「AI」と一致するもの

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『わたしの、終わらない旅』坂田雅子監督インタビュー
 

~「聞いて下さい」母の訴えが背中を押した、核を選んだ人類の今を辿る旅~

 

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『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』で米軍がベトナム戦争で使用した枯葉剤の被害を追った坂田雅子監督。その最新作は、坂田監督の母、静子さんが77年から続けていたミニコミ紙、『聞いて下さい』で問い続けてきた原発の被害となった場所を巡り、その未来を問う。『わたしの、終わらない旅』というタイトルどおり、坂田監督は「核」をテーマに、実姉が70年代から放射能汚染を訴えていたフランスのラ・アーグ再生処理工場、46年から58年まで67回の核実験が行われたマーシャル諸島(ビキニ環礁)、旧ソ連の主要な核実験場だったカザフスタン・セミパラチンスクを取材。核実験による放射能に怯えながら過ごす日々や、今も体調不良を訴える人が後を絶たない様子などを、専門家の意見も取り入れながら映し出していく。
 
生前の母の活動を振り返りながら、その歩みを継承するかのようなドキュメンタリーを撮り上げた坂田雅子監督に、いち早く核の危険性に気付き、活動を続けてきた静子さんの歩みや、今回の旅を始めた動機、そして取材の中でさらに気付かされたことや今訴えたいことについてお話を伺った。
 

―――70年代に日本の使用済核燃料が、フランスで再処理されていたことは知りませんでした。お母様の静子さんは、いつ頃から核問題に関心を持っていたのですか?
スリーマイル島の爆発の前から危ないと思っていたようですが、大きなきっかけとなったのは、結婚後、フランスのラ・アーグ再生処理工場の対岸のガンジー島に住んでいる私の姉から手紙が来た時でした。手紙に驚いたと同時に、姉がその前年に重い障害を持った子供を産んでいたので、母の気持ちの中では「もしかしたら」という部分があったのです。母が調べてみると、放射能がどんなに危険なものかが記されていました。日本でもすでに反原発の動きが起こっており、東大の市民講座に連絡して勉強し始めたら、その危険性が分かり、母は居ても立っても居られなくなって、ガリ版を刷ったそうです。 
 
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―――原子力発電についてのビラ、『聞いて下さい』を作ってから、お母様の活動はどのように広がっていったのですか?

 

「公民館でガリ版を刷って駅前で配ってきたのよ」と母が言っていましたが、その一歩が大きいのです。初めてビラを配るなんて、本当に勇気が要りますから。たまたまガリ版を公民館で刷っているときに、信濃毎日新聞の方が記事にしてくださり、活動が周りに広がっていきました。そういう社会運動は一人では続けていけませんから。
 
 
―――監督は、お母様の活動をどのような気持ちでご覧になっていたのですか?
当時私は東海地方で働いており、自分の生活に必死だったので、母が原発のことを熱心に調べて行動していることが理解できませんでした。国や科学者の方が調べて、このような状態になっているのだから、何も知らない一介の主婦が心配しても、取り越し苦労ではないかと。
 
 
―――お母様は原発問題に対する運動を起こした先駆者のようにも思えますが、元々社会問題に興味を持っていたのですか?
母はクリスチャンだったので、ずっと宗教のことを考えており、靖国問題に興味を持ち始めたあたりから、社会問題に興味を持ったのだと思います。なぜキリスト教会が第二次世界大戦に加担したのか、また日本が国策で戦争をしてしまったが、私たちは何も知らないできてしまいました。原発の問題もそれに重ねて、何も知らないで来てしまったのではないかと。
 

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―――タイトルもある監督にとっての『わたしの、終わらない旅』は、いつから始まったのですか?
始まったのは3.11ですね。前作『沈黙の春を生きて』の最終的な編集をしていたときで、レーチェル・カーソンの『沈黙の春』を参考にしたのですが、これは50年前の作品なのです。あれだけレーチェル・カーソンが化学薬品や農薬に対する警告を発し、しかもその本がベストセラーになったにも関わらず、今の私たちの状況は警告を活かせていません。50年後になって、初めて被害が分かるものもあるのではないかと思うと、今から目を開き、間違っていないか考えるつもりで映画を作っていました。その50年を待つことなく福島原発事故という、とても過酷な形での環境破壊が起きてしまいました。
 
 
―――福島原発事故が起きたとき、お母様の運動が改めて頭をよぎったのではないですか?
外国の友達は、日本を脱出するように勧めてくれましたが、私は今こそ日本にいて、福島のことを映画にしなければいけないと思いました。でも、何が起こっているのか分からない。いても立ってもいられない状況の時に、母のガリ版誌『聞いて下さい』を読み直し、当時と福島の状況が一つにまとめて語れる映画ができればと思ったのです。
 
 
―――実際に、福島に入って取材はされたのでしょうか?
最初は日本各地の反原発運動をしている方に会いに行こうかと考えていました。そこでチェルノブイリの時に当時30万円ぐらいした放射能探知機を、母が仲間たちと一緒に買い、誇らしげに見せてくれたことを思い出しました。当時はこんなものが役に立つのかと思っていたのですが、仲間たちが母の死後も大事に持っていてくれ、彼女たちと一緒に福島に行ったとき、その探知機の値がどんどん上がり、飯館村の辺りになると信じられないような音を立てました。一緒に行った仲間は深いため息をついて、嘆いている声を聞きながら、私たちはどこに行ってしまうのかと考えた時に、思いついたのです。探知機を持って、ビキニ諸島に行ってみよう。60年前に核実験が行われたところが、今どうなっているかを見ることによって、福島のこれからがある程度見えるのではないかと。福島から旅は始まったし、福島に何度も行ってお話を伺いましたが、話を聞けば聞くほどまとめられなくなるのです。それぞれの悲劇がありますから。少し引いて違う角度から見ようとしたのが実際的な旅の始まりです。
 
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―――『聞いて下さい』の原点はフランスで、70年代当時は反対運動が行われていたそうですが、今はどのような状況なのですか?
ラ・アーグ再処理工場には、日本の使用済核燃料がまだあります。姉の島では、もう反対運動は全然ありません。みんな慣れてしまいました。70年代から稼働していて、目に見えて何かがあるわけではありませんから。今もジワジワと放射性廃棄物は流れていますが、皆見ないふりをしていますね。はっきりどこまでが危険で、どこまでが危険でないかが分からないという部分は、福島にもつながります。
 
 
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―――ビキニ島の住人達の取材も、いまだに島を追われ、戻っても残留放射能値が高く、とても住めない状況でした。
この映画には登場しませんが、ビキニ島の隣にあるロンゲラップ島も実際に放射能の灰を浴びており、80数人いた島民は別の島に避難していますが、甲状腺がんや亡くなった方も大勢いらっしゃいました。そのロンゲラップ島を除染し、住宅を建て、島民を返そうという努力をアメリカはしているのです。アメリカの科学者にインタビューすると、「少々放射能は残っているかもしれないが、決して危険な程度ではなく、しかも今のスラムのような場所に住んでいるよりはモダンな気持ちのいい家を作るのだから、そちらに住んだ方が全体的に見て絶対いいと思う」。島民は帰っていませんが、アメリカとしては島民を返して、この問題から手を洗いたいのです。それも、どこかで聞いたことのある話ですね。少しぐらい放射能が残っていても、住人を返せば責任はなくなると。ビキニ島の核実験で第五福竜丸が被ばくして帰ってきたときに、日本でも反核運動が盛り上がったにも関わらず、56~57年ぐらいからアメリカにより、原発の平和利用という名目で国民が洗脳されていく訳です。今は民意がNOと言っても、反映されません。
 
―――日本でも最近はSEALDsなど、若者発の市民運動が起こっていますが。
日本と原発全廃を決めているドイツとどこが違うかと言えば、ドイツは市民社会がかっちりしていて、町の反原発運動が、国中の大きなうねりになったのです。日本でも小さな運動はありますが、それが大きなうねりにはなりません。さざ波のままなので、どうすればうねりに持っていけるのかが課題です。うねりになるためには、上から来ないと。第二次世界大戦の時も開戦するときのうねりは上から来たわけで、下から来ないです。
 
―――この核をめぐる問題に答えはあるのでしょうか?
答えはあります。再生エネルギーにして原発を止めるということです。できてしまった廃棄物をどうするかに対する答えはまだありませんが、これ以上原発や廃棄物を作らないでいることはできます。
(江口由美)

<作品情報>
『わたしの、終わらない旅』
(2014年 日本 1時間18分)
監督:坂田雅子
2015年8月29日(土)~第七藝術劇場、9月5日(土)~京都シネマ、9月26日(土)~元町映画館
公式サイト → http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/
(C) 2013 天空/アジア映画社/太秦
 
 

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『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』 映画公開記念
特製クリアファイル(A4)
 プレゼント!

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■  提供:アスミック・エース株式会社

■ 募集人員: 5 名様

■ 締切:2015年9月20日(日)


2015年9月11日(金)~ 大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ(なんば、二条、西宮OS)、OSシネマズミント神戸 ほか全国ロードショー!! 

 

★作品紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://boysoprano@asmik-ace.co.jp

 


  
『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』

 

愛を知らなかった少年が歌う喜びを知った時、夢の舞台の幕が上がる―
アカデミー賞®2度受賞の名優 ダスティン・ホフマン
× 期待の新星 ギャレット・ウェアリング     

~それは少年から大人になるまでのわずかな間だけしか出せない“奇跡の歌声“~


世界有数の少年合唱団を舞台に、ひとりぼっちの少年が厳しい指導者との出会いによって成長し、限られた時間の中で自分の運命を切り開いていく愛に溢れた物語が、いよいよ幕を開ける。

boychoir-550.jpg複雑な家庭環境に育ち、トラブルばかり起こしていた少年ステットだが、実はたぐいまれな美声の持ち主だった。そんな彼に飛び込む名門少年合唱団への入学。そこで少年たちの育成を任されているのは、厳しい指導で知られているカーヴェル。彼は若いころに才能を否定され、指導者の道に入った過去があり、才能がありながらも、無駄にしているステットに対して厳しく接する。楽譜も読めず同級生たちからのいじめに遭いながら、カーヴェルの導きにより、次第に“歌う”事に魅了されていくステット。
そんな時、由緒正しいコンサートでソロを歌うチャンスが与えられる―。

アカデミー賞®2度受賞に輝く名優、ダスティン・ホフマンを始め、本作が初の長編出演となる新星ギャレット・ウェアリング他、名優たちが脇を固める。監督にはアカデミー賞受賞作『レッド・バイオリン』で知られるフランソワ・ジラール。また、ワーグナー、ヘンデルといった偉大な作曲家たちによる合唱曲が映画を華麗に彩る。その圧倒的なドラマと奏でられる名曲の数々により、トロント国際映画祭を始め各国の映画祭でも絶賛の嵐を呼んでいる。

 


出演:ダスティン・ホフマン、ギャレット・ウエアリング、キャシー・ベイツ、デブラ・ウィンガー、ジョシュ・ルーカス、エディ・イザード、ケヴィン・マクヘイル他
監督:フランソワ・ジラール 脚本:ベン・リプリー
© 2014 BOYCHOIR MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
HP:boysoprano@asmik-ace.co.jp
提供:アスミック・エース/ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント

2015年9月11日(金)~ 大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ(なんば、二条、西宮OS)、OSシネマズミント神戸 ほか全国ロードショー!! 

 (プレスリリースより)
 

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『世界で一番いとしい君へ』オリジナル付箋 プレゼント!

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■ 募集人員: 3 名様

■ 締切:2015年9月6日(日)

 

2015年8月29日(土)~ シネマート心斎橋
9月19日(土)~ 京都みなみ会館
10月 ~ 元町映画館  他全国順次公開

★公式サイト⇒ http://www.itoshiikimi-movie.info/
 


  
『世界で一番いとしい君へ』

 

流れ星のようなボクたち家族の人生は、毎日が喜びの連続でした。
微笑みを絶やさず今を生きる ある家族の愛の物語
夢いっぱいの青春を生きるはずの我が子が、誰よりも先に“大人”になっていく…。

     

sekaiichiitosii-550.jpgテコンドー選手を目指していたデスと、アイドルを夢見ていたミラ。17歳という若さで親になった2人は、息子アルムと3人でかけがえのない家族になった。16歳になったアルムは、成長が急速に進む先天性早老症のため、身体年齢は80歳を超えている。治療費を稼ぐため必死に働くデスとミラだったが、息子と共に明るさを失わずに生きてきた。そんな彼らの人生がテレビ番組で紹介され、それまで限られた世界しか知らなかったアルムにドキドキする“事件”が起こり始める。だがアルムに残された時間はわずかだった…。


映画『群盗』『超能力者』など“美しきオーラ”で圧倒的な存在感を示してきたカン・ドンウォンが初の父親役に挑戦し、子供よりも子供っぽい無邪気な姿とあふれ出る父性愛を表情豊かに表現。ドラマ「オールイン運命の愛」などで輝きを放ってきたソン・ヘギョは、優しい笑顔で家族をしっかりと包み込む母親役を好演している。また『スキャンダル』『女優たちへ』のイ・ジェヨン監督は、過去作とは全く趣を変えた軽快なテンポの本作で、観る者の心に温かな癒しと深い余韻を運び込んでくれる。

 


 
監督:イ・ジェヨン  原作:「どきどき僕の人生」キム・エラン著(クオン)
キャスト:カン・ドンウォン、ソン・ヘギョ、チョ・ソンモク、ペク・イルソプ、イ・ソンミン、キム・ガプス
原題:두근두근 내 인생
2014年/韓国/カラー/117分  配給:ツイン
© 2014 ZIP CINEMA All Rights Reserved.

 2015年8月29日(土)~ シネマート心斎橋、 9月19日(土)~ 京都みなみ会館、 10月~ 元町映画館  他全国順次公開

 (プレスリリースより)
 

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『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督トークショー@第七藝術劇場
2015年8月9日(日)第七藝術劇場にて
 
(2015年 日本 2時間28分)
監督:ジャン・ユンカーマン(『老人と海』『映画 日本国憲法』)
8月8日(土)~第七藝術劇場、15日(土)~ポレポレ東中野(アンコール上映)、29日(土)~神戸アートビレッジセンター、近日~京都シネマほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://okinawa-urizun.com/ 
戦後70年、沖縄は問いかける『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督インタビューはコチラ 
(C)2015 SIGLO
 

~主張をし続けることが大事。

日米双方で沖縄問題に関心を持つ人が少しでも増えれば、小さな勝利になる~

 
2005年に『映画 日本国憲法』で海外からみた日本国憲法を描いたジャン・ユンカーマン監督が、沖縄戦から現在に至るまでの長いスパンで「沖縄の戦後」を顧み、沖縄の声を聞く最新作『沖縄 うりずんの雨』を完成させた。東京、沖縄での上映を経て、現在第七藝術劇場で絶賛公開中だ。
 
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ジャン・ユンカーマン監督は、沖縄が本土復帰して3年後の1975年から沖縄に滞在している。復帰後にもかかわらず多数の米兵が滞在していることに理不尽さを感じ、ずっとアメリカに沖縄の現状を伝えたいと思っていたという。製作に3年半をかけた本作は「沖縄戦」「占領」「凌辱」「明日へ」の4部構成で、アメリカ側の沖縄映像資料(沖縄戦や、占領時代の映像)やインタビューを織り込み、沖縄とアメリカ双方の立場から米軍基地問題を掘り下げた。第七藝術劇場では、『沖縄 うりずんの雨』の延長線上に位置する作品、『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)も現在同時公開しており、双方を観ることで、沖縄問題をより深く知り、考える良い機会となるだろう。
 
公開2日目の9日15:20の回終了後に行われたトークショーでは、満席の観客を前に、ジャン・ユンカーマン監督が本作のテーマや現在日本が抱えている安保、基地問題、沖縄に対する日米の差別意識について、会場からの質問に答えた。米兵によるレイプ事件の加害者インタビュー映像を取り入れたことについても、経緯やその必要性について監督の意見を真摯に語ってくださった。1時間に及ぶ熱のこもったトークショーの模様をご紹介したい。
 

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Q.現在記念上映されている『ひめゆり』(柴田昌平監督作)の感想は?
『ひめゆり』は丁寧に証言を集めていたので、ひめゆり学徒隊や沖縄の現実がみえる映画です。『沖縄 うりずんの雨』との共通点は、経験したことを自分の言葉で証言してもらっていること。歴史を理解するのに一番いい方法です。勇気が必要だったと思いますが、自分の目で見たことを話してもらいました。皆さん、とても劇的で、悲劇的な経験をした方々で、経験したことを明確に記憶しています。それらがこの映画のベースになっており、その延長戦上に三上智恵監督の映画(『戦場ぬ止み』)があります。私が歴史の証言を取っていく中で、辺野古も厳しい状況になってきています。昨年9月、空撮のため沖縄に行くと、モートン・ハルペリン氏(沖縄返還交渉に携わった米国家安全保障会議元高官)がシンポジウムで基調講演を行うため滞在しており、一緒に撮影もできました。シンポジウムとそこでの大田昌秀先生の発言が、この映画の主張の一つをまとめてくれ、最後のシーンができました。
 
 

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Q.20年前に起きた12歳少女レイプ事件の犯人の一人、ロドリコ・ハープ氏が画面で証言しているが、証言を映画に入れるまでの経過は?また、沖縄の方の反応は?
こういう映画を作るときは、最初から誰に観てもらうかを考えます。沖縄問題を意識してもらいたいのは、主に日本本土、アメリカの人たちで、彼らが沖縄問題を掴むためにどうすればいいかを考えました。沖縄で上映したときは、本土とは全然違う感じがしました。レイプ事件だけでなく、沖縄戦のことを沖縄で観ることは、とても辛いところでもあったと思いますが、アメリカ人や本土の日本人に伝えるためには真正面から描く必要があったのです。沖縄でも、多くの人に沖縄のことを伝えようとすることに対し、暖かい反響と感謝を伝えてもらいました。
 
私は、最初から加害者の証言も映画の中に入れるべきだと思っていました。沖縄問題が出てくるたびにレイプ問題も取り上げられますが、その実態はなかなか理解されていません。特に沖縄以外の人たちは遠いところの事件と思っています。ハープ氏は今回最初に撮ったインタビューですが、それまでには撮るかどうか、撮った後につかえるかどうかという判断がありました。いつも相手にシンパシーを持ってインタビューをしているので、レイプした人に面と向かって話ができるか不安でしたが、実際に会うと、とても素朴な人でした。心の深いところで反省していたので、これは使えると思いました。
 
後は、どうやって見せるかです。そのためには事件の背景に何があるかを描きました。加害者の話だけでなく、(今までのレイプ事件の)被害者の話も入れ、最終的にはアメリカの学者シンシア・エンローさんの話を入れて、インタビューの前に枠組みを作って、丁寧に見せるようにしました。沖縄で女性問題に深く関わっている方も、こちらの意図は認めてくださっていますが、加害者インタビューは見せるべきではないと言われました。20年前に起こった事件ですが、被害者に配慮し、沖縄のメディアは今でもディテールには触れないようにしています。だから僕たちはそれに真正面から取り組み、見せようと判断しました。
 
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Q.今回の映画のテーマの一つである憲法第9条に対する沖縄県民の思いと本土の人の思いは、アメリカ人のジャン・ユンカーマン監督からみると、どう映るのか?
一つの見え方として、沖縄は憲法第9条を守る最前線です。戦後70年の今、憲法問題や安保法案を通して、日本の戦後の歴史が見えてきています。多くの日本市民が心の深いところで戦争を否定、放棄しています。ただ、矛盾しているのは、日本とアメリカが軍事同盟を組んでいることです。アメリカは絶えず戦争を選んでおり、日本がアメリカと組むと、どうしてもアメリカの方針に従わざるを得なくなります。安保がそうですが、それがはっきりと見えてきているのが今年の夏で、民意と政府の方針が対立しています。
 
もう一つの見え方は、同じことが狭い規模で沖縄に起こっているということです。20年間沖縄の人たちは(辺野古移設は)ダメだと否定し、特にこの2、3年はオール沖縄の意思となっているのに、安倍政権はアメリカ政府と約束しているから基地を作ると言っています。TBSキャスターの金平氏が、「全国が辺野古化されてきた」と言っていますが、辺野古で起こっているのと同じことが国会で起きています。どうやって解決するかはとても難しいですが、その難しさがこの映画のテーマでもあります。
 
また、それらが起こる環境には二つの意識が内在しています。一つは(アメリカ側から見て沖縄は)戦利品という考え方で、沖縄はアメリカが沖縄戦で犠牲を払って得た特権的な権利を持つ場所なのです。長いスパンで映画を描くことは、戦争が終わった途端、アメリカが特権的意識で扱ってきた沖縄を映し出すことでもあります。占領が終わっても基地がそのまま残るのは、特権的な権利がある戦利品だからです。
 
もう一つは、本土の日本市民の中に沖縄に対する差別意識があることです。今は米軍基地の74%が沖縄に集中しています。「それはしょうがない」という発言には差別が入っていると思います。なぜ70~90年代に沖縄の基地に反対する声が挙がってこなかったのかと考えると、それは沖縄市民が二流市民(second citizen)と思われているからです。実際、アメリカ本土占領が終わったとき、米軍基地の80%が本土にありました。沖縄が74%になったのは沖縄の本土復帰後です。本土の基地を閉鎖して、沖縄に移設しているのです。今になってそれに対して疑問が広がっていますが、沖縄では(基地を残したままの)本土復帰は差別的だと当時から言われています。映画の中で沖縄の写真家、石川真生さんも、沖縄の人が受ける差別と黒人差別が似ていると語っていました。重要なのは、差別が根拠になるときは、差別がなくなるまで闘い続けることです。アメリカの黒人公民権運動も差別と闘う歴史でしたし、沖縄もそういう歴史になると思います。
 
 
Q. (生粋の沖縄県民であることを表明しての質問)事件の加害者であるロドリコ・ハープ氏には、実際にどういう言葉で映画の出演依頼をし、それに対してどのような返答があったのか?また、沖縄県民の反発は予想はされていたと思うが、実際はどうだったか?
ハープ氏らには、「あなたたちは罪を犯したが、その罪を責めるつもりはない。あなたたちの状況を正直に話してもらいたい」と手紙を書きました。手紙が届くまでは色々な経緯があり、時間がかかりましたが、届いてからすぐに「了解しました」と返事をもらったのです。後で理由を聞くと、カメラの前で事件が起きたときのことを正直に話すことが自分のためにもなると語ってくれました。レイプ事件を起こしたことは許してはいけないし、(観客の皆さんには)映画の方針を理解していただいていると思います。メディアが(事件のことを)丁寧に扱ってきたことに対して、そのルールを破ったという反感はありましたが、コザ地区での上映後に、「ハープ氏と話す機会があったら、『あなたには生きてほしい、自殺しないで』と伝えてほしい」とおばあさんが話しかけてくれたこともありました。
 
加害者のインタビューを見て複雑な気持ちにならない人はいないですが、そこから色々なことが見えてくると思います。ハープ氏はとても素直な人でした。「アメリカではレイプ事件に関わることは想像もできないが、沖縄では関わることができる」というのはどういうことかといえば、占領者の意識であり、基地から外に出た世界を見下しているのです。それはすごく大事な情報です。加害者が普通の兵士だからこそ、深刻な問題で、現に米軍基地の中でも、性暴力が頻繁に起こっています。
 
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Q.将来の展望という点で、アメリカが沖縄を戦利品と捉えているのなら、アメリカの国民世論が盛り上がることも必要だと思うが、アメリカで本作のような映画に賛同してくれる人がどれぐらいいるのか?
残念ながらアメリカの軍事主義はとても根強く残っています。アメリカ人として悲しいことですが、僕はベトナム戦争の最中に育てられ、反戦運動もしていました。終わったときに二度とあんな戦争をしないと思っていましたが、アメリカはそこから何も教訓を得ていません。民主党も共和党も軍隊を支持しており、武力で国際問題を解決することができるし、必要だと思っています。また、アメリカは海外に100か国で800基地を持っています。残念ながら沖縄はその中の一つという捉え方です。
 
ただ、沖縄の辺野古問題が長引いたことにより、辺野古の基地建設をやめてほしいという人は増え続けています。私が関わっている大学のネットワークによると、平和を唄う元米兵グループが、辺野古の基地建設反対声明を出していますし、バークレイの市議会も声明を出しています。それらはまだ少数派なことは否めませんが、秋に『沖縄 うりずんの雨』上映ツアーを組み、大学などで上映しながら、広めていきたいと思います。解決方法となると、主張をし続けるということでしょう。辺野古を応援しつづけ、強制的に基地が建設されることに対し抗議の声をあげれば、その声はアメリカに響くはずです。
 
特に(沖縄に駐在した)元米兵の動きが大事です。(米軍が沖縄に駐在し始めてから)70年になりますが、大体年平均5万人が沖縄に駐在しており、延べ350万人にのぼります。彼らは、沖縄に対して懐かしさを抱いていますし、沖縄のことが好きです。そういう人たちが沖縄にずっと基地を残すべきなのかと考えるのではないでしょうか。少なくともインタビューで出演した元米兵(沖縄戦に従事)は、まだ米軍が沖縄に残り、負担させられていることを残念がっていました。
 

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Q.米軍兵士が置かれている状況を以前直接聞く機会があり、軍隊内は暴力が支配し、レイプも当たり前。兵士たちは貧しい中でリクルートされ、完全に暴力的支配で統治されておりというのは忘れてはいけないアメリカの状況だと感じたが。
その通りだと思います。軍隊は根本的に非人間的な組織で、敵を見下すことが必要です。それは、米軍が沖縄でやっている行動につながっています。米軍もPTSDを抱えている若い兵士が25万人おり、年間7000人の自殺者(1時間に一人ぐらいの割合)がいます。戦死者より自殺者が圧倒的に多いですし、自衛隊でもイラクからの帰還兵には自殺者が多いです。しかし、そういう精神的な病気を抱えている人の治療は全く行われておらず、兵士は使い捨てのようになっているのが、軍隊の根本的な姿です。米軍の性暴力も同じで、毎年2万8千件ぐらい起きており、とても深いところにある問題です。だから、妥協してはいけません。
 
集団的自衛権も同じことです。戦争に行かせるということは問題の解決にはならず、両方が被害者になることにつながります。沖縄という一つの島でもそういう状況が見えてきますが、それは普遍的なメッセージでもあります。沖縄から届く声を聞くことが大事です。
 
三上監督の『戦場ぬ止み』で、辺野古の座り込みに参加している人たちは、唄って踊って、とても明るく、人間的なところがあります。厳しい状況の中、強い精神をもって座り込みを行っているのです。これがおかしい、やってはいけないという人が増え続ければ、いずれは改善できます。本土の中でも、この映画を歓迎する人がたくさんいます。沖縄への関心が確実に高くなり、その事実が沖縄に届くと、沖縄の人の励みになります。沖縄問題に関心を持つ人が少しずつ増え続ければ、それは小さな勝利です。一度、「沖縄の人たちは、負けは知らない」と言われたことがあるので、「負けっぱなしではないか」と返すと、「勝ったことはないから、負けはわからない」と言われました。沖縄は「(見方を変えれば)世の中はこういう風に見える」と教えてくれる気持ちの豊かな島です。
(江口由美)
 

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nobi-di-550.jpg若い人の宝になる映画を!『野火』塚本晋也監督インタビュー

(2014年 日本 1時間27分)
・原作:大岡昇平
・製作・脚本・撮影・監督・編集:塚本晋也
・出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森 優作、中村優子
・2015年7月25日(土)~渋谷ユーロスペース、8月1日(土)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
・公式サイト⇒ http://nobi-movie.com/
・コピーライト:(C)SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER


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~雄大で美しい風景と無残で小さい人間、このコントラストを撮りたかった~

 

大岡昇平が第2次大戦中、フィリピン戦線での日本軍の苦闘を描いた問題作。1951年に「展望」に発表した戦争文学の代表作。第3回(昭和26年度)読売文学賞・小説賞受賞。59年に市川崑監督が大映で映画化している。


【物語】
nobi-550.jpg第2次大戦末期のフィリピン・レイテ島。敗色濃厚で日本兵たちが飢えに苦しむ中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを命じられるが、病院も負傷兵で入れず、田村は追い出される。戻った部隊からも入隊を拒否され、原野をさまよい歩く。空腹と孤独、容赦なく照りつける太陽の熱と戦いながら、田村は地獄のありさまを目の当たりにする。殺人、人肉食への欲求、同胞すら狩ってまでも生き延びようとする戦友たち。何とか生き延びた田村にも、いつしか狂気がしのび寄る…。  

死体が行く手にゴロゴロ転がる、凄惨な画面には絶句するしかない。人間はどこまで残酷になれるのか? 限界を試すようなフィリピンの無残極まりない描写は、今転がって行きつつある“いつか来た道”への警告に違いない。


 塚本晋也監督が構想20年をかけた悲願の作品『野火』(大岡昇平原作)が完成し9日、大阪・シネ・リーブル梅田で先行上映された。舞台あいさつのため来阪した塚本監督に、映画に込めた思いを聞いた。


―――『野火』の映画化はいつ頃から考えていたのか?
塚本晋也監督:原作を高校時代に読んで、鮮烈に頭に残った。悪いトラウマではなく、いいトラウマになった。映画少年だったんで、いつか映画化したい、とその時から思っていた。あれから40年。凄惨な戦場の映画ですが、雄大で美しい風景と無残で小さい人間、このコントラストだけは描きたいと考え、30代でも40代でもそこは変わらなかった。

nobi-di-2.jpg――― 脚本執筆はいつ頃? 
塚本監督:30代にはシノプシスを書いた。輪郭は変わっていない。原作に近づいて、追体験していく旅、みたいな感じですね。

――― 市川崑監督の『野火』(59年)は見たか?
塚本監督: 銀座・並木座で見た。強い印象を受けた。崑さんを大尊敬している。心に残りました。崑さんの人間性にも…。自分が撮っていたモノクロの8㍉映画に影響を受けた。その後、崑さんの映画をずいぶん見た。

――― 市川崑監督フリークだった?
塚本監督:日本映画が好きで崑監督も好きだが、黒澤明監督、岡本喜八監督も好きでした。一番好きなのは神代辰巳監督ですけど。全盛期の日活ロマンポルノは中学生なので見られなかった。東宝時代の『青春の蹉跌』や『アフリカの光』などを見てます。日活時代の映画は今後の楽しみにしています。

――― 監督としては最初が『鉄男』(89年)になる?
塚本監督: 『野火』にはまだまだ手が届かなかった。30歳過ぎて映画にしようとしたが、規模が大きく現実的にはならなかった。10年ぐらい前に、戦場に行った方々が80歳を超えられた頃、インタビューを始めた。レイテ島の戦友会のリーダーの紹介で10人ぐらいの方々に聞いた。実際、人間がいかに簡単に物体に変化するものか、聞いた。写真も見せてもらった。

――― カニバリズム(人肉食)については?
塚本監督:自分が、とは誰も言わないが、現地では普通に行われていたようです。理性が働いてる状況じゃない。食べたか食べなかったか、良い悪いを問う映画ではない。

nobi-di-3.jpg――― 原作は文学的表現になっているが?
塚本監督:市川崑作品では食べていない。人肉を食べて歯がボロボロになって食べられなかったということになる。今作では、食べただろうなという程度。サルの肉とされているが、バラバラ死体はサルではなく人間に見える。

―――『鉄男』をはじめ、海外や日本でも“塚本フリーク”は多いが『野火』はアレっと思う作品では?
塚本監督:そうかな?  ある種のファンタジーとして見せる映画が多かったが、根っこのところでは共通している、と思う。

――― 丁度戦後70年の節目の公開になるが?
塚本監督:そこを目指した訳じゃないが、偶然のようで、実は必然だった。10年前には取れなかった原作(の映画化権)も取れたし、周りのスタッフも頑張って、1着買った軍服を50着にしてくれた。奇跡みたいにして出来た映画です。

――― 自ら主演も。はじめから自分でやるつもりだった?
塚本監督:いやいや、もっとほかの人でオファーもありましたが、やっぱり自分で、ということに。普通の人っていう目線を意識した。田村(主人公)とお客さんが一緒です、と。

―――『野火』の前に(マーティン・)スコセッシ監督の『沈黙』に3か月、中心になる「茂吉」役で出演しているが?
塚本監督:遠藤周作原作で、これもスコセッシ監督が20年ぐらい温めていた作品。『野火』、スコセッシ監督作品と、宿願の作品にかかわれた、意義ある1年。この1年は“ビフォーアフター”みたいですね。 

――― 昨年9月にベネチア国際映画祭コンペ部門に出しているが、反響は?
塚本監督:お客さんのスタンディング・オベーションはものすごく長かった。マスコミは賛否両論。暴力シーンではっきり別れました。

――― 若い人に見てもらいたい映画?
塚本監督:本当にそう。私たちが子供時代に“はだしのゲン”を見て心から感動したように、若い人には宝になる映画です。

(安永 五郎)

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