしまいます。ひどい目に遭ってきたけれど、とても純粋な内面を持つ役です。太賀さんは20代ですが一つ一つの仕草をとても少年らしく演じてくれましたし、彼でなければできないような表現力を見せてくれました。ウルウルと目を潤ませた表情をされたときは、「こんな太賀さんは初めてみた!」と思いながら一緒に演技をしました。太賀さんの新しい一面が見えたのがうれしかったですね。
 
(江口由美)
 
<作品情報>
 
『欲動』
(2014年 日本 1時間37分)
監督:杉野希妃
出演:三津谷葉子、斎藤工、杉野希妃、コーネリオ・サニー
『禁忌』
(2014年 日本 1時間13分)
監督:和島香太郎
出演:杉野希妃、太賀、佐野史郎
2014年12月20日(土)~シネ・ヌーヴォ、2015年1月17日(土)~京都みなみ会館、元町映画館
 
 

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『海月姫』(くらげひめ)試写会プレゼント!

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■ 提供:アスミック・エース
■ 日時:2014年12月19日(金) 
    18:00開場/18:30開映
■ 会場:御堂会館
〒541-0056 大阪市中央区久太郎町4-1-11
    TEL(06)6251-5820(代表)
    FAX(06)6251-1868
    地下鉄御堂筋線本町駅8号出口南へ200m
    地下鉄中央線本町駅13号出口南へ50m  
■ 募集人数: 5組 10名様
■ 締切:2014年12月11日(木)
■ 公式サイト⇒ http://www.kuragehi.me/

2014年12月27日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー


『海月姫』(くらげひめ)

オタク女子集団に突如降りかかった、史上最大のピンチ!
彼女たちが仕掛けた大勝負とは!?

我がオタク人生をかけて、出陣であります!
笑いと涙と萌え!【オタクすぎるシンデレラ・エンタテインメント】

 

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【STORY】
月海は、イラストレーターを志すクラゲオタク女子。小さい頃、亡き母と一緒に見たクラゲのようにひらひらのドレスが似合うお姫様になれる・・・こともなく、今やすっかり腐った女の子に。男子禁制のアパート “天水館”で、「男を必要としない人生」をモットーとする “尼~ず”たちとオタク道を極めたそれなりに楽しい日々を送っていた。

ゆるい日常は、女装美男子と童貞エリートの兄弟の出現によって揺るがされる。さらに、彼女たちの住まいであり心のより所でもある「天水館」=「聖地」が奪われる危機がぼっ発!!彼女たちは聖地を守れるのか?尼~ずはバラバラになってしまうのか?そして、「男を必要としない人生」のゆくえは!?
 


出演:能年玲奈  菅田将暉/池脇千鶴 太田莉菜 馬場園梓(アジアン) 篠原ともえ/片瀬那奈 速水もこみち 平泉成/長谷川博己
監督:川村泰祐 脚本:大野敏哉/川村泰祐 
原作:東村アキコ「海月姫」(講談社『Kiss』連載)
ドレスデザイン/スタイリスト:飯嶋久美子 
音楽:前山田健一 
主題歌:SEKAI NO OWARI「マーメイドラプソディー」TOY'S FACTORY INC
製作:『海月姫』製作委員会 制作・配給:アスミック・エース 制作協力プロダクション:ギークサイト 
(C)2014『海月姫』製作委員会(C)東村アキコ/講談社

 2014年12月27日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー

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『TATSUMI マンガに革命を起こした男』別所哲也さんインタビュー
 
『TATSUMI マンガに革命を起こした男』(2011年 シンガポール 1時間36分)
監督:エリック・クー
原作:辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』 
声の出演:別所哲也、辰巳ヨシヒロ他 
2014年11月15日(土)~角川シネマ新宿、11月29日(土)~テアトル梅田、2015年1月17日(土)~京都シネマ、1月~シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト⇒http://tatsumi-movie.jp/
(C) ZHAO WEI FILMS
 

~別所哲也が語る、世界が絶賛する劇画“TATSUMI”ワールドと一人六役の“挑戦”~

 
日本が世界に誇るアニメーションの中でも、よく耳にする“劇画”が実はどのようなものであり、誰によって誕生したか知っている人は少ないのではないだろうか。戦後大阪で手塚治虫に憧れてマンガを描き続けた青年、辰巳ヨシヒロが、深みのあるリアルな描写で大人のためのストーリーマンガを“劇画”と宣言したのが1959年のこと。以来、高度経済成長の陰で、怒りにも似た感情を時には情熱的に、時には哀愁を込めて描く作品を作り続けてきた。
 
海外では、アニメ界のアカデミー賞と呼ばれるアイズナー賞を受賞し、本屋では平積みで置かれるほど絶大な人気を誇っている辰巳ワールド。マンガの世界で社会を風刺する世界観を表現できることから、バンド・デシネ(フランスのアニメのジャンル)というアート性や社会性を持ち、メジャーな人気を誇るカルチャーにも大きな影響を与えている。
 
辰巳ヨシヒロの大ファンであるシンガポールのエリック・クー監督が、辰巳ヨシヒロの自伝的劇画『劇画漂流』から辰巳ヨシヒロの半生を描くと共に、辰巳ワールドの伝説的な短編マンガ『地獄』、『いとしのモンキー』、『男一発』、『はいってます』、『グッドバイ』を挿入。戦後、日本が歩んできた復興の陰にある市井の人々の苦悩や哀しみが、迫力のある絵と、劇画の雰囲気を損なわない絶妙の色合いで、今を生きる我々に訴えかけてくるのだ。
 
短編マンガでナレーションをはじめ6人のキャラクターの声を一人で演じた俳優、別所哲也さんに、辰巳ヨシヒロさんの劇画の魅力や、一人六役を演じた感想、日本にいる私たちが辰巳ワールドに触れることの意義などについてお話を伺った。
 

■成熟したヨーロッパ社会で熱狂的に受け入れられている辰巳ヨシヒロさんの世界。その社会性と過激さから、知られないような社会になっている日本は、むしろ怖い。

━━━辰巳ヨシヒロさんの劇画をいつお知りになりましたか?またその印象は?
別所:恥ずかしながら、この作品で声の出演というオファーがあるまでは辰巳ワールドを知りませんでした。何故なのかと考えてみると、描かれている世界が過激で、社会性を帯びているので子どもからは遠く離して見せたくないという事情や、いじめや理不尽さ、情けなさや格好悪さが描かれているからなのです。物語を作るとき、僕たちは知らぬ間に格好よくて、ヒーローで、夢があって、元気なキャラクターの方に目を向けてしまいがちです。でも、人間にはもう一つの面、いわゆるアザーサイドがあり、それをダークと捉えるのか、人間の一部と捉えるのかという部分で、日本とヨーロッパは感じ方に違いがある気がします。
 
ヨーロッパで本作や辰巳ワールドが圧倒的に支持されているのは、人間力や成熟した社会が背景にあるからです。日本は辰巳ワールドが実在していた場所なのに、僕も含めて知らない、もしくは知られないようになっている社会になっていて、むしろ怖いと思いますね。
 
━━━エリック・クー監督から別所さんに直接オファーがあったそうですが、その経緯は?
別所:ハリウッドで映画デビューしていることや、僕が携わっている国際短編映画祭を含め、世界の映画祭を通しての交流が根底にありました。エリック監督のことはカンヌ映画祭に出品されておられたのでお互いの存在は知っていたのですが、間を取り持つプロデューサーが入ってくれたことで、全てが一つに繋がっていきました。正直、最初にオファーを受けたときは驚きましたが、彼にしてみれば日本人でありながら英語でクリエイティブな話も含めコミュニケーションがとれ、辰巳ワールドがなぜ日本に息づいていないのかと共感できる人も探していたのだと思います。
 

■辰巳ヨシヒロのキャラクターの分身として、人間の情けなく、いやらしく、ダメな部分を演じ分けたことが、やりがいに。

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━━━今回6人の役を演じ分けましたが、監督からはどのような指示がありましたか?
別所:最初は女性の役も全部やってほしいと言われました。演出の意図としては、辰巳先生の創り出したキャラクターは先生の分身だから、それを一人の役者が演じたら面白いのではないかということだったのでしょう。声優経験はありますが、そのときは一人一役でしたし、正直悩みましたが、辰巳先生のキャラクターの分身として演じ分けるのだと解釈すれば腑に落ちました。日本では落語もありますし、普段の自分ではできない役を劇画の中で演じるというのは俳優としてすごく演じ甲斐がある、チャレンジングなことです。国際的なプロジェクトでもありましたし、これはやろうと気持ちが固まりました。
 
━━━実際にどうやって6人のキャラクター(声)を作り上げていったのですか?
別所:ただ単に声を変えるのではなく、各キャラクターの立ち方や生活習慣、考え方などのパーソナルヒストリーを自分で作っていき、「重心が高い人だから早口なのではないか」とか、「スタスタ歩くから息遣いが荒くなるのではないか」などと考えて作っていきましたね。
 
━━━なるほど、一人一人演じるかのごとく、声を作りあげたわけですね。
別所:一球入魂ではないですが、一つ一つキャラクターを作っていくのはとても面白かったです。自分の肉体を動かして作っていくのとは違い、声を出して映像もあって、辰巳先生の世界とエリックの演出をその場の反射神経で受け止めながら作り上げていきました。声の質もそうですが、自分でも「俺ってこんな声が出るんだ」と、今まで自分で意識しないような声も出たのには驚きました。催眠術にかかっているようで、映像を見ながら自分で覚醒していく感じが面白かったです。
 
━━━それだけ辰巳ヨシヒロ先生の絵に力があったのでしょうか?
別所:『地獄』や『愛しのモンキー』、『男一発』等、ちょっとドキッとするようなことが起こるんですよ。物語の持っているドラマチックさや意外性に役者としても火をつけられた気分で動いていったのかもしれません。
 
━━━実際に辰巳ヨシヒロ先生の分身ともいえる6つの役を演じたことで、別所さん自身何か見えてきたことや、辰巳ワールドについて思うことはありましたか?
別所:僕たちは昭和40年代生まれで高度経済成長の恩恵を受けて育った世代ですが、辰巳ワールドはオリンピック景気以降、日本を一気に引っ張ってきた僕たちの両親の世代が後ろも振り返らず生きてきた時代の世界観が、多く描かれています。社会の重みもずしりと感じましたし、日本の戦後の良くも悪くも生まれ変わって前進する時代を体感できました。
 
キャラクター的には、僕のように身長が186センチもあるような俳優に、弱々しかったり、引っ込み思案だったり、自己主張できなかったり、どちらかといえば負け組のキャラクターは今までオファーがこなかったです。今回そういう役を演じることができ、とてもやりがいを感じました。人間の情けなくて、イヤらしくて、ダメな部分を演じられてこそ、初めて俳優と呼べるのかなと思いますし、そういう経験ができたのはすごく良かったです。
 

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■「辰巳先生に対する思いを映画で真空パックに」エリック・クー監督が挑んだ最初で最後のアニメ作品。

━━━エリック監督の辰巳ヨシヒロ先生に対する思いが、作品から伝わってきました。シンガポールの監督でありながら、本当に細部まで描かれていましたね。
別所:エリック監督は辰巳先生に心酔しています。若い頃辰巳先生の劇画に出会い、多感な少年期にヒーローの世界ではなく、人間のダメな世界が描き出されているのを見て「これだ」と思ったそうです。それ以来ずっと辰巳先生の作品を読み続け、今回辰巳先生の絵の世界観を残して、辰巳先生に対する思いを「映画で真空パックにしたい」と作品に臨んでいます。基本は実写の監督なので、「一生でこれが最初で最後だ」と宣言していますし、僕以外の声の出演者はドキュメンタリーのように一般の方を起用しています。ドキュメンタリー的な世界観の中で、劇画の部分だけ俳優を使って動かしていくという構成ですね。
 
━━━エリック監督の演出はかなり厳しかったですか?
別所:厳しいというより、要求が多かったです。撮影は2日半でしたが、ずっとスタジオに缶詰で、気がつけば水も飲まずに、3時間休憩なしという状況でした。とてもアジア的でアーティストの熱気を感じましたね。劇中に登場する阪急電車のシーンではエリックが唯一うなだれて「僕は日本人ではないから、この時代の電車の色が分からない・・・」と必死に調べていました。辰巳先生の作品は白黒ですから、色合いを作り出すのにかなり苦労したようです。
 
━━━海外の映画祭や劇場では既に上映され、ようやく日本での劇場公開ということで、エリック監督をはじめ、別所さんも特別な思いがあるのでは?
別所:とても残念なことに今、辰巳先生が病床にいらっしゃる状況です。本当ならば辰巳先生は大阪ご出身なので、関西で公開される際に劇場のお客さんの様子を見ていただきたいところなのですが。10年に声で参加し、東日本大震災が起きた11年にカンヌ映画祭へ行き、東京国際映画祭で賞を頂き、12年のアメリカ・アカデミー賞にシンガポール代表として選出され、その後、世界中で上映され、現在に至っています。本当に感無量ですね。

 

■大阪出身の辰巳ヨシヒロが熱望した地元公開。ちょっとほろ苦くて、ドキッとする大人の辰巳ワールドを全てのマンガファンに観てほしい。

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━━━ようやく最後に日本での公開が叶った格好ですね。
別所:これも運命なのでしょう。やはり日本では本作は邦画なのか洋画なのか、ドキュメンタリーなのかアニメなのかと問われてしまいがちですが、『TATSUMI マンガに革命を起こした男』はジャンルレスです。型破りのところがあるので、観ようと思っても戸惑いがあるのではないでしょうか。僕も最初は辰巳先生を知りませんでしたが、本作を観たら本当に大切なものを持ち帰れます。日本公開までに時間をかけて映画が成熟していき、芳醇な香りと共に上映されるのもいいなと受け止めています。
 
ただ、少し辛辣なことを言えば、日本では本作のようなインディーズ的な世界観や、GでもPGでもないようなちょっと過激で、子どもに見せてもいいの?という部分があると、どこか遠くへ追いやってしまい、あまり自分の中で大きく取り上げたりしなくなってしまう傾向がありますね。
 
━━━話題にすることもはばかられるような雰囲気はありますね。
別所:日本の悪いところですよ。ちょっと棚上げしたり、先送りしたりという感覚が、ヨーロッパから見れば不思議で仕方がなく映るのです。本作を観ていただければ、そのあたりの日本のカラクリ自体にも気付いていただけるのではないでしょうか。もっとこういう世界に、観る方も成熟して向き合っていくのが普通のことですから。今日本では、昔話で残酷な場面を「子どもに見せるのはふさわしくない」と書き換えたという話題も耳にしますが、理不尽なことや残酷なことにきちんと物語で触れていないと、本当に理不尽なことや残酷なことが分からなくなってしまいます。でも今は逆で、「残酷なシーンを見せるから、猟奇殺人などが起こる」と言われ、触れることを排除する方向に向かっていますね。
 
辰巳先生が描いてきた世界は、万人がヒーロー感を満喫したり、健康的と感じる世界ではありませんから、今観ることに意義があると思います。
 
━━━本作に携わったことで、別所さんのこれからの役者人生でチャレンジしたいことや、新しい可能性が見えてきたのでは?
別所:人間の情けなさや哀しさ、ダメさを表現できる人間臭い表現者になっていきたいです。そして、涼やかに、軽やかに演じたいですね。人間だから「ああ、そういうことがあるね」と腑に落ちたり、心当たりがあるようなことは大事な気がします。また、俳優は「人に非らず」と書くのですが、例えば架空のモンスターのような、人を超越したキャラクターを演じる跳躍力も劇画の役を演じる中で養われたと思います。今まで演じてきたようなトレンディーな感じではない役の方が、俳優としては演じごたえがある気がしますね。
 
━━━最後にこれから劇場でご覧になるみなさんに、一言お願いします。
別所:辰巳先生は大阪出身の方なので、関西での上映を楽しみにされています。世界中の観客や京都のマンガミュージアムに足を運ぶようなマンガファンが絶賛している世界です。スタジオジブリの作品や押井守さんのような世界も素敵ですが、そういう劇画アニメや、ルパン三世を観た人たちや、ドラえもんが好きな人たちにも観てほしいです。ちょっとほろ苦くて、ドキッとする大人の味もしますが、現在大人のあなたにも、これから大人になるあなたにも、「大人ってこういうことじゃない?」「これを受け止めて、大人になろうよ」とメッセージを送りたいです。
(江口由美)
 

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今年で第19回を迎えた神戸100年映画祭。毎年テーマを設定し、神戸で撮影した作品や往年の名作を上映、ゲストを迎えてのトークを交え、映画ファンにとって神戸の秋の風物詩となっている映画祭だ。第19回のテーマは「あの女優に会いたい」。NHK連続テレビ小説に主演した女優たちの作品を特集上映したり、元町映画館では過去から現在を射抜く女性が主人公の『エレニの帰郷』、『フランシス・ハ』が上映された。また、11月15日から全国公開される『紙の月』プレミア試写会では、吉田監督をはじめ主演の宮沢りえ、池松壮亮が登壇し、神戸ロケのエピソードを披露。そして神戸アートビレッジセンターにて「新開地 淀川長治メモリアル」で伝説の女優たちの作品、『モロッコ』、『カサブランカ』、『哀愁』、『めし』が上映中された。

 

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去る10日に神戸文化ホール中ホールで開催されたメインイベントでは、第1回神戸100年映画祭で『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』のゲストとして夫、篠田正浩監督と登壇した岩下志麻さんが久しぶりに映画祭ゲストとして来場。「岩下志麻さんを迎えて」上映会&トークショーと題して、岩下さん自身が上映を希望された代表作『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』と名匠小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』が上映された。

トークショーでは、『昭和の女優』著書で岩下さんへのインタビュー経験も多数という伊良子序氏(神戸100年映画祭顧問)が聞き手となり、今だから話せる撮影エピソードや女優人生について思わず笑いが飛び出すような和やかなトークが展開された。その主な内容をご紹介したい。
 

 

■『はなれ瞽女おりん』撮影エピソード

―――岩下さんは徹底した役作りで有名ですが、『はなれ瞽女おりん』で演じた盲目の瞽女(ごぜ)役はどのように役作りをしたのですか。
岩下:暗闇恐怖症なので、盲目の女性の役がきたとき、暗闇に慣れるか不安でした。化粧をしたり、風呂に入ったりするときも目をつむり、暗闇になれることがから始めました。実際に新潟で生存されておられる瞽女さんを訪ねると、夜8時でも真っ暗闇の中いらっしゃり、私たち訪問者のために電気をつけてくれました。目が見えないというのはこういうことかと実感し、役に入っていけました。瞽女さんには、傘の差し方など色々ご指導いただき、とてもありがたかったです。目をつむって何か月か生活しました。
 
盲学校にも行きましたが、こんなにたくさんの方が暗闇で生活されているのかと思うと、取材をする前に涙が止まらず大変でした。校長先生に目隠しされ、廊下をまっすぐ歩くように指示を受け、歩いてみたのですがどうしても左方向に歩いてしまうのです。人間は耳がいい方に歩いてしまうと聞き、演技するときも誰かがセリフを言ったときに耳を差し出すようにしました。瞽女が弾く三味線の稽古をするのも大変で、6か月間毎日通って習いました。いつも微笑みを浮かべているようなおりんでいたい。目が不自由でも否定的ではなく、いつも明るいおりんをイメージして演じました。私にとっては大変思い出深い、大好きな映画です。
 
―――台本は撮影前にすべて覚えてしまうのですか。
岩下:撮影前に、台本一冊を覚えてしまわないと、役に入っていけません。台本を全て読み、全体を見ないと役の性格や芝居の強弱は付けられません。まずは全て覚えてから撮影前日に復習するようにしていました。
 
―――88か所でロケを行ったそうで、当時の映画作りの贅沢さを感じました。
岩下:電線やテレビのアンテナがない場所を探すのが大変でした。道を歩いて角を曲がると静岡県でロケをしたシーン、次の角を曲がると富山県でロケをしたシーンという具合に、各地のロケを緻密につないで、作品ができました。ロケハンだけでも3年半かかりました。
 
―――共演の原田芳雄さんは、おりん役の岩下さんに気遣って、あることをしていたそうですが。
岩下:私は瞽女役で目が見えない設定なので、朝ロケバスに乗ったときから目をつむっているのですが、時々目を開けても原田さんの姿が全然見えなかったのです。実は、原田さんが私の前からわざわざ姿を消していたことを、亡くなる前にテレビで話されていたのを聞き、心遣いに感動してお礼を言いました。当時の私は、「なぜ原田さんはいらっしゃらないのか」と思っていましたから。
 

■『極道の妻シリーズ』撮影エピソード

―――『極道の妻シリーズ』では、「あんたら覚悟しいや」という決め台詞が印象的でしたが、役に入り込む岩下さんが姐御役から日常生活に戻るのは大変だったのでは?
岩下:背中に入れ墨をいれなくてはならないし、ピストルは撃たなければならないし、最初は躊躇しましたが、皆さんが「姐さん!」と呼んで下さるので、だんだんその気になっていました。京都の撮影中に友達から電話がかかってきたときは、思わず「わてや」と返事をし、随分驚かれましたね。
 

■女優人生を歩む決意が固まった作品『五瓣(ごべん)の椿』

―――岩下さんの女優人生を振り返ると、駆け出しの頃は清純派でしたが、山本周五郎原作 『五瓣の椿』ではとても凄惨な役を演じました。以降、人間の中に眠っている殺人願望、多面性や暗黒面を演じると、はまり役だと感じます。自叙伝でも少女時代から精神科の医者になりたかったと語っておられますね。
岩下:大学は心理学に進みたいと猛勉強していましたが、体をこわして留年し、心理学を断念したところ、女医ではなく女優になりました。子どもの頃、前進座の『屈原』という舞台を観ましたが、王妃の行動から人間の奥に潜む恐ろしさを小6にして体現したことが今も記憶に残っています。『五瓣の椿』でも、私の役は父親をとても愛していたけれど、母親がとても淫乱で、母親と遊んだ男5人を殺して椿の花を置いていくという、初めての悪への挑戦でした。とても印象に残りましたし、女優をやっていこうと決意が固まった作品でした。
 

■『秋刀魚の味』撮影エピソード

―――岩下さんは、小津安二郎監督、木下恵介監督と、巨匠と組まれることが多かったですね。
岩下:当時松竹は巨匠と呼ばれる監督が多かったです。木下監督は、風や雲や光という自然をとても大事にする監督でした。小津監督はセットが多く、ベテランの方でも最低50回、ひどいときには100回もカットがかかっていました。一つの画面が小津監督の額縁のようになっていて、絵画なども「5センチ上」とかける場所が決まっています。役者も、小津監督の絵づくりの中にいなくてはならず、演技の癖やテクニックは嫌われます。あくまでも自然でなくてはいけないのです。失恋したシーンで巻き尺を巻くとき、100回目でようやくOKをもらったことがあるのですが、後々小津監督から「人間は悲しいときに悲しい顔をするのではない。人間の喜怒哀楽はそんな単純なものではない」と言われました。きっと、悲しい顔をしていたのでしょうね。美術面でも、お料理の食器は、清水焼など上質なものを全部取り寄せ、絵画も全て本物なので、小道具さんはいつも大事に抱えて、鍵をもって歩いていました。
 

■妻として、母としての篠田志麻と、女優岩下志麻の裏にある夫篠田監督の支え

―――妻、母としての岩下さんのお話を伺います。『はなれ瞽女おりん』出演の前にスランプの時期があったそうですが。
岩下:当時は自分の表現力のなさに愕然としていました。子どもを犠牲にしてまで女優を続けていくべきか、ずいぶん悩みました。子どもがかわいい時期だったので、子どもを置いて仕事に行くことについて悩んだ時期が2年ほどあったでしょうか。鬱状態になっていたと思います。『はなれ瞽女おりん』は6ヶ月ロケだったので、子どもを置いていかなければならない辛さを背負って演じきりました。日本アカデミー賞女優賞をいただいたことが励みになり、一つの垣根を越え、女優をし続けようと思えるようになったのです。
 
―――夫であり映画監督である篠田さんは、岩下さんの女優という職業に理解を示していらっしゃったのでしょうか。
岩下:篠田は「家庭は休息の場でなくてはいけない。たくさん休息して現場には元気で行ってほしい」ということで、女優をするために家事をせずにいることができました。大抵のご主人は、家事をやらないと文句が出ますが、篠田の場合は女優という仕事に没頭させてもらえましたね。私が女優を辞めようかと悩んでいた時も、「おまえは女優をやっているときが一番輝いているのだから」と言われました。よく、女優は自信過剰でなければやっていけないと言われますが、その時期は自信を喪失していたのでしょう。
 

■観客へのメッセージ

岩下:これからも映画を愛して、たくさん映画館に足を運んでいただけたらうれしく思います。
(江口由美)
 
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健さん、男の夢をありがとう!
《高倉健 追悼特別寄稿 ―安永五郎》

 

京都の撮影所担当(日刊スポーツ文化部)、通称“撮回り”が原点だった。幸せなことに…。高校時代から大映“勝新・雷蔵”、次いで東映“鶴田・高倉”に熱くなった記者には、映画の現場(とりわけ京都)は“夢の工場”。取材の重圧に緊張はしたものの「目の前を映画が歩いている」思いだった。
 

高倉健-4.jpg数年間の撮影所担当で多くの俳優、監督、プロデューサーやスタッフ、時には撮影所長も取材したが、忘れられない大スターは大映・勝新太郎さんと東映・高倉健さんだ。スクリーンと素顔が異なるのはすでに常識だったが、この二人は、対照的な性格なのに差がないことが共通していた。つまり、映画の役柄そのままの人だった。
 

初めての“生・健さん”は新米記者の73年。東映京都撮影所『現代任侠史』(石井輝男監督)。60年代に一世を風びした東映任侠(やくざ)映画はその直前の72年、藤純子引退記念映画『関東緋桜一家』で幕を下ろし、時代は深作欣二監督『仁義なき戦い』を皮切りとする実録路線へと切り替わろうとしていた。『現代任侠史』は“実録風の任侠映画”の触れ込みで、健さんも最後は銃で撃たれて死ぬ。「それが珍しい」映画だった。
 

当時、現場取材は邪魔にならないよう「撮影の合間に片隅で立ち話(取材)」が原則。東映任侠映画『日本侠客伝』と『昭和残侠伝』などのシリーズをほぼ全作見ていた記者は、真正面で見る「どアップの花田秀次郎(昭和残侠伝)」に震える思いだったのを覚えている。
 

この時の話を記憶しているのは“花田秀次郎”だからか。映画の話はもちろん聞いたが、健さんが熱っぽく語ったのは当時、吉田拓郎のヒット曲「旅の宿」などで評判の作詞家・岡本おさみについてだった。取材で知り合ったとかで「素晴らしい人」と誉めるのに懸命だった。
 

健さんには数々の伝説が伝わるが「人との出会いを大切にする」「共感した人から学ぶ」姿勢がよく知られる。最初にその一端を見せてもらった、とずいぶん後になって分かった。
 

勝さんは対照的に、2~3度、撮影を覗いただけの新米記者も楽屋に入れてくれて直接話を聞けた。イメージ通り自由奔放、ざっくばらんな人だった。当時、当たり役『座頭市』はフジテレビ制作に移っていたが、その頃、アメリカで大ヒットしていた『ジョーズ』の話題に触れ「ハリウッドで“座頭市”を撮ったら、いい勝負出来るんじゃないか」と勝さんらしい壮大な夢を話していたものだ。
 

健さんでもうひとつ、有名なのが「俳優は私生活を見せてはいけない」という確固たる信念。だから、プライベートは秘中の秘だし、記者も伝聞でしか知らない。だが、物静かに“成りきる姿”を垣間見たことがある。“東映卒業後”、東宝で森谷司郎監督が撮った『八甲田山』(77年)の現地ロケのことだ。
 

雪深い八甲田山中の宿舎には俳優もスタッフも、当然エキストラ記者も同宿。周りに何も娯楽施設のない宿では、出演していた俳優・加山雄三がピアノ弾き語りでエキストラの面々と仲良く声を張り上げていた。脚本家の橋本忍氏も顔を出し、これがロケ撮影の持ち味と理解したが、そこに主役の姿はなかった。健さんはロケ隊の中でも、ひとり個室に籠って「決死の登山行」に挑む隊長という難役に集中していた。いかにも陽気な加山雄三らしい盛り上げ方だし、いかにも“孤高の健さん”だった。
 

高倉健-3.jpg健さんはその年、山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』と『八甲田山』の2本に出演、日本アカデミー賞とブルーリボン主演男優賞をダブル受賞、俳優として広く日本映画界に漕ぎ出し、以後、文字通り大スターに上り詰めていく。
 

京都撮影所からは姿を消した健さんだが、その後も何度か名前を耳にした。本紙連載企画「日本映画の源流、マキノ組とその一党」の取材中、監督業に乗り出したマキノ(津川)雅彦から「(叔父)マキノ雅弘監督の誕生日(2月29日)に家を訪れるのは藤純子と高倉健だけ」と聞いた。任侠映画を卒業しても、大先輩から受けた恩は忘れない…礼儀正しく、けじめに厳しい、任侠映画のヒーローそのままだった。
 

撮影所担当と言えば駆け出し時代、ライバル紙に京都撮影所を押さえていたベテラン記者がいて、キャリアの差で歯が立たなかった。その“京都の主”が数年前に死去。葬儀が終わった後、そっと焼香する健さんの姿があったという。どこから聞いたのか、礼儀は欠かさないが目立つことはしない、健さんらしい、これも映画で見たような場面に感じた。
 

高倉健-5.jpg遺作となった205本目の映画『あなたへ』で、夜の海辺を見つめる健さんの後ろ姿がどうしようもなく胸に迫った。かつて熱い血をたぎらせたあの背中…。任侠映画では「背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹」とテーマ曲が流れ、命をかけて殴り込む。満員の場内に「健さん、あいつを叩き斬ってくれ」と掛け声がかかったのも忘れられない。
 

混乱の時代、悪者を一刀両断する健さんの背中はめっぽう強くて頼もしかった。だがそれは、たった一人の孤独なヒーロー像でもあった。70年安保で盛り上がった全共闘の学生たちも「止めてくれるなおっ母さん」と権力と闘う自分たちの気持ちをこの背中に託した。
 

 『あなたへ』で共演したビートたけしは「健さんには嫌われたくない思いからみんな遠慮して話す。だから本人はどんどん孤独になっていくんだ」と監督らしく分析した。
 

任侠映画から、多くの人の共感を呼ぶ人間像へ…。動乱の時代を生き抜いて、崇高ささえ感じさせる俳優へと自らを高めていった健さん。ストイックな生きざまには、ただただ「ありがとう」の言葉しかない。

 (安永五郎)

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 “映画の新しい才能の発見と育成” をテーマに、1977年にスタートした映画祭、「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」が今年で36回を迎える。関西では、京都と神戸で12月から1月にかけて開催することが決定した。
黒沢清監督、園子温監督、熊切和嘉監督、内田けんじ監督、石井裕也監督をはじめ、多くの映画監督が飛び立っていった世界最大級の自主映画コンペティション「PFFアワード」。今年は「SF・怪奇映画特集」と題して垂涎もののSFカルトの傑作をフィルム上映する招待企画部門。そして、矢口史靖監督と鈴木卓爾監督が、”暇で金がない”1994年に考案し、20年間続けてきた短編「ワンピース」作品の傑作選を上映する。PFFでしか見ることのできない映画を是非体験してほしい。
 

◆コンペティション部門の「PFFアワード2014」受賞作21作品を一挙上映!

10月におこなわれた東京国際映画祭で上映、北野武監督の激励を受けたり、バンクーバー国際映画祭のキュレータ、トニー・レインズ氏が入選作『丸』を「今年観た中で一番刺激的」と絶賛するなど、最先端の映画表現である日本のインディペンデント映画に、例年になく注目が集まっている。今年は528の応募作から、4か月の審査期間を経て厳選された21作品を上映。日本映画の新たな時代を感じること間違いなし!
 

◆招待企画部門で開催の「SF・怪奇映画特集」

「SF・怪奇映画特集」と題し、タルコフスキー監督の名作『惑星ソラリス』、『ストーカー』や、ソビエトSFコメディーの金字塔『不思議惑星キン・ザザ』、ジョージ・ルーカスやジョン・カーペンター監督の幻の処女作、など、垂涎もののSFカルトの傑作を、フィルム上映。 
 

◆ようこそ、ワンピース体験へ!

『ウォーターボーイズ』『WOOD JOB!』の矢口史靖監督&『ゲゲゲの女房』『楽隊のうさぎ』の鈴木卓爾監督が、”暇で金がない”1994年に考案し、20年間続けてきた短編「ワンピース」作品の傑作選を上映。1話1シーン1カット、固定カメラで撮る。撮影中は一切カメラに触れない。編集もアフレコも音楽ダビングもしない。そんなルールのもと制作された 30 秒~ 10 数分のショートフィルム「ワンピース」シリーズの中から、8月に撮影されたばかりの新作、自薦ベスト、お蔵出しなど、未公開作を含む 10 本をセレクト。ヒネリの効いた面白さに「癖になる」「ハマる」との声多数、ファンの多いシリーズだ。
 

<開催日程>
■京都開催  [ 第一部 ] 2014年12月13日(土)~12月19日(金)
       [ 第二部 ] 2015年1月3日(土)~1月9日(金)
       京都シネマ
■神戸開催  2014年12月20日(土)~12月23日(火・祝) 
       神戸アートビレッジセンター
 
第36回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)公式サイトはコチラ
 
 
 

『第6回京都ヒストリカ国際映画祭』招待券プレゼント!!!
 

暮れ逢い .jpg今年も《京都ヒストリカ国際映画祭》が京都市の京都文化博物館と京都みなみ会館にて開催されます。世界の時代劇を集めた、日本の映画製作発祥の地である京都ならではの映画祭です。

『髪結いの亭主』や『仕立て屋の恋』などで日本でも人気の高いパトリス・ルコント監督の新作『暮れ逢い』をはじめ、大ヒット作『るろうに剣心』3部作一挙上映に加え、それぞれ監督によるトークショーも開催される〈ヒストリカ スペシャル〉がございます。

今年は、上記の〈ヒストリカ スペシャル〉の他に、世界の新作を集めた〈ヒストリカ ワールド〉と、日本初公開となる『キートンのセブンチャンス』や、『伊藤大輔初期チャンバラ集』や『人斬り』など名作8本を集めた〈ヒストリカ フォーカス〉 という大変貴重な特集上映もあり、充実したプログラムが組まれております。

時代劇ファンならずとも、名作にふれながら映画の歴史や情熱を感じられる至福の9日間です。是非この機会にご覧ください。
 


そこで、映画祭事務局より招待券のご提供を頂きましたので、下記の要領で募集いたします。ふるってご応募下さい。

■募集人員:5組10名様
■締切:2014年11月30日(日)
■招待券の有効期間:2014年12月6日(土)~12月14(日)
■場所:京都文化博物館・京都みなみ会館
■対称作品:〈ヒストリカ ワールド〉〈ヒストリカ フォーカス〉の各作品。

ご注意『暮れ逢い』『るろうに剣心』シリーズの〈ヒストリカスペシャル〉はご使用いただけません

★スケジュールや作品紹介は公式サイトをご覧下さい⇒ こちら
 


★ヒストリカ スペシャル黄金.jpg
6日午後1時
  『暮れ逢い』(フランス、ベルギー)

同午後2時55分 パトリス・ルコント監督トークショー

★ヒストリカ・ワールド (世界の新作歴史映画)
同午後5時半
  『黄金』(13年ドイツ)

 

 

悪戦-2.jpg★ヒストリカ・ワールド (世界の新作歴史映画)
7日午後0時、12日午後3時半

 『ガイド少年と盲目の旅芸人』(14年ウクライナ)

同午後3時   『悪戦』(13年香港)

同午後6時半、11日午後3時半
  『トワイライト・フォレスト』(12年スペイン)

 

★ヒストリカ・フォーカス (日本刀アクション映画の系譜)

人斬り.jpg9日午後6時半
  『人斬り』(69年大映)

10日午後6時半
  『必殺4  恨みはらします』(87年松竹)

11日午後6時半
  『柳生一族の陰謀』(78年東映)

12日午後6時半
  『伊藤大輔初期チャンバラ集』

 

キートンのセブンチャンス.jpg13日午前10時20分  『キートンのセブンチャンス』(25年アメリカ) 活弁とギター伴奏付き

同午後0時20分  『忍者武芸帖  百地三太夫』(80年東映)

同3時20分  『座頭市血煙り街道』(67年大映)

同午後5時50分  『酔拳2』(94年香港)

 
 

RNK2-1.jpg★ヒストリカ スペシャル
14日午前10時20分
  『るろうに剣心』(12年、ワーナー)

同午後1時20分  『るろうに剣心  京都大火編』(14年、ワーナー)

同午後4時  『るろうに剣心  伝説の最期編』(14年、ワーナー)

 


ベル.jpg※京都みなみ会館での上映は★ヒストリカ・ワールド

14日午後2時半  『ベル―ある伯爵令嬢の恋―』(13年イギリス)

同午後6時  『黄金』

同午後8時40分  『悪戦』


 

ryuuguu-b-550-2.jpg『竜宮、暁のきみ』青木克齊監督、谷内里早さん舞台挨拶

(2014年11月8日(土) 大阪・第七藝術劇場にて)

(2013年 日本 1時間34分)
脚本・監督:青木克齊
出演:石田法嗣、谷内里早、小林ユウキチ
★青木克齊監督インタビュー⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://ryugu-akatsuki.jp/

11月8日(土)~大阪・第七藝術劇場、11月24日(祝・月)〜京都みなみ会館


 
ryuuguu-b-2.jpgおとぎ話の浦島太郎の物語をモチーフに、現代の若者の喪失と再生を、人形浄瑠璃を織り混ぜファンタジックに描いた『竜宮、暁のきみ』。関西での公開初日の11月8日、第七藝術劇場で青木克齊監督と、透明感あふれ、凛とした存在感で、主人公の太郎を勇気づける不思議な少女みずきを演じた谷内里早さんが登壇。大勢の観客のあたたかい拍手に包まれ、なごやかな舞台挨拶が行われました。

 

 


 
 

ryuuguu-b-3.jpgまず最初に、竜宮からの『玉手箱企画』大阪編と題して、七芸での上映期間中、日替わりで入場者にプレゼントされる香川県の特産品について紹介された後、青木監督が「2年前に撮影し、1年かけて上映に向けての準備を進め、この夏、新宿で公開し、大阪に来ました。今、観なおしてみて、何か変わったことは?」と里早さんに質問。「こんなにきゃぴきゃぴすることはなくなりましたね(笑)」今、猫を飼っているという里早さんに、監督は、「そういえば、撮影が始まる前日ぐらいに、ロケ地で、一人で田んぼを歩いていたら20センチほどの亀が出てきたので、拾って宿に帰り、しばらく飼っていました。13日間の撮影が終わり皆が帰った後、元の場所に返そうかと思って、起きたら、旅館の人に亀がいなくなったと言われました。玄関で飼っていたのに、結局どこにいったのか全然わかりませんでした。撮影とともに現れ、撮影が終わるとともにいなくなってしまったんです」と不思議な逸話を披露。「亀は幸運をもたらすかな?」との問いに、「こうして映画も公開に至りましたしね」とにっこり微笑む里早さん。
 

ryuuguu-b-550.jpgこのほか、監督の、人形浄瑠璃に浦島太郎の演目はないとのコメントに、客席からは「なるほど」との声。「亀の人形がなくて、ネットのオークションで亀のはく製を買いました。他の人に入札されたらどうしようと、すごくドキドキしていたのに、後で見たら、入札していたのは僕だけでした」というエピソードには、会場からどっと笑いがあふれました。その亀のはく製は、太郎を演じた石田法嗣さんが持って帰られたとのことです。「亀に始まり、亀に終わる映画ですね」「この映画を観て、香川のよさを発見していただき、気軽に足を運んでもらえたら」と監督。最後は、里早さんが「今日観てもらった感想をいろんな人に伝えてもらえたら嬉しいです。あったかい映画になっていると思いますので、大切な方とぜひ観に来てほしいです」と締めくくった。
 

ryuuguu-b-4.jpg会場には、香川県出身の方々もたくさん来場され、映画の中の荘内半島(三豊市)の山や海の美しさにうっとり。京都での公開も決まり、神戸では春に公開予定とのこと。上映後のサイン会には、大勢の人が並び、映画の話で盛り上がっていました。

(伊藤 久美子)

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