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第5回京都ヒストリカ国際映画祭スタート!オープニングは東映京都作品『利休にたずねよ』

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★オープニングは東映京都作品『利休にたずねよ』(2013年11月30日(土))


historika13-11.30-5.jpgゲスト:田中光敏監督、原作者の山本兼一氏


   “世界でただひとつ”の歴史映画祭、第5回京都ヒストリカ国際映画祭が11月30日、京都駅前のT・ジョイ京都と京都文化博物館で始まり、T・ジョイ京都ではオープニング作品の東映京都『利休にたずねよ』(田中光敏監督)が上映された。上映に先立ち、原作者の山本兼一氏と田中光敏監督が「利休の生き方、その時代」と題したトークショーを行い、イベント・ナビゲーター・飯干景子さんと京都の映画らしい撮影裏話などを披露、満員の観客にアピールした。

 

 

 


―――映画化が難しい内容ですが、原作者として不安は?
山本兼一氏: 田中光敏監督は僕の『火天の城』の時、よく読み込んで作って下さっていたので心配してなかった。原作は時代を遡っていくのでそのままでは出来ないだろうなと思っていたので、自分でも楽しみにしていました。

rikyu-1.jpg―――映画化した監督はいかがでしたか?
田中光敏監督:09年の直木賞だし、お宝預かって越えられないぐらい大きな山でした。どうしたらいいのか、考えました。
山本氏:脚本をなかなか見せてもらえなくて、撮影直前でやっと見せてもらえた。
田中監督:自分で納得出来るまで見せられなかった。(原作は)これまでの利休像を覆して頂いた。若い時代の利休が魅力的でした。 
山本氏:普通、原作者が脚本読んで「いい」というのはあり得ない。映画と小説書くときには違いがある。

―――登場人物は相当削ぎおとしていますね。
田中監督:山本さんの文章は素晴らしいんですが(映画で)役者が全部言うと陳腐になる。余白と間(ま)をつないで頂きたい。この映画では、茶碗はじめ本物がたくさんでてきます。ヨーロッパからの献上品のベネチアン・グラスも本物をお借り出来た。東映京都撮影所では6年ぶりの作品。時代劇へのスタッフの思いがひとつにまとまった映画です。場所、道具、時代劇の本場・東映京都撮影所、中でも大部屋の力が大きかった。大部屋の人たちはマイかつら、マイ着物ですからね。そういう人たちがしっかりと周りを固めてくれた。  

rikyu-6.jpg―――注目は市川海老蔵さんですが? 
田中監督:あの人はやっぱり天才ですね。群衆シーンで大部屋俳優さんだけでは足りなくて、エキストラに2~30人来てもらったら海老蔵さんは「あの人たちはどこから来たの?」と聞いていた。着物の着方、所作、時代感を見て一瞬で感じるらしい。そういう人たちには「海老蔵さんの後ろに入って」と指示しました。

―――山本さんは書いてる時から海老蔵さんを意識しました?
山本氏:映画化するならぜひ海老蔵さんで、と思ってました。小説では利休はパッションの人ですからね。たぎるような情熱を内に秘めた人でないとダメだ、と。利休の19歳から70歳までと幅がありますから、ベテランの方だと若い時代を別の人にやってもらわないといけないが、海老蔵さんなら若い頃も無理なく出来る。最後は特殊メイクにしましたが。

―――情熱的な利休像には驚きます。
山本氏:利休というと、これまでのは、枯れた老人が一人静かにお茶を点てている、という地味なイメージだった。そんなはずはない、と思った。あんなに隆盛を極めた利休の茶にはもっと艶があったに違いない。
田中監督:原作からひしひし伝わってきますね。

rikyu-3.jpg―――市川)團十郎さんも出演されていて、貴重な親子共演になりました。
田中監督:最初で最後ですね。團十郎さんは体調の問題で南座を降板する1週間前に映画に出ていただいた。海老蔵さんには親子でも師匠だから、立ち位置で問題があった。團十郎さんが座って「さあどうぞ」という場面で、海老蔵さんが真ん中に立っている。これでは「迎え入れることにならないのではないか」と。(歌舞伎)役者はセリフを具体的、肉体的に考えている。親子でも師匠には「言えない」と言ってました。海老蔵さんは年老いた利休を團十郎さんにやってもらいたかったようでした。 
山本氏:セットで海老蔵さんは私をにらんでました。あの人ぐらいになると片一方の目だけでにらむことが出来るんですね。一瞬でしたが「フツーの人じゃないな」と思いました。
田中監督:海老蔵さんとは初めてでしたが、私は鈍感なのでにらまれても分からなかったかも。ただ、いつも舞台の真ん中にいる方なので照明の当たり方が違う。私たちはカメラとレンズの位置を頭に入れて「フレームの中どうお芝居をしてもらえるか」。ステージとの違いをどう説明するか、でしたね。

historika13-11.30-4.jpg―――完成してみたらいかがでしたか?
田中監督:スクリーンの中で(海老蔵さんは)素晴らしいエネルギーを放っていた。「一体何なんだ、あの人は」という感じですね。 
山本氏:所作、着物のさばき方ですね。海老蔵さんは「客によって“点て方”を変えたい」と言っていた。緊張した時、和やかな時によって違うのは当然だし、その微妙な茶筅(せん)の音をマイクが拾っていて音が違っている。
田中監督:海老蔵さんだけじゃなく、中谷美紀さんも1年2か月前からお茶のけいこを始めていて、撮影に入ると「(海老蔵さんの)お点前を貸してほしい」と頼まれた。中谷さんは「利休に点て方が似ていないと愛が伝わらないでしょう」と。 海老蔵さんは1年前からお茶を師匠について習い、本物の黒楽茶碗でおけいこしています。あり得ないことですよ。映画でも本物の黒楽茶碗を貸してもらってます。
山本氏:今は貴重なもので高いけど、当時は普通に使われていた。だから(映画の中で)恐る恐るやってはいけない、と準備してたんですね。俳優さんたちの努力で生まれた映画ですね。
田中監督:「京都で撮れた」のが大きなファクターですね。ほかでは出来ない。京都の歴史ある場所で、その中に千利休とその文化を守ろうという気持ちがあった。映画をやっていて利休の凄さが分かった。利休が削った茶杓もあったし、黒楽茶碗は今なら「プール付きの家が買える」ぐらいの値打ちもの。本物の持つ力が映画を支えています。ロケもそうです。南禅寺の山門をはじめ、大茶会も三井寺、上賀茂神社、神護寺、大徳寺の山門…東映京都撮影所が70年ぶりに使った場所もありました。

―――オープニングの嵐のシーンをはじめ原作に忠実でした。
田中監督:最初のシーンが好きで、そこで“利休ブルー”というか全体のトーンを決めました。人の肌、光が白く見える照明で、“おもてなし”の心を表す言葉から入った。 ぜひともワンカットでやりたかったんですが、現場が実現してくれた。

historika13-11.30-2.jpg―――映像が美しく、人物もセリフも削ぎおとされていました。
田中監督:撮影、美術、照明、音楽、演技も当然ですが、全部が足し算になりました。映像ですべて作り上げました。
山本氏:実にいい言葉を選んでくれましたね。私は5回見ました。5回目はモントリオールで、見ている人の息遣いが伝わってきました。最初に監督にクレームつけたセリフも「これでいいな」と。利休の美しさは、スタジオ見学した時に穏やかな照明になっていて「これはいい映画になる」と確信した。利休の美意識、美はすべて見せるわけじゃなく、利休の周りの人たちがどう受け止めたか、それを積み重ねることで、言葉なしで「こういう世界がある」と分かる。美はそれ自身が持つ力よりも見る人の心の中にある。見る側の気持ちに関係してくる。利休以外の人の表情にも現れている。

―――映画の中で重要な位置を占める「字」を書いて下さった「漢字作家」の木下真理子さんに来て頂きました。
木下真理子さん:日本の書のスタイルは中国からのものと、この時代は混在していましたけど、日本独自のスタイルを作っていった。
田中監督:映画ではずいぶんたくさん書いて頂きました。
木下さん:“ちらし書き”という、行頭を不揃いにする配置法にしました。美の追求は時間がかかること。気持ちの持ち方、魂、精神力が到達するもの。この映画で美しさに触れてもらいたいですね。
田中監督:茶の湯は静かな世界だけど、利休は情熱の人だった。利休の美は「恋から始まった」ということをゆっくり味わってください。
(安永 五郎)