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『ローラ』 LOLA  秦早穂子さんトーク<フランス映画祭2013>

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『ローラ』  LOLA  秦早穂子さんトーク<フランス映画祭2013>

監督: ジャック・ドゥミ
撮影:ラウール・クタール
音楽:ミシェル・ルグラン
歌詞:アニエス・ヴァルダ
美術・衣装:ベルナール・エヴァン
出演:アヌーク・エーメ、マルク・ミシェル、ジャック・アルダン、アラン・スコット、エリナ・ラブールデット、アニー・デュペルー 他

(1961年 フランス 85分 モノラル *協力:シネタマリス)

※2012年、グルーパマ・ガン映画財団と映画文化遺産のためのテクニカラー財団により、デジタル修復が行われた(完全版)


 

〜『シェルブールの雨傘』の前身ともなった、ジャック・ドゥミ監督の長編デビュー作〜

 

 港町、ナント。寄港したアメリカの軍艦から降りる水兵たちの前を、1台の高級車が通り過ぎるところから物語は始まる。

Lola-2.jpg この町の生活に辟易する青年、ローラン(マルク・ミシェル)は、読書に夢中になりすぎて遅刻を重ね、会社をクビになる。自分探しの旅に出ようと考えていたとき、幼なじみのローラことセシル(アヌーク・エーメ)と思わぬ再会をする。幼い息子を抱え、キャバレーの踊り子として生きる彼女に「愛している」と打ち明けるローラン。しかしローラは息子の父親である水兵・ミシェルの帰還を7年間信じ、これからも待ち続けたいと語る。

 わずか3日間の人間模様。主人公のローランとローラの物語を軸に、さまざまな人物が出会い、すれ違い、それぞれの生き様を表現する。カフェで、本屋で、街角で交わされる短い会話の数々にノスタルジックな温かさが垣間みられる。祭りの日、水兵フランキー(アラン・スコット)と少女セシル(アニー・デュペルー)が遊園地で無邪気にはしゃぐシーンは、まるで一編の詩のようだ。二度と訪れることのない束の間の幸福、その心地よい切なさ……バックに流れるバロックの調べがとても似合っていた。

(田中 明花)



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 上映終了後、フランス映画の配給に尽力した、映画評論家・秦早穂子さんが登壇。秦さんは、ジャン・リュック・ゴダール監督の長編第1作『勝手にしやがれ』(1959年)の買い付けを担当、日本にゴダールの名を広めた立役者として知られている。東京フィルメックス・プログラミング・ディレクターの市山尚三さんが聞き手となり、トークショーが開催された。

 

――― 第1回フランス映画祭は、1953年だったと先ほど伺いました。今年が60周年にあたるのですね?
当時日本で大人気だったジェラール・フィリップ、監督のアンドレ・カイヤット、女優のシモーヌ・シモンが来日しました。私どもが主催する会で、フィリップに『星の王子さま』の朗読をしてもらったのを覚えています。

――― 『ローラ』を初めてご覧になったのは?
1961年の初めに、ヌイイーの撮影所で観ました。試写のとき、いつもは緊張するのですが、その緊張を忘れるくらい魅了されてしまったんです。スタジオには、ジャック・ドゥミをはじめ、ゴダール、トリュフォー、アニエス・ヴァルダ、製作者のジョルジュ・ド・ボールガールたちもいて。シャブロールはわけあって、来ませんでした。終わってから初めて出会ったドゥミと軽く挨拶を交わしたのですが、少年のような目を持った礼儀正しい印象を受けました。今思えば、みんな、とても若かった。ドゥミは当時29歳、ゴダールが30歳。生き残っているのは、アニエス・ヴァルダとゴダール、そして私だけになってしまいました。

――― 結果的にそのときは買い付けをされませんでしたね?
非常に悩みました。ゴダールの『女は女である』にするか、それとも『ローラ』にするか… 個人的には『ローラ』にとても魅せられたのですが、ゴダールを推していこうという気持ちが強く、『ローラ』への思いを封印してしまったのです。一番の理由は、当時は、今のように、自由経済ではなく、本数、金額など、制限があったからです。

『ローラ』は、今でこそ皆さんの心に響くものがあると思うのですが、あの時代にこの作品を選択するという決断はなかなか難しいものでした。旅立ち、不在、再会、すれ違いといった、普遍的なテーマが主流を占めていますが、同時に、『ローラ』はあの時代の現実を切り取っていた。アルジェリア戦争、シングルマザーの問題……当時、中絶や避妊は、禁止されていました。教会の力も絶対でした。今では信じられないことかもしれませんが。

Lola-3.jpg映画では、シングルマザーになってしまったキャバレーの女が、子供と一緒に生きています。幼なじみのローランに思いを告白されても、音信不通の恋人の愛を信じているわけです。背景には、戦争という過酷な現実がある。「戦争で多くのものを失ってしまった」ことを、軽く表現しているのは、まともに取り組んでしまうと検閲に引っかかってしまうからです。この少し前、ゴダールも『小さな兵隊』という作品でアルジェリア戦争を取り上げ、上映禁止になってしまった厳しい事実がありました。ローランが社長に呼び出され、首になる場面で、アンドレ・マルローの小説『人間の条件』を話すところがありますが、当時、マルローは文化相であり、つまり、検閲の長。作家としての彼へのオマージュと批判が込められた重要な場面です。

――― アルジェリア戦争が終わって、ドゥミの主題は凝縮され、『シェルブールの雨傘』となっていきます。
 『ローラ』のローランが再登場し、ドヌーヴが演じた主人公を助けます。未婚の母ではいけない、と。実際に、ドヌーヴはロジェ・ヴァディムの子供を授かりますが、彼はジェーン・フォンダと結婚してアメリカに行ってしまったのです。不道徳だと社会から非難されながらも、子供を産む……絶望している彼女に手を差し伸べたのがドゥミだったのです。そのことを考えれば、決して優しいだけの、単純な映画作家ではないと思います。

Lola-b2.jpg――― 確かに、ドゥミはミュージカルの巨匠として知られていますね?
ノスタルジックで優しい映画だわ、と語られがちですが、決して、一枚板ではなく、何重底にもなっている深さがある。そのもっとも深いところで、少年の記憶を大切に持っている人でしょう。

――― ヌーヴェル・ヴァーグについて
今や神話化されたイメージで語られがちですが、 現実は厳しい戦いでした。すべての人に才能があったわけではなく、実際は5,6人しか生き残れなかったんです。その5,6人ですら、浮き沈みがありました。映画というのは、時間を経て冷静に観るとき、そのような背景も考えあわせ、映画の流れのなかで、評価することも大切だと思います。今回の映画祭で、クラシック映画として、『ローラ』が加えられたのは、とても大切だと思います。
 


 秦さんは、『影の部分』(リトルモア刊)という著書でも、この時代について語っている。「時代錯誤のおばあさんの話」と自嘲しながらも、「あの頃は、皆さん情熱があった。いつの時代にも情熱は必要」と語る口調には、若い人たちへ向けたまなざしが感じられた。