「京都」と一致するもの

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主演浅野忠信、二階堂ふみが登壇!『私の男』記者会見レポート
 
『私の男』(2013年 日本 2時間9分)
監督:熊切和嘉
原作:桜庭一樹「私の男」文春文庫刊
出演:浅野忠信、二階堂ふみ、モロ師岡、河井若菜、高良健吾、藤竜也、山田望叶他 
2014年6月14日(金)~新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイトはコチラ
(C) 2014「私の男」製作委員会
 

■「40歳になったらこういう役をやりたい」という想いを存分にぶつけた(浅野)

■今までも、これからも本当に大切な作品(二階堂)

 

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 冒頭、軋みながら漂う流氷の合間から、一人の少女が這い上がり、寒さに体を震わせながら時折思い出したように笑みを浮かべる。その少女、花を演じる二階堂ふみの鬼気迫る表情を観ただけで、すごい映画を観てしまったという気持ちが湧きあがった。桜庭一樹のベストセラー小説「私の男」を、『海炭市叙景』、『夏の終り』の熊切和嘉監督が映画化。流氷に閉ざされた北の大地と東京を舞台に、震災孤児の花と彼女を引き取り育てた遠縁の男、淳悟(浅野忠信)との禁断の愛の物語。肩を寄せ合って生きる淳悟と花の誰にも邪魔できない深い絆を、浅野忠信と二階堂ふみが時には退廃的に、時には艶やかに表現し、観終わって独特の余韻を残す。40代の男の色気が漂う浅野忠信の懐の深い演技が、二階堂ふみの演技を役柄同様に絶妙の呼吸で受け止める。一方、あどけない高校生から艶っぽい大人の表情まで、鮮やかに演じ分けた二階堂ふみの存在感は圧巻で、間違いなく彼女の10代における代表作となることを感じさせた。
 
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 映画公開に先駆け、大阪で行われた合同マスコミ会見では主演の浅野忠信、二階堂ふみが登壇し、本作や役への思い入れを語ってくれた。まさに作品中の淳悟と花のように、お互いに絶対的な信頼を寄せて演じたことが伝わってくる会見となった。その模様をご紹介したい。
 

(最初のご挨拶)

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浅野:初めて脚本を読んだときに「今の自分ならこの役をできる」と思いました。40歳になったらこういう役をやりたいという想いを存分にぶつけることができ、非常に感謝しています。
二階堂:ぜひこの素晴らしい作品を色々な方に観ていただけたらうれしいと思っています。
 
━━━「今ならこの役をできる」と思われた理由は?
浅野:20代のときは癖のある役を演じることが多かったのですが、30代で様々な役を演じるうちに、自分の中で明確になっていくことがたくさんありました。もう一度癖のある役を追求してみたかったので、淳悟役は「今の自分はこれをやるしかない」と思えるものでした。
 
━━━桜庭一樹さんの原作で魅力を感じる部分は?
二階堂:この原作もそうですが桜庭先生の世界観でもある耽美的な雰囲気がとても好きでした。今回、その雰囲気は壊さないまま、映画でしかできない表現をしたいと思っていました。そういった部分を熊切監督が形にしてくださいました。
 

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━━━過去作品は個性的な役が多いように思いますが、個性的な役をオファーされていることについて、どう感じていますか?そして、今後やってみたい役はありますか?
二階堂:個性的な役をオファーされていると思うことは少ないです。花役に関しても、個性的な女の子とは捉えていません。普通の女の子が成長していくにつれて感じるものが変わったり、好きなものが変わったりと、女性であれば皆が経験する部分だと捉えています。撮影現場に行くのが楽しいので、面白いと思える現場に行けるなら、どういう役柄かは気にせずに演じていきたいと思っています。今年で20歳を迎えるのですが、意外と学生の役を演じることが少ないので、淡い青春物語もやってみたいです。
 
 
━━━熊切監督の現場を体験されての感想は?
浅野:監督の学生時代からの仲間もたくさんいらっしゃり、コミュニケーションがよくとれていて、すごく助けていただきました。機会があればまた一緒にやらせていただきたいです。
二階堂:私が高校1年生のとき熊切監督とはじめてお会いし、直感的に「この監督と私は絶対に仕事をしなくてはいけない」と思っていました。ずっと想い続けていた監督の現場でしたので、撮影中は本当に幸せに浸って過ごしていました。熊切監督には「この監督のためなら」と思わせる魅力があると感じています。ご一緒できてよかったです。
 
━━━この作品の中で挑戦したことは?
二階堂:(オホーツク海は)寒かったので、それがなによりの挑戦だったと思います。流氷のシーンも大変でしたが、セットだと絶対に作れない雰囲気が出せてよかったです。
 
 

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━━━一番観てもらいたいところは?
浅野:淳悟を演じる上で、二階堂ふみさん演じる花が本当に欠かせませんでした。花役が二階堂さんでなければ、あそこまで淳悟を演じきれなかったと思うので、花が成長していく姿をじっくり観てほしいと思います。
二階堂:私の中で、今まででも、これからにおいても本当に大切な作品になりました。私にも浅野さんが演じる淳悟という存在がいなければ出せなかった感情がありました。淳悟と花の、普通とはまた違う愛の形を観ていただけたらと思います。
 
 

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━━━淳悟と花の親密な関係を演じるにあたって、お二人の間で話し合ったことは?
浅野:映画やシーンについての話をした覚えはあまりないのですが、淳悟としての気持ちを保ちながら、二階堂さんと接していました。そういう接し方が重要だったのだと思います。
二階堂:撮影期間中ずっと、浅野さんが淳悟として接してくださったのを身に沁みて感じていました。そういう雰囲気の中、自分が最近好きな音楽の話や、浅野さんが体験した他の撮影現場はどうだったのかというお話も聞かせていただきました。
 
 

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(最後のご挨拶)
浅野:僕自身もまた観たいと感じている作品ですし、何度も観ていただけると本当にうれしいです。
二階堂:私の運命の作品であり、勝負作品だと思っています。スクリーンで観ることに意味がある作品になっていますので、映画ファンの方、また色々な方に観ていただけるとうれしいです。
(江口由美)
 

『トークバック 沈黙を破る女たち』坂上香監督インタビュー

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(2013年 日本 1時間59分)
監督・製作・編集:坂上香 
2014年5月24日(土)~第七藝術劇場、京都シネマ
2014年7月26日(土)~神戸アートビレッジセンターにて公開
公式サイトはコチラ
※第七藝術劇場、京都シネマで上映後ワークショップ、トークイベントを開催
<第七藝術劇場>
5/24(土)12:15の回上映後、「映画を観た後、小さなスポットライトーわたしにも」
坂上香監督×倉田めばさん(NPO大阪ダルクセンター長/パフォーマー)
5/25(日)12:15の回上映後、「映画トークバックをトークする」ファシリテーター坂上香監督
<京都シネマ>
5/24(土)10:40の回上映後、レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授)x 坂上香監督
5/25(日)10:40の回上映後、レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授)x 坂上香監督
5/26(月)10:40の回上映後、岡野八代(同志社大学教授)×坂上香監督

 

~偏見、差別に負けない!どん底の人生をみつめ直し、声を上げる女たちの逞しさ~

 
 色とりどりのフェイスペインティングをほどこした女たちが、自らの詩を時には厳かに、時にはドンドンとリズムを刻みながら演じ、魂のこもったパフォーマンスで観客を魅了する。HIV、レイプ、薬物依存症、虐待と壮絶な事実が内在する詩には、観客の前で自らの境遇を宣言するだけでなく、それを乗り越えて生きようとする力がみなぎっている。
サンフランシスコの女性刑務所で活動中の「メデア・プロジェクト」(演劇ワークショップ)に出会ったドキュメンタリー映像監督の坂上香が、8年間にわたりメデア・プロジェクトに密着。メンバーであるHIV陽性女性たちへのインタビューを通じて、彼女たちが強いられてきた沈黙と、その奥にある誰にも語れなかった過去を振り返り、自分自身に向き合う姿を映し出す。我々や社会が持つ偏見がいかに当事者を沈黙の闇に押し込めているかを痛感する一方、彼女たちが自らの過去に向き合う姿は誰しも生きていくうえで乗り越えなければならない壁であり、傷だらけになりながら向き合う彼女たちに勇気すらもらっている気がするのだ。
 
 キャンペーンで来阪した坂上香監督に、メデア・プロジェクトに出会ったきっかけや、メデアメンバーにインタビューすることで感じとったこと、また作品中登場するトークバック(上演後キャストと観客が質疑応答を行う)を映画製作過程で行うワーク・イン・プログレスを取り入れていることについてお話を伺った。

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■様々な境界線を越えていく演劇ワークショップ「メデア・プロジェクト」の魅力とは

 
━━━メデア・プロジェクトに出会ったきっかけは?
10年前に作った『ライファーズ 終身刑を終えて』で男性受刑者に向けての「語るプログラム」を撮影しました。語り合うということはすごく大切ですが、語るだけでは十分ではない部分やもっと違うノンバーバルコミュニケーションもあります。また、受刑者が出所したときに、世の中が「あいつらはずっとダメだ」という目で見続けると、彼らもそれに反抗したり傷ついてしまいます。彼らも変わらなければいけないけれど、同時に彼らが変われる可能性を社会に知らせる何かが必要です。2005~2006年ごろ様々な表現形態を探しているうちにこのメデア・プロジェクトにたどりきました。受刑者が演劇を刑務所の中だけではなく、刑務所外でも上演したり、受刑者と一般の人たちが対話する場を持つのです。また劇が終わればトークバックが行われるなど、境界線をどんどん越えていくのが面白く、そういった革新的な活動をしているところは他にありませんでした。境界線をどんどん越えて色々な会話ができていくことが、日本の社会に必要なのではないかとずっと感じていたので、取材をしたいと思いました。実際、取材をお願いした当初は相手にしてもらえず、映像記録ボランティアとして活動し始め、映画の撮影許可がでるまで4年かかりました。
 
━━━演劇ワークショップ、メデア・プロジェクトのアプローチについて教えてください。
メデアのアプローチは演劇療法やアートセラピーなどの心理療法なのか、いわゆるアートなのか、もしくはサウンドデモのようにアートを使った社会運動なのか。代表のローデッサに、この3つの分類の中でメデアは何にあてはまるのかを聞いてみると「その一つ一つでもないし、すべてが含まれるものでもある」と答えたのです。全てを否定しないし、かといってアートセラピーのように一つに特化した目的でやっているわけではない。でもしっかりとやっていけば全てにつながるはずだというのが彼女の信念で、面白いと思いました。境界線をあえて越えることをやっていることに惹かれたのです。本当に時間をかけてやっているプロジェクトなので、結果的にはどれにでもあてはまることを取材しながら実感しました。
 
━━━HIV患者でもあるメデアメンバーの取材をするに至るまで、大変だったことは?
HIV陽性者のメンバーとは直接なかなかコンタクトをとらせてもらえず、しかも一人一人と連絡しようとするとローデッサを介さなければなりませんでした。個別にアプローチするのに時間がかかり、劇のリハーサルの時に話すぐらいしかできなかったのです。ようやく演劇の撮影に入ったときに個別にインタビューをお願いすると、皆HIVであることを家族や友人に言っていないので、家で撮影させてくれませんでした。結局カサンドラ以外は、私たちの滞在していたホテルに来てもらい撮影をする形で、彼女たちの家まで迎えに行き、撮影が終わったら家まで送ることを繰り返しました。待ち合わせをしても、その場に現れない人もおり、インタビューされたくなかった人もいたと思います。他の皆インタビューを受けているので自分だけイヤとは言えなかったのでしょう。
 

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━━━インタビューをすることで、劇やリハーサル風景だけでは見えない各メンバーの内面に肉薄し、彼女たちの痛みや克服する姿が浮き彫りにされていました。
リハーサルで詩を聞くことはできますが、彼女たちの細かいところは見えません。もっと知りたいことを彼女たちに直接ぶつけることで見えてくることがたくさんありました。私にとってインタビューは宝物です。また最初はしゃべってくれないことでも、出会ってから3年後には、もっと私との関係性ができてきました。かつて養育放棄をし、何度も逮捕歴があるカサンドラやカサンドラの娘さん等はもっと突っ込んだ話をしてくれました。
 
2012年アメリカへロケハンに行ったとき、オーストリア出身のマルレネから「この数年でいろいろあったのよ」と声をかけられました。親にもやっとHIVに感染したことを告白できたと報告してくれました。彼女は育ちが良く、「メデアのみんなは壮絶な体験をしているけれど、私は子供時代も恵まれているし、本当にラッキーだったと思う。皆本当によく生き延びてきたと感動したわ。」と言っていたのですが、実は彼女自身もひどい性暴力に遭っていたことを思い出したというのです。リハーサルの休み時間に後でゆっくり撮りたいとお願いしたら、結局はかなり具体的に話をしてくれました。詩も書いたというので、詩を読んでもらい、映画でもその場面を使っています。それだけ性暴力は意識していなくても色々な人に問題が起こっているのではないでしょうか。
 

 

■心を鬼にしてDV夫を追い出したカサンドラ、その勇気をメッセージとして映画に残す。

 
━━━人に言えないような辛い目に遭ってしまうと、自分の記憶に蓋をしてしまい、再び過去に向き合うことは相当精神的に厳しい作業ですね。
メデアでは仲間がいることが大きいと思います。演劇を作るプロセスを見ているときからそう感じていましたが、3年後にインタビューして確信に変わりましたね。特にカサンドラは、彼女がHIVであることを認めてくれる人と再婚しましたが、夫からDV被害を受け、別れることを決断したことはすごいと思っています。私はDVの被害者たちを支援する活動もしているのですが、どうしても加害しながら最後には謝ってなし崩し的になるような男との関係を断ち切れないことが多いのです。でもカサンドラは心を鬼にして夫を追い出したのです。これはメッセージとして映画に残したいと思いました。
 
 

■「死んだお姉さんの存在をみんなに知ってもらうために、私は演劇をやりたい」デボラが詩を書き、みんなの前で読むのを見て、私の中で彼女との距離が縮まった。

 
━━━他に今回取材したメンバーの中で、印象的だったエピソードを教えてください。
言語障害のデボラは、何を考えているかわからないという点で、私にとっては今回取材したメンバーの中で一番距離を感じていました。でも結果的に、一番変化が目に見える形で現れた人だったのです。
 
━━━曾祖母から祖母、母と脈々と自分に流れる血に誇りを持つ詩をデボラがリハーサルで朗読するシーンで、彼女を突き動かしている原動力はここにあるのかと衝撃を受けました。
デボラは売春をしているときに仲介人と付き合っていたときがあり、ボコボコにされて血だらけになっても付き合い続けていたそうです。お姉さんも同じ仲介人と付き合い、二人ともAIDSに感染しました。お姉さんは亡くなってしまったのですが、「死んだお姉さんの存在をみんなに知ってもらうために、私は演劇をやりたい」という思いが強いのです。私は最初、その気持ちが分からなかったのですが、デボラが詩を書き、みんなの前で読むのを見て、私の中で彼女との距離が縮まりました。映画のシーン以外でも、(先祖が)奴隷となっていたときの話や、自分とお姉さんの関係、お姉さんの死を看取ったときのことを皆の前で語ったのです。お姉さんが死の間際に薬物を止めて、生き直そうとしていた姿に感動し、自分もまじめに生きようとしている話を詩にしたり、それらを介してデボラに親近感が沸きましたし、もっとデボラのことを知りたいと思うようになりました。
 

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━━━上演後観客と行われたトークバックでは、彼女たちの勇気あるパフォーマンスに様々な反応が生まれていましたね。
最初に黒人の男性が手をあげて「HIVの女性の友達がいるのだけれど、まだ誰にも言えていないので、この演劇はそういう人たちに力を与えるはずだ」と発言しました。その後何人かが発言した後に、黒人男性の隣にいた女性(映画でも登場)が手をあげて「子供を産みたいと言ったあなたへ、私は子供を産めなかったけれど、あなたへエールを送りたい」と語ったのです。実は手をあげて発言した女性こそ、男性が最初に語ったHIVのことを誰にも言えない友人の女性で、終わった後ハグしながら泣いていました。代弁したつもりが、その本人が声を上げたわけです。その後も2人ぐらいの男性が次々に今まで誰にも言っていない病気のことを告白しました。本当に奇跡が起こっていましたね。
 
 

■「映画を媒介にして自分のことを話してくれた」当事者の人たちの声を映画に反映させるワーク・イン・プログレス(WIP)に手ごたえ

 

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━━━本作は、ワーク・イン・プログレス(※WIP)を取り入れていますが、なぜWIPを取り入れようと思われたのですか?※編集中の作品を限定的に公開して、そこで出た意見を作品に反映させる試み
前作の『ライファーズ 終身刑を終えて』は薬物依存の元受刑者や当事者の話だったのですが、上映しているときに一番ビビッドに反応するのは、まさにそういう状況にある人たちでした。当事者の人たちの声を本作にも反映させたいという思いは当初からあったのですが、どうすればいいのか分からなかったのです。これはアメリカのことだし、アメリカの映画に日本の人たちの声を直接投影できません。悩んでいるときに、薬物依存症者の回復施設「ダルク」の一つであるNPO法人「女性ダルク」代表の上岡陽江さんがファンドレイジングのイベントに来場し、私たちの2分間スピーチを聞いてくださったのです。最初は「これはアメリカのことでしょ。日本では無理よ」と言われたのですが、最後に「10年後でもいいから、私たちもこれをやりたい。できる社会にしたい。私たちにも手伝わせてほしい」と申し出てくれました。その当時から10万円出資していただければ市民プロデューサーになれる制度を作っており、WIPも頭にあったのですが、どうやって展開すればいいのか分からなかったのです。上岡さんが非常に積極的に働きかけてくれたおかげで、当事者の人たちにプロデューサーになってもらえれば、どんなに力強いだろうと思えてきました。
 
━━━なるほど、試行錯誤しながらWIPを取り入れる道筋が見えてきた訳ですね。
最終的にはWIPという試写にして、ダルクの方に観てもらい、声を上げてもらう場にしたのです。私はダルクの人たちと色々活動をしているのですが、映画でのHIV陽性者のメンバーと同じように、なかなか自分たちと違う人のいる場所に行く自信がなく、ましてやそういった場所で発言などできません。ですから、彼女たちが一番しゃべりやすい環境は何だろうと考え、ダルクに私たちが行き、白板にプロジェクターで映像を映し出して、居間でくつろぎながら観るという試写をやりました。予想しない反応がたくさん返ってきましたね。
 

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━━━具体的にはどういった場面で反応が大きかったですか?
カサンドラの2歳半の孫が出てくる場面は、話した言葉を訳していなかったのですが、「坂上さん、あの子今何て言っているんですか?」とあちらこちらから声が上がりました。なぜそこで反応したのか聞いてみると、ダルクの皆さんは大体お子さんがいらっしゃるけれど、子どもが小さいときは覚せい剤や薬物で刑務所に入ったり、中毒状態になっていたりと色々トラブルに巻き込まれており、子どもをきちんと育てることができなかったのです。乳児院に行ったり、祖母に預けたりといった形で育っていることが多いので、子どもに対する罪悪感があり、その年頃の子どもが何を考えていたのかをすごく知りたいのです。『トークバック』は、自分たちが歩んできたのと同じケースの人が登場する映画なので、まさに置かれている状況がぴったりなのです。
 
━━━上演後のトークバックのような効果もあったのでしょうか?
ダルクの皆さんは日頃あまりしゃべらない方が多く、個人個人のことをあまりよく知らなかったのですが、映画を媒介にして自分のことを話してくれました。例えば、「英語のスラングを聞いたのは久しぶり」とアメリカで3年ぐらい暮らしていたことを語り始めたり、子ども時代のことを思いだして語ったり、墓まで持っていこうとしていたことまで語り始めたりされるので、こちらが衝撃を受けるぐらいでした。映像を観るだけではなく、ツールにしたいという想いはどこかであったのですが、映画を介して対話ができ、その人の内面が見えたり、逆に私に質問してきてくれたりといった双方向のコミュニケーションが取れました。今回ほど試写の段階からそれがビビッドに反応が伝わることは今までなかったので、この手法でやれると思いました。
 
━━━これからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
沈黙が強いられている現在の社会で、何が私たちを沈黙させているか、私たちも他人に沈黙を強いているかもしれないということを考えるきっかけになると思います。今までなら言わなかったことも、この映画を見て「言ってもいいのだ」と声を上げる背中を押せたらうれしいです。(江口由美)
 

monsterz-b-550.jpg藤原竜也に操られたい!『MONSTERZ モンスターズ』舞台挨拶レポート

(2014年5月13日(火)18:30~梅田ブルク7にて)
ゲスト:藤原竜也(32歳)、中田秀夫監督(52歳)

(2014年 日本 1時間52分)
監督:中田秀夫
出演:藤原竜也、山田孝之、石原さとみ、田口トモロヲ、落合モトキ、太賀、三浦誠己、藤井美菜、松重豊、木村多江

2014年5月30日(金)~丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、梅田ブルク7、なんばパ-クスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 ほか全国ロードショー

公式サイト⇒ http://wwws.warnerbros.co.jp/monsterz-movie/index.html
(C)2014「MONSTERZ」FILM PARTNERS

 



 ~藤原竜也×山田孝之、ふたりのモンスター俳優が仕掛けるガチ勝負の恐怖~
 

 2年前公開の韓国映画『超能力者』は、目で人を操るという超能力を持つが故に孤独に生きる男が主役の怖くてせつない映画だった。カン・ドンウォン演じる超能力者が初めて操れない男コ・スと出逢い、運命の歯車が大きく狂い出すという衝撃的なサスペンスホラー。それを『リング』でハリウッドデビューを飾った中田秀夫監督が、「彼をおいて他にいない!」と言わしめた藤原竜也をモンスターにしてこの世に送り出す。

monsterz-550.jpg さらに、唯一操れない男を、これまた若手演技派のひとり山田孝之が演じる。同世代ながら初共演となった藤原竜也(32)と山田孝之(30)がダブル主演。どちらがモンスターを演じてもおかしくないキャラクターだ。このふたりの対決とあっては、何かが起こるに違いない!実際、実の親からも恐れられ、超能力を使う度に手足が壊死してしまう超能力者の哀れさと、何があってもすぐに回復する不死身という超能力を持つ操れない男もまたモンスターといえる。アクションだけではない、悲しい運命を背負ったモンスターの内面を、ふたりの若き演技派俳優の目ヂカラの演技に注目してご覧頂きたい。

 いよいよ5月31日より全国公開される映画『MONSTERZモンスターズ』。公開を前に、主演の藤原竜也と中田秀夫監督の舞台挨拶が、大阪は梅田ブルク7で開催された。
 


 【舞台挨拶詳細】 (敬称略)

monsterz-b-f1.jpg――― 最初のご挨拶を。
藤原:大阪の皆さん、こんにちは。1年位前に一月半かけて一所懸命に撮影しました。面白いエンターテインメント作品になったと思います。
中田監督: (ここで、客席に向かって)男性の方は手を挙げて? 女子率高いな~。竜也君が来るのが分かっていた人? 少ないな~、はい以上です。(笑)
――― 何なんですか、それ?
中田監督:自分だけのアンケートです。

――― この映画のどこに一番の魅力を感じましたか?
藤原:韓国映画の『超能力者』がベースになっているのですが、その映画を見てから脚本を読んで、中田監督の得意分野の映画に呼んで頂けて嬉しく思いました。目で人を操るという設定なんですが、視界に入った人なのか、ピンポイントで見た人なのか、僕もそのルールがイマイチよく分かりませんでした。でも、それは気にせずに見て頂けたらと思います。

monsterz-b-n1.jpg――― その辺りも含めて、藤原竜也さんを起用した理由は?
中田監督:竜也君とは『インシデルミ 7日間のデスゲーム』でも一緒に仕事したのですが、プロデューサーと竜也君主演のサスペンス・スリラーを作りたいという話が出ました。そこで、韓国映画『超能力者』が挙がり、世界を敵に回しても孤独の中で闘えるダークでクールなカッコイイ役は、藤原君をおいて他にいないだろうと思いました。
(ここでまた、客席に向かって) 藤原君に操られてみたいと思う方?(笑)
藤原:どうしたんですか?
中田監督:映画はダークな面もありますが、面白がって見て頂ければいいかなと(笑)。

――― 人を操っている時の藤原さんの目にとても魅了されたのですが、何か工夫は?
中田監督:山田君が演じた操れない男と出会ったことで、初めて生きていると実感します。彼とのバトルを通して、生きる証しを感じていきます。何千人ものエキストラが山田君一人に襲い掛かって行くのですが、それに似合った眼力が必要でした。お芝居プラス、それまでの人生が反映されているエフェクトが必要だったのです。

monsterz-b-f2.jpg―――人を操る目の演技について?
藤原:目だけをいっぱい撮ってもらいました。「もういいんじゃないですか?」というぐらい沢山。
――― 目だけ撮られる感じは?
藤原:その時は分からなかったのですが、作品を見て、うまく編集されているなと納得しました。

 

――― 今日は、ここ大阪ということで、大阪についてお聞きしたと思います。
藤原:年に2回位お芝居で来ています。大好きですね~住みたいくらいです。僕は西武ライオンズのファンですが、阪神タイガースも大好きですし、人は温かいし、大阪の空気が好きですね。
――― 先月、大阪城ホールでのワールドプレミアムボクシング、長谷川穂積選手の試合を観戦しに来られていたらしいですね?
藤原:はい、長谷川穂積さんが大好きで、彼の大事な試合でしたから「これは見届けなくてはいけない」と勝手に思い込んで観に行きました。
――― ええ?バレないんですか?
藤原:バレてたんでしょうね~(笑)
――― 声を掛けられたりしないんですか?
藤原:皆さん試合に集中されてましたので、それはないです。
monsterz-2.jpg――― 本作では格闘家の川尻達也さんを操っていましたが?
藤原:僕は操るだけなので、2時間位で撮り終わりましたが、後は山田君らのアクションシーンに10時間位かかったんです。「すみません!お先に失礼します」と毎日謝りながら帰っていました(笑)。
――― 川尻さんと闘ってみたかったのでは?
藤原:いや~、操るだけで十分です。

 


monsterz-b-3.jpg――― ご存じの方も多いと思いますが、来る5月15日は藤原竜也さんのお誕生日なんです!そこで、中田監督からスペシャルプレゼントが用意されています。どうぞ!
(黄金のミニビリケンさん登場! 中田監督から藤原竜也へ手渡された。)

――― ビリケンさんの足の裏をなでると願いが叶うということですので、映画のヒットを祈願して触り放題でございます。家のどの辺りに飾りますか?
藤原:寝室です。(笑)

――― 最後のご挨拶を。
藤原:誕生日を皆さんに祝って頂いて、心から感謝しております。『MONSTERZモンスターズ』は中田監督のもと、皆で頑張って撮った作品です。いよいよ5月31日から公開されますが、ひとりでも多くの方に見て頂けたらなと思っております。本当に今日はありがとうございました。
中田監督:この映画の見せ場は、アクションに次ぐアクションですが、「生きていくことは闘いの連続である」がテーマということだと思います。山田君が群衆と闘うシーンも去ることながら、藤原君と山田君が直接ボディコンタクトをしながら闘うシーンは、この物語の大きなポイントとなりますので、その辺りを注意してご覧になるとお楽しみ頂けるのではないかなと思います。



 monsterz-b-f3.jpg 中田監督に、「藤原君に操られてみたい方?」と聞かれ、思わず手を挙げそうになった筆者。舞台や映画にと大活躍の藤原竜也の成長ぶりは、今年公開の4本の出演映画からもお分かり頂けるだろうが、自信と共に貫禄が付いてきたように感じる。どの作品にも言えることは、声が違う!以前に比べ、太く大きくなっている。さらに、物語のテーマを象徴したキャラクターを全身で生きているから、存在感が違う! 明らかに他の若手俳優と違うところだろう。7月から始まる連続TVドラマ『ST警視庁科学捜査班』で13年ぶりに主演を務めるという。まだ32歳。40歳過ぎてからの藤原竜也を見るのが、今から楽しみでならない。

(河田 真喜子)

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■ ツイン 提供

■ 募集人員:3名様

■ 締切:2014年6月8日(日)

★公式サイト⇒ http://ymkn-ushijima-movie.com/movie/

2014年5月16日(金)~TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、TOHOシネマズ西宮OSほか全国ロードショー! 

 

 


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クズどもに、終止符を打つ! 最強のヤミ金再始動!!

 
ギラギラした欲望に衝き動かされた、キャラ立ち過ぎの登場人物たちによる、駆け引きや裏切り、愛憎そして絆。
闇金 VS ヤンキー VS 暴走族 VS 女闇金 VS 極道 VS ホスト VS 風俗嬢 VS ストーカー VS 情報屋
問答無用!ウシジマをめぐる八つ(やつ)巴(どもえ)の生存競争、サバイバル・バトルが冒頭からラストまでノンストップ!! スピーディで重量感のあるアクションとバイオレンス、特濃の人間ドラマと悲喜劇、すべてがハンパなくスケールアップ。究極の“ウシジマ・ワールド”がここに開幕する――。
ヘタを打ったら、そこでゲームセット、人生おわり―。
生き残るのはいったい誰だ?!
 
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■出演者:山田孝之 綾野剛 菅田将暉 中尾明慶 窪田正孝 やべきょうすけ
■監督 山口雅俊 
■原作 真鍋昌平『闇金ウシジマくん』(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)
■企画・プロデュース 山口雅俊  ■脚本 福間正浩  
■製作 「闇金ウシジマくん」製作委員会
■配給 東宝映像事業部=S・D・P 
(C)2014真鍋昌平・小学館/映画「闇金ウシジマくん2」製作委員会
 

『ラストミッション』特製“ケヴィン”コースター プレゼント!

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■ ショウゲート 提供

■ 募集人員: 5名様

■ 締切:2014年6月21日(土)

★公式サイト⇒ http://lastmission.jp/

2014年6月21日(土)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、OSシネマズ神戸ハーバーランド109シネマズHAT神戸 ほか全国ロードショー! 

 


『ラストミッション』

ケヴィン・コスナー待望の主演最新作は『チャーリーズ・エンジェル』マックG監督×『Taxi』リュック・ベッソン脚本の豪華タッグによる、エキサイティングなアクション・エンターテインメント大作!

lastmission-550.jpg余命宣告されたベテランCIAエージェントのイーサン(ケヴィン・コスナー)は、残された時間を別れた家族と過ごそうとパリに行く。しかし、久しぶりに会う思春期の娘ゾーイ(ヘイリー・スタインフェルド)とは溝が深まるばかり。そんな中、女エージェントのヴィヴィ(アンバー・ハード)が、病の特効薬を餌に現役最後の危険な仕事を持ちかけてくるが…。悪人どもの扱いはうまいが自分の娘には手を焼くベテランエージェントに扮したケヴィン・コスナーが、パリの街を舞台に同時進行不可能な究極の<ラストミッション>に挑む!

出演:ケヴィン・コスナー、アンバー・ハード、ヘイリー・スタインフェルド、コニー・ニールセン

監督:マックG 原案・脚本:リュック・ベッソン共同脚本:アディ・ハサック

2013年/アメリカ・フランス/カラー/スコープ/5.1ch/117分/原題:THREE DAYS TO KILL/字幕翻訳:戸田奈津子/配給:ショウゲート

Lastmission.jp   © 2013 3DTK INC

2014年6月21日(土)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ二条、OSシネマズ神戸ハーバーランド109シネマズHAT神戸 ほか全国ロードショー! 

『her/世界でひとつの彼女』試写会プレゼント 

HER-550.jpg・日時:2014年6月20日(金) 
    18:00開場/18:30開映
・会場:御堂会館
・募集人数: 5組 10名様
・締切:2014年6月10日(火)

 

 ★公式サイト⇒ http://her.asmik-ace.co.jp/

 2014年6月28日(土)~大阪:大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 ほか全国ロードショー
 


本年度アカデミー賞・脚本賞受賞!スパイク・ジョーンズ最新作

ありえないはずの“一人とひとつ”の恋は、奇跡の展開へ―!
映画で感じたことないほどの愛しさと切なさ。観たことないラブストーリー。

≪ストーリー≫
HER-4.jpg近未来のロサンゼルス。セオドア(ホアキン・フェニックス)は、他人の代わりに想いを伝える手紙を書く“代筆ライター”。長年一緒に暮らした妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と別れ傷心の彼はある日、人工知能型OSの“サマンサ”(スカーレット・ヨハンソン)に出会う。出会うといっても実体をもたない彼女は、コンピューターや携帯画面の奥から発せられる“声”でしかない。けれど“彼女”は、驚くほど個性的で、繊細で、セクシーで、クレバー。次第にセオドアは“彼女”と一緒に過ごす時間を誰といるより幸せに感じるようになり、”彼女“に魅了されていく―

原題:her
監督&脚本:スパイク・ジョーンズ 
出演:ホアキン・フェニックス エイミー・アダムス ルーニー・マーラ オリヴィア・ワイルド スカーレット・ヨハンソン
音楽:アーケイド・ファイア オーウェン・パレット 主題歌:カレンO 「The Moon Song」 
配給:アスミック・エース
2013年/アメリカ/カラー/126分/配給:アスミック・エース/her.asmik-ace.co.jp
コピーライト:Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

2014年6月28日(土)~大阪:大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー

 

『イヌミチ』万田邦敏監督インタビュー

inumichi-di-1.jpg(2013年 日本 1時間12分)
監督・編集:万田邦敏
脚本:伊藤理絵
出演:永山由里恵、矢野昌幸、小田篤ほか
映画美学校2012年度高等科コラボレーション作品

2014年 5/3(土)〜5/16(金)第七藝術劇場、5/16(土)〜5/30(金)立誠シネマプロジェクト(京都)、6/6(金)〜6/10(火)神戸映画資料館      

公式サイト⇒ http://inu-michi.com/
©2013 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

 


 
~“犬”と“飼い主”の関係を経て…~


 人は生きていくことの重みから逃れることはできない。仕事にも恋にも倦み疲れた30歳間近のOLの響子は、見知らぬ男、西森の家にころがりこみ、四つん這いになって「イヌ」の真似を始める。飼い主と犬という関係を通じて女はどう変わり、二人はどこへ向かうのか…。

 独特の映像世界で私たちを魅了し、映画を観ることのおもしろさと深さを教えてくれた万田邦敏監督。『UNLOVED』(02)では三角関係に揺れる女、『接吻』(08)では殺人犯に恋した女と、さまざまな男女のありようを映画にしてみせてきた監督が、5年ぶりに映画美学校の学生たちとともに撮ったのは、一風変わった男女の姿。この風変わりなお話が、映画としてどう立ち上がり、作品となっていったのか、PRのために来阪された万田監督に率直にうかがった。
 


 【STORY】 (公式サイトより) 
inumichi-1.jpg 仕事や恋人との生活において選択する事に疲れている編集者の響子はある日、クレーマーや上司に簡単に土下座をする男・西森と出会う。プライドもやる気もない西森の、無欲な「イヌ」の目に興味を持つ響子。
出来心から訪れた西森の家で、二人はおかしな「イヌ」と「飼い主」という遊びを始める。
「イヌ」としての盲目的な生活に浸る響子と、その姿に安らぎ「飼い主」になる西森。
ほの暗い家の中で、決して交わることのない身勝手な愛を垂れ流す二人の遊びはどこへ向かうのだろうか。



■キャスティングについて~何を考えてるのかわからない怖さ~

inumichi-4.jpg―――西森を演じる矢野昌幸さんはユニークな感じですが、どんなところから役が決まったのですか?
万田邦俊(以下万田) 今回は、映画美学校高等科の1期の学生をキャスティングすることになっていました。ほぼ全員出てもらったんですけれども、11人か12人くらいを全員オーディションして、スタッフになる学生と一緒に役の割振りを決めました。矢野君には、脚本を呼んだだけだとイメージできないような面構えと、何考えてるのかわからないような怖さみたいなのがあって、おもしろいな、この子に西森をやらせると『イヌミチ』というタイトルから普通に連想するようなイメージとは違う西森像になるのかなと思って、キャスティングしました。

―――横顔とか特徴的で、怖い時と普段とすごく落差がありますね?
万田 そうなんですよ、怖いんですよ、あの人は(笑)。本人は全然怖い人じゃなくて、コメディアン、芸人志望で芝居を始めたみたいなんですけど、そこはおもしろいなと思ったんです。もともと彼は眼鏡をかけていて、ただ伊達眼鏡だと思うんですけど、そのまま眼鏡ありでいきましたね。

―――響子を食事に誘うカメラマンの高梨はいかにもイケメンという顔ですが、どんな感じでしたか?
万田 彼については、もらった脚本そのままなんですけど、やはり学生が演じました。演じた学生がもともと持っているキャラクターがちょっと微妙に変な感じの子で、それがおもしろかったですね。役のキャラが随分たちました。彼自身が持っているもののおかげで。


■犬を演じること~自主練で膝小僧が痣だらけに…~

inumichi-2.jpg―――響子を演じた永山由里恵さんですが、脚本を読んで自分が犬を演じるって、結構、抵抗があると思うんですが、そのあたりはどうだったんですか?
万田 大変だったと思います。僕も最初に脚本を読んだ時に、犬になるってことですから、「ええ、これってどうやって撮るの?」って思いましたよ。「犬になる、四つん這いになるって、絵になるのか。画面になるのか。難しいな」というふうには思いましたね。

―――永山さんが犬として座っているのがちゃんと絵になっていましたが、かなり練習とかされたんですか?
万田 練習してくれました。僕が知らないところで。彼女だけでなく、矢野君と二人が自主練をしてて、それで、彼女は、撮影に入る前には、膝小僧がもう痣だらけになってたみたいですね。僕、知らなかったんです。彼女も学生だったので、素人というか。プロだったら、サポーターをつけますから、そんなこと絶対ないんです。現場に入ってからは、サポーターさせましたけれども、二人で勝手に自主練している時には、そんなことも思いつかず、タオルかなんかはそれでもまいてたって、言ってたかな。でも、ずれてきちゃいますからね。それで、撮影に入ってから、ある日ふっと控室に行って、ちょうど膝小僧が出てた時で痣だらけになっていて、僕も驚いて「ええっ、なんで?」って言ったら「自主練やってて」と、「ああ、そうだったんだ」って言って。すごく頑張ってくれましたね。二人でいろいろやってくれたようです。

―――今回、美学校の学生さんたちが演じたということで、プロの役者と違っての苦労はありましたか?
万田 それは特になかったですね。主演の二人に関しては、撮影に入る前にリハーサルみたいなことをやったんですが、その時はあんまりうまくなかったんですよね。で、これは大変だな、どうしようかな、と思ったんですけど、その後、リハーサルを何回かやったり、現場も始まってきて、ものすごくよくなってきて、だから、それで苦労したっていうこともほとんどなかったです。
リハーサルは何回かやりました。撮影前に、確か2日くらい、シーンを決めて。家屋に行ってやったシーンもあれば、映画美学校の広いスペースで、見立ててやったのもありました。矢野君と永山さんも自主練を始めていたみたいなので、初めよりは、随分身体が、動きが慣れてきたというか、役者の動き、役者の身体になってきたんだなというふうに思いました。


■脚本づくり~モノローグを削る~

―――この脚本は映画美学校の先生方の評価が高かったんですよね?監督も脚本を選ぶところに参加されたのですか?
万田 脚本コースの3人の講師で選んだもので、僕は選ぶところには参加していません。「これでやってください」と言われたかたちで、決められたものをどうやっておもしろくするのか、ということでした。 

―――脚本は最初の形からだいぶ変わったのですか?
万田 直しはしました。最初、モノローグがものすごく多い脚本だったんです。主人公の女性と、途中から男の西森のモノローグも入ってくるんですけど、「ちょっとモノローグが多いから、これは削っていこうね」というところから直しの打合わせをやっていって、でも、話の構成そのものは、そんなに大きくは変わってないです。仮にモノローグを全部はずしてみて、どうしても残さないと気持ちが伝わらないところとか、これは残した方がむしろいいというところだけは、残して、それ以外は全部落としていきました。

―――響子だけでなく、西森のモノローグが入ってくるところがおもしろいと思いました。
万田 そうなんです、そこがおもしろい。「おまえは犬」と言うところだけが西森のモノローグが残っているんですけれども、あれはもっといっぱいモノローグがあったんです。ちょっと心理を説明しすぎているとか、モノローグが入ってくることでその映画のテイストが決まっちゃうみたいなところがあったので、それは避けたいと思って、なるべくモノローグなしで、少なくしていく方向で書き直してもらいました。

inumichi-3.jpg―――飼い主になるのが、初めて出会った見知らぬ人という設定がおもしろいです。心理はよくわからなくても、観ているうちに引き込まれてしまいました。
万田 そういうふうに観てもらえれば、それは嬉しいですよね。僕は、そこがなかなかちょっと自分でも、どうおもしろがっていいのか、実はよくわかってなかったんです。彼女が見知らぬ男の前で犬になるって、結構ハードル高いじゃないですか。そこをどうやって見せるんだろう。どういうふうに持って行くんだろう。映画を観ている人が、そこでひいちゃうと、そこから先、映画についてこなくなっちゃうので、そこをどうやってみせればいいんだろう、というのは、結構難しかったんですよ。でも、脚本を書いている伊藤理絵さんは、そのことにあまり難しさを感じてなくて、それは犬になっちゃいますよ、みたいな(笑)ことだったと思うんですよね。そこが、僕がちょっとわからなかったところで、難しかったんです。ただ、観てくださって、そういうふうにそこがおもしろかったというふうに言ってもらえれば、それはこの映画のもともと持っていたおもしろさということなのかな、と思いますね。


■ロケーション~日本家屋の部屋と廊下をどう撮るか~

―――西森の住んでいる古い家はどうやって見つけられたのですか?
万田 あそこはロケハンです。学生が見つけてきたところで、すごくいい場所でしたね。とても不思議な日本家屋で、特に洋間(応接間)、犬がいつも寝ているあの部屋が、おもしろい部屋で、それから、全くそことは違うニュアンスの居間、西森が布団で寝ている畳の部屋ですね。板張りのキッチンもあって、そこを廊下がつないでいるというすごくおもしろい空間で、演出のしがいがありました。

―――公園のシーンもいい感じですよね。
万田 もともとの台本では、携帯ショップのバックヤードみたいな場所だったんですが、いい場所がなくて、「代わりに近くに公園がありますよ」、「じゃ、そこを使おうか」と言って、公園にしましたね。公園にして、より良くなったんじゃないかと思いますけどね。

―――公園に西森を呼びに来た男性店員も、意味なく滑り台を滑ったりしますよね。
万田 あれもその場で思いつきました(笑)。ロケハンした時かな。公園だし、滑り台もあるし、じゃあ使おうかなということですね。

―――いわゆる動線は現場で考えられるのですか?
万田 現場で、その場で、どういうふうにしていこうか、考えましたね。

―――うまくいったシーンとか、監督が気に入っておられるシーンがあれば、教えてください。
万田 記憶にあるかどうかわかりませんが、最初に犬になった日に、西森がこちらで着替えをしてて、彼女が応接間からトコトコ出てきて、西森を噛む。西森が「なんだよ」と言って、そのあと、台所に行きますよね。それを彼女がトコトコ、トコトコって、四つん這いになりながら追っかけるところの廊下のカットが好きですね。あそこがいいなと思ってます。なんか知らないけど。後ろから撮ってるんですけどね、トコトコ、トコトコって、四つん這いになってる感じがすごくいい。後姿が好きですね。

―――逆に、ここは苦労したというシーンはありますか?
万田 シーンで苦労したというのは、そんなにはないんですけれども、なんせやっぱり撮影時間が短かったんでね。そこが一番苦労といえば苦労ですね。結果的に撮れなかったシーンも幾つかあって、とばして、落とすっていうんですが、落とすしかなかったというのが出ちゃったんです。そういう意味では、撮影日数が6日と極端に短くて、大変といえば大変でしたね。特にスタッフをやってた学生にとっては、かなりハードな現場になってたはずですから、大変でしたね。僕はもう、大変というよりは、現場の雰囲気はものすごくよかったので、今回現場はおもしろく楽しくできましたね。


■演出~立っている人と四つん這いの人との位置関係~

―――高さの映画という感じがします。しゃがんだり、立ったり…。犬と人間は高さが違うので、画面に足だけ映ったり、人間がしゃがんで同じ高さになったりとか、おもしろいと思いました。
万田 ええ、いいですよね。あそこは僕もおもしろいなと思いました。四つん這いを撮るってすごく難しいなと思いましたけれども、一方で、立っている人との位置関係ができるので、それはおもしろいなと思って演出もしたし、撮りましたね。

 ―――響子の動きとして、立ち上がったら人間という感じですか?
万田 そういうルールになりましたね。四つん這いの時は犬ごっこしてる、立ったら人間に戻ってるということにしました。

―――西森の恋人が家にやって来て、犬の響子が彼女にかみついて、珈琲をかけられ、台所て一人ぼうっとしている顔がすごくいいなと思いました。
万田 あそこは物語上も、一つのピークというか、見せ場ですから、そういうつもりで撮りました。二人(響子と西森)の距離が近づきましたね。

―――恋人が帰っていく音が画面オフで聞こえて、誰もいない廊下が映った後、西森が現れるというシーンの展開とかは、撮影の時点で、イメージがあったのですか?
万田 芝居をつくった時には、まだ画面のことは何も考えてなかったんですけれども、芝居を見ながら、これは、誰もいない廊下で、オフで音がしてるというふうに画面をつくっていった方がいいんだなと思って撮影していきましたけどね。最終的には、編集の時に細かいところはつめていきました。

―――アドリブのセリフとかはあるんですか?
万田 僕は全然ないですね。『ありがとう』(06年)で、芸人さんたちにアドリブでやってもらったりもしましたが、基本的に僕はアドリブは撮らないですね。


■犬と飼い主の関係~いじわるをしてみせる~

―――西森が、犬の響子に与えるご飯を、あえて牛乳と混ぜてまずくするところが印象に残りました。
万田 西森が急に残酷になるんですね。いじめるみたいなことをやりだすというか。あれも彼女を犬にさせる試練というか、そこを超えていくところを見せないと、彼女がどこから犬になって、どこまでが人間で、というのがきっとわかりにくかったと思うんですよね。だから、あれを犬食いすることで、彼女がひとつ、犬になった、という設定になっていますよね。犬になって、これを四つん這いのまま食べること。それを見て、西森も、犬になったんだなって言って、喜ぶという。

―――飼い主と犬との、守る、守られるという関係でしょうか?
万田 どうなんでしょうか。僕は大昔にしか犬を飼ったことがないんですが、飼い主って優位に立っていますから、ちょっと、いじわるしたくなりますよね。そういうことなんじゃないですかね。小さい子どもでも、わけもなく、わざといじわるするってことがありますけど、なんかそういう気持ちなんでしょうね。ちょっといじわるしてみせる。それに逆らわずに、自分の与えたいじわるを、試練を乗り越えて、こっちに来たので喜ぶという関係があるんじゃないでしょうか。

―――響子がゴミ箱を振り回してふざけたり、二人の距離が段々近づいていって、なんだか愛みたいなものを感じました。
万田 うーん、愛とかあんまり思ってなかったですかね。

―――絆みたいな感じですか?
2014_0503万田3人_r1_c1.jpg万田 絆……、そうですよねえ、やっぱりセックスがないですよね。それだけで男女の関係は、不思議な関係で、片方犬で、片方飼い主で、それでセックスがないっていう。セックスしたいという思いも一切ない。そこは全く描かないということ自体、かなり異様といえば異様だし、変なところなので…。その上で、さらに愛とかいうと、難しいですよね。ほとんどプラトニックなものになってくると、それともまたちょっと違う。はたして、お互い、愛とか、好き合っていたのかどうかも、ちょっとわかりづらいところはありますよね。お互い都合のいい相手を見つけて、ごっこ遊びをしてました、というふうにも思うので。
むしろ、愛情を感じたのは、きっと別れてからですよね。家を出てから、なぜか彼女はもう一度、携帯ショップに戻ってくるわけですよね。なんとなく家を出たけれども、ふらふらと、もう一回、西森のところに来て、そのあと、公園のシーンがあって…。多分、愛情を感じたのは、ごっこが終わってから、ということでしょうか、きっと。


■物語の結末

―――響子が流産するのは、何もかも失わせるという感じなんでしょうか?
万田 何があったわけでもなく、急に流産するんですが、普通そう思うんですよね。僕もそう思ったんです。でも、脚本家に聞いたら、失うってことよりも、つまり、それまで、選んで決めて選んで決めてやってきたことが、自分が全く選べない、選択権のないことが自分の身体に起こったということが、彼女にとっては、何か一つの転機、ショックになった、と脚本家は最初言ってましたね。その感じは、ちょっとわかりづらかった。それにしては流産という出来事が大きすぎる感じがしたんです。でも、「妊娠の初期に、流産って、起こる時は結構起きますから、普通に」って言うんで、「うーん、そんなものかなあ」って。流産しちゃうって、女の人にとって、普通、そう簡単に起きますからじゃ、済まないんじゃないかと思いもしたし、言ったんですけど、それが、犬になることも平気で犬になるという感覚と同じなのかな、流産も別にそんなに重たいことではないという世界をつくりたいというふうに脚本家は思ってたのかな、ということですね。すごく微妙なところだと思いますけど。

 ―――響子は同棲していた恋人ともあっさり別れてしまいます。そんなに仲悪そうにはみえなかったんですが
万田 結局、彼にも全く連絡もせず、4日間全く別の場所にいて、心配かけて戻ってきて、彼としては怒るし、何考えてんの、しかも流産したっていう話を聞かされて、いよいよわけがわかんなくなって、別れるしかないよねという。初稿は、彼女の方から「別れよう」と言ってたんですよ。直しの段階で、一回、彼の方から言う形に戻して、もう一回、彼女に戻ったかな、どっちが言うかってのが、なかなか決着がつかなかったんです。最終的に、彼の方から言うということに落ち着いたんですけど。何校か試行錯誤しました。

―――最後、僕も犬になりたいと西森が言うのも、脚本の最初からですか?
万田 それも最初からなんで、そこが不思議な脚本でしたね(笑)。変な展開でしたね。

―――彼も犬になりたいということで、関係をやめるというか?
万田 彼も、人間をやめて犬になって楽したいから、「じゃ、今度、ごっこの順番逆ね」と言って、響子に「僕が犬だから、飼い主やって」ということだと思うんですよ。それを響子が嫌がったという。「犬は私なんだから、あんた飼い主続けてよ」ということでしょうね。その発想もおもしろいですね。

―――西森が一人で床の上にぼうっと座って、犬みたいにボールで遊んでいると、響子が首輪やボールを全部捨ててしまいます。西森にも、犬であることをやめなさい、ということですね?
万田 この関係はもう終わったから、これはありえない関係だったんだから、お互い、別々に、もう犬になるのはやめようねってことですよね。


■映画の初めと終わり~日活映画のテイスト~

―――映画の最初、電車の音から始まって、最後も電車の音で、響子が歩道橋を上がって登場し、最後も同じ場所ですよね。歩いてくる感じとか音楽は、昔の日活映画のイメージですか?
万田 日活のロマンポルノの感じとかね?(笑)はい、そうですよね。それはねらって、というか、はい、そういうふうにねらって撮りました。

―――映画のトーンでしょうか?
万田 はい、テイストを決めているんですけど、あれは。多分それは、脚本の伊藤さんが望んでいたことではないと思います。あれは、僕が勝手にそうしたいと思って、そういうふうにしたところです。

―――響子が犬になった時のしょんぼり座りこんだ姿があるから、最後、人間として立って歩いている姿が颯爽として、最初の登場シーンとは違って見えると思いました。
万田 そうですね、きっとそれは、ねらって撮ってたと思いますね。四つん這いになることと、もう一回立って歩くことと、その対比みたいなものを、映画の中で見せるっていうのは考えてたんでしょうね、きっと。

―――会社で、カメラマンの高梨と響子がすれちがうところも階段でしたね。
万田 まあ、そのへんはね(笑)。階段を見つけたら撮りたいと思う人間ですからね、僕は。なるべく階段のあるところで撮りたいって思ってるんで…そうでした。


■ごっこ遊びのおもしろさ

inumichi-bu-2.jpg―――映画を観た方の反応はどうですか?
万田 二つに分かれてるんですかね。おもしろいっていうのと、ある種リアリズムがなさすぎる、っていう。こんな女の人いないよねとか、こんな簡単に楽しちゃいけないよねとか、やりたいことだけやって、ただ、西森の家で骨休みして帰ってきて、男とも別れて、しがらみ全部なくして、それは都合よすぎないとかね(笑)。そういう反応もありますよね。一方で、やっぱり、本来なら乗り越えなきゃいけないハードルみたいなものを、平気で乗り越えていく、女の人の今の生き方みたいな、これはこれでわかる、という人もいますし、結構分かれますね、評価が。

―――観客の皆さんに向けて、どういうところを観てほしいとかありましたら、お願いします。
万田 『イヌミチ』というタイトルで、男が飼い主になって、女が犬になるという映画なんですけれども、そうすると、やはりどうしても男女のセックスみたいなものが普通、介入しますよね。イメージもそういう感じで、ああ、またそんな映画っていうふうに思われがちだと思うんですけど、この映画が本当に不思議なのは、そこにセックスが介在しないという飼い主と犬の関係ですよね。その関係が、一体、どんな話になっていくのか、それでどういう話が展開していくのか、というところに、ぜひ興味を持って観に来てもらいたい、ということですね。
それと、おとぎ話だと思うんですけどね。仕事にも疲れたし、人間関係にも疲れた人が、犬になったら、楽になれる。なら、ちょっと犬をやってみようっていうことですよね。しかもセックスもないから、なお楽だっていうことですよね(笑)。セックスの関係があると面倒くさい、それもなくてもいいんだって、犬になれるんだっていうおとぎ話なんでね。ただ、なったらなったで、それなりに、何か失うもの、最終的には失った、その上で、もう一度、生き直してみようという結末にはなってると思います。おとぎ話のおもしろさみたいなものも観てもらいたいなと思います。


(取材・構成・文責 伊藤 久美子)

 

sokonomi-s550.jpg『そこのみにて光輝く』呉美保監督、主演池脇千鶴さんインタビュー
(2014年 日本 2時間)
監督:呉美保
原作:佐藤泰志『そこのみにて光輝く』河出書房新社刊
出演:綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎他
2014年4月19日(土)~テアトル新宿、テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、京都シネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒
http://hikarikagayaku.jp/
(C) 2014 佐藤泰志 / 「そこのみにて光輝く」製作委員会

 

~ “そこのみにて光輝く”男と女に射した一筋の光~

久しぶりに何度も繰り返し観たくなる映画に出会えた。89年に発表された佐藤泰志(『海炭市叙景』)の長編小説『そこのみにて光輝く』を、呉美保監督(『オカンの嫁入り』)が映画化。夏の函館を舞台に、綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉ら俳優陣が、どこか昭和の香りがする、底辺を生きる人間が真の愛を求める姿を、狂おしくも愛おしく演じ抜いている。まさに深淵なラブストーリーだ。

主人公達夫(綾野剛)は、仕事で仲間を事故死に追いやったことがトラウマとなり、引きこもり状態になっている。粗暴だが人なつっこい青年、拓児(菅田将暉)との出会いや、拓児の姉千夏(池脇千鶴)との出会いが、停滞していた達夫の人生を静かに動かしていく。達夫を演じる綾野剛の焦燥しきった男の色気、拓児演じる菅田将暉の無垢さと危なっかしさなど、一筋縄ではいかない男たちが絡み合う一方、様々なものを背負った千夏自身の葛藤が非常に細やかに描かれている。池脇千鶴が、どこかで幸せを渇望しながら、そこでしか生きられない千夏を体当たりで演じ、まさに目が離せない。

呉美保監督と主演の池脇千鶴さんに、原作を現代に置き換えた脚本のポイントや、底辺を生きる女性として生々しく描かれる千夏の役作り、主人公のキャスティング、そしてタイトルを象徴するラストシーンについてお話を伺った。


sokonomi-550.jpg■一人の人間として千夏を肯定したい。(呉監督)

――――原作以上に千夏の人物像が豊かに描かれ、物語を引っ張っていく大きな存在感を示しているが、脚本作業ではどのように原作を膨らませていったのか?
呉美保監督(以下監督):24年前に発表された原作の千夏は、映画の千夏よりも饒舌で、ぐいぐいと積極的に達夫に語りかけていく印象を受けました。バブル絶頂期の、皆が前に向かって進んでいる時代の中、千夏はある種、格差社会の底辺に生きる人です。この物語を現代に置き換えて描くにあたっては、職にありつけなかったり、介護の問題を抱えていたりと、生きにくいと思っている人はたくさんいるであろう「今」の格差社会を描くべきだと思いつつも、24年前よりは世の中はクールダウンしている気がするので、そのテンションをちゃんと作りたいと考えました。

特に千夏は自分の体を使って商売をし、パートタイマーもし、家族の面倒も見ています。父親の介護、酒浸りの母親、何をするかわからない弟を一手に引き受けて生きているのです。だからといって、あからさまに同情されるようなひとりよがりなヒロインにしたくはありませんでした。今回はラブストーリーということもあり、観客の男性には千夏という女に惚れてもらいたい、同時に一人の人間として、千夏を肯定したいと考えました。

 

■映画は視覚で惹かれるインパクトがとても大事。千夏が最初に登場するときの “スリップ”をどうするかから取り組んだ。(池脇)

――――千夏を演じるにあたり、精神面や外見面でどんな準備をしたのか?
池脇千鶴さん(以下池脇):精神的な面では、脚本が優れていたので、何の疑問もなく、その通りにやれればいいと思いました。実はそれが一番難しいことでもあるのですが。人物描写にブレがなかったので、書いていないト書きのことですら浮かんできました。脚本のとおり忠実に自分を出せれば、難しく掘り下げる必要はなく演じられると思いました。

外見面では、映画は視覚で惹かれるインパクトがとても大事だと思います。最初に監督と二人で話し合いの場を設けていただき、監督とも「(千夏の視覚面は)すごく大事だよね」と意見が一致しました。千夏が最初に登場するインパクトは結構強烈なものを持っているので、ト書きに書かれている“スリップ”をどうするかから取り組んでいきました。今は“スリップ”だけとは限らないので、今に置き換えてみたり、現代の千夏年代の人たちはどんな格好をして夜の仕事をし、家の普段着としても着用しているのかも考えました。監督がおっしゃった千夏のテーマカラー、黒を大事に衣裳合わせをしましたし、生地一つとっても、すごく時間をかけて合わせていきました。

――――千夏の台詞はどれも非常に印象的だが、台詞に対するこだわりは?
池脇:台詞という点でいえば、今回は方言が最大のネックでした。監督からは「方言がダメだったらカットする」というお話もありました。方言は本当に難しく、役者が変な方言を使うと、(観客が)そちらに気を取られてしまいます。なるべく(現地の人が話す方言に)忠実に、自然と耳に入って邪魔にならないアクセントになるように、訓練しました。音楽のように丸覚えをして撮影に臨んだので、アドリブという即座のことはあまりできないぐらいでしたね。 千夏は大事なことだけでなく、大事でないことも結構ブツブツ言っているので、それがみなさんにどう届くか、それだけだと思います。

 

■綾野剛さん、池脇千鶴さんがお互いを包み込むイメージができた。二人の立ち姿も想像しながらのキャスティング。(呉監督)

――――達夫役の綾野剛さんは、どういう部分に惹かれてキャスティングしたのか?
監督:綾野さんに関しては5年程前にオーディションでお会いし、最後の2人に残っていただいたものの、最終的には別の方を選びました。でも他の人にはないお芝居をやってくださったり、また綾野さんでしかない独特の空気を感じたので、すごく強烈に覚えていたんです。その後ドラマや映画で活躍されているのを拝見して、またお会いできればと思っていました。
実は、今回達夫役を考えたとき、山で働いていた男なので、最初はもっとゴツゴツした感じの人を想像していました。でも、これは男と女のラブストーリーなので、「色気や陰があり、女が放っておけない男を演じられるのは綾野剛さんしかいないよね」とプロデューサーさんと話し合い、綾野さんのキャスティングを決めました。それと同時に達夫と千夏が二人並んだ時の背のバランスや、体格のバランスを想像したときに、池脇さんとなら綾野さんはぴったりだと思いました。綾野さんが池脇さんを包み込む姿はもちろん、また池脇さんがもっている母性で綾野さんを包み込むという、お互いを包み込むイメージができたんですよね。どちらか単体でキャスティングというよりは、二人の立ち姿も想像しながらのキャスティングでした。

――――千夏役の池脇千鶴さんについて、キャスティングの経緯は?
監督:池脇さんとも2年程前に広告のお仕事でご一緒したことがありました。もともと池脇さんのことが大好きでしたのでとてもうれしかったですし、広告はその時だけの放送になってしまうので、次はちゃんと残るものでご一緒したいとも思いました。池脇さんにも「映画をやりましょう」と声をかけさせていただいた記憶があります。
池脇:言われましたね。
監督:勇気を出して言いました。池脇さんって現場では非常に無口で「はい」しか言わないんですよ。それだけにこちらは言葉を選ばなければいけないので大変なのですが、そのときも「はい」とだけ言われました。実は「いやだ」と思われていたらどうしようと思っていましたが(笑)、池脇さんに受けていただいたことで、またひとつ私の夢が叶いました。

――――監督からの本作のオファーを受けたときの感想は?
池脇:私にとって新しい監督やスタッフ、キャストの方と出会うことも意味のあることですが、再び(現場に)呼ばれる、再び出会うということはどれほど大事で深い意味があるかをいつも思っているので、すごくうれしいことです。もちろん最初は台本をいただいて、すごくおもしろかったので出演しようと思ったのですが、それが呉監督だったので「また会えるんだ」と思い、すごくうれしかったです。

 

■久しぶりにこんなにすばらしい台本に出会えた。私の境遇とも全然違う過酷さを持っているのに、千夏の悩みや苦しみ、そこに生まれるちょっとした歓びもわかってしまう。(池脇)

――――作品で惹かれたポイントは?
池脇:あまり私は映画やドラマに出演していないのですが、台本を読む機会はよくあります。その中でも、久しぶりにこんなにすばらしい台本に出会えたと思いました。すごくイキイキとしていて、何も疑問が浮かばなかったです。みんなの軸がしっかり決まっていて、物語がきちんと進んでいき、いろいろ膨らませてくれ、ビジョンが浮かんでくるような、掻き立てられるものでした。ですから、余計に心揺さぶられる内容になっていて、「間違いなくおもしろいものになる。だから出よう。」と思いました。

――――千夏は自分の体で家族の生計を立て、寝たきりの父親の面倒も見る難しい役どころだが、どのような気持ちで演じたのか?
池脇:台本を読みながら、「こういう家族もいるよね」と思っていました。実際に(千夏のような家族が)いると思います。私の日常の傍にいるわけでもなければ、私の境遇とも全然違う過酷さを持っているのに、千夏の悩みや苦しみ、そこに生まれるちょっとした歓びもわかってしまうのです。「うれしいんだ、今」とか、「苦しい家族を支えていて、すごいな」とか。惹きこまれる小説は、ト書きの説明でどんどん入り込んでいくのですが、今回の千夏はその感覚に似ているのかもしれません。

 

■池脇さんは衣裳合わせに、「千夏」になって現れてくれた。(呉監督)

――――この作品を通して、池脇さんのどういう面を引き出したいと思ったのか?
監督:儚く放っておけない女というのはもちろん、30代の女が放つ大人の艶っぽさ、また「その町」でしか生きられない女の土着感、池脇さんはその全てを出してくれる人だと思いました。綾野さんとの肉感的な愛や、高橋和也さん演じる中島を放っておけない情、女の全てを出してほしいとお願いしました。また、30代女性を演じるにあたり、声をワントーン下げようと提案しました。
池脇: 「声を低く」とおっしゃっていましたね。すぐに高くなってしまうので、意識して低くしていました。
監督:どうしたら(池脇さんの)新しい部分が観られるのかと思い、これまでの映画など、とにかく池脇さんを探求しました。お会いする前に、スタイリストさんと「どんな服が似合うか」と打ち合わせしてから池脇さんとの顔合わせに臨みました。今回はラブシーンもあったので、衣裳合わせの前に二人きりで話をさせてもらう機会があり、その時に千夏のある程度のイメージを伝えました。「千夏は黒が似合うはず」とか、「髪は自分で染めていて、しかも海の潮で汚く抜けている」とか、具体的な話をしました。その数日後、池脇さんが衣裳合わせで登場したとき、黒い服を着て、髪を染めてきてくれ、「千夏がきた」と思わず泣きそうになりました。この物語は達夫目線で千夏を見ていくので、彼女がひとりよがりになってしまうと物語に感情移入できないし、ラブシーンにもついていけないという不安がありました。でも池脇さんのおかげで、そんな不安はいつの間にか消え去りました。

 

■決してハッピーエンドではないけれど、最後に“救い”を。(呉監督)

――――感動的で美しいラストシーンだが、最初からこのようなエンディングを決めていたのか?
監督:ラストシーンについては、色々なパターンを話し合いました。この作品は決してハッピーエンドではないけれど、ただ、だからこそ“救い”が必要だと考えていました。決して大きな“救い”ではないけれど、その瞬間、千夏は罪を犯さなくて済んだという「安堵」という意味での“救い”。千夏は、達夫のおかげで暗い夜を乗り越え、朝を迎えることができた。だから今日を、生きられる。まさにそれが『そこのみにて光輝く』というタイトルに結びつくのではないかと思っています。

 

■『そこのみにて光輝く』というタイトルを象徴するラストは、恥も何もない魂のシーン。(池脇)

――――池脇さんはどのような気持ちでラストシーンを演じたのか?
池脇:このラストは、「これが『そこのみにて光輝く』というタイトルを象徴しているな」と解釈しています。救いですよね。でも「そこでしか輝けない自分」というのも正直あり、私自身は恥も何もない魂のシーンだと思っています。たまに千夏は自分を卑下する癖があり、そうやって周りに対してバリアを張るのですが、あそこもまたひとつ「ね、バカでしょ」という千夏がいます。そこに抱きしめることもできない達夫がいて、二人が表れていたのかなと思います。
監督:タイトルの『そこのみにて光輝く』は千夏のことを言っているのではないかと思っています。「光輝く千夏」を見つめる達夫がいて、“そこ”というのは“底辺”という意味もあるのではないのでしょうか。
(江口由美)

tomodachito-550.jpg虫のオーディションまでした!?『友だちと歩こう』緒方明監督インタビュー

(2013年 日本 1時間29分)
監督:緒方明  脚本:青木研次  音楽:Coba
出演:上田耕一、高橋長英、斉藤陽一郎、松尾諭、山田キヌヲ、水澤紳悟、野沢寛子、林摩耶

2014年3月22日(土)~テアトル新宿、4月26日(土)~シネ・リーブル梅田、5月24日(土)~京都シネマ、近日~元町映画館、ほか全国順次公開

公式サイト⇒ http://www.tomodachito.com/
(C)「友だちと歩こう」プロジェクト

 



~「人が二人いたら友だちになれるし、歩けばそこが道になる」緒方明監督が照らし出す希望の道~

 地を這う虫にも追い越されるほど歩みの遅いジイさん二人と、人生に行き詰まり感のあるおバカな30代の男二人の道行を、軽妙なコメディ仕立ての小品4篇にまとめた映画『友だちと歩こう』。本作は、『独立少年合唱団』『いつか読書する日』『のりちゃんのり弁』など丁寧な人物描写で定評のある緒方明監督が、自らプロデューサーも務めた自主製作作品である。生涯脇役を自負していた上田耕一を始め、高橋長英、斉藤陽一郎や松尾諭などの名バイプレイヤーを起用して、誰かと共に歩くことの楽しい広がりを感じさせてくれる逸品となっている。

tomodachito-d1.jpg 最初は年に1本の短編を撮って後で短編集としてまとめるつもりが、本編第一話「煙草を買いに行く」を作ったら、上田耕一と高橋長英の芝居があまりにも面白かったので、もっと見たくなり続編を作ることにしたという。しかも1年も間をおいての撮影だったので、上田耕一も「短編だというから出演したのに、こんなに出番が多いなんて!」といつの間にか主役になっていた事に驚いたらしい。

 脚本家の青木研と相談して人物像を深めようとしたが、「一緒に道を歩くこと」にこだわり、それを基軸に友情を育んでいく物語に仕上げている。登場人物の多くを説明しなくても、会話の中でどんな人生を歩んできたか、人物像を浮かび上がらせる辺りはさすがに巧い。特に、力の抜け加減と的外れのツッコミで笑いを誘う斉藤陽一郎の存在がいい。上田耕一や高橋長英も同様だが、「もっとポテンシャルの高い、もっとセンターステージに立ってもらいたいと思う俳優さん」と緒方監督が認める役者たちの絶妙な間合いが、何とも心地いい。


  【STORY】
tomodachito-2.jpg第1話「煙草を買いに行く」
同じ団地に住む富男(上田耕一)と国雄(高橋長英)は、脳卒中の後遺症から不自由になった体を一所懸命動かしながら今日も一緒に煙草を買いに行く。歩く速度は虫に追い抜かれるほど遅い。途中自殺未遂をして松葉杖姿になった若い女性に出会い、連れもって歩く。若い女性のお尻を眺めながらニヤニヤするジイさんたちの姿が何とも微笑ましい。女性との別れ際に、「人類愛で言うけど、あんたのこと好きだよ~!」と声を掛ける。それとなく励ます富男の優しさがいい。

tomodachito-3.jpg第2話「赤い毛糸の犬」
喫茶店で店員に呆れられるほど稚拙な会話をするトガシ(斉藤陽一郎)とモウリ(松尾諭)。モウリは何を思ったか、トガシを連れて10年もほったらかしにしていた元妻サツキ(山田キヌヲ)に会いに行く。するとモウリが買ったという家には半年前から住んでいるという見知らぬ男(水澤紳吾)と7歳になる娘が居て、一緒にカレーを食べることになる。かつての夫婦らしく「あ・うん」の呼吸で動くモウリの姿が奇妙な空気を生み出す。

tomodachito-4.jpg第3話「1900年代のリンゴ」
いつものように一緒に煙草を買いに行こうと富男を待っていた国雄は、富男が部屋で倒れているのを発見する。代わりに一人で買い物に出掛けた国雄は、富男のなけなしの千円で煙草ではなくカップ酒を買ってしまい、土手で飲もうとして転げ落ちてしまう。翌朝草むらの中に埋もれていた国雄を発見した富男は、助けようと自分も土手の下へ行こうとするが……。死を覚悟して念仏唱えたり戒名を考えたりと、草むらの中の二人を捉えたシーンが面白い。

 

tomodachito-5.jpg第4話「道を歩けば」
久しぶりに年金が入った富男は、喫茶店で国雄にコーヒーをご馳走する。そこへモウリからの手紙を抱えたトガシがやってくる。だが、モウリの遺書ではないかと恐れて開封できない。それを見兼ねた店員が開封すると、手紙の中には……。

 

 
 


 老人と若者の関わり方が面白いが、その対比には手のクローズアップや歩く速度やそれぞれのエピソードなど、かなり意識的に工夫して撮ったようだ。「青木さんの脚本を基に、リハーサルを重ねて、一挙手一投足を決めて撮影に臨みました。特に、青木さんの脚本は文学的でかなりの想像力を要するので、スタッフ一同で声に出して読み込みました」。

tomodachito-d2.jpg 他にこだわりを感じたのは、「虫だけの担当を決めて、“命懸けでやれ!”というと、日本中の虫愛好家や研究所に問い合わせて、3月頃に道端を這うような虫を調べてきました」。さらに「虫愛好家に依頼して採集した虫をオーディションまでしたんです!?」(笑)。また、「脳梗塞の後遺症についても担当を決めて歩き方のリサーチをしました。この映画はお金はかかってないが、手間暇はかかっている!」と言うだけあって、こだわって撮ったシーンの濃さがはっきりと映像に現れているようだ。

 波の音について論議するファーストシーンから浜辺のラストシーンにつながる辺りも、「最後は海にしてほしい」という監督のリクエストからそうなったようだ。「浜辺は道がない。歩いた所が道になる。人が二人いたら友だちになれるし、歩けばそこが道になる。二人が歩いていく先には絶望があるかもしれないが、希望があるかもしれない。とにかく、二人で探しにいくことの意味を象徴したかった。」と、本作はシンプルな構成ながら不思議な余韻が残る映画となっている。

 低予算の自主製作映画、キャストやスタッフの熱意がなければ完成しなかっただろう。それでも細部にこだわり、役者の個性を活かして存在感を引き出す。30代の頃10年ほどドキュメンタリーを撮っていた時期があった緒方監督は、その頃培った撮影技術と映像で何を表現するかの基本的なものがその後役立ったという。「観客に、ちょっといい話だな、何となく得したな、と思って頂けるような1本になっていたら嬉しいです。」と、強面ではにかみながら語る様子は、まさに劇中「人類愛で言うけど、あんたのこと好きだよ~!」と自殺未遂した若い女性に声を掛ける優しい富雄に似ていた。

(河田 真喜子)

chisuru1.JPG『チスル』オ・ミヨル監督、コ・ヒョッチンプロデューサーインタビュー
(2012年 韓国 1時間48分)
監督:オ・ミヨル
出演:ヤン・ジョンウォン、イ・ギョンジュン他
2014年3月29日(土)~ユーロスペース、シネマート心斎橋、4月19日(土)~シネ・ヌーヴォ、4月12日~京都シネマ、元町映画館他全国順次公開。
公式サイト⇒http://www.u-picc.com/Jiseul/

※2013年サンダンス映画祭ワールドシネマ・グランプリ受賞
 2013年仏ヴュソル国際アジア映画祭 ゴールドサークル賞受賞
 2012年釜山国際映画祭4部門受賞
(C) 2012 Japari Film

「被害者の方が高齢化する中、被害を共有することは今しかできない。」オ・ミヨル監督
「国家権力による住民虐殺という事件が再び起こらないようにという想いを伝えたい。」コ・ヒョッチンプロデューサー

韓国現代史最大のタブーと言われた、南北に分断された朝鮮半島の済州島で起きた「済州島4・3事件」。済州島出身のオ・ミヨル監督が、1948年に3万人を超える島民が犠牲になった事件を独自の視点で描き出した『チスル』は、全編モノクロの映像で、時には滑稽さすら滲ませながら、洞窟にもぐりこみ軍人の攻撃から逃れて、ひたすら耐え続ける島人の姿をリリカルに綴る。

派手な戦争映画とは真逆のアプローチで、事実を露呈するというよりも、鎮魂の意味合いを込めて「済州島4・3事件」を描こうとしたオ・ミヨル監督。韓国の祭事方式に乗っ取り、4つのシークエンスで描かれており、特にラストの遺体や荒らされた家屋の後にハラハラと舞い落ちたお札が燃えて消えていく様子は、神聖さすら漂わせた。あってはならない無差別虐殺の悲劇を独特の表現で提示し、戦争映画を超えた静かな怒りを刻み付けたオ・ミヨル監督とコ・ヒョッチンプロデューサーに、本作制作の意図やその想いについて、話を伺った。


<最初のご挨拶>
オ・ミヨル監督(以下監督):今回『チスル』という映画の宣伝のため来日しました。『チスル』は韓国の済州島で起きた4・3事件を扱った映画で、まだ韓国の中では完全に解決をみていないテーマです。当時難を逃れて済州島から大阪に逃れてこられた方がたくさんおられるので、大阪で上映されるのは意味があることではないでしょうか。 

――――韓国内でもタブーだったということですが、済州島以外の人は4・3事件のことを今までほとんど知られていなかったのでしょうか? 
監督:歴史的な事実として、学校現場で教育を受けた経験がないので、そういう問題について関心を持ち、自分で探さない限りは4・3事件のことは分からないような状況です。

――――監督が4・3事件を描こうとしたきっかけは何ですか?
監督:今までの作品は全て済州島に関わるものを作ってきました。私にとって、当然いつかは扱わなければならない問題だと自分の中でずっと温めていたので、今回作ることになったのです。

――――インディペンデント系の作品でありながら韓国国内でもヒットを記録し、今まで事件のことを知らなかった人にも作品を観ていただけたと思いますが、どのような反響がありましたか?
監督:映画によって4・3事件の事実を知るようになった人は非常に多かったと思います。今でも独立映画系の中では色々な分野で賞をいただいています。理念を超えて、作品として肯定的な評価をいただいていると思います。

chisuru3.jpg――――被害者の方が高齢化し、証言を聞くのが難しい状況だからこそ、残していかなければいけない使命のようなものを念頭に置いていたのですか?
監督:まさにその通りです。被害者の方が高齢化する中、被害を共有することは今しかできません。そういう点でもこの作品を撮ることは意味がありました。韓国で被害に遭われた象徴的な方います。銃撃であごの骨がくだけてしまい、下あごの骨がなくてダランと下がってしまう。だから絶対に人前でご飯を食べないで、木綿のてぬぐいで顔を保護していたおばさんが数年前に亡くなったのです。恨みを抱いたまま亡くなっていく木綿のおばさんを見て、芸術家として何かできないかという想いも一つありました。

――――はじめて映画で4・3事件を描くにあたって、難しかった点はありましたか?
コ・ヒョッチンプロデューサー(以下ヒョッチンP): 『チスル』には「終わらない歳月2」という副題がついています。実は、本作の前に私の先輩にあたるキム・ ギョンリュル監督の『終わらない歳月1』という作品があったのですが、全てを描ききれぬままギョンリュル監督は5年ほど前に亡くなったのです。本作は、その遺志を継ぐ形で作りました。ギョンリュル監督が作ったパート1は韓国社会ではあまり受け入れられず、非常に敗北感を味わった経緯があったので、パート2を作るにあたっては、それをどのように乗り越えるのかが大きなテーマでした。
監督:キム・ギョンリュル監督を本作の総製作者と呼び、ギョンリュル監督は亡くなった者としての立場で、そして私たちは生きている者としての立場で映画を作るという、両者が協力しあうという形にしました。
ヒョッチンP:韓国社会はイ・ミョンバク大統領になってから非常に右翼化し、4・3事件が非常に肯定的な評価になってきたことに危機感を抱くようになりました。なんとかしなければということ想いから、オ・ミヨル監督と意気投合し、パート2でもある『チスル』を作ったのです。

――――今回は済州島出身の方でキャストやスタッフを揃えたそうですが、それは本作のこだわりでもあるのでしょうか?
監督:軍人だけは陸地の人が演じていますが、今回の映画の重要な部分は済州島の方言なのです。この方言は本土の人はほとんど使えません。陸地の人と済州島の人の大きな違いは4・3事件に対する見方です。陸地の人は映画を作るためにこのテーマを取り上げますが、済州島の人は4・3事件の意味のためにこの映画を作る。陸地の俳優と済州島の俳優ではどうしても想いがちがうので、済州島の俳優にこだわりました。

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――――実際に虐殺から逃れるため島人が逃げ込んだ洞窟を使って撮影している印象的なシーンでは、島人たちの滑稽にも見えるやり取りや、演劇的な見せ方をするなど、かなりオリジナリティーを感じる演出がされているように見えました。
監督:本来私は台本に頼らず、その時の空間の雰囲気で場面を設定するような手法をとっています。撮影当日洞窟に入ってみると、あちこちに石ころがあったのです。その石ころがちょうど村人が座っているかのように見え、台本を全部作り変えてあのシーンを撮影しました。住民たち役も今まで練習したのと全く違うことをしたので、ワンシーンを撮るのに一日かかりました。

――――長廻しでアドリブのような演出をしていますね。
監督:私は出演者に対し、台本を持ってこないように言っています。その日自分が何をするのかだけを頭に入れておけばいいのです。出演者に任せて、トラブルがあれば修正したりしながら、会話は出演者のその場の流れに任せています。出演者たちが自らの言葉で語れるように仕向けています。

――――韓国映画で戦争を扱ったものといえば、派手な銃撃戦やむごたらしい風景を観る前は想像していましたが、本作は逆に映像の美しさに圧倒されました。
監督:韓国でも怖がる人は多いです。感情の表現が怖いと感じる人もいるようです。戦争を扱うにあたって、視覚的な描写よりも感情的な描写に重きを置きました。風景が美しいというのは、美しく撮るというより済州島そのものが美しいのです。

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――――悲惨なことを描くときにフルカラーで見せた方が迫力を出せる気がしますが、白黒のあえて抑えたトーンにこだわったのはなぜですか?
監督:済州島に来る観光客は、済州島は美しいと思って訪れるわけですが、そういう人たちの心を一度消してしまいたいという想いで、あえてカラーを使わず白黒にしました。祭事を進行する形式で映画を作っているので、黒い服を着て行うという点でモノトーンが重要なテーマとなっているのです。

――――韓国では複数回鑑賞されている方が多いそうですね。
監督:済州島に関する詩集を書いている韓国で非常に有名な詩人、イ・センジンさんが6回観てくれました。そして映画を観た所感を何編もの詩にしてくれました。映画で登場した洞窟も訪れています。その方々が何度も本作を観るのは、4・3事件という事実を共有できなかったという心の痛みがあり、その事実を埋めるために何度も観に訪れているのではないでしょうか。

――――最後にメッセージをお願いいたします。
ヒョッチンP:済州島で実際に起きた事件を扱った映画ではありますが、戦争についても語っており、共感していただける部分もあると思います。国家権力による住民虐殺という事件が再び起こらないようにという想いが伝わればうれしいです。
監督:私は劇団の公演でよく日本に来ており、日本人は大好きです。日本政府や韓国政府にはちょっと違った感情を持ってはいますが。この映画は人間を扱ったドラマですので、国と国の境を越えて、同じ人間として観ていただければと思います。
(江口由美)

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