映画祭シネルフレ独自取材による映画祭レポートをお届けします。

2017年11月アーカイブ

健忘村-tolk-500.jpg

チェン・ユーシュン監督、ダークコメディー『健忘村』に込めた思いを語る。@第9回京都ヒストリカ国際映画祭
登壇者:チェン・ユーシュン氏(監督) 
    飯星恵子氏(作家・タレント+ヒストリカ・ナビゲーター)
 

~権力を手にすると人はどうなるのか。

支配する側とされる側が記憶操作で入れ替わる、示唆深いダークコメディー~

 
10月28日から開催中の第9回京都ヒストリカ国際映画祭。7日目となる11月4日は、ヒストリカワールド作品として、『健忘村』(17台湾・中国)が上映された。中華民国設立直後の山村を舞台に、スー・チー、ワン・チエンユエン、 ジョセフ・チャン、リン・メイシュウ、トニー・ヤン、エリック・ツァンと豪華出演陣が繰り広げるブラックコメディー。とりわけ、記憶を消すことができるマシン「憂い忘れ」の造形や仕組みのユニークさは、衝撃的だ。記憶を消去するたびに変わる村人たちの態度や、支配者の入れ替わる姿が非常に示唆深い作品だ。上映後は、ヒストリカ・ナビゲーターの飯星恵子氏が聞き手となり、『ラブゴーゴー』(97)以来の来京を果たしたチェン・ユーシュン監督のトークショーが行われた。
 
 
健忘村-500.jpg
 
『祝宴!シェフ』(13)の前に、既に脳の記憶に関する短編を撮っていたというユーシェン監督。元々それを長編にしたいという思いがある中、台湾の社会的問題がネットで話題になっても1週間で忘れられてしまう状況に、人の記憶の忘れやすさを痛感し『健忘村』を撮影したと制作の経緯を明かした。辛い記憶を忘れさせるツールとしてマシン(「憂い忘れ」)を使うことで、別の意図が発生すると指摘したユーチェン氏。飯星氏から「忘れることができていいなと思う一方で、恐怖を覚えるホラーのように感じた人もいるようです」と話を振られると、「元来コメディーが得意ですが、ここ数年、推理モノやホラーも加えることを考えました。記憶を喪失するのは嬉しいことなのか、怖いことなのかは場合によると思います」と色々な意味が内在していることを示した。
 
健忘村-tolk-550.jpg
 
飯星氏からマシンのデザインのこだわりについて話が及ぶと、「マシンのデザインは長期間練りに練り、何度も修正しながらデザインを考えました。昔の時代のものやドイツのナチスが処刑に使ったもの、第二次世界大戦中実際に使っていたものなど、色々参考にしました」。さらに、頭に載せることができる固定式であまり動かないバージョンと、3層になり頭に載せられないバージョンの2種類を用意。とても精巧なものなので、現場で俳優陣も丁寧に扱ってもらっても壊れることが多く、美術部は大変だったとの裏話もユーチェン監督は披露した。
 
個性豊かなキャラクターが多いのもユーチェン監督作品ならでは。『祝宴!シェフ』よりキャストが多く、「それぞれの役割で個性を変えているのに加え、「憂い忘れ」の兜をかぶると個性が変わるので、多い人は3種類も個性を演じなければならない。ジョセフ・チャンも2種類の個性を演じましたし、本当に大変。毎日ホテルで自分が、「憂い忘れ」をかぶり、忘れてしまいたいと思いました」と演出面の苦労は相当のものだったようだ。
 

健忘村-tolk-240-1.jpg

秋蓉演じるスーチーが足に鎖をつながれた姿で登場したことに、監督作品らしくないと驚いた飯星氏。ユーチェン監督は、「100年前、特に女性は不自由な時代。夫婦でも男性が女性を牛耳り、役人は手下を牛耳る。スーチーが演じる、虐げられていた女性が最後は権利を奪い取る展開になっています。支配する側とされる側。愛情のある夫婦の間にも上下関係があります。寓意的な意味での政治的なことが、あらゆる場面に隠れているのです。政治的なことは本来恐ろしいことですが、それをラブコメディーでオブラートに包んでいます」と今までにない深い意味が込めた作品であることを示唆した。
 
スーチー演じるヒロインが村長になり「ここが桃源郷なのね」と呟くラストシーンがスカッとしたという飯星氏の意見に、「元々は虐げられていた女性が村長にのしあがり、権力を手にする。そうなると、どんなに善意がある人でもまた悪行をしでかしてしまう。当初はスーチーを独裁者のようなふるまいをするヒロインにしようとしたのですが、お正月映画だったのでブラックユーモアではなく明るい結末にしました」と試行錯誤をしたことも明かした。そのスーチーは、キャスティング時に村の女性役だったリン・メイシュウを「同じような役ばかり」と監督にアドバイス。その結果、盗賊団の長である郵便局員という重要な役どころになり、作品中でも初めての配達用自転車に上手く乗れないシーンで、見事な転倒ぷりを披露。ユーチェン監督も「男性の長を女性の長に変えました。スーチーさんの一言のおかげ」と感謝した。
 

健忘村-tolk-240-2.jpg

ユーチェン監督作品は、音楽のユニークさが作品のゆるく楽しい雰囲気に反映されているのも特徴の一つ。『健忘村』でも常にアカペラ(ボイスパーカッション)の盗賊団が笑いを誘う。その発想については、「7人いればバンドを組むことができる。楽器を持ちながらだと(アクションに)不便なので口で楽器替わりをし、殺人をするときに音楽を流したら面白いと考えました。俳優が7人もいると上手な人もいれば、リズム感ゼロ、音感ゼロ、歌詞が覚えられないと大変でしたが、殺人の場面を撮るため、音楽の授業、体育の授業に何カ月もかけてやっと撮れたのです」。また時代物ならではの苦労もあったようで、「何十年も台湾では時代物を撮っていないので、香港や大陸から美術の方を招き、お金もかけました。貧しい村なので馬だと高貴すぎると、ロバを用意しましたが、台湾にはほとんどいないのでアメリカから輸入しました。ロバはなかなか演じてくれず、叱りたいけれど、英語しか分からないのでそれは大変でした」。
 
最後にこれからの映画制作について飯星氏に聞かれたユーチェン監督。体力的にあと数本ぐらいとしながら、「撮りたいストーリーを持ってはいるが、映画を撮るのは大変。私の映画制作が(十何年も)時間がかかったのもそのせいです。観客がそれを望んだり、肯定してくれたり、賞を受賞することで自信が持てると思いますが、自分の個性を活かせる映画を撮り続けていけたらと思います」と、培ってきた個性を大事に、映画を撮り続けることを表明しトークショーは終了した。終了後もサインや写真撮影の依頼に快く応え、大パネルの前で、大勢のファンと交流したチェン・ユーシュン監督。台湾映画らしいふわりとした緩さと、記憶を操作された人間の滑稽さが怖さにも映るダークぶりが癖になる。そこに秘められた狙いに思いを馳せると、また別の味わいが出てくるだろう。ユーシュン監督の新境地ともいえる作品だ。
(江口由美)
 
第9回京都ヒストリカ国際映画祭はコチラ 
 
grainprize.jpg
 
11月3日(金・祝)に閉幕した第30回東京国際映画祭。最終日にコンペティション部門、アジアの未来部門、日本映画スプラッシュ部門の審査結果および観客賞が発表された。今年の東京グランプリに輝いたのは、審査委員長のトミー・リー・ジョーンズ氏が、「この美しい撮影法に感銘を受け、神話を現実として捉えている内容が素敵だと思いました。神話的な体験を通して、共通の認識を得るという体験です」と講評したトルコの名匠、セミフ・カプランオール監督の『グレイン』。最優秀監督賞は、エドモンド・ヨウ監督(『アケラット-ロヒンギャの祈り』)が2度目のコンペディション部門出品で、初の栄光を手にした。また、観客賞には3年ぶりに日本映画『勝手にふるえてろ』が受賞した。以下本年度の受賞結果と受賞コメント、最後にトミー・リー・ジョーンズ審査委員長の総評を紹介したい。
 
<コンペティション>
grain.jpg
東京グランプリ/東京都知事賞 『グレイン』(監督: セミフ・カプランオール)
「実は今回の映画は⻑い旅路を経てきました。というのも製作に5 年かかりました。そして、今回ここから世界に向かって広がっていく出発点になると思っております。今回の制作に携わってくださった私の様々な友⼈たち、チーム、特に俳優のジャン=マルク・バールにお礼を申し上げたいです。彼は素晴らしい演技を⾒せてくれました。最後に、私たちは世界に様々な害を与えています。私たちが⽣きていくその全ての瞬間がその理由になってしまっています。その理由には過剰な消費があります。私たちはどこから来たのか、どこに向かっていくのか、こういったことを私たちは把握しなければいけない、理解しなければならないと思っています。私は監督として⼤地や種⼦、創造されることに敬意を払いながら作品を作りました。この作品を作ることを神が導いてくれたと思っています。」
 
 
akerat.jpg
 
最優秀監督賞 エドモンド・ヨウ(『アケラット-ロヒンギャの祈り』)
「私たちクルーは 20 ⼈未満 で、⾃分たちのことを“アケラットファミリー”と呼んでいました。ダフネはこの映画のために詩を書いたりしてくれました。ほとんどのスタッフがこの映画に登場します。映画⾃体は、12 ⽇間⾬の中作っていました。先ほど私のミューズのような存在であるダフネが、東京ジェムストーン賞を取った時は泣きそうになりました。クルーの皆に感謝をしたいと思います。東京国際映画祭に来まして、普段映画を作っていると⼀⼈になったような気になってしまうのですが、世界各国の監督と知り合いになって、映画を作っている⼈はみんな家族なのだと強く思います。⼀⼈の映画⼈としてこの作品を皆さんに観ていただき、感じていただきたい、やはり世界は平和にならなければいけないと強く思っております。」
 
審査委員特別賞 『ナポリ、輝きの陰で』(監督: シルヴィア・ルーツィ、ルカ・ベッリーノ)
最優秀女優賞 アデリーヌ・デルミー(『マリリンヌ』)
最優秀男優賞 ドアン・イーホン(『迫り来る嵐』)
最優秀芸術貢献賞 『迫り来る嵐』(監督:ドン・ユエ)
最優秀脚本賞Presented by WOWOW:『ペット安楽死請負人』(監督・脚本:テーム・ニッキ)
観客賞 『勝手にふるえてろ』(監督:大九明子)
東京ジェムストーン賞 松岡茉優、石橋静河、アデリーヌ・デルミー、ダフネ・ロー
 
<アジアの未来>
作品賞 『僕の帰る場所』(監督: 藤元明緒)
国際交流基金アジアセンター特別賞 藤元明緒『僕の帰る場所』
スペシャルメンション 『老いた野獣』 (監督:チョウ・ズーヤン)
 
<日本映画スプラッシュ>
作品賞 『Of Love and Law』(監督:戸田ひかる)
 
<トミー・リー・ジョーンズ審査委員長 総評>
「最良の映画祭というのは、映画製作者や観客を厳しい商業的需要から開放すべきものだと思います。私たちは、カークラッシュやレンズに銃⼝を向けたり、都市が爆発したり凍ったり、危機に陥っている⼥性、思春期のスーパーヒーローなども必要としません。それを悪いことだと⾔っているのではなく、ただ私たちはそれを必須とみなしておりません。最良であれば、映画祭というものは理路整然とした物語、視覚的な美しさ、そして観客の時間をしかるべき注意と 努⼒で向上させるという映画の持つ責任を開放しません。私たち映画製作者はみなさんの時間を無駄にするため に⽣まれてきたのではなくより良いものにするために⽣まれました。そして皆さんに対し、謙虚な⼼と希望をもって仕える者ということをこの審査員を代表して申し上げます。」
 
silk-tolk-500.jpg
原作者アレッサンドロ・バリッコ氏が語る「絹」と映画『シルク』@第9回京都ヒストリカ国際映画祭
登壇者:アレッサンドロ・バリッコ氏(作家) 
    中井美訪子氏(聞き手、通訳)
 

~原作で一番感じるのは淋しさよりも、人生色々なことがあるという「驚き」~

 
10月28日から開催中の第9回京都ヒストリカ国際映画祭。4日目となる11月1日は、特別招待作品として、仏と幕末日本で織りなされる愛の物語『シルク』(07日本・カナダ・イタリア)がフィルム上映された。マイケル・ピット、キーラ・ナイトレイ、アルフレッド・モリーナという豪華出演陣に加え、日本パートでは主人公エルヴェが心を寄せる謎めいた少女を芦名星が演じた他、役所広司、國村隼、本郷奏多らが出演。中谷美紀も最後に得るヴェへ重大な秘密を明かすパリ在住の夫人役で見事な存在感を見せる。シルク・ドゥ・ソレイユの演出でも知られるフランソワ・ジラール監督が、見事な映像美で神秘的な日本での情景を描き出し、坂本龍一の音楽が情感を静かに掻き立てる。まさにシルクのように滑らかで美しく、そして切ない物語だ。
 
『シルク』上映後、原作者であり、イタリアを代表する作家として多方面で活躍しているアレッサンドロ・バリッコ氏が登壇し、原作本となった「絹」の執筆秘話や、映画化の裏話をざっくばらんに語って下さった。聞き手、通訳として登壇した中井美訪子氏とのトークショーの模様をご紹介したい。
 

silk-550.jpg

■チェスをしているように、一つ一つの章を丁寧に書いた、小さな本「絹」(seta)

映画化されましたが、原作は本当に薄い、小さな本です。章が小さく、中には4行で終わる章もありますが、一つ一つの章を丁寧に書きました。まるでチェスをしているような気分で、とてもコントロールされた感じで書けた印象があります。イタリアではこの本が出版されたとき、日本の俳句を集めているようだとまで言われたものです。実はこの物語は自分のために書きたかった。ですから、出版社にこの物語ができた時、「あまりにも短いのでゴメン」と言ったのです。「今回の本はとても短いけれど、次の本はかなり分厚い本になるから、そちらは成功すると思うよ」と伝えました。実際には、この小さな本「絹」(seta)は僕の人生で一番ヒットした作品になったのです。
 

■友人の祖先の実話と、祖先が残した日記帳から、19世紀にヨーロッパ人が想像していた日本を描く。

silk-240-1.jpg

これを書いた当時、まだ僕は日本に行ったこともなければ、特別行きたくもなかった。この物語は、イタリア人の友達がその友達の祖先の話を聞いたこと、祖先の日記帳を見つけたことが発端でした。その祖先は蚕の卵を買い付ける仕事をしていたのです。イタリアから毎年日本まで買いに行ったという話を聞いた時、僕の頭の中で物語がグルグル周り出しました。卵が孵化するまでに急いでイタリアへ帰らねばならず、温度を低くするために車両を貸し切って氷詰めにしていた。それがクレイジーだけれど、とても魅力的だったのです。当時日本は、ヨーロッパでも未知の世界でしたが、そうして届いた蚕の卵から、美しい女性が身にまとうシルクの服飾品に変わっていった。冒険だけでなく、美やミステリーなど魅力的な要素がたくさんありました。そして、ヨーロッパから日本に行く話を語りたいと思いました。僕がシルクで書いた日本は19世紀にヨーロッパ人が想像していた日本、つまり伝説のようなものです。19世紀に日本に来たヨーロッパ人はほんのわずかでしたから、当時の人たちは日本のことは噂で聞いたことぐらいでしか知り得なかったのです。
 

■エルヴェが日本で出会う謎めいた女性を日本人にしたのは、ジラール監督の強いこだわりだった。

silk-240-4.jpg

自分の本が映画化される時、全然違うものになることは受け入れています。フランソワ・ジラール監督は、『グレン・グールドをめぐる32章』(93)をとても気に入っているし、イギリスで僕が書いた『ノヴェチェント』も舞台監督として舞台化してくれ、尊敬している監督です。他にも「絹」映画化のオファーはたくさんありましたが、それらは断り、イタリア人プロデューサーと相談してジラール監督に決めました。全体的には原作とかなり近い仕上がりですが、一番大きく違うのは、主人公エルヴェが日本で出会う女性が原作では西洋人だったことです。監督とこの点については結構話し合いました。監督は日本のエロチシズムについてアイデアを持っていたので、「女性は日本人」であることは譲らなかった。東洋人女性が出ているのは原作とは違う点でした。

 

■映画は原作より淋しげ。原作で一番感じるのは「驚き」だった。

あとは作品の雰囲気が違います。映画の方が原作よりも寂しい気がします。原作の中では悲劇的なことがたくさん起こるのですが、何よりも一番感じるのは驚きでした。人生はこれだけ色々なことがあるという驚きがポイント。主人公のエルヴェは原作では淋しいキャラクターではなく、イキイキして色々なことをたくさん味わいたい人物ですが、映画では少し暗いキャラクターになっていますね。ラストシーンの語り方も、映画では心の中が壊れているようです。原作では明かりや光で満ちています。エルヴェが、風が湖の平面を色々動かしていくのを眺めている。とても小さく軽い動き、湖の表面が風で色々な方向にいくのを眺め、「僕の人生はこういう感じなのだ」と思う。風の中で動く、晴れ晴れして落ち着いた湖という感じに描いています。映画が淋し気なのは、ジラール監督が僕より切ない性格だからかもしれません。
 

■主人公の妻エレーヌ役に、キーラ・ナイトレイは美しすぎた!?

silk-240-5.jpg

僕の原作がそのまま映画になっていると感じた箇所もあります。例えばパルダビュー(フランスの蚕商人)を演じるアルフレッド・モリーナは物語で描いた通りの商人像ですし、主人公の妻、エレーヌ役のキーラ・ナイトレイは『パイレーツ・オブ・カリビアン』でいい女優さんだと思ったら、僕の映画に違う感じの役で出演してくれたので、うれしかった。僕の原作ではエレーヌについて書いた箇所は少なく、あまり印象に残りません。もう一人の東洋で出会う女性の方が、存在感があります。原作では、エレーヌのキャラクターを丁寧で、少ない言葉でありながら、存在感があるように書きました。途中で登場する手紙を、実際は妻のエレーヌが書いたと分かった時、サプライズをもたらすようにしたかったのです。これを映画で表すのはとても難しいことでした。映画の4分の3の間キーラ・ナイトレイを隠すのは無理な話です。キーラ・ナイトレイが現れた時から、観客は「彼女は凄いことをするに違いない」と思うはずです。ジラール監督にはもう少し美しくなく、目立たない女優さんにした方がいいのではないかと助言しましたが、監督は「こんなに高い映画を作るのに、きれいな女優さんがいなければどうするんだ」と。私の小説が原作の『海の上のピアニスト』でジュゼッペ・トルナトーレ監督にも同じことを言われました。(原作とニュアンスや話が変わっても、美しい女優を登場させることが)映画を作るルールになっているようです。
 

silk-240-3.jpg

原作と映画の違いにも着目したアレッサンドロ・バリッコ氏によるトークショー。最後には、「絹」の一節をバリッコ氏が朗読し、流れるような美しいイタリア語に観客の皆さんも聞き惚れる、とても貴重な時間となった。最後に人生を噛みしめ、希望を抱くエルヴェを描いた原作「絹」も読んでみたいと思わせるトークショーだった。
(江口由美)
 
第9回京都ヒストリカ国際映画祭はコチラ