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原作者アレッサンドロ・バリッコ氏が語る「絹」と映画『シルク』 @第9回京都ヒストリカ国際映画祭

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原作者アレッサンドロ・バリッコ氏が語る「絹」と映画『シルク』@第9回京都ヒストリカ国際映画祭
登壇者:アレッサンドロ・バリッコ氏(作家) 
    中井美訪子氏(聞き手、通訳)
 

~原作で一番感じるのは淋しさよりも、人生色々なことがあるという「驚き」~

 
10月28日から開催中の第9回京都ヒストリカ国際映画祭。4日目となる11月1日は、特別招待作品として、仏と幕末日本で織りなされる愛の物語『シルク』(07日本・カナダ・イタリア)がフィルム上映された。マイケル・ピット、キーラ・ナイトレイ、アルフレッド・モリーナという豪華出演陣に加え、日本パートでは主人公エルヴェが心を寄せる謎めいた少女を芦名星が演じた他、役所広司、國村隼、本郷奏多らが出演。中谷美紀も最後に得るヴェへ重大な秘密を明かすパリ在住の夫人役で見事な存在感を見せる。シルク・ドゥ・ソレイユの演出でも知られるフランソワ・ジラール監督が、見事な映像美で神秘的な日本での情景を描き出し、坂本龍一の音楽が情感を静かに掻き立てる。まさにシルクのように滑らかで美しく、そして切ない物語だ。
 
『シルク』上映後、原作者であり、イタリアを代表する作家として多方面で活躍しているアレッサンドロ・バリッコ氏が登壇し、原作本となった「絹」の執筆秘話や、映画化の裏話をざっくばらんに語って下さった。聞き手、通訳として登壇した中井美訪子氏とのトークショーの模様をご紹介したい。
 

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■チェスをしているように、一つ一つの章を丁寧に書いた、小さな本「絹」(seta)

映画化されましたが、原作は本当に薄い、小さな本です。章が小さく、中には4行で終わる章もありますが、一つ一つの章を丁寧に書きました。まるでチェスをしているような気分で、とてもコントロールされた感じで書けた印象があります。イタリアではこの本が出版されたとき、日本の俳句を集めているようだとまで言われたものです。実はこの物語は自分のために書きたかった。ですから、出版社にこの物語ができた時、「あまりにも短いのでゴメン」と言ったのです。「今回の本はとても短いけれど、次の本はかなり分厚い本になるから、そちらは成功すると思うよ」と伝えました。実際には、この小さな本「絹」(seta)は僕の人生で一番ヒットした作品になったのです。
 

■友人の祖先の実話と、祖先が残した日記帳から、19世紀にヨーロッパ人が想像していた日本を描く。

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これを書いた当時、まだ僕は日本に行ったこともなければ、特別行きたくもなかった。この物語は、イタリア人の友達がその友達の祖先の話を聞いたこと、祖先の日記帳を見つけたことが発端でした。その祖先は蚕の卵を買い付ける仕事をしていたのです。イタリアから毎年日本まで買いに行ったという話を聞いた時、僕の頭の中で物語がグルグル周り出しました。卵が孵化するまでに急いでイタリアへ帰らねばならず、温度を低くするために車両を貸し切って氷詰めにしていた。それがクレイジーだけれど、とても魅力的だったのです。当時日本は、ヨーロッパでも未知の世界でしたが、そうして届いた蚕の卵から、美しい女性が身にまとうシルクの服飾品に変わっていった。冒険だけでなく、美やミステリーなど魅力的な要素がたくさんありました。そして、ヨーロッパから日本に行く話を語りたいと思いました。僕がシルクで書いた日本は19世紀にヨーロッパ人が想像していた日本、つまり伝説のようなものです。19世紀に日本に来たヨーロッパ人はほんのわずかでしたから、当時の人たちは日本のことは噂で聞いたことぐらいでしか知り得なかったのです。
 

■エルヴェが日本で出会う謎めいた女性を日本人にしたのは、ジラール監督の強いこだわりだった。

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自分の本が映画化される時、全然違うものになることは受け入れています。フランソワ・ジラール監督は、『グレン・グールドをめぐる32章』(93)をとても気に入っているし、イギリスで僕が書いた『ノヴェチェント』も舞台監督として舞台化してくれ、尊敬している監督です。他にも「絹」映画化のオファーはたくさんありましたが、それらは断り、イタリア人プロデューサーと相談してジラール監督に決めました。全体的には原作とかなり近い仕上がりですが、一番大きく違うのは、主人公エルヴェが日本で出会う女性が原作では西洋人だったことです。監督とこの点については結構話し合いました。監督は日本のエロチシズムについてアイデアを持っていたので、「女性は日本人」であることは譲らなかった。東洋人女性が出ているのは原作とは違う点でした。

 

■映画は原作より淋しげ。原作で一番感じるのは「驚き」だった。

あとは作品の雰囲気が違います。映画の方が原作よりも寂しい気がします。原作の中では悲劇的なことがたくさん起こるのですが、何よりも一番感じるのは驚きでした。人生はこれだけ色々なことがあるという驚きがポイント。主人公のエルヴェは原作では淋しいキャラクターではなく、イキイキして色々なことをたくさん味わいたい人物ですが、映画では少し暗いキャラクターになっていますね。ラストシーンの語り方も、映画では心の中が壊れているようです。原作では明かりや光で満ちています。エルヴェが、風が湖の平面を色々動かしていくのを眺めている。とても小さく軽い動き、湖の表面が風で色々な方向にいくのを眺め、「僕の人生はこういう感じなのだ」と思う。風の中で動く、晴れ晴れして落ち着いた湖という感じに描いています。映画が淋し気なのは、ジラール監督が僕より切ない性格だからかもしれません。
 

■主人公の妻エレーヌ役に、キーラ・ナイトレイは美しすぎた!?

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僕の原作がそのまま映画になっていると感じた箇所もあります。例えばパルダビュー(フランスの蚕商人)を演じるアルフレッド・モリーナは物語で描いた通りの商人像ですし、主人公の妻、エレーヌ役のキーラ・ナイトレイは『パイレーツ・オブ・カリビアン』でいい女優さんだと思ったら、僕の映画に違う感じの役で出演してくれたので、うれしかった。僕の原作ではエレーヌについて書いた箇所は少なく、あまり印象に残りません。もう一人の東洋で出会う女性の方が、存在感があります。原作では、エレーヌのキャラクターを丁寧で、少ない言葉でありながら、存在感があるように書きました。途中で登場する手紙を、実際は妻のエレーヌが書いたと分かった時、サプライズをもたらすようにしたかったのです。これを映画で表すのはとても難しいことでした。映画の4分の3の間キーラ・ナイトレイを隠すのは無理な話です。キーラ・ナイトレイが現れた時から、観客は「彼女は凄いことをするに違いない」と思うはずです。ジラール監督にはもう少し美しくなく、目立たない女優さんにした方がいいのではないかと助言しましたが、監督は「こんなに高い映画を作るのに、きれいな女優さんがいなければどうするんだ」と。私の小説が原作の『海の上のピアニスト』でジュゼッペ・トルナトーレ監督にも同じことを言われました。(原作とニュアンスや話が変わっても、美しい女優を登場させることが)映画を作るルールになっているようです。
 

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原作と映画の違いにも着目したアレッサンドロ・バリッコ氏によるトークショー。最後には、「絹」の一節をバリッコ氏が朗読し、流れるような美しいイタリア語に観客の皆さんも聞き惚れる、とても貴重な時間となった。最後に人生を噛みしめ、希望を抱くエルヴェを描いた原作「絹」も読んでみたいと思わせるトークショーだった。
(江口由美)
 
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