映画祭シネルフレ独自取材による映画祭レポートをお届けします。

2015年6月アーカイブ

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『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督トークショー
 
『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』“Le Sel de la terre”
(2014年 フランス=ブラジル=イタリア 1時間50分)
監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
出演:セバスチャン・サルガド
提供:RESPECT 配給:RESPECT×トランスフォーマー
2015年8月1日(土)~Bunkamuraル・シネマ、8月8日(土)~シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、8月15日(土)~シネ・リーブル神戸、8月22日(土)~京都シネマ他全国ロードショー
© Sebastião Salgado © Donata Wenders © Sara Rangel © Juliano Ribeiro Salgado
 

~息子とヴィム・ヴェンダースが紐解く写真家セバスチャン・サルガド、40年の旅路~

 
60年代から40年にも渡って、地球を旅し、虐げられた者、移動せざるを得ない者、労働する者、長きにわたって部族の伝統を守り繋いでいる者、そして人類の営みに惑わされることなく生きる動物や雄大なる自然を、真っ直ぐに撮り続けてきた写真家セバスチャン・サルガド。彼の人生の歩みを写真と共に振り返ると共に、彼の家族人としてのもう一つの物語も語られていく。
 
セバスチャン・サルガドの息子であり映像作家のジュリアーノ・リベイロ・サルガドとヴィム・ヴェンダースが、写真の奥にあるセバスチャン・サルガドの視点、そして彼の実体験に迫るドキュメンタリー『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』。セバスチャン自身の独白だけでなく、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドやヴィム・ヴェンダースの語りが挿入され、セバスチャンの知られざる姿を多面的に浮かび上がらせる。
 
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撮影旅行に同行したときの映像では、セバスチャンの写真がなぜあれだけの力を持つのか、現地の人々と一体となっている様子からうかがい知ることができる。大虐殺の現場や、飢餓で亡くなっていく人々など、同じ人間のする残酷さに目を背けたくなるような写真もあるが、それも含めて、セバスチャンが今までカメラで捉えてきたものが今に伝えようとしていることは大きい。一方、セバスチャンが新たなる希望として掲げる「自然の再生」は、希望を失いがちないな現代を生きる私たちに力を与えてくれるのだ。
 
上映後のトークでは、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督が登壇し、「映画の中でセバスチャンが持っている希望を皆さんと分かち合えたならうれしいと思います」と挨拶。映画でも触れられている父、セバスチャン・サルガドとの関係や、ヴィム・ヴェンダース監督の考えた仕掛けについて、たっぷり語って下さった。その内容をご紹介したい。
 

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―――どのようにして、この企画が始まったのか?
ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督(以下監督):2009年から企画が始まりました。セバスチャンは南アメリカインディアンのゾエ族の写真を撮りに行くことにしました。ゾエ族は女性が非常に重要な位置を占めています。当時の私と父との関係は非常にぎくしゃくしていて、なかなかコミュニケーションができない状況でした。ですから、当時は父の映画を作るなんて考えられませんでした。ただゾエ族は1万5千年前から同じような生活をしている人々に出会う機会はなかなかありませんから、取材旅行に同行することに決めたのです。ゾエ族の人たちは非常に温厚な人たちで、私たち親子にもいい影響を与えてくれました。
 
セバスチャンが仕事をしているときの映像を旅行中撮影していたので、パリに戻ってから編集をはじめると信じられないことが起こりました 映像を撮るときは、映像を撮る人の感情が映像を通して見えてきますが、セバスチャンは息子がどういう感情をもっているか初めて私が撮った映像を通じて見たのです。あまりにも感動して、ずっと涙を流していたのです。私と父の間の扉が開かれ、一緒に映画を作ることもそのとき可能になったのだと思います。
 

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―――写真家である父のどの部分をどういう視点で捉えようとしたのか?
監督:セバスチャンは写真家なので、彼が撮った写真はアルバムや展覧会で観れますが、写真の映画であってはいけない。また、彼の撮影の旅を題材にしてもあまり強いテーマのにはならない。むしろ、世界を40年間特別な視線で見てきた証人として、彼が見てきた世界を描こうとしました。
 
 
―――ヴィム・ヴェンダース監督はどのように映画制作に関わっていったのか?
監督:セバスチャンは非常に色々な人を見た経験がありますし、(映画を通じて)何か分かち合うものがあるのではと、1年間考えました。彼のことを語ることがとても重要で、若い頃世界と対峙していたのが、だんだん変わっていく部分が面白いし、セバスチャンが、世界を見る時の仲介役となって、カメラを通すことでより豊かに表現できた訳です。セバスチャンは、自分がとても耐えられない状況をエチオピアなどで見ることになりますが、彼はその中で自分なりの世界を作っていくわけです。そこで、ヴィム・ヴェンダース監督に連絡をとり、11年から彼に加わってもらいました。
 
 
―――原題の『地の塩』“The Salt Of the Earth”の意味は?1940~50年代にアメリカ映画で『地の塩』という作品もあったが、この作品と関連はあるのか?
監督:唯一関係を考えるとすれば、50年代の同作は鉱山で働く人たちを描いており、社会的なテーマを描いているという部分では通じるかもしれません。実際にはこのタイトルは聖書の一節です。セバスチャンは合理的で神を信じない人なので、少し矛盾がありますが、彼の写真はシンボリックなものを見出だすことができ、ある意味宗教的とも言えます。セバスチャンは人々を通して地球を好きになったのです。色々な人々と出会うことで、彼らの目線で写真を撮っていきました。ですから、人間について語った言葉が、非常に適切ではないかと考えました。
 
 

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―――セバスチャン・サルガドは、写真を撮る活動を辞めて、森に帰っているが、人類を愛する、信じることが今できているのか?
監督:94年、セバスチャンは、ルワンダの撮影から戻り、ルワンダで見たものに心を痛めていました。彼の写真の撮り方や取材旅行の仕方は、行った先の共同体と一体化し、人と人との人間関係を作りそこから、生まれる感動を写真にしていました。彼の写真は何か希望を持っていて、写真を撮ることや見ることで、人々の意識が変わるだろうと思っていました。しかし、ルワンダでは悲惨な状況があり、自分の写真は役に立たないと感じたのです。その時、彼の中で写真を撮ることに終止符が打たれたのです。
 
その後、セバスチャンは故郷の森に戻り、一時はまる裸になった畑に250万本の木を植えるプロジェクトを行いました。そうすると、生態系の頂点にあるジャガーが戻ってきたのです。以前のように絶対人間が前向きに進むという希望は失いましたが、この時彼は、別の希望を持ちました。私たちはゴリラのようにも、海のクジラのようにも、世界の一部になれると思えるようになったのです。彼が発表した13年に発表した『GENESIS』からも、それを感じていただけるでしょう。
 
 

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――――ジュリア―ノさんは子どもの頃、父、セバスチャン・サルガドさんのことをスーパーヒーローと思っていたそうですが、実際に父の仕事の現場を見た感想は?
監督:一緒に旅をしているときは、父のことを全く知ることができませんでした。彼は非常に集中していて、色々な動物や人と出会うことに完全に入り込んでいます。パプアニューギニアでは、2日間歩いてジャングルの森を上がり、村から1~2キロぐらいのところで畑を耕している人々を見つけると、お互い言葉は分からなくても10分間でその人たちと関係を築き、彼らの共同体に入っていくのを目撃しました。その場では、父のことを探求する余裕はないのです。
 
同行しての撮影が終わり、この映画をヴィム・ヴェンダースと仕事をするようになり、彼のおかげで父を見出しました。私は最初からこの映画をどう語ろうか、決めていました。セバスチャンが写真についての話をし、写真と話を結びつけることにより、若者だった彼が40年の経験の中で、どうやって『GENESIS』のセバスチャン・サルガドアーティストになっていったのか、その変容を語ろうと思っていたのです。
 
そこで、ヴェンダースが撮影にあたってとてもいい仕掛けを考えてくれました。セバスチャンをスタジオに座らせ、周りを黒い幕でかこみ、撮影チームも静かにしていて、何も見えない、聴こえない状態に置きます。彼の前に鏡を置き、マジックミラーで、鏡の後ろにはカメラを据えています。鏡には写真が映るようにし、ヴェンダースは写真を変えるだけでした。彼の物語はよく知っていましたので、写真は私が十分吟味して選んでいました。セバスチャンは、2、3枚写真を見ただけで、完全に写真を撮っている時に戻って語りだしたのです。撮影をしたあとに、事前編集をして、初めて他の人の目を通して父が語るのを見て、彼が精神的にどう成長していったのかを知りました。そこから私と父、セバスチャンとの関係は完全に変わり、友人になりました。
 
 
―――:素晴らしい音楽でしたが?
監督:サルガドが見た世界をどのような音楽を使って表現できるか考えました。サルガドの感情が表に出るように、控えめで抽象的な音楽をさりげなく使いたかったのです。ローレント・ピティガントはそれに応えた音楽を作ってくれました。
(江口由美)
 

 
フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)…終了しました。
公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2015/
 

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『ヴィオレット(原題)』マルタン・プロヴォ監督、主演エマニュエル・ドゥボストークショー@フランス映画祭2015
 
『ヴィオレット(原題)』“Violette”
(2013年 フランス 2時間9分)
監督:マルタン・プロヴォ
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、サンドリーヌ・キベルラン、オリヴィエ・グルメ
2015年12月15日(土)~岩波ホールほか全国順次ロードショー
配給:ムヴィオラ 
© TS PRODUCTIONS – 2013
 

~初めて女性で“性”を語った作家ヴィオレットの孤独と葛藤に満ちた半生~

 
フランスを代表する女性作家でありフェミニズム運動家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールが、その才能に惚れ込み、世間に認められるまでバックアップを惜しまなかった女性作家がいた。自らの体験を美しい文体で、赤裸々に綴り、初めて“性”を語った女性作家として64年の『私生児』で大成功を収めたヴィオレット・リュデュックだ。父親に認知されず、またその容姿から愛する人からも拒まれ、孤独の中で全てを書くことに捧げてきた激動のヴィオレットの半生を、『セラフィーヌの庭』のマルタン・プロヴォ監督が映画化した。
 
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監督が「最初からヴィオレット役と決めていた」というエマニュエル・ドゥヴォスが、自分の容姿に悩み、母との関係に苦しみながら、ボーヴォワールを慕い、自分の力で生きる道を切り開く、ヴィオレットを熱演している。ヴィオレットの愛には応えられないと断言しながらも、女性の自由な表現を求めて、ヴィオレットの執筆活動を全面的に支援するボーヴォワール役には、『屋根裏部屋のマリアたち』のサンドリーヌ・キベルランが扮し、フランス文学界に革命を起こした二人の友情や愛情を超越した関係が描かれている。40年代から60年代に渡る二人の対照的なファッションや、その変化も見どころだ。
 
上映後には、マルタン・プロヴォ監督、主演エマニュエル・ドゥボスが登壇、「このようにエマニュエル・ドゥボスと一緒にこの作品を紹介できることを本当にうれしく思います。フランスでは2年前に公開された作品なので、また新たな気持ちで観ております」と監督が挨拶すると、エマニュエル・ドゥボスはヴィオレットを「文学界のゴッホ」と称し、日本の皆さんにもぜひ読んでほしいと勧めた。また質問では10年前のフランス映画祭でエマニュエル・ドゥボスが来日時にも足を運んだというファンが、感激の言葉を伝える場面もあった。『セラフィーヌの庭』撮影後から始まったという制作の経緯や、ヴィオレットに対する考察など、興味深い内容が語られたトークショーをご紹介したい。
 

 

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―――ヴィオレット・ルデュックはフランス文学界でどのような地位にいるのか?
マルタン・プロヴォ監督(以下監督):ヴィオレット・ルデュックは、フランスで60年代によく知られた作家でしたが、その後忘れ去られてしまいました。博識の方や文学人なら知っていますし、彼女の文体が素晴らしいと、アメリカの大学では研究の対象になっていますが、フランスではそこまでヴィオレットに関心を持つ人はいなくなっています。書店ではヴィオレットの傑作の一つである『破壊』をはじめ、他の作品は並んでいない状況でした。しかし、本作が公開されたことにより、書店でも再びヴィオレットの作品が並ぶようになり、とてもうれしく思っています。60年代の日本で出版された和訳の『私生児』の本を見せていただきました、また新訳の『私生児』が書店に並んでくれればうれしいです。
 

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―――ヴィオレット・ルデックを題材にした映画を撮影しようと思った経緯は?
監督:ヴィオレットは、私が『セラフィーヌの庭』を撮り終えたばかりのときに、私の自伝的小説を出版してくれた編集者でもあるルネ・ド・セカッティから教えてもらいました。ヴィオレットの名前は聞いたことがありましたが、作品を読んだことはありませんでした。セカッティは、ヴィオレットがセラフィーヌのことについて書いた文章を渡してくれたのです。それは本当に素晴らしく、また美しい文章で、感銘を受けました。その中には、様々なセラフィーヌのセクシュアリティーなことについても触れられており、その後『セラフィーヌの庭』が公開されて成功を収めたので、セカッティに会い、ヴィオレットを題材にした作品のためのシナリオを共同で書いてくれるかとお願いし、このプロジェクトが始まりました。
 
 
―――エマニュエル・ドゥヴォスのキャスティングは?
監督:シナリオを書く前に、ドゥヴォスさんにヴィオレットを演じてほしいと思っていました。前から彼女と仕事がしたいと思っていましたし、この役は彼女しか考えられません。最初にドゥヴォスさんと会ったときに聞いたことが、「顔を醜くしてもいいかな?」。その時の答えが素晴らしかったのですが、ドゥヴォスさんは「その役は女優にとって素晴らしいプレゼントです」と言ってくれました。
 

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―――ドゥヴォスさんは、オファーを受けてどんな気持ちだったのか?
エマニュエル・ドゥヴォス(以下ドゥヴォス):ヴィオレット・ルデュックのことは全く知りませんでしたが、『セラフィーヌの庭』が大好きだったので、マルタン監督が私に役を下さったことが、とてもうれしかったです。その後、監督からヴィオレットのことを聞いたり、実際に本を読んだりし、女優としてその役を演じることが出来ることは素晴らしいと思いました。
 
 
―――ヴィオレットが母親に抱く印象は愛情や憎しみもあるが、子どもの頃は手も握らない母親が、最後は入院後の娘の世話をするようになったが、母親の心境の変化をどう考えているのか。
監督:まずはヴィオレットが父親に認知されなかったことが重要なポイントです。母親もヴィオレットが1歳半になるまで出生届を出していないので、母親もある意味その存在を最初は認めていなかった訳です。映画では描くことができませんでしたが、ヴィオレットは祖母に育てられています。母親の唯一の関心事は夫を見つけることで、当時は女性一人で生きることは非常に難しかったわけです。実際にも内装業の男と結婚し、ヴィオレットとは腹違いとなる息子を産んでいます。父親にも母親にも認められなかったことが、ヴィオレットが生涯抱える葛藤の原因となっていった訳です。
 
家族の問題を乗り越えるためには、どうしてもそういった葛藤を乗り越えなければならないと思っています。私の解釈ですが、ヴィオレットにとって父親変わりだったのがシモーヌ・ボーヴォワールだったのでしょう。ヴィオレットは生涯母親に反抗し続けますが、母親の半年前に亡くなるのも、もしかすればヴィオレットの母親に対する反抗の一つだったのかもしれません。
 
ドュヴォス:母親役のカトリーヌ・イジェルとの共演は、ものすごく強烈な経験でした。イジェルさんの出番になって撮影現場に来られることで撮影のリズムができました。色々なシーンで感情がエスカレートしていきますので、私が演じるヴィオレットに力をくれました。
監督:今でも思い出しますが、イジェルさん演じる母親とヴィオレットが「なぜ私を産んだのか、私を産んだことが全ての問題なのだ」と大ゲンカするシーンがありました。最初のテイクで、ドゥヴォスさんが「これがいいわよね」と言っていたのに、私が少し疑問があったので何度もテイクを重ねたのです。結局はドゥヴォスさんの言う通り、最初のテイクが採用されたのですが、彼女は最初からヴィオレットになっており、私から見ても素晴らしかったです。
 

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―――ヴィオレット・リュデュックは本当に激しい気性だが、ドュヴォスさんは自分で演じてどのような女性と理解したのか?
ドュヴォス:映画の撮影に入ったときも、公開されたときも、私の気持ちは全く変わっていません。男性であっても、女性であっても、絵画であっても、映画であっても、文学作品であっても、自分が持っている問題をアートを通じて乗り越えることほど美しいことはありません。ヴィオレットは文学界のゴッホだと思っています。日本語訳になるとどうなるかわかりませんが、素晴らしいフランス語で描かれているので、皆さんもきっと気に入ると思います。
 
 
―――長回しが多かったが、苦労はなかったか?
ドュヴォス:偉大な監督と仕事をすれば、そういう問題にぶち当たることはありません。むしろ長回しは細切れにストップをかけられることなく勢いをもって演じることが出来るので、役者にとって楽なのです。
 
 
―――『セラフィーヌの庭』同様自然描写が素晴らしいが、自然を描写するときに心がけていることは?
監督:セラフィーヌは自然とシンプルな関係にある人物でした。町自体が森に囲まれており、セラフィーヌにとって田舎の風景は唯一の逃げ場でした。ヴィオレットも、自然とシンプルで強力な関係性を自然と持っていたと思います。お料理や家事などのシーンも、細かく描写していますし、散歩したときに目にした木や川などもシンプルで美しい描写になっていると思います。私自身も、パリ近くの自然に囲まれた場所で暮らしており、セラフィーヌやヴィオレットと同じような自然との関わりを持って暮らしています。そういった私自身の自然との関わりが映画に滲み出ているのではないでしょうか。生き物と私たちの関係性や、私たちが一部であるところの偉大な自然界は尊重するべき、非常に美しいものだと思います。
 
 

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―――映画でも冒頭に描かれているが、ヴィオレットが小説を書き始めるきっかけとなった人物、モーリスとヴィオレットの関係は?
監督:ヴィオレットは生活のために色々なアルバイトをしていました。出版社の電話オペレーターをしていた時に小説家のモーリスと出会い、まずは友人関係になっています。彼は、良家の出身ですが、戦争中はユダヤ人を逃がすと偽ってお金をだまし取ったりする怪しい存在になっていきます。ヴィオレットとの偽装夫婦は、3週間の予定でしたが、実際にはもっと長くなり、その間ヴィオレットは恋に落ちるのです。実際、モーリスはとても優れた作家で、ヴィオレットの人生において、いくつかの道しるべを示す人物の中の最初の一人となりました。モーリスは「君は書くべきだ」と言ってヴィオレットを励まし、ヴィオレットは「自分が書く資格を得たのだ」と書いています。それまでヴィオレットは自分に書く資格はないと思っていたのです。(江口由美)
 

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!
 

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『アクトレス~女たちの舞台~』オリヴィエ・アサイヤス監督トークショー@フランス映画祭2015
 
『アクトレス~女たちの舞台~』“Sils Maria”
(2014年 フランス=スイス=ドイツ=アメリカ=ベルギー 2時間4分)
監督:オリヴィエ・アサイヤス
出演:ジュリエット・ビノシュ、クリステン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツ
配給:トランスフォーマー
2015年10月24日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他全国順次公開
© 2014 CG CINÉMA – PALLAS FILM – CAB PRODUCTIONS – VORTEX SUTRA – ARTE France Cinéma – ZDF/ARTE – ORANGE STUDIO – RTS RADIO TELEVISION SUISSE – SRG SSR
 

~大女優が対峙する、自分の中の若さへの畏れ~

 
大女優マリアと、若手マネージャーのヴァレンティン、そしてマリアの出世作の役を演じることとなった人気ハリウッド女優。フランスを代表する女優、ジュリエット・ビノシュの最新作は、女優であればだれもが通る道ともいえる、若き頃の自分との対峙であり、また勢いのある新進女優を前にしての葛藤、そして永遠に輝き続けることをドキュメンタリータッチで描いた渾身の“女優物語”だ。
 
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スイスの大自然の中で繰り広げられるマリアとヴァレンティーノとの役作り合宿での稽古や議論は、雄大な自然の中で年代も映画キャリアも違う二人が、女優とマネージャーの枠を超えてお互いの意見を闘わせる。ヒリヒリするような臨場感で演じるジュリエット・ビノシュとクリステン・スチュワートは必見だ。また、スキャンダルまみれの奔放なハリウッド若手女優を演じたクロエ・グレース・モレッツも、本人の勢いがそのまま役柄に反映され、ベテラン女優マリアとのやり取りは、勢いがもたらす残酷さを突きつける。
 
本作の上映後、オリヴィエ・アサイヤス監督の登壇に、大きな拍手が送られ、監督のファンの多さを肌で感じたトークショー。「今までも私の作品は日本に紹介され、日本の方々に愛していただきました。今回こうして朝早くからお越しいただけたことを本当にうれしく思って、感謝しています」と冒頭に挨拶した後、一つ一つの質問に、深く丁寧な返事を寄せて下さった。ジュリエット・ビノシュやクリステン・スチュワートとのエピソードなど、興味深い内容が語られたトークの模様をご紹介したい。
 

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―――2010年に1970年代のテロリストを描いた『カルロス』、2012年の青春映画『5月のあと』など、監督のフィルモグラフィの豊かさには驚かされてばかりだが、今回このような女性映画を作ろうとしたきっかけは?
オリヴィエ・アサイヤス監督(以下監督):『カルロス』と『5月のあと』は違った形ですが、どちらも1970年代を語る作品です。『カルロス』は広い意味での歴史を語りました。それに対して『5月のあと』はより内密で私的かつ詩的なものを投げかけるものでした。この2本で1970年代での言いたいことを言い終えました。そしてその2本を撮った後、自分自身を新しくしたい、新しいものを作りたいという欲求があったのでしょう。ジュリエット・ビノシュさんとは昔から一緒に仕事をしたいという話をしていました。実際に準備し、実行するためにはこれぐらい長い時間がかかりましたが、私とジュリエットとの両方の「やりたい」という気持ちから生まれた映画です。
 
 
―――脚本はジュリエットさんの意見も反映されたのか?
監督:一緒に脚本を書くつもりは全くありませんでした。ある日、ジュリエットから「お互いに知り合ってから長いのに、なぜ一緒に仕事をしなかったのか。私たち二人の間で交わされた話や、二人の関係を映画にしてみてはどうか」という電話があったのです。私も少し考えてみましたが、彼女の言うことは正しいと思いました。ジュリエット・ビノシュのフィルモグラフィー、そして私のフィルモグラフィーにジュリエットが主演の映画という一本が欠けているという感じだったのです。
 
古くからお互いに良く知っていますし、共通点も多い。まさにそのことに映画の材料があるのではないか。過ぎた長い時間がいかに私たちの中に沁み込んでいくか、私たちを変えていくかという「時間」についての映画を作れるのではないかと思いました。私からジュリエットに「最後まで脚本を書けるかどうかわからないけれど、やってみるよ」と返事をしました。ジュリエットには執筆中にも話を定期的に聞きましたが、何をテーマにした脚本を書いているのかは全く教えませんでした。ですから、ジュリエットは私が脚本を書き終わってから、はじめて作品の内容を知ったのです。
 
 
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―――本作でセザール賞助演女優賞を米国人女優で初めて受賞したクリステン・スチュワートさんですが、起用した理由は?
監督:クリステンは、確かにトワイライトシリーズの成功とメディアによって有名になったイメージがありますが、私は映画において独特の存在感がある稀有な女優だと思っていました。彼女を見たのは、ショーン・ペン監督作の『イントゥ・ザ・ワイルド』で、5分間しか映らなかった端役でしたが、映画館を出ても忘れられないぐらいの存在感を示していました。また、素晴らしいカメラ映りの良さで、映像の中の彼女はとても強みや深みがある存在です。いずれにしてもアメリカ女優には珍しい特異な存在だと思っていました。ですから、今回オファーを受けてくれたことをとても幸福に感じています。
 
実は、クリステン自身も多大なリスクを冒しています。ヨーロッパのインディペンデント映画ですし、普段彼女が慣れているような製作状況も報酬も居心地の良さもまったくありません。しかし、その代わりに、これまで彼女が出演した映画がもたらさなかったものを与えることができると思いました。それは映画の登場人物ではなく、彼女自身になるということ。彼女自身を発揮する空間を与え、人工的に作り出した登場人物ではなく、彼女の自発的なところを重視してあげることができると考えたのです。ですから、そうした演技をすることで、キャリアのある時点で自分自身を理解することが、今後の助けになるのではないか。自分の想像以上に自分のキャリアをより遠くに伸ばしていけるだろうと考えたのです。
 
 
―――ジュリエット・ビノシュさんと、クリステン・スチュワートさんの相性はすぐに上手くいったのか?
監督:この二人の関係がうまくいくことは、この作品にとって本質的に重要なポイントでした。二人は撮影が始まったときに初めて出会いました。二人の気が合わなかったら、二人の間に緊張が起きてしまったら映画がダメになってしまうぐらい、二人の関係に依存した作品を作ろうとしていることを意識していました。出来上がった映画は、最初の脚本と全く異なる性質のものになったのは、この二人の関係性のおかげです。二人はお互いに評価し、敬意を持っていました。クリステンにとってジュリエットは、いつもそのキャリア全体を通じて、自由と独立の精神を保ち続けていた女優と思っていました。ですから、ジュリエットが辿ってきたようなキャリアを歩むには、そのメカニズムをを理解し、彼女のようにするにはどうしたらいいかを直接学びたいと考えていたようです。ジュリエットがクリステンから見て取ったのは、若い女性だけれど自分と同じように映画に対する情熱と 芸術的な要求が高い女優だということでした。ですからとてもバランスが取れていて、お互いを刺激し合い、いい意味での競争心が働きました。この二人の関係がこの作品を支えてくれ、私はそばにいて二人の関係性が進展していくのをドキュメンタリーのように撮影しただけです。
 
 

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―――本作は、長年監督作品を撮ってきたエリック・ゴーティエ撮影監督ではなく、ヨリック・ル・ソーさんを撮影に起用しているが、その理由は?
監督:様々な撮影監督と一緒に仕事をしました。一番最初に仕事をし、一番多くの仕事を共にしているのはドニ・ルノワールです。私の初長編から『カルロス』の半分まで、ドニ・ルノワールが撮影を務めています。『カルロス』の時はとても長い映画なので、撮影監督も2名置き、録音技師も2名置いて、スタッフの引き継ぎで撮っていきました。二人目がエリック・ゴーティエで、’96年の『イルマ・ヴェップ』、そして’12年の『5月のあと』まで彼と仕事をしてきました。
 
そして3人目がヨリック・ル・ソーで、彼はまだキャリアは新しく、最初は二人目のカメラマンとして私の撮影に参加していました。初めて撮影監督となったのは、’07年の『レディ アサシン』で、その後『カルロス』、そして今回の『アクトレス~女たちの舞台~』での起用となりました。おそらく直感的に撮影監督を選んでいますが、おそらく今回はドキュメンタリー的トーンを入れたかったのが理由だと思います。ヨリック・ル・ソーが持っている実写のスピード感を重視しました。エリック・ゴーティエとは、次回作で一緒に撮ろうと言っています。
 
 
―――全体的に暗いトーンで、雪山など雲のシーンが重い灰色の色合いだと感じたが、作品のトーンに関する考え方は?
監督:どういう条件で上映されたか分かりませんが、私はこの映画を暗い色調にするつもりは全くなかったです。最初は夜のシーンなので暗いのは当然ですし、室内では温かく濃い色調になっているかもしれません。けれども、第一部のチューリッヒの部分が終わり、第二部の山荘に行った途端に、私は映像を明るく光溢れるものにしようと思っていました。もちろん私たちの撮影条件で太陽が思ったように輝いてくれるのを待つことが必ずしもできるわけではありません。けれども、最近の私の映画全てに共通しますが、薄暗がりよりも、むしろ明るさを求めています。映像がはっきりと読み取れるように心がけています。特に自然を撮るときはそうです。
 
 
―――監督の作品は、いつも音楽に注目しているが、プライマル・スクリームの『コワルスキー』を使った訳は?
監督:今回は他の作品とは全く違った音楽の使い方をしました。全くロックは出てきませんし、この映画のためにバロック音楽のトーンが必要だと思いました。『コワルスキー』を使ったのは、この映画の窓が開いて、ヴァレンティンの別人生が覗かれるようなもの、カメラのフレームの外のシーンが突然見え、単に女優マリア・エンダースのアシスタントだけではない、別の人生を持っており、映画では語られないストーリーを持っていることが垣間見られるシーンになっています。いわば、この映画の中で一瞬当惑してめまいがする瞬間にもなっています。最初の頃から、この曲が必要だと思っていたのです。
(江口由美)

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!
 

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『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ、主演フェリックス・ド・ジヴリトークショー@フランス映画祭2015
 
『EDEN/エデン』
(2014年 フランス 2時間11分)
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
出演:フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ
配給:ミモザフィルムズ
2015年9月、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
© 2014 CG CINEMA - FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD– YUNDAL FILMS
 

~90年代パリ、若者たちが熱中した音楽の中心にいたDJの夢と挫折、そして未来へ~

 
90年代パリで、親友とDJデュオを結成し、瞬く間にクラブシーンで有名になっていったポールを主人公に、彼が辿った栄光と挫折の道のりを、時代を彩るガラージミュージックやクラブミュージック満載で綴る青春群像劇、『EDEN/エデン』。
 
『あの夏の子供たち』のミア・ハンセン=ラヴ監督が、兄で20年間ガラージミュージックのDJとして活動してきたスヴェン・ハンセン=ラヴの体験を元に、90年代後半から00年代にかけてフランスのダンス・ミュージックシーンで起こったムーヴメント、フレンチ・タッチの最中で生きた若者たちの10年に渡る生き様を、2部構成で瑞々しく描き出した。当時行われていた音楽イベントやパーティーを実存する伝説のクラブで再現する他、DJたちがアメリカの人気DJたちとセッションする様子や、音作りする様子など、DJの活動ぶりからその苦悩まで赤裸々に映し出され、音楽を通じて10年間を顧みることもできるのだ。
 
最初に「23歳です。私は日本を明日去らなくてはならないのでとても淋しいです」と挨拶したフェリックス・ド・ジヴリさんと、「ミア(ミア・ハンセン=ラヴ監督)の兄です。42歳です。前回日本に来たのは15年前だったので、帰ってくることができてうれしいです」と返したスヴェン・ハンセン=ラヴさん。今日空き時間に買ったばかりのジーンズ姿もお揃いで、主人公と、そのモデルとなった人物が揃っての登壇となったトークショーの模様をご紹介したい。
 
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―――主人公ポールの役を10年に渡って演じて、一番難しかったことは?
フェリックス・ド・ジヴリさん(以下フェリックス):モデルになっている人物がスヴェンさんで、彼自身も若々しいので、10年間を演じることに対して抵抗は感じませんでした。ミア監督と相談し、老けメイクをしてまで、年を重ねたようにしないようにしようと決めていました。
 
 
―――『フランシス・ハ』に出演したグレタ・ガーヴィクさんをジュリア役に起用した理由は?
スヴェン・ハンセン=ラヴさん(以下スヴェン)グレタさんは私もミアも大好きで、彼女が出演してくれるのは一つの夢でもありました。出演を了承してくれるかどうか不安でしたし、エージェントを通じて打診すると役が小さすぎると言われましたが、偶然にもグレタさんはミアの映画が好きで、すぐにやりたいと言ってくれました。少しのシーンですが、彼女の軽やかな感じが、作品に温かみを与えてくれたと思います。
 
 

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―――今再びディスコやガラージが盛り上がってきているようだが、スヴェンさんから見て、この動きをどう思うか?
スヴェン:一番大きな違いは、昔はこのようなクラブミュージックを聞いていた人が今より少なかったし、新しいミュージックを発見したという熱がありましたが、今は世界中で若者たちが様々なミュージックを聞いていて、彼らは自分たちの聞いている音楽の根っこが昔にあると知っています。
 
 
―――どうしてご自身の人生を反映させて、このシナリオを書こうとしたのか?
スヴェン:この映画は私の人生を語るために作られた映画ではなく、ミアは音楽と90年代の若者たちについての映画を撮りたいと思っていたのです。たまたま、そのときに私がある音楽シーンの役割を担っていたので、最初は当時起こっていたことを語っているうちに、一緒に脚本を書くようになりました。
 
 
―――自身の役をフィリップさんにしようとした決め手は?
スヴェン:ミアがオーディションで、フェリックスさんのことがすぐにいいと思ったのは、当時の若者の中にあったエネルギーを彼の中に感じたからです。フィリップスは音楽のことも知っています。音楽のことは門外漢という人は選びたくなかったのです。
 
 

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―――フェリックスさんは俳優以外にどんな活動をされているのか?
フェリックス:レコードレーベルを持っていますし、色々なイベントの企画もしています。近々、服のレーベルを立ち上げる予定です。
 
 
―――フェリックスさん自身は、今上り調子の人生ですが、かなり手痛いことが待っていた主人公を演じて共感できたのか、それとも別の感情を覚えたのか?
フェリックス:私はこの作品を成功と失敗を描いたものとは考えておらず、夢に向かってどこまで立ち向かっていけるかという映画だと思います。自分の目的に対してどこまで突き進んでいけるかということで、私はスヴェンさんのように心配性ではないので、そこまで違和感はなかったです。
 
 
―――フランスの文化を紹介する一方で、本作はアメリカの影響を強く受けていることを示しているが。
スヴェン:確かにこの映画の中ではアメリカ文化のことを紹介していますが、フレンチ・タッチを紹介する映画でもあります。フレンチ・タッチというのはアメリカとフランスのつながりによって生まれた音楽です。フランスは昔からアメリカの黒人音楽に対する根強い愛着がありました。この映画は、ある意味フランスの伝統を表しているともいえますし、その絆がいかに美しいかということを示した映画でもあります。私の好きなシーンで、主人公がシカゴに行き、アメリカのDJに会うシーンがありますが、そこで二つの全く違う文化をもったDJの間に絆が生まれ、お互い違いはないのだということが分かります。
 
 

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―――最近のフランス映画は以前と比べて、生身の人間を辛辣に映し出す作品が多いことをどう思うか?
スヴェン:確かに作家主義の映画はよりリアルな人間を映し出し、人間の弱さを表しています。もしそのような映画が増えているのなら、フランスが今難しい時代に入っているのではないでしょうか。
 
 
―――今後映画とどのようにかかわっていきたいですか?また主演する可能性はあるか?
フェリックス:今後も映画の仕事は続けていきたいです。フランスではすぐラベルを貼って、枠にはめようとするのですが、今回の映画出演で新しいチャンスも得ましたし、私はこの若さを利用して色々なことに挑戦していきたいと思います。
スヴェン:私は映画が大好きですが、本当にやりたいことは文学です。
 
 
―――フランス映画ファンにお二人から一言お願いします。
フェリックス:アルノー・デプレシャン監督の『My Golden Days(仏題:”Trois Souvenirs de ma Jeunesse”)』 が素晴らしいです。フランス映画は普遍的なものなので、日本で公開されるフランス映画を今後も見てください。
スヴェン:アラン・カヴァリエ監督の初期の2作は、フランスの評論家も「最も美しい映画」と評しているので、皆さんも見てください。
(江口由美)
 

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!

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『ボヴァリー夫人とパン屋』アンヌ・フォンティーヌ監督トークショー@フランス映画祭2015
 
『ボヴァリー夫人とパン屋』“Gemma Bovery”
(2014年 フランス 1時間39分)
監督:アンヌ・フォンテーヌ
出演:ファブリス・ルキーニ、ジェマ・アータートン、ジェイソン・フレミング、ニールス・シュナイダー
配給:コムストック・グループ 
7月11日(土)~シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
© 2014 – Albertine Productions – Ciné-@ - Gaumont – Cinéfrance 1888 – France 2 Cinéma – British Film Institute
 

~小説『ボヴァリー夫人』に美しき隣人を重ねて・・・文学好きパン屋の危険な妄想~

 
フランスを代表する小説家ギュスターヴ・フローベールの傑作『ボヴァリー夫人』をモチーフに、小説好きの主人公が、美しく奔放な人妻に『ボヴァリー夫人』の悲劇のヒロイン、エマを重ねることで起こる物語は、思わぬ展開に最後はニンマリせずにいられなくなる。『ココ・ヴァン・シャネル』『美しき絵の崩壊』のアンヌ・フォンティーヌ監督が、美しいフランス西部ノルマンディーの小さな村を舞台に、官能的かつ、ユーモアを交えて描いた覗き見の恋物語は、文学的エッセンスが心地よく、フランス人社会で格闘するイギリス人の描写も興味深い。
 
文学好きのパン屋、マルタンを演じるのは、『屋根裏部屋のマリアたち』『危険なプロット』の名優、ファブリス・ルキーニ。隣人の英国人人妻、ジェマを演じるのは『アンコール!!』のジェマ・アータートン。はまり役と言わんばかりの2人の演技が、物語にリアリティーを添える。
 
本作のアンヌ・フォンティーヌ監督が、上映後のトークショーに登壇。キャスティング秘話や、『ボヴァリー夫人』の解釈について多彩なトークが展開した。その模様をご紹介したい。
 
 
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<ストーリー>
マルタンは出版社務めの後に、ノルマンディー美しい村でパン屋を営む文学好きな男。ある日、向かいに引っ越してきた英国人のチャーリーとジェマ・ボヴァリーを見て、愛読している『ボヴァリー夫人』の悲劇のヒロイン、エマを重ねるようになる。毎日パンを買いに来るジェマと少しずつ世間話をするような仲になるマルタンだったが、ある日、ジェマが年下の男のもとに向かう現場を目撃。小説のエマのように服毒自殺を図るのではと妄想が膨らんでいったマルタンは、ある行動に出るのだったが・・・
 

■小説『ボヴァリー夫人』に心酔するファブリス・ルキーニ、主人公は彼以外には考えられなかった。

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―――監督はファブリス・ルキーニさんとは長い付き合いがあるそうですが、最初の出会いは?
アンヌ・フォンティーヌ監督(以降監督):ファブリスさんはとは私が若い頃、女優をしていた時代に、『フロップ』という映画の撮影現場で会いました。ファブリスさんは、とても変な絵の先生役をしていたのですが、ディナーの誘いを受けたので、ナンパされたのかと思ったら、そこで『ボヴァリー夫人』の話を延々聞かされたのです。ファブリスさんはそれぐらい『ボヴァリー夫人』のことが好きなのです。なにせ、自分の娘をエマと名付けるほどですから。
 
 
―――今回のオファーは、二つ返事だったのでは?
監督:もちろん彼としては拒絶するなんて考えられないでしょう。彼はもちろんフランスでとても有名な俳優ですが、様々なものが混合している不思議なところがあり、セレブだけれど、それだけではない部分もあります。主人公の知的なパン屋というのは彼以外には考えられませんでした。
 
 
―――次の監督作品にルキーニさんが出演されるなら、監督がぜひ彼を連れてきてほしい。
監督:ルキーニは決して飛行機に乗らない人なのです。彼は変わった人物なので、奇妙なことをするのを許してください。お客様からのメッセージは、伝えておきます。(船て来てはどうかと振られて)それはいいですね。船は時間がかかるので、今、この場に日本のプロデューサーもいらっしゃるでしょうから、船で移動する間に映画を撮るプロジェクトにお金を出していただければ(会場から拍手!)。
 

■出会って2秒でジェマ・アータートンをヒロインと確信

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―――ジェマさんをヒロインに起用したきっかけは?
監督:彼女に会う前に、何人か英国人女優に会いましたが、これと思える方に出会えずにいたところ、最終的にジェマさんが部屋に入ってきました。入室してマフラーをとった2秒間で、この人物しかいないと思いました。本当に彼女の魅力には女性であれ、男性であれ、ゲイであれ、犬であれ抵抗できないと思います。
 
 
―――(女優のお客様から)監督の作品に出演するにはどうしたらいいですか?
監督:何語を話されますか?実はヒロインのジェマさんは最初、「ボンジュール、アンヌ」しかフランス語を話せなかったのです。そのあと、ジェマさんは撮影前に3ヶ月フランスに滞在し、言葉と文化を学びました。撮影では即興でセリフを繰り出すファブリスさんにその場で対応できるようになっていました。ですから、あなたも希望がありますよ。
 

■『ボヴァリー夫人』のエマは時空を超え、誰もが自己投影できるヒロイン

―――監督ご自身は『ボヴァリー夫人』という小説をどのように解釈しているのか? 
監督:私は17歳で初めて『ボヴァリー夫人』を読みました。そして、エマは時空を超えた普遍的なヒロインで、21世紀のどこにでもいるような女性です。私が彼女を定義するなら、リンゴの木の下に立っていてナシを欲しがる女性です。イギリスの絵本作家、ポージー・シモンズさんは原作の小説をオリジナルの手法でマンガにしていますが、原作のバイオレンスな自殺とはトーンが違いました。フランス文学のヒロインの運命を現在のイギリス人の運命に重ねるところが面白いと感じました。
 

■辛辣なコメディーと特別なエロチシズム(妄想)の物語

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―――フランスでは一般教養として皆が『ボヴァリー夫人』を読んでいるのか?
監督:フランスでも全員読んでいるわけではありませんが、学校で課題として読むものなので、多くの人が目にしていると思います。フローベールは男性なのにも関わらず、こんなに細やかに女性心理を描写してみせるところが、素晴らしいです。私たちは皆ボヴァリー夫人のような部分、人生の中に何かもっと楽しいものがあるのではないかと思っていますから、誰もがポヴァリー夫人に自己投影できるのではないでしょうか。ファブリスさん演じる文学好きのパン屋役は、ウディ・アレンさんのように演じてほしいとお願いしました。まさに、現実生活よりもフィクションの方が楽しいと思っている人物にしたかったのです。
 
 
―――この作品はコメディーやサスペンスなど様々な要素が含まれているが、監督ご自身はどう捉えているのか?
監督:これは辛辣なコメディーだと思います。最後は可笑しいですよね。このお話は原作のグラフィック・ノベルのアングロサクソン的な残酷さと辛辣さが混じったトーンになっています。この映画で描かれるもう一つのテーマは直接的ではなく、特別なエロチシズムで、パンをこねるシーンでも、間接的に(ジュマとの愛を)妄想している人物なのです。
(江口由美)

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!
 

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『エール!』エリック・ラルティゴ監督、主演女優ルアンヌ・エメラ、トークショー
 
『エール!』“La Famille Bélier”
(2014年 フランス 1時間45分)
監督:エリック・ラルティゴ
出演:ルアンヌ・エメラ、カリン・ヴィアール、フランソワ・ダミアン、エリック・エルモスニーノ
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
La Famille Bélier © 2014 – Jerico – Mars Films – France 2 Cinéma – Quarante 12 Films – Vendôme Production – Nexus Factory – Umedia
 

~耳が聴こえなくても胸に届く、魂の歌声~

 
本国フランスでも動員700万人超えの大ヒットを記録し、フランス映画祭2015のオープニング作品として上映された『エール!』。聴覚障害を持つ家族の中で、唯一“聴こえる”長女ポーラを主人公に、家業を助け、親たちの通訳をしながら生きている少女が夢に向かって葛藤しながら進む姿を、歌や手話と共に描いたパワフルかつハートウォーミングな作品だ。主演のルアンヌ・エメラはエリック・ラルティゴ監督に見いだされ、本作で映画デビューを飾った新人で、その歌声はソウルフルで情感に訴える魅力がある。また、聴覚障害者の家族たちの手話も、彼らのキャラクターを表すような明るさや激しさがあり、手話や歌を通じて、聴こえなくても声なき声が届く様がまさに感動を呼ぶ。上映後、大きな拍手と共に迎え入れられた同作のエリック・ラルティゴ監督、主演女優ルアンヌ・エメラによるトークショーの模様をご紹介したい。
 
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<ストーリー>
フランスの田舎町で農家を営むベリエ家。高校生の長女ポーラ(ルアンヌ・エメラ)以外、父(カリン・ヴィアール)も母(フランソワ・ダミアン)も弟も聴覚障害者で、ポーラは家族と健常者との通訳をしながら、家業を手伝っている。熱血漢の父と、美しく陽気な母、口の悪い弟とのサイレントだが賑やかな家族の日々を送るポーラは、ある日学校の音楽クラスでその歌声の美しさを担当教師のトマソン(エリック・エルモスニーノ)に見いだされ、パリの音楽学校のオーディション受験を勧められる。しかし、ポーラの声が聴こえない家族は大反対。ポーラも一時は夢を諦めようとするのだったが・・・。
 

FFF-エール!-3.jpg―――家族の手話が中心となって成り立つ話をどのようにして思いついたのか?
エリック・ラルティゴ監督(以下監督):日本でいう芸人の娘で、私の父親のアシスタントをしていたビクトリア・ジュドスという女性が書いたシナリオを目にしたのです。彼女は、本作のルアンヌのように家族の中で自分だけが健常者で、他の家族は聴覚障害者でした。私はそこから10か月かけてシナリオを脚色し、また別のシナリオを作り上げました。
 
 
―――映画化するには難しいと思わなかったのか?もしくはすぐにやりがいがあると思ったのか?
監督:もちろん(難しいと)思いました。この映画は色々な要素があります。手話だったり、手話をしながら歌うなど、当時はまだルアンヌが思春期で、集中力もなかったですから映画化するのは難しいかなと思いました。でも、映画を撮るたびにドキリとするのが楽しいので、今回はルアンヌにドキリとさせられました。
 
 

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―――本作に出演するまでにシンデレラストーリーがあったと聞いているが、ルアンヌさんの出演の経緯は?
ルアンヌ・エメラ(以下ルアンヌ):フランスで『ザ・ボイス』という音楽オーディション番組に出演した私を見て、監督が採用してくれました。スクリーンテストも最低だったので、なぜ私がこうなっているのか今でも分からないぐらいですが、ともあれ、今こうしてシンデレラストーリーを歩んでいるわけです。
監督:確かに一回、二回、三回と全てのスクリーンテストはダメでしたが、無意識のうちに何らかの化学反応が起こったのだと思います。彼女はとても瑞々しく、自然さを持っていて、素晴らしい歌手でした。3秒見て素晴らしいと思ったものを、映画を撮るときには1時間半続けなくてはなりません。今回は、なんとか成功したと思います。
 
 
―――ルアンヌさんが撮影中に一番難しかったことは?また撮影前にどのような準備をしたのか?
ルアンヌ:演技を覚えることが一番難しかったです。私自身は歌手ですから、映画で出演して演技をした経験がありません。本作が初めての演技経験でしたが、監督は随分私を助けてくれました。また、(準備という点では)本作のために一日4時間の手話レッスンを4か月間受けました。ただ元々外国語を覚えるのは得意なので、その点は有利で、新しいものを体得することへの好奇心がありました。やりたいと思って好きなことをやることは、そんなに苦にならないものです。
 
 

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―――カリン・ヴィアールさん、フランソワ・ダミアンさんというフランスを代表する俳優との共演は?
ルアンヌ:はじめは私自身も彼らと一緒に仕事できることに感動したり、ドキドキしていましたが、すぐに二人は演技の助言をしたりしてくれました。
監督:二人に手話をやってもらいましたが、手話はある意味ダンスの振り付けのようで、視覚的に動きの多いものです。手話のリズムを私はまず覚えなければなりませんでした。手話を見て、実際に聴覚障害者が理解しなければなりません。映画でも手もとが映らなければいけないわけで、常に画面のフレームの中に納まるように気を付けていました。
 
 
―――次に演技をするのなら、歌も含めた作品にしたいか?全く別のことを演じたいか?
ルアンヌ:今のところ分かりませんが、次回作で歌わなくてもいいと思っています。(監督に泳ぐことにしたらと言われ)じゃあ、泳ぐ役を書いてください。とにかく色々な役に挑戦したいと思っています。
 
 
―――後半ポーラが発表会でデュエットするクライマックスのシーンで、なぜ二人の歌声をなくしたのか?
監督:音を消したシーンは、私としては(観客の皆さんに)聴覚障害のある両親の身になってほしいと思いました。あのシーンで音を消すことで、健常者が彼らの感覚を味わうという意味合いがありました。プロデューサーは音を消すことにとても反対しましたが、結果納得してくれました。あそこで聞かせないことによって、父親がポーラの喉に手を当てるシーンに感動を持っていくことができました。
配給会社の方と相談中ですが、本作は難聴や聴覚障害をお持ちの方のためのバージョンも作っており、字幕の他に色を変えて、ここでドアが閉まったとか、音楽が入った等を示していますので、上映会の時に選べるようにして使っていただければと考えています。
 

 
聴覚障害者の身になってほしいという意図で作ったシーンの話の後に、エリック監督が客席に「この会場の中に聴覚障害の方はいますか?フランス手話と日本手話では違いがあるかもしれないので、全て分かりましたか?」と問いかける一幕も。客席から男性が返答し、手話で「素晴らしくて本当に泣きました。ブラボーです。全て理解できました」と喜びを伝えると、ルアンヌさんがすかさず監督の言葉を手話で伝え、また手話を訳し、まるで本当に『エール!』のポーラがそこにいるような感動的な出会いで、トークショーは幕を閉じた。
 

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このルアンヌさんと会場の聴覚障害のお客様との手話のやり取りを見て、エリック監督は最後に「聴覚障害の方のコミュニティーは本当に素晴らしい。フランスで聴覚障害を持っている方々も、日本で上映しても、国による若干の手話の違いがあってもある程度の理解はできると言っていました。例えば、(フランスの)健常者が日本の言葉を覚えるには最低でも15年はかかるが、手話は短期間で覚えることができ、外国に行ってもコミュニケーションが取れるというのは、本当に素晴らしいと思う」と手話によるコミュニケーションは世界共通言語であることを改めて実感した様子。手話シーンの多さや、演技経験のない新人を起用しての映画づくりを熱意をもって進めてきた監督と役者たち、そして聴覚障害者の方たちがより楽しんでいただけるように別バージョンも作ったという話に、映画を作るだけでなく、聴覚障害者の方々に届けることを真摯に考えた作り手の思いが会場のお客様にしっかりと伝わったことだろう。
 
尚、エリック・ラルティゴ監督によるティーチインは、6月29日(月)フランス映画祭2015大阪会場のシネ・ヌーヴォにて『エール!』上映後に開催予定だ。劇場公開は、10月31日にバルト9他にて公開予定。(江口由美)
 

フランス映画祭2015

6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!

公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2015/

 
 
 
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6月26日17時20分から東京都千代田区の有楽町朝日ホールにて、今年で23回目を迎えるフランス映画祭2015オープニングセレモニーおよびオープニング作品『エール!』の上映が行われた。
 
オープニングセレモニーでは、主催のユニフランス・フィルムズ代表、イザベル・ジョルダーノさんが「本当にありがとうございます。世界中でこれほど関心を集めているフランス映画は独自性が魅力。まるでカンヌ映画祭が続いているかのよう、今晩はまさに映画の祭典です。多くのゲストも参加します。この4日間最高のフランス映画をお楽しみください」と挨拶し、1946年にユニフランスが制作したカトリーヌ・ドヌーヴの短編映像が特別上映された。
 

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次はいよいよゲストの登場。『ヴィオレット(原題)』主演女優で、フランス映画祭2015団長のエマニュエル・ドゥヴォスが客席通路から颯爽と登場し、満席の客席から大きな拍手が沸き起こった。引き続き、『ボヴァリー夫人とパン屋』のアンヌ・フォンティーヌ監督、フランソワ・オゾン監督最新作『彼は秘密の女ともだち』主演女優のアナイス・ドゥムースティエ、『EDENエデン』主演男優のフェリックス・ド・ジヴリ、同作のミア・ハンセン・ラヴ監督の実兄で脚本のスヴェン・ハンセン=ラヴ、『アクトレス』のオリヴィエ・アサイヤス監督、『ヴィオレット(原題)』のマルタン・プロヴォスト監督、『ティンブクトゥ(仮題)』のアブデラマン・シサコ監督、『セバスチャン・サルガド』のジュリアーノ・リベイロ・サルガド共同監督、『チャップリンからの贈りもの』のグザヴィエ・ボーヴォワ監督、そしてオープニング作品『エール!』の主演女優ルアンヌ・エメラとエリック・ラルティゴ監督の計12名が登壇。東京に集まったフランス映画人は檀上でも和やかな雰囲気で、この場を楽しんでいる様子だった。
 
 

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そして団長のエマニュエル・ドゥヴォスが「こんばんは。東京に来られてとてもうれしいです。仕事ばかりでちょっと残念です。東京を楽しみたいと思います」とチャーミングな日本語で挨拶。引き続きフランス語で「東京に皆で来ることができて光栄です。色々な映画祭がある中で、我こそが行きたいと名乗りを上げるのが、東京のフランス映画祭です。ありがとうございます。私たちにとってもみなさんにとってもいい映画祭になることを望みます」と挨拶し、観客からの大きな拍手に笑顔で応えた。
 
 
 
 
 

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まさに女優としての輝きに磨きがかかったエマニュエル・ドゥボス(6月28日『ヴィオレット(原題)』上映後に登壇予定)や、オゾン作品でロマン・デュリスを相手に揺れ動く女心を繊細に演じ、今後の活躍にも期待が高まるアナイス・ドゥムースティエ(6月27日『彼は秘密の女ともだち』上映後に登壇予定)、そして初出演作の『エール!』が本国で大ヒット、映画で披露した見事な歌声を生かし歌手としても活動中、本当にキラキラと輝く新星ルアンヌ・エメラと、フランス映画好きにはたまらない豪華ゲストがズラリと並び、華やかなオープニングとなった。
 
フランス映画祭2015は6月29日まで有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京海上)で全12本を上映する。会期中は、全ゲストが上映後のトークに登壇予定だ。
 
フランス映画祭2015公式サイト http://unifrance.jp/festival/2015/
 
 

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