映画祭シネルフレ独自取材による映画祭レポートをお届けします。

2013年12月アーカイブ

KANO_1.jpg 来年3月7日(金)~3月16日(日)に梅田ブルク7、ABCホール、シネ・ヌーヴォをはじめとした会場で開催される大阪春の風物詩、第9回大阪アジアン映画祭。2014年を待たずして、いち早く2014年の話題をさらうこと確実の最新アジア映画がオープニング作品に決定した。

 栄えあるオープニング作品としてインターナショナルプレミア(海外初上映)を果たすのは、第7回大阪アジアン映画祭で熱狂的な支持を得、観客賞に輝き、今年劇場公開された超大作『セデック・バレ』ウェイ・ダーション監督が長年温めた企画を自ら製作総指揮として携わった台湾映画『KANO』だ。2014年2月27日に台湾公開が予定され、現在ポストプロダクション中の同作は、台湾が日本統治下にあった時代を背景に、松山商業から来た鬼コーチ・近藤の指導のもと、無名の弱小チームから台湾代表として甲子園大会の決勝戦にまで勝ち進んだ同校野球部の活躍を描いた、熱血青春群像ドラマとなっている。鬼コーチ・近藤役で主演するのは、『戦争と一人の女』(第8回大阪アジアン映画祭特別招待作品)の永瀬正敏。ほかに大沢たかお、坂井真紀、伊川東吾らが脇を固め、『セデック・バレ』同様日台の力が結集し、両国の歴史を再認識できるウェイ・ダーション監督ならではの視点に期待が高まる。また、『セデック・バレ』でタイモ・ワリス役を演じたマー・ジーシアン(馬志翔)が監督を務め、次代の台湾映画界を率いる“新しい才能”を目の当たりにできる絶好のチャンスとも言えるだろう。


第9回大阪アジアン映画祭公式サイトはコチラ

『KANO』予告編はコチラ

『KANO』日本語版Faceboookページはコチラ

 

busikon-his-3-550.jpg上戸彩&高良健吾、世界遺産の「和食」にご満悦!『武士の献立』『第5回京都ヒストリカ国際映画祭』クロージングを飾る!

(2013年12月8日(日)MOVIX京都にて)

ゲスト:上戸 彩、高良健吾、朝原雄三監督 

 


『武士の献立』 

 

★ 「和食」の「世界無形文化遺産」認定というタイムリーなおめでたい話題を受けて、

“包丁侍”一家を救った料理上手な春の奮闘記をお披露目★

 

(2013年 日本 2時間01分)
監督:朝原雄三
出演:上戸彩、高良健吾、西田敏行、余 貴美子、夏川結衣、成海璃子、柄本佑、緒形直人、鹿賀丈史、ふせえり、宮川一朗太、猪野学、海老瀬はな、浜野謙太、笹野高史/中村雅俊(語り)

 

2013年12月14日(土)~全国ロードショー (12月7日(土)~石川先行ロードショー)

★作品紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://www.bushikon.jp/

(C)2013「武士の献立」製作委員会

 


 

historika13-12.6-2.jpg11月30日(土)~12月8日(日)京都文化博物館を中心に開催されていた『第5回京都ヒストリカ国際映画祭』も、MOVIX京都での『武士の献立』上映会でクロージングを迎えた。世界の時代劇だけを集めた世界でただひとつの映画祭。日本映画発祥の地である京都ならではの、時代劇ファンには大変嬉しい映画祭でもある。今年も9本の新作映画と復元で甦った6本のクラシック映画を始め、アニメや映画企画のプレゼンテーションなど様々なイベントが開催された。また、豪華ゲストによるトークも充実していて、時代劇を見るだけではなく、映画の歴史とその時代背景も勉強することができて、大変貴重な体験となった。

historika13-5.jpg特に、アルフレッド・ヒッチコックやるエルンスト・ルビッチ、チャールズ・チャップリンといった巨匠のサイレント時代の作品は、世界に散逸していたフィルムを発掘・復元した作品とあって大変貴重な作品ばかり。しかも、復元版日本初上映とあって、このような機会に見られて本当に至福の日々を過ごせた。この映画祭を機に、こうした作品の上映の場が広がり、もっと多くの方に映画の本当の面白さを楽しんで頂けることを願うと同時に、来年もこの映画祭が開催されることを心から希望する。

さて、クロージング上映会では、『武士の献立』に主演した上戸彩と高良健吾と朝原雄三監督が舞台挨拶に登壇。撮影中、劇中で使われた料理の殆どを食べてしまった高良健吾に対し、あまり食べられなかった上戸彩が羨ましく思ったらしい。だが、ロケ地の石川県でも京都の撮影所でも、いつも温かい食べ物を用意されて、作品の内容同様、温かい思いやりに満ちた撮影現場だったようだ。長いキャリアのある上戸彩は、現場でも舞台挨拶でも余裕のあるリッラクスした雰囲気で会場を和ませていた。以下に、詳細な舞台挨拶の模様をレポートします。

 


 

(最初のご挨拶) (敬称略)
 朝原監督: 本日はお出で下さいましてありがとうございます。『京都ヒストリカ国際映画祭』のクロージング作品に選んで頂きまして誠に光栄に思っております。時代劇と言っても肩の力を抜いてご覧頂ける作品ですので、どうぞお楽しみ下さい。
上戸:皆さんこんばんは、舟木春役の上戸彩です。昨日も金沢で舞台挨拶を6回させて頂きました。今日も全て満席ということで、私にとっては8年ぶりの主役で不安やプレッシャーもありますが、こうして皆さんのにこやかなお顔を拝見できてとても嬉しいです。本当にありがとうございます。
 高良:こんばんは。舟木安信役の高良健吾です。『京都ヒストリカ国際映画祭』のクロージング作品に選んで頂きまして、本当にありがとうございます。時代劇は年齢層が高いと聞いていましたが、この映画は年齢層の幅が広いのでとても嬉しく思っています。今日はごゆっくりお楽しみ下さい。

busikon-ueto-2.jpg――― 石川県の皆さんの反応は如何でしたか?
上戸:5歳位のお子さんからご高齢の方まで、本当にいろんな年齢の方が沢山見に来て下さり、本当に嬉しく思いました。今までの作品だと私と大体同じような年齢の方が多かったのですが、この作品では沢山の方に見て頂けそうで、とてもワクワクしています。今日はまた綺麗な方ばっかり! ほら見て見て、可愛い! 皆さんとても素敵です。

 

――― 石川県でのロケは如何でしたか?
高良:石川県での撮影では、二人のシーンが多かったのですが、ほぼセリフもなく、楽でした! 海辺のシーンといってもどこの海でもいい訳ではなく、ちゃんと石川県の日本海側で撮影できて嬉しかったです。それに、魚介類を使った料理が多く、またそれが美味しかった~!

 

 

busikon-asa-1.jpg――― 風光明媚な石川県での撮影でしたが、人情味+美味しさを出すのに苦労されたことは?
朝原監督:料理をどう撮るかということは難しいことですが、出てくる料理は本当に美味しくて綺麗なものが多かったので、それを素直に撮るだけで監督としての苦労は一切なかったです。京都の小道具のスタッフや助監督や製作部、それから石川県の料理研究家の方々や板前の方々、京都で料理を担当して下さった方々などが、本当に手間暇かけて作って下さいました。なるべく本物の料理を用意しようと、石川県から材料や器などを運んだりもしました。和食が世界無形文化遺産に登録されたことでもありますし、料理に関しましては監督が云々と言うより、料理を作る手間も味わってご覧頂ければと思います。

――― 実は、先程二条城でお披露目がありまして、もうお雑煮を召し上がったんですよね?
上戸:はい、とっても美味しかったですよ♪

――― 京都での撮影は3月1日からだったそうですが、京都の思い出は?
上戸:撮影に入る前に高良君の作品を見ておこうと、この映画館に『横道世之介』を見に来ました。すると現場にも「横道世之介」そのままの高良君がいました。キャンペーンで半年ぶりにお会いしたのですが、もう10歳くらい歳を取っているのでは?と思うくらい大人びて見えてびっくりしました。シャイな人ですが、お喋りも上手になっていました。

busikon-koura-1.jpg――― 最初に上戸彩さんとの共演を聞いたときの感想は?
高良:正直な感想は、ただ「上戸彩だ!」と。中学生の頃からずっと芸能界のど真ん中に居る人だと思って見て来ましたから、ちょっと緊張しました。現場では役になりきることもありましたが、普通に話せました。
上戸:こうしたキャンペーンでは沢山お喋りができて楽しいです。
高良:上戸さんはずっと芸能界のど真ん中にいた人だから存在感が大きくて、余裕というか貫録がありました。監督とも話していたのですが、「さすがプロだ、僕らはアマちゃんだ!」って(笑)。

――― そのプロの方が『横道世之介』をこの劇場で見て下さっていたんですよ。
上戸:高良君の作品はDVDでも見ましたが、どの作品も全く違う面を見せて凄いんですよ。この映画でも「安信さん」の時と今とは全く別の人ですしね。
朝原監督:日頃の高良君からは想像もできない演技ですよね。僕もこの劇場で見ましたよ。
――― こんな風に言われた感想は?
高良:自分のことはよく分からないです。そういう感じの日もあるし、そうでない日もあるし……そんな感じッス(笑)。

――― 京都での撮影は?
高良:僕は京都が大好きで、プライベートでもよく来てはお寺巡りとかしています。それが、撮影で1か月間も滞在できるなんて、ホント嬉しかったですね。楽しかったです!

busikon-ueto-3.jpg――― 和食が世界無形文化遺産に登録されたことを聞いて如何でした?
上戸:ベッキーと一緒にテレビ見ていて知ったのですが、「ヤッター!」って二人で大喜びしました。また、「これで『武士の献立』がもっと盛り上がるね~!」って言ってくれて嬉しかったです。和食が有名になることによってヘルシーな食事が広まるので、オリンピックも決まったことですし、日本のいいところが海を渡って有名になることは楽しみだらけです。

――― 高良さんは和食はお好きですか?
高良:和食大好きですよ。何でも食べます。今回世界無形文化遺産に登録されたことによって、日本人が和食を見直すいい機会にもなると思います。

――― 今回、和食がたくさん出てきましたが、あれはどうされたのですか?
上戸:高良君が全部食べました。私はお茶を出したりご飯を出したりする役だったので、食べたい時に食べられませんでした。高良君はご飯のシーンになると居なくなるんで、「高良君はどこ行った?」って探すと、お料理を作る部屋でいっぱい食べてるんです。羨ましかったですよ。
 busikon-his-2-2.jpg――― さぞかし美味しかったでしょうねぇ?
高良:はい、美味しかったです!
上戸:特に治部煮が美味しかったね~。お汁をひと口飲んでその甘さに驚いて、さらにわさびを入れると味が引き締まって美味しくなるんですよ~!
――― それがスクリーンで味わえますね。お腹空いてたら大変ですが――。
上戸:確かに危険な時間帯ですね(笑)。イライラしちゃうかも知れませんが、一番見て頂きたい時間帯でもあります。

 


【花束贈呈】

busikon-his-6-550.jpg①京都ヒストリカ国際映画祭の実行委員長の阿部勉氏
オープニングでは東映の『利休にたずねよ』を、そして、クロージングでは松竹の『武士の献立』という、両方とも京都撮影所で撮影された作品を上映することが出来て、本当に嬉しく思っております。

②『武士の献立』ラインプロデューサーの砥川元宏氏
寒い季節の撮影だったので、温かいものの献立を作って環境作りをしました。そうした温もりも感じて頂けたら嬉しいです。

③料理指導・今西好治先生(京都調理師専門学校)
1年を通じた料理を作らなければならなかったので、季節柄材料をそろえるのが大変でしたが、美味しく召し上がって頂きましたので良かったです。二人ともとても優秀な生徒さんでした。

――― 映画の中では手元しか映ってなかったですね?
上戸:もっと引きで撮って欲しかったよね。
朝原監督:手も演技をするんです!(笑)

 


(最後のご挨拶)

busikon-koura-3.jpg高良:こうして大きなスクリーンで見て頂けることを嬉しく思います。自由に見て、自由に感じて、この映画をより育てて頂ければと思います。見所のひとつでもある料理をしているシーンが沢山ありますが、すぐに食べるシーンになります。この時代は今みたいにスーパーで何でも食材が買える訳ではないので、海の物や山の物、東の物や西の物でも違うだろうし、保存方法や調理器具も違います。今より何倍も時間を掛けて作っていたはずです。料理する間の手間暇に思いやりが沢山詰まっていると思います。その時間を感じて頂ければ、春の優しさや安信の不器用さなど、この映画の中の思いやりを感じて頂けるのではないかと思います。是非それらを感じてとってお楽しみ下さい。

busikon-his-2-1.jpg上戸:人の愛だったり、家族の愛だったり、本当に思いやりがあって心がホッコリ温まる映画だと思います。女性をいい意味で立ててくれる映画でもあります。私もお料理を作る楽しみが増えましたし、お料理の深さや意味を知ることができました。こうした想いを持ってお料理してくれている人の気持ちも分かって頂けるのではないかと思います。「いいな~」と思ったことだけを、広く紹介して下さいね。よろしくお願いいたします。

朝原監督:昨日から二人が石川県での舞台挨拶に立ってくれたので、とてもヒットしそうです、石川県では!(笑) 本当は80%は京都で作っておりまして、石川県の映画でもあり京都の映画でもあります。是非とも皆様のお力で日本中に発信して頂きたいと思います。京都には「時代劇」と「和食」があるということを、胸を張って広めていきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございました。

 

(河田 真喜子)

FG-550.jpg『フライング・ギロチン』

 

(血滴子 The Guillotines 2012年 中国・香港 1時間53分)

監督:アンドリュー・ラウ

 

出演:ホアン・シャオミン、イーサン・ルァン、ショーン・ユー 

2013年12月28日(土)~シネマート心斎橋にて公開

公式サイト⇒ http://www.cinemart.co.jp/theater/special/hongkong-winter2013/lineup_03.html

© 2012 We Pictures Ltd., Stellar Mega Films Ltd., Media Asia Film International Ltd., Polyface Films Company Ltd. All Rights Reserved.

 


★武侠映画だから出来る、素朴な体制批判


 

  うなりをあげて飛来する輪状の武器フライング・ギロチンは、かつて武侠映画のカルトスター、ジミー・ウォングが主演した映画『片腕カンフーと空とぶギロチン』(75年)で敵役が使ってファンを驚かせた伝説のアイテム。他の映画でも登場したかは覚えがないが、いかにも武侠映画らしいアブない武器だった。そのタイトルを使った映画、しかもジミー・ウォング御大まで顔見せ出演しているからこたえられない。

FG-3.jpg  フライング・ギロチンは冒頭に登場するだけと控えめで、映画の主役は原題の『血滴子』。皇帝直属の暗殺部隊の名でその部隊長役がジミー・ウォング。血滴子は本来、皇太子の幼少時の遊び相手という無邪気な存在なのだが、長じて皇帝のボディガードになり、政敵を暗殺する役目を担う「朝廷の暗部」の象徴でもある。

  清朝、第5代皇帝・雍正帝(アンドリュー・ラウ)の暗殺集団・血滴子の総領官(ジミー)は「反清復明」を掲げる反乱軍リーダー天狼(ホァン・シャオミン)暗殺を部下の冷(イーサン・ルァン)らに伝える。一度は捕らえたものの仲間に奪い返され、血滴子仲間の女・ムーセンを連れ去られる。仲間の奪還を狙いつつ天狼を追う血滴子。熾烈な戦いが幕を切って落とす。

FG-2.jpg   だが、非情なはずの血滴子・冷は、民衆とともに生きる天狼の姿と生きざまを見て、暗殺者である自分に疑問を感じ、暗殺を断念する。それを知った雍正帝の子、第6代乾隆帝(ウェン・ジャン)は、冷の義兄弟・海都(ショーン・ユー)を差し向ける…。

  満州族の清朝打倒、漢民族の明朝復権を目指す“反清復明”は、民族紛争であり権力闘争。だから、中国映画の秀作『孫文の義士団』と違ってどちらが正義か悪か、判断は難しい。だが、主役のはずの血滴子が天狼に共感し、逆に皇帝と義兄弟に追い詰められる。この複雑な逆転が現代中国ではないか。

  皇帝の交代による情勢の変化、近代兵器「鉄砲隊」の完成で無用の存在として追われることになる血滴子の悲惨な運命。殺傷力抜群だったギロチンは、過去の遺物の象徴になってしまっていた。

 

FG-4.jpg   子供たちや民衆に囲まれて生活する平和な天狼の姿に、中国の理想社会があるはず。そんなユートピアが皇帝軍の鉄砲隊の前に脆くも崩れ去る…武侠映画なのに歴史を越えて普遍的な真理さえ垣間見えた。

  ラストにはびっくり“皇帝への進言”が登場する。帰国した血滴子の生き残り、冷が皇帝に伝える。「民は食が足りて住むところがあれば満足する」「行き場を失えば反乱する」「不公平は不満を呼び、格差は不平等を生む」…。もはや武侠映画のセリフの域を越え、今現在の“中国民衆の声”そのものではないか。

 


  先頃開かれた京都ヒストリカ国際映画祭で『ソード・アイデンティティー』と『ジャッジ・アーチャー』の武侠映画2本を出品した北京出身のシュ・ハオフォン監督は初日『フライング・ギロチン』上映後のトークショーに参加し「武侠映画の本質」について語った。

  香港、台湾の独壇場のように思われていた武侠映画だが、自ら武侠小説も書くシュ監督は「元は中国本土から来た」という。「血滴子は実際にいた。王子が蝉を取る時に棒の先に赤い米の糊をつけたのが血のように見えたために血滴子と呼ばれた」と由来を話し「実際に暗殺を任務にする特務機関として恐れられ、自分たちもまた恐れていた。特務機関は増えて互いに監視し合い、潰しあっていくもの、今のアメリカも、古くはヒトラーのナチスもそうだった」と言う。

  「武侠映画、小説は体制へのメッセージ。中央政府への反対というよりも、中国の社会そのものを表現している」と明言する。反体制映画ではないのに、ダイレクトな現代中国への批判。こんなタブーがサラッと出来るのが武侠映画の強みであり、人気の秘密だろう。 

 

(安永 五郎)

 

 

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左より、大野裕之氏、デイヴィッド・ロビンソン氏、原田眞人氏、滝田洋二郎氏

「ヒッチコック サイレントからトーキーへ 演出と音を巡っての考察」@第5回京都ヒストリカ国際映画祭 ヒストリカトークレポート(2013.12.6 京都文化博物館)
登壇者:デイヴィッド・ロビンソン(映画史家、ポルデノーネ無声映画祭ディレクター)、原田眞人(映画監督、映画評論家)、滝田洋二郎(映画監督)、大野裕之(チャップリン研究家)

 

~幻の名作『恐喝[ゆすり]』サイレント版の感動と共に!ヒッチコックからサイレント映画の魅力まで語り明かす~


historika13-yusuri-1.jpg12月8日(日)まで京都で開催中の第5回京都ヒストリカ国際映画祭で、12月4日(水)に「ヒストリカ・クラッシック」特集の一環として1929年のアルフレッド・ヒッチコック作品『恐喝[ゆすり]』サイレント版(修復版)が、MOVIX京都で日本初上映された。ピアノ伴奏にサイレント映画伴奏者の松村牧亜さんを迎え、ヒッチコック流サスペンスが、控えめながら非常に効果的な伴奏によって私たち観客に驚きや感動を与えてくれた。ヒロインがシャワー室で格闘の上殺人を犯してしまうシーンや、ラストの大英博物館での迫力あるシーンなど、サイレントならではの表現の豊かさを再認識させられる本当に貴重な機会となった。

 上映後、京都文化博物館で「ヒッチコック サイレントからトーキーへ 演出と音を巡っての考察」と題したヒストリカトークが開催され、特別ゲストとして海外より映画史家、ポルデノーネ無声映画祭ディレクター、デイヴィッド・ロビンソン氏が登壇した他、映画監督、映画評論家の原田眞人氏、映画監督滝田洋二郎氏が登壇。チャップリン研究家の大野裕之氏の司会で、『恐喝[ゆすり]』サイレント版を観た感動そのままに、ヒッチコックや『恐喝[ゆすり]』サイレント版の魅力、サイレント映画とトーキー映画の違い、映画における音楽の役割について濃密なトークが展開した。映画ファンや映画を勉強する人にはまさに必見の貴重なトークの模様をご紹介したい。

 


―――ご自身の映画づくりにおいて、ヒッチコックに影響を受けている点や好きな作品は?
historika13-12.4-4.jpg滝田洋二郎監督(以降滝田):演出部に入った時から、ヒッチコックは一番模倣しやすい監督だと思っていました。自分が責任を持って映画を撮るようになり、『サイコ』のシャワーシーンを真似て撮っているうちに、真似だけではダメだということを学びました。ヒッチコックは作り物を面白がるというか、「映画は見世物である」という一面を表現しているところに強く惹かれます。また、観客を惹きこむ演出が特徴です。ヒッチコックのショットをそのまま真似ることは映画の入門編としてとても助かりました。ブライアン・デ・パルマの『キャリー』や『殺しのドレス』もヒッチコックの影響を受けていますから。今は模倣しながら自分のやり方を模索している状況です。作品では『サイコ』が好きですね。名画座やビデオで見出した時に最初に観た印象が強いですね。『裏窓』とか、映画は作り物だとぬけぬけとやってしまうところは面白いなと思いました。

historika13-12.4-3.jpg原田眞人監督(以降原田): 5年前から日本大学国際関係学部で映画を観ない学生たちに映画のことをいろいろ教えています。日米比較文化論ではエリア・カザンの自伝を読ませたり、最後の2年間はヒッチコックの『レベッカ』以降(アメリカ時代)を教えるため、私ももう一度『レベッカ』以降の作品を時代順に見直しました。ヒッチコックに関する書籍も7割ぐらい読み、「こういう汚い親父だからこういういい映画を作れたんだ」ということがだんだん分かってきて、今は愛憎入り混じる関係ですね。僕が大好きなヒッチコックの作品2本は、昔大嫌いだったけど今は一番好きな『めまい』と『汚名』です。

今日久しぶりにヒッチコックのサイレント映画を観て、すごく驚きました。トーキーよりサイレントバージョンの方が貴重かもしれません。後々ヒッチコックが使っている全ての面がこの作品の中にあります。ヒッチコックの作品で一番重要なのは「母の寝室」で、アメリカ時代の『レベッカ』以降の作品全部で使っています。『恐喝』では、ヒッチコックの元の家の構造とおぼしき家にヒロインが住んでおり、玄関からすぐの階段で2階に続いているのは『サイコ』にも共通する構造です。ヒッチコックは5歳から30歳まで家に帰ると、すぐにこの階段を上って母の寝室に行き、その日に起きたこと全てを寝室で母に話しています。全ての物語の根源は、母に語った話から入っているので、ヒッチコックの映画は『レベッカ』以降、「寝室における告白のドラマ」になっているのです。『めまい』や『汚名』はまさにそうですね。

 

―――今日上映された『恐喝』サイレント版の魅力とは?
historika13-12.4-2.jpgデイヴィッド・ロビンソン氏(以下デイヴィッド): 『恐喝』のサイレント版は映画史的に非常に重要な作品です。『恐喝』はイギリス映画史上最初のトーキー映画で、1929年当時はまだ映画館にトーキーの施設がなかったので、映画会社としてはサイレント版を作らねばならなかったのです。サイレント版の存在はずっと知っていましたが、今日初めて、しかも京都で観ることができ、トーキー版より断然素晴らしかったです。当時トーキー版は新しいサウンドの使い方に心を奪われたのですが、サイレント版はそういった音がないことで、映画の構造的な良さが浮かび上がっています。

サイレント映画は見た目が非常に重要です。例えば、殺人のシーンではたくさんの絵が飾られていますが、それらがとても印象的で迫力があります。その間ずっと字幕が出てこないというサイレント映画の強さを感じます。サイレント期から近年までずっと活躍し続けた大女優、リリアン・ギッシュは、「サイレント映画は素晴らしい。映画史は回り道をして、サイレント映画を再発見している」と語っています。映画監督の誰がベストかといったときに、ヒッチコックやフリッツ・ラング、溝口健二、ハワード・ホークス等色々な名前が上がると思いますが、必ずサイレント映画で修業を積んだ映画監督の名が上がるはずです。サイレント映画の重要さ、そこに尽きるのではないでしょうか。

サスペンスという言葉は恐怖映画などと結びつけて語られますが、実際はもっと一般的な言葉なのです。例えば本を書く時や、ロマンチックなシーンにも使われる言葉で、一言でいえば「次何が起こるか、お客さんに期待を持たせる」ことなのです。ヒッチコックはその点で天才であり、「次に何が起こるのか」と常に思わせるような映画を作っているのです。

滝田:トーキー版を先に観たのですが、80年以上のものを修復した技術もすごいと思いますし、1929年時点でヒッチコックのスタイルがすでに確立されているなと感じました。1927年の『リング』と比べても技術的、映画思想的に成長していますね。30年代のトーキー時代を見据えて力をつけていたのだと思います。サイレントの方がより映画に対して能動的になれ、想像しながら観ることができる気がします。今は情報過多の時代ですが、そういう中ではより人間は受動的になってしまい、極端にいえば思考停止に陥ってしまうのではないかと。ですからサイレント映画は音や声を全て想像できますし、全シーンに集中できて刺激的です。映画とは個人のものなのだと思いました。

原田:映画を学ぶ若者たちは、小津安二郎を含む名監督たちをサイレントから順に観ていき、彼らがどれだけ表現術をサイレント時代に勉強し、その後トーキー時代に入ったとき語り口がどうなっていくのかを学ぶことが一番いいのではないかと、サイレント版を観て思いました。ヒッチコックに関して一般的に誤解されていて、かつそこに罠があるのは、かつて彼がよく言っていた言葉「脚本を書く前に、自分の頭の中に青写真ができている」です。これは嘘で、そう言えるのはヒッチコックがサイレント時代の人だからなのです。ヒッチコック自身が一流の脚本家を面接して雇い、彼らが書いているときにヒッチコックの頭の中には音楽や台詞はなく、映像表現しかないので、トーキー時代になってからはそれが欠点として出てきました。無防備に台詞が説明のところに入ってしまう、今の脚本家だったら絶対やってはいけないことをしています。

ただし『恐喝』もそうですが、これだけ字幕のないサイレント映画があっていいのかというぐらい、字幕が出てこず、一言一言がよく練られています。「サイレントなんてもう観なくてもいい」と思っていましたが、ヒッチコックの表現力の高さや、巨大建造物(大英博物館)の図書館の中に入っていくショットなど、アイデアとして後々使っていることを試していて、びっくりしました。

 

―――映画作家から見たサイレント映画とトーキー映画の違いとは?
historika13-12.4-5.jpg滝田:サイレント(『恐喝』)は字幕も最小限だったので、日頃のシナリオは語らせすぎではないかと思ったり、動きでも最後まで決着させようとしてしまいますが、見ただけで次を想像させるショットが重要になってきます。ヒッチコックは特にそういう見せ方が上手かったと思います。サイレントで映画が撮れるかどうか、京都にいる間に考えてみます。

原田:映画監督にとって一番大きな変化は、サイレントからトーキーになったときと、モノクロからカラーになったときで、それぞれの時期を体験した監督たちはものすごく葛藤したわけです。映画はしゃべってはいけないものだと思っていたので、ジョン・フォードやハワード・ホークスも抵抗がありました。なぜかといえば、サイレント時代に映画を作っていた人は、役者たちが台詞をしゃべれないことを分かっていたのです。サイレントのトップスターもひどい英語を喋っていたものですから、トーキーになってしまったら生き残れない。

ヒッチコックに関していえば、サイレントからトーキーを乗り越え、さらにカラーになったときに、ロバート・バークスという素晴らしいカメラマンを迎えています。名監督は時代の波を乗り越えて、豊かな表現をしていきます。ヒッチコックは、モノクロでの色の使い方もすごかったし、カラーになってからの色の使い方もすごかったです。モノクロの光と影の使い方で言えば、作品的評価はあまり高くないですが『パラダイム夫人の恋』の影の使い方は素晴らしいです。『恐喝』でも最後に自首することを決めたヒロインがすっと立ち上がったときに、影がどう出るか。そこはすごかったですね。

 

―――映画における音楽の役割とは?
滝田:『恐喝』サイレント版を観て、僕たちは音楽も含めて説明過多になりすぎていると感じました。音楽を強くあてることで、感情がもっと伝わりやすいと思うけれど、実はそうではないことに改めて気付かされました。サイレント映画というのはいつも違う音楽をつけることができる、まさにライブみたいなものであることが新鮮でしたね。今の映画音楽は相当商業的な面もあり、音楽にお金をかけることができるときはかけたいし、サントラ盤を出さなくてはいけないということも、ついやってしまいます。ただ、音楽が映画の顔になることもあるので、いろいろなケースがあっていいのかなと思います。

原田:僕はカーペットのように敷き詰めた映画音楽は大嫌いで、基本的にはチャップリンが考えた対位法が重要だと思っています。悲しい場面で悲しい音楽を流すとやりすぎてしまい、オーバーアクトと同じになってしまうので、反対の表現にいくことをいつも考えます。自分の一本の作品でどれぐらい音楽が使われているかを毎回チェックしているのですが、昔は2時間の作品で40分ぐらい音楽が流れていました。直近の『わが母の記』では20分弱で、最近どんどん音楽を減らしています。どうしてもクラッシックや本当に聞かせたいところで心に響くようなもの、僕自身も聞きたいものを意識していると、(音楽の)時間が短くなってきましたね。

デイヴィッド:サイレント映画とは創生期から映画の上映時には必ず音楽がついていますし、音楽はとても重要です。この20年間ポルデノーネ無声映画祭をやっていますが、音楽家を重要視し、常にミュージシャンやオーケストラに頼んで、音楽をつけてもらっています。映画自身のテンポがスローな時もあるのですが、サイレント映画音楽第一人者のニール・ブランドさんに頼んで、それに音楽をつけてもらうと素晴らしい傑作に甦るのです。

『恐喝』サイレント版の松村牧亜さんによるピアノ演奏も非常に素晴らしかったです。普通音楽をドラマチックにしてしまいがちですが、押さえたトーンで画面を活かす形で演奏されていました。牧村さんは、7,8年前にポルデノーネ無声映画祭のマスタークラスに参加された方です。サイレント映画伴奏の音楽家を育てるクラスで、プロフェッショナルの音楽家が集まって1週間レッスンやレクチャーが行われるわけですが、そのクラスを経て、こうやって彼女と京都で再会でき、本当にうれしく思います。

 

―――最後に一言ずつお願いします。
滝田:フィルムがなくなり、映画監督として腹立たしさや苛立ちがあると同時に、こうしてデジタルの力で何十年も前の映画をとてもいい状態で、しかもスクリーンで観ることができるのは非常にいいことだなと実感しました。修復された昔の名作を、映画館で自分と対話して観るのが映画の原点だと思います。まずは映画館で映画を観る習慣や機会をどんどん増やしていってほしいですね。

原田:とにかく若い世代にクラッシックを観てほしいという想いがありますね。今はDVDやブルーレイで自分が良いと思った監督の作品を時系列で辿れます。時間的な流れの中で、かつての作り手がどういうことを表現しよう試み、それを我々が次の世代にどう伝えていくのか。若い世代はそれをどう感じ、どう伝えてくれるのか。伝統を引き継いでいくことは、映画の中ではとても重要だと思います。

デイヴィッド:私は昨日京都に着いたばかりですが、京都ヒストリカ国際映画祭で観たどの映画や演奏も素晴らしく、ここにいることが大好きです。唯一気になることは、せっかくの素晴らしい上映も空席があるために、見逃している人が大勢いるということです。今日参加されたみなさんはお友達に伝えて、明日からは空席がなくなり、より多くの人に素晴らしい上映を観る体験をしていただきたいです。
(江口由美)

 

『第5回京都ヒストリカ国際映画祭』へ行ってきました。

(2013年11月30日(日)~12月8日(日) 京都文化博物館、MOVIX京都、T・ジョイ京都にて開催)

historika13-pos.jpg時代劇大好きな私にとって、世界の時代劇だけを集めた映画祭なんてこんな嬉しい映画祭はない。今年も大阪から京都へ足を運んで楽しんでおります。新作のラインナップも珍しい作品が多く、どれも面白い! 旧作にいたっては、幻のフィルムを発掘・復元して、この映画祭で初上映するという、大変貴重な上映会が開催されています。でも、あまり認知されていないのか、世界的にも稀有な映画祭にもかかわらず満席には至っていないのは、実に勿体ない! 映画ファンにとっては驚きの発見と感動を楽しめる『京都ヒストリカ国際映画祭』を、是非一度体験して頂きたいと思います。

 

【鑑賞日記】


 

12月1日(日)

①『ハックルベリー・フィンの冒険』 (日本初上映)(2012年 ドイツ 100分)

hakku-1.jpgトム・ソーヤーとの冒険で財宝を手にしたハックルベリー・フィンが、大きな代償を支払ったものとは? それは自由。黒人奴隷のジムに向かって、「お前はいいな、自由で」などと言いながら、大きな家、清潔なベッドに上等な服など全く意にも介さず、時々脱走しては、トムと走り回って遊ぶ日々。ところが、行方不明だったハックの飲んだくれで乱暴者の父親がハックの財産を嗅ぎ付けハックを脅迫。その恐怖でハックは家出をし、同時に、サーカス団に売り渡されそうになったジムも逃走して、二人で自由の新天地オハイオを目指して逃避行することになる。

お馴染みマーク・トウェイン原作の物語は、19世紀のミシシッピ川に沿ったアメリカ中部の自然や街や社会状況を題材に、欲深い大人たちに翻弄されながら少年と黒人奴隷との友情と信頼を描いている。ハックとジムのキャラクターののびやかさと共に、美しい映像にわくわくしながら惹きこまれた100分でした。12/5(木)13:00~にも上映があります。

 

②『風と共に去りぬ!?』 (2012年 韓国 121分)

kazeto-1.jpg朝鮮王朝の後期、氷が金よりも価値があった時代のお話。『猟奇的な彼女』や『ハロー!? ゴースト』など人情味あるコメディがお得意のチャ・テヒョンが智略を巡らせ、数々のTVドラマや映画『第7鉱区』などで女性ファンも多いイケメン、オ・ジホが武闘を担い、陰謀渦巻く朝鮮王朝の悪重臣たちと氷をめぐる争奪戦は、山をも動かす勢いのある映像と迫力で楽しませてくれた。主役の二人以外に、爆薬や穴掘り、輸送や七変化盗みなど、いろんな分野のプロ9人が加わり、総勢11人のチャーミングな集団は、『オーシャンズ11』ばりに悪人から氷と宝を見事に強奪してしまう。なんともユニークな痛快活劇だこと! 12/8(日)11:00~にも上映があります。

 

③『ピー・マーク』 (2013年 タイ 113分)

na-ku-1.jpgタイ版「四谷怪談」とも言えるタイでは最も有名な怪談話。難産で死んだナーク夫人の悲劇という実話を基に何度も舞台化・映画化がされてきたという。2001年公開の『ナーン・ナーク』で初めてその話を知ったが、美男美女の夫婦に鮮烈な映像がより一層恐怖を盛り上げ、最後は切なさで泣けて泣けて仕方なかった。そのナーク夫人の悲劇をコテコテのコメディに仕立て上げたのが『ピー・マーク』。4人の戦友とマークのボケぶりが半端じゃない! 抱腹絶倒のまま決着つけるのかと思いきや、最後はこれまた泣けて泣けて仕方なかった。今回の涙は、マーク役のマリオ・ラウラーの純真さ満開の童顔で哀切極まりない熱演につられてしまったせいだと思う。あ~恐るべし、タイ映画!? 12/7(土)17:00~上映とバンジョン・ピサンタナクーン監督(『心霊写真』『アンニョン!君の名は』)によるティーチインがあります。

 

いや~充実した3本立てでした♪

 

(河田 真喜子)

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★オープニングは東映京都作品『利休にたずねよ』(2013年11月30日(土))


historika13-11.30-5.jpgゲスト:田中光敏監督、原作者の山本兼一氏


   “世界でただひとつ”の歴史映画祭、第5回京都ヒストリカ国際映画祭が11月30日、京都駅前のT・ジョイ京都と京都文化博物館で始まり、T・ジョイ京都ではオープニング作品の東映京都『利休にたずねよ』(田中光敏監督)が上映された。上映に先立ち、原作者の山本兼一氏と田中光敏監督が「利休の生き方、その時代」と題したトークショーを行い、イベント・ナビゲーター・飯干景子さんと京都の映画らしい撮影裏話などを披露、満員の観客にアピールした。

 

 

 


―――映画化が難しい内容ですが、原作者として不安は?
山本兼一氏: 田中光敏監督は僕の『火天の城』の時、よく読み込んで作って下さっていたので心配してなかった。原作は時代を遡っていくのでそのままでは出来ないだろうなと思っていたので、自分でも楽しみにしていました。

rikyu-1.jpg―――映画化した監督はいかがでしたか?
田中光敏監督:09年の直木賞だし、お宝預かって越えられないぐらい大きな山でした。どうしたらいいのか、考えました。
山本氏:脚本をなかなか見せてもらえなくて、撮影直前でやっと見せてもらえた。
田中監督:自分で納得出来るまで見せられなかった。(原作は)これまでの利休像を覆して頂いた。若い時代の利休が魅力的でした。 
山本氏:普通、原作者が脚本読んで「いい」というのはあり得ない。映画と小説書くときには違いがある。

―――登場人物は相当削ぎおとしていますね。
田中監督:山本さんの文章は素晴らしいんですが(映画で)役者が全部言うと陳腐になる。余白と間(ま)をつないで頂きたい。この映画では、茶碗はじめ本物がたくさんでてきます。ヨーロッパからの献上品のベネチアン・グラスも本物をお借り出来た。東映京都撮影所では6年ぶりの作品。時代劇へのスタッフの思いがひとつにまとまった映画です。場所、道具、時代劇の本場・東映京都撮影所、中でも大部屋の力が大きかった。大部屋の人たちはマイかつら、マイ着物ですからね。そういう人たちがしっかりと周りを固めてくれた。  

rikyu-6.jpg―――注目は市川海老蔵さんですが? 
田中監督:あの人はやっぱり天才ですね。群衆シーンで大部屋俳優さんだけでは足りなくて、エキストラに2~30人来てもらったら海老蔵さんは「あの人たちはどこから来たの?」と聞いていた。着物の着方、所作、時代感を見て一瞬で感じるらしい。そういう人たちには「海老蔵さんの後ろに入って」と指示しました。

―――山本さんは書いてる時から海老蔵さんを意識しました?
山本氏:映画化するならぜひ海老蔵さんで、と思ってました。小説では利休はパッションの人ですからね。たぎるような情熱を内に秘めた人でないとダメだ、と。利休の19歳から70歳までと幅がありますから、ベテランの方だと若い時代を別の人にやってもらわないといけないが、海老蔵さんなら若い頃も無理なく出来る。最後は特殊メイクにしましたが。

―――情熱的な利休像には驚きます。
山本氏:利休というと、これまでのは、枯れた老人が一人静かにお茶を点てている、という地味なイメージだった。そんなはずはない、と思った。あんなに隆盛を極めた利休の茶にはもっと艶があったに違いない。
田中監督:原作からひしひし伝わってきますね。

rikyu-3.jpg―――市川)團十郎さんも出演されていて、貴重な親子共演になりました。
田中監督:最初で最後ですね。團十郎さんは体調の問題で南座を降板する1週間前に映画に出ていただいた。海老蔵さんには親子でも師匠だから、立ち位置で問題があった。團十郎さんが座って「さあどうぞ」という場面で、海老蔵さんが真ん中に立っている。これでは「迎え入れることにならないのではないか」と。(歌舞伎)役者はセリフを具体的、肉体的に考えている。親子でも師匠には「言えない」と言ってました。海老蔵さんは年老いた利休を團十郎さんにやってもらいたかったようでした。 
山本氏:セットで海老蔵さんは私をにらんでました。あの人ぐらいになると片一方の目だけでにらむことが出来るんですね。一瞬でしたが「フツーの人じゃないな」と思いました。
田中監督:海老蔵さんとは初めてでしたが、私は鈍感なのでにらまれても分からなかったかも。ただ、いつも舞台の真ん中にいる方なので照明の当たり方が違う。私たちはカメラとレンズの位置を頭に入れて「フレームの中どうお芝居をしてもらえるか」。ステージとの違いをどう説明するか、でしたね。

historika13-11.30-4.jpg―――完成してみたらいかがでしたか?
田中監督:スクリーンの中で(海老蔵さんは)素晴らしいエネルギーを放っていた。「一体何なんだ、あの人は」という感じですね。 
山本氏:所作、着物のさばき方ですね。海老蔵さんは「客によって“点て方”を変えたい」と言っていた。緊張した時、和やかな時によって違うのは当然だし、その微妙な茶筅(せん)の音をマイクが拾っていて音が違っている。
田中監督:海老蔵さんだけじゃなく、中谷美紀さんも1年2か月前からお茶のけいこを始めていて、撮影に入ると「(海老蔵さんの)お点前を貸してほしい」と頼まれた。中谷さんは「利休に点て方が似ていないと愛が伝わらないでしょう」と。 海老蔵さんは1年前からお茶を師匠について習い、本物の黒楽茶碗でおけいこしています。あり得ないことですよ。映画でも本物の黒楽茶碗を貸してもらってます。
山本氏:今は貴重なもので高いけど、当時は普通に使われていた。だから(映画の中で)恐る恐るやってはいけない、と準備してたんですね。俳優さんたちの努力で生まれた映画ですね。
田中監督:「京都で撮れた」のが大きなファクターですね。ほかでは出来ない。京都の歴史ある場所で、その中に千利休とその文化を守ろうという気持ちがあった。映画をやっていて利休の凄さが分かった。利休が削った茶杓もあったし、黒楽茶碗は今なら「プール付きの家が買える」ぐらいの値打ちもの。本物の持つ力が映画を支えています。ロケもそうです。南禅寺の山門をはじめ、大茶会も三井寺、上賀茂神社、神護寺、大徳寺の山門…東映京都撮影所が70年ぶりに使った場所もありました。

―――オープニングの嵐のシーンをはじめ原作に忠実でした。
田中監督:最初のシーンが好きで、そこで“利休ブルー”というか全体のトーンを決めました。人の肌、光が白く見える照明で、“おもてなし”の心を表す言葉から入った。 ぜひともワンカットでやりたかったんですが、現場が実現してくれた。

historika13-11.30-2.jpg―――映像が美しく、人物もセリフも削ぎおとされていました。
田中監督:撮影、美術、照明、音楽、演技も当然ですが、全部が足し算になりました。映像ですべて作り上げました。
山本氏:実にいい言葉を選んでくれましたね。私は5回見ました。5回目はモントリオールで、見ている人の息遣いが伝わってきました。最初に監督にクレームつけたセリフも「これでいいな」と。利休の美しさは、スタジオ見学した時に穏やかな照明になっていて「これはいい映画になる」と確信した。利休の美意識、美はすべて見せるわけじゃなく、利休の周りの人たちがどう受け止めたか、それを積み重ねることで、言葉なしで「こういう世界がある」と分かる。美はそれ自身が持つ力よりも見る人の心の中にある。見る側の気持ちに関係してくる。利休以外の人の表情にも現れている。

―――映画の中で重要な位置を占める「字」を書いて下さった「漢字作家」の木下真理子さんに来て頂きました。
木下真理子さん:日本の書のスタイルは中国からのものと、この時代は混在していましたけど、日本独自のスタイルを作っていった。
田中監督:映画ではずいぶんたくさん書いて頂きました。
木下さん:“ちらし書き”という、行頭を不揃いにする配置法にしました。美の追求は時間がかかること。気持ちの持ち方、魂、精神力が到達するもの。この映画で美しさに触れてもらいたいですね。
田中監督:茶の湯は静かな世界だけど、利休は情熱の人だった。利休の美は「恋から始まった」ということをゆっくり味わってください。
(安永 五郎)