「京都」と一致するもの

 (2011年 韓国=日本 1時間10分)
監督:イム・テヒョン
出演:ミン・ジュンホ、杉野希妃、松永大司
2012年6月30日~シネ・ヌーヴォ、8月4日~京都みなみ会館、元町映画館
公式サイト⇒http://ameblo.jp/two-rabbits-in-osaka/
※7/1(日)にシネ・ヌーヴォにて杉野希妃さん舞台挨拶あり


 usagi-s1.jpg『遭遇』のイム・テヒョン監督最新作『大阪のうさぎたち』は、まさに全く新しいタイプの大阪発映画だ。
  2011年映画祭で来日時に、『遭遇』の主演俳優ミン・ジュンホと再びタグを組んで撮影した本作では、『歓待』の主演兼プロデューサーとして来阪していた杉野希妃が急遽撮影に参加。世界中で90%の人類が亡くなった地球で、唯一秩序を維持し、普通の生活を送り続けている都市が大阪という設定のもと、中之島、梅田スカイビル、大阪城など大阪の今を切り取るロケーションで即興的な技法を取り入れながら撮影し、浮遊感のあるSFに仕上がっている。
  大阪アジアン映画祭2012特別招待部門出品で舞台挨拶のために来阪した杉野希妃さんとイム・テヒョン監督に本作作成の経緯や、撮影秘話を聞いた。


  ━━━どのような経緯で本作に出演することになったのか。
杉野:当初はイム・テヒョン監督の『遭遇』に出演したミン・ジュンホさんと2人で撮るつもりだったそうです。本当は2人の知り合いの女優と3人で撮る予定でしたが、3月11日の震災の影響で来阪できなくなったのだとか。翌日の12日が撮影日で、監督がキャメラを廻していたのを偶然見かけたので何をしているかお聞きしたら、「映画を撮っている。」とおっしゃって。面白そうと話しかけると、出演を打診されました。通行人ぐらいのつもりが、いつの間にか主役になっていましたね。

usagi-1.jpg━━━大阪のシーンは、一日で全て撮影したのか。
杉野:撮影に参加することになってすぐに「今からツアーに入って。」と言われて、歩いているところをずっと撮られました。ミン・ジュンホが話かけても軽く流すようにと言われ、内容も知らずにドキュメンタリーでも撮るのかと思いながら参加していました。撮影の合間にどんな映画を撮るのか聞いて、はじめてSF映画と知りました。あとは撮影しながら教えてもらった感じですね。
当初から、女優がいないならそれなりに、ミン・ジュンホさんプラスアルファで、流れに身を任せて撮ろうといったスタンスだったようです。人類最後の日、最後はホテルで2人がどうなるかといった設定は最初からありました。

━━━本作でも『歓待』同様プロデュースを担当しているのか。
杉野:もし映画を作るのであれば、日本の映画祭や日本公開についてはこちらで話を進められるので、後乗りですがプロデューサーを買ってでたところ、監督も乗り気になってくださいました。

━━━.ホテルのシーンはどのように撮影したのか。
杉野:12日の夜に作品にも登場する誕生日会があって、そのままイム・テヒョン監督が泊まっていたホテルにみんなで行って撮影しました。朝の5時ぐらいまで、本当に時計を見ながら「あと1時間」と言いながらやっていました。「死ぬ前にホルモンが食べたい。」というシーンも、ホテルまで歩いて帰るときに撮りました。 

usagi-s2.jpg━━━「ホルモンが食べたい。」は監督のアイデアか。杉野さんのアドリブか。
 杉野:全くのアドリブです。好きな話をしてほしいと監督から言われていて、実は死ぬ直前にホルモンを食べたいとずっと思っていたので、この設定(翌朝午前5時に人類が死ぬ)で言うしかないと自然に口から出てきました。
 

━━━ホテルで午前5時まで2人で過ごすシーンは、どういう設定で撮っていったのか。
 杉野:お互いに歌を歌うという部分はあらかじめ決まっていましたが、お互いに歌うことは知りませんでした。私が監督から言われたのは、歌を歌うことと、何でもいいから怒ることでした。その理由は自分で考えてと、それらを撮影直前の私の誕生日パーティーの席で言われてビックリしました。ジュンホさんは歌を歌うこと、錠剤を彼女(杉野さん)に渡して自分は死ぬという設定だけ伝えられていて、お互い何をするのか分からないという状況で投げ出された感じです。
しかも、怒るという状況をすっかり忘れていて、監督に小声で指摘されて、一瞬で思い浮かんだのが、「昔の彼氏に裏切られ怒りが溜まっているけれど、彼は死んでしまって怒りのはけ口をどこに向ければいいのか。」というシチュエーションでした。

━━━怒りをジュンホさんに向けるシーンでは、かなり激しくジュンホさんを叩いて、今までにない杉野さんの表情が出ていたが。
杉野:本当はもっとジュンホさんを叩きたかったですけどね。あのシーンだけでは背景が分かりづらいので、チョンジュ映画祭でお会いした松永大司監督にお願いして、映画祭の会場から監督の別宅に行っていただいて追加撮影しました。

usagi-s3.jpg━━━どうして大阪でSFを撮ろうと思ったのか。
監督:『ブレイドランナー』の始まりが大阪を背景にしていて、SFっぽいイメージがありました。エキゾティックな感じに魅力を感じていたんです。昨年の大阪アジアン映画祭で、関西国際空港からバスに乗ってくるときにSFっぽいイメージであることを再確認しました。

━━━本作の構想は昨年の初来日以前に考えていたのか。
監督:大阪アジアン映画祭に招待されて、大阪に行けると分かってから考えました。来たこともないのに、勝手に想像していました。

━━━かなりオリジナリティーのあるSFだが、監督が考えるSFとは。
監督:大層なSF映画でもその中で小さい話があると思います。自分はその中の小さい話を撮ったと考えています。


━━━大まかな設定は決めているけれど、かなり役者に委ねるスタイルは、最初からそういう風にするつもりだったのか。
監督:前作の『遭遇』もそういう風にして撮った作品です。朝起きて紙一枚ぐらいにその日の内容を書いて、皆にやってもらうというスタイルでした。『遭遇』以降は役者を自由にやらせるのが楽しいし、演技をするときの緊張感が保てるし、役者の良さもでるので、今は自由にやらせるスタイルにしています。

━━━2作連続で主演を務めているミン・ジュンホさんの魅力とは。
監督:とりあえず親しいからです(笑)。ジュンホさんは真剣にやってもサイコみたいなところがあって、人が見るとちょっとおかしい部分があります。そんなところがすごく好きで、『遭遇』のときにジュンホさんがiPhoneを見せるシーンは、実際に私にやったことを取り入れたりしています。

━━━プロデューサーとして、女優としての杉野さんをどう見ているか。
監督:はじめはジュンホが主人公だったのですが、撮影、編集をしているうちに、杉野さんに人を惹きつける力やオーラがあるので、主人公を杉野さんに変更しました。
プロデューサーとしての杉野さんですが、プロデューサーの質は二つに分けられます。一つはどれだけお金を集められるか。もう一つは人です。お金の部分はまだ分かりませんが、一緒に仕事をできる人を集める力はすばらしいです。偶然この大阪アジアン映画祭でお会いして、映画を作ろうという話になったという意味でも人を惹きつける力や挑戦するパワーがあります。初対面の監督に一緒に映画を撮ろうと言われたら、普通は拒否をする人が多い中で、「やろう」という彼女の大胆さが素晴らしい。無理を承知で依頼したのですが、それを真剣に受け取って形にしてくれたのが、とてもありがたかったです。

━━━杉野さんからみた作品のみどころは?
杉野:この作品は震災の次の日に一日で撮った作品ですが、まさに日本のそのときの大変な状況が写り込んでいる作品だと思います。現実とフィクションがシンクロしていて、見ていて緊張感があります。映画は準備をして、脚本を書いて、作るまで時間がかかるのが普通ですが、この作品のように映画がもっと身近なものであると感じていただけたらと思います。


  インタビュー終了後、舞台挨拶に駆けつけた主演のミン・ジュンホさんは、本作について「地震の混乱や恐怖、人が死ぬという感情が俳優たちの表情だけではなく、風景も含めて表現できた作品。」、「この映画が一つの表現で、その瞬間を暗い状態なら暗いままで捉えている。」とコメントし、共演の杉野さんについては、「集中力が本当に素晴らしく、準備期間がない中で、いつでも状況を理解する力があった。」と賛辞を惜しまなかった。
 韓国でのシーンを交え、日本のシーンでも韓国語と日本語が入り混じる『大阪のうさぎたち』は、映画作りの新しいスタイルを提示してくれた。映画祭がきっかけで誕生する大阪発映画としても意義深い作品だ。関西先行公開となる本作で、いつもの大阪がスクリーンでどのように映し出されるのか目撃してほしい。 (江口 由美)

(C)'Film Bee' all rights reserved.

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(C)若松プロダクション
 

hikarinooto-s1.jpg (2011年 日本 1時間29分)
監督・脚本:山崎樹一郎
出演:藤久善友、森 衣里、真砂 豪
4/7(土)~シネ・ヌーヴォにて公開
公式サイト⇒http://hikarinooto.jp/


 


~“農”をつうじて“生の営み”を見つめる~

岡山県北、山深きところ。代々酪農を営む狩谷家の長男の雄介は音楽を志し東京で暮らしていたが、父のけがをきっかけに家業を手伝うため故郷に戻った。音楽への思いや酪農の現状、恋人との行き違いから、酪農家として生きていくのか迷いを抱えた雄介の葛藤とささやかな希望を描く…。

 岡山県北部の真庭市でトマト農園を営む山崎樹一郎監督。6年前、農業をするために大阪から真庭に移り住み、現在33歳。『ひかりのおと』は監督の初長編作品。「その土地と人の営みを見つめる"地産地生"映画」として、出演・製作とも多くの地域の方々が参加し、2年半かけて完成。昨年10月末頃から約5ヶ月間かけて岡山県内での51会場でキャラバン巡回上映を終え、大阪での一般公開を控えて来阪された山崎監督にお話をうかがった。今年3月に開催された大阪アジアン映画祭の特別招待作品部門の1本として関西初上映された際の客席との質疑の内容と併せてご紹介したい。


 hikarinooto-1.jpg■映画、そして農業…

――映画との出会いは?映画づくりはいつ頃から?
小さい頃、家族でお正月に寅さんとかの映画を観に行くのを楽しみにしていました。母が児童映画や人形劇などの親子劇場によく連れて行ってくれました。ピアノを習っていて、特に映画音楽をやりたいと思っていた時期があって、大学で映研サークルに入ってからもしばらくはそう思っていました。
京都国際学生映画祭で映画を撮っている人達と出会い、皆映画をつくるという感じで、僕も演出みたいなことをして何本か映画をつくりました。人類学を勉強していたので、祭りの記録のドキュメンタリーをつくったりして、京都でラーメン屋をやりながら映画監督をしている佐藤訪米監督のところで、シナリオをつくらせてもらったり、現場に行かせてもらったりして、劇映画もつくろうとしていました。

――岡山で農業をしようと思ったのはどんな経緯からですか?
劇映画をつくりたいと思いながらも、何を描いたらいいのか、なかなかテーマがみえてこず、映画がつくれなくて悶々としていました。そんなとき、日々食べているものが、どうやって種がまかれ、収穫され、どうつくられているのかを、ふと考えてもわからなかった。感覚的にこれではいけないと思い、まずは、食べ物をつくることを覚えたくて、農業と思い、京都を離れました。大阪育ちで、都会を離れたかったという思いもありました。父の実家が岡山の山の中にあり、26歳頃でしたが、農業はゼロからでしたので、最初は見よう見まねで、いろんな人から教えてもらいながら、地域に慣れるということと、寄り合いとか地域の行事を体験したりで、映画のことはすっかり忘れていました。
2年位、文化的なものに全く触れていなかったら、突如としてものすごく浴びたい欲求に駆られ、まずは映画を上映するチームをつくり、仲間ができてきて、映画づくりをやってみようと、短編映画『紅葉』(08)をつくりました。まずはトマトの映画をつくろうと、トマト農家の作品です。



■『ひかりのおと』ができるまで

――『ひかりのおと』で酪農を描こうと思ったきっかけは?
農業という視点は取り入れようと思っていて、たまたま若い酪農者と出会い、遊びに行ったら、山を切り開いた牧場と、すぐ隣に高速道路があって、ここを映画にしようと思い、映画づくりが始まりました。だから、酪農の映画というより前に、まず場所がありました。

――撮影はどれくらいかかったのですか?
1年目の年末年始に一期目の撮影を、翌年の年末年始に二期目として、それぞれ10日位かけました。一期目に撮った分で編集まで終わり、ほぼ完成していましたが、ニ期目を撮るにあたって、脚本はだいぶ書き換え、別の映画と思うぐらい大幅に変えました。

――ニ期目の撮影を行ったのは、どんな点が足りないと感じたからですか?
客観的にみて映画になっていない部分があったというか、前作の『紅葉』の時に「わからなかった」という感想が結構ありましたので、そうはなりたくない、特に地域の人たちにわかってほしいというのがあって、もう一回撮りたいと思いました。都会の映画好きにわかってもらえればいいというのではなく、田舎の山の中にいて、普段全く映画を観ないような、近所のおっちゃん、おばちゃんにわかってほしいというのが大きかったかもしれません。

――雄介が悩み、おじの義之とドライブインで話すシーンがよかったです。雄介役の俳優の藤久さんは普段からあんな感じで考えながらしゃべられるのですか?
これは二期目に撮ったシーンで、本当は全部ワンカットでもいいかなと思っていたのですが、リハーサルしたら15分位あって、さすがにカットを割ろうと、カメラマンやスタッフと相談してつくっていきました。「考えて出た答えは誰がなんと言おうと…」という義行のセリフは、2期目の撮影のためにシナリオを書いていたのですが、全然できなくて、僕自身に言ったみたいな…(笑)。義行に僕を救ってもらおうと思って、入れました。
藤久さんは、普段から大体ああいう感じです(笑)。彼は、僕が岡山に住み始めて最初の友人です。農協の職員で、野菜の苗をつくったり、農業に携わっていて、実際山の中に住んでいる彼の姿を見て映画をつくりたいと思いました。

――撮影で苦労したところは?
全部苦労しました(笑)。今回、演技の経験者は、雄介役の藤久善友さんが『紅葉』に続き2作目、おじの義行役の真砂豪さん、恋人の陽子役の森衣里さんの3人だけ。素人だから許されるということはできるだけしたくなかった。OKかNGを出すのが、唯一僕の仕事ですから、何回もやらせてもらったりして、一から細かく演出しました。自然にできるようになる、器用な人もいますが、最初、慣れるまでは、何回かテストを繰り返しました。若い人の方がすんなり役に入ることができた感じですが、やっているうちに、この人がどういうお芝居が得意かわかってきたので、時々脚本を書き換えながら、進めました。


 

hikarinooto-s2.jpg■『ひかりのおと』のタイトル、テーマについて

――『ひかりのおと』というタイトルの意味は?
トマトの栽培をやっていると、太陽がでたら、葉が元気になります。葉っぱをよく見ると、光の粒子がみえて、きらきらしたり、ちかちかしたり、とてもきれいで、おそらく光合成をやっているのでしょう。太陽があったら作物は大きくなって、食べ物ができ、生きてはいけます。太陽があれば生きてはいけるというのを、ひかりを「みる」というのでなく、より積極的に、その感覚を「とりこむ」というか、とらえられればと思います。光をそんなふうにとらえた時に、本来聞こえない音が鳴り始める、というか、雄介自身、太陽があれば生きてはいけるというか、小さな葛藤や悩みに向かって、光の音を聞いて一歩を踏み出すという思いを込めました。
ただ、大震災が起きてからは、太陽があっても作物をつくれない地域ができてしまい、僕の中でもどうとらえればいいのかわかりません。本作は震災前につくった映画なので、次の課題ということになるかもしれません。

――家族というのもこの映画のテーマですよね?
僕が真庭にいて、いろんな農家を見ながら思うのは、家族経営しているところはやっぱり強くて、酪農にしても最後まで残っています。家族もいろんなありようがあっていいと思うのですが、農業に限らず、家族経営が一番強いと思います。いろんな外的な状況の変化に耐え、柔軟に対応できるのは、家族という一つのチームで一緒に仕事する規模だろうなと思います。

――牛の出産シーンもよかったですし、男性が「父親になること」はすてきなことだなと感じました。
映画だからやっていいことと、やっていけないことがあると思います。そこのところは、僕の中で明確に線引きができていて、今回の映画に関しては、映画だからやらなくていいところは、そこまでみせなくていいと避けましたし、ドラマに抑揚をつけるために実際にないことを組み入れたりはしていません。実際の牛の出産シーンがなくても、映画として成立することは成立しますが、僕はあの場面が必要と考えました。産まれてくるときの音もすごくリアルです。生まれることとか、死ぬこととかは、農業にしてもそうですが、普遍的なことだと思います。

――年始の山登りをはじめ、家族の営みが描けていますね?
あの地域では正月に山に登るという習慣があります。僕が実際に知っていたり、経験したり、具体的に聞いた話でないと、演出はなかなか難しく、実際に経験して聞く話は、そこに住んでいる者と住んでいない者とでは全く違う解釈になると思います。今回は、実際に僕がこの土地で聞いた話、見たことを基にシナリオを書いており、この地域で、この人たちと、という限られたところでつくっていて、自分では、ドキュメンタリーに限りなく近いとは思っています。実際雄介のモデルになった酪農家の青年も音楽をやっていて、ああいう環境で育ち、実際あそこに住んでいると高速道路の音がすごくしていて、彼の部屋の窓ガラスも二重になっていて、爆音で音楽を聞いたり、音楽にこだわりをもっています。雄介の母のオルガンも実際にあった話で、地域では、出て行く女の人というのは、わりと目に付くのです。

――スピーカーを牛舎に持っていくところもいいですね。
雄介のモデルになった青年も牛舎にスピーカーを設置して、ヘビメタを聴いているんです(笑)。ミュージシャンの菊地成孔さんに一度真庭に来てもらい、ちょうどシナリオの段階で、映画の話をしたら、牧場まで一緒に来てくれて、場所にはすごく興味をもってくれました。高速道路がうるさいのとスピーカーはおもしろいと言って、「僕だったら高速道路にスピーカーを向けて、高速道路のノイズに対して、爆音で音楽を流す」と言われたのがずっとひっかかっていました。それがラストの、雄介が音楽を奪還して、牛舎にスピーカーを持ち込む行為、酪農のために都会の音楽を捨てて、こもっていたけれど、どちらかを選ぶのでなく、酪農しながら音楽もやっていくという宣言としてスピーカーを置くという行為に、つながりました。
 


■上映について


――地元の岡山県で約5か月間かけて51会場で巡回上映されたのですね?
東京で公開して大阪でやるという順当なルートも初めは考えていましたが、もともと東京の人達が地域に行って撮って、東京に持って帰って上映するということに違和感があって、住まないとわからない部分もあるだろうし、生活したがゆえにできる環境というのもあり、まず地域で先に上映したいというのは早くから、2期目の撮影開始前には思っていました。映画をつくった地域から上映を行うというのは、ごく普通の当たり前のことだと思います。
ここまでやろうと思ったのは3.11の大震災の後、僕らに唯一できることは、何が起こるかわからないの中で、いざという時のために、何かあらがえるようなネットワーク、人間関係みたいなものを、この映画をきっかけにつくっていきたいと思いました。映画だけじゃなく、なにかやりたいと思った人が手を上げれば、そういうものが動くようなネットワークができないかなと。

――地元での反応は?
頑張らないといけないと思ったとか、ひかりのおとが聞こえたような気がするとか、もちろん、難しかったとかわかりにくかったという感想もありました。今回、51会場で、100回以上上映し、毎回アンケート用紙を渡しましたが、アンケートの回収率がすごくよくて、半分の千枚以上が返ってきました。観たら何か言いたくなる映画なのかなと思いました。映画を観て終わりでは、もったいないと思い、「人と出会っていく」という意味でよかったと思います。

――観客の方々へのメッセージをお願いします。
本当は上映中全部行きたいのですが、農業が始まっていますので、限られた日しか劇場に行けません。一つのきっかけとして出会えればなあと、ぜひ僕にも牛にも会いにきてほしいと思います。映画をかろんじていうわけではないですが、映画をきっかけに人と人が出会っていくという、映画の一つの機能はやはりあっていいと思います。

――次の作品のイメージは?
時代劇で、今準備しているところです。江戸時代に、真庭を中心に美作地方で、山中一揆という大きな一揆が起こり、若者を含め50人ぐらいが処刑され、犠牲になりました。一揆というのは、怒りを表現したもので、いろんな感情を表に出せた時代といえます。今は、何によって封じられているかわかりませんが、なかなか感情を出せない時代のように思います。一種の感情を出せた時代の豊かさみたなことを描ければと考えています。
 



 「映画をつくりたいという気持ちが根本的にあり、農業もなかなかおもしろくて、まだまだ半人前ですが、農業をしながら映画を続けていこうと思っています。住みながらじゃないとつくれないという部分もあり、生活からあふれだすものがなければつくらなくていいとも思います」と語る山崎監督。最後、牛が横になって寝ているところを撮影するのも、結構大変だったそうだ。
牛のものいわぬ瞳に宿る光の奥深さも、本作の魅力の一つ。悩みや葛藤を抱え、これからまだ長い人生を生きてゆく雄介が次の一歩を踏み出す姿からは、答がすぐ見つからなくても探し続けることが大事だという心強いメッセージが伝わり、家族や人生についても深く考えさせられた。多くの人に観てもらい、映画づくりのあり方についても一考してほしい作品だ。 (伊藤 久美子)


 318-7.jpg『捜査官X』 (武侠/WU XIA)
ゲスト:ピータ・チャン監督

(2011年 香港・中国 1時間55分)
監督:ピーター・チャン
出演:ドニー・イェン、金城武、タン・ウェイ、ジミー・ウォング
2012年4月21日(土)~新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際会館、ほか全国ロードショー
公式サイト⇒
http://sousakan-x.com/
 (C) 2011 We Pictures Ltd. Stellar Mega Films Co., Ltd. All Rights Reserved.


   第7回大阪アジアン映画祭のクロージング作品「捜査官X」が18日夜、中之島のABCホールで上映され、満員の盛況で映画祭を見事に締めくくった。これに先立ち、来日したピーター・チャン監督が記者会見した。

 sousakanx-1.jpg●中国伝統の武侠映画へのオマージュが感じられるチャン監督
(武侠)映画には小さいころから影響を受けてきた。中国で「武侠」というタイトルが物議を醸した。中国では6~7割がこのジャンルだから「ちょっと違うんじゃないか、と言われた。
 (武侠映画は)若い頃は好きなジャンルだったが、最近はあっちこっち飛んだりするだけ。実際の武術はどんなものだったのか、私は(拳が)当たった時にどうなるか、考えてみた。違う取り上げ方をした。
『武』は文字通りアクションだが『侠』には犠牲的精神の意味がある。この映画では主人公は犯罪者だし、犠牲心はどこにあるのか、と言われた。白黒はっきりしない、すべてがグレーだから。中国ではマーケティングでミスしたかな、と。
アクションとして武術の美しい動きはあり、ファンにはスーパーヒーロー的な側面があったと思う。私は武術が美しく見えるよりも打撃が体にどういう影響を与えるかを描いた。
私はこれまで、一見商業的な映画を主に作ってきたが、すべて人間ドラマを作ってきた。「武侠」というタイトルでもその点は同じ。日本の「捜査官X」はいいタイトルだと思う。

 318-8.jpg● 共演の(ドニーの妻役)タン・ウェイが印象的だった。
チャン監督 中国の美人女優の中で彼女はテンポがずれている人、奇妙な女優さんでね。常に不安感を抱えている。彼女が台所で働いているところにフラっとドニー・イェン が現れる。彼女は「どうしたらいい」と聞いてきたので「自分の好きなようにやってみたら」と言ったらうまくいった。(ドニーは)彼女の知らない人なのに、 夫として暮らし知らないのに知ってるような不思議な演技、スリラーっぽい演技になった。


●最後に日本でもなじみの深いジミー・ウォングが登場して死闘を繰り広げるところは感慨深かったが。
チャン監督 ドニーも私も「片腕ドラゴン」を経験していた。セリフでは何度も(黒幕として)登場するが本人は最後だけ。映画出演は13年ぶりだったが「出てほしい」とお願いしたら快諾してもらった。

● 最後のドニーとの戦いでドニーが片腕なのは「片腕ドラゴン」ジミーへのオマージュか?
チャン監督 結果的にオマージュになった。ドニーとは毎日ブレインストーミングした。最後をどう盛り上げるか、ドニーは困っていた。その結果「ジミー・ウォングしかいない」と結論した。遊び心もある。楽しさを満喫出来た。


● 監督は金城武とは何度もやっているが、やりやすいのか?
チャン監督 彼は出演するに当たり(役柄について)何度も質問される。それによって役が深まっていく。いつも映画が仕上がった時に満足出来る役になっている。もっと彼の演技が評価されていいと思う。


【STORY】
 山奥で起こった殺人事件の調査に当たった天才捜査官シュウ(金城武)は殺されたのが凶悪犯2人だったことから疑問を抱き“村の英雄”になっていた男ジン シー(ドニー・イェン)を取り調べを始める。彼の“正当防衛”には不可解な謎があることに気付く。丸腰の職人がなぜ苦もなく無頼漢を倒せたのか、彼には深 く謎めいた過去があった…。 (安永 五郎)

(C) 2011 We Pictures Ltd. Stellar Mega Films Co., Ltd. All Rights Reserved.
 


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大阪アジアン映画祭のオープニング作品『道 ~ 白磁の人 ~ 』で高橋伴明監督(右)と主演の吉沢悠。
(C)2012「道~白磁の人~」フィルムパートナーズ

 michi-1.jpg   『道~白磁の人~』

(2012年 日本・韓国 1時間58分)
監督:高橋伴明
出演:吉沢悠、ペ・スビン、塩谷瞬、黒川智花、近野成美、
    チョン・ダス、チョン・スジ、市川亀治郎、堀部圭亮、
    田中要次、大杉蓮、手塚理美
2012年6月9日(土)~新宿バルト9、梅田ブルク7、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ西宮OS ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ http://hakujinohito.com/


 ●第7回大阪アジアン映画祭スタート
 大阪アジアン映画祭が9日夜、大阪・梅田ブルク7で日韓合作映画「道~白磁の人~」の上映からスタート、高橋伴明監督と主演の吉沢悠が初日舞台あいさつを行った。


 michi-3.jpg 「~白磁の人」は激動の大正初期、朝鮮半島に林業技師として渡り、朝鮮の伝統工芸・白磁に惚れ込んでその芸術的価値を多くの人に知らせた浅川巧の生涯を描いた“現代へのメッセージ”。
 上映前に会見した高橋監督は「アジアがもっと強くならなきゃならないと思ってた時にオファーがあった。日本と韓国が手を結んでいくことが大事。8割以上 韓国人スタッフで、撮影から仕上げまでほぼ全部韓国でやった。新たなことが出来た」と韓国で映画を完成させたことに満足げ。


 韓国人俳優・ペ・スビンと熱い友情を育む主役を務めた吉沢も「“道”で韓国のスタッフ、キャストと仕事するという有意義な経験が出来た。浅川さんの活動に共感出来るし、アジアにこれだけ素晴らしい 人がいたんだとアピール出来たと思う」。
 裁判映画「BOX袴田事件」、京都造形芸大の学生とのコラボ映画「MADE IN JAPAN こらっ」など一作ごとに意欲的な映画作りが話題を集める高橋監督にとって、アジアン映画祭オープニングは「自信を持って投げ込んだストレート作品」と自信 を見せた。

 michi-s4.jpg――  韓国での撮影は困難が多かった?
高橋監督: 「いきなりセットが豪雨で流され、別のオープンセットを使わなければならくなる試練がに見舞われ たが、日韓のスタッフがいろんな工夫をすることでひとつになれた。韓国は絵コンテで撮影を進めていくけど、僕は(絵コンテを)書かないのでそれを説明する のに時間がかかったかな。現場は1日で慣れた。天候は不順で雨にたたられたけど、雨の時はこうしよう、といつも考えていた」。

――伝説的な実在の人物・浅川巧の映画化だが
高橋監督:かつて芸術系の雑誌(芸術新潮)で読んでどんな人かは知っていた。(浅川さんの作品は)候補に上がった時に見せてもらって、自然の中に置きやすい、自然との共存が感じられるナチュラルな人だと思った。
吉沢:浅川さんは知らなかった。小説読んで、素晴らしい活動をした人だと知り、日記も読んでお茶目なところもあると知ったり、僕自身が浅川さんに近づいていこうと思った。ロケで感じるところもありました。監督からは“吉沢とペ・スビンが友情を育んでくれたら”と言われていた。
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 ――役作りは?
吉沢:浅川さんは好奇心があった人。朝鮮半島の文化をあの時代に受け入れた。映画は韓国で公開されることも決まっているので、こういう日本人がいたことを日本でも韓国でももっと知ってほしい。

――韓国人スタッフやキャストについては?
高橋監督:プライドの高さ、謝らないことなど、日本人が見習うべきことも多い。ごめんなさいと言わないこともあるが、自分の意見をきちっというのは大事なこと。細かいことまで監督にジャッジを求めてくる。

 ――大阪アジアン映画祭のオープニング作品だが
 
吉沢:大阪の友人に会って、大阪の人が行きやすいイベントに、韓国も中国も入っていて、ラインアップに『道』が入っている。そのオープニングなんて光栄です。
高橋監督:そういう意識は持ってなかったが、アジアン映画祭で初めて見ていただける意義は感じています。コンペ部門で反応を知りたいぐらいです。

●舞台あいさつで
高橋監督:結婚して30年、監督やめようと思ったこともあるが、(恵子夫人から)“私は映画監督と結婚した”と言われて続けてきた。今回はストレート投げました。どのように感じてもらえるか、楽しみです。
吉沢悠:言葉の壁は最初はあった。CDで韓国語を勉強していったが、スタッフ間では映画人の心と心のつながりがありました。ペ・スビンとは英語で話した。 彼は釣りが趣味で、夜に内緒で釣りに行ったりもしました。
 



※第7回大阪アジアン映画祭は10日から18日まで、大阪・梅田ガーデンシネ マ、ABCホール、シネ・ヌーヴォ、HEP HALLなどで行われ、台湾、韓国、中国、香港、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、日本などアジ ア各国の映画が上映される。問い合わせは06-6373-1225アジアン映画祭運営事務局へ。 (安永 五郎)                        
 

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『STAR WARS エピソード1 ファントム・メナス3D』コスプレイヤーが梅田に大集結! コスプレイヤー全員で記念撮影

TM & (C)2012 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.


 SW-EP1-1.jpg 『STAR WARS エピソード1 ファントム・メナス3D』
(Star Wars: Episode I - The Phantom Menace 3D)
~STAR WARSコスプレイヤーが梅田に大集結!~

(2012年 アメリカ 2時間16分)
監督:ジョージ・ルーカス
出演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド、イアン・マクダーミド
2012年3月16日(金)~TOHOシネマズ梅田ほか全国ロードショー


去る16日(金)より公開した映画『STAR WARS エピソード1/ファントム・メナス3D』(配給: 20世紀フォックス映画)。15日に実施した前夜祭から多くのスター・ウォーズファンが劇場へ詰め掛けておりますが、公開2日目となった本日、TOHOシネマズ梅田(大阪市北区)には、熱狂的なスター・ ウォーズファンたちがそれぞれに思い入れのあるキャラクターのコスプレで大集結いたしました。

ポップコーンください! エレベーターから降りてきた お客さんもビックリ! 『スター・ウォーズ』観よか! オトナ1枚…ポチっと。


SW-EP1-ss2.jpg 午前11時45分、TOHOシネマズ梅田ロビーに激震が走った! 劇場ロビーに突如、ジェダイの騎士たちを筆頭に、次々と『スター・ウォーズ』のキャラクターたちが現れたのだ。あまりに突然の出来事に来場者は何が起こったのが分からず、呆然と立ちすくむ。次第に増えてくる『スター・ウォーズ』のキャラクターたち。そしてついに現れたのが彼だ。「ダース・ベイダーや!」その瞬間から、来場者たちは携帯電話やデジタルカメラで一斉に撮影を開始、ジェダイや帝国軍の面々は、来場者たちとの記念撮影に気さくに応じていた。

SW-EP1-ss3.jpg 『スター・ウォーズ』はそのファンが様々なキャラクターのコスプレをし、作品世界へ「参加して楽しむ」ことで知られている。映画の劇場公開ともなれば、多くのファンがそれぞれが思い思いのキャラに扮し、映画館へ集まることはいまや、映画業界の風物詩とも言える現象となっている。

 今回も『エピソード1』3D版の劇場公開を記念し、20名ものファンがTOHOシネマズ梅田は大結集した。角興継(かど・おきつぐ)さん(大阪府、40歳)は「自分たちが愛してやまないスター・ウォーズが映画館へ帰ってきたことが何より嬉しい」と話す。既に前夜祭で本作を観た、という長谷川貴洋(はせがわ・たかひろ)さん(大阪市、35歳)は3D版をこう話す。「とにかく画質がキレイ。デジタル化することで、背景などが細やかに作り込まれているので、奥行きもすごく自然だった」。同じく3D版を観ている小池知之(こいけ・ともゆき)さん(48歳)は東京都からの参加。「ポッドレースのシーンは特にオススメですね。当時の撮影では観客をマッチ棒で作っていたのですが、それがバレてしまうかも?と思うぐらいに映像が鮮明でした」。劇中に「隠れキャラ」として登場するE.T.も当時よりも鮮明に見えると彼らは話す。


SW-EP1-ss4.jpg 『スター・ウォーズ』はなぜにここまで彼らをひきつけるのだろうか。「一言では話せないし、話し始めると何時間もかかりますよ、どうします?」と角さんは笑う。そして「これは私の深読みかも知れませんが」と前置いて小池さんはこう話した。「ローマ神話やギリシャ神話、新約聖書などに通じるものがあり、シリーズ全体を読み解いていくと、それらがパズルのようにつながるのです。そんな見方をさせてくれるのも『スター・ウォーズ』の魅力」。

『スター・ウォーズ』の話を始めると揃って目をキラキラとさせていたコスプレイヤーたち。午後からも各々の思いをもって、また来場者へ『スター・ウォーズ』の魅力をアピールしていた。
 


SW-EP1-3.jpg 【本日参加のコスプレキャラクター】
<帝国軍>
ダース・ベイダー、ダース・モール、
銀河皇帝、ストームトルーパー(5名)
<ジェダイ>
オビ=ワン・ケノービ(5名)、
アナキン(大人2名、子供1名)、
クワイ=ガン・ジン(1名)、
プロークン(1名)
<その他>
レイア姫(1名)、アミダラ姫(1名)
(20世紀フォックス リリースより)


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『STAR WARS エピソード1 ファントム・メナス3D』通天閣をジャック!


TM & (C)2012 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
 

SW-EP1-s4.jpg     寒風吹き荒れる中、「スパワールド世界の大温泉」の大階段最上部にダース・ベイダーら帝国軍のメンバーが突如現れました。その物々しい姿に、新世界を訪れていた観光客らはビックリ! また、「帝国軍が通天閣を占領するらしい」と聞いた地元の人々は口々に「なんやて! えらいこっちゃ!」と笑い混じりに驚いていました。

多くの家族連れやカップルに加えて、ベイダーらを待ち受けていたマスコミ陣を合わせて300人もの人たちであふれかえっていた南本通商店街を悠然と進むベイダーたち。その姿に圧倒されたのか、一旦は距離を置いていた人々も次第に携帯やカメラで写真を撮り始め、帝国軍の行進についていく始末。その中にはツイッターで情報を得た、狂的なスター・ウォーズファンの姿も多数ありました。

SW-EP1-s5.jpg 通天閣到着後、館内を進む帝国軍のメンバーが突然現れたため、訪れていた来場者からは歓声とも悲鳴とも取れる声が…。騒然とした空気を感じ取った子供たちが泣いてしまうハプニングも。突然のことに状況が分からなかった来場者の方々も、次第に事態を受け入れたのか、手に持っていたカメラや携帯電話でダース・ベイダーらの撮影を始めました。

社長室をジャックした後、通天閣のシンボルでもあるビリケン像の元へ。「ビリケンさんをダークサイドへ落とす」というミッションを果たすべく、ベイダーの指示でビリケンさんもダース・ベイダー仕様に。ビリケンさんもダークサイドへ落ちてしまい、ついに通天閣は帝国軍に占拠されたのでした。
一方、通天閣に帝国軍が襲撃すると聞きつけた男の子が、自前のライトセイバーを持って現れ、ストームトルーパーらと記念撮影。ベイダーを見た女性からは「めっちゃカッコいい!」と言った黄色い歓声も。その他、幸運にもベイダーやストームトルーパーと一緒に記念撮影した方々からも「何も知らずに来たので、とってもビックリしました」「ダース・ベイダーさんたちと一緒に撮影が出来て、すごくいい記念になりました」といった喜びの声がたくさん聞こえてきました。

 SW-EP1-s3.jpg不吉な予告通りに通天閣が占拠され、ビリケンさんまでもがダークサイドへ落ちてしまった…という、大阪人にはあまりに衝撃的なストーリーのイベントでしたが、実際はとてもにぎやかに楽しく、観光客も地元の人々にも受け入れられ楽しんでいただけた内容となりました。
(20世紀フォックス リリースより)

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 hamamura-1.jpgのサムネイル画像  浪花の春恒例の「おおさかシネマフェスティバル2012」が3月4日(日曜)、大阪・谷町四丁目の大阪歴史博物館4階講堂で行われ、主演女優賞・浅丘ルリ子、主演男優賞の豊川悦司ら受賞者が一堂に勢ぞろい。浪花の名物司会者・浜村淳の名調子とともに満員のファンを沸かせた。


日本映画 個人賞は以下のとおり。


※敬称略
監督賞:阪本順治(『大鹿村騒動記』)
主演女優賞:浅丘ルリ子(『デンデラ』)
主演男優賞:豊川悦司(『一枚のハガキ』)
助演女優賞:神楽坂恵(『冷たい熱帯魚』『恋の罪』)
助演男優賞:片岡愛之助(『小川の辺』)
新人女優賞:杉野希妃(『歓待』)
新人男優賞:まえだまえだ(『奇跡』)
脚本賞:新藤兼人(『一枚のハガキ』)
撮影賞:北信康(『一命』)
音楽賞:安川午朗(『八日目の蝉』『大鹿村騒動記』)
新人監督賞:三宅喜重(『阪急電車 片道15分の奇跡』)
特別賞:原田芳雄、森田芳光


<授賞式でのコメント>

asaoka-2.jpgのサムネイル画像●主演女優賞・浅丘ルリ子『デンデラ』
東映『デンデラ』(天願大介監督)で主役を務めた元日活の大女優・浅丘は晴舞台にも悠然、授賞式では大トリとして登壇し「(他の)受賞者の皆さんはもう1時間半も待ってらっしゃるから」と他を気遣う余裕を見せながら、浜村氏としばし思い出話。

松竹の看板『寅さん』シリーズにマドンナ「リリー」役で最多4度も出演したことについて「最初は北海道の酪農のおかみさん役だったんだけど(山田監督に)こんなに手足が細くては無理なのでは、伝えますと、監督も“そうですねえ”とおっしゃって」と裏話。結果、山田監督がとあるキャバレーの前を通りかかった時に「リリー」が出演していたことから「流れ者の踊り子リリー」が誕生した、という知られざるエピソードも披露。「寅さんが一番愛してくれたマドンナでしたね」としんみり。

受賞作『デンデラ』については「(雪山ロケは)とても寒かったんですが、カットの声がかかると、みんなで温めて下さった。寒いですけど温かかったですね」。
「私はこれまでに158本、映画に出演しましたが、女ばかり50人、一番下が70歳の私。こんな役ないですよね。出させてもらってよかった」。


toyoetu.jpgのサムネイル画像●主演男優賞・豊川悦司「一枚のハガキ」
新藤兼人監督の前作「『石打尋常高等小学校 花は散れども』に出させてもらい、2度目に呼んでいただいてもう一度“新藤作品に出させてもらえる”ことが何よりうれしかった。戦友の未亡人役の大竹(しのぶ)さんとも前作から一緒でした。戦争体験はなく“戦争ってどういうものなんだろう”と考えながらだったんですが、監督がご自身の実体験を書かれたもので、監督がボクのモデルだったのがラッキーでした。だから、現場では恐ろしいほどの緊張感でした」。 「ビジュアル的には『~花は散れども』と正反対だったんですが見ていた頂いた方に“新藤さんに見える”と言われるならうれしいことです」。
 

kagurazaka-2.jpg ●助演女優賞・神楽坂恵『冷たい熱帯魚』『恋の罪』
園子温監督作品で女優開眼した神楽坂は「大阪にはしょっちゅう来ていて大好きな街。自分の人生の大事な2本で受賞なんてこの上ない喜びです」と感無量の面持ち。「グラビアアイドルではインパクトない、と思っていて、自分で何がしたいのか、分からなかった。女優なら自分を発言できる場所がある、と思った。園監督に厳しくしごかれて追い詰められて、辛かったけど、全否定されてよかったと思う」。

 前夜、郷里の岡山に帰り、この日は父親ら3人の親戚と車に同乗して会場入りした。父親は浜村氏からステージに上がるよう促され、テレながら壇上へ。「娘が女優になるなんて今でも信じられない。(娘の)映画は見てません」。
神楽坂は「父はシャイな人で、私の結婚式でもしゃべらなかったのに…。この席で親孝行も出来ました」とうれしそうだった。

 kataoka-1.jpg●助演男優賞・片岡愛之助『小川の辺』
愛之助は現在、京都・南座公演に出演中。午前の部終了後、タクシー→新幹線→ハイヤー、車中で着替え、という強行スケジュールで会場へ文字通り駆け付けた。メイク10分で慌ただしくステージに上がった愛之助は「藤沢周平作品の大ファンで舞台で“蝉しぐれ”もやっている。(『小川の辺』には)喜んで出させてもらいました。(主演の)東山紀之さんは何でも出来る方なので、セリフなくても会話しているような感じでしたね。監督はカット割りを少なくしたいという要望だったんですが、私は(カットを)長くやっていただく方がいいのでありがたかった」と歌舞伎役者ならではの強みも披露した。

この日はちょうど40歳の誕生日。スタッフが用意したケーキにナイフを入れるポーズで「2度目の成人式」の喜びを表した。「芸歴30年で40歳の節目の日に映画で初めての賞をいただくなんて、忘れられない門出になりました。歌舞伎大好きで歌舞伎あっての私だと思っていますが、歌舞伎以外の仕事もやっていきたい」と新たな門出を誓っていた。
 

 sugino.jpg●新人女優賞・杉野希妃『歓待』
アジアン・インディーズのミューズ的存在の杉野希妃は「“歓待”で何回か大阪で舞台あいさつさせてもらった。人生で一度しかもらえない新人賞を第二の故郷の大阪でいただけたことがうれしい。この映画は企画から公開まで立ち会ったので感激もひとしお。個人賞ですが、作品にいただいた作品賞だと思っている」。
杉野は慶応大在学中に韓国・ソウルに留学、06年に韓国映画『まぶし一日』で映画デビュー。女優だけでなく、プロデューサー業も兼ね、昨年公開の『マジック&ロス』で(リム・カーワイ監督)では、韓国映画『息もできない』のヤン・イクチュンとキム・コッビとの共演を実現させた。昨年の東京国際映画祭では「アジアの風」部門で特集上映されるなど“新人”離れした活躍ぶり。広島市出身だが、すっかり気に入った大阪で「いつかこの場所で映画を撮りたい」と語っていた。


 sakamoto.jpg●監督賞・阪本順治監督『大鹿村騒動記』
作品賞に加え監督賞にも輝いた大阪・堺市出身の阪本順治監督は晴れの凱旋受賞。特別賞(故原田芳雄氏)、音楽賞(安川午朗氏)と合わせ4冠獲得の快挙に「原田(芳雄)さんの思いの強さがこの作品に結晶した」とまずは偉大な主演俳優に感謝の気持ちを表した。
「原田さんに“あなたとは初めてだなあ”とまず言われた。それまでに6本やってるんですけどね。主演と監督としては確かに初めてだった。私のデビュー作“どついたるねん”に出ていただいてから23年、最後にご一緒できたことに強い縁を感じます。作品を皆さんに愛していただいてありがとうの気持ちでいっぱいです」。

阪本監督は現在、吉永小百合主演の新作『北のカナリアたち』の撮影中で、2月に北海道ロケを終えたばかり。今後、春、夏にも撮影の予定。これ以外にもロシアなどでロケを行う国際的な新作にも着手する。おおさかシネマフェスティバル“2連覇”も有望とあって自信と余裕を感じさせた。
 

 harada.jpg●特別賞・故原田芳雄 『大鹿村騒動記』(代理・長女原田麻由)
“原田一家”の一員だった阪本順治監督と東京から同行して会場入りした原田麻由は、2日の日本アカデミー賞授賞式で原田芳雄「主演男優賞」の代理受賞してきたばかり。
 大阪では「芳雄に代わりまして参りました。(芳雄も)この場で皆さんにお会いしたかったと思います。先日、芳雄の遺品を整理してまして大阪で賞を頂いた時の写真が出て来ました。その時のうれしそうな様子を見て私もうれしかった。素敵な賞をありがとうございました」。


kita.jpg ●撮影賞・北信康『一命』
3Dで初時代劇での受賞に「3Dはキャメラが大きいんですが、2Dで上映する劇場もあるので、両方出来るように考えた。(市川)海老蔵さん、役所広司さんら芸達者な人ばかりなので、芝居の邪魔にならないように、と」。 『一命』は小林正樹監督の世界的名作『切腹』のリメイクで比較対照されることについて「意識してもかなわないことなので。3Dは映画表現の幅を広げる意味があると思う」と話していた。


shindou.jpg ●脚本賞・新藤兼人(代理:新藤次郎)
『一枚のハガキ』代理・新藤次郎近代映画協会社長(兼人氏長男)
次郎氏「(兼人監督は)がんこじじいで、今は映画のこと以外は何もしたくない、という生活ですね。“一枚のハガキ”を撮る前から車椅子になりまして“これが最後になるね”と言ってました。“何が良いかね”とあれこれ探して“これだったら最後にふさわしい”と選んだ。監督は家族全部を映画にしてますからね」。懸念される監督の状態については「体力は落ちているが、先生は元気です」。とは言うものの、期待の声が大きい「もう一本」については「インディーズでやってると、撮影中にひとり倒れたりすると会社がつぶれたり大変なことになるので…」と否定的だった。


yasukawa.jpg ●音楽賞・安川午朗『大鹿村騒動記』『八日目の蝉』
「去年1月、同時期に依頼された。2人の監督(阪本順治、成島出)から“大丈夫か”と心配されたが、2本の内容が極端に違うのでやりやすかった。代表作を聞かれて「うーん“君に届け”“どろろ”“感染列島”」と自作を並べていた。

 (安永 五郎)

chiisanaeigakan-4.jpg(2012.3.3 元町映画館)
ゲスト:森田恵子監督

(2012 日本 1時間55分)
監督: 森田恵子
協力:大黒座、蠍座、びばいシネマ、シネマ尾道
2012年2月25日~シネ・ヌーヴォX、3月3日~元町映画館、3月31日~京都みなみ会館、4月14日~シネマルナティック他全国順次公開
公式HP→http://www.chiisanaeigakan.com/


町から映画館が次々に消えていって久しい。町の映画館といった光景がもはや貴重体験となりつつある今、商店街の映画館として一昨年誕生した元町映画館で、北海道にある映画館のドキュメンタリーが上映される。

北海道の襟裳岬に近い人口1万4千人の浦河市にある大黒座。大正7年創業の93年目を迎える老舗映画館だ。廃館の危機にさらされながら、町の人や、大黒座を愛する人たちのサポートを得て、町になくてはならない存在として今も映画の灯をともし続けている。元町映画館公開初日となった3月3日上映後に本作の森田恵子監督が舞台挨拶を行った。その模様をご紹介したい。

chiisanaeigakan-1.jpg■いつもと変わらない大黒座を撮る。

90周年になっても特に何もしていない、いつもと変わらない大黒座を撮ってほしいというところからスタートしました。2008年9月から撮影を開始したのですが、ちょうどそのときに上映していたのが『潜水服は蝶の夢をみる』で、私はとても好きな映画だけれど、ここで上映してお客さんが入るのかなと思っていました。

浦河は千歳から3時間かかる不便な港町ですが、ぺてるの家という精神障害者の生活拠点を95年に撮影したことがあるので、そこに大黒座があることは話に聞いて知っていました。たまたま大黒座を応援する映画を作ってほしいという依頼があり、私は埼玉に住んでいるので道内の方に頼んだ方がいいのではとお返事したものの、是非とのことで1年半ぐらい撮影していたんです。

chiisanaeigakan-2.jpg■浦河の町の豊かさを再認識して、映画作りを続行。

ところが、依頼者の方がやめると言われました。すでに20人ぐらい浦河の町の人に話を聞いていて、浦河の町の豊かさを再認識したので、自分で映画を引き続き作ることにしました。国の助成金を急遽もらうことになり、その手続きをしたときに、助成の条件が映画館で2週間上映することだったのですが、大黒座の映画なのでそれはすぐにクリアできると。

■映画館はあって当たり前。「何が珍しいの?」と聞かれる。

どこも小さな映画館は大変です。浦河の人からすれば、映画館は生まれたときからあって、あるのが当たり前のものなので、私が撮っていると「何が珍しいの」と聞かれました。でも、地方で自分の住んでいる町に映画館がなくなった人はやはり寂しいとおっしゃっています。

chiisanaeigakan-s1.jpg■今の若い人に映画館ならではの体験を。

今の若い人には、映画館で映画を見ることを是非してほしいです。作品中で映画館主の奥さんである和子さんが「エイリアン2」を見て、外にでたらいつもの町の光景が広がって不思議な感じがしたと言っていましたが、そんな体験ができるのも映画ならではです。

シネコンと町の映画館は、ショッピングセンターと個人商店みたいなもので、町の映画館では店主の目利きや説明があります。そういう説明があったら、今まで見たことないけれど試してみようかなと思えます。それにスタッフの思いや気配りがあります。

こうやって、関西の人が北海道の小さな映画館の話を見ていただけるなんて、作った当初は思ってもいませんでしたが、偶然でも北海道の小さな映画館の映画を見ていただけて、うれしいです。


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舞台挨拶後は、場所を移して森田恵子監督を囲んでの食事会が開催された。この食事会には元町映画館スタッフや神戸映画サークルメンバーの方をはじめ、三木労音や三木町づくり協議会の方、そして愛媛より本作を上映予定のマネキネマの方など映画上映に携わるさまざまな立場の方が参加。舞台挨拶でも監督が触れた、若い人に映画体験をしてもらうにはどうしたらいいかといった話題や、学校現場で芸術鑑賞会の中に音楽、演劇関係は含まれても映画鑑賞の機会がなくなっている現実についても話が及んだ。

chiisanaeigakan-3.jpg森田恵子監督からは、本作や以前撮影した「ぺてるの家」で浦河の人たちと触れ合うときに、生まれたときからずっと町に映画館があること、精神障害者の拠点があることに慣れている町の人たちの精神的な豊かさを感じるとお話いただいた。短い時間ではあったが、監督を囲んで自らの映画実体験(「子供の頃は映画館のトイレの窓から忍び込んで映画を観た!」「学校鑑賞会を生徒会で運営し、アメリカンニューシネマの『イージーライダー』を上映した。」)も交えながら映画や映画館について語り明かした後は全員で記念撮影。映画館のドキュメンタリーが与えてくれた貴重な場に心から感謝したい。

この日の舞台挨拶や食事会を通して、映画館がある町に住んでいることがいかに幸せなことであるかを実感した。若い頃の映画体験は、間違いなくその人の人生を豊かにする。その機会を逃している世代にどうやって映画を観る機会を与え、映画の魅力を伝え、実体験してもらうか。『小さな町の小さな映画館』で映し出された大黒座と大黒座を支える人たちから、映画という文化によって心の豊かさが育まれる姿を目の当たりにし、まさに奇跡を見たような喜びが湧き上がる。町の映画館にとって冬の時代が続くからこそ、自分ができることで大黒座を支え続ける人たちの真っ直ぐな気持ちが、新しい大黒座ファン、しいては町の映画館ファンを作っていくことを切に願いたい。(江口 由美)

311-s1.jpg (2011年 日本 1時間34分)
監督:森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治
出演:森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治他
2012年3月3日~オーディトリウム渋谷 ユーロスペース、
3月24日~第七藝術劇場、4月7日~神戸アートビレッジセンター、他全国順次公開
公式サイト⇒http://docs311.jp/

 (C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治



   2011年3月11日に起こった東日本大震災のわずか2週間後、ジャーナリストや映画監督の4人が福島から宮城、岩手に入り、被災地の様子やそれを撮影する自分たちにキャメラを向けたドキュメンタリー『311』が公開される。
 事件の後のオウム真理教信者たちに焦点を当てた『A』、『A2』の映画監督森達也と映画プロデューサー安岡卓治、『がんばれ陸上自衛隊@イラク・サマワ』の映像ジャーナリスト綿井健陽、『花と兵隊』の映画監督松林要樹。彼らがメディアとして体験した311を、自身のキャメラでさらけ出す異色作だ。
 関西公開に先立ち、森達也監督が来阪し、賛否両論が飛び交う本作の狙いや、メディアをはじめ、我々が311以降抱えてきた「後ろめたさ」について話を伺った。


 311-1.jpg━━━どうして震災後すぐに、4人で被災地へ行くことになったのか。
震災後二週間経つか経たないかで、綿井さんが電話で「行きませんか。」と声をかけてきました。僕は11日からずっと家に閉じこもってテレビや新聞ばかり見ていて、鬱になりかけていたので、「とても無理だ。」と一旦断ったんです。疑似的にPTSDになっていたので、それだったら疑似を外そうと「やっぱり行きます。」ともう一度連絡して、そこから安岡さんや松林さんが加わっていきました。


━━━最初から映画にするつもりだったのか。
現場に行ってみようとは決めていましたが、その段階で作品にしようと僕は考えていなかったです。4人の共同監督作品になりましたけど、ドキュメンタリーは一人称ですから、そもそも共同監督はありえないです。結果的にはみんなの素材を開封してみて「いいかな。」という感じでした。1ヶ月ぐらいして「つないでみたから見に来い。」と言われて、そのあたりがスタートですね。

 311-2.jpg━━━放射能のある福島へ向かった映像が、怖さやどこかおかしさを出していたが。
大はしゃぎに見えるじゃないですか。実際は怖いからしゃべらずにはおれなかったんです。爆発から2週間も経っていない時で、初めて線量計を見ているので、誰も分かっていない。あれだけ大騒ぎしていたけれど、今から思えばそんなに大した数値じゃないんです。逆に言えば、僕らが今すっかり慣れきってしまっていることが問題ですね。

戦場撮影経験のある綿井さんは「戦場より怖い。」と言っていました。戦場の兵士も怖さが高じてそう状態になるのだそうです。線量計の数値が目に見えて上がりますからね。何の装備もせずに行って、ワークマンで買い物をして、一番のホットスポットにかっぱと風邪のマスクで行ったんですから。
 

 311-3.jpg━━━遺体が置かれた跡のある安置所の映像はなぜ撮ったのか。
空っぽの安置所なんてメディアは誰も撮らないでしょう。避難所でも子どもにインタビューしましたが、あそこに行けば親のいない子どもがたくさんいると聞いたからであり、あの映像はふつうのメディアだったら全部NGです。でも今回はNGを全部使っています。メディアは、どうしてもより被害や悲劇をこうむっている人にカメラを向けてしまうのです。後ろめたさや人の不幸をネタにしているのです。
高円寺のドキュメンタリー映画祭で特別上映したときの質疑応答で、安岡が「『A』と『A2』を一緒に作ったときにメディア批判と言われて、違うポジションに立っているように思われているけれど、我々もメディアの一部なんだ。」と答えたんです。たまたまカメラの位置が違ったらこういう映像が撮れたわけで、メディアの問題点を自分たちでもっと表したいという気持ちが本作にはありました。

━━━大川小学校の前でお子さんを探していたお母さんたちにかけた言葉は、森さんのリアルな言葉なのか。
最初腕章を付けていたのでお母さんたちとは思わなかったのですが、「子どもを探している。」といわれて何と声をかけていいか分からなくなりました。でもカメラを持っているからぼうっとしているわけにはいかない。最後に「不満があれば僕にぶつけてください。」と言ったのは最低ですね。歯の浮くような偽善的な言葉じゃないですか。あれはカットしたかったのですが、自分たちのぶざまさや狡猾さ、計算していることが露わなので、全員一致で残しました。

 311-4.jpg━━━遺体を撮ろうとして、正当性を主張するシーンもあるが。
阪神淡路大震災のときは、取材しようとするとみんな「どつくぞ。」みたいな剣幕でしたが、今回は声をかければちゃんと答えてくれて、みんなびっくりしました。あまりに皆さん礼儀正しくて、逆に困っちゃったなと思っていたので、(遺体の写真を撮るのを阻止するべく)棒を投げられた時は当然だなと思いました。彼らからすれば、謝っているくせに撮るのをやめようとしない自分たちメディアは意味不明ですよね。でも、メディアは引き裂かれながらも踏ん張る存在ですから。


━━━森監督は社会派のイメージがありますが。
「ドキュメンタリーはうそをつく」と、ドキュメンタリー作家は内心みんなそう思っています。多少刺激的な言葉ですが、僕が言いたいのは主観だということです。僕の見方であり、ドキュメンタリーは僕にとっては真実でもあなたにとっては嘘かもしれない。メディアにしても、建前と思いつつやっていればいいが、そうでないと正義になってしまう。メディアで自分を正義と思うのは、僕は最悪だと思っています。

 311-s2.jpg━━━3.11以降の日本をどう思うか。
非当事者が自分が当事者であるかのように錯覚している傾向が非常に大きいです。オウム真理教事件によって被害者感情というものは増大しました。不特定多数が狙われ、遺族の感情を共有しながら、危機も共有化する。人間は危険を察知するとまとまりたくなりますが、群は暴走するリスクも持っていて、日本人はその傾向が強いです。敵を探し、強いリーダーを求めたくなる。震災以降の東京都知事や大阪での選挙結果をみたら分かるでしょう。僕らは被害者になれないことを自覚しなければなりません。後ろめたさからくる群れはとてもリスキーなのです。


  「作品にするなら僕たちの後ろめたさを描ければと常々言っていました。その辺で安岡と僕の理想線みたいな形になりましたね。」と語った森監督。3.11以降当然のように広がった自粛の流れにも警笛を鳴らし、非当事者が当事者のように感情を共有し、一方向にしか向かない今の日本の現状に危機感を募らせていることがインタビューからもヒシヒシ伝わってきた。

 正直な感想を言えば、筆者も本作を見て最初は不快感を覚えていたのだが、これもまた当事者ではない後ろめたさからくるものなのかもしれない。メディアとは何なのか。日頃のメディアでは絶対に映らないNGシーンを入れることで、大災害の爪痕を前に何もできないでいる生身の彼らの姿が浮き彫りになった異色ドキュメンタリー。メディアが必死になって映そうとしている悲劇こそ、当事者ではない者が渇望しているという事実にも気付かされるのだ。 (江口 由美)

(C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治
 

 nini-s1.jpg(2011年 日本 42分)
監督:真利子哲也
出演:宮崎将、山中崇 、ももいろクローバー他
2012年2月25日~シネリーブル梅田、京都みなみ会館、4月神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒http://ninifuni.net/
第64回ロカルノ国際映画祭 Fuori Concorso部門招待作品
第41回ロッテルダム国際映画祭 Spectrum Shorts部門招待作品

(C)ジャンゴフィルム、真利子哲也
 


『イエローキッド』 で鮮烈な長編映画デビューを果たした真利子哲也監督。『EUREKA ユリイカ』の宮崎将や人気アイドル、ももいろクローバーを配した最新作の中編映画『NINIFUNI FULL VOLUME ver.』について作品のイメージが浮かんだきっかけや、キャスティング秘話を語ってくれた。

━━━ももくろクローバーをキャスティングした理由は?
一番はじめの企画段階からアイドルグループのキャスティングを決めていました。人数の多いグループの何人かを軸に作りたいとプロデューサーと話をしていて、既存のアイドルをまず見ようと最初に行ったのがももいろクローバーでした。出てきた瞬間にプロデューサーと顔を見合わせて「この人たちしかいない。」イメージと合致したのがいた!本当に一目惚れというか、そのときに決めました。

踊りも歌も全力でやってしまっている人、はみだしてしまっているグループをここに置きたいと思っていたので、それがももいろクローバーにあり、かつ、色分けされていて分かりやすいという自分の好みともあったんですね。前作の『イエローキッド』も色分けしていましたし。

━━━ももいろクローバーに、演じるにあたって注文したことは?
彼女たちは『シロメ』というフェイクドキュメンタリーの映画で怖い目をさせたんですけれど、映画監督が来たということで、また騙されるんじゃないかといった顔をしていたので、まず最初に言ったのは「騙しじゃないですよ。」元々ももいろクローバーの本人役で出すつもりではなかったんです。あくまで日本一のアイドルグループという設定で脚本は決まっているので、「ももいろクローバーが日本一のアイドルグループだと思っているし、現場でもももいろクローバーらしさを全部出してくれ。」と伝えました。本人たちもすごく寒かったけど、何回もやってくれましたね。

━━━実際の事件が題材だが、監督が一番気になった部分はどこか。
結局最後はああいう結末になるわけですが、記事の扱いも小さかったですし、そこまで思い詰めるほどではない。けれども、本人は思い詰めて最後に至ったというところが何ともいえない感触で、それがまずベースにありました。その記事でなんとなく想像する男の姿があったんです。東京で話を聞いたときには最後の部分に関してはネガティブな考え方だったんですけど、実際その場所に行ってみたら、もしもこの場所に住んでいる人間だったら選択肢であったことだなと思いました。だから、何度もロケ場所に行って作ってきました。

nini-1.jpg━━━監督は、宮崎君のどういう部分に期待したのか。
そんなに大きな事件ではなく、よくある事件で、だから主人公もどこにでもありうるようにして描いていこうというのがはじめからありました。宮崎君が演じるときもその辺は意識したと思います。宮崎君は『ユリイカ』の印象があったのと、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(主人公の兄役)のあの出方の印象がとにかくすごかったので、何をどうやって演じているのか分からないけど、ただならぬものを持ってきてくれるだろうという気はしていました。セリフがない以上、そういうのがいいなと思ったんです。

━━━ もともと主人公にセリフをつけないつもりだったのか。
ちょっと説明的なシーンの並びになったとき、別の方法はしましたが、セリフは脚本のときから一言もなかったです。今回脚本も監督もやったので、イメージの共有がかなりやりやすかったです。そこで構築できたかなと思っています。

━━━セリフがない分、音にこだわっているのか。
自分も東京出身でいわゆる地方に足を運ばないのですが、シナハンに行ったときに、とにかく風景にマックやユニクロはあるけど、特に何もない。本当に通り過ぎられる場所で、国道を車がたまに走ってくるけど、走り去るとまた無音になるというあの感覚がなかなか東京ではなかったので、すごく印象深く残っています。スタッフも東京以外の人が多いので、何でもないと言われるけれど、自分には印象的で音を映画の中で生かしていきたいなと思いました。今回はそういう風景と、主人公の男と、アイドルグループの3点だけはこだわらせてくださいと。逆に言うと、それしかこだわらずやったというか、だいぶシンプルに考えました。

━━━押し寄せる波や、波の音も印象的だったが。
もともとの企画(経済産業省実施の、3人の監督がそれぞれ中編をつくる「moviePAO」)が自由にやっていいというのと、海外の映画祭に出したいと言っていたんです。日本の独自のものをやりたいと話をしていた中に、こういうアイドルグループも当てはまると思いましたし、波自体が西洋だと永遠なるものと言うらしいですが、日本だと桜みたいな刹那的なニュアンスを盛り込めると。本当はラストカットは波だったんです。当初の想定とは違って別のものになりましたが、波というのはすごく重要な要素ですね。

nini-s2.jpg━━━震災が起こったことによって、この作品に関して受け止められ方が想像とは違うと感じることはあるか。
昨年1月末に海辺で撮った映画なので、震災と関連づけて考えられるのは当たり前ですけど、何よりも自分が3月の上映がなくなったときに「これおもしろいのか、おもしろくないんじゃないか。」と思って、6月の上映はすごく怯えながらやりました。結果的に住んでいる人が観に来てくださって、よかったと言ってくださいました。自分はここに住んでいないし、すごく大きい問題で、曲がったように考えてしまうんですけれど、決してこれが禁じられた映画ではなくて、むしろ地元の人は喜んでくれ、やってよかったなと思っています。

━━━311仙台短篇映画祭映画制作プロジェクト作品『明日』の真利子監督作品『スポーツマン』はパンチが効いていたが。
予算の関係で結局取れなくて、パイロット版で昨年夏に撮った作品『エルサント』の一部なんです。震災があって書き直した脚本ですし、成立しなかったのはそのせいでもあるので、とにかく準備してきたものをぶつけてやろうというタイミングで仙台の企画がありました。決して震災ガンバレみたいな映画ではないけれど、自分たちにしたらすごく関連した内容で、負けても負けても立ち上がる。そこは強引かもしれないけれど適しているのかなと思って提出しました。

━━━『NINIFUNI』は監督デビューして10年目となる作品だが、監督自身区切りと感じる点はあるか。
元々作っているときは意識していなかったですが、かなり処女作の『こぞ』に近いですね。それもセリフはないです。撮る前に、短編や中編はこれで最後にしようという気持ちでやったので、結局初心に返ったというか、難しいことを考えながらいろいろやっていましたけれど、原点でまた始められたなと。しかも『こぞ』というのは自分が出ているのですが、『NINIFUNI』は役者が出て、原点に帰れたなという気がしています。  


ロケハンを積み重ね、シンプルにこだわる点を見極めて撮り上げた真利子監督の節目ともなる作品『NINIFUNI FULL VOLUME ver.』。短期間で製作されたそうだが、監督のイメージを具現化するプロセスがくっきり浮かび上がるインタビューとなった。特別上映企画『NINIFUNI FULL VOLUME ver.』公開記念 「真利子哲也監督特集:虚・々・実・々」@シアターセブンでは、インタビューで紹介されたパイロット版『エルサント(仮)』や処女作『こぞ』も上映される。本作と合わせて、真利子ワールドを駆け巡ってほしい。 (江口 由美)

(C)ジャンゴフィルム、真利子哲也

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