「AI」と一致するもの

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623日にフランス映画祭2018にて日本初上映されたエマニュエル・フィンケル監督最新作『Memoir Of Pain/メモワール・オブ・ペイン(英題)』(20192月劇場公開)。映像化は不可能と言われたマルグリッド・デュラス(『ラマン』)の『苦悩』を映画化した本作、ナチス占領下のパリを舞台に、デュラス本人の長く辛い愛と苦悩の日々を描いた歴史ドラマだ。主人公のマルグリッド・デュラスを演じたメアリー・ティエリーさんが、上映後のQAに登壇し、フィンケル監督との再タッグが実現した本作について語った。

 

デュラス役はオーディションだったというティエリーさんは、「オーディションの結果が出るまで何カ月も待つこと自体が、耐えがたく長く続いた”苦悩”でした。判決を待つような苦悩の数ヶ月でしたが、役が決まってからは、一緒に仕事をした監督なので、尊敬もしていますし、とてもうれしく思いました」とデュラス役を射止めるまでの心境を語った。

 

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さらに、「役者は常にいい役を待っています。もちろん過去に素晴らしい役をいただいていますが、今回、色々な思いから、こういう物語を語るのに参加したいと思いました。特にこういう素晴らしい監督に一度出会うと、10年ごとでもいいからまた協力して作品作りをしたいと思うのです。中でも、今回私をキャスティングしてくださったフィンケル監督は、初めて再びご一緒できた監督。今までは2回目に声がかかることがなかったので、私の演技が監督をガッカリさせてしまっていたのではと不安でしたが、今回安心しました」と、初の再タッグを心から喜んでいることを明かした。メアリーさんから見たフィンケル監督は、「人間的、芸術的にも素晴らしい人。他の映画監督とは違う独自の哲学を持っていますし、映画作りの手法やポリシーなど本質的な深い部分をこだわって撮る素晴らしい監督です。一緒に仕事をすると激しいぶつかり合いもありますが、結果として残るのは非常に奥深く訴えかける、心に残る作品なのです」と絶対の信頼を寄せていることを表現した。

 

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実際に、有名作家のデュラス本人役を演じる上で内面を作る必要を感じたというティエリーさん。原作の映画化であっても、あくまでもフィクションであることを強調し、「舞台となる45年当時はまだかの有名なデュラスではなく、大成する前の時期。インドシナで生まれ育ったデュラスですが、偉大すぎる彼女を演じなければならないということではなかったのです」と、意識しすぎなかった様子。色々な人から役作りに役立つアドバイスをもらい、監督自身もインスピレーションを与えてくれたのだという。「デュラスを演じることは重い任務でした。実際のデュラスは私よりもっと知的ですが、やはりデュラスになりきる方が過ごしやすかった。毎日帰宅して『これは絶対にいい作品になる』と思えた、素晴らしい現場でした」と作品の手応えを感じながらの撮影を振り返った。

 

また出征した家族や、ゲシュタボにより捕らえられた家族が戻るのをじっと待つしかなかったパリの女性たちの目線で描かれていることについて、メラニーさんはそれがフィンケル監督の意図であると明言。戦時中を描く映画が多岐にわたる中、新しい視点をもたらす必要があったとして、今回、現在のパリに通じるような映し方や、今まで焦点が当たらなかった”待っている女性”に光を当てたフィンケル監督の視点を支持していることを明かした。『苦悩』の映画化はフィンケル監督の個人的な思い入れが強かったことにも触れ、「フィンケル監督のお父さんは、自分ひとり何カ月も隠れて生き残り、家族は戦争で連れ去られてしまい収容所で亡くなってしまったという体験をしています。ずっと戻らない家族を待ち続けている父親の姿を、フィンケル監督は子供心ながら見て育ったのです。身近に”待っている人”を見ていたことから、今回映画化して、待つ女たちに焦点を当てることができました。フィンケル監督にとっても、非常に思い入れが強い作品になったと思います」とフィンケル監督の本作への思いを代弁した。

 

最後に恋多き女性だったというデュラスを中心にした物語を振り返り、「色々な体験をされてきた方。原作では位置づけがわからなかった登場人物も、映画ではもう少しデュラスと深い関係にあるように変えています。当時は、恋愛もオープンで、夫にも愛人がいたりと皆が好き勝手にやっていた時代。自由に恋愛しながら、お互いが絡み合っていたのです」と締めくくった。

 

 

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レッドカーペット&オープニングセレモニーでも、スカーフをポイントにしたパンツスタイルにショルダーバッグとオシャレ度満点だったメラニー・ティエリーさん。危険な駆け引きにも動じず、なんとかして愛する人の消息を知ろうとする女性像を毅然と演じ、その精神力の強さを見せつけた。主人公のデュラス同様、観客もじっと待つ物語は、時に重い気分にもなるが、それこそが当時のデュラスら女性たちの境遇を体感するという監督の狙いなのかもしれない。男たちが支援したくなるような強かさも持ち合わせた若き日のデュラスを、来年劇場でぜひ堪能してほしい。

(江口由美)

 


フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)~~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/

 

 

 

 


 

 

 
 

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622日にフランス映画祭2018にて日本初上映されたアニエス・ヴァルダ監督最新作『顔たち、ところどころ』(今秋より劇場公開)。上映後に開催されたゲストによるQAでは、本作のプロデューサーである女優ジュリー・ガイエさんが登壇。「今フィクションがどんどん写実的になり、ドキュメンタリーとの垣根がなくなってきている。実験的動きが生まれているところに、興味がある」と本作の魅力を表現しながら、プロデュースするに至った経緯や、ヴァルダ流ドキュメンタリーの作り方について語った。

 

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アニエス・ヴァルダ監督との出会い~映画への旅に誘われて

私がまだ20歳ぐらい、映画デビューしてから2作目の頃に、アニエス・ヴァルダ監督(以降アニエス)がミシェル・ピコリのベビーシッターを探しており、私に声がかかりました。『百一夜』では映画への旅に誘ってくれ、偉大な人たちに出会わせてくれました。この作品は映画発明100年を祝って作られた作品だったからです。

 

フランス映画界におけるアニエス・ヴァルダの存在感~一貫してフェミニズムを主張~

映画界の母であり、祖母です。『5時から7時までのクレオ』でフェミニストとしての女性監督の主張を初めてはっきり表現しています。それからずっと、アニエスは女性の目から描いた世界を描き、フェミニズムを主張しておられる。ドキュメンタリーにおいても家族や旅を題材にしています。

 

 

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本作のプロデュースをするきっかけ~恩返しの意味も込めて

アニエスの娘、ロザリーは、若い頃私が出演した映画で衣装を担当してくれました。その後、アニエスさんとジャック・ドゥミさんの映画を修理する仕事を始めました。その前にアニエスとロザリーが、プロダクションを始めたけれどまだ十分に資金が集まらないので、加して欲しいと誘われました。この映画がどうなっていくのか最初は分からなかったので資金集めは難しかったですのですが、私も恩返しの意味も込めて参加しました。アニエスさんは家族と一緒に仕事をするのを大事にしており、その部分もフェミニズムですね。私自身は家族と仕事をしてしっかり分けていますが、ヴァルダさんはとても職人的で、素晴らしい仕事のやり方だと思います。

 

 

プロデユーサーとして心がけたこと~監督の「外の目」になる

映画が、きちんと監督の映画になるように心がけました。アニエスは、「映画の裏に監督がいる」と常に言っています。私が関心を持っているのは、「監督の目を通して、違う世界を見せることを映画でやる」ということ。シナリオを作るところから参加し、何がこの映画の中で重要なのかをアニエスたちと話し合いながら決めていきます。そして編集がとても大事です。監督の「外の目」がプロデューサーで、作家と編集者という関係なのです。

 

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難航した資金集め~アニエスにもあった「ガラスの天井」

映画はシナリオを見た段階では、実際にどんな映画になるか分からない不安要素があります。ただ、アニエスのように素晴らしい映画をたくさん作っている巨匠でも、なかなか資金が集まらなかったことに私も驚きました。編集の段階でトレーラーを作ったり、資金集めは本当に大変でした。女性監督だからうまくいかないという点で「ガラスの天井」はあると思います。例えば、小規模な予算の時は女性監督でも資金を出してもらえますが、大規模な予算の時は女性監督では無理だと判断され、なかなか資金集めができません。ちなみに、ハリウッドの女性監督の割合は3%ぐらいですが、フランスでは25%ぐらいになっています。それでも男性と比べて給料は4割減なのが、現状です。アニエスは、女性監督としては初めてのアカデミー名誉賞を受賞し、最優秀ドキュメンタリー賞も受賞しています。

 

ストリートアーティストJRと共同監督をする狙い~次の世代への伝承がテーマ

『顔たち、ところどころ』は、次の世代への伝承をテーマにしています。JRが参加したことについても次の世代へ引き継ぐという意味があるのです。JRは写真家であり、ストリートアーティストで街に(拡大してプリントアウトした)写真を貼っていきますが、アニエスも写真家としてキャリアを始めた人です。彼女はドキュメンタリストとしてで知られていますが、70年代は写真も撮っており、写真に対する情熱を持っています。彼女の作品ですは、とても懐広く、心の広いものです。ほかにも、ユーモアとファンタジーがとても重要な要素で、人々に近づき、相互作用を生み出す必要がありました。JRは最初はミステリアスで距離感があるのですが、彼の祖母が登場することでアニエスと距離感が近づきます。アニエスは先祖たちの関係、それを伝える”伝承”を映画に取り入れ、語り継ぐことができる監督なのです。

 

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元ボタ山(炭鉱)の労働者用集合住宅に一人住み続ける女性を炭鉱労働者ポートレートを貼って勇気付けたり、田舎の寂れた廃墟を老若男女たちの「顔」でいっぱいにしたり、アニエス・ヴァルダとJRの年の差54歳のデコボココンビが、町の人たちと出会い、交流し、彼らのライフヒストリーを紐解いていく。時には海辺でそれぞれの人生について語ることもある。そして、アニエス・ヴァルダの盟友、ジャン=リュック・ゴダールとのエピソードも登場。ピクチャーアートとしても見ごたえあると同時に、アニエス・ヴァルダが映画として後世に残したい全てが詰まった珠玉の名作だ。

(江口由美)

 


 

フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)~~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 
 
 
 

 

 


 

 

 

 
 

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6/21(木)~24(日)に開催された「フランス映画祭2018」が大好評のうちに閉幕し、エールフランス観客賞はオープニング作品のオリヴィエ・ナカシュ監督&エリック・トレダノ監督(『最強のふたり』)最新作『セラヴィ!』 "Le Sens de la Fête"に決定した。
(7/6より全国公開)
 
 
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今年は、13年ぶりに横浜に戻っての開催となったフランス映画祭2018。6/21(木)にみなとみらいホールで行われたオープニングセレモニーでは、フランス映画祭団長のナタリー・バイと、横浜出身でフェスティバル・ミューズを務めた常盤貴子さんが開会を宣言。『万引き家族』でカンヌ国際映画祭・パルムドールに輝いた是枝裕和監督、本映画祭の特別協賛である日産自動車のカルロス・ゴーン会長もお祝いに駆けつけた。満員となったオープニング作品『セラヴィ!』(7/6より全国公開)の上映を皮切りに、日本未公開のフランス映画、長編14本と短編1本を上映。上映会場となったイオンシネマみなとみらいには、多くのお客様が詰めかけ、会期中に6作品(うち短編『トマ』は『モカ色の車』の併映)が満員御礼、会場は連日フランス映画ファンの熱気でいっぱいとなった。
 
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今回は、会場にインスタ映えする撮影スポットも登場。ゲストがサイン会に移動する前のロビーでは、各回のゲストの撮影時間が設けられ、観客とフランス代表団の交流の場となった。上映後に行われた各回の来日ゲストによるQ&Aやサイン会も大いに盛り上がり、横浜ならではのアットホームな映画祭となった。本来映画祭があるべきの、観客のための映画祭となっていたのではないだろうか。ゲストも熱心に観客からの質問に答え、またサイン会での交流を楽しんでいたようだ。
 
また、今回はオープニングセレモニーのみ、横浜市民は500円で鑑賞できる割引サービスが実施された他、横浜市立大学、東京藝術大学、早稲田大学にて、授業の一環として学生を対象としたマスタークラスも開催され、フランス映画の作り手と、日本の学生たちが接する場が作られ、次世代の学生たちとフランス映画人たちとの交流が実現したのも意義深かった。
 
 
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さらに、横浜フランス月間2018との関連企画、レンガ倉庫で開催されたゴーモン展では、映画誕生と共にフランスの老舗映画会社ゴーモンが歩んできた歴史が豊富な資料や写真、映像と共に紹介され、満員御礼だった最終上映作品『See You Up There(英題)』  "Au Revoir Là-haut"の衣装も展示。映画の歴史に触れることができたのも非常に有意義で、横浜(みなとみらい)全体で「フランス映画祭」を体感でき、それと同時にみなとみらいをゆっくりと歩き廻り、映画プラスアルファの港の街横浜を味わえたのではないだろうか。『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』『ブラッディ・ミルク』『モカ色の車』(併映『トマ』)といういずれも満席の人気ぶりをみせた未公開作品の日本公開を望むと共に、これから続々公開される上映作品を楽しみにしていたい。
(江口由美)
 
■フランス映画祭2018公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/  
■(c) UNIFRANCE

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『17歳』マリーヌ・ヴァクトと再タッグで描く、双子を題材としたラブサスペンス
『2重螺旋(らせん)の恋人』フランソワ・オゾン監督語る。
 
現在、イオンシネマみなとみらいで開催中のフランス映画祭2018で、フランソワ・オゾン監督最新作『2重螺旋(らせん)の恋人』(8月4日よりヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー)が日本初上映され、フランソワ・オゾン監督が上映後のトークショーに登壇した。
 
精神的な問題を抱えるヒロイン、クロエが、恋人となる精神分析医ポール、街でみかけたポールとそっくりの精神分析医ルイという双子の間で、ポールは精神的面、ルイはセクシャル的面で惹かれ、決別状態の二人の真実を探っていく物語。何が真実で、何が嘘なのか、何が現実で、何が妄想なのか混沌とする中、精神的に不安定となっていくクロエに突きつけられた思わぬ現実。まるで螺旋階段を下りていくように、複雑に絡み合い、現実と妄想の境界線が溶けていくオゾンマジックが鮮烈な印象を残す作品だ。
 
観客の熱い拍手に迎えられたオゾン監督は、「この映画を観た後で、あまり混乱状態でなければ良いのですが」と観客の心を見透かすようなユーモアあふれる挨拶を披露。元々双子に興味があったというオゾン監督が、アメリカ人作家、ジョエル・キャロルオーツの『ザ・ライフ・オブ・ツインズ』を映画化した本作。双子の精神分析医という設定は原作を踏襲しながら、精神分析の方法もフランス式に変え、ラストも映画ならではのラストにしたという。
 
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ポールとルイの双子を演じたのはベルギー人俳優のジェレミー・レニエ。「役者は役と自分という二重の存在なので、双子を演じるのは夢のようなもの。あのイザベル・ユペールも双子を演じてみたいと言っていたし、ジェレミーも演じるのはさほど難しくなかったと思います。ポールのパートを撮ってから、ルイのパートを撮り、髪形や声色を変えてもらいました。ただ、映画が進行するにしたがって、その違いが小さくなり、どちらがポールでどちらがルイか、観客が混乱を生む仕掛けになっています」と、正反対の性格の双子の違いを演じながらも、段階的にその違いを小さくした意図を明かした。さらに、第一候補の俳優に、最終脚本を見せた段階で断られたエピソードを披露し、「最終稿でショッキングなシーンを加えたら、そんなシーンは演じられないと俳優が降りてしまったので、気心の知れたジェレミーに声をかけました。彼は、ベルギー人俳優なのでフランス人より心が広く、ユーモアがあります」とその懐の広さを絶賛した。
 
二人の狭間で苦しむクロエのセクシャリティーについて話が及ぶと、「この映画でのセクシュアリティは不満足がテーマ。ポールとの愛情はあるが、妄想は満たされていない。だから彼女は他の誰かが必要でした。こういう二面性は誰にでもあるでしょう。恋人はいるけれど、もっと暴力的な性を求めてしまう。愛情と欲望の乖離です」と、クロエが二人の間で苦しむ根底にある不満足の意識について言及。『17歳』でヒロインに抜擢したマリーヌ・ヴァクトさんと再タッグとなったことについては「『17歳』ではヒロインを演じるのにぴったりの少女でしたが、まだ彼女はモデルであり、女優としてやっていくのか彼女自身まだ確信が持てていない時でした。ただ、映画が成功し、今までに女優としてのキャリアを重ね、さらに彼女自身も母になったことで、クロエ役にぴったりだと思いました。既にヌードシーンを演じさせていたので、本作ではさらに大胆な演技を求めなければならず、心配もしましたが、バクトさんは見事に役作りをし、立派に務めてくれました」
 
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さらに、この映画の見どころとして、「全ての人物が、ダブルの役割を演じています。そして、この映画はあえて色々なところにヒントを散りばめています。観客の皆さんにクロエの無意識、想像の世界に入り込んでほしい。この映画では夢を現実のように、現実を夢のように撮っていますから、妄想と現実が混じり合っているような想像の世界で、自分自身の答えを探すのです」と、幾通りもの見方、楽しみ方があることをアピール。クロエの飼い猫、ルイの飼い猫と2匹の猫が登場し、象徴的な役割を果たす点については、「私自身は猫が苦手ですが、猫は映画で画面映えする動物。クロエ演じるバクトさんの顔も猫に似ているので、入れました。他にも、フランス語で雌猫はシャット、俗語で女性器という意味ですし、映像で映すと、猫はまるで考えているように映る動物なのです」と猫に込めた様々な狙いを語った。
 
最後に、これだけコンスタントに高いクオリティーの映画を作り続けていることについてオゾン監督は、「興味深い題材は身の回りにたくさんありますが、映画作りをするために、1~2年続けて向き合えるかを重要視しています。私は映画作りに喜びを感じている人間なので、作っていない時の方が苦しい。毎回違う実験をしたいという欲望があり、映画作りは自分の欲望、勘に従っています。分析はしません」と自身の映画作りの姿勢を明かした。
双子を題材とした映画としても、これほどその精神的な内面に切り込み、その葛藤に踏み込んだ作品は他にはない。単なるラブサスペンスとは一線を画した衝撃が待ち受けることだろう。
(江口由美)

フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
 
 

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フランス・セザール賞3冠達成の注目作『ブラッディ・ミルク』主演スワン・アルローさん、ユベール・シャルエル監督インタビュー
 
今年のセザール賞で主演男優賞、助演女優賞、新人監督賞の3冠を達成した話題作、『ブラッディ・ミルク』がフランス映画祭2018(横浜/京都)で日本初上映される。
 
フランスの田舎で昔ながらの手作業による酪農を営むピエールに降りかかる伝染病の恐怖。
自分が飼っている乳牛が感染していることに気付くが、全頭殺処分になることは、全てを失うことになる。ピエールは事実を隠し、乳牛たちを守るべく、どんなことでもする決意をするのだった…。
 
 
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酪農家の仕事ぶりをつぶさに見せると共に、サスペンスのような色合いを見せる本作。主演男優賞受賞の喜びを、「友達からたくさん電話がかかるようになったよ」と軽やかに語るスワン・アルローさん、新人監督賞受賞で「きっと人生が変わると友達から言われたけど、まだそれほどでもないな」と笑うユベール・シャルエル監督の仲良しコンビに、お話を伺った。
 

 

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―――シャルエル監督は酪農家のご出身だそうですが、初長編の題材にこのテーマを選んだ理由は?
シャルエル監督:私の両親は酪農家だったので、このテーマは必然性がありました。もし映画監督という道を選んでいなかったら、自分の身に降りかかっていたことかもしれません。ちょうど私が子どもの頃、フランスでも狂牛病が大変な問題となっていました。よく母が「もしうちの牛たちにこんなことが起こってしまったら、自殺してしまうわ」と言うのを子どもながら聞いていたので、自分の中ではとても重要な出来事だったのです。
 
―――力仕事が多い酪農家のピエール役として、一見華奢に見えるアルローさんをキャスティングした理由は?
アルロー:役作りで10キロ増量したんですよ!
シャルエル監督:実際に酪農家で、演技は素人の人を探して出演してもらおうとしたのですが、なかなかこれという人が見つかりませんでした。アルローさんを勧めてくれたのはキャスティングディレクターで、一目見て、「この人だ!」と思いました。
 
―――アルローさんを見て、この人だと直感したのはなぜですか?
シャルエル監督:一見、僕が描こうとしているキャラクターと共通項があるようには見えないのですが、実際にお会いすると、ピエール役にちょっと可笑しみがあるところを十分に理解してくれ、僕を笑わせてくれたのです。それが決め手でした。
 
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―――アルローさんは、ピエールのどの部分に可笑しみを感じたのですか?
アルロー:この脚本を読んだ時に悲劇的な部分もあれば、ドラマ的な部分もある。でも、一方で、感知できるかできないかぐらいの感じで段々とジャンルスリラーに入っていくのです。そこがシャルエル監督の凄いところで、共同脚本のクロード・ルパップさんと、農家を舞台にするという、今まであまり成立しなかった新たなジャンル映画を作り出していきました。ドキュメンタリーやもう少し自然な感じで農家を舞台にしたレイモン・ドゥパルドンの作品もありますが、いずれも真面目な作品です。シャルエル監督はドキュメンタリーっぽいリアリズムもありながら、そこに映画性を持ち込んだ。僕は脚本を読んだ時に、これはすごいと思いました。彼は自分の身近に起きた個人的なことを語っているのですが、それを越えて映画的なものがある。これは何としてでも成功させなければいけないと思いました。妹役のサラ・グロドーさんとも脚本を最後まで読み終えた時に、これは徹底的にやってやろう!と話をしていました。
 
―――脚本が秀逸だったということですね。
シャルエル監督:クロード・ルパップさんは短編映画を作っている時から共同で脚本を書いているのですが、脚本の中に演出がある、しっかりとしたものを書いてくれるのです。
 
―――手作業が多く、日々放牧をさせている酪農方法で、ピエールは一人で全てを行っていますが、その規模、手法の酪農家に設定した意図を教えてください。
シャルエル監督:ピエールが機械化された酪農に対して闘っている、まさに最後の砦のような存在であることを見せたかったのです。この映画は海外で上映する機会も多く、その時に気付いたことなのですが、ほとんどの国の酪農が機械化されており、フランスにはまだ手作業の畜産農家が僅かではあるけれども残っていることを発見しました。産業化されている酪農は利益中心です。お金が稼げればいいという目的で機械化する訳ですが、ピエールにはそのような目的はありません。ピエールと乳牛たちとの間には、本当のラブストーリーのような心が通じ合う絆があったのです。
 
―――酪農家役を演じるにあたり、アルローさんはどのような準備を行ったのですか?
アルロー:ユベール(シャルエル監督)のいとこで、小規模で家庭的な経営をしている農場で1週間ぐらい実習をさせてもらいましたし、クランクインの直前にも農場に行きました。実際のロケ地となったのは、1年ぐらい前に閉鎖されたユベールの両親の農場だったのですが、もう一度リフォームし、クランクイン前に乳牛を連れてきました。僕に酪農仕事の指導をしてくれたのは、ユベールのお母さん、シルベンヌさんでしたが、彼女はおそらくその地方一番、しいてはフランスで一番と言っていいぐらいとても厳しかった。なにせ、乳牛の牛乳コンテストでいつも第一位を取るぐらいのキャリアの方でしたから。シルベンヌさんの厳しい指導による実習を終え、クランクインしても、きちんとできているかと心配して、シルベンヌさんが撮影現場で僕を一人にさせてくれなかったのは、ちょっと大変でしたね。僕にすれば乳牛を扱うのは役者としての仕事ではありますが、乳牛は生きていますからきちんとケアをしてあげなければいけない。だから、この映画は演じるよりも、乳牛を世話する方が大事です。この役柄をこのように作っていこうというやり方ではなかった。乳牛たちを世話するシーンだけでなく、家族とのシーンもある訳ですが、俳優たちとのリハーサルよりも、僕はいつも乳牛たちと一緒にいました。心配になってユベールに「全然他の俳優たちとのリハーサルをしていないけど、大丈夫」と聞いたのですが、「君は乳牛と一緒にして、世話をしているだけで立派にピエールを演じているよ」と言ってくれました。
 
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―――乳牛の出産シーンもありましたし、仔牛を我が子のように育てたり、乳牛たちと常にスキンシップや声かけをしていましたが、乳牛たちの世話をする中で、どんな気持ちが芽生えてきましたか?
アルロー:もちろん乳牛はとても愛情深い動物ですから、私だけではなくスタッフたちも皆、とても愛情を感じ、尊敬していました。ただユベールに言われたのは、「君が怖がると、乳牛も怖がるから、決して怖がってはいけない」と。人間なので恐怖心が突然芽生えるときもあるけれど、「怖がらなくていい」と思うことでうまくいきました。とてもシンプルに、動物を信じることがとても大事でした。人間の俳優と演じるより、乳牛たちと演じる方がとても楽でした。乳牛たちは僕が信頼すれば、やるときはやるし、嫌な時はやらないしと選択がとても明確、シンプルなんです。俳優が相手だと、時には工夫しておだてたりしなければならなかったり、結構大変ですから(笑)。
 
―――なるほど、乳牛たちが相手の演技は、相手を信頼することが一番だったのですね。最後に命についての問題提起でもあり、一方被害を受けた酪農家が何の救済もされないことへの問題提起でもあると感じましたが、この作品の狙いは?
シャルエル監督:行政に対してのメッセージがあるかどうかは別の話ですが、酪農家として利益を出さなければいけない。動物を通してでしか成立しない仕事です。単に農場を閉鎖するという簡単なことではなく、閉鎖となればそこで生きていた動物たちを殺処分しなければならない訳です。狂牛病の時も多くの酪農家の人たちが、これは正しくないのではないかと大いに感じていました。数頭だけしか感染していないかもしれないのに、農場全体の牛を殺処分しなければならないことに、やるせなさを感じていたのは事実です。
アルロー:僕だけでなく、フランスの人たちは皆感じていることだと思うのですが、鳥インフルエンザや狂牛病など、畜産動物に関する病気が発生すると、殺処分の暴力性がクローズアップされがちです。動物たちを殺すという現象の裏側に、それにかかわる酪農家たちの暮らしが崩壊してしまうという人間ドラマがある。それがこの映画で描きたかったことではないでしょうか。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『ブラッディ・ミルク』(2017年 フランス 90分)
監督:ユベール・シャルエル 
出演:スワン・アルロー、サラ・ジルドー、ブーリ・ランネール、イザベル・カンディエ他
 
フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 

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「教育」があれば社会環境、生まれ育った環境に関わらず希望が持てる。
『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』アンヌ・フォンテーヌ監督インタビュー
 
昨年のフランス映画祭観客賞受賞作『夜明けの祈り』のアンヌ・フォンティーヌ監督最新作、『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』が、6月23日、イオンシネマみなとみらいで開催中のフランス映画祭2018で日本初上映される。
 
小さな田舎町で暮らした子ども時代、学校でも家でも居場所がなかったマルヴィンが、才能を見出してくれる先生との出会いを経て、演劇と出会い、家族と訣別して都会で自らの道を見つけようとする。周りとは馴染めず理解されないことに悩む一方、自分の今までの境遇を演劇にし、改めて自らを見つめる姿を描くヒューマンドラマだ。
 
同性愛者の主人公マルヴィンを演じるのは、今最も期待されるフランスの若手俳優フィネガン・オールドフィールド。田舎での家族模様をつぶさに描く一方、都会でのパトロンとの出会いや、パトロンの知り合い、イザベル・ユペールとの出会いを通じて、人生を学んでいくフィネガンを繊細に演じている。本人役で登場するイザベル・ユペールの存在感が、いいアクセントとなっているのだ。
 
本作のアンヌ・フォンティーヌ監督に、作品についてお話を伺った。
 

 
―――修道院を舞台にした女性キャスト多数の『夜明けの祈り』とは打って変わって、同性愛者の男子が主人公でキャストは男性が多い物語です。女性やゲイに対する偏見が根強い田舎と都会の対比も描かれますが、着想のきっかけは?
フォンティーヌ監督:エドワード・ルイという若い作家の本から着想を得ました。彼は非常に厳しい幼少期を送った後、フランスの有名大学に進学できたのです。彼の本は非常に感動的な内容で、自分は人とは違うと思い、また家の中でも阻害され、孤独な若い男性が、芸術に触れることで、自分がどういう存在であるかを理解し始め、自分自身の心の声を出せるようになっていくという、希望を与える内容になっています。そもそも人間は皆違うのですが、本の主人公は他人とは違うという悩みを芸術的表現に昇華させていくのです。ご指摘の通り、主人公が田舎で過ごす時代と、都会で過ごす時代の二つを組み合わせてみせるようにしています。
 
―――若くに産んだことで、子どもに関心を持てないマルヴィンの実の母と、マルヴィンに演劇を通して希望を与えていく女性の校長先生との対比も印象的でした。この二人を通して描きたかったことは?
フォンティーヌ監督:母、オディールは、経済的に恵まれない状況を自分でもどうしたらいいか分からないという立場です。あまり教育も受けていないため、息子が色々な兆候となるサインを見せても、自分のことに精一杯で気付けないのです。そういう、ある意味人間的な存在です。一方校長先生のクレモンは、マルヴィンの才能に気付き、彼の運命を変えていくきっかけになった。クレモン先生がマルヴィンに演劇クラスのワークショップ受講を勧めたおかげで、マルヴィンが他の人からの視線を受けるというのはどういうことになるのかを文化的な側面から感じることができました。そのままだと抜け出せなかった世界から脱し、新しい将来を描けるようになったのです。
 
―――父との関係はまた違った側面を見せます。労働者階級で一見破天荒に見え、差別的発言も繰り返す一方、マルヴィンが家を出て成功する中で、父自身も息子の本当の姿を理解し、受け止めていきます。
フォンティーヌ監督:私も父、ダニーの役柄はとても気に入っています。ダニーも教育を受けておらず、文化に触れていない世界の犠牲者とも言えます。彼らのような労働者階級では、文化と言えばテレビを見ることぐらいで、知性からかけ離れた生活をしていた訳です。一見野生的ですが、一番感動的なのは最後、マルヴィンに向かって「ゲイのお前たちを結婚するのか?」と聞くシーンです。当初はホモと罵ったり、精神病呼ばわりしていたダニーが成長したことを感じられます。ダニー自身も父から殴られて育った訳ですが、自分の子ども、マルヴィンに対しては、同じことを繰り返さなかった人です。
 
 
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―――とても繊細にマルヴィンを演じたフィネガン・オールドフィールドさんですが、キャスティングの経緯や、彼の魅力について教えてください。
フォンティーヌ監督:フィネガン・オールドフィールドさんをキャスティングした理由は、とても優美でありながら、繊細なところも持っており、内からのパワーを非常に感じさせてくれる役者だったことに尽きます。身体的な魅力も、もちろんありました。難しかったのは、子役のマルヴィンと青年役のマルヴィンの二人をキャスティングしなければならなかったことです。子役でわざとらしくないように演じてもらうのは非常に大変で、何度もテストを行いました。子ども時代と青年時代のマルヴィンにズレが生じないように調整し、これがピッタリだという二人を選びました。フィネガンは今まで映画に出演経験はあったものの、主役を務めるのは本作が初めてだと思います。子役の方はジュール・ポリエという男の子です。
 
―――キャスティング段階でもかなりテストを重ねたそうですが、実際の演出はどのように行ったのですか?
フォンティーヌ監督:ジュールに関しては、撮影に入る前に何度もリハーサルを重ねました。例えば撮影に入る前に3週間ぐらい時間を取り、役者たちに家族としての絆を作ってもらいました。もちろん暴力的なシーンも含めてです。フィネガンに関しては、イザベル・ユペールとの演劇シーンもありましたから、撮影前にかなりリハーサルを重ねました。私の仕事のやり方は、撮影初日に初めて演じたようにするのではなく、撮影に入る前のリハーサルでやってきたことの延長線上のようなものを作り出すようにしています。
 
―――次回作は主演としてタッグを組んでいるイザベル・ユペールさんは、今回本人役として登場し、マルヴィンを見守るような役ですが、それだけでなく、最後に大きな見せ場もあります。
フォンティーヌ監督:イザベル・ユペールに脚本を渡すとき、「あなたが今まで一度もやったことがない役よ」と説明すると最初きょとんとしていました。でも読むと理解してくれ、とても楽しそうに撮影に臨んでくれました。現場でも非常にいい雰囲気をもたらして下さったと感じています。映画では無名の若手俳優に対してチャンスを与える役柄ですが、ユペールはとても著名な女優なので、作品中のようなことを実際にもやっていらっしゃるのだと思います。
 

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―――ユペールさんとのラストシーンもそうですが、劇中劇をはじめ、作品中には演劇的な要素を含むシーンが多数登場します。そのような構成にした狙いは?
フォンティーヌ監督:演劇を通して、マルヴィンがどう変わっていくかを見せたかったのです。最初の演劇ワークショップでは学校で行き場がなく、どうしたらいいか分からない時に、自分が夢中になれるものを見つけます。次に、自分が家族と交わした会話を演劇の台詞として使い、作品として昇華させ、彼は俳優だけでなく作家にもなる訳です。実はその部分は原作とは違う部分で、原作では芸術家になりますが、俳優ではなく作家でした。ただ俳優の方が映画向きだと思って変更しています。
 
―――マルヴィンが自分の生い立ちを演じる劇では、水が張られた上で演じているのがとても印象的でした。この舞台デザインも監督のアイデアですか?
フォンティーヌ監督:もちろんそうです。水は美的なものであり、象徴的なものでもあります。舞台で母親を演じているイザベル・ユペールが中絶に言及していますが、大きなバスルーム(トイレ)を表していますし、自分が反射して映るものなので、自分を見つめ直すという意味も込めています。
 
―――本作のタイトルには「マルヴィン」だけでなく、「素晴らしい教育」となっています。そこに込めた思いは?
フォンティーヌ監督:まずは「素晴らしい教育」というのは文学的な表現だということ。そして、教育というものは人生に時には決定的なインパクトを与えるという意味を込めています。つまり、自分が生まれた家庭環境や社会階層はフランスではなかなか変えることは難しいのです。農家や労働階級に生まれた子どもは文化に接しようと思っても、かなり苦労しなければそれも叶いません。しかし、教育があれば、生まれ育った環境とは違う希望が持てます。そのような意味を込めて「素晴らしい教育」と付けました。
 
―――最後に、フォンティーヌ監督がこれだけコンスタントに映画を作り続けることができる秘訣は?
フォンティーヌ監督:確かに私は長編を15本ほど撮っていますし、かなり幸運なことだと思います。最初の1本を撮った後に、今後どのような作品を撮ろうかと考え、次の作品を撮るまでに少し時間がかかりました。でもその後はプロデューサーから本やアイデアなどの企画を持ちかけてくれる幸運に恵まれています。ちょうど今も次回作の撮影が終わったばかりなのですが、ルー・ドゥ・ラージュやイザベル・ユペールが出演しています。私が、今まで出会ったことのない未知の世界に立ち向かっていくという性格なので、これだけコンスタントに作り続けていられるのだと思います。
 

 
<作品情報>
『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』(2017年 フランス 115分)
監督:アンヌ・フォンティーヌ
出演:フィネガン・オールドフィールド、グレゴリー・ガドボワ、ヴァンサン・マケーニュ、イザベル・ユペール他
 
 
フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 

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13年ぶりの横浜開催に常盤貴子感激!ナタリー・バイ団長に是枝監督が祝福のメッセージも。フランス映画祭2018、華々しく開催!
 
今年で第26回を迎えるフランス映画祭2018が、13年ぶりに横浜で開幕した。6月21日に横浜みなとみらいホールで行われたオープニングセレモニーでは、レッドカーペットも開催され、待ちかねていた横浜のファンたちが豪華ゲストとの交流を楽しんだ。
 
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フェスティバル・ミューズ常盤貴子、フランス映画祭2018団長ナタリー・バイがカルロス・ゴーン氏と並んで笑顔で!
 
レッドカーペットでは、横浜市出身で何度もフランスを訪れたことのある本映画祭のフェスティバル・ミューズ、常盤貴子が横浜をイメージしたマリン柄の帯が印象的な和服姿で登場。「”横浜といえばフランス映画祭”、”フランス映画祭といえば横浜”と言っていただけるよう、どんどんお洒落な雰囲気の街になると期待しています。海があり、リラックスできる横浜は、南仏がお好きなフランスの皆さんも気に入っていただけるのではないでしょうか。団長のナタリー・バイさんに、大好きな『アフリカの夜』の撮影秘話を聞けたらうれしいです」と横浜の魅力をアピールしながら、映画祭での交流を楽しみにしていることを明かした。映画祭団長のナタリー・バイをはじめ、フランスの鬼才・フランソワ・オゾン監督、オープニング作品『セラヴィ!』の監督で『最強のふたり』の監督コンビ・オリヴィエ・ナカシュ監督&エリック・トレダノ監督など豪華来日ゲストに加え、林文子横浜市長、カルロス・ゴーン日産自動車会長、ローラン・ピック駐日フランス大使も来場し、レッドカーペット会場に駆けつけた300名以上の観客の歓声に応えた。
 
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ひと際歓声が大きかった『2重螺旋の恋人』フランソワ・オゾン監督。フェスティバル・ミューズ常盤貴子がお出迎え。
 
満席の会場の中、レッドカーペットに続いて登壇したフェスティバルミューズの常盤貴子は、「私の故郷でもある横浜にフランス映画祭が帰ってきたタイミングで、“フェスティバル・ミューズ”に選んでいただけたことを、改めてとても嬉しく思います。フランスからお忙しい監督やゲストの皆さんが日本にやって来るのは、“日本のみなさんにフランス映画を知ってほしい!”という想いからだそうです。みなさんのフランス映画に対する情熱をこの横浜でぶつけていただき、大いにこの映画祭を盛り上げていきましょう!」と会場に呼びかけた。続いて登場したナタリー・バイは、「私は初めて日本に来日したのが、15年前の横浜でした。こうして横浜に戻ってくることができてとても嬉しいです。日本が大好きです!」と喜びを語った。
 
上映作品の監督や出演者などのフランス代表団に続いてスペシャルゲストとして登壇したのは、『万引き家族』で日本人として21年ぶりのパルム・ドールを受賞し、日仏の映画界の架け橋となる存在といっても過言ではない、是枝裕和監督。
「映画祭は本当に映画を愛する人の交流の場で、僕たち作り手にとっても本当に貴重な時間であり、場所です。僕自身を育ててくれたフランス映画、一人の作り手としても、フランスの映画祭などに呼んでいただいて、フランスのファンの人に育てられて映画を作るエネルギーをもらっています。今日来日されているフランスの作り手の方も、日本のみなさんとの出会いによって次の作品を作るエネルギーをもらえる、そんな機会になることを願っています」と祝福の意と共に、映画祭の意義を語ると、檀上の来日ゲストからもパルムドールを祝しての拍手が沸き起こった。
 
スポンサーである日産自動車会長のカルロス・ゴーンも「フランス映画祭が横浜に戻ってくることに少しでも貢献できてとても嬉しく思います。」と祝福、最後に、映画祭団長のナタリー・バイとフェスティバル・ミューズの常盤貴子が、「フランス映画祭、開催します!」、とフランス語、日本語でそれぞれ高らかにフランス映画祭の開幕を宣言。その後サプライズとして披露された、巨匠マーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』にも楽曲を提供するピアニストの、ジャン=ミシェル・ベルナールが、数々の映画音楽を交えたスペシャル演奏を披露。ラストの1曲は実力派歌手の畠山美由紀が、横浜にちなんでセレクトした「浜辺の歌」を情感豊かに熱唱し、より感動的なオープニングセレモニーとなった。   
 
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 オープニング作品『セラヴィ!』の監督で『最強のふたり』の監督コンビ・オリヴィエ・ナカシュ監督&エリック・トレダノ監督。舞台挨拶でも日本語で「大好き!」とハイテンション!上映後のトークも盛り上がった。

■フランス映画祭とは
1993年、当時のユニフランス会長で映画プロデューサーのダニエル・トスカン・デュ・プランティエにより横浜で誕生。
2006年に会場を東京に移し、2011年より2016年まで、有楽町朝日ホール及びTOHOシネマズ日劇で開催。
2012年からは、アンスティチュ・フランセ日本の協力により、地方での開催を実施。
各地の映画ファンにも喜ばれるイベントとなった。フランス映画祭を通し、日本国内におけるフランス映画全体の活況を図ること、フランス映画を配給する各社の助けとなること、また、まだ買付のついてないフランス映画、新進の監督や俳優に日本で紹介される機会を作ることがその狙い。加えて、来日するゲストによるマスタークラスを実施し、日本の未来の映画の作り手との繋がりも重要視されている。
2017年に開催した「フランス映画祭2017」では、フランスを代表する女優のカトリーヌ・ドヌーヴが団長として来日。ルー・ドゥ・ラージュなどこれからの活躍が注目される若い俳優や、最新作『エル ELLE』が世界中の映画祭で話題となったポール・ヴァーホーヴェン監督、この作品でゴールデングローブ賞最優秀女優賞を受賞したイザベル・ユベール、
日本でも人気の高いトラン・アン・ユン監督(『エタニティ 永遠の花たちへ』)など総勢12名が映画祭を華やかに彩った。さらには第25回という節目の年を記念し、フランスでも大変人気の高い北野武監督が親善大使を務めた。
 

 
フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 

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大好きな故郷・渋川市は「帰る」場所
『榎田貿易堂』主演、渋川清彦さんインタビュー
 
『菊とギロチン』『ルームロンダリング』をはじめ、今年だけでも出演作多数で圧倒的な存在感をみせる俳優、渋川清彦と、『荒川アンダーザブリッジ』シリーズをはじめ、最新作『虹色デイズ』が7月公開となる飯塚健監督。群馬県渋川市出身の同郷コンビによるコミカルな大人の群像劇『榎田貿易堂』が、6月9日(土)から新宿武蔵野館で絶賛公開中だ。
(6月16日(土)シネマテークたかさき、テアトル梅田、今夏~元町映画館、出町座他全国順次公開)
 
ゴミ以外なら何でも扱うことが信条のリサイクルショップ「榎田貿易堂」の店長、榎田洋二郎(渋川清彦)と、彼のもとに集まる人妻のアルバイト・千秋(伊藤沙莉)、仕事が早くてクールな青年、清春(森岡龍)、終活中で熱愛中の客・ヨーコ(余貴美子)、東京から出戻り、今は実家の旅館を手伝う自称スーパーチーフ助監督・丈(滝藤賢一)。たわいもない日常が続くと思われたが、ある日店の看板の一部が落下し、洋二郎はすごいことが起きる予兆を感じる。少しずつ動き出すそれぞれの運命と、それぞれの選択は…。
群馬県を舞台にしたオリジナル脚本による地域映画は、あっと驚き、最後はしみじみとする心憎い作品に仕上がっている。
 
本作の主演、渋川清彦さんに、故郷・渋川市で撮影した本作について、お話を伺った。
 

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■大好きな渥美清さんに重なる芸名「渋川清彦」

――――故郷の名前を芸名にするのは勇気が要ると思うのですが、モデルデビューした時の芸名「KEE」から「渋川清彦」に変えた時はどんな心境でしたか?
渋川:勇気は全く要らなかったですね。30歳になるのを機に芸名を変えようとしたとき、本名(田中)は普通だし、他にコレという名前もなかった。それなら「渋川」でいいじゃないかと。当時、渥美清さんに心酔していたのですが、渥美さんも苗字と名前に「さんずいへん」が付いているので、「渋川清彦」にすれば苗字、名前共に「さんずいへん」が付いていいなと思ったのです。渥美さんに重ねた感じですね。 
 
――――なるほど。以前のインタビューでも渥美清さんが好きとおっしゃっていましたが、ここで繋がるとは思いませんでした。

 

渋川:当時初めて『男はつらいよ』を観て、渥美さんの存在やお芝居、全てに魅力を感じてました。そういう時の熱は大きいですよね。
 

■高校の後輩、飯塚監督との初タッグ。

――――今回は渋川市で映画を作るということで、渋川さんと同じく、渋川市出身の飯塚監督との初タッグですが、面識はあったのですか?
渋川:お互いに存在を知ってはいたのですが、群馬県で撮った作品『お盆の弟』のプロデューサーだった狩野さんが、今回も声を掛けて頂き、飯塚監督と引き合わせてくれました。
 
――――本作はありそうで、なかなかない、いい意味で風変わりな大人の群像劇ですね。
渋川:そうですね。飯塚監督は助監督経験がなく、自分自身で勉強してここまでやってきた人。努力家ですね。飯塚監督は脚本も書いています。今まで様々な制約があったみたいですが、今回はそれが全くなかった。本人は自称「一字一句野郎」で、脚本通りに台詞を言わせていたそうですが、今回はそこまでしなくてもいいと考え、今までの演出を変えようとしていたみたいです。「辞めるとは言わないでくれ。進むと言ってくれ」と丈役の滝藤さんが言っているのが、まさに映画のテーマですね。
 
 
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■渋川市で昔から知っていた場所、気になる場所を映画のロケ地に。

――――原案段階で、渋川さんもアイデアを出されたのですか?
渋川:最初に大まかな話を監督が書いてきて、そこに面白そうなものということで、僕が昔から知っている珍宝館が映画に出たら面白いんじゃないかと提案すると、飯塚監督もそれに繋がる話を書いてくれました。なかなか、珍宝館が映画に出ることはないですからね。
 
――――全体的に、昭和の匂いが色濃く残っている町という印象を受けましたし、地域映画としては、攻めているなと感じます。
渋川:渋川市としては、中心部の新しい建物が建っている場所を映してほしいと思っていたかもしれませんし、「渋川市全面協力」となると珍宝館はさすがに出せない。そこは、フィルムコミッションの方が柔軟に対応してくれ、今の形で完成させることができました。せっかく渋川市で撮影したので、協力してくれた地元ボランティアの方や、近所の方を集めて無料上映会をしたときは、僕の親も親戚も来ましたし、高校の同級生やら、高齢者の方も含めて300人集まりました。市長、副市長までいらして、皆で珍宝館のシーンも観たんですよ(笑)。30年前からずっと変わらない名物館長がいて、上映会でも花束を頂きました。館長は「私はずっと美術館だと思ってやっているの」とおっしゃっていて、展示されている置物や春画も、きちんと展示品用の光で、いわゆるいやらしい光を当てていないんです。
 
――――個性的といえば、何といっても「榎田貿易堂」の舞台となったお店が、懐かしい物に溢れ、とてもいい雰囲気でしたね。
渋川:車でいつも通り過ぎながら、この店は何だろう?と思っていました。店が開いているのを見たことがなくて。実は営業時間が日曜の12時から15時までだけだったのです。僕とプロデューサーで営業時間中にロケ場所としてお借りできるかをお願いしに行き、平日は好きに使っていいよと快諾してくださいました。江戸時代の籠もあったし、本当に色々なものがあって、店内で映っているものはほぼお店のものです。脚本をもらった時点でなんでも屋という設定だったので、僕の中ではこの店だとピンときました。
 
 
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■何でも面白がってくれる大女優、余貴美子さん。

――――今作は、伊藤沙莉、片岡礼子、余貴美子という幅広い世代の女優陣が、女性の性欲をコミカルに体現しているのも特徴的ですが、現場ではどんな様子でしたか?
渋川:余さんは現場でも気さくな方で、楽しかったですよ。何でも面白がってくれ、とても柔軟な方だと思いました。あれだけのキャリアがあって、あそこまでやってくれる女優さんはなかなかいない。きっと今まで飯塚監督の作品に出演され、監督の面白さを分かっているので、今回も出演されたのだと思います。珍宝館館長は挨拶代わりに男性の股間を触るのですが、撮影で一緒に訪れた時、余さんも僕らと同様に触られていたので、強烈な思い出になっていると思います。片岡さんは、とても真面目で全力で演じる方なので、今回の役柄はすごく合っていると思います。
 

■撮影後は飲みに誘って、台本持参で台詞合わせ。

――――物語の核となるのは、なんでも屋「榎田貿易堂」の日常で、店主の榎田洋二郎とバイトの清春、千秋の掛け合いも見どころです。森岡龍さん、伊藤沙莉さんとどのように台詞合わせをしていったのですか?
渋川:時間が合う時に、森岡君、伊藤さんと飲みに行き、一応台本持ってきてねという感じで、飲みながら「ちょっと台詞、合わせてみない?」と。台詞がカラダに入っていたら酔っぱらっていても言えるから、それできちんと言えたら少々何があっても大丈夫だろうと試していました。
 
――――撮影の後、キャストを飲みに誘ってコミュニケーションを深めるのは、お手本になる先輩がいたのですか?
渋川:昔の映画俳優の皆さんはよく飲みに行かれていたらしいですからね。先日、初めて石橋蓮司さんと共演させて頂いたのですが、70代半ばでも本当にお元気で、飲みもタバコもやるので、カッコいいですよ。そんな諸先輩を真似ながらやっている部分はあります。
 

■故郷に「帰る」と「戻る」ではニュアンスが違う。

――――それぞれの過去に向き合う後半は、紆余曲折を経た大人だからこそ言える味わい深い台詞が多かったですが、渋川さんが好きな台詞はありますか?
渋川:旅館の女将役の根岸季衣さんと、今は家業を手伝っている息子・丈役の滝藤君のやりとりで、「あんた、いつ東京に帰るの?」と聞かれた息子が、「帰るか…。帰ってきてるんだけどな」みたいな事を言っています。僕も実家の群馬、渋川市が好きなので、東京から群馬に行くときは、「帰る」と言うんです。群馬から東京に行くときは、「戻る」という言い方を意識的にしています。だから滝藤君の台詞には共感できます。普通はあまりその違いを気にしないけど、「帰る」と「戻る」はニュアンスが違いますから。
 
――――どちらをホームと思うかで言い方が違ってきますね。『AMY SAID エイミー・セッド』のインタビューで三浦誠己さんが「KEE(渋川)さんは、『俺、やっぱ俳優やめて、群馬で畑するべ』と言いそう」とおっしゃっていたのが納得できます。本当に故郷がお好きなんですね。
渋川:離れているから余計にそう思うのかもしれません。時間があるときは、月1度ぐらい帰っています。息子がまだ小さいので一緒に帰ることもありますし、一人の時は高速バスで帰ると2時間半ぐらいで帰れます。電車で移動する時も、車窓からの風景を眺めるのが好きで、やっぱり田舎が好きなんですね。
 
――――渋川市での撮影は、他の場所で撮影するのとは違う感慨がありましたか?
渋川:今回は休みなしで9日間程撮影しましたが、楽しかったですよ。主演ということで、ちょっとプレッシャーもありましたけど、地元で映画の撮影というのは不思議な気分で、いい時間でした。それこそドイツ(ニッポンコネクション)での上映で「ドイツで故郷・渋川の景色が映っているんだ」と思うと、感無量でした。
 
――――今回は群像劇なので、主演の洋二郎はアイコン的存在ではあるけれど、個性的なメンバーを受けるような役割でしたね。
渋川:一人でガッツリとした主役だと出番も台詞も多くて大変ですし、そういう点では今回台詞が多かったけど、皆同じぐらいありましたから。それぞれのキャラクターが立っている映画の方が僕は好きですね。
 

■飯塚監督から出た続編話、洋二郎が主人公でなくてもいい。

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――――今回初タッグを組んだ飯塚監督と実際に仕事をしての感触はいかがでしたか?
渋川:飯塚監督は高校の後輩なので、先輩の僕としてはもっと突っ込んでいじりたいのですが、それをさせない空気がある(笑)。だけどそれを含めての飯塚監督なので、急がず少しずつでも一緒にやっていけたらと思っています。
 
――――続編をやりたいという話も出ているそうですね。
渋川:現場でも話していたのですが、次は僕(榎田洋二郎)が主人公じゃなくてもいいんですよ。森岡龍が演じている清春の実家が新潟なので、例えば清春の親が危篤になって、みんなで新潟に行こうという話でも一つ映画ができるじゃないですか。伊藤沙莉演じる千秋の夫婦問題にこちらがチャチャを入れても、一つのストーリーができるでしょう。ドイツの映画祭から帰る時、空港で二人でビールを飲んだのですが、飯塚監督は「いやぁ、これは(続編を)やりたいですね」と真剣に言っていました。やはり、ドイツでの反応が良かったこともあるでしょうね。
 
――――最後に、映画のテーマ「辞める」にちなんで、渋川さんご自身、今までの俳優人生の中で、「辞めたい」と思ったことはありましたか?
渋川:自分から辞めたいと思ったこと一度もないですね。どこかでダメな時がくるのかなと思うことがあっても、いつもなんとかなるかなと思うんです。だけど故郷がどうしても恋しくなったら、その時はまた考えますけどね(笑)
(江口由美)
 

<作品情報>
『榎田貿易堂』(2017年 日本 1時間50分) 
監督・脚本・編集:飯塚健
出演:渋川清彦、森岡龍、伊藤沙莉、滝藤賢一、片岡礼子、根岸季衣、余貴美子他
2018年6月9日(土)~新宿武蔵野館、6月16日(土)~シネマテークたかさき、テアトル梅田、今夏~元町映画館、出町座他全国順次公開
 (C) 2017映画「榎田貿易堂」製作委員会
 

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日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。
「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー
 
シネマパーソナリティーの津田なおみさんが、初の著書となる「映画監督 田中絹代」を5月11日に出版した。サイレント映画の時代から活躍し、戦中、戦後と常にトップスターとして注目を浴びた田中絹代。300本近くの映画に出演し、『愛染かつら』『女優須磨子の恋』『西鶴一代女』『雨月物語』『楢山節考』『おとうと』等多数の代表作で知られる大女優には、映画監督としての顔もあった。なぜ監督になりたかったのか。監督として描きたかったことは。津田さんの優しい語り口そのままに、田中絹代の監督としての一面や、全6作品に迫っている。日本映画の変遷も分かりやすく解説され、映画初心者にもオススメしたい一冊だ。著者の津田なおみさんに、お話を伺った。
 
 

 

■監督作が6本もあったことに驚き。迷わず「自分で映画監督、田中絹代を研究しよう」と決意。

―――元々は女性監督のことを研究しようと思ったところから、スタートされたそうですね。
津田:日頃から映画のことを書いたり、話したりさせていただいていますが、どうしても物の見方が主観的になってしまうので、もっと映画を分析する力を付けるために2012年に大学院に入学しました。修士論文のテーマに女性監督を取り上げようと考え、日本に的を絞って女性監督を調べていると、田中絹代さんの名前が出てきたのです。絹代さんは大女優ですが、その時まで彼女が監督をしていたことは知らなかった。しかもなんと6本も監督作があるのには本当に驚きました。絹代さんを監督として取り上げた書籍は今までなかったですし、研究論文も監督作の中の数本を取り上げたものはあっても、全作品をまとめて研究したものはありませんでした。指導教授からも勧められ、私も「自分で研究しよう」と思ったのが始まりですね。
 
―――私も、監督の一面は知らなかったです。戦前から戦後まで国民的人気の大女優、田中絹代さんを取り上げることに対して、迷いは全くなかったですか?
津田:迷いは全くなかったですが、調べはじめると、大変でした。論文が何もないので、まず文献を集めるところから始めなければならず、作品を安易に観ることもできません。
 
―――そこはお聞きしたいところでした。著書では、この6本のことを細かく分析されていますが、どうやってご覧になったのですか?
津田:近代フィルムセンターにアーカイブで全作品が保管されています。研究者は申請をすれば観ることができるので、センター内の試写室にたった一人で2日間に分けて6本全て観ました。一人田中絹代監督映画祭です(笑)。『恋文』はDVDが発売されているので取り寄せましたが、それ以外の作品は本を執筆するのに1度観ただけでは書けないので、最終的には修士論文を書く2年間で3回観に行きました。
 
―――文献もかなりの数をあたられていますね。
津田:田中絹代さんについて書かれた書物と、雑誌ですね。検索で少しでも引っかかれば、それを確かめに方々の大学図書館等へ足を運びました。欲しいコメントが得られるかどうかは行ってみなければわかりませんが、このことについてしゃべっていることが欲しかったというコメントに出会えた時は、本当にうれしかったですね。
 

■なぜ6本で監督を辞めたのか。その真意を知るためのエピソード、証言探しに苦労。

―――特に、探すの苦労したのはどんなコメントですか?
津田:彼女がなぜ6作品で監督を辞めてしまったのか。私はそこがどうしても知りたかったのですが、あまり分からなかったのです。本文で触れていますが、6作目の『お吟さま』撮影当時、宮川一夫と並び撮影界の巨匠と呼ばれた宮島義勇に、監督だった絹代さんは随分絞られていたそうです。文献の裏付けは取れませんでしたが、その様子を見た、聞いたという話を多数の方から伺い、その状況なら彼女はこう思うだろうと、私なりの考察で書いています。監督を続けなかったことに関してご本人もあまり語っておらず、今回の執筆で一番苦労した部分でした。
 
―――当時を知っている方の証言として、神戸100年映画祭のゲストで来場された香川京子さんのコメントも掲載されています。
津田:香川さんは、バッシングを受けて自宅に籠っていた絹代さんを訊ねた時のことを語って下さいました。他にも、「監督をしていないように言われることもありましたが、絹代さんはちゃんと監督していらっしゃいましたよ」とおっしゃっていたのです。昔の事なので詳しくは覚えておられず、本にはこのコメントは書いていませんが、香川さんは今まで何度も、絹代さんが現場でちゃんと監督をしていたのかと聞かれていたのだと思います。実は、『お吟さま』主演の有馬稲子さんにもお手紙を書き、取材を申し入れたのですが、「女優としては尊敬しておりますけど…」と取材は叶いませんでした。当時のことを知っておられる方がどんどん少なくなってしまい、あと10年早く着手できていれば、もっと多くのお話が伺えたのにと、つくづく思いましたね。
 
 
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■絹代監督に「あなた出たらいいのよ」と声をかけられて。

―――証言を得るにもかなり難しい状況の中、原作者のお子様で、撮影中に田中絹代監督と交流された方とお会いできたそうですね。
津田:5作目となる『流転の王妃 満州宮廷の悲劇』原作者の愛新覚羅浩さんの次女、福永嫮生(こせい)さんです。嫮生さんは、ご両親の写真を関西学院大学に寄贈されています。本書にも掲載させていただいている写真が偶然展示されていたので、大学を通じて嫮生さんをご紹介いただきました。もう50年ほど前の話ですが、絹代さんはとても気さくで「あなた(映画に)出たらいいのよ」と何度も声をかけて下さっていたそうです。
 
―――一番多くの資料を提供してくださったのが、下関にある田中絹代記念館だったそうですが、記念館の成り立ちも含め、取材のエピソードを教えていただけますか?
津田:田中絹代さんは下関出身です。生涯独身を通したので、遺品は又従弟の小林正樹監督が管理をされていました。小林監督が下関に彼女の遺品を集めた記念館を作ろうと動き、2010年に小林監督が管理していた遺品を下関市に譲渡し、オープンしたのが田中絹代記念館です。絹代さんが当時使っていた監督台本もありますし、着用していた帽子やハイヒール、自宅に置いていた棚など、絹代さんの私物が本当にたくさんあるのです。季節ごとに展示も変わりますし、監督コーナーには、監督協会に入っていたことを示す書類や、影響を受けた監督として溝口監督などの写真も飾られていました。また、小林正樹監督が作られた毎日映画コンクールの田中絹代賞の過去受賞女優も展示されています。事務局長からは「監督として書かれた本はないので、是非頑張ってください」と激励していただき、色々とお力を貸していただきました。
 

■監督になった一番強い動機は、「なんとしてでも映画業界で生き残りたい」

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―――地道な資料の読み込みを重ねて、女優田中絹代が監督を志した動機を津田さんなりの仮設を立てながら章立てで解き明かしています。最終的には映画しかなかったというのが、一番強い動機に見えますね。
津田:本書でも触れていますが、家族を経済的に支えているのは絹代さんでした。彼女の肩に全員の生活がかかっていたのです。また、先日蒼井優さんが「私は映画に関わっている人たちとずっと生きていたい」とおっしゃっていたのですが。田中絹代さんもそう思っていたのではないかと。この映画業界が大好きだし、(女優として)もう若くないと言われても、なんとしてでも映画業界に生き残りたい。だからいつか監督できたらとずっと思っておられたのではないでしょうか。
 

■一番好きなのは、女性の性欲を描く3作目『乳房よ永遠なれ』。

―――6本も残しながら、作品の評価は当時あまり高くないと本書でも書かれていますが、実際にご覧になった津田さんの評価はどうですか?また、一番好きな作品は?
津田:作風があまりにも一作ずつ違うのには驚きましたが、例えば「そんなに小津監督風に撮らなくてもいいのでは」と思う一方、小津風に撮れるのは逆にすごいなとも思います。一番好きなのは3作目の『乳房よ永遠なれ』です。本当に不思議な角度で撮っています。例えば乳がんで乳房を切除した主人公がベッドに仰向けになっており、その上から恋人が覆いかぶさる図を、ベッドの下から撮っています。透明のベッドなのでしょうか、主人公の背中と恋人の顔が見えて、斜め上に電球が見える。男性監督なら、死を間際に恋人と一体になる喜びを噛みしめる女性の顔を映すでしょうが、絹代さんはそうはしなかった。アップになるのは、喜んでいるだけではない戸惑いも見える恋人の顔です。愛しているとはいえ、相手は病気なのですから。一方、表情が映らない主人公は、何を思っているのか分からない。視点を変えて、面白い撮り方をしています。『乳房よ永遠なれ』は女性の性欲を描きながらも、生々しくなり過ぎないように鏡を使ったり、背中で見せたり、少しオブラートに包みながら、言いたいことを表現しています。そこが上手いと思いました。
 
―――『乳房よ永遠なれ』までの初期2本は、周りが「監督、田中絹代を失敗させてはいけない」と、映画業界をあげて全力支援していたのも、当時の日本映画界の裏事情が垣間見えるエピソードでした。
津田:今で言えば、吉永小百合さんが監督するようなものですから。絶対に失敗させられないと皆が思っていたはずです。でも絹代さんは、初監督の前に、成瀬監督の『あにいもうと』の撮影では監督見習いとしてずっと撮影に立ち会った努力家でした。(「絹代の頭では監督できない」と言い放った)溝口監督に対して「この人に認められなければ」という気持ちがずっとあったのでしょう。必死だったのだと思います。溝口監督が亡くなった後、『サンダカン八番娼館 望郷』でベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した際、「監督したことがこの賞に結び付いたことを、溝口健二に言いたい」という趣旨のコメント(原文は著書に掲載)を残していますが、あれが本音だと思います。女性監督第一号の坂根田鶴子さんは監督としての仕事に迫った本が2冊(いずれも女性著者)出版されているのに、絹代さんの本がなかったのも、他の監督たちが力を貸した作品だから、彼女の作品と認められてこなかったのでしょう。でも、私は監督として最終的にOKを出す以上、どれだけサポートがあってもそれは絹代監督の作品だと思います。
 
―――確かにそうですね。それらの作品全てを解き明かすだけでなく、日本映画の黎明期からの流れや当時の日本の状況も丁寧に解説しながら進行するので、すっと頭の中に内容が入ってきます。津田さんが語っているような優しい文体で、「小説 田中絹代」のように絹代さんの人物像が立ち上がってきますね。
津田:田中絹代さんが生きた時代がどうであったか。そして日本映画界がどういう動きをしていたか。作品は、その時代に置かなければ分からないことがたくさんあるので、昭和初期から戦後の映画のことを分からない方にも理解していただけるように、並行して分かりやすく書くことを、とにかく心がけました。
 
 
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■少し先をいく女性を描こうとした映画監督、田中絹代

―――後は、戦前戦後の女性が社会の中でどういう立場に置かれていたのか、その中で田中絹代さんがどういう存在であったか。監督として作った作品の中に、どんな意義があったのかを、女性ならではの視点で考察しています。
津田:どの作品もヒロインは悲しい目に遭うのですが、最後は必ず立ち上がる。そこは一貫しています。自分で死ぬと決めて死ぬことも(『お吟さま』)自立として描きます。絶対に男に迎合しないです。2作目の『月は上りぬ』は小津監督が脚本を手掛けており、前時代的な台詞を言わされている箇所もありますが、最終的には家から出るという形をとり、少し先をいく女性を描く意図が読み取れます。彼女自身がそういう女性が主人公になる映画がないと憂いでいたのでしょう。
 

■素の絹代は孤独。全てを映画に捧げ、プライベートも「田中絹代」を演じきった。

―――監督としての田中絹代さんに焦点を当てた本を書かれた今、改めて彼女の人生をどう感じましたか?
津田:きちんと日本映画史に点を残した人だと思います。絹代さんが映画監督であったことは、今まで素通りされていました。この本を執筆したことで、絹代さんはささやかではあっても、きちんと女性が活躍する社会が本当に来ればいいと思い、監督した6作品できちんと点を残してきた。それが面になればいいのにと思っていた人だと私自身も実感できました。その一方で、溝口監督にとても執着していたことから、負けず嫌いな点もあったのでしょう。そして色々な映画監督が放っておけない面もお持ちだった。絹代さんは本当に言葉遣いが丁寧です。監督として普通なら「よーい、スタート!」と言う場面でも、「今から参ります」という具合で、どんな人にもとても丁寧な応対をされる方でした。だからいい意味で“監督田中絹代”を演じて6作品を作った人だと思います。一生田中絹代を演じ続けた。一方、自宅ではいつも電話の前で、オファーの電話がかかるのを待っていると何かで読んだことがあります。素の彼女は孤独だったのでしょう。全てを映画に捧げ、プライベートも演じきった人ではなかったのでしょうか。
 

■日本映画史の年表の中に「田中絹代監督」をきちんと入れるきっかけになれば。

―――ありがとうございました。最後に、メッセージをお願いいたします。
津田:私は、日本映画史の年表の中に「田中絹代監督」をきちんと入れるきっかけになればと思い、執筆しました。今は「女性監督特集」というくくりでは記載されても、映画監督本になると、田中絹代が入っていないのです。それどころか、女性監督はほとんど入っていません。この本は薄いですし、まだまだ深める余地がたくさんありますから、「田中絹代は映画監督だった」ともっと多くの方に知っていただき、研究していただいたり、女性監督が羽ばたく起点を再発見してもらえるとうれしいです。
(江口由美)
 

 
「映画監督 田中絹代」
著:津田なおみ 
出版:神戸新聞総合出版センター 
 
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