映画祭シネルフレ独自取材による映画祭レポートをお届けします。

2013年7月アーカイブ

morini-b550.jpg 『森に生きる少年 ~カラスの日~』 ジャン=クリストフ・デッサン監督トーク《フランス 映画祭2013》 


( Le Jour des Corneilles 2012年 フランス 90分)
監督:ジャン=クリストフ・デッサン
原作:ジャン=フランソワ・ボーシュマン
声の出演:ジャン・レノ、ローラン・ドゥーチェ、イザベル・カレ、クロード・シャブロル、シャンタル・ヌーヴィルト 他

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〜父親の愛を探す少年が、森の外でみつけた真実と は〜

 

 

 森の奥深くに住む少年とその父親。少年は父親からは「息子」と呼ばれ、名前はない。彼を成長を見守るのは、動物の顔と人間の手を持つ幽霊(精霊)たちだ。ある日、父親が怪我をして意識を失ったため、少年は助けを求めに人間たちの住む村へと向かう。そこで出会った医師とその娘、マノンとの出会いによって少年は新しい世界を知る。そしてまた、村には少年が初めて知る両親の秘密が眠っていた……世界でも有数のアニメーション映画祭『アヌシー国際アニメーション映画祭』でワールド・プレミア上映され、大きな拍手を浴びた。父親の声は、ジャン・レノが担当。そしてこの作品が完成された2010年、惜しくも世を去ったクロード・シャブロルが村の医師として私たちに声を届けてくれている。絵画的な森の描写、少年の愛らしさに加え、肉体的な「死」が人と人とのつながりを断つものではないという世界観に、心が安らぐ。

(田中 明花)

 


 

  映画上映終了後、ジャン=クリストフ・デッサン監督が登壇。ユニフランスのエマニュエル・ピザーラさんの司会により、観客席とのQ&Aが行われた。

 

 

 

 morini-b1.jpg    ―――(ピザーラ氏より)作品が制作された経緯は?     
  原作はカナダの小説家、ジャン=フランソワ・ボーシュマンの小説です。2004年に出版されました。それを読んだプロデューサーが映画化を考え、私に声をかけてくれました。2008年のことです。プロデューサーにとっても、また脚本家にとってもこれが初めての映画作品でした。原作はありますが、プロデューサー、脚本家、そして監督である私の3人の緊密な共同作業の結果、この作品は出来上がったといえます。「こうするとよいのでは」という話が出ると、すぐに脚本は書き変えられ、私も演出を変えてみたりと、3人で手を取り合って創り上げていったのです。結末も、小説と映画とでは違ったものになっています。

 

 

――― 映画には幽霊たちが登場しますね。彼らが動物の姿をしているのは、フランスの文化的背景からでしょうか? 
フランスの文化的背景とは関係なく、また原作の幽霊も動物の姿では描かれていません。なぜそうしたかというと、主人公は森で育ったため、父親以外の人間を見たことがなく、子供が想像できる生き物の姿は動物ではないかと考えたのです。後になって知りましたが、アジアのある地域では、人間が死後、動物に生まれ変わるという話があるのですね。

――― 私は「幽霊」というより、「精霊」と表現したいです。彼らの手の動きがとても美しく、感動したのですが、どのように作業されたのでしょうか?

morini-2.jpg(ピザーラ氏による補足コメント:精霊たちには台詞がありませんが、彼らの手の表現によって、思いが伝わってきました)
精霊を描くのはとても努力が必要でした。特に、亡くなった母と生きている子の関係を創り上げることが難しかったです。精霊たちにはもともと台詞がないのですが、脚本家には、彼らの台詞を考えてくださいとお願いしました。また、それぞれの職業も考えてもらい、それらに沿って、動きを考えていくことができたのです。

 

――― 現在のフランスのアニメーションでは『スーサイド・ショップ』などのようにCGを駆使した作品もあります。今回あえて手描きにされた狙いは?
私は小さい頃から、自然の中で水彩や油彩を描いてきました。それはとても楽しいひとときでした。アニメーション制作は長時間の作業で、何か楽しみがないと続きません。この長い作業に耐えるには、自分が好きなことをしていかないとやっていけないと思ったのです。また、すべての作業をコンピューターで行うよりも、予算の節約になりました。今回は600万ユーロ程度で完成しましたが、『スーサイド・ショップ』はその2倍ぐらいかかっているのではないかと思います。

 

――― カラスや蝶の登場が印象に残りました。何かの象徴なのでしょうか?
 morini-b2.jpg原作のタイトルも『カラスの日』ですが、この映画ほどには出てきませんし、蝶も登場しません。日本でどう思われているかは知らないのですが、ヨーロッパでカラスと言えば、死を意味する不吉な鳥とされています。そのため、父親が不幸に遭ったとき、カラスが飛んできて恐怖を与えるという設定にしました。また、この映画で伝えたかったことは、自然を愛することであったり、生命そのものを愛することなので、たとえ不幸な意味を持つ動物のカラスであっても、愛情を持つことができるということを表現したかったのです。カラスと男の子の関係が少しずつ変わっていく過程で、愛情が育まれていくことを表してみました。
また、蝶は、隠された父親の愛を探しにいくシーンで登場しますが、海の底のような雰囲気にしたいと考えていました。今までの生活とは違う世界に入る、その移行の手段として蝶を考えてみたのです。作品のクレジットにも蝶が出てきますが、これは生まれた子供への祝福、生命の美しさへの賛美として描きました。

 

――― 映画に軍隊を登場させた理由は?
息子と父親との葛藤という「親子」の関係を、「社会」という場に置き換えて描いてみました。家庭から社会に飛び出してもそこには葛藤がある、人生にはどこでも葛藤があるのだ、その象徴として兵士たちを登場させました。

 morini-3.jpg――― 登場人物がとても素敵に描かれていますが、主人公だけ、髪の毛が1,2本しかない、パッとしない外見に描かれているのはなぜでしょう?
確かに、アニメ—ションの主人公は強く美しく描かれがちですが、私はそれがあまり好きではありませんでした。原作では、主人公は不細工な子という設定になっていて、私は脚本家と話し合い、外面的にはやせっぽちで不細工な子を描きました。しかし性格はとてもしっかりしていて、さまざまな困難を乗り越えられる子という設定にしたのです。結果、映画を見て「自分に似ている」と思ってくれた子供たちもいたようです。

 

 


 

「髪の毛は最初は5本描いていましたが、描くのが大変で、だんだん少なくなっていきました」というデッサン監督のコメントで、会場はほのぼのした笑いの空気に包まれた。質問者は、アニメ制作を手がける大人が多かったが、観客席に座っていた子供たちにも、言語を超えた確かなメッセージが伝わったのではないだろうか。

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『アナタの子供』ジャック・ドワイヨン監督&ルー・ドワイヨン トーク<フランス映画祭2013>

 

(Un enfant de toi  2 012年 フランス 136分)
監督:ジャック・ドワイヨン
出演:ルー・ドワイヨン、サミュエル・ベンシェトリ、マリック・ジディ、オルガ・ミシュタン 他

2012年 ローマ国際映画祭コンペティション部門 正式出品作品

 

〜大人のたわいない戯れ言も、子供の生命力で一掃される〜

 

anatanokodomo-1.jpg アヤ(ルー・ドワイヨン)は、7歳の娘リナ(オルガ・ミシュタン)との二人暮らし。歯科医の恋人・ヴィクトール(マリック・ジディ)との関係もうまくいっていたが、前夫でありリナの父親でもあるルイ(サミュエル・ベンシェトリ)と久々に再会、心が揺れ始める。「君との子供がほしい」と宣言するヴィクトールに、嫉妬の思いを隠せないルイ。ルイの若い恋人・ガエルも巻き込み、恋の糸はどんどんもつれていく……ジャック・ドワイヨン監督が、愛娘のルーを主演に迎えた恋愛コメディ。前半は、アヤとルイが交わす長い言葉の戯れにひたすら振り回される。もう疲れた…と席を立ちたくなる頃に、子供のリナが目覚ましい活躍を始め、物語は急展開。子供の純粋で現実的な思考に拍手を送りたくなる。恋敵のルイとヴィクトールが共に過ごす一夜も見逃さないで。

(田中 明花)


 

 映画上映終了後、ジャック・ドワイヨン監督と、主演女優であり監督の愛娘であるルー・ドワイヨンさんが登壇。東京国際映画祭プログラミング・ディレクター、矢田部吉彦氏の進行により、観客席とのQ&Aが行われた。


anatanokodomo-b2.jpg――― (矢田部氏から)ルーが主演となった経緯は?
ルー:当初、脚本は私でなく他の俳優のために書かれましたが、その方が出演されなかったため、私に話がきました。私たちは風変わりな父娘ですが、それでも自分から父に「出演したい」と頼むのは大それたことで言い出せず、父から電話をもらったときはとても嬉しかったです。父の作品に出演したのはずっと若い頃で、仕事というより、父娘の関係の中で演じていたように思います。その後、父以外の監督と仕事をするようになり、また以前よりも大人になったこともあり、今回は純粋に「仕事」として父と関わることができた気がします。アヤは素晴らしい役ですし、共演者たちも素晴らしかった!とても楽しく撮影できました。

( 観客席からも、次々に質問が寄せられた。)

――― 映画でほとんど音楽が流れませんでしたが。
ジャック:果たして映画に音楽は必要か……私は、俳優たちそのものが音楽ではないかと考えています。優れたテイクというのは、そのシーンを耳で聞いただけでわかります。俳優たちの台詞や所作が、既に素晴らしい音楽を創り上げていると思うのです。
 

anatanokodomo-b3.jpg――― ルーさんへ。お父さんとの仕事は他の監督と比べてどう違いますか?
ルー:ジャックは、妥協のない監督です。最良の演技ができるまで、私を許してくれない、簡単に満足をしないのです。それは、私を信じてくれているからだと思います。父のように要求の高い監督のおかげで、そうでない他の監督と仕事するのは難しいものでした。1テイク、2テイクでOKを出されてしまうことが苦手だったのです。私は父をとても愛しているから父以外の監督とは仕事をできないのだろうかと悩んだこともありました。でも、25歳頃から、父と同じように要求の高い監督や演出家と出会い、これからもそんな出会いがあるのではと期待が持てるようになりました。

 

――― 以前は1台のカメラしか用いなかった監督が、近作ではマルチカメラを導入されていると伺いましたが。
anatanokodomo-b4.jpgジャック:はい、かなり前から2台のカメラを使うようになりました。視点は1つであるべきと長い間考えていたのですが、カメラが2台でも、俳優のすべてをとらえるという意味での視点は変わっていないと感じました。また、カメラが2台になると、俳優と同じように、それぞれのカメラの振り付けを考える必要があるということに気づきました。カメラが2台になって何より大きく変わったのは、撮影期間が1週間短縮できるということです。昨今では映画を撮る予算も厳しく、10年ほど前から私の作品は3〜5週間で撮影されています。1台のカメラを2台にすることは、撮影期間を1週間延長できるに等しい効果があるとわかったのです。

 

――― 俳優の演技には、どんな演出を?
ジャック:撮影に入るときはまったく白紙の状態です。俳優が台詞を覚えてくれている、それだけの状態から、俳優と一緒にシーンを創り上げていきます。そして、その日に出した指示を忘れた状態で1日が終わります。私が多くを要求するのは、俳優にその力があるからです。だからこそ厳しく求める。俳優たちの演技によって脚本に命が吹き込まれ、具体的なかたちになるまで、平均して以前は15—25テイクは必要でした(2台のカメラを使うようになってテイク数は減りましたが)。モンテーニュの随想録にも書かれていますが、人間は波打つ存在だと思います。だから、まっすぐな直線ではなく、うそがない揺れ動く人物像を撮りたいと思っています。

 

anatanokodomo-b1.jpg――― 子役について?
ジャック:私は子供たち(ティーンエイジャーも含めて)の映画を10本程撮っていますが、演技のノウハウを持っていない子供たちは演出がしやすく、才能ある子供にはよい驚きがたくさんあります。「ポネット」で主演したヴィクトワールは当時4歳でしたが、自分が想像も期待もしなかったような演技をしてくれました。

 

――― ルーさんへ。演じていていちばん辛かったシーンは?(矢田部氏より)
ルー:ルイが自分のアパートにやってくるシーンです。子供がいて、ルイがいて、体だけでなく感情的にも動きがありました。手持ちカメラの長回しで、私も疲れていましたが、そのときカメラマンの息切れが聞こえてきたのです。このときのジャックの指示は、「なるべく長く延ばすように」ということでした。時間を長く引き延ばしてくれと。2人のカメラマンたちはきっとはやく終わってほしい!と思っていたことでしょう。
私は俳優だけでなく音楽の道に進みましたが、それは家族にミュージシャンがいたというより、(筆者注:ルーの母はジェーン・バーキン)父であるジャックの影響ではないかと思います。ジャックは指揮者のように演出します。このシーンでも、最後の音符を長く長く引き延ばすように、時間を引き延ばすことを求めました。このシーンのおかげで、体は心地よく疲れ、ぐっすりと眠ることができました。


 

 壇上のジャック・ドワイヨン監督は、終始茶目っ気たっぷりだった。「父を愛しているから」とルーが語るとき「うんうん」と目尻を下げてうなずき、若い青年の挙手に「可愛い青年だから、娘に質問するかと思ったよ」と言った後に、「私の作品を熱心に観てくださっているあなたの肖像を飾らなくては!」と自虐ギャグを飛ばすなど、観客を大いに笑わせてくれた。

 

 

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『ローラ』  LOLA  秦早穂子さんトーク<フランス映画祭2013>

監督: ジャック・ドゥミ
撮影:ラウール・クタール
音楽:ミシェル・ルグラン
歌詞:アニエス・ヴァルダ
美術・衣装:ベルナール・エヴァン
出演:アヌーク・エーメ、マルク・ミシェル、ジャック・アルダン、アラン・スコット、エリナ・ラブールデット、アニー・デュペルー 他

(1961年 フランス 85分 モノラル *協力:シネタマリス)

※2012年、グルーパマ・ガン映画財団と映画文化遺産のためのテクニカラー財団により、デジタル修復が行われた(完全版)


 

〜『シェルブールの雨傘』の前身ともなった、ジャック・ドゥミ監督の長編デビュー作〜

 

 港町、ナント。寄港したアメリカの軍艦から降りる水兵たちの前を、1台の高級車が通り過ぎるところから物語は始まる。

Lola-2.jpg この町の生活に辟易する青年、ローラン(マルク・ミシェル)は、読書に夢中になりすぎて遅刻を重ね、会社をクビになる。自分探しの旅に出ようと考えていたとき、幼なじみのローラことセシル(アヌーク・エーメ)と思わぬ再会をする。幼い息子を抱え、キャバレーの踊り子として生きる彼女に「愛している」と打ち明けるローラン。しかしローラは息子の父親である水兵・ミシェルの帰還を7年間信じ、これからも待ち続けたいと語る。

 わずか3日間の人間模様。主人公のローランとローラの物語を軸に、さまざまな人物が出会い、すれ違い、それぞれの生き様を表現する。カフェで、本屋で、街角で交わされる短い会話の数々にノスタルジックな温かさが垣間みられる。祭りの日、水兵フランキー(アラン・スコット)と少女セシル(アニー・デュペルー)が遊園地で無邪気にはしゃぐシーンは、まるで一編の詩のようだ。二度と訪れることのない束の間の幸福、その心地よい切なさ……バックに流れるバロックの調べがとても似合っていた。

(田中 明花)



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 上映終了後、フランス映画の配給に尽力した、映画評論家・秦早穂子さんが登壇。秦さんは、ジャン・リュック・ゴダール監督の長編第1作『勝手にしやがれ』(1959年)の買い付けを担当、日本にゴダールの名を広めた立役者として知られている。東京フィルメックス・プログラミング・ディレクターの市山尚三さんが聞き手となり、トークショーが開催された。

 

――― 第1回フランス映画祭は、1953年だったと先ほど伺いました。今年が60周年にあたるのですね?
当時日本で大人気だったジェラール・フィリップ、監督のアンドレ・カイヤット、女優のシモーヌ・シモンが来日しました。私どもが主催する会で、フィリップに『星の王子さま』の朗読をしてもらったのを覚えています。

――― 『ローラ』を初めてご覧になったのは?
1961年の初めに、ヌイイーの撮影所で観ました。試写のとき、いつもは緊張するのですが、その緊張を忘れるくらい魅了されてしまったんです。スタジオには、ジャック・ドゥミをはじめ、ゴダール、トリュフォー、アニエス・ヴァルダ、製作者のジョルジュ・ド・ボールガールたちもいて。シャブロールはわけあって、来ませんでした。終わってから初めて出会ったドゥミと軽く挨拶を交わしたのですが、少年のような目を持った礼儀正しい印象を受けました。今思えば、みんな、とても若かった。ドゥミは当時29歳、ゴダールが30歳。生き残っているのは、アニエス・ヴァルダとゴダール、そして私だけになってしまいました。

――― 結果的にそのときは買い付けをされませんでしたね?
非常に悩みました。ゴダールの『女は女である』にするか、それとも『ローラ』にするか… 個人的には『ローラ』にとても魅せられたのですが、ゴダールを推していこうという気持ちが強く、『ローラ』への思いを封印してしまったのです。一番の理由は、当時は、今のように、自由経済ではなく、本数、金額など、制限があったからです。

『ローラ』は、今でこそ皆さんの心に響くものがあると思うのですが、あの時代にこの作品を選択するという決断はなかなか難しいものでした。旅立ち、不在、再会、すれ違いといった、普遍的なテーマが主流を占めていますが、同時に、『ローラ』はあの時代の現実を切り取っていた。アルジェリア戦争、シングルマザーの問題……当時、中絶や避妊は、禁止されていました。教会の力も絶対でした。今では信じられないことかもしれませんが。

Lola-3.jpg映画では、シングルマザーになってしまったキャバレーの女が、子供と一緒に生きています。幼なじみのローランに思いを告白されても、音信不通の恋人の愛を信じているわけです。背景には、戦争という過酷な現実がある。「戦争で多くのものを失ってしまった」ことを、軽く表現しているのは、まともに取り組んでしまうと検閲に引っかかってしまうからです。この少し前、ゴダールも『小さな兵隊』という作品でアルジェリア戦争を取り上げ、上映禁止になってしまった厳しい事実がありました。ローランが社長に呼び出され、首になる場面で、アンドレ・マルローの小説『人間の条件』を話すところがありますが、当時、マルローは文化相であり、つまり、検閲の長。作家としての彼へのオマージュと批判が込められた重要な場面です。

――― アルジェリア戦争が終わって、ドゥミの主題は凝縮され、『シェルブールの雨傘』となっていきます。
 『ローラ』のローランが再登場し、ドヌーヴが演じた主人公を助けます。未婚の母ではいけない、と。実際に、ドヌーヴはロジェ・ヴァディムの子供を授かりますが、彼はジェーン・フォンダと結婚してアメリカに行ってしまったのです。不道徳だと社会から非難されながらも、子供を産む……絶望している彼女に手を差し伸べたのがドゥミだったのです。そのことを考えれば、決して優しいだけの、単純な映画作家ではないと思います。

Lola-b2.jpg――― 確かに、ドゥミはミュージカルの巨匠として知られていますね?
ノスタルジックで優しい映画だわ、と語られがちですが、決して、一枚板ではなく、何重底にもなっている深さがある。そのもっとも深いところで、少年の記憶を大切に持っている人でしょう。

――― ヌーヴェル・ヴァーグについて
今や神話化されたイメージで語られがちですが、 現実は厳しい戦いでした。すべての人に才能があったわけではなく、実際は5,6人しか生き残れなかったんです。その5,6人ですら、浮き沈みがありました。映画というのは、時間を経て冷静に観るとき、そのような背景も考えあわせ、映画の流れのなかで、評価することも大切だと思います。今回の映画祭で、クラシック映画として、『ローラ』が加えられたのは、とても大切だと思います。
 


 秦さんは、『影の部分』(リトルモア刊)という著書でも、この時代について語っている。「時代錯誤のおばあさんの話」と自嘲しながらも、「あの頃は、皆さん情熱があった。いつの時代にも情熱は必要」と語る口調には、若い人たちへ向けたまなざしが感じられた。

 

Wellington-b550.jpg『ウェリントン将軍〜ナポレオンを倒した男(仮)』監督、バレリア・サルミエント トーク<フランス映画祭2013>

Wellington-1.jpgLines Of Wellington  2012年 フランス=ポルトガル 152分)

監督:バレリア・サルミエント
出演:ジョン・マルコヴィッチ、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ、ミシェル・ピコリ、イザベル・ユペール、キアラ・マストロヤンニ、メルヴィル・プポー 他

2012年 ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門 正式出品作品
※2014年、シネスイッチ銀座他全国順次公開(配給:アルシネテラン) 


 

〜戦争はいつの時代にあっても悲しく、いたましい〜 

 

Wellington-2.jpg 1810年、ナポレオン皇帝の命により、マッセナ元帥(メルヴィル・プポー)はポルトガル征服を企てる。対峙するのは、ナポレオンの宿敵、ウェリントン将軍(ジョン・マルコヴィッチ)が率いるイギリス・ポルトガル連合軍。ナポレオンがポルトガルに侵攻してからから撤退するまでの間、ウェリントン将軍が張った防衛線のもとで、さまざまな人々の人生が交差し、スクリーンの上で語られる。チリ出身の巨匠、ラウル・ルイス監督は、本作に取り組んだものの撮影前の2011年に他界。ラウルの伴侶であったバレリア・サルミエントがその遺志を継ぎ、メガホンをとった。

  戦争は、何時にあっても何処においても、同じように悲しい。巻き込まれ、犠牲となるのはいつも弱者である。多くの女性や子供たちが心を踏みにじられるさまは、女性監督だからこそ成し得た描写なのだろうか。心休まるのは、短いシーンでときおり登場する、多くの名優たちだ。華やかな大スターの存在が、「今起こっているのは現実ではない、映画の出来事なんだ」と一瞬でも感じさせてくれる。たとえこれが歴史的史実に基づいた作品であったとしても。 

(田中 明花)


映画上映終了後、バレリア・サルミエント監督が登壇。昨年の同映画祭で上映された『ミステリーズ 運命のリスボン』の故ラウル・ルイス監督の最後のプロジェクトを引き継ぎ、本作を完成させた。東京フィルメックスの市山尚三プログラミング・ディレクターの進行で、観客席とのQ&Aが行われた。

まず、市山氏より、制作の経緯についての質問が出された。

Wellington-b1.jpgバレリア・サルミエント監督:ブサコの戦い(ナポレオン軍のポルトガル撤退)があってから200周年ということで、映画の舞台となった、ポルトガルのトレス・ヴェドラスからオファーがありました。 まず、プロデューサーのパウロ・ブランコさんに依頼があり、脚本のカルロス・サボガさんが決まり、ラウル・ルイス監督(以下ラウル)へ話が来たのです。 精力的に準備を進めていたラウルですが、残念なことに健康を害してしまい、撮影が始まる前に世を去ってしまいました。それでも、彼の魂はいつも私のもとにあり、撮影の間ずっと付き添ってくれました。

――― 原作はあったのでしょうか?
バレリア・サルミエント監督:数々の歴史的証言—— マルコ将軍の回顧録や、英国人の手記などを参考に、物語をつくりました。


続いて、観客席から次々に質問が寄せられた。

Wellington-3.jpg――― この作品を通してもっとも伝えたかったことは?
バレリア・サルミエント監督:この戦争が、私たちにどのような結果をもたらしたのか、今日のヨーロッパがいかに残酷な事実を経た上で成り立っているのか、それを伝えたいと思いました。ヨーロッパの現在の政治的状況などを考えると、このような映画をつくることには大きな意味があると感じたのです。
 敗北の歴史だからでしょうか。フランスでも、この史実についてはなかなか語られないのが現状ですが、ポルトガルにおける敗北というのは、後々に因縁を持つウェリントン将軍との最初に対峙した場所であるという点が興味深いと思います。

――― 国際的なスター俳優がたくさん出演されていますね。
バレリア・サルミエント監督:ラウルの作品に出演した彼らは、ラウルにオマージュを捧げる思いで参加してくださいました。

Wellington-b2.jpg――― 参考資料について
バレリア・サルミエント監督:マチュー・アマルリックが演じたマルコ将軍の回顧録の中で、彼はマッセナの悪口を書いています。「マッセナは愛人のことばかりにかまけていて、ちゃんと戦争をしていないじゃないか」と(笑)。
 資料として特に面白いと思ったのは、当時の戦場を描いたデッサン(英国側が残したものが多かった)が、ポルトガルのロケハンで役立ちました。有名ではない戦場が描かれていたので。また、当時ポルトガルで仕事をしていた英国人らが書いた手記が役立ちました。その1つが、映画に登場したクラリッサという若い女性が書いた手記です。 

――― ジョン・マルコヴィッチの大ファンです。彼の魅力、撮影現場でのエピソードなどを教えてください。 
バレリア・サルミエント監督:ジョンは、ラウルのとてもいい友人でした。穏やかで優しく、それは私に対しても変わらず、仕事をしている間、とても心地よい時間を過ごしました。そして、虚栄心に満ちた人物(=ウェリントン将軍)を見事に演じてくれた、偉大な俳優でもあります。

――― ナポレオンによく似た構図のウェリントンの肖像画がありましたが、歴史的事実に基づいたものなのでしょうか? あのような肖像画が、実際に存在しています。
バレリア・サルミエント監督:ウェリントンは生まれ年もナポレオンと同じく、お互いに意識しあっていました。そのライバル心が、肖像画にも表れていると思います。映画に登場した画家も実在し、ナポレオン侵攻の絵を残しています。
  映画の中で、ウェリントンは手を隠していましたね。なぜ手を隠すかというと、当時は手を描くと、画家にその分の料金を請求されてしまうからだそうです(笑)。

――― フランスの若い観客の反応はどうだったのでしょうか?
バレリア・サルミエント監督:驚いていたと思います。学校で歴史は学びますが、フランスの若い世代はポルトガルのことは教わりません。また、彼らにとって戦争は遠い存在です。だからこそ、戦争を学ぶのに映画はとても入りやすい手段だと思います。


 上映された6月23日は、沖縄の「慰霊の日」(太平洋戦争において沖縄戦が終結した日)にあたる。その思いと重ね合わせたという観客の声があり、一瞬、会場全体が鎮魂の空気に包まれたように感じられた。