原題 | Im Labyrinth des Schweigens |
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制作年・国 | 2014年 ドイツ |
上映時間 | 2時間03分 |
監督 | 監督:ジュリオ・リッチャレッリ 脚本:エリザベト・バルテル |
出演 | アレクサンダー・フェーリング、フリーデリーケ・ベヒト、アンドレ・シマンスキ、ヨハン・フォン・ビューロー、ゲルト・フォス、ヨハネス・クリシュ、ハンシ・ヨクマン |
公開日、上映劇場 | 2015年10月3日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、10月17日(土)~ シネ・リーブル梅田、11月~シネ・リーブル神戸、順次~京都シネマ ほか全国順次公開 |
~おぞましい過去と向き合う勇気と正義感~
涙は一滴もこぼれず、頭が真っ白になった……。2011年夏、第二次大戦中にナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)が行われたポーランド南部のアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所跡(現地では国立オシフィエンチム博物館)を訪ねた。犠牲者はてっきりユダヤ人だけと思っていたら、ロマ(ジプシー)、ソ連兵の捕虜、政治犯(主に反ナチス活動家)の他に障害者や同性愛者も含まれていたことがわかった。みなナチスにとって「都合の悪い」人たちだ。その数、トータルで約150万人といわれている。
数百、数千ならピンとくるが、京都市の人口とほぼ同数の人間がこの地で殺されたというのだから、正直、想像できなかった。収容された人たちの髪の毛、鞄、靴、殺害に使われた毒ガス(チクロンB)の空き缶……。展示品を目にすると、ますます感覚がマヒしてしまう。さすがにガス室に入ったときは、独特な冷(霊)気が感じられ、ゾクッとした。まさにアウシュヴィッツは絶滅センターだった。なんで人間がここまでやれるんやろ??
強制収容所は、本国ドイツをはじめ、ポーランド、チェコ、オランダ、ウクライナなどの占領地や同盟国に89か所設置された。スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』(1994年)の舞台になったクラクフ収容所(ポーランド)のように、基本的には強制労働させる施設で、すべてヒトラー直属のSS(親衛隊)が管轄していた。その中で、アウシュヴィッツは絶滅を主眼とした特殊な収容所だった。「ARBEIT MACHT FREI」(働けば、自由を得られる)と正門に掲げられた文言の何と偽善的なこと!!
それゆえ、アウシュヴィッツはドイツにとって、いや人類にとって、最大の「負の遺産」ともいえる。戦争終結から70年を迎えた今年1月、ナチスによる被害者の追悼式典で、ドイツのメルケル首相が「ユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定したナチスの象徴がアウシュヴィッツです。私たちドイツ人は、犠牲者のために過去を記憶していく必要があります」と述べた。この発言が敗戦直後からドイツの総意、あるいは歴史認識として根づいていたと思っていたのだが、この映画を観て、実はそうではなかったことを知り、吃驚した。
戦後10数年経った1950年代後半、当時、西ドイツの若者の大半がアウシュヴィッツの名称も、そこで何が行われたのかも知らなかった。たとえ知っていても、堅く口を閉ざしていた。被害者側の生き残ったユダヤ人や遺族も同様だった。人間、あまりにも凄まじい体験をすると、語りたくなくなる、いや、語れない。それはよくわかるのだが、どうしてナチスの犯罪がかくも早々と風化していったのか。そこのところを映画では深く言及されていなかったので、調べてみた。前回に続き、今回も解説調になることをお許しあれ。
敗戦した1945年の時点で、ナチス党員が850万人、協力者が300万人いたといわれる。合わせると、当時のドイツの人口の20%を占めていた。連合国によるドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判で、ナチスの残虐性が明るみにされ、その関係者が公職を追放された。しかし1950年、アデナウアー首相が西ドイツからナチスの残滓を一掃したとする「非ナチ化終了宣言」を発表した。過去の清算よりも、戦後復興に力を注ぐべしという判断である。さらに世界は米ソの東西冷戦に突入し、西ドイツはその最前線に位置していたという政治的な事情も多分にあった。1955年、米英仏による占領が解かれるや、直ちに再軍備が進められ、西ドイツはNATO(北大西洋条約機構)に組み入れられた。もはやナチスのことなどに関わっていられなかった。
その動きに伴って元ナチス関係者がにわかに復職し、警察官や公務員、官僚、政治家、企業経営者といった社会の中枢に入り込んでいった。ホロコーストに関わった元SS隊員は名前を変え、別人になりすましていた。ちなみに、社会主義の道を歩んだ東ドイツでは当初、腐敗した資本主義の最たるものとしてナチズムを徹底的に断罪したものの、第三帝国(ヒトラー率いるナチス・ドイツ)は全く別の国家であるとし、以後、いっさい触れなかったという。
本作はそういう時期に、ドイツ人自身の手でナチスの犯罪を追及しようとした人たちの物語である。その担い手がフランクフルト地方検察庁の検察官だった。地方検事とはいえ、国家権力に属する役人。それが国家の恥部にメスを入れたのだから、「大事件」だった。1958年、アウシュヴィッツ収容所にいた元SS隊員が小学校の教師をしているという情報を地元新聞社の記者が検察庁にもたらしたのが発端だった。煩わしい事案と思ったのか、だれも耳を傾けなかったが、ひとり若手検事ヨハン(アレクサンダー・フェーリング)だけが心をざわつかせ、捜査に着手した。もしそのとき、彼が意識しなかったら、アウシュヴィッツの事実がかくも世に知れ渡るのがもっと遅れたかもしれない。「個の力」の凄さを改めて思い知った。
例にもれず、ヨハンもナチスの犯罪については無知だった。検事総長バウアー(ゲルト・フォス)がユダヤ人だったので、大きな後ろ盾になっていたが、それでも検事仲間やその他、得体の知れないところから横ヤリや邪魔が入る。「癒やされた傷口をまた開けようとしている」。そんな声が聞かれる中、ヨハンは敢然と捜査を続け、そのうち事の重大さを知る。ますます正義感と使命感に燃え、犯罪容疑者を逮捕、起訴すべく奔走する。その姿には理屈抜きに引き込まれる。
元SS隊員のファイルは駐留アメリカ軍が保管していた。その数、約60万件。アメリカにとって、目下、当面の敵はソ連を盟主とする東側陣営(ワルシャワ条約機構)なので、今さらナチスのことをほじくり返されても全くメリットがない。だからヨハンが資料の閲覧を求めても、米軍の担当者は非協力的だった。それでも、「事実をもみ消すのは民主主義に反する」という検事総長の言葉に背中を押され、彼はめげずに調べ続けた。途中から同僚の検事が加わり、たくましい中年の女性秘書を含め3人が実働に当たったが、容疑者が8000人にのぼるうえ、被害者・証言者リストも作成しなければならない。気の遠くなりそうな作業だ。
ヨハンは架空の人物である。実際は3人の検事が担当したそうだ。彼らの強い信念と勇気の総体がヨハンと言えるだろう。ホロコーストの実務を担当したアイヒマンや収容者に対して人体実験を行っていた医師メンゲレら大物の名前も挙がってくる。ナチスの党員だったという過去を隠ぺいし、何食わぬ顔をして社会に溶け込んでいる人も少なくなかった。「自分の父親に、犯罪者だったかと問い詰める気か」と捜査に反対する検事がヨハンに放った言葉がそのことを裏付けていた。映画にもなったユダヤ人の女性哲学者ハンナ・アーレントがアイヒマンをして、殺人鬼ではなく、命令に忠実な人物と評し、「悪の凡庸」と形容したごとく普通の市民がナチスの犯罪に加担していた。「私も兵士だったら、同じことをしていたかもしれない」。ヨハンの独白が胸に重くのしかかる。
捜査開始から5年後の1963年、フランクフルトでホロコーストに関わった元SS隊員22人の犯罪を問うアウシュヴィッツ裁判が開廷され、見たくない、見せたくない過去が国内外に広く知れ渡った。それを機にドイツの歴史認識が変わり、今日に引き継がれているという。ドイツは日本と同じ敗戦国とはいえ、他国への侵略だけでなく、ホロコーストという異質な「ナチスの犯罪」が色濃く残る。けれども過去に目をそむけず、きちんと向き合う姿勢は日本もぜひとも見習うべきだと思う。
映画は実にオーソドックスな手法で撮られていた。CG映像もケレンみもない。描かれた世界そのものが非常にドラマチックなのだから、小細工をする必要はない。映画を観終わったあと、ぼくは心が揺さぶられ、しばし身体が動かなかった。そして冒頭で記したアウシュヴィッツ収容所跡で目にしたある情景がまざまざと浮かんできた。イスラエルから来たユダヤ人の一団が鎮魂歌を口ずさむ中、ボランティアのドイツ人学生たちが黙々と草むしりや施設の修理に励んでいた姿が……。
武部 好伸(エッセイスト)
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