『新しき世界』
「AI」と一致するもの
『楽隊のうさぎ』鈴木卓爾監督、磯田健一郎音楽監督インタビュー
(2013年 日本 1時間37分)
監督:鈴木卓爾 プロデューサー・監督補:越川道夫
音楽監督:磯田健一郎
原作:中沢けい『楽隊のうさぎ』新潮文庫刊
出演:川崎航星、宮崎将、井浦新、鈴木砂羽、山田真歩他
2013年12月14日(土)~ユーロスペース、新宿武蔵野館、12月29日(土)~第七藝術劇場、シネ・ヌーヴォ、2014年1月11日(土)~京都みなみ会館、2月8日(土)~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.u-picc.com/gakutai/
(C) 2013『楽隊のうさぎ』製作委員会
~日々生徒たちと接しているところでしか台本も音楽も生まれてこない。
生徒たちとの「キャッチボール」から生まれた青春音楽映画~
瑞々しい中学生たちが奏でる吹奏楽部の演奏は、決して完璧ではないけれど、心を打つ「音楽の力」がみなぎっている。中沢けいの人気小説『楽隊のうさぎ』を『ゲゲゲの女房』の鈴木卓爾監督が映画化。楽器の街、静岡県浜松市を舞台に、吹奏楽部員を一般の中・高校生からオーディションで募集し、映画のために一から作り上げられた花の木中吹奏楽部と、主人公克久の成長ぶりが、寄り添うような映像で綴られている。
主人公克久を吹奏楽部へと誘ううさぎ役に山田真歩、花の木中吹奏楽部顧問の和田勉役に宮崎将が扮し、ファンタスティックに、時には在りし日のゆったりとした吹奏楽部の雰囲気を醸し出しながら生徒たちに音の楽しさを伝えていく場面も微笑ましい。また、クライマックスの定期演奏会演奏曲『Flowering TREE』(オリジナル曲)をはじめ、克久が吹奏楽部を意識するきっかけになった勧誘演奏に『星条旗よ永遠なれ』、新入部員が入ったばかりで初見演奏させられた『ファランドール』、克久がコンクールメンバー落ちしたときの演奏曲『吹奏楽のための第一組曲』など、劇中の音楽シーンはすべて実際に部員たちが演奏した生音が使用されており、音楽映画として台詞同様彼らが奏でる音にも注目したい。
鈴木卓爾監督と音楽指導やオリジナル曲作曲を担当した磯田健一郎音楽監督に、青春音楽映画を実際の学生を集めて作り上げたプロセスや、意識したこと、音楽指導でのこだわりやオリジナル曲誕生秘話について話を伺った。
■試行錯誤を重ねた生徒たちとの撮影、音楽指導
───今回は主役を含む中学生のキャストを全員オーディションで選び、一から花の木中学校吹奏楽部を作り上げました。今までの映画作りと違う点や、苦労した点は?
鈴木:今回の映画は、「浜松で映画を作りたい」という持ちかけがあったことから始まりました。吹奏楽部の物語なので、出演者はプロの俳優ではなくむしろ普段学校に通って、家で家族と暮らしている素人の学生さんたちに出演してもらえないかと考えました。プロの俳優さんは台本の流れを掴んで演技をしていきますが、10代の人たちが主人公の物語の場合、今しか映りようのない彼らという生々しいものを物語に入れたかったのです。しかし僕自身吹奏楽部の経験がなく、本作の重要な一面である音楽映画をどうやって作っていけばいいのか全くしらないままスタートしたので、彼らの生々しいものを、しかもアフレコではなく彼らが出した音を使いたいということがどれだけ大変かということを知りませんでした。生々しいものを撮るために、彼らにそこに居てもらうためにはどのように会話したり、監督として演出しなければいけないのか。その問題に突き当たりながら、スタッフみんなで作りました。
───磯田さんは、音楽監督として生徒たちの音楽指導や、オリジナルの楽曲も作られたそうですね。
磯田:オーディションで僕たちが選んだ子ども達は特に吹奏楽の経験は問わず、「『楽隊のうさぎ』に出演したい人は来てください」という条件で応募してくれた人の中から選んでいます。学年も経験もバラバラで、楽器の経験のない子もいました。最初の夏の撮影では普通の映画のアプローチを行っていました。しかし、実際に演奏をしている姿やしゃべっている顔、出ている音を使いたい。僕たちの実際目の前にいるイキイキとした子ども達を映像に撮りたいと越川プロデューサーに言われ、改めて夏の間撮影したラッシュを見ると、子どもたちが窮屈そうに見えて、僕たちが撮りたいものではないことに気づきました。そこで最初あった脚本は一度忘れて、一からやり直しました。
■原作とは違う展開を考えた理由と、映画版ならではの吹奏楽顧問「勉ちゃん」の造詣
───花の木中吹奏楽部を一から作るようなものだったのでしょうか?
磯田:どこにてもある普通の吹奏楽部を作る、もしくはそれに近付くようにやろうとしたのですが、8月の撮影ではまだ人間関係ができていませんでした。これではダメだと脚本が書きなおされる一方で、僕はオリジナル曲を書こうと思ったのです。原作では吹奏楽コンクールで全国大会に行く話になっていますが、それはやめました。震災の後に、子どもたちが他の子ども達に勝って喜び、自分たちは特別だと思うような物語を果たして紡いでいいのかという問題意識があったのです。普通の子ども達同士の有り様を撮ることは最初の撮影時点でも固まっていました。また吹奏楽部の顧問、森勉先生(以降勉ちゃん)の造詣も原作ではコンクールに一直線の猛烈型でしたが、映画ではひっくり返しています。
───吹奏楽部の熱血教師のイメージとは一線を画した、ふわりとした印象の勉ちゃんのキャラクターはユニークでしたね。
磯田:勉ちゃんは音楽が好きで、吹奏楽がずっと好きだったけど、一度やめてずっとチェロを弾いていた。学校の吹奏楽部の顧問になり、子どもたちが演奏しているのを見ている中で、また自分も子ども達の中に入りたくなるといった造詣にどんどんとしていきました。
鈴木:宮崎さんには磯田さんが子ども達と一緒に音楽室でやっているのを見てもらっていました。
磯田:宮崎さんは最初から必ず音楽室にいるんですよ。職員室でのシーンなどの出番が終わると、必ず音楽室にやってきて、ピアノの前で座っていました。誰も頼んでいないのに、ずっとその場にいたのです。
───練習をずっと宮崎さんがご覧になっていたということは、磯田さんが勉ちゃんのように指導されていたのかもしれませんね。
磯田:「僕自身が勉ちゃんだったらどうするだろうか」と思いながら、生徒たちの合奏やパート練習をやりはじめました。僕も吹奏楽の経験者として言いたいことや伝えたいことがいっぱいあったのですが、だんだんそれはどうでもよくなり、まずは音と戯れ、一緒に音楽で遊ぶということをやろうと思ったのです。学生時代指揮者だった経験を思い出しながら、「後はやってね」という風に生徒たちに投げかけました。すると、合奏の時に「チューバが音出てない!」と生徒たちが文句を言い始めたり、食事の時間になれば仲良しグループができて遊び始めるということがリアルに起こり始めました。学年や音楽キャリアを超えて本当に彼らが花の木中学校吹奏楽部になるのを感じながら、僕はオリジナル曲を脚本でいう「あて書き」していきました。
■生徒たちの生の言葉や練習の様子を台詞、オリジナル曲にフィードバック
───ティンパニーのドンという音から始まる曲はなかなかありません。「あて書き」とおっしゃった意味がよく分かります。
磯田:最初に克久君の「ドン」というティンパニーの音を書くと、その後に何がくるかといえばファンファーレしかないのでトランペットや他のパーカッションを演奏する子の様子を想像しながら書いていきます。それを全部設計しながら練習するので、「こいつうまくなったな、ちょっと譜面変えて難しいことをさせてみよう」など、練習の様子を譜面にどんどんフィードバックさせていきました。同時に練習中生徒たちにさせた中から生まれた生の言葉を、シナリオにもフィードバックしていきました。こちらから投げたボールに対して、どう返すか。そういうキャッチボールを生徒たちと一緒にやるわけです。
───具体的にどういうやり方で生徒たちの生の言葉をフィードバックしていったのですか?
鈴木:コンクール出場メンバーから落ちて、廊下で落ち込む同級生に、「バーカ、がんばれ!」と同学年の女の子が声をかけていくシーンがありますが、台本の稽古ではなく、ワークショップのような形で投げかけた中から生まれました。「コンクールメンバー落ちして廊下に立っているよ。一人ずつ、声かけられるかどうかやってみようか」というシチュエーションだったのですが、越川プロデューサーから「触ることはやらないで」と言われて、悩んだ後に「バーカ、がんばれ!」という言葉が出た時はプロデューサーも涙目でした。冬のワークショップで出たその言葉を台本に入れ、翌年のゴールデンウィークの本番で使いました。
磯田: 「僕らはこういう方向で作りたいのだけどやってみて」と生徒たちに投げてみて、返ってきたことを拾い上げて、また投げ返す。それを全て撮ったのがこの映画です。僕の仕事で言えば、音楽シーンの演出だけでなく、吹奏楽部を作っていく中で、その奥にドラマがあるわけです。練習の前でふざけているときと、カメラが回り始めた時と同じテンションができなかったら、この映画はダメだということを僕たちは夏の撮影で学びました。どうやったら具体的に撮れるのか常に模索していましたね。
鈴木:自然さのある撮り方を考えたら、盗み撮りすることもできたでしょうが、それは意味ありません。僕らの前に、ちゃんと吹奏楽部があることが目標としてあり、日々接しているところでしか台本も何も生まれてこなかったのです。まさに生徒たちとのキャッチボールの応酬です。全体練習で集まれる限られた濃密な時間に、リハーサルも意識させない形で行っていました。僕が一番キャッチボールが下手だったので、他の皆さんに救ってもらって形にしていきました。
───主役に選ばれた川崎航星君は映画初主演ですが、役作りや撮影での様子はいかがでしたか?
鈴木:川崎君は、最初にオーディションで会ったときに克久にすごく重なる部分があって、自己主張はしないけれど、透明感があって、人の話やしぐさを見ていたんですね。満場一致で決まったのですが、最初に花の木中吹奏楽部で集まった時に「僕はどの役をすればいいですか?」と聞かれ、克久役と告げると主役ということでショックを受けていました。プレッシャーを感じていたのでしょうが、ご飯の時間などみんなと仲良くなっていくうちに、わざとふざけて皆を笑わせるようなキャラクターで、彼の笑顔がとても良かったんです。そんないい笑顔をする子が克久のような役をしようとするには、川崎君なりに演じているわけですよね。相当自覚的に自分を追い込んで、関係性を忘れないようにしながら、休憩時間にどれだけ弾けられるか。そんな調整を自分の中でしていたんじゃないでしょうか。
磯田:川崎君は音楽経験はなかったですが、独特の集中力がありました。今回彼にはリアルな吹奏楽感を出すために、僕が教えるのではなく、先輩役の子に教えてもらうようにしました。彼は元々持っているビートは正しくて、僕は1年半一緒にやってきた中で「おまえ、リズム感いいんだぞ。自覚してないだろ?」とだけ伝えて、後は指導は彼女たちに任せていました。定期演奏会の本番でティンパニーを叩くシーンの前に、こういう持ち方をすればいいというのだけは、プロのティンパニー奏者の指導を入れましたが、それ以外は全部自分で練習していましたね。演奏会のシーンは最後の撮影でしたが、日頃は表情を崩さない川崎君が滝のようにワーンと泣いて、相当自分を追い込んでやっていたんだと思います。
■『ベルリン 天使の詩』の天使のような、どこにでも偏在している「うさぎ」の存在
───この物語で山田真歩さん演じるうさぎの存在は、ファンタジーの要素を加える一方、主人公克久を音楽室に誘う重要な役割をはたしています。このうさぎに込めた想いやうさぎで表現しようとしたことは?
鈴木:原作小説に出てくるうさぎは、克久が公園で最初に見かけ、これから行く中学校が嫌だなと思っている克久の中に住み込んでいるような内なる存在でした。映画化するにあたって、ファンタジーは僕の映画的な嗜好として好きな場面でもあるので、俳優が演じ、音楽室の空間に同時に存在してほしかったのです。しかし、ファンタジーの枠組みの一方で、生々しいやりとりをしていかなければ、生徒たちを撮れないことに気付いたとき、うさぎの意味をきちんと捉えていかないと、子どもたちがきちんと映らなくなる危機を迎えました。越川プロデューサーに「『ベルリン 天使の詩』で、天使は人が思っていることをずっと寄り添って聞いている。あちこちにいる天使の一人がうさぎと重なるのかもしれないね」と言われハッとしました。克久自身にしか見えないという本作の枠組みはあるけれど、ティンパニーを教えてくれている園子先輩もひょっとしたら1年生のときに見えたかもしれない。どこにでも偏在している、一人一人を見守っている存在ではないかと、撮影後半に入って見つけていった感じです。克久にしか見えていないようなうさぎが、定期演奏会の前、誰もいない音楽室で、一人一人の椅子を触っていき、「うさぎが皆にもきっといるのだ」と暗示しています。うさぎ役の山田真歩さんは監督からも明確な指示もない中で、自分で動きを全部考え、現場でうさぎを完成させてくれました。
───最後に、これからご覧になるみなさんに一言お願いします。
鈴木:僕たちはこの映画という日常じゃないものを、普段学校に通っている子どもたちを集めて一緒に映画に参加した時間を共有しながら撮らせてもらうという形にしました。その中で彼らが森先生とやっている音楽は、世界中にそこだけのものです。また先生と彼らの音楽や、彼らの笑顔や彼らの時間というのは、彼らだけにある特別なものだと思うのです。そこでやっているものの中から特別なものをふと感じられる映画として、みなさんと出会えたらとてもうれしいと思います。
磯田:僕たちが子どもたちと一緒に過ごした時間が定着されていて、イキイキとした何かをご覧いただけたら、それが一番うれしいです。
(江口 由美)
『ブランカニエベス』
『ゆるせない、逢いたい』
お茶目な大女優の素顔を見た!『小さいおうち』舞台挨拶
(2013年12月9日(月)うめだ阪急ホールにて)
ゲスト:松たか子(36歳)、倍賞千恵子(72歳)
(2013 日本 2時間16分)
監督:山田洋次
原作:中島京子『小さいおうち』文春文庫
出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子他
2014年1月25日(土)~丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国一斉公開
★合同記者会見の模様はこちら
★公式サイト⇒ http://www.chiisai-ouchi.jp/opening.html
(C) 2014「小さいおうち」製作委員会
~山田洋次が描く“人妻の恋”~
(作品ついて)
昭和初期、東京にあった赤い屋根の小さなおうちに女中として仕えた女性が、ある秘密を心の重荷として抱えたまま平成の世まで生きて生涯を終えた。そして、いまその秘密が明かされようとしている。当代、和服の似合う№1女優の松たか子が、『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』のラストシーンで見せた気品ある妖艶さで、男性だけでなく女性をも魅了する若奥様を演じて、成瀬巳喜男監督作の中の大女優たちを彷彿とさせる貫録を見せる。若奥様への特別な想いを抱きつつ、ひとり気を揉む女中のタキを、『舟を編む』『シャニダールの花』など2013年だけでも4本の出演映画が公開された黒木華(はる)が、新鮮な眼差しで物語をけん引している。そして、平成の世のタキを演じたのは、山田洋次監督作にはお馴染みの倍賞千恵子。妻夫木聡や夏川結衣らと誠実な強い想いを貫いたタキの生涯を彩っている。
(最初のご挨拶)
2014年1月25日の公開を前に、松たか子と倍賞千恵子の新旧大女優による舞台挨拶が行われた。ショートヘアに黒のオーバーブラウスとサブリナパンツ姿の松たか子は、「あまりにも映画の中の時子と違う恰好で驚かれたかもしれませんが」と挨拶。一方、倍賞千恵子は黒のジャケットにブーツスタイルで、「あまりにも実物が若くてべっぴんなんでびっくりされたかもしれませんが」と客席を沸かせた。
(役作りについて)
掴みどころのない役を最後まで想像力を働かせながら演じたという松たか子。「時子は果たして幸せだったのかな?何を求めていたんだろう?誰かを幸せにできたのかな?」という思いや昭和初期の女性の考えなどを、山田監督やスタッフのアドバイスを受けながらの役作りだったようだ。「山田監督は最後まで情熱を失わずに映画を作っておられました」。
『母べえ』(2008)以来の山田組出演となる倍賞千恵子は、緊張してお茶を入れる手が震えたこともあったようだが、相変わらず情熱をもって映画製作に取り組む監督に励まされ、原作の世界観や時代を思い描きながら演じたという。髪の毛や着物のことなど些細なところも監督から直されたらしい。「少しでも監督のイメージに合うよう努力しました」。
若いタキを演じた黒木華とは、「タキらしいクセを考えましょうかと言っていましたが、結局何もしないままでした」。松たか子と黒木華の二人がいるシーンに立ち会ったが、自分がいるべきではないと感じたらしい。
(撮影現場での秘話について)
撮影現場での秘密を聞かれると、倍賞千恵子は「秘密は秘密だから内緒です」と言いながら、山田監督が機嫌の悪い時は空腹な時で、そんな時「最近お肉食べてないんじゃない?」などとみんなで話していたとか。ぬるいラーメンでも我慢して食べるくらい食べることが大好きだそうだ。
一方、松たか子からは、夫が勤める会社の社長役を演じたラサール石井は眉やヒゲなど顔全体に特殊メイクをされたが、「特に金歯をアピールしてリハーサルしたら、監督がちょっと照れ屋のキャラにしようとしたため、折角メイクさんが付けた金歯が見えなくなっちゃいました。ラサール石井さんの口の中も注意してご覧ください」。
(最後のご挨拶)
最後に、倍賞千恵子から「この映画は、いろんな年齢の方の立場や見る角度によって新たな作品となっていくと思います。また違う年代の方に紹介して下さい。ひとりでも多くの方に見て頂きたいです」。松たか子からは、「こうして人生の先輩方に見て頂けて嬉しいです。こういう生き方をした女性もいたのだろうと想像しながら映画の中の人物たちへ思いを馳せて頂きたいと思います」と締めくくった。
『男はつらいよ』シリーズの「さくら」のような優しくて穏やかなイメージの倍賞千恵子だが、『霧の旗』(1965)では復讐心を内に秘めた情念の女を演じたこともある。「家族の絆」や想いを貫く誠実な日本人像を人情味たっぷりに描いてきた山田洋次監督のミューズ的存在の女優でもある。
一方、松たか子は梨園(歌舞伎界)の生まれで、16歳の時に出演したNHK大河ドラマ『花の乱』では市川海老蔵(当時は新之助)と共演し、室町時代のお姫様が憑依したかのような高貴な佇まいと透明感のある美しさで、衝撃的な印象を残している。近年の舞台での彼女を見ても、トランス状態を感じさせるほどの勢いのある演技に圧倒される。舞台挨拶でのお茶目な彼女からは想像もできないほどだ。
そんな松たか子演じる昭和初期の若奥様が織りなす物語は、意外な程明るく戦前の暗さを全く感じさせない。赤い屋根の小さなおうちで命を輝かせていた人々の幸せを一瞬で消し去った戦争の非情さを改めて思い知ることになる。それにしても、美しい人妻が男の下宿先の階段を上がるシーンでは、見る者がドキッとしてつい着物の褄(つま)を上げたくなるようなサスペンスフルなセクシーさを感じさせる。(着物は着てないけど…) また、若奥様の帯の柄の位置が出掛けた時と違うことによって、何をしてきたかを想像させる。山田洋次監督82歳にして、男女の営みを直接描かずとも、これほど雄弁に語って見せるあたりは、さすがだ!
(河田 真喜子)
『小さいおうち』山田洋次監督、松たか子、倍賞千恵子合同記者会見
(2013 日本 2時間16分)
監督:山田洋次
原作:中島京子『小さいおうち』文春文庫
出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子他
2014年1月25日(土)~丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国一斉公開
★舞台挨拶の模様はこちら
★公式HP→http://www.chiisai-ouchi.jp/opening.html
(C) 2014「小さいおうち」製作委員会
~昭和10年代東京のリアルな家庭の営みと、秘密を胸に秘めた女中の「長く生きすぎた人生」~
昭和10年代の東京を舞台に、モダンな小さな家に女中として働いていた主人公と、美しき奥様、そして奥様が愛した夫の部下板倉との関係や、主人公が一生守り抜いた秘密をしとやかに解き明かす時代を超えたヒューマンドラマ、『小さいおうち』。『東京家族』の山田洋次監督が直木賞を受賞した中島京子著の同小説の映画化を熱望し、キャストに松たか子、黒木華、妻夫木聡、倍賞千恵子らを迎えて戦争に突入する昭和初期と現代とが交差する重層的な物語に仕立て上げた。
松たか子はタキが慕う美しき奥様、時子を、昭和モダンな雰囲気と内に秘めたる情熱を織り交ぜながら艶やかに演じている。女中として時子に仕えながら、時子と板倉(吉岡秀隆)の情事に大きな衝撃を受けるタキを黒木華が、また平成のタキを倍賞千恵子が演じ、秘密を胸に秘めて生き続けた苦しみを体現する演技に胸を打たれることだろう。
キャンペーンで来阪した山田洋次監督、松たか子、倍賞千恵子が合同記者会見で、原作に魅了された理由や、今昭和初期の家族を描写することの意味、また秘密を秘めて生きたタキの想いについて触れた。その模様をご紹介したい。
(最初のご挨拶)
山田洋次監督(以下監督):今年の3月にクランクインし、ようやく完成して来年封切りということになり、この1年間はずっとこの映画だったなと、今しみじみ思い返しています。やれることはやったと思いますし、倍賞さんや松さんをはじめ大勢の俳優さんに出ていただき、懸命に芝居をしていただき、スタッフもやるだけのことはやったという充足した想いをいただいています。いよいよ封切りなので、どうぞ皆さんよろしくお願いいたします。
松たか子(以下松):こんにちは、松たか子です。今日はありがとうございます。いよいよ公開が近づき、どんな風に見ていただけるのか緊張していますが、公開を楽しみに待っているところです。一人でも多くの方に見ていただければいいなと思っています。
倍賞千恵子(以下倍賞):こんにちは、倍賞千恵子です。久しぶりの山田さんの作品で、初日にはお茶を入れようとしてふと自分の手を見ると、手が震えていたのにビックリしました。それからスタジオの外に出て、深呼吸をして、もう一度スタジオの撮影に入りました。緊張しながらも、楽しく、あっと言う間に撮影が終わった気がします。とてもすてきな作品に出会えてよかったなと思っております。一人でもたくさんの人に見ていただけるよう、封切りまで頑張っていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
―――なぜ本作で戦前の時代を描こうと思ったのですか?また、山田監督ご自身が、原作者の中島京子さんにお手紙を書かれたそうだが、そのときの中島さんの反応は?
監督:戦前の時代を描こうと思ったのではなく、小説(『小さいおうち』)がとても面白くて魅力的だったので、これを映画にできないかと思ったのが最初にありました。原作のある場合は、最初は僕が直接お願いするのが筋だし、俳優さんにも直接お願いしたいと常々思っています。特に本作は直木賞受賞作なので、既に映画化が決まっているのではないかという心配もあったので、一刻を争うのではないかと慌てて手紙を書きました。すると「まだ映画化は決まっていません。是非お願いします」ということで、やれやれと思った次第です。
―――松さんが今回演じた時子は男性からも女性からも憧れられるような存在だったが、この役にどう向き合って演じたのですか?
松:本当につかみどころのない女性で、でもタキちゃんから憧れや興味を持ってもらわなければいけないし、板倉さんからも好きになってもらわなければいけない。どうすればそうなるんだろうと・・・。
監督:そのままで(憧れられる女性に)なってましたよ。
松:監督や黒木さんや吉岡さんに「お願いします。(憧れや愛情の気持ちで)思ってください」という気持ちで、私が具体的にできることは何もないので、時子はどんな人かと想像しながら演じることだけは止めないようにしました。
―――倍賞さんは平成のタキばあちゃんを演じ、挨拶では「緊張した」とおっしゃっていたが、久しぶりの山田組の印象は?また、特に思い出に残っている台詞やシーンは?
倍賞:居心地が良かったです。最後の方に、手紙を書いているシーンがありますが、そのときに山田監督が近くに立ってブツブツ言っているので「何ですか?」とお聞きすると、「私、長く生きすぎたのよね」とおっしゃるんです。「それは誰が言うんですか」とまたお聞きすると「君だよ」と言われたので「えっ、私が言うんですか」と切り返すと、監督は「僕も長く生きすぎたかな」。全員で「そんなことないですよ」と言ったんです。すごく印象に残っています。
監督:タキは手紙を届けなかったことを後悔し、生涯苦しみ抜いたわけで、早くこんな人生を終わりにしたかったという想いがあったに違いない。それにも関わらず、こんなに生きてしまったという意味の台詞です。「僕も・・・」というのは冗談ですが。
―――昭和10年代の女性を演じるに当たって、何か参考にしたものは?
松:撮影前、昭和パートの全員が集まって読み合わせをしたとき、監督が「持てる知識を総動員して、想像してほしい」とおっしゃいました。私もそんなに多くを見てきた訳ではありませんが、こういう仕草もあったとか、特に何かを参考にした訳ではありません。強いて言えば、母や祖母など着物を特別扱いせず、日常着として来ていた人の姿を思い出しました。所作を伝える映画ではないので、自然に見えるように心がけました。
―――山田監督は、具体的に原作のどの部分に強く惹かれたのですか?
監督:僕は自分が少年時代だったこの頃の東京をよく知っていますが、実に正確に描写されています。著者の中島京子さんは戦後生まれなのですが、よく調べたなと思うぐらい間違いがない。まざまざと昭和10年代の東京の暮らしが再現されています。もう一つは、山形県から上京してきた本当に初々しい女中、タキが体験したことです。特に奥様の秘密を知ったとき、彼女にとっては眠れない大事件を体験したのです。その大事件を僕はこの映画で描く、そういう映画にしようと思いました。映画は多かれ少なかれ事件を描きます。近未来を描くこともあれば、地球が滅んでしまうという大事件を描くこともありますが、この映画においては(板倉を訪問した後)奥様の帯が解かれたのが初めてではないということを知ったときのタキの、目の前がクラクラするような出来事でした。それが昭和10年代の東京にある郊外の片隅のちいさな家で起きたという芝居がとても僕には面白いのです。タキの小さな胸の中を見つめると、大きな当惑と、驚愕と、その彼女を包み込むその時代の東京と、さらには日本や世界という1940年代前半の人類の歴史すら感じ取れるような映画になればいい、そんなことをしきりに思いながら脚本を書きました。
―――本作においての戦争の描き方で留意された点は?
監督:戦争そのものを描く等、色々な戦争の描き方があります。この映画も今から70年前の太平洋戦争を描いていますが、タキの胸にどのように戦争が反映したのか。或いは時子や時子の夫の暮らしにどのように反映していたのか、そういうことを通して巨大な歴史が見えればいいのではないかというのが基本的な態度ですね。
―――昭和を代表する女優である倍賞さんから見て、昭和初期のしかも複雑な胸中を抱えた時子を演じた松さんの演技はどのように映りましたか?
倍賞:撮影を一日見学させていただいた日に、昭和のタキ(黒木華)と時子が玄関を出ていくシーンを拝見しました。松さんはそこにいらっしゃるだけで、原作を読んだときの時子のイメージがそのまま浮かんできました。休憩時間にタキと時子が撮影待ちをしているときも、声をかけがたくてすっと横を通りぬけていくような不思議な感じを垣間見たことがあり、こんな風に映画で2人は生きていくのだなと思いました。私は年老いたタキを演じるのですが、タキはどんなふうに奥様(時子)のことを思っていたのかなと考えたとき、松さんがとても色っぽかったので、とても美しい奥様にタキは仕えていたのだと、一緒にいた2人を見ただけでとてもよく分かりました。
松:本当にありがたいです。私にできることは何もないという状態で現場に入ったので、倍賞さんにダメなところも含めて、ありのままの姿を見ていただくしか術がありませんでした。自分では全く色っぽいと思っていませんが、他の方がそういう想像力を持って観ていただけることで、なんとかあの時私は(時子として)生きていたのだなと思います。
―――倍賞さんは、どういう想いで大事件だったという若い頃の出来事を秘めたまま生きる女性を演じたのですか?
倍賞:山田監督に原作を読んでくださいと言われ、読んだ後に「ミステリーロマンみたいですね」とお話しました。タキばあちゃんが感じたたくさんのことが胸の中にしまってあるのだなという想いがだんだん分かってきて、一番最後の「私、長く生きすぎたのよね」という一言に全てが入っているという気がしました。どれだけのものを小さなおうちの中で見て感じていたのか、とても素敵な体験をした人だったのではないかと思いました。
監督:素敵というよりはむしろ悲しい想いをしたのではないでしょうか。奥様や旦那様が生きていれば戦後の長い付き合いの中で関係を修復したり、謝ったりすることもできたでしょうが、戦争で死んでしまったのでタキは謝罪のしようもない。それが一番タキばあちゃんにとっては辛かった。生涯罪の意識を背負って生き続け、これ以上生きるのが辛いという想いを持っていたに違いないのです。同時に、もしかして板倉さんのこと嫉妬していたのかもしれないし、奥様のことを嫉妬したのかもしれないと、そのあたりは観た方が考えてもらってもいいのですが、そう考えるとタキばあちゃんは辛い事ばかりだったんですね。でもそういう想いを大事に生きている、素晴らしい人だったと思います。
―――本日すまけいさんの訃報がありましたが、山田監督よりお言葉をいただけますか?
監督:すまさんは、僕が大好きな俳優のお一人で、あの方が出演されると本当に映画があたたかくなるキャラクターでした。優しくて、ちょっとユーモラスで、ああいう日本人が今いなくなっているのですが、本当に最後の得難い日本人だったのではないでしょうか。また素敵な日本人を演じることのできる最後の俳優だったのではないかと思うぐらい、僕はすまさんが好きでした。長い間色々な病気を抱えて辛い想いをされていたことは想像していますけれど、それにしてもすまさんがいなくなったことはとても悲しいです。
(江口由美)
『ウォールフラワー』