「京都」と一致するもの

mugon3.jpg(2010年 香港=フランス=ベルギー 1時間49分)
監督:ワン・ビン
出演:ルウ・イエ、シュー・ツェンツー、ヤン・ハオユー、リー・シャンニェン他
2011年12月17日~ヒューマントラストシネマ有楽町、12月24日~テアトル梅田、2012年1月7日~第七藝術劇場、京都シネマ、1月神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.mugonka.com/


全3部545分に及ぶ、衰退する軍需工場と街や労働者を描いた『鉄西区』で山形ドキュメンタリー映画祭最高賞をはじめ世界の映画賞を獲得し、その存在を知らしめた中国のワン・ビン監督。初の劇映画となる『無言歌』全国順次公開、および全作一挙上映企画に合わせて初来阪し、未だ中国のタブーである反右派運動をテーマにした『無言歌』のインタビューに応えてくれた。

━━━『無言歌』のテーマである反右派闘争は監督が生まれる10年ぐらい前の話ですが、かなり以前から興味を持っていたのですか?

この映画を撮る決定的な動機となったのが、ヤン・シエンホイさんの小説『夾辺溝の記録』を読んだことです。この小説で書かれていた様々な人物や運命に大変感動を覚えました。実は小説を読む以前にも反右派闘争について知っていました。自分の身の周りにも、1970年末から1980年初頭にかけての文化革命時の右派が存在しています。

そして、この映画を撮るきっかけが立ち上がってから様々な準備を始めました。主に夾辺溝事件と呼ばれるこのときの事件について、様々な資料集めをし、数多くの人にインタビューしていきました。生き残った人たち、家族の人や当時の収容所の看守の人たちのインタビューを通じてより具体的に当時の事件を知ったのです。

反右派闘争のプロセスについては、90年代はじめから約10年間にわたって、右派分子と呼ばれた人が、当時の反右派闘争を振り返って書いた本が多数出版されました。映画の準備に入ってからこれらの書籍を読み、だんだんと反右派闘争の映画が撮れると自信を持ったわけです。

━━━.今回ドキュメンタリーではなく、劇映画として撮った意図は何ですか?

劇映画とドキュメンタリーに分かれてはいますが、学校ではほとんどフィクションを勉強しました。撮り方もフィクションの勉強をしたのですが、卒業してからフィクションを撮るような資金はなかなかなかったので、比較的資金がなくても撮りやすいドキュメンタリーに入っていきました。03年ぐらいですが『鉄西区』を撮ったあとで、『無言歌』ではない別の劇映画を撮る企画があり、その脚本を書くつもりでパリに飛ぶ飛行機でこの『夾辺溝の記録』を読んだのです。小説にとても感動したので、前の企画は置いて、この『無言歌』を撮ろうと決めました。

━━━反右派闘争は中国でタブー視されているようですが、原作の『夾辺溝の記録』の出版時の状況はどうだったのですか?

原作『夾辺溝の記録』は、出版されたとき苦難に見舞われました。短編集ではなく、短編をポツリポツリと時間を置いて一作ずつ文学雑誌に発表する方法をとりました。19の短編を集めて出版されたときは発禁になりましたが、出版社を変えてまた出版したのです。このテーマについて中国政府は、70年代末から80年代初頭にかけて「反右派闘争は拡大化されすぎた」という歴史的な結論を出しました。反右派闘争を何らかの芸術的方法で描くことについて完全に禁止はしないが、あまり歓迎はしないという態度をとっています。

━━━映画化や撮影に関して苦労されることはなかったですか?

『無言歌』の出資は香港・フランス・ベルギーで中国の制作会社は入っていません。このテーマで中国の映画館で公開されることはありえないのです。その反面、中国の映画館で公開されることを念頭に置かないために自由度がかなり高まり、あまり制限をつけないで済むので、自分たちの好きなように計画して撮ることができました。

中華人民共和国ができて最初の30年の間に様々な芸術作品の中で当時の状態をリアルに反映させることはなかなかできない時代でした。まだその最中にあった、歴史的には空白の時代です。今の時代は完全な自由ではないけれど、一定の自由度はあります。昔と比べると自由度がある分、描けなかった過去のことを描くということです。

撮影については、期間は長かったのですが、スタッフやキャストを絞って、具体的に何が行われているかを知られないように、決して宣伝せず密かに進めていきました。撮影の途中に面倒なことはなかったです。

━━━現状は、『無言歌』を中国の人に見てもらえないのでしょうか?

『鉄西区』以降の自分の作品は、国内では正式に上映されていません。この『無言歌』も中国で上映されることはないのですが、そういう状況をどうしても変えなければいけないとは思っていません。インターネットの時代となり、マスメディアの状況は変わっています。様々な方法によって多くの中国人が僕の作品を見てくれます。『鉄西区』のDVDは、海賊版が正規のDVDよりよく売れています。また『無言歌』もフランスのTVで放映されたのをDVDにコピーした海賊版が出ていて、これも売れ行きがいいそうです。営業的な観点から見ると全く利益がなく困ることなのですが、映画自体にとっては多くの観客が見てくれる、観客が数多くいるということが重要です。

━━━実際に反右派闘争の生存者や遺族の方にインタビューされて、監督が感じたこと、また作品にどのように反映されようとしたのでしょうか?

原作となった小説は19の短編からできていますから、それをどういう風に映画に撮っていくかを考えなければなりませんでした。数ヶ月の間さまざまな角度から考えたのですが、例えば資金面の問題やどれだけ自由に撮れるかといったことを考えた末に、夾辺溝事件で収容所に送られた右派の人たちの3年間から最後の3ヶ月だけを残すことにしたのです。教育農場にいた人たちが明水(ミンシェイ)に移された後の3ヶ月、解放され家に帰れるまでの3ヶ月に焦点を当てて撮ることにしました。そうなると、ヤン・シェンホイさんの小説の中のディテールだけでは足りないことが非常に多く。その部分をもっと詳しくインタビューする必要があったわけです。インタビューをすることで、様々なことが明らかになり、一次資料を手に入れることができました。例えば、ペニンシュルという場所に着いたばかりの2枚のスナップ写真。それから右派のある人が死ぬ前に家族にあてて書いた手紙(映画ではその一部が名前を変えて使用)も見つかりました。

━━━作品を作る過程やインタビューの中で、監督が心がけたことは何ですか?

重要だったのは、この物語をどういう方法で撮るかということでした。歴史に対する物語をどう語るのかを探っていったわけです。普通の歴史映画と違うものを目指していたので、それは突き詰めれば監督である自分がどう歴史に向き合うか、また自分が向き合った歴史を観客がどう捉えるか、そこを考えていました。普通の歴史物にあるようなある一人の人物を川の流れのように語るやり方ではなく、この映画では様々な人の記憶の断片、その瞬間、その場所を描くこと。いろいろな人の体験を集めて、その断片を重ね合わせて物語を構成するスタイルにしました。

多くの人にインタビューをする中で、既に50年前の話ですから鮮明に覚えているわけではないけれど、彼らが何について忘れないで覚えているか、何が彼らにとって強い記憶として残っているか、それがカギになると思いました。彼らにとって強力なものを取り出してきて、未だ解けない謎だと思っているようなことを掴む、それで映画のスタイルができあがってくるのではないかと。そこを重要視してインタビューを進めていきました。

━━━監督にとって、一番印象に残ったインタビューを教えてください。

ラストシーンとも関係あることですが、インタビューする中で最初から多くを語ってくれない人がいました。一ヶ月後再訪して一緒にご飯を食べたりしていると、突然シーンとなって彼の感情を制御できない雰囲気で僕に訴えてきたのです。それは「初めて死体を埋めたときの自分の感覚が君に分かるか。」と。当時死体を埋める役目を担っていたわけですが、ある人が亡くなると布団から取り出し、布団も衣服も剥いで裸体のまま運び、谷間に埋めるのです。二人組で裸体を運んで埋めるとき、鳥の声にはっとして自分たちが運んでいるのは人なんだと、これは決して羊や他の動物ではないのだと、その感覚は忘れられないのだと語ってくれました。


「中国では上映されないことで制限なく自由に撮れる。」と逆転の発想で、反右派闘争の歴史に向かい合ったというワン・ビン監督。「政治映画ではない」と言い切り、今だから光を当てることができる歴史に監督自身が向き合った作品を、我々がどう捉えるのか。110人ものインタビューから忘れざる瞬間を明らかにし、時を経て甦った「生きた証」の記憶を見逃すわけにはいくまい。 (江口 由美)

(2012.1.20 大阪ステーションシティシネマ) ゲスト:林遣都、駿河太郎

 

荒川1.jpg 中村光の人気コミック『荒川アンダー ザ ブリッジ』が、『荒川アンダーザ ブリッジ THE MOVIE』としてスクリーンで新しい世界を見せる。2011年夏にオンエアされたドラマと同時撮影をした本作は、ドラマ版とはまた違った見せ場を用意。主人公リクと金星人ニノのラブストーリーを中心にしたちょっとロックなファンタジーに仕上がっている。本作の初舞台挨拶が、出身地の関西からということでハイテンションの林遣都、駿河太郎を、会場から熱い「座長」コールがさらに盛り上げ、トーク前から『荒川アンダーザ ブリッジ』ワールドが全開。映画さながらのボケとツッコミを交えながら、撮影現場でのエピソードを披露してくれた。

 

(最初のご挨拶)

林:こんばんは。一ノ宮行(リク)をやらせていただきました林遣都です。今日は平日のお忙しい中お越しいただきありがとうございます。映画版初舞台挨拶ということで、地元関西でやれて幸せです。今日は太郎さんがいるのできっと幸せな時間になると思います。よろしくお願いします。

駿河:ラストサムライ役をやらせていただきました駿河太郎です。舞台挨拶自体が初めてで、僕関西でレギュラーやらせてもらっているんですけど、ここ大阪ステーションシティシネマでも早めにきて一人でその辺に座ってよく映画を見ています。こんなところに立たせてもらって座長、ありがとうございます。

━━━豪華キャスト勢揃いの中、座長と呼ばれるのにプレッシャーを感じませんでしたか?

林:今は何も感じなくなりました。もともと飯塚監督が僕からあまりモチベーションを感じられなかったからか、プレッシャーをかけてきて、「主演というのは座長だからな。頼むよ。」みたいな感じで。それを聞きつけた村長役の小栗旬さんが「おまえ座長なんだってな。」と、それを聞きつけたみなさんが悪用ですよ。(笑)

━━━なかなか不思議な世界観でしたね。

林:いろんなことを忘れて楽しめる映画なので、もうほんとに夢の世界に行ってきてくださいという感じですね。

━━━お互いの第一印象やその後の印象はいかがでしたか。

駿河:座長の風格があるといった感じですね。一回り年が違うんですけど、むっちゃしっかりしてるでしょ。遣都の横にいると年が一回り上と言うことを忘れるぐらいすばらしい人でしたね。

林:関西人だったということですごく接しやすかったし、僕ら二人はロケで泊まることが多かったので、太郎さんとは相当長い時間を共にしました。一回り上ですけど、お酒を飲んで「おっさん、何言ってるんだよ。」と言ってしまったこともあって。今日久しぶりに会ってちょっと失礼しすぎたかなと。

━━━独特のボケとツッコミが印象的でしたが。

駿河:撮影に入った当初は関西人ですし、こういうシュールな笑いは好きは好きですので、色んなことを考えていったのですが、そういうことを全員でやるとゴチャゴチャになるのでその中でラストサムライは何もせずに遠い目をするということで最終的には落ち着きました。本当はやりたいけれど、あえてしないというところでラストサムライという役に向き合ってました。

林:(唯一のツッコミで関西人としての血が騒いだかとの問いに)全然です。普段もあまりツッコんだりしないですし、関西弁もあまりしゃべらなくなったので・・・

~観客から「しゃべって!」とのツッコミに~

いやや!(場内大爆笑)

よくツッコミポジションと言われるんですけど、実際監督は原作にはけっこう激しいツッコミはあるけど、それは気にしなくていいと。これは人間ドラマであり、人間が演じるので、ああいった変なルックスをした人が目の前に現れた時のリアルな反応をしてくれと言われました。

━━━今回の撮影はテレビ版と映画版を同時進行で撮影されたそうですが、大変でしたか?

駿河:スタッフも含めて全員がそういった撮り方をするのがはじめてでした。映画版とドラマ版である箇所だけセリフが違うという撮り方もしていますが、ノリや空気感はブレがないですから、そこに関しては役者として戸惑いは感じませんでした。

━━━映画の中で一番気に入っているシーンは?

駿河:正直ラストサムライは何もしないことに重きを置いていたので、映画でも何もしていないんですよ。(笑)だから、ここは遣都に任せます。

林:ドラマの話をしていいですか?(場内大爆笑)

駿河:これだけドラマを観ている人が多いんですから、今から映画を観るのに映画のことを話すとネタバレになってしまいますからね。ドラマの話でいきましょう、裏話的な。

林:僕が『荒川アンダー ザ ブリッジ』を撮影して一番笑いが止まらなかったことがあったんです。それは太郎さんのシーンで、ピーコが村長にフラれてピーコに思いを寄せるラストサムライがピーコを励ましに行く。台本上に「ピーコの心が開く。ラストサムライが抱きしめる。」とト書きがあって、撮影前に太郎さんと孝之くんと話していると、太郎さんがふと「ピーコを抱きしめるっていうの、後ろからいきたいねんな。」と。

駿河:自分の中の絵的に後ろから女の人を抱きしめる方がぐっとくるなと思って、僕はそれを何の気持ちもなく、二人に話をしてたんです。

林:撮影がはじまってすぐ、太郎さんが飯塚監督に「抱きしめるっていうところ、後ろからでいいですか。」その瞬間、「本当に言ったんだ。」と笑ってたんですよ。すると監督は「いや、それはない!」と即却下。それを見て大爆笑で、そんなシーンがありましたね。

 

━━━最後に一言ずつお願いします。

駿河:『荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE』、大の大人がおおまじめにふざけまくっています。それだけではなく、人として考えさせられるすごく深いテーマを持っていますので、ぜひ最後まで楽しんで帰ってください。ありがとうございました。

林:2月4日、あと2週間で公開になります。今日観て面白かったと思ったら、一人でも多くの人に、見に来てくれる人が増えるように、よろしくお願いいたします。

舞台挨拶後のフォトセッションで「笑顔足りひんで!」と観客のあたたかいツッコミに思わず登壇者の笑みがこぼれる場面も見られ、和気藹々とした舞台挨拶となった。小栗旬のカッパの村長や、山田孝之のロックな星など個性的メンツが集まった『荒川アンダーザ ブリッジ THE MOVIE』。奇想天外な住人達や金星人ニノに翻弄されながらも恋をし、父親と向き合い、成長していく主人公リクの姿を見届けてほしい。

 

作品情報:『荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE』

2012 日本 1時間55分

監督: 飯塚健

原作: 中村光(掲載「ヤングガンガン」スクウェア・エニックス刊)

出演:林遣都、桐谷美鈴、小栗旬、山田孝之、城田優、上川達也、駿河太郎他

2012年2月4日~新宿ピカデリー、大阪ステーションシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国一斉公開

公式HP→http://autb.jp/

asaoka.jpg◆主演女優賞に浅丘ルリ子さん(出席)
◆新作プレミア『僕達急行 A列車で行こう』試写会(特別賞受賞記念)
◆阪本順治監督作品・監督賞『大鹿村騒動記』受賞記念上映


 ルリ子さんが、愛之助が、阪本監督が、「おおさか」の映画祭にやってくる! 浪速の春恒例の「おおさかシネマフェスティバル」2012が今年は3月4日(日曜)、大阪・中央区の大阪歴史博物館(4階講堂)で行われることが分かった。
 「映画ファンのための映画まつり」として関西の映画ファンに広く支持されてきたこの映画祭は、5年前から「大阪アジアン映画祭」と統合し、日本映画のお祭りとアジア映画の祭典という一大イベントとして開催される。前身の「おおさか映画祭」以来の恒例行事で、映画祭最大のイベント「11年度べストテン」と「個人賞」が下記の通り決まった。

 ベストテンは、年間200本以上観賞した人による投票委員の投票をもとに選考委員会で決定された。2011年1月から12月までに関西で公開された映画を対象とし、個人賞は優れた技量を有するとともに「大阪及び関西ゆかりの人」を判断材料としている。大阪唯一の、大阪ならではの映画祭。3月4日の授賞式には、主演女優賞・浅丘ルリ子さん、助演女優賞・神楽坂恵さん、助演男優賞・片岡愛之助さん、監督賞・阪本順治監督ほか受賞者を多数迎え、ベストテン発表と表彰式を開催する。

 また、受賞記念として午前中に、昨年末に惜しまれつつ亡くなった森田芳光監督(特別賞)の遺作『僕達急行 A列車で行こう』のプレミア試写。午後にはベストテン1位(作品賞)のほか監督賞、音楽賞、特別賞の4冠に輝いた阪本順治監督作品『大鹿村騒動記』を上映する。大阪・関西の映画ファンが集う熱い場になれば、と実行委員会では話している。

◎ベストテン
◎日本映画部門
1位「大鹿村騒動記」
2位「八日目の蝉」
3位「一枚のハガキ」
4位「冷たい熱帯魚」
5位「奇跡」
6位「デンデラ」
7位「小川の辺」
8位「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」
8位「阪急電車 片道15分の奇跡」
10位「海炭市叙景」

◎外国映画部門
1位「英国王のスピーチ」
2位「ゴーストライター」
3位「ブラック・スワン」
4位「トゥルー・グリット」
5位「ソーシャル・ネットワーク」
5位「家族の庭」
7位「ヒア・アフター」
8位「アジョシ」
9位「未来を生きる君たちへ」
10位「イリュージョニスト」
※日本映画は8位が、外国映画は5位が同数。

◆個人賞(日本映画部門)
【監督賞】阪本順治(大鹿村騒動記)
【主演女優賞】浅丘ルリ子(デンデラ)
【主演男優賞】豊川悦司(一枚のハガキ)
【助演女優賞】神楽坂恵 (冷たい熱帯魚、恋の罪)
【助演男優賞】片岡愛之助(小川の辺)
【新人女優賞】杉野希妃(歓待)
【新人男優賞】まえだまえだ(奇跡)
【脚本賞】新藤兼人(一枚のハガキ)
【撮影賞】北信康(一命)
【音楽賞】安川午朗(八日目の蝉、大鹿村騒動記)
【新人監督賞】三宅喜重 (阪急電車 片道15分の奇跡)
【特別賞】原田芳雄さん (大鹿村騒動記)
【特別賞】森田芳光監督

■個人賞(外国映画部門)
【監督賞】ロマン・ポランスキー(ゴーストライター)
【主演女優賞】ナタリー・ポートマン(ブラック・スワン)
【主演男優賞】コリン・ファース(英国王のスピーチ)
【助演女優賞】ヘイリー・スタインフェルド(トゥルー・グリット)
【助演男優賞】マット・デイモン(トゥルー・グリット)

 

 


【ベストテン発表&表彰式、受賞記念2作品上映】
◆日程 2012年3月4日(日曜)午前10時開会(9時30分開場)

◆会場 大阪歴史博物館4階講堂(大阪市中央区大手前4‐1‐32)
TEL: 06-3946-5728
地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目」駅下車9号出口、NHK放送会館隣

◆料金 一日通し券 目売り2800円、当日3000円(全席指定)

 

(C)2012『僕達急行』製作委員会
 

(C)2011「大鹿村騒動記」製作委員会
 【スケジュール】
9 :30 開場
10:00 委員長あいさつ
10:05 特別上映『僕達急行 A列車で行こう』関係者トーク
10:20 受賞記念上映①『僕達急行 A列車で行こう』
     (森田芳光監督特別賞)休憩(約45分)
13:00 ベストテン発表&表彰式  ~ 14:40(予定)
15:00 受賞記念上映② 『大鹿村騒動記』
   (作品賞、監督賞・阪本順治監督、故原田芳雄さん特別賞、
       音楽賞・安川午朗)受賞記念上映~ 16:32(予定)

●問い合わせ先
大阪映像文化振興事業実行委員会「おおさかシネマフェスティバル」事務局
TEL: 06(6373)1221
FAX:06(6373)1213
〒530-0014 大阪市北区鶴野町4番B -801

★ ゲストプロフィールとコメント
 ● 監督賞 阪本順治監督 『大鹿村騒動記』(東映)
【受賞の言葉】原田芳雄さんについていきさえすれば、という想いで撮りました。日々のディスカッションが今は本当に懐かしい。ぽっかりと空いた穴を埋めるには私自身が今まで以上に撮影“ごっこ”に励むしかない。もっと遊べと、声が聞こえる。皆さん、有難うございました。

【略歴】1958年10月1日、堺市生まれ。家の向かいが東映の劇場だったことから、映画に親しみ、三国丘高校から横浜国立大学。在学中から石井聰互、井筒和幸、川島透らの監督作品の現場に美術助手や助監督として参加しながら自主映画を制作。89年、赤井英和主演『どついたるねん』で監督デビュー。ブルーリボン最優秀作品賞、日本映画監督協会や芸術選奨文部大臣などの新人賞。『王手』『ビリケン』の``新世界3部作``で知られるが、00年『顔』でキネマ旬報ベストワン、01年度の日本アカデミー賞最優秀監督賞受賞。ほかに97年『傷だらけの天使』、08年『愚か者 傷だらけの天使』、02年『KT』、07年『魂萌え』08年『闇の子供たち』、10年『座頭市 THE LAST』など、一作ごとに話題を集める注目監督。


●主演女優賞 浅丘ルリ子『デンデラ』(東映)
【受賞の言葉】主演女優賞を頂戴致しまして、誠にありがとうございました。これも厳しい寒さの中で、天願大介監督をはじめ、スタッフ・キャストの皆さまと力を合わせた結果だと思っています。今日の日本の状況の中、困難に立ち向かって生きるということを改めて考えさせてくれる作品でした。この映画に参加できたことを光栄に存じます。

【略歴】日活・井上梅次監督『緑はるかに』のヒロイン募集に応募、3000人の中から選ばれて銀幕デビュー。60年代は日活の看板女優としてヒロイン役を多数演じた。石原裕次郎と共演した蔵原惟繕監督『憎いあンちくしょう』などで存在感を発揮、同監督の『愛の渇き』(67年)は中でも高く評価された。代表作はほかに、石原プロ時代の『太平洋ひとりぼっち』、『栄光への5000キロ』、浦山桐郎監督の問題作『私が棄てた女』、日活の超大作『戦争と人間1部~3部』など。松竹の看板作品『男はつらいよ』シリーズには『~忘れな草』『~相合い傘』『~ハイビスカスの花』『~紅の花』と最多4度、クラブ歌手「リリー」役で寅さん(渥美清)のマドンナを務め評判を取った。昨年は東映『ジーン・ワルツ』にも出演。


●主演男優賞 豊川悦司(とよかわ・えつし)『一枚のハガキ』(近代映画協会)
【受賞の言葉】「一枚のハガキ」での受賞を心の底より嬉しく思います。
この映画は僕の中で、とても大きな映画です。人間のはかなさ、そして再生する逞しさをこの作品は描いています。大阪の街も新しいリーダー達を迎え、生まれ変わろうとしている気 がします。人の中にこそ街があり、社会があり、世界があります。
その逆はありません。新藤監督はじめ、全てのスタッフ、キャストの皆さんに感謝します。

【略歴】1962年、大阪府出身。関西学院大学在学中は演劇部所属。演劇集団「円」の研究生を経て、89年『君は僕をスキになる』でデビュー。91年『12人の優しい日本人』(中原俊監督)、翌92年『きらきらひかる』(松岡錠司監督)、『課長島耕作』(根岸吉太郎監督)など、実力派監督に起用されて注目を集め、日本アカデミー賞など数々の映画賞を受賞、その後も『Love Letter』(岩井俊二監督)、『フラガール』(李相日監督)、『顔』(阪本順治監督)、『サウスバウンド』(森田芳光監督)、『今度は愛妻家』(行定勲監督)、『必死剣鳥刺し』(平山秀幸監督)ら第一線監督に立て続けに出演。日本映画になくてはならない顔。新藤兼人監督作品にも08年『石内高等尋常小学校 花は散れども』に続いての出演。


●助演女優賞 神楽坂恵(かぐらざか・めぐみ)『冷たい熱帯魚』『恋の罪』
【受賞の言葉】子供の頃から大好きな大阪で、私にとって掛けがえのない二作品で、助演女優賞を頂けたこと。とても嬉しく幸せです。これからも女優として人として、精進していきたいと思います。本当に、ありがとうございました。

【略歴】1981年、岡山県出身。グラビアアイドルとして活躍していたが、07年『遠くの空に消えた』で映画デビュー。09年『童貞放浪記』(小沼雄一監督)で注目を集め、三池崇史監督『十三人の刺客』に出演後、園子温監督の『冷たい熱帯魚』でファンの度肝を抜いた後、『恋の罪』、『ヒミズ』と同監督の作品に立て続けに出演して一気にブレイクした。昨年秋、園監督と結婚した。


●助演男優賞 片岡愛之助(かたおか・あいのすけ)『小川の辺』
【受賞の言葉】私の大好きな藤沢周平先生の作品で、公私ともお世話になっている東山紀之さんと共演させていただき、そして地元大阪の助演男優賞をいただきました事、役者としてこの上ない喜びでございます。このたびいただきました助演男優賞を糧に一層芸道を精進いたします。ありがとうございました。

【略歴】1972年、堺市出身。本名・片岡寛之。77年、松竹芸能の子役オーディションに合格、芝居の世界へ。81年、十三代目片岡仁左衛門に見出され、片岡一門の部屋子になり、片岡千代丸襲名、京都・南座「勧進帳」で子役として初舞台。93年、二代目片岡秀太郎の養にとなり、大阪・中座「勧進帳」の駿河次郎で六代目片岡愛之助襲名。上方歌舞伎を中心に活動、数少ない大阪出身、大阪在住の歌舞伎俳優。主に二枚目だが、骨太な役もこなす。今は立役専門。映画は05年『シベリア超特急5』に出演後、07年、『Beautyうつくしいもの』で歌舞伎役者役も。08年『私は貝になりたい』、09年『築城せよ!』に出演。映画ファンにもなじみ

●新人女優賞 杉野希妃(すぎの・きき)『歓待』(和エンターテインメント)
【受賞の言葉】新人女優賞という一生に一度しかいただけない貴重な賞をありがとうございます。 昨年何度か舞台挨拶に伺った際に、大阪の方々の映画愛を直に感じました。 女優として、人間として、さらに大きくなって、いつか大阪が舞台の映画を作りたいです。

【略歴】1984年 広島市出身。ノートルダム清心高校から慶応義塾大学経済学部進学、大学3年修了時にソウルに留学、06年、韓国映画『まぶしい一日』″宝島〟編主演デビュー。昨年公開の『マジック&ロス』で主演、プロデューサーとして、韓国映画『息もできない』コンビ、ヤン・イクチュン、キム・コッピとの共演を実現。昨年、第24回東京国際映画祭の「アジアの風」部門で「女優・プロデューサー杉野希妃」アジア・インディーズのミューズとして特集上映される。 

●新人男優賞 まえだまえだ 『奇跡』(ギャガ)
 【受賞の言葉】航基(兄)奇跡です!この映画を通して是枝監督やたくさんのスタッフの方に出遭えた事は一生の宝です。ありがとうございます。
旺志郎(弟)今まで生きてきて何の賞ももらった事がないのでめっちゃうれしい!!いい映画に出させてもらえてホンマによかった!!

【略歴】前田航基 1988年、大阪府出身。弟・旺志郎とお笑いコンビ「まえだまえだ」として活動、07年、「M-1グランプリ」に出場、史上最年少で準決勝進出」し「エンタの神様」など数々のバラエティー番組で注目される。昨年、NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」、映画は『バルトの楽園』、『ゲゲゲの鬼太郎』。
前田旺太郎 2000年、大阪府出身。兄・航基との漫才コンビで人気。ディズニー映画『スノー・バディーズ・小さな5匹の大冒険』に兄弟で日本語吹き替え出演した。

●脚本賞 新藤兼人(しんどう・かねと) 『一枚のはがき』(東京テアトル)
【受賞の言葉】シナリオライターとしてまた監督として常に「スゴイ映画」を目指してきました。監督最後の作品「一枚のハガキ」でおおさかフィルムフェスティバル脚本賞をいただき光栄です。ありがとう。 (新藤次郎)

【略歴】1924年、広島県生まれ。34年から京都・新興キネマ現像部を皮切りシナリオ執筆。溝口健二監督に師事。44年松竹大船脚本部に移籍。同年4月入隊、宝塚海軍航空隊で終戦を迎える。戦後、吉村公三郎監督『安城家の舞踏会』などで脚本家の評価を高め、50年、同監督とともに「近代映画協会」設立。51年『愛妻物語』で監督デビュー。『原爆の子』『第五福竜丸』など戦争や原爆をテーマに作品を作り続け、60年の『裸の島』がモスクワ国際映画祭グランプリに。『鬼婆』(64年)『本能』(66年)など実験的な意欲作も多く、『ある映画監督の生涯  溝口健二の記録』(75年)は記録映画の
傑作と高く評価された。95年『午後の遺言状』は各種映画賞を独占した。『一枚のハガキ』は「最後の作品」。

●撮影賞 北信康(きた・のぶやす) 『一命』(松竹)
【受賞の言葉】映画を観て頂いたファンの方々に選んでもらえた事が一番嬉しく思います。監督はじめスタッフ、キャスト一同、真摯に作品と向かい合い作り上げた「一命」です。新しい形での映像表現も良き経験となりました。再び大阪に呼んでもらえる様に今後も頑張りたいと思います。 有難うございました。

【略歴】1960年、香川県出身。仙元誠三、栢野直樹、篠田昇ら名カメラマンに師事。主な作品に『北の零年』(05)、『バッテリー』(07)、『新宿インシデント』(09)、『食堂かたつむり』(10)、『漫才ギャング』(11)など。故森田芳光監督とは『黒い家』(99)、『模倣犯』(02)、や『十三人の刺客』(10)で名コンビぶりを見せている。後者では日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞した。

●音楽賞 安川午朗(やすかわ・ごろう) 『八日目の蝉』(松竹)、『大鹿村騒動記』(東映)
【受賞の言葉】『賞に選んで頂き評価してくださった事、大変光栄です。「大鹿村騒動記」「八日目の蝉」はちょうど同じ時期に作曲しました。正直、苦労しました。しかし、両作品に参加出来た事は僕の劇伴音楽屋人生の宝物であり、一生忘れない出来事でした。すべての方々に感謝します。

【略歴】1965年、愛知県出身。東京藝術大学在学中よりスタジオミュージシャンとして活動。89年頃に石井隆(劇画家、映画監督)と出会ったことをきっかけに映画音楽の仕事を。『ヌードの夜』(93)『花と蛇』(04)などの石井監督作品のほか、平山秀幸監督作品、瀬々敬久監督ら、多彩な映像作品の音楽を手がける。阪本順治監督とは、『行きずりの街』(10)に続き、『大鹿村騒動記』(11)

●新人監督賞 三宅喜重監督(みやけ・よししげ) 『阪急電車』(東宝)
【受賞の言葉】おおさかシネマフェスティバルの新人監督賞、本当に有難うございます。大阪で生まれ育ち大阪が大好きな私にとっては、今回の受賞は本当に感慨深いものがあり、今後、より良い作品を作る励みにしたいと思います。

【略歴】1966年、大阪府出身。1960年、関西テレビ入社、本社制作本部を経て、1997年から東京支社勤務、「白い春」「トライアングル」「がんばっていきまっしょい」など、多数のテレビドラマを高く評価されている。大阪を舞台にした単発ドラマ「ありがとう、オカン」では日本民間放送連盟賞番組部門・テレビ番組最優秀賞受賞。『阪急電車』で映画デビュー。

●特別賞 原田芳雄(はらだ・よしお) 『大鹿村騒動記』(東映)
【略歴】1940年2月29日、東京都出身。本所高校を経て俳優養成所を卒業、座員に。テレビデビュー後、68年、松竹『復讐の歌が聞こえる』で映画デビュー。ワイルドなアウトロー的キャラで代表作は日活バイオレンス・アクション『反逆のメロディー』、『野良猫ロック 暴走集団‘71』、東宝のヒットシリーズ『無宿人御子神の丈吉』(3本)など。90年、『われに撃つ用意あり』『浪人街』でブルーリボン賞主演男優賞、97年『鬼火』で毎日映画コンクール男優主演賞。阪本順治監督作品には89年の監督デビュー作『どついたるねん』以来6本に出演した。08年、大腸がんが発見されたが、病を押して『大鹿村騒動記』に出演、完成披露試写会には車椅子で出席した。昨年7月19日、肺炎のため死去。『大鹿村騒動記』は死去3日前に公開された。

● 特別賞 森田芳光(もりた・よしみつ)
【略歴】1950年、東京出身。日大芸術学部放送学科時代から自主映画製作をはじめ、81年、落語家を主人公にした『の・ようなもの』でデビュー。83年、松田優作主演の『家族ゲーム』が出世作になり新世代の旗手に。84年、沢田研二主演『ときめきに死す』、薬師丸ひろ子主演で大ヒットした『メイン・テーマ』。松田優作主演、夏目漱石原作の『それから』(85)は各賞を総なめにした。ほかに吉本ばなな原作『キッチン』(89)、パソコンによる男女の出会いを描いた『(ハル)』(96)、渡辺淳一原作『失楽園』(97)、宮部みゆき原作『模倣犯』(02)、黒澤明監督の『椿三十郎』を同じシナリオでリメイクした『椿三十郎』(07年)など一作ごとに話題を集めた。昨年12月20日、急性肝不全により、惜しまれつつ死去。享年61歳。
(安永 五郎)


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 (C)2009 Autumn Adagio Film Committee

 (2009年 日本 1時間10分)
監督:井上都紀
出演:柴草玲、西島千博、橘るみ、千葉ペイトン、渋谷拓生
2011年11月26日よりユーロスペースほか全国順次公開
関西では、2012年2月4日(土)~テアトル梅田、3月~神戸アートビレッジセンター、近日~京都シネマ
公式サイト⇒http://www.gocinema.jp/autumnadagio/


    ~女としての自分を見つめ直すターニングポイント~

    女としての自分をじっくりと見つめたことがありますか? いつまでも若いと思い込んでいたのに、鏡や写真の中の陰のある自分に愕然としたり、または、体調の変化に年齢を感じたり、さらには結婚、出産、仕事など環境の変化に取り残されたような、そんな焦燥感にあおられて落ち込んだりすることはありませんか? 本作は、更年期を迎えようとするアラフォー修道女を主人公に、女である自分を見つめ成長していく様を秋暮色の中で静かに描いた、女性讃歌の映画である。
   fuwakuno-1.jpg   本作を監督したのは、短編『大地を叩く女』で2008年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門グランプリを受賞した井上都紀監督。その賞金200万円をベースに自己資金で製作した長編第一作作品。自主制作で、日本バレエ界のスター・西島千博と橘るみを出演させるという豪華キャスティングで、主人公の心を開く重要なキーマンを演じさせている。しかも、34歳にしてアラフォー世代が抱く焦燥感や女性が持つ力強さをしなやかに描いてみせた手腕はお見事! 現在37歳。「公開するために作ったのではなく、作りたいから作った」というアーティストらしい一途さと正直さが魅力の井上都紀監督のインタビューは、和やかで楽しいひとときとなった。


     【STORY】
 晩秋のカソリック教会。40歳を迎え早くも更年期のような体調の変化を感じ戸惑う修道女。賛美歌をオルガンで伴奏したり、信者の相談を聴いたり、若い時から神に仕える厳粛で規律のある日々を送ってきた。そんな彼女が、バレエ教室でのピアノ伴奏を頼まれ、そこで出会った男性バレエダンサーの情感あふれる美しいバレエに心を大きく揺り動かされる。他にも、ストーカー的な男性や信者の息子との関わりを通じて、それまで封印してきた女性としての意識に目覚めていく。

 


 fuwakuno-s4.jpgQ:製作から2年経っての公開ですが、感想は?
それまで海外の方の反応しかなかったので、日本でも公開できて本当に良かったと思っています。日本の女性に向けて作ったのですが、男性客が半分くらい来られたのは意外でした。更年期というのは女性にはあまりにも現実的なことですが、男性にとっては身近なファンタジーに映ったのかも知れません。

Q:34歳でなぜこのテーマに?
中年にさしかかる女性は美しいと以前から思っていました。私自身、年月があっという間に過ぎてしまう現実の中で結婚や出産を後回しにしてきたので、このままでいいのか?と不安になりました。それまで自由に選択して生きてきたのに、更年期という体の変化に伴い、考える時期ではないかと。普遍的なことなのに誰も描いてないことに気付いて、今まで描かれなかったことに挑戦しようと思ったのです。

Q:主役について?
柴草玲さんはシンガー・ソングライターですが、彼女の佇まいが面白いと思いました。存在感もあるが透明感もある。40歳を迎える彼女を撮りたいと思い、脚本も彼女をイメージしたあて書きです。

fuwakuno-2.jpg: プロの女優だったら?
演じ甲斐のある役だけに演じすぎると生々しいものになってしまうのが嫌で、観客には想像する部分を残したかったのです。被写体とは距離を置き、俯瞰で客観的に描きました。

Q:とても後味が良かったのもそのせい?
品の良さにはこだわりました。それに、エンディングは厳しさと優しさを込めましたから。

Q:西島千博さんの出演について?
ちゃんとオファーして出演して頂きました。即興でバレエを踊って頂いたのですが、主人公の修道女が主体となるように編集しました。美しいもの、西洋文化を体現しつつストイックに厳粛な規律の中で生きている彼女の心が解放されていくようにしました。

 fuwakuno-3.jpgQ:主人公の女としての目覚めについて?
バレエのシーンで目覚める彼女が一番のメインです。実は3人の男たちは、彼女にとって写し鏡でもあるのです。普通なら思春期に経験するようなことを一度に経験する。男性への恋情・憧憬・不快感・恐怖・性的なものなどを表現するのに、3人の男性をもっとクローズアップして撮っていたのですが、女性の心を中心に描きたかったので、そうした部分は削ぎ落としていきました。

Q:撮影後、更年期に対する意識の変化は?
年齢に対するリミット、焦りなどを表現するため季節も秋にこだわったのですが、「人生90年という時代にあって40代なんてまだ夏よ!」とか、「女性ホルモンがなくなると不安要素もなくなり、まだまだこれからですよ!」と言われました。ラストの方でお赤飯を食べるシーンがあるのですが、あれは第二の人生への始まりをお祝いするものだとも。更年期は自分の中の母性と折り合いをつけ、 人生を見つめ直すターニングポイントだと思います。

 fuwakuno-4.jpgQ:観客の反応は?
一番響いていたのは私と同年代の女性です。女として生きる人生に対する考えを素直に語ってくれました。身につまされるという沢山のコメントや、男性にも通じるものがあるようで、見終えて語りたくなる作品なのかなと面白く感じました。

 Q:仕上がって意外に感じたことは?
映像を想像しながら脚本を書いていたのですが、それ以上の化学反応が起こったようです。カソリックを題材にしているので、オルガンのある教会へ通って許可をもらったり、シスターの衣装デザインや賛美歌の歌詞を自分で作ったりして気を遣いました。
それから、この映画を作って幸せになるぞ~!と自戒を込めて撮ったのですが、まだ何も変わってません(笑)。


  にこやかに笑う井上都紀監督の表情には焦りなどなさそうに思える。だが、同世代の女性監督は独身者が多いのに対し、男性監督は既婚者が多いのは、ずるい!と(笑)。確かに支えてくれる女性はいても、支えてくれる男性と出会えるのは至難の技かも。他に、ミュージカルが好きでいずれは撮りたいという。脚本にもこだわって、「練って練って本を書いてこそ意味のあるシーンが撮れるし、スタッフンに対しても説得力を示せるというもの」。描きたいビジョンをはっきりと示せる監督のようで頼もしい。願わくは、製作費もまかなってくれるプロデューサーとの出会いがあれば、不惑を脱却したスケールの大きな作品へとつながっていけるだろう。

 本作の主人公は、早期の更年期で不安と焦りを感じることで自分自身を見つめ直し、新たな自分へと飛躍していった。その更年期症状だが、人によって症状や程度の差があり、中には情緒不安定で鬱になることもあるようだ。だが、本作のテーマにあるように、自分自身を見つめ直し、新たな人生のスタートとしてポジティブに考えれば、そんなに不安に感じることもないように思われる。人は皆(吉永小百合だって)歳をとり、一度は必ず死を迎える。アンチエイジングに執着するあまり自分を見失わないように、歳を重ねる自分を楽しみましょう。諦めではなく、年齢とうまく折り合いをつけながら、女として生きることも人生も楽しみたいものです。 (河田 真喜子)

(C)2009 Autumn Adagio Film Committee
 

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 (C) 2011『ワイルド7』製作委員会
 

 『ワイルド7』 (2011.11.29 IMPホール)
ゲスト:瑛太、椎名桔平

(2011 日本 上映時間記載)
監督: 羽住英一郎
原作: 望月三起也 原作記載
出演:瑛太、椎名桔平、丸山隆平、阿部力、深田恭子他
2011年12月21日~梅田ブルク7、大阪ステーションシネマ、なんばパークスシネマ、OSシネマズミント神戸、T・ジョイ京都他全国一斉公開
公式サイト⇒http://wwws.warnerbros.co.jp/wild7/index.html


  wild7-1.jpg 「週刊少年キング」の連載をはじめ、1972年にテレビドラマ化された、往年世代には懐かしい『ワイルド7』がバイクアクションを含めた爽快なアクション・エンターテインメントとして初映画化され、12月21日から全国一斉公開される。 舞台挨拶では黒のスーツで颯爽と登場したシークレットゲストの瑛太と椎名桔平に、会場から割れんばかりの大歓声がこだました。撮影現場での瑛太の意外な一面や、ロケ地大分の椎名桔平おすすめグルメなど、大阪の熱気をさらに盛り上げる楽しいトークが展開。また、大型バイクに乗ってのハードアクションを披露し、観終わったあと元気がでるという本作の撮影秘話や、震災翌日に撮影がスタートしたという本作への想いなどを語ってくれた。


     (最初のご挨拶)
瑛太:今までこんなに歓迎を受けたのは生まれて初めてかもしれない。本当にありがとうございます。
椎名:関ジャニの丸山です。今日は来ませんが(笑)。ここに急いで来たのですが、なんで急いでいるのかと考えると、関西に来たからなんですね。そんな雰囲気にさせられる大阪です。今日はどうぞよろしくお願いします。

wild7-s3.jpg━━━舞台挨拶以外で、大阪でどこか行かれたことがありますか。
瑛太:そうですね、今日初めて大阪城に行きました。なんか、あそこだけ江戸時代があるといった感じでした。
椎名:大阪ミナミ食堂園とかね、小さい頃よく行きました。ぼく、三重県の伊賀野(出身)なんです、車で1時間半ぐらいの。いい町ですよ、お城もあって、小さい大阪みたい。大人になるまで関西弁でしたし。

━━━大阪で美味しいものの思い出は?
椎名:小さいときに、こんなにうまいもんはない!と思ったのが、道頓堀の船のたこ焼きですよ。大蛸のね。
瑛太:(たこ焼きは)食べたことないです。

 wild7-s4.jpg━━━大阪のお客さんもテンション高いですか?
椎名:ラテンですね。東京の民族とは違う民族です。舞台で大阪の公演でくると、同じ舞台をするのに東京の反応と全然違うところで笑ったり、勝手なことを言ったり。

━━━今回はバイクに乗ったダークヒーローですが、男性はそんなヒーローに憧れるものですか?
瑛太:仮面ライダーとかそういった強いキャラクターに惹かれますよね。

━━━赤いマフラー(瑛太に「マフラーじゃない」と突っ込まれて)、赤いスカーフを巻いたユニフォームを見てどう思いましたか?
瑛太:みんな揃ったらカッコいいだろうなというのと、ちゃんとした皮のジャケットだったので、キツくて腕が上がらなくて、撮影が終わる頃にちょうどよくなったみたいです。

wild7-2.jpg━━━バイクのシーンも多いですが、普段もバイクは乗られるのですか?
椎名:ぼくは普段は乗っていないけれど、以前は乗ってました。みんな大型免許です。ぼくのは650cc、瑛太のは1100CCですね。

━━━ハードアクションが多いですが、撮影は大変でしたか?
瑛太:脚本に書かれている以上のことを監督から求められて、深田恭子さんをヘルメットせずに後ろに乗っけて、すごいスピードで・・・
椎名:まだ言っちゃだめ!

 wild7-3.jpg━━━メンバーのみんなでどんなご飯を食べに行ったりしてたのですか?
瑛太:よく行きます。桔平さんがいないときかもしれないけれど、みんなで餃子屋さんに行ったんです。鉄板に丸く餃子が並んで盛ってあって、メンバー6人ぐらいで行って、餃子が100個ぐらいあったけどぺろりでした。
椎名:たまたまいなかったか、誘われなかったか・・・
地方に行くといろいろおいしいモノがあって、今回北九州市から大分市に移動して、関さばの料理があるんですよ。甘ダレに漬け込んで、簡単な料理といえばそうなのですが、その名前が「琉球」って言うんですよ。絶対沖縄からきたと思うじゃないですか。聞くと沖縄はぜんぜん関係ないというし、なぜかと聞いても誰も知らないんですよね。大分に行った際には、是非「琉球」という料理を食べてください。

━━━普段からよく食べたり、自分で作ったりされますか。
瑛太:はい。得意料理は・・・カレーで!

wild7-s5.jpg━━━お互いのワイルドだなと思う部分は?
椎名:この作品で初めてお会いしたんだけど、お会いする前はマイルドな瑛太だったけど、なんかニュートラルじゃないですか。どちらでもいけるというか、映画ではワイルドな面がでるとは思いますけど。九州の現場で撮影もハードなスケジュールが多かったんですが、たまたま撮影がゆっくりの日があると瑛太は「山登りにでかける。」と言って、山登りに行ったりしてました。みんなに「一緒に行きましょう。」と声かけて、みんなはスルーしてましたが(笑)。そういうところがワイルドだなと思いますね。
瑛太:もう全体的にワイルドな先輩ですけれど、本当に優しいんです。すごく大きさみたいなものがあって、そこがワイルドだなと。

 ━━━最後に一言ずつお願いします。
椎名:今年の3月、正確に言うと3月12日から撮影が始まって、当日九州に飛ぶ予定だったんですが飛べなくて、翌日かけつけて撮影が始まりました。スタッフもみんなで100人ぐらいの大所帯でずっと九州に行きっぱなしだったんです。それぞれいろいろな事情があったのですが、この映画のために踏ん張って、撮影を続けて完成した作品です。そういう力がこの作品に入っていると思いますので、絶対にみなさんを勇気づけたり、何かのパワーをお渡しすることができる作品になったと思います。最後まで楽しんでいってください。
瑛太:原作を知らない方もいらっしゃると思いますけど、僕も映画を見終わったあと本当にみんなスッキリしたというか、いい元気をもらえる映画になっていました。大阪のみなさんが映画を見て本当に正直に感じたことを周りの人に伝えてもらえたら、全国に大きく広がっていくので、ぜひよろしくお願いします。今日は楽しんでいってください。ありがとうございました。 (江口 由美)

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