「AI」と一致するもの

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『皇帝ペンギン ただいま』 試写会プレゼント!

日本語版ナレーションでの上映)

 
■提供:ツイン

■日時: 2018年8月18日(土)
     開場11:10/開映11:30

■場所: 海遊館ホール
    (大阪府大阪市港区海岸通1丁目1−10)
 <アクセス>大阪メトロ 中央線「大阪港駅」1番出口より徒歩約5分

■プレゼント人数: 5組 10名様

■締切日: 2018年8月8日(水)

公式サイト: http://penguin-tadaima.com/

2018年8月25日(土)~シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、9月1日(土)~京都シネマ 他全国順次公開


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2年の時を経てふたたび極寒の南極へ。

誰も観たことのない、驚きと感動の映像叙事詩。


“必ず帰ってくる” という約束の物語
 

アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞し、世界で2500万人が観た奇跡のドキュメンタリー映画『皇帝ペンギン』(05)から12年、リュック・ジャケ監督が再びメガホンを取りました。今回は4Kカメラとドローンを駆使し、水中撮影では南極海で最深記録を達成するなど、誰も観たことない驚きの映像を撮影することに成功しています。

ぽってりした体をゆさゆさ揺らして歩く大人の皇帝ペンギンとフワフワの羽毛と飛行帽をかぶったようなヒナ。本作では、まだ子供の毛に覆われている若いペンギンたちの初めての旅に密着し、厳しい自然の中で一生懸命に生きる彼らの姿と親子の絆を感動的に描き出します。時にドキドキハラハラさせられながら、かわいいだけではない彼らの真の姿とともに南極の絶景を迫力の映像で紹介する珠玉のドキュメンタリー。


◆監督:リュック・ジャケ 
◆フランス語ナレーション:ランベール・ウィルソン / 日本語版ナレーション:草刈正雄
◆製作:イヴ・ダロンド、クリストフ・リウー、エマニュエル・プリウー
◆2017年/フランス/仏語/カラー/ビスタ/85分
◆原題:L’empereur/提供:ハピネット、ユナイテッド・シネマ 
◆配給:ハピネット/配給協力:ユナイテッド・シネマ
◆日本語字幕:佐藤南/協力:上田一生、サンマーク出版 
◆後援:山階鳥類研究所、WWFジャパン、国際自然保護連合日本委員会、日本自然保護協会、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本/推薦:日本動物園水族館協会
◆© BONNE PIOCHE CINEMA – PAPRIKA FILMS - 2016 - Photo : © Daisy Gilardini


(プレスリリースより)

 

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水墨画のようなタッチの線が、ある時は水に、ある時は少女となって、スクリーンの中を疾走する。シンプルなのに力強く、余白が多いからこそ豊かな想像を膨らませることができる。アヌシー国際アニメーション映画祭審査員賞、最優秀フランス作品賞のダブル受賞を果たした、セバスチャン・ローデンバック監督の初長編アニメーション映画『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』が818日よりユーロスペース、8月25日よりシネ・リーブル梅田、名古屋シネマテーク、今秋京都シネマ、元町映画館他全国順次公開される。

 

グリム童話に初版から収録されている民話「手なしむすめ」を新たによみがえらせた本作。ヒロインの少女は、悪魔の企みで実の父親に手を切り落とされ、その後王子と結婚したものの城を追われる羽目となる。苦難の連続にも屈せず我が子と共に、誰の助けも借りずに生きる少女のたくましさは、世代を超えて共感を呼ぶことだろう。従来にはない作画技法(クリプトキノグラフィー)を用い、たった一人で作画を担当。アナイス・ドゥムースティエ(『彼は秘密の女ともだち』)ら俳優陣の声の迫力もあいまって、とても力強く勇気付けられる作品に仕上がっている。まさにこの夏必見のアニメーションだ。

 

ワークショップやキャンペーンのため来日したセバスチャン・ローデンバック監督に、作品についてお話を伺った。

 


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―――まずはアニメの本場、日本で劇場公開されることについて、感想を教えてください。

ローデンバック監督:この作品が日本で劇場公開できることは、とても幸運だと感じています。映画にとってもそうですし、日本の観客の皆さんの反応がとても興味深いのです。日本人は、アニメの教養をお持ちで、文化に裏付けられた教養も兼ね備えています。おそらく世界の中で、日本が唯一、絵画と同じように、デッサンを、色を塗った絵画と同じ価値で扱っている国だと思います。そしてアニメーションが独特の文体を持った表現方法であり、全ての観客層に向けられた独特の表現方法であると見なされている唯一の国だとも思っています。日本での劇場公開が待ちきれません。

 

高畑勲監督をはじめ、私が尊敬する作家とは、いろいろな手法を試し、同じことを繰り返さない監督。

―――アニメーション監督の中で、高畑監督を最も尊敬しているそうですが、高畑監督作品との出会いや、受けた影響について教えてください。また、他に影響を受けたアーティストは?

ローデンバック監督:高畑勲監督は偉大なアニメーション作家であり、偉大なアーティストだと思っています。それと同時に偉大な冒険家、そして探求を続ける方だと思います。高畑監督は決して同じことを2度と繰り返しませんし、同じ作品を2度と作らなかった。私が初めて出会った高畑監督作品は、子どもの頃に見た「アルプスの少女ハイジ」でした。ハイジは商業的なアニメーションシリーズでしたが、非常に美しい、美を追求した作品です。登場人物も人間的で美しい。きっと高畑監督ご本人に似ているキャラクターなのではないかと思いますし、そういう人間的なものは高畑監督作品全てに共通して感じられます。私が尊敬する作家とは、いろいろな手法を試し、同じことを繰り返さない監督、つまり一度やったことの延長線上で次の作品を作るような監督ではないということです。高畑監督の他には、スタンリー・キューブリック、アラン・カヴァリエ、ピーター・ワトキンズなどからも影響を受けていると言えるでしょう。

 

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線と色しかない画面上の少女、小さな身振りを通して“生きている”ことを表現する。

―――ミニマムな描写の中、少女の営みがリアルに描写されていますが、具体的に描いた狙いは?

ローデンバック監督:少女は前半に手を切られてしまうので、自分一人で物事ができなくなってしまい、自立性が奪われてしまいます。それまでの物語の冒頭部では、彼女が自分の手でできる作業をあらゆる方向から描いています。例えば、自分の手を使って木登りをしますし、綿から糸を紡いで、布を織り、ハンモックも作ります。また自分の手で、器も作っています。彼女の体を使った行動というものが、物語の中心を成していきます。ですから私はこの少女をイキイキとした生命力のある人物として描かなくてはなりませんでした。一方で、実際にそこで描かれている彼女に、生命はないのです。彼女には線と色しかないのですから。画面上で生命を与えるために小さな身振りを描くことにしました。彼女は小さな身振りを通して生きているのです。逆にいえば、現実を画面に模写することで、生きている訳ではないのです。

 

ある意味、王女になるより、「息子と自然の中でウンチをする方が素晴らしい」と言いたかった。

―――出産後にお乳が吹き出たり、人間の生理的現象がアニメで描かれるのも新鮮でしたが、そのような描写の意図は?

ローデンバック監督:彼女の肉体が映画の中心にあり、肉体を通し、そして自然との関わりの中で、少女の存在を具体的に描く必要がありました。また同時に、この映画はこの少女が王女である前に、少女である方がいいということを描きたい作品でもあります。王女は社会の中で、ある種のランクに位置付けられる女性の表層でしかありません。しばしば社会は、全ての女性が王女でなければならないと見なしがちです。また、子どもたちに向かってもそのように語ってしまいがちです。ですから私はある意味、王女になるよりも、自分の息子と自然の中でウンチをする方が素晴らしいことだと言いたかった。その方が、もっと普通のことなのだと思います。

 

―――水は聖なる物、生きる源の象徴であるようでもあり、意思を持って動いている存在のように見えました。冒頭も水の流れから始まりますが、水を描くことに込めた思いは?

ローデンバック監督:実は原作のグリム童話では水車ではなく、風車でした。私にとって粉挽き小屋が水車なのはとても重要なことでした。この物語を、“水”を通して描きたかったですし、水はとても女性的な要素があるからです。また、常に動き続けるものであり、“水”が映画全体の構造を貫く脊髄になる。そして少女が辿る軌跡を描くものでもあると思っていました。

 

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自分自身の手と道具を使い、一人で作品を作り上げたことは、少女が最後に自分自身の庭を作り上げたのと共通している。

―――昨日のトークで少女が自分の手を再び獲得する理由についてのお話もありましたが、監督自身の境遇とどう重なっているのですか。

ローデンバック監督:この作品を見ていくと、彼女が必ずしも自分の手を必要とはしていないことが分かります。自分の手がなくても生きていける。彼女は「生き残らなければいけない」という生の衝動に駆られて、再び自分の手を生やしてしまうのです。つまり、王子が自分の息子を殺すのではないかと思ったときに、自分の息子を救おうとして、再び自分の手を取り戻す訳です。私が自分自身の手と道具を使い、自分一人で作品を作り上げたということは、彼女が作品の中で最後に自分自身の庭を作り上げたということと共通していると思います。

 

―――何枚ものレイヤーを重ねている背景も非常に美しかったです。人物は一キャラクターを単色で描いているそうですが、背景も同じ方法ですか?

ローデンバック監督:基本的には人物と同じように、背景も白い紙に黒字で描き、その紙を重ね合わせて背景となる画面を作ります。一つの層は一色でできており、単色の層を重ね合わせ、一枚の背景を作っています。人物の動きを単純な方法で早いスピードで動かしていたのと同様に、背景画も単色のものを重ねて、複雑なものに仕上げています。

 

 

アナイス・ドゥムースティエさんの吐息の録音で、ようやく「今、少女が存在している」と実感。 

―――少女の声を演じたアナイス・ドゥムースティエさんが素晴らしかったですが、キャスティングの経緯や、現場でのエピソードを教えてください。

ローデンバック監督:声の録音は作品制作の最後の方で行いました。自分で作ったキャラクターなので、私はとてもよく理解しているのだけれど、その少女に合った声を見つけるのは簡単ではありませんでした。アナイスが最初に少女の吐息を録音したのですが、その吐息を聞いた時、ようやく「今、少女が存在している」と思いました。本当に素晴らしかったです。神秘的で、マジックのような瞬間でした。アナイスが出産シーンを録音した時は、本人も妊娠していて、しかもかなり出産時期が近かったのです。この出産シーンの声を本当に演じられるかとアナイスに訊ねると、それでもやると言ってくれました。予定日は数週間後だったのですが、実際に出産したのは録音した5日後でした。出産シーンの録音をすることで、自分の出産の準備になったのかもしれません。

 

 

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宗教の中の悪魔ではなく、世界のあらゆる場所に偏在している存在として悪魔を描く。

―――様々に姿形を変える悪魔役は、フィリップ・ローデンバックさんの声も相まって迫力がありました。おとぎ話には欠かせないこの役を描く際に、心がけたことは?

ローデンバック監督:悪魔というのは絶対的な悪です。一方で、キリスト教的文化の中の悪魔は描きたくなかった。私にとって悪魔は世界のあらゆる場所に偏在しているものとして描きたいと思っていました。悪魔があらゆるものに姿を変える。そのように描きたかったので、声に関しては、一言聞いただけで悪魔だと分かる声が必要でした。フィリップ・ローデンバックさんの声は悪魔らしくて素晴らしかったので、様々な動物に彼の声を乗せていきました。とりわけフィリップの声で子どもを演じたときは、通常の子どもとは相対するような存在感で素晴らしかったと思います。

 

―――エンディングで「Wild Girl」という英語の曲が使われ、とてもインパクトがありましたが、起用の理由は?

ローデンバック監督:エンディング曲は自分で作詞作曲しました。グリム童話の原作「手なしむすめ」は、アメリカの精神分析学者クラリッサ・ピンコラ エステスの著書、「狼と駆ける女たち」と題された本の中で分析されています。そこでは、自然の中で野生的に生きている女性が描かれたいくつかの童話、民話が登場するのですが、歌のタイトル「Wild Girl」は、その本で描かれている女性を参考にしています。

 

 

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自分の運命を勝ち取るためには、誰しも自分自身の時間、空間が必要。

―――どんな逆境にも負けず、貪欲に生きようとする少女の物語だと思いますが、この作品を生きづらい現代に蘇らせる意義は?

ローデンバック監督:この童話を最初に読んだ時、非常に現代的だと思いました。主人公が物事を学んでいく物語だからです。最初、少女は外側からの抑圧の中で生きています。粉挽き小屋にいるときは父親からの抑圧、お城にいるときは王子の存在がありました。少女が自分の運命を勝ち取るために、自分自身の時間や空間が必要で、彼女はそれを得ようとしました。私は彼女が獲得してきたことは、全ての人間にとって必要なものだと思います。誰もが自分自身の場所、空間を必要としています。現代において、それぞれの時間や空間を得るため、周りの努力が不足しているように感じられます。この物語で素晴らしいと思うのは、他人と離れて、自分一人で生きなければいけないことを語っているところだと思います。そして、自分自身の空間を見つけると、世界の中で、正しい方法で生きることを獲得できると語っているのです。


(文:江口由美 写真、取材協力:松村厚)

 

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取材当日は西日本豪雨のため私自身が取材に伺えず、関西宣伝の松村氏に取材を代行いただきました。取材者不在の中、こちらが用意した質問に答えていただいたセバスチャン・ローデンバック監督に、心から感謝申し上げます。


<作品情報>

『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』“Le Jeune fille sans mains”(2016年 フランス 80分)

<監督>セバスチャン・ローデンバック

<声の出演>アナイス・ドゥムースティエ、ジェレミー・エルカイム、フィリップ・ローデンバック、サッシャ・ブルド、オリヴィエ・ブローチェ、フランソワーズ・ルブラン

2018818日(土)~ユーロスペース、8月25日(土)~シネ・リーブル梅田、名古屋シネマテーク、今秋京都シネマ、元町映画館他全国順次公開

公式サイトhttp://newdeer.net/girl/

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台湾ニューシネマの系譜を辿り、デジタルリマスター版で名画の再上映が堪能できる台湾巨匠傑作選2018が、シネ・ヌーヴォで7月14日(土)~817日(金)の約1ヶ月に渡り開催される。今回の目玉となっているのは、オムニバス作品『坊やの人形』の第3話、「りんごの味」で監督デビューを飾った台湾ニューシネマの代表格、ワン・レン監督の劇場初公開作『スーパーシチズン 超級大国民』だ。

 

ワン・レン監督の代表作とも言える本作は、1987年に戒厳令が解除されるまで行われていた白色テロ(国民党政府による反政府勢力に対する政治的弾圧)を題材にし、台湾の負の歴史に切り込んでいる。長年投獄されていた大学教員コーが、ようやく自宅に戻るところから始まる物語は、1950年代、政治的な読書会に参加したことを理由に逮捕、投獄されるまでの家族との幸せな生活と、獄中で拷問に耐えきれず友人タンの名前を明かしてしまったことによる自責の念が交差する。経済発展を遂げる90年代の台湾で、出獄後、時代から取り残されたようなコーが成し遂げようとしたタンの墓を探す旅。そこには、台湾でも文化大革命時の中国のように、国から理不尽な罪を着せられ、人生が奪われた人がいかに多かったか、またその痛みが、当事者以外の人には戦争の記憶のように風化していることにも気付かされる。第8回東京国際映画祭コンペディション部門で上映されて以来となる劇場初公開。台湾の歴史により深く触れることができる傑作だ。

 

 

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そしてデジタルリマスター版で初上映となるのが、グイ・ルンメイとチェン・ボーリンの瑞々しいデビュー作として台湾映画界の永遠の名作青春映画と人気の高い『藍色夏恋』。イー・ツーイェン監督は、新作『コードネームは孫中山』(OAFF2015)でグランプリを受賞した。同作の劇場公開が叶わない中、『藍色夏恋』の再上映は台湾映画ファンにも非常に嬉しいニュースだろう。

 

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さらに、ホウ・シャオシェン監督の青春映画『ナイルの娘』も、デジタルリマスター版で初上映される。現在、大ヒット上映中の『軍中楽園』のニウ・チェンザー監督が主演していることでも話題のシャオシェン監督の青春映画『風櫃の少年』や、初期代表作『童年往事 時の流れ』もラインナップされている。

 

 

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最新作『郊遊 ピクニック』で商業映画からの引退を発表したツァイ・ミンリャン監督作品からは、『青春神話』『愛情萬歳』『河』をラインナップ。

 

 

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世界の巨匠として、ハリウッドでの活躍も目覚ましいアン・リー監督からは、『推手』、第43回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作『ウェディング・バンケット』、そして『恋人たちの食卓』の父親三部作を一気に上映。他にも、昨年劇場公開されたエドワード・ヤン監督の『台北ストーリー』、台湾ニューシネマの足跡と後世に与えた影響を解き明かすドキュメンタリー『台湾新電影時代』が上映される。

最後に、大阪限定として、ウェイ・ダーション監督の代表作『セデック・バレ<第一部・太陽旗>』『セデック・バレ<第二部・虹の橋>』の二部作も連続上映される。是枝監督をはじめ、国内外の多くの映画人に影響を与えた台湾ニューシネマに、この夏、ぜひ浸って欲しい。

 


台湾巨匠傑作選2018(シネ・ヌーヴォ) スケジュールはコチラ

 

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623日にフランス映画祭2018にて日本初上映されたエマニュエル・フィンケル監督最新作『Memoir Of Pain/メモワール・オブ・ペイン(英題)』(20192月劇場公開)。映像化は不可能と言われたマルグリッド・デュラス(『ラマン』)の『苦悩』を映画化した本作、ナチス占領下のパリを舞台に、デュラス本人の長く辛い愛と苦悩の日々を描いた歴史ドラマだ。主人公のマルグリッド・デュラスを演じたメアリー・ティエリーさんが、上映後のQAに登壇し、フィンケル監督との再タッグが実現した本作について語った。

 

デュラス役はオーディションだったというティエリーさんは、「オーディションの結果が出るまで何カ月も待つこと自体が、耐えがたく長く続いた”苦悩”でした。判決を待つような苦悩の数ヶ月でしたが、役が決まってからは、一緒に仕事をした監督なので、尊敬もしていますし、とてもうれしく思いました」とデュラス役を射止めるまでの心境を語った。

 

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さらに、「役者は常にいい役を待っています。もちろん過去に素晴らしい役をいただいていますが、今回、色々な思いから、こういう物語を語るのに参加したいと思いました。特にこういう素晴らしい監督に一度出会うと、10年ごとでもいいからまた協力して作品作りをしたいと思うのです。中でも、今回私をキャスティングしてくださったフィンケル監督は、初めて再びご一緒できた監督。今までは2回目に声がかかることがなかったので、私の演技が監督をガッカリさせてしまっていたのではと不安でしたが、今回安心しました」と、初の再タッグを心から喜んでいることを明かした。メアリーさんから見たフィンケル監督は、「人間的、芸術的にも素晴らしい人。他の映画監督とは違う独自の哲学を持っていますし、映画作りの手法やポリシーなど本質的な深い部分をこだわって撮る素晴らしい監督です。一緒に仕事をすると激しいぶつかり合いもありますが、結果として残るのは非常に奥深く訴えかける、心に残る作品なのです」と絶対の信頼を寄せていることを表現した。

 

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実際に、有名作家のデュラス本人役を演じる上で内面を作る必要を感じたというティエリーさん。原作の映画化であっても、あくまでもフィクションであることを強調し、「舞台となる45年当時はまだかの有名なデュラスではなく、大成する前の時期。インドシナで生まれ育ったデュラスですが、偉大すぎる彼女を演じなければならないということではなかったのです」と、意識しすぎなかった様子。色々な人から役作りに役立つアドバイスをもらい、監督自身もインスピレーションを与えてくれたのだという。「デュラスを演じることは重い任務でした。実際のデュラスは私よりもっと知的ですが、やはりデュラスになりきる方が過ごしやすかった。毎日帰宅して『これは絶対にいい作品になる』と思えた、素晴らしい現場でした」と作品の手応えを感じながらの撮影を振り返った。

 

また出征した家族や、ゲシュタボにより捕らえられた家族が戻るのをじっと待つしかなかったパリの女性たちの目線で描かれていることについて、メラニーさんはそれがフィンケル監督の意図であると明言。戦時中を描く映画が多岐にわたる中、新しい視点をもたらす必要があったとして、今回、現在のパリに通じるような映し方や、今まで焦点が当たらなかった”待っている女性”に光を当てたフィンケル監督の視点を支持していることを明かした。『苦悩』の映画化はフィンケル監督の個人的な思い入れが強かったことにも触れ、「フィンケル監督のお父さんは、自分ひとり何カ月も隠れて生き残り、家族は戦争で連れ去られてしまい収容所で亡くなってしまったという体験をしています。ずっと戻らない家族を待ち続けている父親の姿を、フィンケル監督は子供心ながら見て育ったのです。身近に”待っている人”を見ていたことから、今回映画化して、待つ女たちに焦点を当てることができました。フィンケル監督にとっても、非常に思い入れが強い作品になったと思います」とフィンケル監督の本作への思いを代弁した。

 

最後に恋多き女性だったというデュラスを中心にした物語を振り返り、「色々な体験をされてきた方。原作では位置づけがわからなかった登場人物も、映画ではもう少しデュラスと深い関係にあるように変えています。当時は、恋愛もオープンで、夫にも愛人がいたりと皆が好き勝手にやっていた時代。自由に恋愛しながら、お互いが絡み合っていたのです」と締めくくった。

 

 

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レッドカーペット&オープニングセレモニーでも、スカーフをポイントにしたパンツスタイルにショルダーバッグとオシャレ度満点だったメラニー・ティエリーさん。危険な駆け引きにも動じず、なんとかして愛する人の消息を知ろうとする女性像を毅然と演じ、その精神力の強さを見せつけた。主人公のデュラス同様、観客もじっと待つ物語は、時に重い気分にもなるが、それこそが当時のデュラスら女性たちの境遇を体感するという監督の狙いなのかもしれない。男たちが支援したくなるような強かさも持ち合わせた若き日のデュラスを、来年劇場でぜひ堪能してほしい。

(江口由美)

 


フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)~~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/

 

 

 

 


 

 

 
 

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622日にフランス映画祭2018にて日本初上映されたアニエス・ヴァルダ監督最新作『顔たち、ところどころ』(今秋より劇場公開)。上映後に開催されたゲストによるQAでは、本作のプロデューサーである女優ジュリー・ガイエさんが登壇。「今フィクションがどんどん写実的になり、ドキュメンタリーとの垣根がなくなってきている。実験的動きが生まれているところに、興味がある」と本作の魅力を表現しながら、プロデュースするに至った経緯や、ヴァルダ流ドキュメンタリーの作り方について語った。

 

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アニエス・ヴァルダ監督との出会い~映画への旅に誘われて

私がまだ20歳ぐらい、映画デビューしてから2作目の頃に、アニエス・ヴァルダ監督(以降アニエス)がミシェル・ピコリのベビーシッターを探しており、私に声がかかりました。『百一夜』では映画への旅に誘ってくれ、偉大な人たちに出会わせてくれました。この作品は映画発明100年を祝って作られた作品だったからです。

 

フランス映画界におけるアニエス・ヴァルダの存在感~一貫してフェミニズムを主張~

映画界の母であり、祖母です。『5時から7時までのクレオ』でフェミニストとしての女性監督の主張を初めてはっきり表現しています。それからずっと、アニエスは女性の目から描いた世界を描き、フェミニズムを主張しておられる。ドキュメンタリーにおいても家族や旅を題材にしています。

 

 

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本作のプロデュースをするきっかけ~恩返しの意味も込めて

アニエスの娘、ロザリーは、若い頃私が出演した映画で衣装を担当してくれました。その後、アニエスさんとジャック・ドゥミさんの映画を修理する仕事を始めました。その前にアニエスとロザリーが、プロダクションを始めたけれどまだ十分に資金が集まらないので、加して欲しいと誘われました。この映画がどうなっていくのか最初は分からなかったので資金集めは難しかったですのですが、私も恩返しの意味も込めて参加しました。アニエスさんは家族と一緒に仕事をするのを大事にしており、その部分もフェミニズムですね。私自身は家族と仕事をしてしっかり分けていますが、ヴァルダさんはとても職人的で、素晴らしい仕事のやり方だと思います。

 

 

プロデユーサーとして心がけたこと~監督の「外の目」になる

映画が、きちんと監督の映画になるように心がけました。アニエスは、「映画の裏に監督がいる」と常に言っています。私が関心を持っているのは、「監督の目を通して、違う世界を見せることを映画でやる」ということ。シナリオを作るところから参加し、何がこの映画の中で重要なのかをアニエスたちと話し合いながら決めていきます。そして編集がとても大事です。監督の「外の目」がプロデューサーで、作家と編集者という関係なのです。

 

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難航した資金集め~アニエスにもあった「ガラスの天井」

映画はシナリオを見た段階では、実際にどんな映画になるか分からない不安要素があります。ただ、アニエスのように素晴らしい映画をたくさん作っている巨匠でも、なかなか資金が集まらなかったことに私も驚きました。編集の段階でトレーラーを作ったり、資金集めは本当に大変でした。女性監督だからうまくいかないという点で「ガラスの天井」はあると思います。例えば、小規模な予算の時は女性監督でも資金を出してもらえますが、大規模な予算の時は女性監督では無理だと判断され、なかなか資金集めができません。ちなみに、ハリウッドの女性監督の割合は3%ぐらいですが、フランスでは25%ぐらいになっています。それでも男性と比べて給料は4割減なのが、現状です。アニエスは、女性監督としては初めてのアカデミー名誉賞を受賞し、最優秀ドキュメンタリー賞も受賞しています。

 

ストリートアーティストJRと共同監督をする狙い~次の世代への伝承がテーマ

『顔たち、ところどころ』は、次の世代への伝承をテーマにしています。JRが参加したことについても次の世代へ引き継ぐという意味があるのです。JRは写真家であり、ストリートアーティストで街に(拡大してプリントアウトした)写真を貼っていきますが、アニエスも写真家としてキャリアを始めた人です。彼女はドキュメンタリストとしてで知られていますが、70年代は写真も撮っており、写真に対する情熱を持っています。彼女の作品ですは、とても懐広く、心の広いものです。ほかにも、ユーモアとファンタジーがとても重要な要素で、人々に近づき、相互作用を生み出す必要がありました。JRは最初はミステリアスで距離感があるのですが、彼の祖母が登場することでアニエスと距離感が近づきます。アニエスは先祖たちの関係、それを伝える”伝承”を映画に取り入れ、語り継ぐことができる監督なのです。

 

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元ボタ山(炭鉱)の労働者用集合住宅に一人住み続ける女性を炭鉱労働者ポートレートを貼って勇気付けたり、田舎の寂れた廃墟を老若男女たちの「顔」でいっぱいにしたり、アニエス・ヴァルダとJRの年の差54歳のデコボココンビが、町の人たちと出会い、交流し、彼らのライフヒストリーを紐解いていく。時には海辺でそれぞれの人生について語ることもある。そして、アニエス・ヴァルダの盟友、ジャン=リュック・ゴダールとのエピソードも登場。ピクチャーアートとしても見ごたえあると同時に、アニエス・ヴァルダが映画として後世に残したい全てが詰まった珠玉の名作だ。

(江口由美)

 


 

フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)~~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 
 
 
 

 

 


 

 

 

 
 

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6/21(木)~24(日)に開催された「フランス映画祭2018」が大好評のうちに閉幕し、エールフランス観客賞はオープニング作品のオリヴィエ・ナカシュ監督&エリック・トレダノ監督(『最強のふたり』)最新作『セラヴィ!』 "Le Sens de la Fête"に決定した。
(7/6より全国公開)
 
 
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今年は、13年ぶりに横浜に戻っての開催となったフランス映画祭2018。6/21(木)にみなとみらいホールで行われたオープニングセレモニーでは、フランス映画祭団長のナタリー・バイと、横浜出身でフェスティバル・ミューズを務めた常盤貴子さんが開会を宣言。『万引き家族』でカンヌ国際映画祭・パルムドールに輝いた是枝裕和監督、本映画祭の特別協賛である日産自動車のカルロス・ゴーン会長もお祝いに駆けつけた。満員となったオープニング作品『セラヴィ!』(7/6より全国公開)の上映を皮切りに、日本未公開のフランス映画、長編14本と短編1本を上映。上映会場となったイオンシネマみなとみらいには、多くのお客様が詰めかけ、会期中に6作品(うち短編『トマ』は『モカ色の車』の併映)が満員御礼、会場は連日フランス映画ファンの熱気でいっぱいとなった。
 
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今回は、会場にインスタ映えする撮影スポットも登場。ゲストがサイン会に移動する前のロビーでは、各回のゲストの撮影時間が設けられ、観客とフランス代表団の交流の場となった。上映後に行われた各回の来日ゲストによるQ&Aやサイン会も大いに盛り上がり、横浜ならではのアットホームな映画祭となった。本来映画祭があるべきの、観客のための映画祭となっていたのではないだろうか。ゲストも熱心に観客からの質問に答え、またサイン会での交流を楽しんでいたようだ。
 
また、今回はオープニングセレモニーのみ、横浜市民は500円で鑑賞できる割引サービスが実施された他、横浜市立大学、東京藝術大学、早稲田大学にて、授業の一環として学生を対象としたマスタークラスも開催され、フランス映画の作り手と、日本の学生たちが接する場が作られ、次世代の学生たちとフランス映画人たちとの交流が実現したのも意義深かった。
 
 
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さらに、横浜フランス月間2018との関連企画、レンガ倉庫で開催されたゴーモン展では、映画誕生と共にフランスの老舗映画会社ゴーモンが歩んできた歴史が豊富な資料や写真、映像と共に紹介され、満員御礼だった最終上映作品『See You Up There(英題)』  "Au Revoir Là-haut"の衣装も展示。映画の歴史に触れることができたのも非常に有意義で、横浜(みなとみらい)全体で「フランス映画祭」を体感でき、それと同時にみなとみらいをゆっくりと歩き廻り、映画プラスアルファの港の街横浜を味わえたのではないだろうか。『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』『ブラッディ・ミルク』『モカ色の車』(併映『トマ』)といういずれも満席の人気ぶりをみせた未公開作品の日本公開を望むと共に、これから続々公開される上映作品を楽しみにしていたい。
(江口由美)
 
■フランス映画祭2018公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/  
■(c) UNIFRANCE

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『17歳』マリーヌ・ヴァクトと再タッグで描く、双子を題材としたラブサスペンス
『2重螺旋(らせん)の恋人』フランソワ・オゾン監督語る。
 
現在、イオンシネマみなとみらいで開催中のフランス映画祭2018で、フランソワ・オゾン監督最新作『2重螺旋(らせん)の恋人』(8月4日よりヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー)が日本初上映され、フランソワ・オゾン監督が上映後のトークショーに登壇した。
 
精神的な問題を抱えるヒロイン、クロエが、恋人となる精神分析医ポール、街でみかけたポールとそっくりの精神分析医ルイという双子の間で、ポールは精神的面、ルイはセクシャル的面で惹かれ、決別状態の二人の真実を探っていく物語。何が真実で、何が嘘なのか、何が現実で、何が妄想なのか混沌とする中、精神的に不安定となっていくクロエに突きつけられた思わぬ現実。まるで螺旋階段を下りていくように、複雑に絡み合い、現実と妄想の境界線が溶けていくオゾンマジックが鮮烈な印象を残す作品だ。
 
観客の熱い拍手に迎えられたオゾン監督は、「この映画を観た後で、あまり混乱状態でなければ良いのですが」と観客の心を見透かすようなユーモアあふれる挨拶を披露。元々双子に興味があったというオゾン監督が、アメリカ人作家、ジョエル・キャロルオーツの『ザ・ライフ・オブ・ツインズ』を映画化した本作。双子の精神分析医という設定は原作を踏襲しながら、精神分析の方法もフランス式に変え、ラストも映画ならではのラストにしたという。
 
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ポールとルイの双子を演じたのはベルギー人俳優のジェレミー・レニエ。「役者は役と自分という二重の存在なので、双子を演じるのは夢のようなもの。あのイザベル・ユペールも双子を演じてみたいと言っていたし、ジェレミーも演じるのはさほど難しくなかったと思います。ポールのパートを撮ってから、ルイのパートを撮り、髪形や声色を変えてもらいました。ただ、映画が進行するにしたがって、その違いが小さくなり、どちらがポールでどちらがルイか、観客が混乱を生む仕掛けになっています」と、正反対の性格の双子の違いを演じながらも、段階的にその違いを小さくした意図を明かした。さらに、第一候補の俳優に、最終脚本を見せた段階で断られたエピソードを披露し、「最終稿でショッキングなシーンを加えたら、そんなシーンは演じられないと俳優が降りてしまったので、気心の知れたジェレミーに声をかけました。彼は、ベルギー人俳優なのでフランス人より心が広く、ユーモアがあります」とその懐の広さを絶賛した。
 
二人の狭間で苦しむクロエのセクシャリティーについて話が及ぶと、「この映画でのセクシュアリティは不満足がテーマ。ポールとの愛情はあるが、妄想は満たされていない。だから彼女は他の誰かが必要でした。こういう二面性は誰にでもあるでしょう。恋人はいるけれど、もっと暴力的な性を求めてしまう。愛情と欲望の乖離です」と、クロエが二人の間で苦しむ根底にある不満足の意識について言及。『17歳』でヒロインに抜擢したマリーヌ・ヴァクトさんと再タッグとなったことについては「『17歳』ではヒロインを演じるのにぴったりの少女でしたが、まだ彼女はモデルであり、女優としてやっていくのか彼女自身まだ確信が持てていない時でした。ただ、映画が成功し、今までに女優としてのキャリアを重ね、さらに彼女自身も母になったことで、クロエ役にぴったりだと思いました。既にヌードシーンを演じさせていたので、本作ではさらに大胆な演技を求めなければならず、心配もしましたが、バクトさんは見事に役作りをし、立派に務めてくれました」
 
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さらに、この映画の見どころとして、「全ての人物が、ダブルの役割を演じています。そして、この映画はあえて色々なところにヒントを散りばめています。観客の皆さんにクロエの無意識、想像の世界に入り込んでほしい。この映画では夢を現実のように、現実を夢のように撮っていますから、妄想と現実が混じり合っているような想像の世界で、自分自身の答えを探すのです」と、幾通りもの見方、楽しみ方があることをアピール。クロエの飼い猫、ルイの飼い猫と2匹の猫が登場し、象徴的な役割を果たす点については、「私自身は猫が苦手ですが、猫は映画で画面映えする動物。クロエ演じるバクトさんの顔も猫に似ているので、入れました。他にも、フランス語で雌猫はシャット、俗語で女性器という意味ですし、映像で映すと、猫はまるで考えているように映る動物なのです」と猫に込めた様々な狙いを語った。
 
最後に、これだけコンスタントに高いクオリティーの映画を作り続けていることについてオゾン監督は、「興味深い題材は身の回りにたくさんありますが、映画作りをするために、1~2年続けて向き合えるかを重要視しています。私は映画作りに喜びを感じている人間なので、作っていない時の方が苦しい。毎回違う実験をしたいという欲望があり、映画作りは自分の欲望、勘に従っています。分析はしません」と自身の映画作りの姿勢を明かした。
双子を題材とした映画としても、これほどその精神的な内面に切り込み、その葛藤に踏み込んだ作品は他にはない。単なるラブサスペンスとは一線を画した衝撃が待ち受けることだろう。
(江口由美)

フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
 
 

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フランス・セザール賞3冠達成の注目作『ブラッディ・ミルク』主演スワン・アルローさん、ユベール・シャルエル監督インタビュー
 
今年のセザール賞で主演男優賞、助演女優賞、新人監督賞の3冠を達成した話題作、『ブラッディ・ミルク』がフランス映画祭2018(横浜/京都)で日本初上映される。
 
フランスの田舎で昔ながらの手作業による酪農を営むピエールに降りかかる伝染病の恐怖。
自分が飼っている乳牛が感染していることに気付くが、全頭殺処分になることは、全てを失うことになる。ピエールは事実を隠し、乳牛たちを守るべく、どんなことでもする決意をするのだった…。
 
 
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酪農家の仕事ぶりをつぶさに見せると共に、サスペンスのような色合いを見せる本作。主演男優賞受賞の喜びを、「友達からたくさん電話がかかるようになったよ」と軽やかに語るスワン・アルローさん、新人監督賞受賞で「きっと人生が変わると友達から言われたけど、まだそれほどでもないな」と笑うユベール・シャルエル監督の仲良しコンビに、お話を伺った。
 

 

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―――シャルエル監督は酪農家のご出身だそうですが、初長編の題材にこのテーマを選んだ理由は?
シャルエル監督:私の両親は酪農家だったので、このテーマは必然性がありました。もし映画監督という道を選んでいなかったら、自分の身に降りかかっていたことかもしれません。ちょうど私が子どもの頃、フランスでも狂牛病が大変な問題となっていました。よく母が「もしうちの牛たちにこんなことが起こってしまったら、自殺してしまうわ」と言うのを子どもながら聞いていたので、自分の中ではとても重要な出来事だったのです。
 
―――力仕事が多い酪農家のピエール役として、一見華奢に見えるアルローさんをキャスティングした理由は?
アルロー:役作りで10キロ増量したんですよ!
シャルエル監督:実際に酪農家で、演技は素人の人を探して出演してもらおうとしたのですが、なかなかこれという人が見つかりませんでした。アルローさんを勧めてくれたのはキャスティングディレクターで、一目見て、「この人だ!」と思いました。
 
―――アルローさんを見て、この人だと直感したのはなぜですか?
シャルエル監督:一見、僕が描こうとしているキャラクターと共通項があるようには見えないのですが、実際にお会いすると、ピエール役にちょっと可笑しみがあるところを十分に理解してくれ、僕を笑わせてくれたのです。それが決め手でした。
 
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―――アルローさんは、ピエールのどの部分に可笑しみを感じたのですか?
アルロー:この脚本を読んだ時に悲劇的な部分もあれば、ドラマ的な部分もある。でも、一方で、感知できるかできないかぐらいの感じで段々とジャンルスリラーに入っていくのです。そこがシャルエル監督の凄いところで、共同脚本のクロード・ルパップさんと、農家を舞台にするという、今まであまり成立しなかった新たなジャンル映画を作り出していきました。ドキュメンタリーやもう少し自然な感じで農家を舞台にしたレイモン・ドゥパルドンの作品もありますが、いずれも真面目な作品です。シャルエル監督はドキュメンタリーっぽいリアリズムもありながら、そこに映画性を持ち込んだ。僕は脚本を読んだ時に、これはすごいと思いました。彼は自分の身近に起きた個人的なことを語っているのですが、それを越えて映画的なものがある。これは何としてでも成功させなければいけないと思いました。妹役のサラ・グロドーさんとも脚本を最後まで読み終えた時に、これは徹底的にやってやろう!と話をしていました。
 
―――脚本が秀逸だったということですね。
シャルエル監督:クロード・ルパップさんは短編映画を作っている時から共同で脚本を書いているのですが、脚本の中に演出がある、しっかりとしたものを書いてくれるのです。
 
―――手作業が多く、日々放牧をさせている酪農方法で、ピエールは一人で全てを行っていますが、その規模、手法の酪農家に設定した意図を教えてください。
シャルエル監督:ピエールが機械化された酪農に対して闘っている、まさに最後の砦のような存在であることを見せたかったのです。この映画は海外で上映する機会も多く、その時に気付いたことなのですが、ほとんどの国の酪農が機械化されており、フランスにはまだ手作業の畜産農家が僅かではあるけれども残っていることを発見しました。産業化されている酪農は利益中心です。お金が稼げればいいという目的で機械化する訳ですが、ピエールにはそのような目的はありません。ピエールと乳牛たちとの間には、本当のラブストーリーのような心が通じ合う絆があったのです。
 
―――酪農家役を演じるにあたり、アルローさんはどのような準備を行ったのですか?
アルロー:ユベール(シャルエル監督)のいとこで、小規模で家庭的な経営をしている農場で1週間ぐらい実習をさせてもらいましたし、クランクインの直前にも農場に行きました。実際のロケ地となったのは、1年ぐらい前に閉鎖されたユベールの両親の農場だったのですが、もう一度リフォームし、クランクイン前に乳牛を連れてきました。僕に酪農仕事の指導をしてくれたのは、ユベールのお母さん、シルベンヌさんでしたが、彼女はおそらくその地方一番、しいてはフランスで一番と言っていいぐらいとても厳しかった。なにせ、乳牛の牛乳コンテストでいつも第一位を取るぐらいのキャリアの方でしたから。シルベンヌさんの厳しい指導による実習を終え、クランクインしても、きちんとできているかと心配して、シルベンヌさんが撮影現場で僕を一人にさせてくれなかったのは、ちょっと大変でしたね。僕にすれば乳牛を扱うのは役者としての仕事ではありますが、乳牛は生きていますからきちんとケアをしてあげなければいけない。だから、この映画は演じるよりも、乳牛を世話する方が大事です。この役柄をこのように作っていこうというやり方ではなかった。乳牛たちを世話するシーンだけでなく、家族とのシーンもある訳ですが、俳優たちとのリハーサルよりも、僕はいつも乳牛たちと一緒にいました。心配になってユベールに「全然他の俳優たちとのリハーサルをしていないけど、大丈夫」と聞いたのですが、「君は乳牛と一緒にして、世話をしているだけで立派にピエールを演じているよ」と言ってくれました。
 
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―――乳牛の出産シーンもありましたし、仔牛を我が子のように育てたり、乳牛たちと常にスキンシップや声かけをしていましたが、乳牛たちの世話をする中で、どんな気持ちが芽生えてきましたか?
アルロー:もちろん乳牛はとても愛情深い動物ですから、私だけではなくスタッフたちも皆、とても愛情を感じ、尊敬していました。ただユベールに言われたのは、「君が怖がると、乳牛も怖がるから、決して怖がってはいけない」と。人間なので恐怖心が突然芽生えるときもあるけれど、「怖がらなくていい」と思うことでうまくいきました。とてもシンプルに、動物を信じることがとても大事でした。人間の俳優と演じるより、乳牛たちと演じる方がとても楽でした。乳牛たちは僕が信頼すれば、やるときはやるし、嫌な時はやらないしと選択がとても明確、シンプルなんです。俳優が相手だと、時には工夫しておだてたりしなければならなかったり、結構大変ですから(笑)。
 
―――なるほど、乳牛たちが相手の演技は、相手を信頼することが一番だったのですね。最後に命についての問題提起でもあり、一方被害を受けた酪農家が何の救済もされないことへの問題提起でもあると感じましたが、この作品の狙いは?
シャルエル監督:行政に対してのメッセージがあるかどうかは別の話ですが、酪農家として利益を出さなければいけない。動物を通してでしか成立しない仕事です。単に農場を閉鎖するという簡単なことではなく、閉鎖となればそこで生きていた動物たちを殺処分しなければならない訳です。狂牛病の時も多くの酪農家の人たちが、これは正しくないのではないかと大いに感じていました。数頭だけしか感染していないかもしれないのに、農場全体の牛を殺処分しなければならないことに、やるせなさを感じていたのは事実です。
アルロー:僕だけでなく、フランスの人たちは皆感じていることだと思うのですが、鳥インフルエンザや狂牛病など、畜産動物に関する病気が発生すると、殺処分の暴力性がクローズアップされがちです。動物たちを殺すという現象の裏側に、それにかかわる酪農家たちの暮らしが崩壊してしまうという人間ドラマがある。それがこの映画で描きたかったことではないでしょうか。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『ブラッディ・ミルク』(2017年 フランス 90分)
監督:ユベール・シャルエル 
出演:スワン・アルロー、サラ・ジルドー、ブーリ・ランネール、イザベル・カンディエ他
 
フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 

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「教育」があれば社会環境、生まれ育った環境に関わらず希望が持てる。
『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』アンヌ・フォンテーヌ監督インタビュー
 
昨年のフランス映画祭観客賞受賞作『夜明けの祈り』のアンヌ・フォンティーヌ監督最新作、『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』が、6月23日、イオンシネマみなとみらいで開催中のフランス映画祭2018で日本初上映される。
 
小さな田舎町で暮らした子ども時代、学校でも家でも居場所がなかったマルヴィンが、才能を見出してくれる先生との出会いを経て、演劇と出会い、家族と訣別して都会で自らの道を見つけようとする。周りとは馴染めず理解されないことに悩む一方、自分の今までの境遇を演劇にし、改めて自らを見つめる姿を描くヒューマンドラマだ。
 
同性愛者の主人公マルヴィンを演じるのは、今最も期待されるフランスの若手俳優フィネガン・オールドフィールド。田舎での家族模様をつぶさに描く一方、都会でのパトロンとの出会いや、パトロンの知り合い、イザベル・ユペールとの出会いを通じて、人生を学んでいくフィネガンを繊細に演じている。本人役で登場するイザベル・ユペールの存在感が、いいアクセントとなっているのだ。
 
本作のアンヌ・フォンティーヌ監督に、作品についてお話を伺った。
 

 
―――修道院を舞台にした女性キャスト多数の『夜明けの祈り』とは打って変わって、同性愛者の男子が主人公でキャストは男性が多い物語です。女性やゲイに対する偏見が根強い田舎と都会の対比も描かれますが、着想のきっかけは?
フォンティーヌ監督:エドワード・ルイという若い作家の本から着想を得ました。彼は非常に厳しい幼少期を送った後、フランスの有名大学に進学できたのです。彼の本は非常に感動的な内容で、自分は人とは違うと思い、また家の中でも阻害され、孤独な若い男性が、芸術に触れることで、自分がどういう存在であるかを理解し始め、自分自身の心の声を出せるようになっていくという、希望を与える内容になっています。そもそも人間は皆違うのですが、本の主人公は他人とは違うという悩みを芸術的表現に昇華させていくのです。ご指摘の通り、主人公が田舎で過ごす時代と、都会で過ごす時代の二つを組み合わせてみせるようにしています。
 
―――若くに産んだことで、子どもに関心を持てないマルヴィンの実の母と、マルヴィンに演劇を通して希望を与えていく女性の校長先生との対比も印象的でした。この二人を通して描きたかったことは?
フォンティーヌ監督:母、オディールは、経済的に恵まれない状況を自分でもどうしたらいいか分からないという立場です。あまり教育も受けていないため、息子が色々な兆候となるサインを見せても、自分のことに精一杯で気付けないのです。そういう、ある意味人間的な存在です。一方校長先生のクレモンは、マルヴィンの才能に気付き、彼の運命を変えていくきっかけになった。クレモン先生がマルヴィンに演劇クラスのワークショップ受講を勧めたおかげで、マルヴィンが他の人からの視線を受けるというのはどういうことになるのかを文化的な側面から感じることができました。そのままだと抜け出せなかった世界から脱し、新しい将来を描けるようになったのです。
 
―――父との関係はまた違った側面を見せます。労働者階級で一見破天荒に見え、差別的発言も繰り返す一方、マルヴィンが家を出て成功する中で、父自身も息子の本当の姿を理解し、受け止めていきます。
フォンティーヌ監督:私も父、ダニーの役柄はとても気に入っています。ダニーも教育を受けておらず、文化に触れていない世界の犠牲者とも言えます。彼らのような労働者階級では、文化と言えばテレビを見ることぐらいで、知性からかけ離れた生活をしていた訳です。一見野生的ですが、一番感動的なのは最後、マルヴィンに向かって「ゲイのお前たちを結婚するのか?」と聞くシーンです。当初はホモと罵ったり、精神病呼ばわりしていたダニーが成長したことを感じられます。ダニー自身も父から殴られて育った訳ですが、自分の子ども、マルヴィンに対しては、同じことを繰り返さなかった人です。
 
 
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―――とても繊細にマルヴィンを演じたフィネガン・オールドフィールドさんですが、キャスティングの経緯や、彼の魅力について教えてください。
フォンティーヌ監督:フィネガン・オールドフィールドさんをキャスティングした理由は、とても優美でありながら、繊細なところも持っており、内からのパワーを非常に感じさせてくれる役者だったことに尽きます。身体的な魅力も、もちろんありました。難しかったのは、子役のマルヴィンと青年役のマルヴィンの二人をキャスティングしなければならなかったことです。子役でわざとらしくないように演じてもらうのは非常に大変で、何度もテストを行いました。子ども時代と青年時代のマルヴィンにズレが生じないように調整し、これがピッタリだという二人を選びました。フィネガンは今まで映画に出演経験はあったものの、主役を務めるのは本作が初めてだと思います。子役の方はジュール・ポリエという男の子です。
 
―――キャスティング段階でもかなりテストを重ねたそうですが、実際の演出はどのように行ったのですか?
フォンティーヌ監督:ジュールに関しては、撮影に入る前に何度もリハーサルを重ねました。例えば撮影に入る前に3週間ぐらい時間を取り、役者たちに家族としての絆を作ってもらいました。もちろん暴力的なシーンも含めてです。フィネガンに関しては、イザベル・ユペールとの演劇シーンもありましたから、撮影前にかなりリハーサルを重ねました。私の仕事のやり方は、撮影初日に初めて演じたようにするのではなく、撮影に入る前のリハーサルでやってきたことの延長線上のようなものを作り出すようにしています。
 
―――次回作は主演としてタッグを組んでいるイザベル・ユペールさんは、今回本人役として登場し、マルヴィンを見守るような役ですが、それだけでなく、最後に大きな見せ場もあります。
フォンティーヌ監督:イザベル・ユペールに脚本を渡すとき、「あなたが今まで一度もやったことがない役よ」と説明すると最初きょとんとしていました。でも読むと理解してくれ、とても楽しそうに撮影に臨んでくれました。現場でも非常にいい雰囲気をもたらして下さったと感じています。映画では無名の若手俳優に対してチャンスを与える役柄ですが、ユペールはとても著名な女優なので、作品中のようなことを実際にもやっていらっしゃるのだと思います。
 

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―――ユペールさんとのラストシーンもそうですが、劇中劇をはじめ、作品中には演劇的な要素を含むシーンが多数登場します。そのような構成にした狙いは?
フォンティーヌ監督:演劇を通して、マルヴィンがどう変わっていくかを見せたかったのです。最初の演劇ワークショップでは学校で行き場がなく、どうしたらいいか分からない時に、自分が夢中になれるものを見つけます。次に、自分が家族と交わした会話を演劇の台詞として使い、作品として昇華させ、彼は俳優だけでなく作家にもなる訳です。実はその部分は原作とは違う部分で、原作では芸術家になりますが、俳優ではなく作家でした。ただ俳優の方が映画向きだと思って変更しています。
 
―――マルヴィンが自分の生い立ちを演じる劇では、水が張られた上で演じているのがとても印象的でした。この舞台デザインも監督のアイデアですか?
フォンティーヌ監督:もちろんそうです。水は美的なものであり、象徴的なものでもあります。舞台で母親を演じているイザベル・ユペールが中絶に言及していますが、大きなバスルーム(トイレ)を表していますし、自分が反射して映るものなので、自分を見つめ直すという意味も込めています。
 
―――本作のタイトルには「マルヴィン」だけでなく、「素晴らしい教育」となっています。そこに込めた思いは?
フォンティーヌ監督:まずは「素晴らしい教育」というのは文学的な表現だということ。そして、教育というものは人生に時には決定的なインパクトを与えるという意味を込めています。つまり、自分が生まれた家庭環境や社会階層はフランスではなかなか変えることは難しいのです。農家や労働階級に生まれた子どもは文化に接しようと思っても、かなり苦労しなければそれも叶いません。しかし、教育があれば、生まれ育った環境とは違う希望が持てます。そのような意味を込めて「素晴らしい教育」と付けました。
 
―――最後に、フォンティーヌ監督がこれだけコンスタントに映画を作り続けることができる秘訣は?
フォンティーヌ監督:確かに私は長編を15本ほど撮っていますし、かなり幸運なことだと思います。最初の1本を撮った後に、今後どのような作品を撮ろうかと考え、次の作品を撮るまでに少し時間がかかりました。でもその後はプロデューサーから本やアイデアなどの企画を持ちかけてくれる幸運に恵まれています。ちょうど今も次回作の撮影が終わったばかりなのですが、ルー・ドゥ・ラージュやイザベル・ユペールが出演しています。私が、今まで出会ったことのない未知の世界に立ち向かっていくという性格なので、これだけコンスタントに作り続けていられるのだと思います。
 

 
<作品情報>
『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』(2017年 フランス 115分)
監督:アンヌ・フォンティーヌ
出演:フィネガン・オールドフィールド、グレゴリー・ガドボワ、ヴァンサン・マケーニュ、イザベル・ユペール他
 
 
フランス映画祭2018 Festival du film français au Japon 2018 
◼ 期間:6月21日(木)〜~6月24日(日)
◼ 会場:みなとみらい地区中心に開催
(横浜みなとみらいホール、イオンシネマみなとみらい)
■主催:ユニフランス
■公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2018/
 
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