~台湾原住民族の魂とその生き様を体感、衝撃の4時間半!~
『セデック・バレ 第一部太陽旗』“Warriors of the Rainbow I : Sun Flag”
『セデック・バレ 第二部虹の橋』“Warriors of the Rainbow II : Rainbow Bridge”
(2011年 台湾 4時間36分<第一部2時間24分/第二部2時間12分>)
監督・脚本・編集:ウェイ・ダーション
製作:ジョン・ウー、テレンス・チャン、ホァン・ジーミン
出演:リン・チンタイ、ダーチン、安藤政信、ビビアン・スー、木村祐一他
2013年4月20日(土)~渋谷ユーロスペース、吉祥寺バウスシアター、4月27日(土)~シネ・ヌーヴォ、5月11日(土)~第七藝術劇場、5月18日(土)~元町映画館、他全国順次公開
※4月20日(土)、21日(日)渋谷ユーロスペースにてウェイ・ダーション監督舞台挨拶あり
※4月27日(土)から2週間、シネ・ヌーヴォにて『海角七号 君想う、国境の南』緊急アンコール上映あり
公式サイト⇒ http://www.u-picc.com/seediqbale/
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昨年の第7回大阪アジアン映画祭(以下OAFF)で、上映後、満席の会場が感動の大きな拍手に包まれてから早1年。見事昨年の観客賞を受賞し、今年の第8回OAFFプレイベントにて凱旋上映を果たした『セデック・バレ』がいよいよ全国で劇場公開される。日本統治下における台湾最大の抗日暴動事件「霧社(むしゃ)事件」をダイナミックに描く歴史大作は、「台湾のアバター」との異名をとるぐらい躍動感に溢れている。一方、台湾原住民族独自の文化や死生観、さらには原住民族の中の部落対立や日本人との交流など、様々な人間の内面を丹念に表現。残酷な歴史に翻弄され、必死で生き抜いた人々の想いが、衝撃とともに押し寄せる。4時間半があっという間に感じる、正に必見作だ。
ウェイ・ダーション監督は、日本で本作を上映するにあたり、ベネチアをはじめとする国際映画祭で上映された2時間半の海外版ではなく、台湾公開時と同じく二部構成の完全版で上映することを切望した。昨年のOAFF(日本初公開)、そして今年の劇場公開でその念願がまさに叶ったと言える。OAFF2013プレイベントの舞台挨拶で、ダーション監督は完全版公開にこだわる理由をこう語っている。
「完成版を上映するのは日本と台湾のみです。日本と台湾の2カ国で起きた事件を題材に、衝突から恨みを和解に導く物語なので、なんとしても完全版で上映したかったのです」
舞台挨拶前のインタビューでも、「和解」について語る姿が印象的だったウェイ・ダーション監督。その内容をストーリーと共にご紹介したい。
<ストーリー>
『セデック・バレ 第一部太陽旗』
1895年から日本の台湾統治がはじまり、台湾中部の山岳地帯の原住民族のセデック族やタイヤル族たちは狩猟をはじめとする独自の文化や習慣を禁じられ、過酷な労働や服従を強いられていた。日本人社会で職を得、家族を作る先住民族も現れる中、1930年、日本人警官との間に起こった事件がきっかけとなり、セデック族の長、モーナ・ルダオは日本側への蜂起を計画する。運動会開催中の小学校や警察派出所へ奇襲攻撃をかけ、民族の誇りを取り戻す壮絶な闘いが始まるのだった。
『セデック・バレ 第二部虹の橋』
多くの日本人が殺害された霧社事件の惨状を知った日本軍は、直ちに報復を開始するが、山中での闘い方を心得たセデック族らを前に苦戦を強いられる。日本軍は毒ガスによる鎮圧を行う一方で、モーナ・ルダオらと対立する先住民族を動員。報奨金を出して部族の分裂を画策する。一方、日本軍との戦いが長引く中、セデック族の家族たちは戦士たちのために、自決を決意し散っていく。「セデック・バレ“真の人”」になるための闘いに、決着の時が近づいていた。
<ウェイ・ダーション監督インタビュー>
━━━━昨年OAFFでの日本初上映時の舞台挨拶では、「日本の観客に受け入れられるか不安」とおっしゃっていましたが、劇場公開が決まった今のお気持ちは?
この映画を作ろうとしたときから日本で上映しようと思っていました。撮り始めた時は、たぶん大丈夫だろうと思っていましたが、撮り終わった後、周りから「日本での上映は難しいのではないか」と言われもしました。正直不安はありましたが、昨年OAFFでの観客の反応を見て安心したのです。
━━━━監督は、霧社事件のことをいつ、どのような形で知ったのですか?
子どもの頃から知っています。教科書の中にも書かれていますが、詳細なことは分からず「霧社事件、モナ・ルダオ」という言葉だけでした。霧社事件のことをもっと詳しく知ろうと思ったのは、霧社事件のことを描いたマンガを読んだのがきっかけです。
━━━━霧社事件のことを詳しく知る中で、どんな想いを膨らませていったのですか?
衝撃を覚えたり、激しい抵抗に対して血が沸き上がるような想いもありましたが、細かい部分を知るにつれ、単なるヒーロー物語では済ませられないと思いました。事件を境にして10年前や10年後のことを加味して考え、事件の背景や本質、政治や経済問題、社会制度的な問題も調べました。また、事件から生き残った子孫たちを訪ねてインタビューを行い、一つの角度でこの物語を捉えることができないと気付いたのです。
━━━脚本を書くにあたってインタビューされたとのことですが、原住民同士が殺しあうシーンもある中、リサーチで難しかった点は?
事件のことを言いたがらない人もいました。原因のことも映画で色々語られていますが、どうしようもない時代的な背景がありました。ただ実際の歴史はもっと悲惨で、兄弟同士が戦う状況もありました。兄弟同士で殺しあって勇敢さを示し、死んだ後一緒に虹の橋を渡るという考え方で自分たちを麻痺させるしかないのです。
昔の事件を見たときに、その当時の人々たちの考え方や気持ちにたって物事を見ることが大事です。(原住民族たちは)教育を受けておらず、世界がどれぐらい大きいか分からない。その部落にしか通じない信仰を持ち、その部落こそが世界と思っている人が、このような衝突にぶつかったらどうしますか?この前提は非常に大事です。もし世界が(もっと大きいと)分かっていれば、物事が起きたときに自分で考えられましたし、解決できたと思います。
━━━━脚本を書くに当たって、念頭に置いたことや、膨らませて描いた部分は?
全体的に事実を描いており、一部の事件もほんの少し大きく描いたに過ぎません。人物描写も当時のその人物の立場や考え方から描いていますから、彼らが下した決断に至るまでの心の動きは事実に近いのではないでしょうか。戦争や策略についても、当時彼らが実際に行っていたやり方と同じです。物語を分かりやすくするため、事件発生の順序を変えたり、一人の子どもに当時の全ての子どもの立場を投影したりしています。
━━━山中での撮影で、俳優たちも裸足で駆け回りながら、驚くべき身体能力を披露していました。本作の撮影で一番大変だったことは?
機材をかつぎながら、普通なら走れないようなところも走って撮るので、我ながら大変でした。本作が初現場となる素人の俳優たちは、映画は全てこのように撮るものだと思っていたようです。私も、彼らにずっと「映画はこういう風に撮るものだ」と言ってきたので、映画を撮り終わり、抱き合って泣きながら「本当はこんな風には撮らないよ」と白状しました。
━━━今回のキャスティングは目の力が鍵になっていますが、主演のリン・チンタイ氏とはどうやって出会ったのですか?
一番最初にキャスティングした俳優です。モーナ・ルダオのような人物は現れないだろうから、通常の映画スターを見つけて撮るしかないと思っていました。たまたま台湾の東部にいる友達を訪ねていったとき、リン・チンタイさんの部落に若い人がいるので、案内してもらうことになったのです。彼は牧師なので、自分の部落のことはよく知っていますから。でも、彼の顔を見て「モーナ・ルダオだ」と直感しました。ただ背だけが本当のモーナ・ルダオより5cm以上低かったので、なるべく彼の背が高く見えるように撮りました。
━━━以前のインタビューで「根源を探って、和解をさせたい」という話を何度もされていますね。
大きな事件の中には、正しいこともあれば誤りもあります。何かを犠牲にしたときに、本来あるべき原点に戻ることで、初めて和解の糸口が見つかります。そこで、歴史の恨みを解決しなくてはなりません。事件が起きたとき当事者たちは事件を受け入れることはできませんが、少なくとも理解することはできるはずです。
━━━原住民族にとってのモーナ・ルダオは神のような存在で、だからこそ死ぬ姿を見せずに消えたのでしょうか?
原住民族の間では2つの見方があります。1つは、道理の通じない人。もう1つは、お金も地位や覇気もあり、他の部落に対しては厳しく対処するが、自分の部落の人には優しい人。そして最も重要なのは、モーナ・ルダオがこの事件を引き起こしたという事実です。彼が英雄なのかチンピラなのかは、判断が難しいでしょう。歴史上の人物を見たとき、人格に欠点のある人は英雄になりやすいですね。
━━━原住民族たちが、木から首を吊って自決するシーンがありますが、彼らの“死”に対する考え方をどう思いますか?
原住民族の神話の中に、「木から生まれ、死んだあと木に戻る」という話があります。先祖に最も近い場所で死ぬことで、もっと早く“虹の橋”を渡れると考えられているようです。信仰は彼らにとって生活の全てで、「人は死んだあと“虹の橋”を渡って、“虹の橋”の向こうには美しい場所がある」と信じています。死は恐れますが、死後のことは恐れていません。「死ぬ」というのは彼らが行くべきところに行くということです。我々が死を恐れるのは、死後どこに行くか分からないからで、種族によって死にたいする捉え方が違います。死後どこに行くかわかったときに、死に対する勇気が沸いてくるのではないでしょうか。
こんな激しい戦闘シーンのある歴史大作の監督とは思えないぐらい、非常に穏やかな風貌のヴェイ・ダーション監督。プレイベント上映の舞台挨拶では開口一番「緊張しています」とお茶目な一面を見せながら、インタビュー中の和解に関する発言では、たとえ話を交えながら、こちらが分かるように一生懸命お話していただき、秘めたる情熱をひしひしと感じた。念願の日本公開を果たしたヴェイ・ダーション監督同様、昨年OAFFでいち早く鑑賞し、大きな衝撃を受けた私自身も、本作が日本でどのような反響を巻き起こすのか楽しみで仕方がない。(江口由美)