「AI」と一致するもの

saigono-550.jpg『最後のマイ・ウェイ』

impossible-550.jpg『インポッシブル』

GGB-550.jpg『華麗なるギャッツビー』

『イタリア映画祭2013』座談会

zadankai-550.jpg左から、岡本太郎(司会)、①カルロッタ・クリスティアーニ(編集)、②ジュゼッペ・バッティストン(俳優)、③ジュゼッペ・ピッチョーニ監督、④エドアルド・ガッブリエッリーニ監督、⑤イヴァーノ・デ・マッテオ監督、⑥ダニエーレ・チプリ監督)

・日時:4月29日(月・祝)15:15~16:45
・会場:有楽町朝日ホール(千代田区有楽町2-5-1 マリオン11階)

★開会式と作品紹介は⇒ こちら

★『赤鉛筆、青鉛筆』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督トークは⇒ こちら

★『それは息子だった』ダニエーレ・チプリ監督トークは⇒ こちら

 

 今年も個性豊かなクリエイターが揃っての座談会が開催された。それぞれの作品の見どころと共に、「テーマがはっきりとして分かりやすい」、「音楽の使い方が絶妙」、「人物描写が味わい深い」というイタリア映画の特徴も見えてくる。それはオペラのような劇的表現に似たものを感じさせて興味深い。『イタリア映画祭2013』は、そんなイタリア映画の魅力を再発見する貴重な機会となった。


【ゲスト紹介】

zadankai-1.jpg①『日常のはざま』『司令官とコウノトリ』編集:カルロッタ・クリスティアーニ
『日常のはざま』の監督:レオナルド・ディ・コンスタンツォの代わりに来日。本作は監督にとって初の劇映画になり、今まで活動してきたドキュメンタリーの経験が色濃く反映されている。映画の舞台となるナポリの子どもとワークショップを重ねたことで、思春期特有の心の揺れを捉えることに成功している。
 

zadankai-2.jpg②『司令官とコウノトリ』出演:ジュゼッぺ・バッティストン Giuseppe Battiston
一度見たら忘れられない大柄な体で、ありとあらゆる役を難なくこなすイタリア映画界きっての名脇役。本映画祭で上映された『ラ・パッショーネ』『考えてもムダさ』などで、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の助演男優賞を3回受賞している。

 

 

zadankai-3.jpg③『赤鉛筆、青鉛筆』監督:ジュゼッペ・ピッチョーニ Giuseppe Piccioni
(大阪では、5/12(日)11:00~上映)

登場人物の心の動きを細やかに描く演出に長けている、本映画祭の常連監督の一人。今年の6月には、マルゲリータ・ブイとシルヴィオ・オルランドが主演で、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の5冠に輝いた名作『もうひとつの世界』が公開される。

 

 

zadankai-4.jpg④『家の主たち』監督:エドアルド・ガッブリエッリーニ Edoardo Gabbriellini
『ミラノ、愛に生きる』でティルダ・スウィントンと恋仲になるシェフ役をはじめ、俳優としてのキャリアが長い。本作は、カンヌ映画祭の批評家週間に選ばれた初監督作から約10年ぶりとなる第2作で、豪華キャストが息の合った演技を見せる。

 

 

zadankai-5.jpg⑤『綱渡り』監督:イヴァーノ・デ・マッテオ Ivano De Matteo
俳優やドキュメンタリーの監督を務める一方で、劇映画でも前作「La belle gente」が高い評価を受け、着実にステップを踏んできた。現代のイタリア社会の深刻さを真っ向から見すえた本作は、ヴェネチア国際映画祭で称賛された。

 

 

 

zadankai-6.jpg⑥『それは息子だった』監督:ダニエ―レ・チプリ
 
Daniele Ciprì
(大阪では、5/12(日)13:40~上映)

2004年に本映画祭でも上映された『カリオストロの帰還』以降は、主に撮影監督として活躍し、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』でイタリアの主要な賞を総なめにする。本作で、満を持して長編劇映画に久々に復帰した。

 

 

 


 

――― ロケ地や時代について?

⑥ダニエーレ・チプリ監督:『それは息子だった』、ロベルト・アライモの原作を映画化したいという企画がきた時、実際に起こった事件なのでリアルにせずにコメディっぽく描こうと思った。1970年代~80年代のシチリアのパレルモが舞台だが、リアリズムを追求した訳ではないので、パレルモ以外で撮影。裁判記録を読んでいると、実はこの家族はいろんなことを引き起こしており、2部にもつながるような話がある。歴史と事件との関係上、主役にはトニ・セルヴィッロのような大胆な演技のできる俳優を起用した。それに合わせて他の俳優たちも4週間かけてキャスティングし、グロテスクなストーリーだがドラマチックなコメディに仕上がったのは、こうした素晴らしい俳優たちに負うところが大きいと思っている。

⑤イヴァーノ・デ・マッテオ:『綱渡り』はローマが舞台だが、どこの街か分からないような感じにしたかった。撮影監督が上手く撮ってくれたと思う。イタリアが抱えている問題は欧州全般に通じる問題となっていて、政治家たちに、命がけで綱渡りのような生活を送っている人々のために、より安全な救いのネットを作ってほしいと訴えたかった。私は実は柔道をやっていて、畳にも馴染深いし、日本語で数も数えられる。今回日本に来られて本当に嬉しい。これで「技あり1本!」が獲れたかなと思う(笑)。

④エドアルド・ガッブリエッリーニ:『家の主たち』は久しぶりの監督作です。『見渡す限り人生』や『ミラノ、愛に生きる』などでは俳優をやっていた。リボルノ出身だが、そこでロケしなかったのは、ミステリーやサスペンスに合ってなかったから。デヴィッド・リンチの『ツインピークス』を見ていて、モミの木が沢山ある所で撮りたかった。トスカーナ州とエミリア・ロマーニャ州との境にある小さな村でロケ。そこは別荘地でもあり、いかにも何かが起こりそうな予感がする場所。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:来日回数を覚えていない位沢山来日している。実は、ずっと日本にいて動いていないんですよ。日本の小部屋に隠れていて、映画祭がある時にだけ出てきているんです(笑)。『赤鉛筆、青鉛筆』はローマの学校、いろんな問題はあるが、過ごしてきた懐かしい学校を描きたかった。様々な問題が取り巻く状況の中で、教える者と教えられる者との関係、特に教師の立場で教えるという人生の意味を語っている。
――― 高校を描いた作品では現在公開中の『ブルーノのしあわせガイド』があるが、日本の学園ものとは随分見方が違うなと思った。イタリアの方が「学ぶ」ということを信じていて羨ましいと感じた。

②ジュゼッぺ・バッティストン:今回の役は複雑で楽しい役だった。イタリアを創ってきた偉人たちの銅像と私が演じたアマンツィオは、腐敗や堕落が蔓延する政治界へ宣戦布告するという役割を担っている。この役は実際には私より年上で、いろんな言語を網羅するかなり変わった人物。日本の観客の感想を聴きたい。

観客:イタリアの映画は、政治や社会問題に果敢に挑戦しようとする力がある。日本の映画にはそんな力も傾向もなくて残念に思った。

②ジュゼッぺ・バッティストン:作品はコメディだが、現実はそうはいかない状況。それも笑うしかないって感じかな(笑)。

①カルロッタ・クリスティアーニ:『日常のはざま』と『司令官とコウノトリ』の2作品の編集をした。『司令官とコウノトリ』はミラノでロケしている。小さい家にしか住めない家族の状況や、バルセロナへ行きたがる若者の傾向などをよく捉えていた。『日常のはざま』はナポリで撮っているが、街は殆ど映っていない。唯一屋根の上のシーンで、街の音が吹き込まれていた。若者が抱える困難な状況を表現していた。
――― 重くのしかかる社会から一日だけ解放されたようだった。イタリアはいろんな意味でロケには有利なお国柄で、多くの作家たちがどんな世界を描くかがはっきりしている。それがイタリア映画の力だと思う。

 

――― 登場人物の中で注目してほしい人は?

⑥ダニエーレ・チプリ監督:『それは息子だった』、郵便局で語っている男(ブス)。アルフレード・カストロというチリでは劇作家をしている俳優で、いわば私の分身のような語り部の役割。それから、主人公を演じたトニ・セルヴィッロは、『ゴモラ』『イル・ディーヴォ』『至宝』などにも出演している名優で、彼はパレルモの人々の体の動かし方や喋り方や考え方などを緻密に表現していた。なんせ、パレルモの人々は自分こそ宇宙の中心と考えている人が多いので(笑)。

⑤イヴァーノ・デ・マッテオ:『綱渡り』、主人公を演じたヴァレリア・マスタンドレアとは2回目のコラボ。彼が演じる父親像は、現実にこうした経験をしている人々を反映していた。ジュリオという名前は、亡くなった私の友人の名前から付けた。ジュリオの心理状況は、綱渡りの人生を送っている私自身。理想的な演技をしてくれて、大変満足している。娘役のロザベル・ラウレンティ・セラーズは、この役に血肉を与えてくれた。息子役のルーポ・デ・マッテオは、私の実の息子です。自分がもしこのような状況に陥ったら、探しに来てほしいという願いを込めて作った(笑)。

④エドアルド・ガッブリエッリーニ:『家の主たち』ではとても豪華なキャスト陣で、作っている途中からどんな作品に仕上がるかとても楽しみだった。中でも、兄役のヴァレリア・マスタンドレアは素晴らしい役者。ジャンニ・モランディという歌手は、イタリアでは有名な歌手で、十数年も歌ってなかったのを、この映画のために歌ってくれた。〈永遠の好青年〉というイメージの彼に、残酷な役をやらせるのが心配だった。でも、彼は楽しんで積極的に演じてくれた。ベテランから若い素人の役者まで、監督するのがとても楽しかった。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:いろんなキャリアの役者を起用した。中でも、年老いた先生を演じたロベルト・エルリツカは演劇界の重鎮で、教育現場に幻滅を感じているが希望を見出していく人物像を巧みに演じてくれた。演出することの最たるものが俳優たちとの仕事。ロベルトは少し年寄り過ぎるが、伝説的な尊厳のある教師が文化や教育に対して幻滅するという役を、予想以上に味わい深く演じてくれた。

――― バッティストンさんはいろんな役を演じてきたが、その役作りは?
②ジュゼッぺ・バッティストン:基本は、本当の自分とは違う人物を創り上げることが役者の本質。イタリアの現状ではそのようなアプローチがされていなくて、同じようなイメージのままいくことが多い。イタリアでは演劇界も活発で、役者としての仕事はある。先程話題になったロベルト・エルリツカ氏は演劇界の第一人者。

――― 人物にポイントをおいて編集することはあるのか?
①カルロッタ・クリスティアーニ:『日常のはざま』では、素人の俳優とプロの俳優の場面の編集の仕方は全く違った。プロの俳優だと使える場面の選択範囲が広く、編集するのも楽しい。主役二人は素人なので、何回もワークショップを重ねて撮っている。
――― 『日常のはざま』のレオナルド・ディ・コスタンツォ監督とは、ドキュメンタリー作品でも一緒に仕事をしているが、編集の仕方に違いはあるのか?
①カルロッタ・クリスティアーニ:1本だけコラボ。編集の仕方は違う。
――― 編集者は女性が多いが、男性監督が好きに撮って、女性編集者がきちっとまとめてくれる?
①カルロッタ・クリスティアーニ:現在は5:5の割合。編集は昔から室内での仕事なので、女性が多いかも。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:編集者の役割は大きい。作品のリズムやセリフを活かすのは編集次第。マルゲリータ・ブイが「美しいものとは?」という質問に、「撮影、編集、他のスタッフの素晴らしい仕事が完成して、初めて美しいものができる」と答えていた。

①カルロッタ・クリスティアーニ:スタッフは別に隠れている訳ではないが、なるべく作品のクォリティを引き上げようと常に努力している。それが映画製作の基本だから。

(河田 真喜子)

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~台湾原住民族の魂とその生き様を体感、衝撃の4時間半!~

『セデック・バレ 第一部太陽旗』“Warriors of the Rainbow I : Sun Flag”
『セデック・バレ 第二部虹の橋』“Warriors of the Rainbow II : Rainbow Bridge”
(2011年 台湾 4時間36分<第一部2時間24分/第二部2時間12分>)
監督・脚本・編集:ウェイ・ダーション
製作:ジョン・ウー、テレンス・チャン、ホァン・ジーミン
出演:リン・チンタイ、ダーチン、安藤政信、ビビアン・スー、木村祐一他
2013年4月20日(土)~渋谷ユーロスペース、吉祥寺バウスシアター、4月27日(土)~シネ・ヌーヴォ、5月11日(土)~第七藝術劇場、5月18日(土)~元町映画館、他全国順次公開

※4月20日(土)、21日(日)渋谷ユーロスペースにてウェイ・ダーション監督舞台挨拶あり
※4月27日(土)から2週間、シネ・ヌーヴォにて『海角七号 君想う、国境の南』緊急アンコール上映あり

公式サイト⇒ http://www.u-picc.com/seediqbale/
(C) Copyright 2011 Central Motion Picture Corporation & ARS Film Production ALL RIGHTS RESERVED.

 昨年の第7回大阪アジアン映画祭(以下OAFF)で、上映後、満席の会場が感動の大きな拍手に包まれてから早1年。見事昨年の観客賞を受賞し、今年の第8回OAFFプレイベントにて凱旋上映を果たした『セデック・バレ』がいよいよ全国で劇場公開される。日本統治下における台湾最大の抗日暴動事件「霧社(むしゃ)事件」をダイナミックに描く歴史大作は、「台湾のアバター」との異名をとるぐらい躍動感に溢れている。一方、台湾原住民族独自の文化や死生観、さらには原住民族の中の部落対立や日本人との交流など、様々な人間の内面を丹念に表現。残酷な歴史に翻弄され、必死で生き抜いた人々の想いが、衝撃とともに押し寄せる。4時間半があっという間に感じる、正に必見作だ。

 ウェイ・ダーション監督は、日本で本作を上映するにあたり、ベネチアをはじめとする国際映画祭で上映された2時間半の海外版ではなく、台湾公開時と同じく二部構成の完全版で上映することを切望した。昨年のOAFF(日本初公開)、そして今年の劇場公開でその念願がまさに叶ったと言える。OAFF2013プレイベントの舞台挨拶で、ダーション監督は完全版公開にこだわる理由をこう語っている。

「完成版を上映するのは日本と台湾のみです。日本と台湾の2カ国で起きた事件を題材に、衝突から恨みを和解に導く物語なので、なんとしても完全版で上映したかったのです」

 舞台挨拶前のインタビューでも、「和解」について語る姿が印象的だったウェイ・ダーション監督。その内容をストーリーと共にご紹介したい。


<ストーリー>
sedec-bare-1-240.jpg『セデック・バレ 第一部太陽旗』
1895年から日本の台湾統治がはじまり、台湾中部の山岳地帯の原住民族のセデック族やタイヤル族たちは狩猟をはじめとする独自の文化や習慣を禁じられ、過酷な労働や服従を強いられていた。日本人社会で職を得、家族を作る先住民族も現れる中、1930年、日本人警官との間に起こった事件がきっかけとなり、セデック族の長、モーナ・ルダオは日本側への蜂起を計画する。運動会開催中の小学校や警察派出所へ奇襲攻撃をかけ、民族の誇りを取り戻す壮絶な闘いが始まるのだった。

sedec-bare-2-240.jpg『セデック・バレ 第二部虹の橋』
多くの日本人が殺害された霧社事件の惨状を知った日本軍は、直ちに報復を開始するが、山中での闘い方を心得たセデック族らを前に苦戦を強いられる。日本軍は毒ガスによる鎮圧を行う一方で、モーナ・ルダオらと対立する先住民族を動員。報奨金を出して部族の分裂を画策する。一方、日本軍との戦いが長引く中、セデック族の家族たちは戦士たちのために、自決を決意し散っていく。「セデック・バレ“真の人”」になるための闘いに、決着の時が近づいていた。


<ウェイ・ダーション監督インタビュー>
 ━━━━昨年OAFFでの日本初上映時の舞台挨拶では、「日本の観客に受け入れられるか不安」とおっしゃっていましたが、劇場公開が決まった今のお気持ちは?
この映画を作ろうとしたときから日本で上映しようと思っていました。撮り始めた時は、たぶん大丈夫だろうと思っていましたが、撮り終わった後、周りから「日本での上映は難しいのではないか」と言われもしました。正直不安はありましたが、昨年OAFFでの観客の反応を見て安心したのです。

seediq-s1.jpg━━━━監督は、霧社事件のことをいつ、どのような形で知ったのですか?
子どもの頃から知っています。教科書の中にも書かれていますが、詳細なことは分からず「霧社事件、モナ・ルダオ」という言葉だけでした。霧社事件のことをもっと詳しく知ろうと思ったのは、霧社事件のことを描いたマンガを読んだのがきっかけです。

━━━━霧社事件のことを詳しく知る中で、どんな想いを膨らませていったのですか?
衝撃を覚えたり、激しい抵抗に対して血が沸き上がるような想いもありましたが、細かい部分を知るにつれ、単なるヒーロー物語では済ませられないと思いました。事件を境にして10年前や10年後のことを加味して考え、事件の背景や本質、政治や経済問題、社会制度的な問題も調べました。また、事件から生き残った子孫たちを訪ねてインタビューを行い、一つの角度でこの物語を捉えることができないと気付いたのです。

━━━脚本を書くにあたってインタビューされたとのことですが、原住民同士が殺しあうシーンもある中、リサーチで難しかった点は?
事件のことを言いたがらない人もいました。原因のことも映画で色々語られていますが、どうしようもない時代的な背景がありました。ただ実際の歴史はもっと悲惨で、兄弟同士が戦う状況もありました。兄弟同士で殺しあって勇敢さを示し、死んだ後一緒に虹の橋を渡るという考え方で自分たちを麻痺させるしかないのです。

昔の事件を見たときに、その当時の人々たちの考え方や気持ちにたって物事を見ることが大事です。(原住民族たちは)教育を受けておらず、世界がどれぐらい大きいか分からない。その部落にしか通じない信仰を持ち、その部落こそが世界と思っている人が、このような衝突にぶつかったらどうしますか?この前提は非常に大事です。もし世界が(もっと大きいと)分かっていれば、物事が起きたときに自分で考えられましたし、解決できたと思います。

seediq-s3.jpg━━━━脚本を書くに当たって、念頭に置いたことや、膨らませて描いた部分は?
全体的に事実を描いており、一部の事件もほんの少し大きく描いたに過ぎません。人物描写も当時のその人物の立場や考え方から描いていますから、彼らが下した決断に至るまでの心の動きは事実に近いのではないでしょうか。戦争や策略についても、当時彼らが実際に行っていたやり方と同じです。物語を分かりやすくするため、事件発生の順序を変えたり、一人の子どもに当時の全ての子どもの立場を投影したりしています。

━━━山中での撮影で、俳優たちも裸足で駆け回りながら、驚くべき身体能力を披露していました。本作の撮影で一番大変だったことは?
機材をかつぎながら、普通なら走れないようなところも走って撮るので、我ながら大変でした。本作が初現場となる素人の俳優たちは、映画は全てこのように撮るものだと思っていたようです。私も、彼らにずっと「映画はこういう風に撮るものだ」と言ってきたので、映画を撮り終わり、抱き合って泣きながら「本当はこんな風には撮らないよ」と白状しました。

━━━今回のキャスティングは目の力が鍵になっていますが、主演のリン・チンタイ氏とはどうやって出会ったのですか?
一番最初にキャスティングした俳優です。モーナ・ルダオのような人物は現れないだろうから、通常の映画スターを見つけて撮るしかないと思っていました。たまたま台湾の東部にいる友達を訪ねていったとき、リン・チンタイさんの部落に若い人がいるので、案内してもらうことになったのです。彼は牧師なので、自分の部落のことはよく知っていますから。でも、彼の顔を見て「モーナ・ルダオだ」と直感しました。ただ背だけが本当のモーナ・ルダオより5cm以上低かったので、なるべく彼の背が高く見えるように撮りました。 

━━━以前のインタビューで「根源を探って、和解をさせたい」という話を何度もされていますね。 
大きな事件の中には、正しいこともあれば誤りもあります。何かを犠牲にしたときに、本来あるべき原点に戻ることで、初めて和解の糸口が見つかります。そこで、歴史の恨みを解決しなくてはなりません。事件が起きたとき当事者たちは事件を受け入れることはできませんが、少なくとも理解することはできるはずです。

━━━原住民族にとってのモーナ・ルダオは神のような存在で、だからこそ死ぬ姿を見せずに消えたのでしょうか?
原住民族の間では2つの見方があります。1つは、道理の通じない人。もう1つは、お金も地位や覇気もあり、他の部落に対しては厳しく対処するが、自分の部落の人には優しい人。そして最も重要なのは、モーナ・ルダオがこの事件を引き起こしたという事実です。彼が英雄なのかチンピラなのかは、判断が難しいでしょう。歴史上の人物を見たとき、人格に欠点のある人は英雄になりやすいですね。

━━━原住民族たちが、木から首を吊って自決するシーンがありますが、彼らの“死”に対する考え方をどう思いますか?
原住民族の神話の中に、「木から生まれ、死んだあと木に戻る」という話があります。先祖に最も近い場所で死ぬことで、もっと早く“虹の橋”を渡れると考えられているようです。信仰は彼らにとって生活の全てで、「人は死んだあと“虹の橋”を渡って、“虹の橋”の向こうには美しい場所がある」と信じています。死は恐れますが、死後のことは恐れていません。「死ぬ」というのは彼らが行くべきところに行くということです。我々が死を恐れるのは、死後どこに行くか分からないからで、種族によって死にたいする捉え方が違います。死後どこに行くかわかったときに、死に対する勇気が沸いてくるのではないでしょうか。


seediq-s2.jpgこんな激しい戦闘シーンのある歴史大作の監督とは思えないぐらい、非常に穏やかな風貌のヴェイ・ダーション監督。プレイベント上映の舞台挨拶では開口一番「緊張しています」とお茶目な一面を見せながら、インタビュー中の和解に関する発言では、たとえ話を交えながら、こちらが分かるように一生懸命お話していただき、秘めたる情熱をひしひしと感じた。念願の日本公開を果たしたヴェイ・ダーション監督同様、昨年OAFFでいち早く鑑賞し、大きな衝撃を受けた私自身も、本作が日本でどのような反響を巻き起こすのか楽しみで仕方がない。(江口由美)

 

aisaeareba-550.jpg『愛さえあれば』

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龍谷大学で4月20日(土)より、原一男監督の「ドキュメンタリー映画制作講座・企画編」が開催される。

本講座は、1年がかりで映画制作を学ぶもので、前半は企画編となっており、後半は実際に撮影・編集し、作品をつくり上げるカリキュラムとなっている。本講座の講師を担当する原一男監督自身もこの講座に合わせて、平成の世の閉塞状況を打破する「新しい生活者像」を追究するドキュメンタリー、「(仮題)もし、生まれ変われることができたなら?」を制作予定で、受講生はこの映画の撮影現場にスタッフとして参加し、原監督の映画づくりを間近で学ぶことができる。先着50名で受講生を現在募集中だ。

講座詳細、お申込みはコチラ

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『ベルヴィル・トーキョー』エリーズ・ジラール監督インタビュー

(原題:BELLEVILLE TOKTO)
(2011年 フランス 1時間15分)
監督:エリーズ・ジラール\
出演:ヴァレリー・ドンセッリ、ジェレミー・エルカイム

★東京:渋谷シアター・イメージフォーラム⇒2013年3月30日~5月10日
『フレンチ・フィーメイル・ニューウェイブ』上映スケジュール⇒http://mermaidfilms.co.jp/ffnw/schedule.html

★大阪:梅田ガーデンシネマ⇒2013年4月20日田ガーデンシネマサイト⇒ http://www.kadokawa-gardencinema.jp/umeda/
『フレンチ・フィーメイル・ニューウェイブ』公式サイト⇒ http://mermaidfilms.co.jp/ffnw/

★5月16日(土)~京都みなみ会館にて公開

(C)Paolo Woods


 

~男の嘘を見抜く時、女は空っぽの心と決別する~

 

bel-2.jpg 妊娠を機に心が離れてしまった夫と別れを決意するまでの妻の心の軌跡を描いた『ベルヴィル・トーキョー』。冒頭、「他に好きな女がいる」と言い放った夫ジュリアンを駅のホームで悲痛な表情で見つめる妻マリー。夫婦という親密な時を過ごした2人の関係が破綻した瞬間である。その後男は心を入れ替え、「僕も父親になりたい」と言って女の元に戻るが、次第に大きくなるお腹と共に募る夫への不信感。愛が失せたと実感する瞬間、瞬間を細やかに捉えた映像は、グレイッシュな冬の光がマリーの孤独を際立たせるように美しく映えて秀逸。

 主演は、昨年公開の『私たちの宣戦布告』で、自らの体験を基に、子供の難病に向き合った夫婦をスタイリッシュでパワフルに描いたヴァレリー・ドンセッリとジェレミー・エルカイム。元夫婦ということで、これ以上はないキャスティングである。監督は、“シネフィル”を尊重するエリーズ・ジラール監督。本作が長編デビュー作となる。


 

 bel-s1.jpgお花見にはまだ遠い春の嵐が吹き荒れる3月半ば、キャンペーンのため来日したエリーズ・ジラール監督は、初来日ということもあって京都観光の前に来阪し、インタビューに応えてくれた。折り紙で鶴を折ってくれる11歳の息子がいるという。主演のヴァレリー・ドンセッリとジェレミー・エルカイムの息子と同じ歳だ。監督自身が妊娠している時もシングルだったそうだが、この映画の主人公マリーとは違って、「愛の決別」という切羽詰まった状況ではなかったという。それにしても、妻の元から逃げるように心が離れてしまう夫の様子が、マリーの目を通して実感できる、ある意味怖い映画である。


 

――― 劇中『イノセント』が使われているが、ルキノ・ヴィスコンティは好き?
大好き! 彼のエレガントな世界観で描かれる人間ドラマが好きです。

――― 『イノセント』には子供を殺すシーンがあったが、夫ジュリアンが意図的に選んだのか?
それほどはっきりと意図したものではないが、彼は子供は要らないという気持ちであることを表現したかったのです。

bel-4.jpg――― マリーがジュリアンとの決別を決意するまでを描いているが、マリーの心の変化をポイントポイントで表現したシーンが素晴らしかった。特にバス停のシーンとか、ベルヴィルで彼を発見するシーンとか。これらは経験から?
それらのシーンは、映画が持っている大きな特質だと思って下さい。何を描くか、その意図が濃密に集約しているのが映画のシーン作りだからです。だらだらと流れる日常を集約すると、こうしたシーンが生まれたのです。映画が成功するかどうかは、場面にメリハリを付けることが大事です。転換シーン毎に濃密なシーンを表現することが映画の基本だと考えています。

――― 監督と女優としての視点の違いは?母親としての仕事のやり方に違いは?
監督としても女優としてもビジョンの違いはそうは無いように思います。自分が母親になって何が変わったかというと、まず時間効率を考えるようになりました。子育てはとても時間がかかるので、以前より物事をダイナミックに効率良く動くことを考えるようになりました。

――― ヴァレリーさんも子供のスケジュールに合わせて仕事をするようになったと仰ってましたが?
私自身も子供の時間割に合わせて自分の仕事を調整するようになりました。以前は、シナリオを書くにしてもインスピレーションが浮かんだらいつでも書くというようなライフスタイルでしたが、今では子供が8時半に学校へ行くので、8時45分からシナリオを書く、という時間割を決めています。その分エネルギッシュになってきて、子供に時間をとられる分、どこかで時間調節しなければならないので、効率的になってきました。

bel-3.jpg――― 映画館の事務所で、マリーがふて腐れて悪態ついているシーンがとても面白かったが、あのシーンは笑いを狙っていたのか?またその理由は?
あのシーンは笑ってもらおうと考えいてました。悲劇的なシリアスドラマであっても「笑い」という味付けがあってもいいと思います。電話が鳴っても誰も出ない。あのぶっきら棒な態度がいい。従順な人より、そうでない人の方が好きなんですよ(笑)。

――― 曇り空などの光の具合がとても美しいと思ったが…デジタル化についてどう思う?
撮影監督がレナート・ベルタという世界でもベストテンに入るような人で、最も信頼できるキャメラマンです。初めてデジタルを取り入れた人でもありますが、彼が撮るデジタル映像は素晴らしく、私自身はデジタルは大嫌いですが、彼の映像は大好きなんです。フランスではもうフィルム上映できる映画館がないので、仕方なくデジタルを使用しています。デジタル映像は完璧すぎて、画像としての魅力に欠けます。フィルム映像はデジタルとは比較にならない程素晴らしいと思っています。

bel-s2.jpg――― 衣裳・カラーについて?
最初は衣裳係に依頼して揃えてもらったのですが、実際には現場で私が選んでいました。主人公マリーにはあまり目立つような恰好は合わないと思ったので、衣装だけが浮いて目立つようなことはしたくなかったのです。そこで、主人公マリーの心情とヴァレリーとの統一感を出すために、ヴァレリーと私のワードローブの中から選んで着たものもあります。エレガントでちょっとファッショナブルな感覚が出せたらいいなと思ってそうしました。


 

 桜色のスカーフをプレゼントしたら、早速首に巻いて、ニコニコしてインタビューに応えてくれたエリーズ・ジラール監督。そのキュートなイメージとは違って、表面的なスタイルより、「何を描くか」という本質を踏まえた、厳しい映像作りをしている。無駄なものを削ぎ落としたような人物像は、心情を端的に捉えて分かりやすい。シンプルな造形の中にも、彼女ならではのこだわりの映像美学が見て取れる作品となっている。パリはカルチェラタンにある名画座系映画館で働いていた経験もあり、とにかく世界中の映画をよく見ている映画ツウでもある。

(河田 真喜子)

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