『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』ウェイ・ダーションプロデューサー、マー・ジーシアン監督、永瀬正敏、坂井真紀インタビュー
『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』 “KANO”
(2014年 台湾 3時間5分)
監督:マー・ジーシアン
製作総指揮:ウェイ・ダーション
出演:永瀬正敏、坂井真紀、大沢たかお、ツァオ・ヨウニン、チャン・ホンイー、シエ・ジュンション、シエ・ジュンジエ、チェン・ジンホン、大倉裕真、山室光太朗、飯田のえる、チェン・ビンホン、ツァイ・ユーファン、ウェイ・チーアン
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※第9回大阪アジアン映画祭観客賞受賞
第9回大阪アジアン映画祭オープニング作品『KANO』作品紹介はコチラ
第9回大阪アジアン映画祭のオープニング作品として上映され、前代未聞のスタンディングオベーションで、台湾に続き大阪にも旋風を巻き起こしたウェイ・ダーション製作総指揮、マー・ジーアン監督初長編作品の『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』。『セデック・バレ』(OAFF2012)に続き、見事2作連続観客賞を受賞し、日本での公開(2015年1月24日公開)が心待ちされている感動作だ。
本作は、日本統治下の台湾で、松山商業出身の近藤兵太郎が一勝もできなかった弱小嘉義農林高校(嘉農)野球部を育て上げ、1931年台湾代表として甲子園で準優勝を果たした実話を映画化。当時台湾の強豪は日本人ばかりのチームであった中、近藤は守備に長ける日本人、打撃に長ける漢人、足の速い先住民という三民族の長所を活かし、周囲の偏見の目にも屈せず最強の混成チームを作り上げた。地区予選から甲子園での決勝戦まで、非常にリアルで忠実に描かれた野球シーンだけでなく、近藤や部員たちの葛藤、近藤を支える妻の愛、そして同時代に烏山頭ダム作りへ尽力した八田與一技師も描き、懐の深い人間ドラマになっている。近藤を演じた永瀬正敏の昭和男の気概を思わせる熱演や、台湾、日本の混成キャストによる野球部の素晴らしいプレイ。特に台詞がほとんど日本語という難役にチャレンジした若き台湾キャストの頑張りぶりを体感できるだろう。3時間5分、たっぷりと1930年代の甲子園に向けて頑張る嘉農野球部のドラマを観終わると、こちらも感動と興奮で体がアツくなっていた。
3月7日、映画祭のオープニングゲストとして来阪したウェイ・ダーションプロデューサー、マー・ジーシアン監督、永瀬正敏さん、坂井真紀さんへの合同インタビューの内容をご紹介したい。
■脚本に書かれている監督と野球部員たちがとても素敵。そこが全てと思って演じた。(坂井)
―――台湾が日本統治下にあった時代で非常にデリケートな題材だが、どういう考えで本作を描いたのか。また描くに当たって留意したことは?
ウェイ・ダーションプロデューサー(以下ウェイP):『セデック・バレ』を撮ったときから、この時代についてはいろいろな資料を集め、時代背景を十分理解しました。ですから、日本の植民地時代の歴史については理解した上で、その時代環境を遠ざけて人物を配置するというスタンスで本作を撮ろうと思いました。脚本を書いたり、俳優に演じてもらうときも、あまり時代背景に焦点を当てないで、その中に生きた人間として少し遠くのところから見る感じで臨みました。
マー・ジーシアン監督(以下マーD):歴史的な時代考証に関しては多方面に渡り、かなり詳しく行いました。できるだけ1930年代の台湾の雰囲気(建物や風景)をしっかり再現しようと試み、その中に人物を配置していく。その時代の人たちはどのように生きていたのかをしっかり捉えていくようにしました。
永瀬正敏さん(以下永瀬):僕も色々調べましたが、何よりもこの作品をやらせていただこうと思ったのは、近藤監督や監督の周りにいた野球部員たちの素晴らしさを、台湾や日本をはじめ他の国のみなさんに観ていただきたいという想いが一番強かったからです。演者としては、素晴らしい脚本があれば、自分なりにどれだけ心を込めて演じ、それをみなさんに観ていただけるかということの方が重要ですから。
坂井真紀さん(以下坂井):この役をやらせていただくにあたり、時代背景はとても大切なので勉強しました。一つのことに対してもポジティブやネガティブに思われていることが同時に存在しているので、複雑な時代背景であったことは胸に置きました。脚本に書かれている監督と野球部員たちがとても素敵で、そこは描かれるべきですし、そこが全てだと思って演じました。
―――大半が日本語の台詞ですが、演出などで難しかったことは?
マーD:日本のとても優秀なスタッフや俳優さんと映画を作ることができ、映画にかける情熱は皆同じだと思いました。最初はうまくいかないこともありましたが、後半になるとやり方に慣れてきてスムーズに進みました。言葉が通じないということは、全力で相手を理解しようとするので、相手に対する情熱が違いましたね。
永瀬:僕たちが演じたのは、僕たちが生まれる前の世代の物語で、今みたいな「超イケテル」という言葉を使えません。その時代どうだったかということはお互いに考えながら台詞を言ったと思います。映画を作っていくということではどこの国も変わりません。映画という共通言語を持っているので、それが真ん中にあれば皆仲間になれます。
―――日本映画と台湾映画の違いを感じるエピソードは?
永瀬:規模はすごかったですね。オープンセットで、パッと見れば町ができている。また見ると船ができている。パッと見たら甲子園ができていて、それには驚きました。それだけ本気度が演者には伝わってきました。
坂井:スタッフの人数も多いですし、とても大きな映画でした。球児たちも休まず練習して、そういう見た目だけではない裏の部分の努力も本気だなと思いました。
―――半分以上を占める野球のシーンが、弱小チームから甲子園で準優勝するまで非常に丁寧に描かれているが、野球シーンへのこだわりや、キャスティング秘話は?
マーD:キャスティングが非常に大きな問題で、最初の譲れないハードルは「絶対に野球の経験がある」ことで、選考を行いました。甲子園に出場するからには観客が「この人はそれなりに野球ができる」と思えるような説得力を持たせなければ嘘に見えてしまいます。最初はプロの俳優に声をかけ、実際にプレイしてもらったこともありましたが、投げるのも守るのも下手で、甲子園に出られるようなプレイはできなかったのです。結局、俳優としては素人でも野球としての部分を重視したわけです。高校、大学などほとんど台湾全土の野球チームがあるところに観に行き、最終的には15名を選んでトレーニングを行いました。3種類のトレーニングの中で難しかったのは日本語習得と演技です。演技といっても表情を作るといった小さなテクニックではなく、どうすれば自分を解放できるか。その部分を重視しました。また30年代の青年なので、その時代の雰囲気を持った人材を選びました。野球のトレーニングは撮影に入ってもずっと続けて行いました。
■『KANO』をいい映画にしてくれたのは永瀬さんのおかげ。(マー・ジーシアン監督)
■ここで、もう一つ現代のKANOができた気がする。(永瀬)
―――マーDと永瀬さんは俳優であり、撮る側でもありますが、それぞれの立場で意識することに違いはあるか?
マーD:永瀬さんは私から言えば映画界の大先輩ですから、役柄に対する理解も非常に深かったです。監督という立場と演じる立場とでは人物に対する理解も最初は色々と違っていたと思いますが、何度もじっくりとお話をさせていただき、永瀬さんの方からも近藤に対する意見を出していただき、現場に入ってからもお互いの意見交換を行っていきました。もちろん2人の目標は1つで、近藤兵太郎という人物をどのように2人が望んでいる人物に作り上げていくかということでしたから、お互いの意見が一致したら早かったです。永瀬さんは私が期待した以上の演技にしてくれました。永瀬さんは役者として優秀なだけではなく、非常にクリエイティブです。近藤の役柄を読み込んでいただき、近藤のディテールへの意見を言ってくれ、それを取り入れていきました。ウェイPが「脚本のところに永瀬さんの名前を書かなければいけないのでは」と言ったぐらいです。『KANO』をいい映画にしてくれたのは、永瀬さんのおかげだと思っています。
永瀬:映画というものは、ドキュメンタリー以外は「嘘」ですね。その「嘘」をいかに一生懸命演じて、リアリティーを持って観ていただけるか。そこの映画が作る「嘘」にもう1つ嘘を重ねてしまうと、それは作品をご覧になる観客に嘘がバレてしまいます。(近藤兵太郎が)実在の人物であるということは、その体温が脈々とお孫さんたちにもつながっており、そこに嘘は絶対つけない。当時の日本人の背景も嘘はつけない。台湾の嘉農というチームで闘ったことも嘘がつけない。それらについてはいっぱい話をさせていただきました。何がありがたかったかと言えば、脚本に書いていることをやれと一言も言われなかったことです。「これはどう思っているのか」という問いかけから始まり、撮影が終わった後も、ウェイPやマーDと話をさせていただくという経験は、一緒に映画を作らせていただいている仲間として、とてもありがたいです。上からやれと言われたら演じなければならない職業ですが、そこをもっと深くと聞いていただける懐の広さは本当に感謝しています。
僕らは『KANO』という映画を人種が違うみんなで一生懸命作りました。だからいまだに僕の生徒役を演じた子どもたちのことが大好きだし、ウェイPやマーDのことも大好きだし、みんなのことが好きです。ここでもう一つ現代のKANOができた気がします。
■高校球児たちの精神と観る人たちの気持ちは今も昔も変わらない。(マー・ジーシアン監督)
■一度しかない闘いに全力を注ぐことを映画にそのまま反映させたかった。(ウェイ・ダーションプロデューサー)
―――甲子園を舞台にされた映画を作る上で特に大切にされたことは?
マーD:私は小学校の時野球選手でしたから、甲子園が日本の高校野球の聖地であることはよく知っていました。ただ今回は1930年代の甲子園なので、それを映画に再現することは非常に大変でした。でも甲子園の精神は何なのかを考えると、自分たちの栄誉のために闘うわけで、高校球児たちが持っている野球の精神は決して変わることはないだろうと思いました。実は本作を撮っていた2012年に甲子園へ試合を見に行きました。私は、観客がどういう反応をするか。二つのチームが栄誉のために闘っているときに、闘っている球児たちはどんな気持ちなのか、それを見ている観客はどうなのか、取材をしている記者たちはどうなのかをじっくりと観察しました。セットそのものは作ればいい話ですが、その中にいる人間の気持ちを描くことは非常に難しいです。でも野球の精神と観る人たちの気持ちは今も昔も変わらないと思いました。
ウェイP:甲子園の試合が毎年物語を作り続けていくのはどういうことだろうかと考えたとき、予選から始まって毎回勝たなければ決勝に辿りつけません。そこに毎回涙を飲んで負けるチームが存在するわけです。ですから甲子園の決勝の背景には多くのチームの涙が背景にあります。一度しかない闘いに全力を注ぐということを映画にそのまま反映させたかったのです。
―――最後に、日本公開に向けてメッセージをお願いします。
永瀬:映画というのは作っただけではまだ完結していなくて、お客さんに見ていただいて初めて完成し、そこから深化していくものなので、日本の皆さんにも1人でも多く、何回でも見に来ていただきたいなと思いますし、ほかの国でも見ていただきたいと思います。ぼくがすごく感謝しているのは、よくある海外の人が撮った日本像ではなくて、当時を忠実に再現して作っていただき、生徒たちも一生懸命日本語を勉強して、日本語でやらせていただきました。日本の方に観ていただいても、その想いは通じると思うので、ぜひ劇場に観に来ていただきたいです。
坂井:本当にこの想いは絶対に伝わると思っています。今日が『KANO』の日本でのスタートだと思っています。
インタビュー後、JR大阪駅、大阪ステーションシティ5Fで開催された「アジアンスターフェスティバル」では、大阪アジアン映画祭ゲストがレッドカーペットに登場。映画『KANO』の顧問を務めた王貞治氏もレッドカーペットに登場し、 「昭和10年代大変台湾の野球熱が盛んになり、実際に甲子園大会に出場するという野球にとって素晴らしい時代がありました。今はなかなか野球熱はそのときほどではありませんが、映画に出演している部員たちは皆現役の選手です。その若い人たちが一生懸命作った映画なので、本物の野球映画だと思います。3時間を越える長編ですがあっと言う間に終わってしまうほど内容のある映画なので、是非観ていただいて、台湾の若い人たちや日本の若い人たちに『やはり野球はおもしろい。観るよりプレイする方が楽しいんだな』ということを感じてもらい、野球がもっと盛んになって、日台両国の交流がより盛んになればいいなと思っています。是非みなさん、自分の足を劇場に運んで観ていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。」と挨拶。寒い中詰めかけた観客より大きな拍手が沸き起こった。
引き続き、『KANO』のスタッフ、キャストがレッドカーペット上に登場。 「今回のレッドカーペットは今までの中で一番うれしいです。台湾から仲間がいっぱい駆けつけてくれました。みんなに拍手をお願いします。」(永瀬) 「私もこの映画を早く日本のみなさんに見せたいなと思っております。ウェイP、マーD、そしてみんなと一緒にここに立てていることが本当にうれしいです。」(坂井) 「みなさんこんにちは、マー・ジーシアンです。台湾から参りました。(レッドカーペット)右側でKANO旗をあげてくださり、ご声援ありがとうございます。」(マーD) 「今回で3度目の大阪ですが、こんなに多くの方が駆けつけてくださり、みなさんにお目にかかれたことをうれしく思います。KANOの映画に出てくる熱血のスピリッツを感じ取っていただければと思います。」(ウェイP)と笑顔で声援に応え、KANO熱は最高潮に。
永瀬正敏に促され、ピッチャー演じるシャオ・ヨウニンが、「気をつけ!礼!(球児役の登壇者が全員礼)まいど、私はシャオ・ヨウニンです。どうぞよろしくお願いします。」と端正な日本語で挨拶し、拍手喝采浴びるなど会場全体がまさに一体となった。
最後に、マーDが「野球魂だけでなく、何か自信をなくしかけていた人も自信を取り戻そうという力が『KANO』にはあるのではないかと思います。そしてそれが台湾の人や日本の人との共通の記憶になっていくのだと思います。ぜひ台湾に『KANO』を観にきていただきたいですし、台湾の人の人情、温かさにふれていただきたいし、ロケ地の嘉義市にもきていただきたい。」と締めくくり、大阪アジアン映画祭初のレッドカーペットイベントは大盛況のうちに幕を閉じた。
(江口由美)