「AI」と一致するもの

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2012年東京・オーディトリウム渋谷で開催された濱口竜介初の大規模特集上映「濱口竜介レトロスペクティヴ」が、さらにスケールアップし、今後の活動を見据えた「濱口竜介プロスペクティヴ」として関西に登場した。第七芸術劇場(6/29~12)、神戸映画資料館(6/29~6/8)、京都シネマ(7/13~19)、元・立誠小学校特設シアター(7/8~19)、京都みなみ会館(7/13オールナイト)の京阪神5館という前代未聞の規模で一挙上映されている。

2003.年の『何くわぬ顔』(short version/long version)から、染谷将太、渋川清彦主演の最新作で、『親密さ』以来の劇映画となった『不気味なものの肌に触れる』まで特別上映を交えての全16本を一挙公開。男と女の感情の揺らぎと、一瞬の感情の爆発を見事に捉えた劇映画から、被写体に真正面から向き合い、真摯に対話する中でドキュメンタリーを超えた何かを紡ぎだす濱口流ドキュメンタリー、そして劇中映画だけでも映画を成立させてしまう劇映画の中のリアルの具現化まで、未だ体験したことのないような衝撃を味わえる濱口竜介という映像作家にぜひ出会ってほしい。

濱口竜介プロスペクティヴ in Kansai 公式サイト http://prospective.fictive.jp/

【濱口竜介プロフィール】

hamaguchi_naminooto.jpg1978年、神奈川県生。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制『PASSION』がサン・セバスチャン国際映画祭や東京フィルメックスに出品され高い評価を得る。その後も日韓共同製作『THE DEPTHS』(2010)、東日本大震災の被災者へのインタビューから成る映画『なみのおと』『なみのこえ』、東北地方の民話の記録『うたうひと』(2011~2013/共同監督:酒井耕)、4時間を越える長編『親密さ』(2012)を監督。精力的に新作を発表し続けている。

 

 


【各劇場からのメッセージ】

hamaguchi_shinmitsusa-shotver.tif第七藝術劇場/松村厚
  映画『親密さ(short version)』で、ジャック・リベットの映画『彼女たちの舞台』やジョン・カサヴェテスの映画『オープニング・ナイト』を想起させ、映画『はじまり』という13分の短編で、相米慎二監督の長廻し撮影を想起させてくれた濱口竜介監督は、私にとって映画を観るという行為の中で<驚き>という体験をさせてくれる映画監督である。
映画誕生のリュミエールの『列車の到着』がグランカフェの観客を驚かせたように映画は原初からアメージングな体験であったのだ。濱口竜介の作品が、様々な優れた映画作家たちの影響を受けているのが明らかであろうともそれらの作品は紛れもなく濱口竜介でしか撮りえない作品であると確信している。濱口竜介が劇映画からドキュメンタリー映画までの違ったジャンルをその撮影の拠点を東京、東北と軽々とした身のこなしで移して来たように易々と<驚き>と共に乗り越えてしまう。そんな彼が今度は神戸にその拠点を移して映画的策謀を張り巡らそうとしているのだ。そのことを私たちは歓迎し、祝福するために『濱口竜介プロスぺクティブin KANSAI』を大阪、神戸、京都の5館で開催することは映画的な正しい所作だと思う。
このあまりにも映画的な快挙に私たちは喝采し、映画的な発見に身を委ねてみようではないか。

 

hamaguchi_PASSION1.tif神戸映画資料館 田中範子
  神戸映画資料館では2009年に『PASSION』を上映しましたが、その時から、この濱口竜介という監督は、すぐに次のステージに上がり日本映画界の中核として活躍されることを確信しました。的確な映画術によって生み出されるエモーション。255分もの『親密さ』を撮ったり、東北でドキュメンタリーを連作したりと、ミニシアター向け──大多数の支持は得られないが、一部の人には愛される──の映画作家と思われても無理はありませんが、そこに止まらない力の持ち主です。
神戸映画資料館は、新旧、商業非商業の区別なく上映活動を行い、“小さな”映画を大事にしています。“大きい”“小さい”に優劣は無いという立場ですが、それでも、濱口監督の作品はもっと注目され広く見られるべきだと考えています。このような映画作家はほかに思い当たりません。将来像を含めてイメージするのは大島渚監督。彼もまた、独立プロダクションを立ち上げたり、国際的な資本で撮ったりと、模索し続けた監督でした濱口監督も黙々と作品を作り続け、それを可能にする道を神戸で切り開こうとしています。
濱口竜介監督の「これから」の「はじまり」としての大特集上映にご注目いただきたいと思います。

 

hamaguchi_utauhito.tif元・立誠小学校特設シアター 田中誠一
「フィクション映画」で奇跡的な偶然=必然の瞬間を立ち上がらせ、「ドキュメンタリー映画」で劇的なエモーションを浮上させる。映画が持つ(とされている)枠組を融解させ、映画それ自体の新しい可能性を見せてくれる。しかしそれは、まったく新しいようでいて、実は映画それ自体が本来持つおもしろさなのだと、観た後に気づく。濱口竜介が現在の日本で最も優れた映画作家の一人であり、今後遠くない未来に世界の巨匠たりうる映画作家であることを私が確信しているのは、そうした理由からだ。
濱口竜介が今、必要としているのはただひとつ。彼の作品が少しでも多くの観客に観られること。観られさえすれば、この新しさと面白さに、誰もが気づくはずだ。
映画作家として充実の時期に差し掛かっているこの時期に、彼が関西に住み、活動を開始するということを、我々はこのうえない喜びと期待で受け止め、関西の観客に、濱口作品の新しさと面白さを伝えたいと強く思う。
濱口監督は現実に出会うと、ひょうひょうとした風貌に福々しい笑顔をみせる。むこう数年、我々は関西で、その笑顔の奥にある映画の未来に日常的に出会うことができるのだ。 今回の「濱口竜介プロスペクティブ」関西5館同時開催は、その喜びと期待の実現である。 みなさんもぜひ、そこに立ち会い、共有してください。切にそう願っています。

 

京都みなみ会館 吉田由利香
濱口竜介監督の作品を観終わった後、観客は何を思うだろうか。否、「誰」を思うだろうか。彼の作品には、ふっと大切な人の顔を思い起こさせる爽やかな力がある。映画の登場人物の中に、自分を発見し、自分にとっての重要な他者を発見する。語られている事は、ある意味ありふれた出来事で、役者の話す台詞の中に自分を、行動の中に他者を発見できたりする。我々は、はたっと自身を振り返る。
『親密さ』は、ここ最近観た作品の中でも、群を抜いて私の心の中に突き刺さった作品である。4時間を越えるこの大作を、当館で上映出来る事がとても嬉しい。観客が、どのような顔で劇場を後にしてくれるか、今からとても楽しみである。
京阪神、どこでもいい。是非、濱口竜介の世界に劇場で出会ってほしい。この貴重な機会の目撃者となって欲しい。そして、劇場からの帰り道、大切な人の事をそっと思い出して、すこし、やさしい気持ちになってくれたらいい。

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FFF2013-pos.jpgフランス映画祭 2013~今年の団長はナタリー・バイ!【6/21~】
Festival du Film Français au Japon 2013

~有楽町で、フレンチシネマに恋する4日間~

1993年から毎年新しいフランス映画を日本に紹介してきたフランス映画祭が今年で21回目を迎える。東京は今年も有楽町マリオンをメイン会場に開催されるほか、久々関西でも開催が決定。例年以上にフランス映画が脚光を浴びること間違いない。

FFF2013-NB.jpg毎年フランス映画祭の顔となる団長だが、今年はフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールなどの巨匠たちに愛された女優 ナタリー・バイに決定!グザヴィエ・ドラン監督作品『わたしはロランス』のティーチインに参加する予定だ。オープニング作品にはフランソワ・オゾン監督の最新作『In the House (英題)』が登場。『アメリ』から10年、オドレイ・トトゥがひとりの女性のダークサイドを熱演する『テレーズ・デスケルウ』や、世界の巨匠ラウル・ルイス監督最後のプロジェクト『ウェリントン将軍~ナポレオンを倒した男~ (仮)』他見応えのあるラインナップだ。来日ゲストもフランソワ・オゾン監督やリュディヴィーヌ・サニエなどフランスを代表する映画人が勢揃いする。ぜひ6月の東京でフランス気分を味わってほしい。


≪ 東京会場 ≫
■ 会 期
:2013年 6月21日(金)~ 24日(月)
■ 会 場 (有楽町マリオン内)
:有楽町朝日ホール
TOHOシネマズ 日劇 (レイトショーのみ)
■来日ゲスト (予定)
ジャン=フランソワ・シヴァディエ 、フランソワ・オゾン、エルンスト・ウンハウワー、
ステファヌ・ブリゼ、エレーヌ・ヴァンサン、レジス・ロワンサル、デボラ・フランソワ、
ギヨーム・ブラック、カトリーヌ・コルシニ、バレリア・サルミエント、ジャン=クリストフ・デッサン、ジャック・ドワイヨン、ルー・ドワイヨン、リュディヴィーヌ・サニエ (順不同)
■上映作品
 【オープニング作品】『In the House (英題)』Dans la maison(原題)
 FFF2013-1.jpg2012年 サン・セバスチャン国際映画祭 最優秀作品賞&最優秀脚本賞 受賞
2012年 トロント国際映画祭 国際映画批評家連盟賞 受賞
個人授業は、いつしか息詰まる心理戦に変わる――。
フランソワ・オゾン監督史上最高傑作、ついに日本解禁。
監督:フランソワ・オゾン
出演:ファブリス・ルキーニ、クリスティン・スコット・トーマス、エマニュエル・セニエ、ドゥニ・メノーシェ、エルンスト・ウンハウワー、バスティアン・ウゲット
2012年/フランス/105分/ビスタ/5.1ch 配給:キノフィルムズ
2013年秋、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ他 全国順次公開

『わたしはロランス』Laurence Anyways(原題)
2012年 カンヌ国際映画祭 ある視点部門正式出品作品 最優秀女優賞 受賞
2012年 トロント国際映画祭 最優秀カナダ映画賞 受賞
彼は、女になりたかった。彼は、彼女を愛したかった。
弱冠23歳のグザヴィエ・ドラン監督が描く“スペシャル”な、愛の物語。
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:メルヴィル・プポー、スザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ
2012年/カナダ=フランス/168分/スタンダード/5.1ch 配給:アップリンク
2013年秋、新宿シネマカリテ他 全国順次公開

『Populaire (原題)』
2013年 セザール賞 5部門ノミネート
“ローズの夢は、パリ、ニューヨーク、そして世界をつかむことー。”
50年代フランスを舞台に、タイプライター世界大会に全てをかけるヒロインを描く、
カラフルなサクセス・エンターテインメント!
監督:レジス・ロワンサル
出演:ロマン・デュリス、デボラ・フランソワ、ベレニス・ベジョ
2012年/フランス/111分/シネマスコープ/5.1ch 配給:ギャガ
2013年8月、ヒューマントラストシネマ有楽町他 全国順次公開

『母の身終い』Quelques heures de printemps(原題)
2013年 セザール賞 4部門(主演男優賞・主演女優賞・監督賞・脚本賞)ノミネート
不治の病に自分の最後の日を決めようとする母親と出所したばかりの一人息子。
永遠の別れに直面した母と息子の絆を静かな眼差しで描いた感動ドラマ。
監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:ヴァンサン・ランドン、エレーヌ・ヴァンサン、エマニュエル・セニエ
2012年/フランス/108分/ビスタ/ドルビーデジタル 配給:ドマ/ミモザフィルムズ
2013年晩秋、シネスイッチ銀座他 全国順次公開

『黒いスーツを着た男』Trois mondes(原題)
2012年 カンヌ国際映画祭 ある視点部門 正式出品作品
本年度 パトリック・ドベール賞受賞、新星ラファエル・ペルソナーズ主演作日本初上陸。
犯すつもりのなかった罪を背負った美しき犯罪者と二人の女の運命を描く本格派サスペンス。
監督:カトリーヌ・コルシニ
出演:ラファエル・ペルソナーズ、クロチルド・エスム、アルタ・ドブロシ、レダ・カテブ
2012年/フランス=モルドヴァ/101分/スコープ/5.1ch 配給:セテラ・インターナショナル
2013年8月31日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷他 全国順次公開

『椿姫ができるまで』Traviata et nous(原題)
2012年 ニューヨーク映画祭 公式招待作品
名作は舞台の度に生まれ変わる。
世界最高峰のオペラ歌手ナタリー・デセイの創り上げる「椿姫」の世界
監督:フィリップ・ベジア
出演:ナタリー・デセイ、ジャン=フランソワ・シヴァディエ、ルイ・ラングレ
2012年/フランス/112分/ビスタ/ドルビーデジタル 配給:熱帯美術館
2013年秋、シアター・イメージフォーラム他 全国順次公開

『遭難者 (仮)』Le Naufragé(原題) /『女っ気なし (仮)』Un monde sans femmes(原題)
『女っ気なし』(仮)
2011年 フランス批評家組合 最優秀短篇賞 受賞
2012年 AlloCinéスタッフ部門 年間ランキング第1位
シルヴァンを巡る2つの物語。
フランスで注目される若手、ギヨーム・ブラック監督のデビュー作。
『女っ気なし』(仮): © Année Zéro - Nonon Films - Emmanuelle Michaka
フランスでロングランとなり、エリック・ロメールやジャック・ロジエを引き合いに出され高い評価を得た、新人ギヨーム・ブラック監督初の劇場公開作。
『遭難者』(仮)出演:ジュリアン・リュカ、アデライード・ルルー、ヴァンサン・マケーニュ/2009年
『女っ気なし』(仮)出演:ヴァンサン・マケーニュ、ロール・カラミー、コンスタンス・ルソー/2011年
フランス/83分/ビスタ/5.1ch 配給:エタンチェ
2013年秋、ユーロスペース他 公開予定

『アナタの子供』Un enfant de toi(原題)
2012年 ローマ国際映画祭コンペティション部門 正式出品作品
情熱は戦争よ、でもいつも闘っているわけじゃないわ。
ジャック・ドワイヨン監督が愛娘ルーと共に作り上げた愛すべきラブコメディ。
監督:ジャック・ドワイヨン
出演:ルー・ドワイヨン、サミュエル・ベンシェトリ、マリック・ジディ、オルガ・ミシュタン
2012年/フランス/136分/ビスタ/ドルビーDTS

『ウェリントン将軍~ナポレオンを倒した男~ (仮)』Linhas de Wellington(原題)
2012年 ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門 正式出品作品
世界の巨匠ラウル・ルイス監督最後のプロジェクト。
超豪華キャストで贈る美しき“戦争絵巻”。
監督:バレリア・サルミエント
出演:ジョン・マルコヴィッチ、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ、ミシェル・ピコリ、イザベル・ユペール、キアラ・マストロヤンニ、メルヴィル・プポー
2012年/フランス=ポルトガル/152分/16:9/ステレオ 配給:アルシネテラン
2014年、シネスイッチ銀座ほか 全国順次公開

『恋のときめき乱気流』Amour & turbulences(原題)
忘れたい男と偶然、飛行機で隣り合わせになってしまったら!?
等身大のフランス女性を演じるリュディヴィーヌ・サニエと、本作や『プレイヤー』の脚本も手がける俳優ニコラ・ブドスの2人が繰りひろげる、ロマンチックなラブコメディ。
監督:アレクサンドル・カスタネッティ
出演:リュディヴィーヌ・サニエ、ニコラ・ブドス、ジョナタン・コーエン、アルノー・デュクレ
2012年/フランス/96分/スコープ/ドルビーデジタル

『テレーズ・デスケルウ』Thérèse Desqueyroux(原題)
2012年 カンヌ国際映画祭 クロージング作品
自由を模索する女の運命―
『アメリ』から10年、オドレイ・トトゥがひとりの女性のダークサイドを熱演。
監督:クロード・ミレール
出演:オドレイ・トトゥ、ジル・ルルーシュ、アナイス・ドゥムスティエ
2011年/フランス/110分/シネマスコープ/ドルビーステレオ

『森に生きる少年 ~カラスの日~』Le Jour des Corneilles(原題)
森の奥深く、父との孤独な暮らし。
そこから飛び出し、初めて触れる街の生活で、少年が探し求め、
監督:ジャン=クリストフ・デッサン 原作:ジャン=フランソワ・ボーシュマン
声の出演:ジャン・レノ、ローラン・ドゥーチェ、イザベル・カレ、クロード・シャブロル、シャンタル・ヌーヴィルト
2012年/フランス/90分/シネマスコープ

【クラシック作品】『ローラ Lola(原題)』
2012年 ボローニャ復元映画祭 上映(デジタル修復完全版)
 


主催:ユニフランス・フィルムズ
運営;ユニフランス・フィルムズ、東京フィルメックス
一般お問い合わせ ハローダイヤル:050-5541-8600 (8:00~22:00)
公式サイト http://unifrance.jp/festival/2013/

saigono-550.jpg『最後のマイ・ウェイ』

impossible-550.jpg『インポッシブル』

GGB-550.jpg『華麗なるギャッツビー』

『イタリア映画祭2013』座談会

zadankai-550.jpg左から、岡本太郎(司会)、①カルロッタ・クリスティアーニ(編集)、②ジュゼッペ・バッティストン(俳優)、③ジュゼッペ・ピッチョーニ監督、④エドアルド・ガッブリエッリーニ監督、⑤イヴァーノ・デ・マッテオ監督、⑥ダニエーレ・チプリ監督)

・日時:4月29日(月・祝)15:15~16:45
・会場:有楽町朝日ホール(千代田区有楽町2-5-1 マリオン11階)

★開会式と作品紹介は⇒ こちら

★『赤鉛筆、青鉛筆』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督トークは⇒ こちら

★『それは息子だった』ダニエーレ・チプリ監督トークは⇒ こちら

 

 今年も個性豊かなクリエイターが揃っての座談会が開催された。それぞれの作品の見どころと共に、「テーマがはっきりとして分かりやすい」、「音楽の使い方が絶妙」、「人物描写が味わい深い」というイタリア映画の特徴も見えてくる。それはオペラのような劇的表現に似たものを感じさせて興味深い。『イタリア映画祭2013』は、そんなイタリア映画の魅力を再発見する貴重な機会となった。


【ゲスト紹介】

zadankai-1.jpg①『日常のはざま』『司令官とコウノトリ』編集:カルロッタ・クリスティアーニ
『日常のはざま』の監督:レオナルド・ディ・コンスタンツォの代わりに来日。本作は監督にとって初の劇映画になり、今まで活動してきたドキュメンタリーの経験が色濃く反映されている。映画の舞台となるナポリの子どもとワークショップを重ねたことで、思春期特有の心の揺れを捉えることに成功している。
 

zadankai-2.jpg②『司令官とコウノトリ』出演:ジュゼッぺ・バッティストン Giuseppe Battiston
一度見たら忘れられない大柄な体で、ありとあらゆる役を難なくこなすイタリア映画界きっての名脇役。本映画祭で上映された『ラ・パッショーネ』『考えてもムダさ』などで、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の助演男優賞を3回受賞している。

 

 

zadankai-3.jpg③『赤鉛筆、青鉛筆』監督:ジュゼッペ・ピッチョーニ Giuseppe Piccioni
(大阪では、5/12(日)11:00~上映)

登場人物の心の動きを細やかに描く演出に長けている、本映画祭の常連監督の一人。今年の6月には、マルゲリータ・ブイとシルヴィオ・オルランドが主演で、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の5冠に輝いた名作『もうひとつの世界』が公開される。

 

 

zadankai-4.jpg④『家の主たち』監督:エドアルド・ガッブリエッリーニ Edoardo Gabbriellini
『ミラノ、愛に生きる』でティルダ・スウィントンと恋仲になるシェフ役をはじめ、俳優としてのキャリアが長い。本作は、カンヌ映画祭の批評家週間に選ばれた初監督作から約10年ぶりとなる第2作で、豪華キャストが息の合った演技を見せる。

 

 

zadankai-5.jpg⑤『綱渡り』監督:イヴァーノ・デ・マッテオ Ivano De Matteo
俳優やドキュメンタリーの監督を務める一方で、劇映画でも前作「La belle gente」が高い評価を受け、着実にステップを踏んできた。現代のイタリア社会の深刻さを真っ向から見すえた本作は、ヴェネチア国際映画祭で称賛された。

 

 

 

zadankai-6.jpg⑥『それは息子だった』監督:ダニエ―レ・チプリ
 
Daniele Ciprì
(大阪では、5/12(日)13:40~上映)

2004年に本映画祭でも上映された『カリオストロの帰還』以降は、主に撮影監督として活躍し、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』でイタリアの主要な賞を総なめにする。本作で、満を持して長編劇映画に久々に復帰した。

 

 

 


 

――― ロケ地や時代について?

⑥ダニエーレ・チプリ監督:『それは息子だった』、ロベルト・アライモの原作を映画化したいという企画がきた時、実際に起こった事件なのでリアルにせずにコメディっぽく描こうと思った。1970年代~80年代のシチリアのパレルモが舞台だが、リアリズムを追求した訳ではないので、パレルモ以外で撮影。裁判記録を読んでいると、実はこの家族はいろんなことを引き起こしており、2部にもつながるような話がある。歴史と事件との関係上、主役にはトニ・セルヴィッロのような大胆な演技のできる俳優を起用した。それに合わせて他の俳優たちも4週間かけてキャスティングし、グロテスクなストーリーだがドラマチックなコメディに仕上がったのは、こうした素晴らしい俳優たちに負うところが大きいと思っている。

⑤イヴァーノ・デ・マッテオ:『綱渡り』はローマが舞台だが、どこの街か分からないような感じにしたかった。撮影監督が上手く撮ってくれたと思う。イタリアが抱えている問題は欧州全般に通じる問題となっていて、政治家たちに、命がけで綱渡りのような生活を送っている人々のために、より安全な救いのネットを作ってほしいと訴えたかった。私は実は柔道をやっていて、畳にも馴染深いし、日本語で数も数えられる。今回日本に来られて本当に嬉しい。これで「技あり1本!」が獲れたかなと思う(笑)。

④エドアルド・ガッブリエッリーニ:『家の主たち』は久しぶりの監督作です。『見渡す限り人生』や『ミラノ、愛に生きる』などでは俳優をやっていた。リボルノ出身だが、そこでロケしなかったのは、ミステリーやサスペンスに合ってなかったから。デヴィッド・リンチの『ツインピークス』を見ていて、モミの木が沢山ある所で撮りたかった。トスカーナ州とエミリア・ロマーニャ州との境にある小さな村でロケ。そこは別荘地でもあり、いかにも何かが起こりそうな予感がする場所。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:来日回数を覚えていない位沢山来日している。実は、ずっと日本にいて動いていないんですよ。日本の小部屋に隠れていて、映画祭がある時にだけ出てきているんです(笑)。『赤鉛筆、青鉛筆』はローマの学校、いろんな問題はあるが、過ごしてきた懐かしい学校を描きたかった。様々な問題が取り巻く状況の中で、教える者と教えられる者との関係、特に教師の立場で教えるという人生の意味を語っている。
――― 高校を描いた作品では現在公開中の『ブルーノのしあわせガイド』があるが、日本の学園ものとは随分見方が違うなと思った。イタリアの方が「学ぶ」ということを信じていて羨ましいと感じた。

②ジュゼッぺ・バッティストン:今回の役は複雑で楽しい役だった。イタリアを創ってきた偉人たちの銅像と私が演じたアマンツィオは、腐敗や堕落が蔓延する政治界へ宣戦布告するという役割を担っている。この役は実際には私より年上で、いろんな言語を網羅するかなり変わった人物。日本の観客の感想を聴きたい。

観客:イタリアの映画は、政治や社会問題に果敢に挑戦しようとする力がある。日本の映画にはそんな力も傾向もなくて残念に思った。

②ジュゼッぺ・バッティストン:作品はコメディだが、現実はそうはいかない状況。それも笑うしかないって感じかな(笑)。

①カルロッタ・クリスティアーニ:『日常のはざま』と『司令官とコウノトリ』の2作品の編集をした。『司令官とコウノトリ』はミラノでロケしている。小さい家にしか住めない家族の状況や、バルセロナへ行きたがる若者の傾向などをよく捉えていた。『日常のはざま』はナポリで撮っているが、街は殆ど映っていない。唯一屋根の上のシーンで、街の音が吹き込まれていた。若者が抱える困難な状況を表現していた。
――― 重くのしかかる社会から一日だけ解放されたようだった。イタリアはいろんな意味でロケには有利なお国柄で、多くの作家たちがどんな世界を描くかがはっきりしている。それがイタリア映画の力だと思う。

 

――― 登場人物の中で注目してほしい人は?

⑥ダニエーレ・チプリ監督:『それは息子だった』、郵便局で語っている男(ブス)。アルフレード・カストロというチリでは劇作家をしている俳優で、いわば私の分身のような語り部の役割。それから、主人公を演じたトニ・セルヴィッロは、『ゴモラ』『イル・ディーヴォ』『至宝』などにも出演している名優で、彼はパレルモの人々の体の動かし方や喋り方や考え方などを緻密に表現していた。なんせ、パレルモの人々は自分こそ宇宙の中心と考えている人が多いので(笑)。

⑤イヴァーノ・デ・マッテオ:『綱渡り』、主人公を演じたヴァレリア・マスタンドレアとは2回目のコラボ。彼が演じる父親像は、現実にこうした経験をしている人々を反映していた。ジュリオという名前は、亡くなった私の友人の名前から付けた。ジュリオの心理状況は、綱渡りの人生を送っている私自身。理想的な演技をしてくれて、大変満足している。娘役のロザベル・ラウレンティ・セラーズは、この役に血肉を与えてくれた。息子役のルーポ・デ・マッテオは、私の実の息子です。自分がもしこのような状況に陥ったら、探しに来てほしいという願いを込めて作った(笑)。

④エドアルド・ガッブリエッリーニ:『家の主たち』ではとても豪華なキャスト陣で、作っている途中からどんな作品に仕上がるかとても楽しみだった。中でも、兄役のヴァレリア・マスタンドレアは素晴らしい役者。ジャンニ・モランディという歌手は、イタリアでは有名な歌手で、十数年も歌ってなかったのを、この映画のために歌ってくれた。〈永遠の好青年〉というイメージの彼に、残酷な役をやらせるのが心配だった。でも、彼は楽しんで積極的に演じてくれた。ベテランから若い素人の役者まで、監督するのがとても楽しかった。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:いろんなキャリアの役者を起用した。中でも、年老いた先生を演じたロベルト・エルリツカは演劇界の重鎮で、教育現場に幻滅を感じているが希望を見出していく人物像を巧みに演じてくれた。演出することの最たるものが俳優たちとの仕事。ロベルトは少し年寄り過ぎるが、伝説的な尊厳のある教師が文化や教育に対して幻滅するという役を、予想以上に味わい深く演じてくれた。

――― バッティストンさんはいろんな役を演じてきたが、その役作りは?
②ジュゼッぺ・バッティストン:基本は、本当の自分とは違う人物を創り上げることが役者の本質。イタリアの現状ではそのようなアプローチがされていなくて、同じようなイメージのままいくことが多い。イタリアでは演劇界も活発で、役者としての仕事はある。先程話題になったロベルト・エルリツカ氏は演劇界の第一人者。

――― 人物にポイントをおいて編集することはあるのか?
①カルロッタ・クリスティアーニ:『日常のはざま』では、素人の俳優とプロの俳優の場面の編集の仕方は全く違った。プロの俳優だと使える場面の選択範囲が広く、編集するのも楽しい。主役二人は素人なので、何回もワークショップを重ねて撮っている。
――― 『日常のはざま』のレオナルド・ディ・コスタンツォ監督とは、ドキュメンタリー作品でも一緒に仕事をしているが、編集の仕方に違いはあるのか?
①カルロッタ・クリスティアーニ:1本だけコラボ。編集の仕方は違う。
――― 編集者は女性が多いが、男性監督が好きに撮って、女性編集者がきちっとまとめてくれる?
①カルロッタ・クリスティアーニ:現在は5:5の割合。編集は昔から室内での仕事なので、女性が多いかも。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:編集者の役割は大きい。作品のリズムやセリフを活かすのは編集次第。マルゲリータ・ブイが「美しいものとは?」という質問に、「撮影、編集、他のスタッフの素晴らしい仕事が完成して、初めて美しいものができる」と答えていた。

①カルロッタ・クリスティアーニ:スタッフは別に隠れている訳ではないが、なるべく作品のクォリティを引き上げようと常に努力している。それが映画製作の基本だから。

(河田 真喜子)

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~台湾原住民族の魂とその生き様を体感、衝撃の4時間半!~

『セデック・バレ 第一部太陽旗』“Warriors of the Rainbow I : Sun Flag”
『セデック・バレ 第二部虹の橋』“Warriors of the Rainbow II : Rainbow Bridge”
(2011年 台湾 4時間36分<第一部2時間24分/第二部2時間12分>)
監督・脚本・編集:ウェイ・ダーション
製作:ジョン・ウー、テレンス・チャン、ホァン・ジーミン
出演:リン・チンタイ、ダーチン、安藤政信、ビビアン・スー、木村祐一他
2013年4月20日(土)~渋谷ユーロスペース、吉祥寺バウスシアター、4月27日(土)~シネ・ヌーヴォ、5月11日(土)~第七藝術劇場、5月18日(土)~元町映画館、他全国順次公開

※4月20日(土)、21日(日)渋谷ユーロスペースにてウェイ・ダーション監督舞台挨拶あり
※4月27日(土)から2週間、シネ・ヌーヴォにて『海角七号 君想う、国境の南』緊急アンコール上映あり

公式サイト⇒ http://www.u-picc.com/seediqbale/
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 昨年の第7回大阪アジアン映画祭(以下OAFF)で、上映後、満席の会場が感動の大きな拍手に包まれてから早1年。見事昨年の観客賞を受賞し、今年の第8回OAFFプレイベントにて凱旋上映を果たした『セデック・バレ』がいよいよ全国で劇場公開される。日本統治下における台湾最大の抗日暴動事件「霧社(むしゃ)事件」をダイナミックに描く歴史大作は、「台湾のアバター」との異名をとるぐらい躍動感に溢れている。一方、台湾原住民族独自の文化や死生観、さらには原住民族の中の部落対立や日本人との交流など、様々な人間の内面を丹念に表現。残酷な歴史に翻弄され、必死で生き抜いた人々の想いが、衝撃とともに押し寄せる。4時間半があっという間に感じる、正に必見作だ。

 ウェイ・ダーション監督は、日本で本作を上映するにあたり、ベネチアをはじめとする国際映画祭で上映された2時間半の海外版ではなく、台湾公開時と同じく二部構成の完全版で上映することを切望した。昨年のOAFF(日本初公開)、そして今年の劇場公開でその念願がまさに叶ったと言える。OAFF2013プレイベントの舞台挨拶で、ダーション監督は完全版公開にこだわる理由をこう語っている。

「完成版を上映するのは日本と台湾のみです。日本と台湾の2カ国で起きた事件を題材に、衝突から恨みを和解に導く物語なので、なんとしても完全版で上映したかったのです」

 舞台挨拶前のインタビューでも、「和解」について語る姿が印象的だったウェイ・ダーション監督。その内容をストーリーと共にご紹介したい。


<ストーリー>
sedec-bare-1-240.jpg『セデック・バレ 第一部太陽旗』
1895年から日本の台湾統治がはじまり、台湾中部の山岳地帯の原住民族のセデック族やタイヤル族たちは狩猟をはじめとする独自の文化や習慣を禁じられ、過酷な労働や服従を強いられていた。日本人社会で職を得、家族を作る先住民族も現れる中、1930年、日本人警官との間に起こった事件がきっかけとなり、セデック族の長、モーナ・ルダオは日本側への蜂起を計画する。運動会開催中の小学校や警察派出所へ奇襲攻撃をかけ、民族の誇りを取り戻す壮絶な闘いが始まるのだった。

sedec-bare-2-240.jpg『セデック・バレ 第二部虹の橋』
多くの日本人が殺害された霧社事件の惨状を知った日本軍は、直ちに報復を開始するが、山中での闘い方を心得たセデック族らを前に苦戦を強いられる。日本軍は毒ガスによる鎮圧を行う一方で、モーナ・ルダオらと対立する先住民族を動員。報奨金を出して部族の分裂を画策する。一方、日本軍との戦いが長引く中、セデック族の家族たちは戦士たちのために、自決を決意し散っていく。「セデック・バレ“真の人”」になるための闘いに、決着の時が近づいていた。


<ウェイ・ダーション監督インタビュー>
 ━━━━昨年OAFFでの日本初上映時の舞台挨拶では、「日本の観客に受け入れられるか不安」とおっしゃっていましたが、劇場公開が決まった今のお気持ちは?
この映画を作ろうとしたときから日本で上映しようと思っていました。撮り始めた時は、たぶん大丈夫だろうと思っていましたが、撮り終わった後、周りから「日本での上映は難しいのではないか」と言われもしました。正直不安はありましたが、昨年OAFFでの観客の反応を見て安心したのです。

seediq-s1.jpg━━━━監督は、霧社事件のことをいつ、どのような形で知ったのですか?
子どもの頃から知っています。教科書の中にも書かれていますが、詳細なことは分からず「霧社事件、モナ・ルダオ」という言葉だけでした。霧社事件のことをもっと詳しく知ろうと思ったのは、霧社事件のことを描いたマンガを読んだのがきっかけです。

━━━━霧社事件のことを詳しく知る中で、どんな想いを膨らませていったのですか?
衝撃を覚えたり、激しい抵抗に対して血が沸き上がるような想いもありましたが、細かい部分を知るにつれ、単なるヒーロー物語では済ませられないと思いました。事件を境にして10年前や10年後のことを加味して考え、事件の背景や本質、政治や経済問題、社会制度的な問題も調べました。また、事件から生き残った子孫たちを訪ねてインタビューを行い、一つの角度でこの物語を捉えることができないと気付いたのです。

━━━脚本を書くにあたってインタビューされたとのことですが、原住民同士が殺しあうシーンもある中、リサーチで難しかった点は?
事件のことを言いたがらない人もいました。原因のことも映画で色々語られていますが、どうしようもない時代的な背景がありました。ただ実際の歴史はもっと悲惨で、兄弟同士が戦う状況もありました。兄弟同士で殺しあって勇敢さを示し、死んだ後一緒に虹の橋を渡るという考え方で自分たちを麻痺させるしかないのです。

昔の事件を見たときに、その当時の人々たちの考え方や気持ちにたって物事を見ることが大事です。(原住民族たちは)教育を受けておらず、世界がどれぐらい大きいか分からない。その部落にしか通じない信仰を持ち、その部落こそが世界と思っている人が、このような衝突にぶつかったらどうしますか?この前提は非常に大事です。もし世界が(もっと大きいと)分かっていれば、物事が起きたときに自分で考えられましたし、解決できたと思います。

seediq-s3.jpg━━━━脚本を書くに当たって、念頭に置いたことや、膨らませて描いた部分は?
全体的に事実を描いており、一部の事件もほんの少し大きく描いたに過ぎません。人物描写も当時のその人物の立場や考え方から描いていますから、彼らが下した決断に至るまでの心の動きは事実に近いのではないでしょうか。戦争や策略についても、当時彼らが実際に行っていたやり方と同じです。物語を分かりやすくするため、事件発生の順序を変えたり、一人の子どもに当時の全ての子どもの立場を投影したりしています。

━━━山中での撮影で、俳優たちも裸足で駆け回りながら、驚くべき身体能力を披露していました。本作の撮影で一番大変だったことは?
機材をかつぎながら、普通なら走れないようなところも走って撮るので、我ながら大変でした。本作が初現場となる素人の俳優たちは、映画は全てこのように撮るものだと思っていたようです。私も、彼らにずっと「映画はこういう風に撮るものだ」と言ってきたので、映画を撮り終わり、抱き合って泣きながら「本当はこんな風には撮らないよ」と白状しました。

━━━今回のキャスティングは目の力が鍵になっていますが、主演のリン・チンタイ氏とはどうやって出会ったのですか?
一番最初にキャスティングした俳優です。モーナ・ルダオのような人物は現れないだろうから、通常の映画スターを見つけて撮るしかないと思っていました。たまたま台湾の東部にいる友達を訪ねていったとき、リン・チンタイさんの部落に若い人がいるので、案内してもらうことになったのです。彼は牧師なので、自分の部落のことはよく知っていますから。でも、彼の顔を見て「モーナ・ルダオだ」と直感しました。ただ背だけが本当のモーナ・ルダオより5cm以上低かったので、なるべく彼の背が高く見えるように撮りました。 

━━━以前のインタビューで「根源を探って、和解をさせたい」という話を何度もされていますね。 
大きな事件の中には、正しいこともあれば誤りもあります。何かを犠牲にしたときに、本来あるべき原点に戻ることで、初めて和解の糸口が見つかります。そこで、歴史の恨みを解決しなくてはなりません。事件が起きたとき当事者たちは事件を受け入れることはできませんが、少なくとも理解することはできるはずです。

━━━原住民族にとってのモーナ・ルダオは神のような存在で、だからこそ死ぬ姿を見せずに消えたのでしょうか?
原住民族の間では2つの見方があります。1つは、道理の通じない人。もう1つは、お金も地位や覇気もあり、他の部落に対しては厳しく対処するが、自分の部落の人には優しい人。そして最も重要なのは、モーナ・ルダオがこの事件を引き起こしたという事実です。彼が英雄なのかチンピラなのかは、判断が難しいでしょう。歴史上の人物を見たとき、人格に欠点のある人は英雄になりやすいですね。

━━━原住民族たちが、木から首を吊って自決するシーンがありますが、彼らの“死”に対する考え方をどう思いますか?
原住民族の神話の中に、「木から生まれ、死んだあと木に戻る」という話があります。先祖に最も近い場所で死ぬことで、もっと早く“虹の橋”を渡れると考えられているようです。信仰は彼らにとって生活の全てで、「人は死んだあと“虹の橋”を渡って、“虹の橋”の向こうには美しい場所がある」と信じています。死は恐れますが、死後のことは恐れていません。「死ぬ」というのは彼らが行くべきところに行くということです。我々が死を恐れるのは、死後どこに行くか分からないからで、種族によって死にたいする捉え方が違います。死後どこに行くかわかったときに、死に対する勇気が沸いてくるのではないでしょうか。


seediq-s2.jpgこんな激しい戦闘シーンのある歴史大作の監督とは思えないぐらい、非常に穏やかな風貌のヴェイ・ダーション監督。プレイベント上映の舞台挨拶では開口一番「緊張しています」とお茶目な一面を見せながら、インタビュー中の和解に関する発言では、たとえ話を交えながら、こちらが分かるように一生懸命お話していただき、秘めたる情熱をひしひしと感じた。念願の日本公開を果たしたヴェイ・ダーション監督同様、昨年OAFFでいち早く鑑賞し、大きな衝撃を受けた私自身も、本作が日本でどのような反響を巻き起こすのか楽しみで仕方がない。(江口由美)

 

aisaeareba-550.jpg『愛さえあれば』

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龍谷大学で4月20日(土)より、原一男監督の「ドキュメンタリー映画制作講座・企画編」が開催される。

本講座は、1年がかりで映画制作を学ぶもので、前半は企画編となっており、後半は実際に撮影・編集し、作品をつくり上げるカリキュラムとなっている。本講座の講師を担当する原一男監督自身もこの講座に合わせて、平成の世の閉塞状況を打破する「新しい生活者像」を追究するドキュメンタリー、「(仮題)もし、生まれ変われることができたなら?」を制作予定で、受講生はこの映画の撮影現場にスタッフとして参加し、原監督の映画づくりを間近で学ぶことができる。先着50名で受講生を現在募集中だ。

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