「AI」と一致するもの

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『毎日がアルツハイマー2 ~関口監督、イギリスへ行く編~』関口祐加監督インタビュー

(2014年 日本 51分)

監督:関口祐加  出演:関口宏子、関口祐加他
10月4日(土)~第七藝術劇場、11月8日(土)~神戸アートビレッジセンター、今秋京都みなみ会館他全国順次公開
※第七藝術劇場10月4日(土)10:30回上映後、関口祐加監督トークショー&舞台挨拶あり
第七藝術劇場10月4日(土)より前作『毎日がアルツハイマー』も併映
(C) 2014 NY GALS FILMS
 
 

~認知症介護先進国のイギリスに学べ!介護の日々も驚くべき変化が・・・~

 
認知症の母親、宏子さんの介護の日々を、笑いたっぷりに描き、今まで私たちが持っていた認知症や認知症介護の負のイメージを取り払うパワフルさをみせたドキュメンタリー『毎日がアルツハイマー』から2年。認知症ファーストステージで、認知症になったことを自覚して苦しみ、家に引きこもっていた姿から一転し、パート2でセカンドステージに入った宏子さんは外出、入浴と何年も拒絶していた日常生活の行動を調子がいいときには再開し、関口監督と楽しそうにスーパーで買い物をする。認知症であることに慣れ、家族の励ましのもと、よりユーモラスな素顔を披露していく。
 
宏子さんの日々を追うだけではなく、関口監督が認知症ケアを調べているうちに強く興味を持ったパーソン・センタード・ケア(認知症の人を尊重するケア)の本場イギリスで取材を敢行。認知症ケア・アカデミーでのワークショップ参加の様子や、介護の様子、精神科医で認知症ケア・アカデミー施設長のヒューゴ博士との語らいを通じて、理想的な認知症ケアのあり方や、介護している関口監督自身の不安も赤裸々に語られるのだ。
 
認知症の母親との日々を介護者でありながら、映画監督として提示し続ける関口監督に、前作の反響や、セカンドステージに入った母宏子さんについて、そして今回取材したパーソン・センタード・ケアについてお話を伺った。
 

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―――前作『毎日がアルツハイマー』(以下毎アル)は大反響を呼びましたが、介護する側でもある監督ご自身にどんな変化がありましたか?
『毎日がアルツハイマー』は私が考えていた以上にみなさんにとってインパクトがあったと思います。色々な場所で上映してくださるということで、地方までくまなく上映しに回りましたし、今回パート2を作るに当たってご覧になったみなさんからの要望がすごかったです。「(2年半閉じこもった)お母さんはその後どうなりましたか?」「最後に登場したイケメン看護士はどうなりましたか?」等、続きが知りたいんですよね。この作品はご自身が認知症の家族の介護をされている方が多く観に来て下さったので、会場でのQ&Aも私との距離感が非常に近くて、まさに初めての体験でした。どうしても監督は観客から「映画を作った人間」と捉えられますが、私自身が介護者でもあるので、みなさんとフラットな関係が築け、介護者でもある私にどうしたらいいかと聞かれることも多かったですし、パート2を作ろうと背中を押していただきました。
 
―――毎アルは我々が持つ認知症のイメージを大きく変える役割を果たしましたね。
公開初期は「認知症の母親をさらけだすとはどういうことか」といった批判もありました。私の中でもう一度反芻したときに、「私は年をとることも、認知症になることもちっとも恥ずかしいと思っていない。逆に世の中は認知症になることも年をとることも恥ずかしいのか」と視点の違いに気付いたのです。私は母を観ていると、やりとりが面白くて笑えますから。
 
―――認知症に関する映像作品は続々登場していますが、毎アルでは認知症の母宏子さんをしっかり受け止め、母親の新しい一面を見つけることが喜びであるようにも映ります。
世の中の物語はたくさんあるようで、決まっていると思うんですよね。何が違うかといえは、小説もそうですが作る人間・書く人間の視点です。物の見方や切り口がどうなのか。世の中一般は「認知症になったら人生はおしまい、もう大変だ。認知症を予防するにはどうするか」という考えが占める中で、私の母への見方はそうではないという部分がすごくありました。監督として当然のことを提示したまでです。
 

■本音で生きる母から出た言葉「ギャラをよこせ!」「天職がみつかってよかったね」

―――宏子さんはご自身の姿がスクリーンに映し出され、映画が大反響を呼んだことで、何か変化はありましたか?
「ギャラをよこせ!」と言っています。好きなことは食べること、金、寝ることの3つだと常に言っていますから。先日、ヒューゴ先生から電話がかかってきて、「イギリスのBBCが本作のことを紹介し、イギリスでもお母さんは有名になったと言ってあげて」と言われたので伝えると、母は「ギャラをもっと上げろ」と。
 
―――宏子さんご本人は何が起こっているか分かっていらっしゃるんですね。
最初の頃は私が映画監督になることにずっと反対していましたが、認知症になって建前や世間体がなくなり、本音で生きているようになってはじめて、「天職がみつかってよかったね」と私に向かって言ってくれました。はじめて言われて、私もびっくりしました。あれだけ真面目で、いつも世間体を気にしていた母が、認知症の力を借りて本当に自分を解放しているのです。多分認知症を受け入れるというより、開き直っているのでしょう。ただ開き直るには家族の応援が必要で、そこが介護の一番大切なところです。
 

■「やりたいことしかやらない」ことの価値

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―――介護する側から発信するメッセージが重要ですね。
家族が「今のおばあちゃんがいい!」と言うのです。私の息子も「今のおばあちゃん、前よりずっといいよ」と言いますし、そういうメッセージを周りが伝えると、本人も「まあいいか」と思えます。そして本人も言うとおり「やりたいことしかやらない」ということのすばらしさです。逆に言えば、今まではやりたくないことを勤めとしてやらなければいけなかったことが母には多かったのです。大家族で料理をたくさん作ってきましたが、実は料理を作るのも嫌いだったみたいです。真面目に社会的規範に沿って生きてきた人は「やりたことしかやらない」ことは許せないじゃないですか。その価値が分かるのは、私自身がやりたくないことはやらないで生きてきたからです。だから生きてきた人間の器が問われますし、そこで介護者が患者とぶつかってしまうのです。
 
―――一方で、監督は家族での認知症介護は難しいとおっしゃっていますね。
今回のパート2では色々な家族にお会いしてお話を伺い、血がつながっている家族が介護をする難しさを痛感しています。子どもは自分の面倒を見てくれた親がこうなってしまったという想いが強く、親に対する期待もあれば失望も強いです。ただ、想いというのは自分の気持ちであり、自分の気持ちが最初に来てしまうのです。そういう状況下で隠れた場所での虐待や言葉の虐待もあります。でも一番辛いのは認知症になった本人だというところにシフトしていかなければなりません。私は家族が介護するのには限界があると思っていますが、厚労省が24時間体制で家族で介護という方針を出したので大きな疑問を抱いています。そこで何かオプションを考えなければと思ったときに出会ったのがパーソン・センタード・ケア(以降P.C.C)でした。
 

■「介護しやすい」状態に生じる、虐待の力関係を自覚する

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―――今回母親がセカンドステージに入り、抵抗される場面が少なくなった反面、監督はだからこそ浮き出てきた介護者としての悩みを相談されています。
母にとってはセカンドステージがあってよかったなと思える一方、はじめて介護している私自身の不安、つまり「母親を殺そうと思えば殺せるという恐怖」を覚えました。介護相手は今までとは違い、こちらの言うことを聞いてくれるようになってしまい、普通の人は「介護しやすい」と思うでしょうが、私の感受性では「怖い」と思ってしまうのです。
 
虐待はなぜ起きるのかとずっと考えていたのですが、「私は母に対して圧倒的な力を持つ立場にたっている」という、虐待の力関係が生じているのです。イギリスでお話を聞いたときも、認知症の親を虐待したのは、実はいい人だったと言われていました。介護は力関係が虐待につながることを意識していないと、プロでさえ大変なのに家族はなおさら大変です。ヒューゴ先生は、「介護している人は孤独なので、支えが必要。支えがない中で介護をすることがいかに危ないか」とおっしゃっていましたが、密室の中で行われている介護は、虐待の温床なのです。ですからパート2ではそういう危険性を引っ張り出したかったですね。私も母に精神的に頼られる重さを感じる時があるので、セカンドステージは私自身が気をつけなければと思っています。
 

■認知症にとって大切なのは、認知症の人の気持ちをどう理解するか

―――認知症のケアですが、内科、脳外科ではなく精神科の先生が登場しますね。

苦しんでいる人の気持ちを理解するのも私たちだし、それを理解できないのも私たちなのですが、認知症にとって大切なのは、認知症の人の気持ちをどう理解してあげるかです。
ヒューゴ先生もおっしゃっていましたが、認知症という病気だけは同じだが、症状は十人十色から。日本の治療法はアメリカ方式なので個別ケアではなく、脳の活性化ですよね。でも実は一般的にやるといいと言われている音楽療法も認知症の最終章で、言葉がでなくなった人のコミュニケーションツールです。P.C.Cでは最終ステージといわれている人でも絵を描いてもいいし、泣いている人もいるし、そういう違うことをきちんと容認してくれるのはとても素敵だなと思います。P.C.Cをすると何が得られるかというと、ずばり心の安定です。最終ステージになっている人にも心を寄せ、やりたくないことを強制しないことですね。
 

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―――実際に今回イギリスでP.C.C実践の現場を取材し、患者に対応している看護士の様子や患者ご自身の様子をご覧になって、どんな感想を持たれましたか?
イギリスは経済的には大変ですが、「ゆりかごから墓場まで」と言うようにP.C.Cを認知症の国家戦略に据えているというところはやはりすごいなと思います。日本もイギリスをモデルにしていると言っていますが、商売にしようとしている部分がすごくあります。イギリスは認知症ケア課程を作り、認知症の看護ができるプロをきっちりと育てています。プロになって資格をとり、経験だけではなくきちんと理論武装をするわけです。私が受けた認知症ケアアカデミーワークショップの参加者は全員自分が介護関係の仕事をしながら受けています。そういう意味でもパート2は介護士の方が参考にしたいと観に来てくださっていますね。
 

■認知症は哲学的な問いが必要

―――日本でのP.C.Cへの取り組みの現状を監督はどう捉えていますか?
日本では10年前ぐらいから紹介されており、認知症関連の書物でも必ずでてきますし、パート1に出演いただいた名古屋の遠藤先生もP.C.Cの話をしておられましたが、日本ではなかなか訳しきれていないそうです。やはり個別性を看るのが難しいのです。ヒューゴ先生もおっしゃっていましたが、日本は薬文化なんですよ。P.C.Cでは薬をなるべく使わずにできるだけ理由を探るという、探偵のような仕事もしなければなりません。一方日本の内科の先生たちは早期発見をして、アリセプト(アルツハイマー型認知症進行抑制剤)を飲ませ、初期段階をキープした方がいいというのが定説です。
 
でも実は認知症は初期が一番辛いんです。自分が認知症になりかけていると分かることはすごく苦しいし、その苦しさを長引かせることは本人にとって辛くないかと医者に尋ねても、答えがないんですね。でもそれはすごく哲学的な質問なのです。セカンドステージでできなくなることがあっても、人に頼りながら、楽しく自分の気持ちが朗らかになる。私は段階が進んだ方が母にとっては幸せであると思っています。その方が初期で閉じこもるよりいいのではないのかと。本人も完璧に「幸せ」と言っていますから。それは心の状態がいいということですが、そこに答えられる脳外科や内科の先生はいません。そこは精神科の先生でないと考えられないですよね。私たちの世界から物をみない。本人を中心に考えたときの幸せで、そこのヒントはいっぱいあります。
 

■相手が認知症でも本人が納得するまで話をするのが、尊厳のあるフラットな関係

―――日本は教育もしかりですが、個別性を汲み取ることは難しいですね。
認知症になるとやりたくないことがいっぱいあるのですが、それでも介護士さんたちは患者にやらせようとします。やらないと機能が落ちると思っているのでしょうが、逆に言えばそこしか見ていないのです。日本の教育もできないことに注目し、やりたいことを伸ばすことが難しいですよね。日本の文化の中でP.C.Cに取り組むためには、厚労省がきちんとサポートして、イギリスのような専門のアカデミーを設立することが必要だと思っています。イギリスでは百貨店の店員さんも課程を受けていますし、専門以外の看護士さんたちも対応する必要が往々に生じてきます。例えば認知症の方はよく骨折して入院してくるのですが、夜中に「家族にだまされてここにつれてこられた」と訴えてきます。実際に、家族は本当のことを言っていなかったのです。相手の状況がどうであっても騙すことはよくないですね。私は母が忘れても本人が納得するまで話します。それが尊厳のあるフラットな関係です。介護するという言葉自体が上から目線だと思うのですが、相手が認知症だということで、どうしても色眼鏡をかけて見られてしまうので、「認知症だけど関口宏子さん」ではなく、「認知症の関口宏子さん」と認識されるのです。
 

■認知症を患いながらも幸せになれるかどうかは、家族がバロメーター

―――「認知症だけど関口宏子さん」のユーモアは、前作を上回っていましたよ!
母は、下ネタ大好きでユーモアがあります。「うんこが出てよかったね」と私が言うと、「本当のクソばばあになった」と。前は父親と私が下ネタを言うと、本当にイヤな顔をしていましたが、今は自らのうんこネタで笑っています。セカンドステージなのですが、幸せになれるかどうかは家族がバロメーターです。家族が認知症を受け入れられないと嘆いているのはダメです。「認知症になった母親がいい!」と伝えると、どんどん面白いと言ってくれる方向に行くんですね。(江口由美)
 

raizou-550.png【雷蔵祭 初恋】トークショー

ゲスト:蔭山俊夫(映画プロデューサー)
★テアトル梅田のスケジュール⇒ 
http://www.cinemakadokawa.jp/raizohatsukoi/schedule_umeda.html

伝説の“大映スター”市川雷蔵の映画デビュー60周年記念の特集上映が10月27日(土)、【雷蔵祭 初恋】と題して大阪・テアトル梅田で始まり、劇場には往年のファンが詰めかけた。初日は『忠臣蔵』などを手掛けた元大映プロデューサー、蔭山俊夫さんがトークイベントを行い、没後50年経つ今も愛され続ける雷蔵の魅力について語った。


raizou-t-550.jpg ――蔭山さんは雷蔵さんより1年早い入社。当時はどんな様子でしたか?
蔭山プロデューサー:「それが…そんなに強い印象はないんです。スターのオーラはまったくといっていい程なかった。普段の雷蔵さんは商家の若旦那か、メガネかけてたんで役所の戸籍係といった感じで、本当に普通っぽかった。同時にデビューした勝(新太郎)さんの方がスターという感じがありましたね。雷蔵さんは若い連中と遊びに行くということもありませんでしたし、地味と言えば地味な人だった」。


――芸術論を戦わせたことがあったとか?
蔭山P:「頭いい人でね。亡くなる前には自分で芝居をやろうとしていました。プロデューサーになりたかったんでしょうね。そういう志向は早くからありました。自分が成長していくのに役立つような人と親しくしていたように思う。いい意味で、自分を鍛えてくれる人を大事にしていたんでしょう。プロデューサー志向があった。結婚したのも永田(雅一)社長の娘(養女・太田雅子)さんでした。

助監督とも親しく話し、彼らが独り立ちした映画には出演するといった面もありました。一度、雷蔵さんが文芸もので気に入ったものがあった時に、撮影中の映画の途中で東京へ飛んでいき、永田社長に“次はこれをやりたい”と直談判に行ったこともありました。それで、現場の監督が“主演俳優がこんなことしていいのか”と怒ったこともあった。やりたいことがあったらもう止まらなかった」。
 

――大作『忠臣蔵』(58年)をプロデュースされた時は?
蔭山P:「確かに、プロデューサーでしたが、当時の大映ではプロデューサーは永田社長ただ一人。私たちはみんなボロデューサーでした(笑)。『忠臣蔵』は大映のオールスター総出演だから、脚本から関わって大変苦労しました。なにしろ、長谷川一夫さん、山本富士子さんら主演スターばかりだから、皆さんそれぞれの見せ場を作らないといけなくて、まず設計図=脚本でしたね。大石内蔵助の長谷川一夫さん、遥泉院の山本富士子さん、雷蔵さんは浅野内匠頭、勝さんは赤垣源蔵…。監督は早撮りで知られる渡辺邦男さん。2時間を超える大作でも1カ月半であがりました」。
 

――37歳とは、あまりに早く亡くなったんですが、今でもこうして特集上映される人気は不思議なほど、その秘密は?
蔭山P:「生きていれば83ですからね。早く亡くなって、雷蔵さんの凛々しいイメージがずっと残っているのでは。 生きていたら? 長谷川一夫さんと同じように舞台の方に行っていたでしょうね。目の前にいい手本がありましたから」。


――出演作品が15年間で159本、時代劇も現代劇あってどちらも出来る俳優さんでした。
蔭山P:「普通っぽくてスターらしくない、と言いましたが、扮装してヅラつけたらガラッとイメージが変わった。スターのオーラもビンビン発していた。こんなに変わる人はいない。そこが凄かった。その落差が最大の魅力だったんではないでしょうか」。


――改めて市川雷蔵というスターを表現すると…?
蔭山P:「雷蔵さんが亡くなったのが1969年7月。翌70年は大阪万博で、翌71年に大映が倒産する。雷蔵さんが入社20年。大映が創立30年。映画会社・大映を看取ったスターと言えるでしょう」。


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終了直前、客席から年配の女性ファンが飛び入り、蔭山プロデューサーに「今回、先ほど話に出た『忠臣蔵』が入っていない。あれをぜひ見たいんで、何とかしてください」と直談判するハプニングも飛びだす、熱気あふれるトークショーだった。

【雷蔵祭】は、11月7日まで(10月11日~17日休映)。俳優人生15年で159本に出演した中から、デビュー作『花の白虎隊』(1954年)、ヒットシリーズ『眠狂四郎』シリーズ、『陸軍中野学校』シリーズや、傑作の誉れ高い『ひとり狼』、『ある殺し屋』、亡くなった年の『手討』(63年)まで、46作品を一挙上映する。

(安永 五郎)

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フランスを拠点としながら祖国カンボジアの人々の記憶に迫る作品を撮り続けているリティ・パニュ監督の第66回カンヌ国際映画祭 ある視点部門グランプリ受賞作『消えた画クメール・ルージュの真実』が、9月13日(土)より、十三・第七藝術劇場で公開される。
 
カンボジアで、リティ・パニュ監督自身が幼少期に体験したポル・ポト率いるクメール・ルージュによる虐殺の記憶。一瞬にして華やかな街から人々は虐殺され、生き残った者もクメール・ルージュの支配下で名前を失い、個を配して重労働を強いられる。自身も家族や友人を失い、奇跡的に収容所を脱出して映画監督になったリティ・パニュが、失われたフィルムや写真を発掘するだけでなく、失われた記憶を新たに作り出す試みを本作で行っている。多くの犠牲者が葬られた土から一つ一つ手彫りで作り上げた膨大な数の土人形たちに歴史を重ね、静かな語りによって苦しみながら生き抜こうとしたカンボジアの人々の肖像を浮かび上がらせる。一掘り一掘りに込めた想い、そして詩的にすら感じる語り口から、深い追悼の意も感じられる作品だ。
 

公開初日の9月13日(土)12:15の回終了後、5Fイベントホールにて14:10ごろよりトークショーが開催される。カンボジアでかつて起きたクメール・ルージュの真実について、改めて触れてほしい。
 
トークゲスト
川瀬 慈さん(国立民族博物館・助教)
小林 知さん(京都大学東南アジア研究所准教授)
詳細はコチラ
 
 
『消えた画クメール・ルージュの真実』公式サイト⇒http://www.u-picc.com/kietae/index.html
 

ive-tai-550.jpg『イヴ・サンローラン』主演のピエール・ニネ待望の初来日レポート

(2014年 フランス 1時間46分)
監督:ジャリル・レスペール 
出演:ピエール・ニネ、ギョーム・ガリエンヌ 、シャルロット・ル・ボン、ローラ・スメット、ニコライ・キンスキー 

2014年9月6日(土)~角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、T・ジョイ京都 他全国ロードショー

★作品紹介⇒ こちら
★ジャリル・レスペール監督トークレポートはこちら
★公式サイト⇒ 
http://ysl-movie.jp/
(C)WY productions - SND - Cinefrance 1888 - Herodiade - Umedia


 21世紀フランスを代表するイケメン、ピエール・ニネ待望の初来日! 

世紀の天才デザイナー、イヴ・サンローランを完璧に演じ、美貌と実力を兼ね備えたスターの誕生にヨーロッパが騒然!

 

ive-pos.jpg揺るぎなき地位を築いた一流ブランドの創始者にして、世界で最も有名な伝説のファッションデザイナー、イヴ・サンローラン。彼の輝かしいキャリアと人生の、その光と影を描いた感動作『イヴ・サンローラン』は、今年1月本国フランスで公開するや、アカデミー賞を賑わせた『ゼロ・グラビティ』や『あなたを抱きしめるまで』を抜いて、初登場NO.1の大ヒットを記録しました。その主役となったのが、完璧な演技でイヴ・サンローランになりきったピエール・ニネです。

また、本作はイヴ・サンローラン財団所有のアーカイブ衣装の貸し出しの許可も得て制作された、ブランド初公認の本格伝記映画としても話題となっております。

サンローラン役に抜擢されたのは、国立劇団コメディ・フランセーズ在籍のピエール・ニネ。卓越した演技力で酷似した容姿と繊細なキャラクターを見事に再現し、フランスの全国民を圧倒させました。目を見張る演技力にプラスして美しい容姿をもつ彼の人気は沸騰し、いまや大スターに!日本の女性誌もこぞって取り上げるなど、いま最も注目を浴びている若手俳優です。

この度、日本初来日になるピエール・ニネを囲み、サロン会見を開催致しました。超満員のマスコミの熱気に感動したピエール・ニネは「監督に、こんなにたくさん取材に来てくれたよ!と写真を送りたいので、皆さんの写真を撮ってもいいですか?」と25歳らしい無邪気な面もみせ、場を和ませる一面も。多くの質問が飛び交い。会見は予定の1時間をオーバーし、大盛況の中終了致しました。



【イヴ・サンローラン』 ピエール・ニネ サロン会見 概要】

 実施日:2014年8月8日(金) 14:20~
会場:ザ・ペニンシュラ東京(東京都千代田区有楽町1-8-1)
登壇者:ピエール・ニネ


 【サロン会見 内容】

ive-tai-1.jpg■ピエール・ニネからの挨拶
「皆さん今日はお集まりいただいてありがとうございます。この映画に皆さんが興味を持ってくださってとても嬉しいです。世界中をプロモーションで回りましたが、僕にとっても日本は大切で、美しいものについての美学がある国だと思いますが、生前のイヴ・サンローランが愛した国でもありました。今日はよろしくお願いします」

 

■初来日の日本の印象は?
「日本の人たちは互いを重んじて、リスペクトする国、礼儀正しい国だと聞いていたのですが実際に来てみると、本当にそうで、皆さんのふるまいにエレガンスがあって感動しました。サンローランにとってもエレガンスはテーマでしたが、日本にもそれを感じます。僕はしばらく東京に滞在してあと、日本の伝統も見てみたいと思っていますので、京都に行きます」

 

ive-tai-3.png■イヴ・サンローラン役を演じたきっかけは?
「僕にとって思いもよらないオファーだったんです。僕はコメディ・フランセーズに所属しているのですが、パリで舞台の稽古中にジャリル・レスペール監督から電話が来て、ビールを飲まないかと誘われてかけて行ったら、『世紀のラブストーリー、世紀のクリエイションについての映画を撮る、イヴ・サンローランの映画を撮るんだ』と言うので、僕はもちろんすぐに出演をお受けして、『ところで僕は誰を演じるの?』 と聞いたら『イヴ・サンローランだ!』と。こんなに伝説的で鮮烈で魅惑的な役のオファーがあることはないので、自分はとても幸運だと思いました。そして準備することがたくさんあったので、すぐに準備に入ることになりました」

 
 

■映画の世界的ヒットについてはどう思いますか?
「フランス国内で興行的に成功したことで、様々な国が興味をもって下さり、プロモーションでベルリン、ニューヨーク、ブラジルなど様々な国に行きました。世界的にグローバルに受け容れられたのですが、皆さんが興味をもってくださるのは、イヴ・サンローランというブランド帝国の背後にいたのは誰なのか、それはどういう人物だったのか、ということに対する興味なのではないかと思います。映画はイヴ・サンローランという偉大な人物の裏側も描いていますが、サンローランという人は、時代を先読みする鋭い感受性を持っていたがゆえに心が痛み、極端な行動に走る一面もあったのです」

 

ive-tai-4.png■今回の役作りについて教えてください。
「撮影前に5ケ月の期間があったのですが、ipodに彼の本当の声を入れて、1日3、4時間くらい聞いて勉強したほか3人のコーチにもついて勉強しました。1人目のコーチはデッサンで、2人目はフィジカルコーチで、経年によって変わる体のシルエットについてコーチを受けました。3人目はデザインとファッションのコーチで、ファッション業界の様々な専門用語などや布の遣い方触り方、クチュールのアトリエでの仕事の仕方を学びました。実際に練習して撮影現場ですぐに使えるまでもっていきました。役を作りにあたり、僕は最初自分とサンローランの共通点を探そうとしました。聖人のような人物を演じるわけですが、彼だって人間なのだから、と自分との公約的な部分を探したのですが、結果的には全く違う人物なのだと思い至りました。唯一の共通点を言えば、スケールは全く違いますが若くしてクリエイションの道に入った、若くして自分の道が定まったというところだけは共通しているかもしれませんね。ですから役作りはとても必要でした。」

 

■まだ25歳のあなたにとって生まれていない時代のことを演じるのは大変だったのではないですか?
「僕の世代が直接知らないことを学ぶこは大変面白かったです。イヴ・サンローランの歴史はフランスの歴史に通じるんです。彼は時代を先取り先読みしていた人でしたから、ミリタリーを洋服として着る人がいなかった時代に、ミリタリー・ルックを打ち出したりしましたし、70年代のヒッピー文化の時代については僕自身歴史を再体験するようで面白い経験でした。」

 

ive-tai-5.jpg■この映画はイヴ・サンローラン財団の初公認映画ですが、彼の衣装を目にした時の印象は?
「彼は時代を先読みするビジョンと頭脳の明晰さを行使して、人々は何を好きになるかということを先取りして読むことができる能力がありました。とても印象的だったは、撮影現場モンドリアンのドレスが運び込まれてきた時でした。係員の方が、美術品を扱うように手袋をして触っていたのです。もちろん着用したモデルさんは座っても駄目、食べ物や飲み物も駄目という制限の中で撮影しました。最後に手袋なしでこのドレスを触ったのは、イヴ本人だったのかもしれないと考えたら、とても感銘を受けました。」

(角川映画リリースより)

 

JB-550.jpg『ジャージー・ボーイズ』

terrorlive-550.jpg『テロ,ライブ』

maikohalady-550.jpg『舞妓はレディ』

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iida-550.jpg『イーダ』

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